弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

高橋洋一「さらば財務省!」(4)

2009-08-30 13:07:50 | 歴史・社会
前回に続き、高橋洋一著「さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白」の4回目です。

2006年9月、5年半にわたった小泉政権が退陣したとき、高橋氏も役人を辞めるつもりでいました。某大学の教授に内定していました。ところが、次期政権担当がほぼ決定した安倍晋三官房長官の側近から「安倍政権に入ってくれ」との連絡を受けます。
安倍新総裁は、総理官邸スタッフを10人、霞が関から公募する通達をしました。高橋氏はこの応募に応ずる形で、安倍政権に参画したのです。

《公務員制度改革》
高橋氏は官邸スタッフとして、公務員制度改革案を作成し、経済財政諮問会議に民間議員ペーパーとして提出しました。
ミソは、年功序列制の廃止(能力主義の採用)と、各省庁による再就職(天下り)の斡旋禁止です。

霞が関の年功序列は、生半可なものではなく、「年次絶対主義」といえるほどの規範になっているようです。
そして、年功序列の下、同期のだれかが局長になったとき、なれなかったその他同期は役所を辞め、天下ることになります。能力の足りない人間を押し付けるのだから、「お土産(補助金)」が必要になります。「再就職は悪ではないが、役所の斡旋で能力のない人間が天下るために血税が使われているという現状は、正さなければならない。ゆえに、斡旋の禁止なのだ。
この提案には、2006年11月の諮問会議に出席した大臣の全員が反対を唱えたそうです。「もはやギブアップするしかないと覚悟した」

「風向きは突然変わった」
2006年12月、佐田行革大臣が政治資金収支報告書の虚偽報告問題で辞任し、後任に渡辺喜美さんが就いたのです。渡辺氏は高橋氏がつくった上記ペーパーを評価していました。

新大臣が就任する際、最初の記者会見はきわめて重要です。ところが、就任決定から記者会見まではほとんど時間がもらえません。新大臣は、官僚が準備した「べからず集」のレクチャーを受け、その線で記者会見に臨むこととなり、結局は官僚の望む方向に答弁せざるを得ないのです。

しかしこのときは違っていました。
渡辺氏は就任が決まった初日、朝7時から人間ドックに入ってしまいます。そしてその人間ドックに高橋氏を呼ぶのです。渡辺氏と高橋氏は3時間ほどたっぷりと意見交換しました。
一方、「べからず集」をレクチャーしようとした官僚側は渡辺氏を捕まえることができません。人間ドックから官邸に直行した渡辺氏に「べからず集」を渡すことはできず、記者会見に臨んだ渡辺氏は、公務員制度改革であれもやる、これもやりたいと、最初から全開となりました。

今回、民主党が政権党となったら、閣僚決定後の最初の記者会見には十分に注意する必要があります。官僚側の思惑に飲み込まれず、官僚主導政治を正す方向での記者会見が可能か否か。渡辺氏の例にならってほしいものです。

《事務次官等会議》
今回の総選挙における政党マニフェストの中に、「事務次官会議の廃止」というのが入っていました。
この事務次官会議(事務次官等会議)について、面白い話がこの本に載っています。

永田町・霞が関の慣行では、閣議に諮る前に、各省庁のトップが集まる事務次官等会議にかけ、ここではねられた案件は閣議にはかけられなかったのです。これでは、事務次官等会議が閣議よりも上位であることになります。

この慣例を、安倍総理が破りました。
公務員制度改革案に関連する質問趣意書の政府答弁を閣議了承する過程で、政府答弁案が事務次官等会議で否決されたのです。これまでの慣例では、閣議に諮ることができません。ところが安倍総理が「閣議に諮りたい」との意向を示したのです。
かくして戦後初めて、事務次官等会議が諒承しなかった案件が閣議に諮られるという前代未聞の事態となりました。閣議当日、霞が関も官邸も蜂の巣をつついたような騒ぎになり、「こんな暴挙を許していいのか」「総理はめちゃくちゃだ」「安倍さんは狂ったのか」と怒号が飛び交いました。

「日頃、マスコミは政治主導の政策作りが必要だと訴えている。そういう観点から見れば、安倍総理の決断は、まさに霞が関を排除して政治主導の政策決定を目指した歴史的な快挙だったといえるが、不思議なことに、翌日の新聞は事の経緯を一切報道しなかった。」
記者クラブ制度で官僚に首根っこを押さえられているマスコミの姿が見えてきます。

《天下りをどうするのか》
総選挙の各党公約では、どの党も「天下りをなくす」としています。
しかし、単純に天下りをなくしたら、官僚の全員が定年まで役所で勤務することになり、年功序列の中、同期の一人が次官になったら他の同期全員が次官と同じ給料をもらって役所でぬくぬくと暮らすことになります。
「天下り」がなぜいけないかというと、高橋氏がいうように、天下りに伴う「お土産」が存在するからです。渡辺行革大臣が進めた公務員制度改革では、人材バンクをつくり、「お土産」を持たずに民間に再就職してもらうというものです。各省庁による再就職(天下り)の斡旋禁止です。再就職する役人の能力に応じたポストと処遇が準備されることになります。
今回の選挙中は各党とも「天下りをなくす」と叫んでいますが、結局は渡辺行革大臣と高橋氏が推し進めた制度改革案が良さそうに思います。

[以上]

