弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

神代植物公園2019年5月

2019-07-07 14:52:28 | 杉並世田谷散歩
5月12日、神代植物公園を訪問しました。古新聞になってしまいましたが、とりあえず記事をアップします。

調布駅からバスに乗り、神代植物公園前で降りると、もうお昼時です。降りてすぐのところに、Green Front Cafeを見つけました。


店内には、興味あるアンティークが飾ってあります。そのうちの一棚は、アンティーク航空計器でした。店員さんに聞いてみたら、オーナーさんの趣味だそうです。


そのうちの一つに、「旧日本海軍 九九式艦上爆撃機計器類」との表示のものがありました(下写真)。九九艦爆といえば、真珠湾攻撃に参加した急降下爆撃機です。真珠湾に停泊していた米海軍戦艦は、その装甲が急降下爆撃機の爆弾では貫通できないので、日本側の主な攻撃は、九七式艦上攻撃機(九七艦攻)による魚雷攻撃と水平爆撃でしたが・・・。
 

九九艦爆計器類の標識の左にあった計器(左下写真)には、「羅針盤二號二型」との記述があります。こちらの記事によると、『日本陸軍の主力軽爆撃機「九九式双発軽爆撃機Ⅱ型」に搭載された爆撃機用羅針盤(二号二型)』ということです。標識の左下に刻印された○に☆印は、「五芒星」といって陸軍の標識だそうです。

右上の写真には、「WWⅡスピットファイアー ガンサイト」との説明があります。

前回神代植物公園を訪れたのは、2018年1月でした(こちら)。そのときは冬景色でしたが、今回は5月です。植物公園を歩くと、ちょうどバラの真っ盛りでした。






さらに歩くと、深大寺門の周辺はこんもりとした林の中です。




コメント

2018 初詣

2018-01-07 20:21:23 | 杉並世田谷散歩
本年の元日初詣は、わが家の氏神である和泉熊野神社に詣でました。昼過ぎだったのですが、鳥居から本殿までは参拝客で長蛇の列ができていました。

翌2日のウォーキングの途上、昨日と同じ和泉熊野神社に行ってみると、もう参拝客の列は皆無です。境内には2、3人の参拝客が歩いているだけです。本日の目的は破魔矢の購入でした。巫女さんの売店テントはまだありましたが、破魔矢は扱っていませんでした。
《大宮八幡宮》
そこで、足を延ばして大宮八幡宮まで歩きました。参道は、方南通りと永福町商店街通りの交差点からスタートします。その参道の途中に材木屋さんがあり、お正月は店頭の材木に絵が描かれています(左下写真)。
鳥居をくぐって境内に入ると、多くの露天が開いていました(右下写真)。
 
大宮八幡宮参道の材木屋さん                   大宮八幡宮境内

今年の正月は寒い正月でしたが、6日土曜は、晴天を保ちながら寒さが緩みました。そこで、深大寺神代植物公園を訪問することとしました。
以前は、調布駅から徒歩、あるいは布田駅から徒歩で深大寺を訪問したのですが、今回は調布駅からバスを利用して深大寺入口まで行き、近くのそば屋さんで腹ごしらえをしてから行動開始です。まず深大寺を参拝し、そのあとに神代植物公園を訪れました。

《神代植物公園》
神代植物公園へは、深大寺門から入場しました。
深大寺門から西に進むと、道は雑木林の中に続いています(下写真)。

深大寺門近くの雑木林

雑木林を抜けると、そこには、中央に噴水、その向こうに大温室の建物が並んでいます(下写真)。

噴水 遠景は大温室

噴水の右側(北側)には藤棚が長く続いています(左下写真)。
 
藤棚                            芝生広場

大温室の中を一回りし、そこからつつじ園、築山を経て芝生広場に出ました(右上写真)。
芝生広場の一角で、ニュートンのリンゴの木を見つけました(左下写真)。ニュートンの自宅に生えていたリンゴの木を接ぎ木して繁殖させたものだそうです。小石川植物園を経て平成22年にこの地に植えられました。
 