総選挙当日です。
民主党は政権を獲得するのでしょうか。
民主党がやろうとしている「霞が関改革」を実効あるものにするためには、霞が関の抵抗を排除していくことが不可欠です。そのためには役人が弄する種々の奸計を見破り、その上を行かなければなりません。役人の手法の裏の裏まで知り尽くした人間が、内閣の側に立って作戦を練ることが不可欠です。
「さらば財務省!」を読んだ感想として、高橋氏はそのような役割に最適な人物でした。
しかし高橋氏は、破廉恥な窃盗事件が明るみに出てもはや表世界では活動できない人となってしまいました。誠に残念なことです。
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高橋洋一「さらば財務省!」(3)

2009-08-29 22:15:43 | 歴史・社会
前回に続き、高橋洋一著「さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白」の3回目です。

2003年7月、高橋氏は関東財務局の理財部長に異動になります。この頃になると高橋氏が竹中大臣の背後で手伝っていることは周知の事実で、財務省は目障りな高橋氏を地方部局に追いやったのだという噂がもっぱらでした。

2003年8月、高橋氏に「経済財政諮問会議特命室」の辞令がおり、正式に竹中さん直属のスタッフを兼務することになりました。

経済財政諮問会議で高橋氏が初めて本格的に担当したのは郵政民営化でした。
ここで高橋氏は、郵政民営化の青写真作りに関与します。
一方、2004年4月、郵政民営化にあたって、各省庁から役人が集められて「郵政民営化準備室」が発足します。ここには総務省をはじめとして、各省庁から民営化反対派が送り込まれてくるのは目に見えています。
竹中氏は、霞が関が反対派の拠点と考えていたこの郵政民営化準備室に対し、一切無視する方針を採りました。全体の方針は諮問会議で行い、諮問会議が基本方針を作るまで準備室は仕事がありません。そして諮問会議の基本方針作りは高橋氏ら特命室のメンバーを核にして着々と進んでいました。この中で、高橋氏の提案もあり、郵政の4分社化が決められていきます。
諮問会議で、唯一、反対したのは、当時の麻生太郎総務大臣でした。麻生さんの後ろには郵政を管轄する総務省がついています。かたや竹中チームは、高橋氏と竹中大臣の秘書官、岸さんら数名のみ。しかし結果的には常に、竹中さんに軍配が上がりました。

ところが、諮問会議が基本方針を打ち出した直後、反対派が阻止を狙って持ち出してきたのは、「民営化というが、システム構築が間に合わない」でした。
とりあえず、短期でのシステム構築が可能かどうか判断するため、専門家を集めることにします。そしてその事務局に、高橋氏が指名されるのです。
座長に加藤寛氏をあて、その他システムの専門家を招聘して検討を開始しました。
そして郵政公社に乗り込み、システムベンダーのシステムエンジニア(80人)と対峙します。彼らは全員「できない」と反論しますが、最低限必要な部分のみを先行して構築することとし、検討し直すと、1年半で基本的なシステムを構築できるとの結論が得られました。技術屋同士が話をすると、ロジックで出た答えには技術者は従うので、最後は彼らも「できますね」と納得するのです。
こうしてシステム構築を開始しましたが、マスコミまでもが組織だって一斉に名指しで高橋氏を非難しました。「たった1年半でできるはずがない。絶対失敗する」
ありとあらゆる雑誌で同じように叩かれる中、「日経BIZ」のIT担当記者だけは、「役所の文書で、このようなものは見たことがない。これは日本で初のプロジェクト・マネジメントの例ではないか。今までは、システムの話は経営トップもほとんどわかっていないので、業者のいいなりで大金をはたいてたいそうなシステムを作っていた。これでは費用も時間もシステムも無駄である。」と評価してくれました。
2007年10月1日、郵政民営化とともにシステムがスタートし、トラブルなくシステムは稼働しました。

ところで、2004年、郵政民営化の法案づくりにおいて、民営化の手順に細工がこらされます。
普通民営化する場合、まず特殊会社にして、最後に民間会社に移行します。国鉄民営化もこの手順を踏みました。しかし特殊会社から民間会社に移管するまでの間に、見直し法案が提出されると公社に戻されてしまう恐れがあります。
そこで高橋氏は竹中さんに提案し、郵貯と簡保は郵政公社廃止後、ただちに商法会社にするという措置を講ずるべきだと主張します。商法会社にしてしまえば、新たに国有化法でも通さない限り、後戻りはできません。恐らく反対派は「やられた」と地団駄踏んだはずです。

さて、今年の衆議院選挙で民主党が政権を取ったら、郵政をどのように見直すのでしょうか。

以下次号。
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高橋洋一「さらば財務省!」(2)

2009-08-28 19:48:47 | 歴史・社会
前回に続き、高橋洋一著「さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白」の2回目です。

高橋氏は大蔵省内で財投改革をやり遂げた後、1998年7月、政府から客員研究員としてアメリカのプリンストン大学に派遣されます。
プリンストン大学は金融政策研究では世界一で、アラン・ブラインダー、ポール・クルーグマン、・・・、ベン・バーナンキらの超一流の教授陣を擁していました。
現在FRB議長のバーナンキ氏は、当時プリンストン大学経済学部長の肩書きしかなく、日本では無名同然でした。

その錚々たる学者たちはこぞって、当時「日本の金融政策はバカだ」と指摘していました。

留学は2年の予定でした。帰国したら本省の課長ポストが用意されています。しかし高橋氏はプリンストンでの刺激的な学究生活に未練があり、1年延長を願い出ます。しかし大蔵省の暗黙のルールで、上が決めた人事をけるのは御法度です。秘書課長は「認めはするが覚悟していろよ」と捨てぜりふを吐きました。
2001年、3年の留学を終えて帰国した高橋氏を待っていたのは、国土交通省の特別調整課長のポストでした。

高橋氏が帰国する3ヶ月前の2001年4月、日本では小泉政権が誕生し、竹中さんは小泉総理によって経済財政政策担当の大臣に任命されました。
当時、竹中さんは大変な状況に置かれていました。スタート直後の経済財政諮問会議において、「骨太の方針」策定の段階でボロボロと新聞に情報が漏れます。事実は、諮問会議の事務方である内閣府の中に、竹中潰しを狙って新聞にリークする人たちがいたのです。
一部の官僚たちから揺さぶられないように、外部から遮断された竹中チームをつくり、大臣の方針を固めてから諮問会議に諮るようにしよう、そのような構想が出ていたときに高橋氏がちょうど現れました。

高橋氏は竹中氏と会った後、諮問会議に入っていた大阪大学教授の本間正明氏とも会います。高橋氏と本間氏とは一緒に勉強した学者仲間でした。「よく来たね。誰も手伝ってくれないからたいへんなんだよ。高橋君は当然手伝ってくれるよね」「いいですよ」

日を置かずして、竹中さんの政務秘書官、真柄明宏氏から電話が入ります。以降、高橋氏は竹中氏を手伝うようになりました。

高橋氏はそれよりも前、大蔵省大臣官房金融検査部で不良債権処理問題を担当しました。不良債権処理については専門書を1994年に出しています。

小泉政権発足の頃、東京地検は破綻した日本長期信用銀行の旧経営陣を刑事告発していました。不良債権に対する十分な引当金を積まず、粉飾決算をしたことが、証券取引法違反と商法違反にあたるという容疑です。東京地検はこのとき、高橋氏が書いた上記専門書に注目しました。高橋氏は東京地検から証人になるよう要請を受けます。高橋氏は東京地検に何度か足を運び、証人として法廷にも立ちます。そして東京地裁は、高橋氏の証言をことごとく取り入れて判決を下しました。

「東京地検に足を踏み入れることは一生ないと思っていたので、いい社会見学になった。」
その後の高橋氏自身による窃盗事件を考えると何とも皮肉なことです。

2001年の暮れ、竹中さんから初めてまとまった仕事を頼まれました。政策金融改革です。そのときは、財務省御用学者の「今は財政金融改革に着手すべき時期ではない。」との声が大勢を占め、政策金融改革は先送りになりました。
このとき高橋氏は閣議提出用の後始末の文書のドラフトに「今は手をつけないが次にやる」といった趣旨の文言をさりげなく紛れ込ませました。これが、郵政選挙後、政策金融改革を再開することに効いてきました。

以下次号
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高橋洋一「さらば財務省!」

2009-08-27 19:25:19 | 歴史・社会
書籍は基本的に、単行本の段階では購入せず、文庫本が発売されてからそれを購入して読むようにしています。読んだ本はどうしても手元に置いておきたいという希望があります。手元に置いて必要なときに読み返せる状態に置かないと、どうしても記憶が定着しないという感覚があるためです。日経新聞の「私の履歴書」がその最たるものです。一方で自宅の書棚スペースに限りがあるので、購入するのは文庫と新書に限定しています。
高橋洋一氏の「さらば財務省!」も文庫本が出てから読むつもりにしていたのですが、高橋氏があんなことになってしまい、この本も文庫本になるのかどうか不明です。やむを得ず、図書館から借りて読むことにしました。
しかし図書館では人気のようです。渋谷区立図書館の管内に合計6冊も収蔵されているのに、全部貸し出し中で、私が予約したときには6人待ち程度になっていました。

ようやく順番が回ってきて借りることができました。
さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白
高橋 洋一
講談社

このアイテムの詳細を見る

何とも痛快な本でした。
「高橋洋一武勇伝」と名付けていいでしょう。

このブログでも、高橋洋一氏がやってきたことについて何回も紹介しています(高橋洋一氏と小泉構造改革高橋洋一氏と小泉構造改革(2) 高橋洋一氏とはどんな人?霞が関の埋蔵金とは 高橋洋一氏と埋蔵金文藝春秋の高橋洋一論文 文藝春秋の高橋洋一論文(2) 文藝春秋の高橋洋一論文(3))。霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書)については、5回に分けて記事にしました()。

そこで、これらで紹介した記事との重複をなるべく避けつつ、「さらば財務省!」の内容を紹介します。

《大蔵省の「変人枠」》
高橋氏は1978年に東大理学部の数学科を出た後、文部省の統計数理研究所に就職するつもりで通っていました。ただし正式採用ではありません。ところがその内々定が取り消されてしまいます。
一方、慎重な高橋氏は、数学科の卒業とともに学士入学で東大経済学部に入り、籍だけ置いていました。そこで再びキャンパスに戻った頃、公務員試験が近々あることを知ります。軽い気持ちで受けてみたらとおってしまいました。
大蔵省は話題作りのために二年に一人くらいの割合で、変わった経歴の人間を採ります。高橋氏はその「変人枠」で採用されたようです。

入省3年目に竹中平蔵さんと邂逅した点については以前書きました。

入省5年目の大蔵省キャリアは各地の税務署長として1年間勤務します。高橋氏は1985年に四国香川県の観音寺税務署長を勤めました。このとき、暇でしょうがないので、金融工学を勉強し直そうと竹中さんに告げると、アメリカ金融工学の最新理論をまとめた本が送られてきました。高橋氏は税務署長時代にそれを翻訳し、出版しました。