ニュートン自宅のリンゴの木(接ぎ木)             タイムカプセル(平成23年)

右上写真は、開園50周年を記念して、平成23年に埋められたタイムカプセルということです。
コメント

大田黒公園2016秋

2016-12-04 22:02:54 | 杉並世田谷散歩
荻窪、大田黒公園の紅葉の季節がやってきました。昨年の紅葉の様子については以下の記事にしました。
秋の太田黒公園(1)
秋の太田黒公園(2)

本年は、11月29日と12月2日の昼休みに訪問するとともに、今年はじめて、12月3日に夜のライトアップを見に行きました。ライトアップの期間は、11月25日(金)~12月4日(日)で、私が訪問したのは終了前日の土曜の夜でした。
紅葉の進み具合は、昨年の同時期とほぼ同じようです。

《11月29日 昼》




《12月2日 昼》






《12月3日 夜》
ライトアップ終了前日の土曜の夜ということで、入場している人の数は多かったです。園内の一部歩道では、人の渋滞も発生していました。しかし、以前経験した函館の夜景に比べればかわいいものです。ライトアップの写真撮影ではシャッター速度が遅くなるので、カメラぶれ対応が必要です。園内は三脚禁止ですので、手頃な樹木、置き石、手すりなどを利用してのカメラの固定に苦慮しました。












池の水面に、対岸の紅葉が映し出されています。




12月4日(日)の夜、家内と出かけて再度ライトアップを鑑賞しました。この日がライトアップの最後となるので、前日にも増した人出を予想していたのですが、案に相違して前日よりも少ない人出でした。

《明治天皇荻窪御小休所 11月29日》
大田黒公園からの帰り、明治天皇荻窪御小休所にも立ち寄りました。

コメント

四面道と四面燈

2016-09-04 14:10:28 | 杉並世田谷散歩
荻窪駅の北西に青梅街道と環八の交差点があります。「四面道」と呼ばれています(下の写真)。
  

この「四面道」の由来について、どうも3つの説があるようです。例えばこちらこちら

(1)江戸時代、ここは青梅街道と地元農道の交差点でした。そして、天沼・下井草・上荻窪・下荻窪の4ケ村が接する地点でもあり、それが「四面道」の語源である、という説です。
(2)この場所には、秋葉神社という神社が祀られていました。そして周囲の4ケ村に向けて、四方を照らす高さ1間あまりの常夜燈があり、これが「四面燈(しめんとう)」と呼ばれていた、とされます。
(3)荻寺光明院のお堂が四方に面していたから四面堂になったという説です。

上記(2)説の常夜燈と秋葉神社は、昭和44年の道路拡張のため荻窪八幡神社境内に移された、ということです。そこで、荻窪八幡神社に「四面燈」を探しに行くことにしました。
荻窪八幡神社は、青梅街道沿い、荻窪警察署の対面に位置しています。私の職場は荻窪駅の近くにあり、職場の昼休みに荻窪八幡神社を訪問しようとしたら、徒歩では無理です。まずは、往復タクシーで訪問することにしました。過日、参拝したのですが、残念ながら「四面燈」らしきものを見つけることができませんでした。帰ってからネットを確認したところ、その四面燈は小さなもので、私が見落としていたことがわかりました。さらに、帰るために空車のタクシーを待っていたところ、路線バスがけっこう頻繁に走っていることがわかりました。
そこで次の機会、昼休みに路線バスを利用して再度訪問することにしました。
《荻窪八幡神社》
 
青梅街道沿いの鳥居(上写真)から入り、突き当たりを右に曲がると本堂(下写真)です。立派な神社でした。
《本堂》
 
さて、目的の四面塔です。上の写真の鳥居から入り、突き当たりを左に曲がったすぐ左側に、小さな神社が祀ってあり、そのさらに左にもっと小さな神社が祀ってあります。それが秋葉神社です。そして、秋葉神社のすぐ左に、その四面燈はありました。
《秋葉神社と四面燈》
 