《大蔵省での財投改革》
1980年代、アメリカではS&L(貯蓄貸付組合)の倒産騒動がありました。このとき、リスク管理のソリューションとしてALM(Asset Liability Management=資産・負債の総合管理)が開発され、金融自由化が本格化した1990年代初めに多くの金融機関で導入されました。高橋氏は個人的に研究して「ALM」という本まで出版しました。
高橋氏は1991年当時、資金運用部にいたので、財投のリスク管理に自然に目が行きます。これが惨憺たるもの。想像を絶する大きなリスクを抱えたままでした。この時点でALMを導入していなかった大蔵省は、どんぶり勘定に近い状態で金融業務をやっていました。預託の期間はお金を持ち込む担当省庁任せ。一方、特殊法人や政策金融機関への貸出期間も、向こうのいうがまま。リスクなど全く考慮に入れられていないシステムです。
高橋氏は取り急ぎ上司に報告しますが、上司は高橋氏の言っていることを理解できません。間もなく高橋氏は理財局から銀行局検査部に異動になります。理財局では、離れるときに論文を提出する慣わしがあり、大蔵省資金運用部の定量的な金利リスクと危機的状況について書き残しました。
その論文を、次の次の理財局長の田波耕治氏の目にとまり、1994年7月、再び高橋氏は理財局に戻されます。そしてALMプロジェクトの全権が委任されます。
当時、大蔵省と日銀は金融政策の主導権争いを続けていました。そして日銀は、大蔵省のリスク管理の甘さに目をつけます。ここが大蔵省の弱点とみて、総攻撃をかけるべく準備をしていました。
大蔵省側もその動きを察知し、急遽ALMを導入することにしたのです。

ALMシステムの構築は、外注すれば2~3年で10~20億円のコストがかかります。しかしこのときは、秘密保持のため外注が許されず、高橋氏のチームが内部でわずか3ヶ月で構築しました。高橋氏は2年前にすでに、興味半分であらかたシステムの原型を組み上げていたのです。
システムができてほどなく、日銀が乗り込んできました。しかし時すでに遅し、日銀は大蔵省がALMをやっていないという前提で計算しています。

こうして、大蔵省を死に至らしめかねない財投の金利リスクを解消した高橋氏は、省内では大蔵省「中興の祖」と持ち上げられました。

ALM導入で民間金融機関並みに金利リスクは小さくなったとはいえ、預託制度の下では完全にリスクを解消できません。そこで高橋氏は財投債の発行を考えました。
しかしこの案は、大蔵省の権限を放棄することであるとして、省内から猛反対を受けました。しかし高橋氏は大蔵省「中興の祖」と評判が立っていたので、「あいつのいうことを聞いておかないと危ない」と思って素直に耳を傾けてくれる幹部もいました。1996年に理財局長に就任した伏屋和彦さんもそのひとりで、高橋氏の案を受け入れ、財投債の導入を決断、官邸に進言して財投改革の根回しを始めました。
これが1997年に実現した橋本財投改革の舞台裏です。

《小泉総理なしでも郵政民営化は必然》
従来、郵政省が集めた郵貯のカネは大蔵省に持っていかれ、自分たちで運用することができませんでした。ところが大蔵省自ら預託を放棄し、郵貯百年の悲願であった自主運営が棚ぼたで転がり込んできました。
しかし高橋氏に言わせれば、自主運用に切り替われば、郵政は民営化せざるを得ないのです。
郵政公社は、公的性格ゆえに原則として国債しか運用できない決まりになっていました。国債は金利が低いので、国債以外の運用手段を与えてリスクを多少取らせるようにしないと経営が成り立ちません。
従来は財投が郵貯から預託を受け入れるときに、通常より高い割高金利を払って「ミルク補給」をしていたので経営が成り立っていたのです。
大蔵省が財投改革を行った結果として、郵貯は市場に放り出されます。しかも官営のままでは、国債以外の有利な金融機関に手が出せません。損失が出たときに税金を投入したのでは国民が納得しないでしょう。ですから、組織そのものが責任を取れるようにするには、民営化という選択肢しかなかったのです。
「大蔵省が預託から財投債に換えただけで、従来のシステムは崩れる。たとえ、郵政民営化論者の小泉さんが総理にならなくとも、郵政は民営化しないと生き残れない運命にあった。事実上、このときに郵政は民営化への道を歩み始めたといえるだろう。」

民主党政権が生まれた場合、郵政民営化をどのように手直ししようとしているのでしょうか。上記の議論から推測すると、郵便局については見直しが可能としても、郵貯と簡保については民営化の方向しかあり得ないようです。

以下次号
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上杉隆「民主党政権は日本をどう変えるのか」

2009-08-26 00:23:17 | 歴史・社会
上杉隆氏の著書については、今まで「世襲議員のからくり」「ジャーナリズム崩壊」の2冊を読み、ジャーナリストとして信頼できる人だと思っています。
衆院議員総選挙の直前になりましたが、上杉氏著作で以下のような本が出ていることを一昨日知り、あわてて購入して読んでみました。
民主党政権は日本をどう変えるのか (家族で読める family book series 004) (家族で読めるfamily book series―たちまちわかる最新時事解説)
上杉 隆
飛鳥新社

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薄い本で大きな文字なので、あっという間に読み切ることができます。

この本を読んでみると、ジャーナリスト上杉隆氏が民主党の幹部たちに種々の取材を重ねてきたことがわかります。その取材を通して上杉氏が見聞したことを基に、現在の民主党とはどんな政党なのか、という点について解説した本です。

読後の第一印象は、“上杉氏は民主党シンパだな”という点です。上杉氏の他の著作を読まずにいきなりこの本を読んだら、“これは民主党の宣伝本か”と思ってしまうでしょう。

“いやいや、信頼する上杉氏が書いたのだから、客観的に描写しているに違いない”との観点で理解すると、現在の民主党が見えてくるという仕掛けです。

《小沢一郎氏について》
「小沢氏の政治手法を見るときのキーワードは、ズバリ『自民党型政治の破壊』です。世間では、小沢氏の『権力への執念』の強さを挙げますが、実際はそうではないでしょう。小沢氏が究極的に目指すものは、『総理ポスト』ではなく、旧来の政治システムの破壊なのです。」
2年前の民主・小沢代表と福田首相との「大連立騒動」を理解する上で、上杉氏はそのように解説しています。「大連立騒動」の謎は、小沢氏の政治目標である「自民党型政治の破壊」という観点から見るといとも簡単に解けるといいます。

大連立騒動のとき、小沢氏は民主党内から「小沢は何も変わっていない、独断専行だ」と批判されました。しかし、長年「小沢一郎」をウォッチしてきた上杉氏にいわせれば、小沢氏は十分に変わっていたとのことです。
以前の小沢氏であれば、大連立構想がつぶれた後、プッツンして民主党を飛び出たはずですが、そうはせず、代表辞任を取りやめます。まだ「自民党をぶっ壊す」ということに未練を持っていたためと上杉氏は解釈します。

《民主党ってどんな党?》
96年、鳩山兄弟を中心とした民主党結党のいきさつから解説しています。
当初の民主党の事務方は、ほとんどが旧社会党の書記局出身の職員ばかりだったそうです。そのため当時の民主党は、労組系職員の意向を汲んだ意見がどんどん採用されたとのことです。

98年になると、やや保守的な政治家たちが民主党に大量に合流してきます(第二期民主党)。

それからの民主党の特徴が、以下のような内容で語られます。
・「小沢肉食系」vs「民主草食系」
・どんな主張の人たちの政党か?
・権力を分散するペンタゴン体制
・旧社会党と旧自民党の不思議な合意

従来、民主党というのは、右派から左派までの寄り合い所帯で、結局まとまりきれないのではないか、と危惧されてきました。この点について上杉氏は、小沢氏が参画して以降の民主党は変わった、と評価しています。
政権党として十分な結束力が生まれているのかどうか、その点が注目されます。

《保守系から左派まである党内グループ》
民主党内の各グループ(自民党の派閥に相当)について解説しています。

《民主党の政治力》
民主党での小沢氏について解説しています。「剛腕」「権力志向」など、恐い小沢イメージに関しては現実を超えて作られているとしています。
小沢氏の真の政治目的は、官僚が主導する政治システムの打破にあります。
今年5月に突然、民主党代表を辞任したのも、こだわったのは自らのポストではなく、あくまで民主党の挙党一致と政権交代の実現でした。

民主党が政権党となった暁にやろうとしている大目標は、現在の官僚主導の政治体制を打破しようとすることであり、方向性は間違っていません。
ただし、霞が関は全力を挙げて改革を妨害しようとするでしょう。それに対し、民主党は改革をやり遂げる力があるのかないのか。その点については、上杉氏も結論は出していません。

いずれにしろ、この本を読んだおかげで、民主党という政党をいろんな視点で見ることが可能になりました。
衆院議員選挙の結果として民主党政権が誕生したら、この本を参考にしながら民主党を眺めていくことにしましょう。

“自民党はなぜ現在のような体たらくになったのか、自民党の現在はどうなっているのか”という点を解説した本も探さねばなりません。
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高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」(5)

2009-08-25 19:50:27 | 歴史・社会
前回に続き、高橋洋一著「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書)」の第5回です。

《第5章 国家を信じるな》
・「三位一体改革」の苦い味
地方分権のうち、ヒト、モノの動きはまさに進行中だが、カネ、つまり税源移譲だけは動きが鈍い。税源移譲というと、地方の知事の方が小泉さんのときの「三位一体改革」の苦い味を思い出して、逆に嫌な顔をする。
地方の歳入には、総務省が与える「交付税」、所管官庁が出す「補助金」、そして「地方税」と三つある。「交付税」といっても、総務省からの補助金である。本来は地方税だが、そうすると地域格差が出るのでとりあえず国が取って配分するという仮想がある。

・ドサクサに紛れて、二割をいただき
小泉政権の「三位一体改革」は、地方が自立してきちんとやりましょうということで、交付税を減らして、総務省を通すことなく、ほとんど国税をそのまま地方税に持っていくとともに、補助金も減らして、その分、地方税を増やそうとした。
ところが、交付税が減って、補助金が減って、補助金の八掛けぐらいの税源移譲が地方にはあった。結果的には地方は持ち出しになった。
「得したのは、税源移譲を少なくした財務省なんだよ。二割ぐらいがどこへ行っちゃったかというと、財務省がちょこっといただいちゃった。
財務省のロジックは、地方は行革しなければいけないから、減収分は行革で何とかせい、と言ったんだ。これは巧妙といえる、ちょっとドサクサに紛れて。
総務省もちゃっかりしていて、自分のところはしっかりと減らさないわけ。
補助金は減らしたものの、結構問題含みだったの。特に文科省からの義務教育の補助金が減ったのに、財務省から税源移譲をぜんぶしていないから、義務教育の補助金を減らされたところはたまったものじゃない。」