《四面燈》
 
秋葉神社の由来                      四面塔の裏側
  
秋葉神社のすぐ右に小さな石碑があります(左上写真)。
「当秋葉神社は数百年の永きに沍って四面道に鎮座していたが今般の環状八号線拡張の為已むなく当八幡神社境内に遷座奉安したものである」昭和四十四年三月吉日
四面燈の裏面には、
「嘉永七年甲寅吉祥」とあります。1857年、明治維新の直前ですね。

「四面燈」、交差点で四方を照らしていたということから、さぞや立派な常夜灯かと想像していました。荻窪八幡宮の境内にある下写真の灯籠(四面塔ではない)のようなものを想像していたのですが、想像との落差にびっくりしてしまった次第です。
  

ところで、「四面道」由来説(3)についてです。
荻寺光明院は荻窪駅のすぐ西にあり、私も訪問し、この3月に記事にしています
その荻寺に掲示された説明書には、
『今も寺の周辺に残る「四面道」「堂前」の地名も、当寺の御堂に起源をもつといわれています。』
とあります。即ち、当の荻寺は、当然ながら(3)説を支持していると言うことですね。
コメント (2)

荻窪~荻寺

2016-03-21 14:10:20 | 杉並世田谷散歩
久しぶりの荻窪ネタです。

荻窪駅の北口から白山通りを線路沿いに西に向かうと、白山神社を通り越し、環八の上を横断します。そこにこの寺があります。

慈雲山荻寺光明院

荻窪の地名のルーツということで、荻窪巡りで外すことができません。

説明板によると、
慈雲山光明院は、通称「荻寺」と呼ばれ、荻窪という地名もその名に由来するといわれています。
この寺の「縁起石碑」によれば、和銅元年(708)に行基作の仏像を背負った遊行中の僧が、この地を通りかかったところ急に仏像が重くなり、荻の草堂を作って仏像を安置したのが開創と伝えています。
本尊の千手観音は南北朝時代の作であり、境内には本尊と同時代に作られたとみられる碑などが出土しており、当寺の開創は南北朝期にさかのぼるものと考えられます。
江戸時代は本尊は「荻窪の観音様」の名で近在の人々に親しまれ、大正時代までは本尊の写し観音が地域を巡業する行事が行われ、信仰を集めたと言われています。

明治21年(1888)甲武鉄道(現在の中央線快速)建設のため、本堂が現在地に移されました。

環八に向かう側に正門があります。

 
案内板                        正門横の鐘楼

この寺の所蔵物について、門のそばには3つの案内塔が設けられていました。いずれも杉並区指定有形文化財です。
「木造 千手観音菩薩座像」
「夜念仏結衆名供養板碑」
「天和二年銘手水鉢」

本堂

 
南側、中央線の線路の向こうに墓地が見えます(左上写真)。明治時代に今の中央線の線路が建設されたとき、本堂のある境内と墓地とが線路で分断されてしまったのですね。線路は、その後複々線化されましたから、境内の浸食はさらに進んだのでしょう。
本堂側から墓地に行くために、専用の地下通路が作られています(右上写真)。墓地側で公道に通じていますので、普通の道としても使えます。
 
西側から、墓地と線路を眺めたのが上の写真です。


西側の入口、裏門になるのでしょうか。
コメント

2016初詣(2)

2016-01-04 20:37:36 | 杉並世田谷散歩
本年の初詣は、先日2016年初詣・大國魂神社に書いたとおり、1月2日に府中の大國魂神社に詣でました。そのとき、昨年のお守りや破魔矢などをお焚き上げで納めるのを忘れていました。
1月4日、事務所は定休日ですが、仕事がたて込んでいたので休日出勤と相成りました。そこで、出勤の途上で、わが家の氏神である和泉熊野神社に詣で、お焚き上げを納めてくることにしました。