・交付税削減の策略
三位一体のときに同時に、財務省は「国の財政再建」というお題目を掲げて、総務省の出す交付税も国の歳出だからと言って、一回、ガクンと減らしている。しかも、総務省が減らし方をミスった。交付税に依存している地方自治体ほど地方税が少ないはずなのに、そういったところがたくさん減らされた。
交付税は減らされ、義務教育みたいな重要な補助金を減らされ、税源移譲は思ったほど来ていないというので、これは地方にはすぐこ評判が悪い。

・不相応な歩道
多くのマスコミが騙されているキャンペーンが「税源移譲すると東京だけ豊かになる」。これは一面正しいんだけれど、それを認識した上で調整するやり方もある。しかし、それはわざと無視して、税源移譲を議論することを実に巧妙に封印するわけ。

[以上]

マスコミが「記者クラブ制」に呪縛されて自由な発言ができず、学者も役所に言いくるめられて役所を批判することができない現状において、高橋氏の発言はきわめて貴重でした。窃盗事件を起こしたことで高橋氏が葬られたことは、日本にとって大きな損失だったように思います。
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高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」(4)

2009-08-24 20:28:53 | 歴史・社会
ブログのテンプレートがバージョンアップしたらしいのですが、文字の大きさが小さくなりました。今までのが大きな文字で、変更後に標準サイズになったようです。
私としてはどちらでもいいのですが、今まで大きな文字に見慣れていたので、ずいぶん小さくなった気がします。
この記事のすぐ左に「文字サイズ変更」ボタンがありますので、気になる方は「大」をクリックしてください。

前回に続き、高橋洋一著「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書)」の第4回です。

《第4章 公務員制度改革の闘い》
・公務員の権限が大きな日本
(外国に比べて日本は)公務員は少ないけれど、一方で、日本はGDPと同じ、五百兆円ぐらい資産を持っている。そうすると、公務員一人あたりのカバーしている権限や活動範囲はすぐこ大きいんです。普通の国の資産はGDPの10パーセントぐらいだよ。」

・財務省にゴマをする「財政タカ派」
マスコミは記者クラブ制によって役人に首根っこを押さえられているから、役所の批判はできない。
学者も、役所の政策を批判する記事を新聞に書いたりすると、すぐに役所から「先生のペーパーについて議論したい」と連絡が入り、丁重に反論され、些細なデータの誤りを役人から指摘される。学者はこういうのは弱いので、たちまち役所に取り込まれる。役所からデータをもらって分析できるので、自然と役所に迎合的になり、そして審議会に入る。

・上げ潮派は多勢に無勢
「上げ潮派」なんて厳密に言えば日本に三人しかいない。中川さん、竹中さんと私だけ。それでも「上げ潮」と言われて、「財政タカ派」と並び称されるんだから、光栄なもんですよ。

・増税の前に、嫌がられても歳出カット
「『財政タカ派』の人は『大きな政府』志向だから、歳出カットをあんまり言わない。こっちは歳出カットを言って、地方がピーピー言い出して、もうみんながいやがって、こんなに切られるんだったら増税の方がいいと言うぐらいになってから増税した方がいいと言っているわけ。」

・「財務省は成長が嫌い?」
「成長して税収が増えると歳出も増えるのがいやなのでしょう。歳出カットが財務省の責任みたいになるでしょう。成長しないと歳出増の要求は少ないんだよね。一方で、増税は政治家の責任になるから、財務省的には増税してもらった方が楽なんだ。」

・見えない官僚支配
実態は、「官僚」が大臣や国会議員にいろいろと取り入って、「内閣」や「国会」を上手にコントロールしている。

・キャリアを廃止せよ
「こんなおかしな『官僚内閣制』を打破するために、安倍政権のときには渡辺行革相と一緒に『国家公務員制度改革』に取り組んできたわけ。
改革の肝はなんといっても、『年功序列の廃止』と『天下りの斡旋禁止』。」
「いま取り組んでいるのは、改革の第二弾。『キャリア制度の廃止』『内閣人事庁の創設』『国会議員と公務員の接触制限』の三本柱。」

・部下がまいた怪文書
「改革への素朴な疑問」なんて怪文書、書いたのは当の行革事務局の幹部だってバレバレ。官僚たちはこれを手に永田町を走り回った。

・三つの民営化、「に」の挿入
高橋氏と竹中さんが政策金融機関の民営化に関わったときの話。霞が関用語では「民営化」には三つの意味がある。一つめが民有・民営という形態をとる「完全民営化」。二つめはNTTのように政府が株式を所有し、経営形態だけは民営にする「特殊会社化」。三つめは農林中央金庫のように、政府が根拠法律だけを持つ形。
高橋氏もこの仕組みはよく知っているから、経済財政諮問会議ではしっかりと「完全民営化」という言葉を使い、もちろん法案にもそう書いた。ところが最終段階の持ち回り閣議で、官僚の事務方が持ってきた法案には「政策金融機関を完全に民営化する。」と、なぜか「に」の一文字が入っていた。「完全に民営化」なら「完全に特殊会社化する」という道もあり得る。
閣議なら事前に書類をチェックできるけれども、このときは持ち回り閣議にかけられ、各大臣にそれぞれ書類を持っていきその場でサインをもらうだけ。
たまたまこのときは、高橋氏らのスタッフが「に」に気付いて、竹中大臣に「サインしないでください」と連絡しておいたので、事なきを得た。
「どんなに有能な大臣が一生懸命勉強しても、とても一人では官僚に立ち向かうことは無理。これに対抗できる役人をスタッフとして使えない限り、健全な『議院内閣制』はあり得ないでしょう。」