《和泉熊野神社》
和泉熊野神社は、神田川沿いにあります。神田川と井の頭通りの交点からほんの少し下流に進んだところです。
 

 

和泉熊野神社はウィキによると、
『社伝によれば、文永4年(1267年)に紀州の熊野神社の分霊を祀ったのが当神社の創建である。』
とのことです。

勤務する事務所は荻窪駅の近くであり、昼休みに歩いて巡れるご近所には3つの神社があります。4日の昼休み、これら3つの神社もお参りしてきました。

《天沼八幡神社》
 

 

天沼八幡神社はウィキによると、
『旧天沼村字中谷戸の鎮守で天正年間(1573年 - 1591年)の創建と伝えられている。』
とあります。

境内ではちょうど、巫女さんと小さな子供が楽しそうにお話ししていました(下写真)。
 

《天沼熊野神社》
 

 

天沼熊野神社は、荻窪駅からは一番遠く、北東方向にあります。ウィキによると、
『社伝によれば神護景雲2年(768年)に東海道巡察使が武蔵国に来たときに、氏神を勧請し別当を置いたのがはじまりと伝えられている。また別の説では、元弘3年(1333年)に新田義貞が北条高時を討つために鎌倉へ軍を進める途中、当地に布陣し、社殿を創設したとも伝えられている。』
とあります。

 
本殿の左に大きな切り株が鎮座しています。ウィキには、『境内には、直径2mにも及ぶ大杉の切株がある。これは社伝によれば、この大杉は新田義貞がこの地に陣をしいた際、戦勝を祈願して手植えしたものと伝えられている。近隣の古老達はこの杉を『心願成就の杉』などと呼び大切にしてきたが、昭和17年(1942年)に枯死したため伐採され、今では切り株のみが残っている。』と記されています。

《荻窪白山神社》
荻窪駅の北側、JRと平行に走る商店街は「白山通り」と名付けられています。その名の由来は、この商店街の西にある白山神社です。
  
入口の鳥居をくぐると(左上写真)、北に向かって木々の下を参道が延々と続きます(右上写真)。やっと本殿が見えてきました(下写真)。
 

 

荻窪白山神社はウィキによると、
『旧下荻窪村の鎮守。当神社の創建は、社伝によると文明年間(1469年~1486年)に関東管領上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に五社権現社を奉齋したのにはじまる。』
とあります。

こうして、1月2日の大國魂神社に続き、1月4日には和泉熊野神社、天沼八幡神社、天沼熊野神社、荻窪白山神社を巡り、お参りしてきました。
コメント

荻窪・衎(かん)芸館

2015-12-29 23:10:27 | 杉並世田谷散歩
荻窪駅から歩いて10分足らずの所に、杉並区中央図書館があります。1ヶ月ちょっと前のことです。職場の昼休み、図書館に本を返しに行った帰り、図書館から荻窪駅方面に歩いて直ぐの所に、変わった建物と看板を見つけました(下写真)。
 
小さくて目立たない看板には、「衎芸館(かんげいかん)」とあります。家の前には衎芸館の説明が小さな文字で書かれています(左下写真)。
  
近寄って説明を読んでいたところ、通りかかった女性に声をかけられました。後からわかったのですが、衎芸館のお隣に住まわれている衎芸館館長の鎌田さんでした。この衎芸館について説明をしてくださいました。
館長はとても気さくな方で、道ばたでの立ち話で私が「私もピアノを習っています。持ち曲はトロイメライとベートーベン月光1楽章です」といったお話をした所、「ちょっと見ていく?」「弾いてみる?」と声をかけていただき、わざわざ錠を開けてホールの中に案内してくださったのです。
  
ホール

ホールにはグランドピアノが2台あります。そのうちの1台が、フランスのプレイエルというピアノメーカーが作った貴重なピアノなのだそうです。かん芸館のサイトには、プレイエルのピアノについての説明が載っています。
下の写真がプレイエルです。
 

私が入れていただいたとき、プレイエルは部屋の隅に片付けられていましたが、館長はわざわざ弾けるように移動してくださいました。
私は遠慮することなく、そのプレイエルを弾いてしまいました。
トロイメライと月光の楽譜1行分を弾きましたが、突然なのでうまく弾けません。館長に「もう1回トロイメライを弾いて」と言われ、再度弾き始めると、今度はスムーズです。結局、最後まで弾いてしまいました。

私は、西荻窪の大城先生にピアノを習い始めて6年目になります。決して音楽好きでもないのに何でピアノを習っているのだろう、と自分でも不思議に思っているのですが、ピアノをそれなりに弾けるようになっているからこそ、今回のような出会いが生まれたのだ、と思うと、“ピアノを習っていて良かった”とつくづく思います。

かん芸館のホールでは常時いろいろの催し物が開催されているようです。
私は12月22日の13時、ここで開かれた「西津啓子ピアノコンサート Music Garden 第52回」鑑賞に出かけました。今回の写真はすべてこのとき撮影したものです。

開場は12時45分ですが、12時半には開場に到着しました。開場までのしばらく、付近を散策しました。
衎芸館の下をくぐって駐車場の向こうまで行くと、衎芸館ホールの出窓が見えます(下写真)。
 

衎芸館のすぐ隣は、以前このブログで紹介した読書の森公園です(下写真)。写真の左、木々の向こうに、衎芸館ホールの出窓が確認できます。
 
上写真の左下、ベビーカーの近くに小さな男の子がいます。お母さんがベンチに休み、男の子がひとりで走り回っています。私が近づくと、人なつっこくいろいろお話ししてくれました。しばらく一緒に公園内を走り回り、バイバイしてお別れしました。

西津啓子さんはピアニストで、ご自身のサイトによると、毎月第4火曜日に衎芸館でピアノコンサートを開催されているというとです。今回コンサートの写真もさっそくアップされていました。

衎芸館での西津啓子さんのコンサート、今回が52回ということで、連綿と続いてきています。ところが、演奏が終わった後のご説明で、「衎芸館でのコンサートは今回が最後です」とのアナウンスがありました。たまたま私がはじめて参加した会が、最後の会だった、ということになります。一体何があったのでしょうか。

この衎芸館のことを、私のピアノの先生である西荻窪の大城先生にご紹介したところ、「以前利用したことがある」とのことでした。ただし、現在は、大城先生のレッスンの拠点は葛西で、生徒さんの大部分は葛西近郊の人たちなので、なかなか荻窪で発表会を開くのは難しそうです。
一方で、先日12月20日に西葛西で開かれたピアノ・声楽合同発表会の後、生徒さんのひとりが「プレイエルを弾きたい!」と言っていたので、衎芸館での発表会が実現するかもしれません。
コメント

井の頭線土手崩落

2015-12-25 23:26:14 | 杉並世田谷散歩
井の頭線の明大前駅と永福町駅の間、神田川が交差するあたりですが、井の頭線の線路と平行に延びる道路は私の通勤往復の徒歩経路になっています。

神田川にかかる橋からちょっと永福町よりのところ、もともと神田川の河原ですから、この部分は井の頭線の線路が地面よりも高く、土手の上に線路が走っています。道路と土手の橋との間にせいぜい2~3mの空き地があるのですが、ここで住宅の建設が始まりました。
今月21日頃からでしょうか、おかしな土木工事が始まりました。住宅建設予定の土地で、地面を掘り下げ始めたのです。それも、土手の端にある土留めのコンクリート壁直近まで掘り下げ、土留めコンクリート壁のところまで深さ2m前後、切り込まれました。
線路の土手直近をこんなに掘り下げて、線路は沈まないのだろうか。私はびっくりしながら、毎日眺めつつその場所を徒歩通過していました。