・大臣には人事権がない
現状では大臣の人事権はすごく弱くて、事務次官がつくった人事リストをただ承認するだけ。
竹中さんが総務大臣になったときも、事務次官がもってくる人事リストを何度つきかえしても、同じ幹部候補のメンバーを担当だけ入れ替えてもってくるから、なかなか手こずった。
内閣人事庁ができると、こういったバカげたことがなくなる。
大臣が幹部を決めるときには、今までの事務次官がつくったリストに加えて、内閣人事庁が推薦するリストも参照できるようにする。
官僚にとっては、痛いところを突かれたと言ったところでしょう。自分たちが一手に握っていた人事権が弱まり、外部から人材が流入してくれば、営々と築き上げた昇進ピラミッドがぶっ壊れるに決まっている。既得権を失いたくない幹部や幹部昇進が近い上の世代ほど、なにがなんでも大反対するわけだ。

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高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」(3)

2009-08-23 21:10:27 | 歴史・社会
前回に続き、高橋洋一著「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書)」の第3回です。

《第3章 国のお金はどう動くのか-金融編》

“日本銀行の独立性”について高橋氏は、「日銀の役割は物価の安定である。まず消費者物価指数の上昇率目標を政府が決める。そしてどのような手段で消費者物価指数上昇率を目標通りにするかという手段については、日銀に任せる。手段の独立が日銀の独立である。目標設定の独立ではない。」趣旨を述べています。
今の日本では、だれも物価上昇率目標を定めません。

物価指数は「上方バイアス」を持っているので、物価指数上昇率が1%でも実際には0%程度である、というのが常識であるようです。であるから、物価指数上昇率目標は1~3%とするのがちょうど良い。

日銀が物価上昇率目標を定めない現状を、アメリカの学者たちは「日銀はステューピッド」と言っているようです。
8月はじめのテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」で、外国人コメンテーターが「物価上昇率目標を政府が定め、日銀がその目標を達成するように行動すべき」とコメントしていました。
この考え方が世界不変なの、それともアメリカが言っているだけで従う必要がないのか、そこのところはよく分かりません。

日本は、財務省が為替介入のための資金として、資産が120兆円、負債が100兆円あります。しかし、先進国で外為資金をこんなに持っている国は他にないようです。日本はGDP比で20%ですが、普通の国はだいたい2%程度とのことです。
普通の国というのは為替変動を起こさないようなマクロ経済政策をします。
インフレ率を各国で同じに合わせておくと、為替はそんなに変動しない。
日本だけが世界に稀なデフレ国であり、必ず円高要因がいつもある。

“国際金融のトリレンマ”
「固定相場制」「独立した金融政策」「自由な資本移動」という3つを同時に満足することは不可能である。各国はやむを得ず、「固定相場制」を諦めている。変動相場制を変な為替介入で抑えちゃうと、金融政策がうまくできなくなるか、資本移動を規制するしかなくなる。「これがもう国際金融の常識になっているわけ。みんな変動相場制の下で『しかたないよねえ。輸出企業はみんな大変だけれど、先物かなんかでヘッジできるから頑張ってください』としか言いようがない。」

「マネーを出すのを『金融緩和』、マネーを引っ込めるのを『金融引き締め』というんだけれど、日本銀行には『金融引き締め』したら勝ちという文化、バカみたいなDNAがある。」「資産を買わないと日本銀行はマネーが増えない。資産を買うので一番手っ取り早いのは国債。マネーを増やすために、日本銀行は国債を買わなければいけない。でも、国債を買うと言うことは財務省を手助けすると言うことだから、日銀の人は財務省への対抗心からそれを『負け』という風土があって、国債を買いたがらない。」

「インフレターゲットを設けて日銀が国債を買うと、戦前と同じハイパーインフレが起こる」という議論があるが、そんなことはない。3%程度の目標でハイパーインフレになることはない。

バブルが破裂したら慌てて金融緩和するしかない。あっという間に金利を下げた方が良い。それなのに日本というのはバブルが終わったときにすぐ緩和しなかった。バブルが崩壊した後に金利をちょっと上げて、不況が深刻化したら焦って下げいてるが、下げるのもゆっくりで、頂点から5%ぐらい下げるのに日本は5年くらいかかっている。アメリカなんか、バブルが崩壊したらすぐに、というか同時期に1、2年でやった。
下げるのが遅いと後遺症が長くなるのに、日銀がすぐ金融緩和をしなかったというのは、金利を下げると「負け」と思っている例の遺伝子がずっとあるんじゃないか。

サブプライム問題以降、日本も円高と株安に見舞われている。しかし日本はサブプライムの被害は少ないはず。日本の円高と株安は、日銀が異常に引き締めていることが原因。「日本の国内も金融を締めているから、日本の株価は上がらない。円高で外需もだめだし、日本の国内のほうもさっき言ったマネーを絞っていて実質金利が高くなっているから、ためだ。株価が上がらないのは当たり前です。でも、株価が上がらないのは、日本銀行のせいだってみんな認識していないでしょう。マスコミは日本銀行の悪口をまず書かないの。」