そして23日の夕刻です。その日は休日出勤しており、夜になって帰宅途中にその場所を徒歩で通過したのですが、何やら大勢で土木工事を行っています。その様子を一目見て、私はすべてを察知しました。あの掘り下げていた穴が原因で線路の土手が崩落していたのです(下写真)。これは大変なことになった。翌朝には目隠しが張り巡らされるでしょう。その前に写真を撮っておこうと、一度帰宅して夕食をとり、そのあとにカメラを持って現場に引き返しました。

上の写真は、線路の北側から現場を撮影したものです。
線路に平行に設置されたコンクリート柵が、手前側に倒れかかっているのが見えます。この柵が、この日の朝には直線状に設置されていたのです。倒れかかった分だけ、こちら側に傾き、まさにクレーン車で土嚢を積み上げている部分が、土手の崩落部分に当たります。
柵の手前側は土が見えますが、この日の朝はこの部分が2m程度の深さの穴になっていたのです。
土手の上には鉄道のスタッフがおり、こちら側を走る渋谷方面行きの電車は徐行して通過していきます。

翌朝、まずは井の頭線が走っていることを確かめた上で、念のためにカメラを所持して家を出発しました。現場にはまだ、目隠しのフェンスが設置されていませんでした。下の写真が、土手崩落現場です。青色シートでカバーされている部分が、崩落して開口した土手に土嚢を積み上げた部分です。


下の2枚の写真は、永福町側から明大前側に向かって撮った写真です。崩落現場の直ぐ上を、渋谷方面行きの井の頭線が走っています。本日はさほど徐行していないようです。
 
道路と土手との間の平地(現在は土が露出している部分)が、住宅建設予定地でした。こんなに狭い土地で、直ぐ横の土手の上を電車がひっきりなしに通過する場所に、一体どのような住宅を建てる予定だったのでしょうか。こんな狭い土地に建てるのに、はたして2mを掘り下げる必要はあったのでしょうか。

私は崩落前、土手の直近まで地面が掘り下げられているのを見て、線路の土手直近をこんなに掘り下げて大丈夫なのだろうか、とまずは心配しました。しかし、長年の経験で、大丈夫だとの確信があるのだろう。そうに違いない、と考えざるを得ません。鉄道会社が工事を許可しているのですから。
しかし今にして思うと、この工事は鉄道会社の許可を得ずに行ったのかもしれない、と思ってます。

現在は現場に目隠しのフェンスが張り巡らされているので、知らずに歩く人には何のことかわからないことでしょう。
コメント

秋の太田黒公園(2)

2015-12-10 20:50:18 | 杉並世田谷散歩
前回」に引き続き、その後撮影した太田黒公園の様子を紹介します。

《12月9日》






























コメント

秋の太田黒公園(1)

2015-12-05 20:36:17 | 杉並世田谷散歩
今年の夏、7月13日に訪問した太田黒公園については、「荻窪~太田黒公園」で紹介しました。
下の地図、中央の緑色のところが太田黒公園です。荻窪駅は左上の端です。


現在、太田黒公園は紅葉・黄葉の真っ盛りです。職場の昼休み、何度か太田黒公園を訪れて写真を撮ってきたので、現時点での作品を紹介します。
1週間空けて訪問すると、木々の様子がすっかり変わっているのには驚かされます。

《11月21日》

最初に真っ赤に色づいたのはこの木でした。この日はあいにくの曇り日でしたが、晴れたらすばらしい色彩になったことでしょう。残念ながら、このあとに訪れたときにはすでに散っていました。

《11月27日》


《12月4日》

やっと銀杏が黄色に染まりました。








上の写真、公園の中央に立っている左側の木は、まだ一部の葉が赤くなっているのみです。あとしばらくすると、この木のすべての葉が真っ赤に染まるのでしょう。またその写真が撮れたらご報告します。







《12月5日》




明日12月6日までの約1週間、太田黒公園は夜の6時から8時まで(土日は9時まで)ライトアップしているとのことでした。残念ながら本年は夜の訪問はできませんでした。来年の楽しみとしておきます。

前回」に引き続き、その後撮影した太田黒公園の様子を紹介します。">続く
コメント