「民主党の中には庶民の味方だと言いつつ、庶民は金利収入が低くて大変だから金利を上げた方が良いという人がいる。」
「資本主義社会では、お金を持っている人よりは、起業家のように借りている人のほうが一生懸命考えて経済を引っ張るんです。だから、金利を上げると経済は落ちるんだよね。」
「経済のダイナミズムからすれば、差し引きでは実は借りている人のほうのことを考える。そういうのがたぶん民主党の人には分からないんだと思うけれどね。」

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高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」(2)

2009-08-22 20:27:46 | 歴史・社会
前回に続き、高橋洋一著「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書)」の第2回です。

《第2章 国のお金はどう動くのか-財政編》

《ガソリン税と道路建設の関係》
アーサー・ピグーというイギリスの経済学者が百年ぐらい前に「公害を出すものについては課税をしろ」といい、「ピグー税」となりました。
世界のガソリン税はみんなほとんどこの考えになっていて、ヨーロッパは日本よりガソリン税が圧倒的に高いということです。
だから、民主党の「ガソリン値下げ隊」などは大笑いであり、洞爺湖サミットで日本が環境問題やりますなんて恥ずかしくて言えなくなる。

一方で、自民党道路族のように道路に全部ガソリンの税金を使うということもあり得ない。
公共投資をやる以上は、コストを上回る便益がなければいけない、「B/C(ベネフィット・オーバー・コスト)」、つまり便益が費用より「事後的」に見て「一」より大きくなければいけない。
日本でも1998年から一応、新たな公共投資についてはこれをやるということになっているが、「事前」のB/C分析です。ところが、「事前」の計画書では、ベネフィットは過大でコストは過小です。だから、事後でもB/Cが一を超えるというときは、事前がだいたい三倍ないとだめなのが常識です。

まず、ガソリン税の税率を維持するという自民党の主張は、ピグー税とうい観点で正しい。また民主党の主張する「ガソリン税の一般財源化」も正しい。
去年3月に福田総理が「一般財源化」と言い出したことによって、ついに「正解」にたどり着いた。
そして、「必要な道路を造る」という政策も正しいのですが、その道路が必要か否かの判断を、「B/Cが3を超える」という基準でやればいいということになります。

《財政政策はもう効かない》
「不況の中、道路を作ることで雇用が確保できるという財政政策上のメリットはありますよね。」との問に対して、高橋氏は・・・・・

「財務省は財政政策。日本銀行は金融政策。財政政策と金融政策がマクロ経済政策の二本柱。」
「財政政策のほうが国家予算で大きなお金が動くから、影響も大きいのではないかとみんな思うけれども、これは経済理論の中では、変動相場制か、固定相場制かで大きな違いがある。
結論を簡単に言うと、固定相場制の下では財政政策は完璧に効いて、金融政策は効かない。逆に変動相場制になると、金融政策しか効かなくて、財政政策は効かなくなってしまう。」
「変動相場制の下でどうして財政政策が効かないか。財政政策をやるときには国債を発行して公共投資をするのが一番典型です。国債を発行して民間から資金を集めると、金利が高くなる。
金利が高くなると為替は円高になる。金利が高くなって円高になると、公共投資をして内需を増やす一方で、円高になるから輸出が減る。そうすると公共投資の増が輸出減で相殺されちゃう。
輸出減の一方で輸入が増えるということは、他国の輸出増になるわけでしょう。要するに公共投資の効果は他国の輸出増になっちゃうんです。
変動相場制の下では金融政策がなぜ効くかというと、金融政策は金利を下げて需要を増やす。金利を下げるから、為替が円安になって、輸出増になるわけ。」
「というのを、マンデルとフレミングという二人の経済学者が編み出したので、『マンデル・フレミング理論』という名前がついている。」
「ところが日本ではこの世界の常識が知られていないから、みんな景気対策というと財政出動でしょう。」
「90年代の世界不況の中で、ほかの国はこんなバカなことはしないから、そんなに国債は増えないんだけれど、マンデル・フレミング理論なんて日本だけがよく知らないから、日本だけ国債がブワーッと増えている。」
「(この理論は)日本では常識になっていないから、またすぐもとに戻ってしまう。景気対策じゃないんだよね。ただ単に事業が欲しいだけなんだ。」
「国会議員は自分の選挙区のことだけ考えているでしょう。そういう人が中心になって国の政策を動かすと、公共投資をいくらしても全然効果が上がらないだけで、借金だけが積み重なっていく。それが現に行われてしまったんだよ。」


「変動相場制の元では財政政策は効果を発揮しない」という理論、私は初めて目にしました。これは本当なのでしょうか。
今年になって、緊急経済対策として行われたのは、旧来からの財政出動による公共投資そのものです。
最近の円ドル相場は、1ドル95円付近で円高のまま凍り付いています。緊急経済対策がなければ円安方向に振れていたというのでしょうか。

以下次号
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高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」

2009-08-21 20:17:53 | 歴史・社会
「埋蔵金男」高橋洋一氏が破廉恥な窃盗容疑で捕まったことが公になり(こちらで紹介)、本当につまらないことになりました。
しかし改めて調べてみると、高橋氏は新書版で何冊かの本を出版しています。今回、そのうちの一冊を読んでみました。
霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書)
高橋 洋一
文藝春秋

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帯には「経済低迷の主因は、財務省と日銀の経済オンチにある。小泉改革の知恵袋ゆえに霞が関を敵に回した元財務官僚が語る 新日本経済入門 高校1年生~財務官僚・日銀マン向き」とあります。

第1章 「埋蔵金」とはなにか
第2章 国のお金はどう動くのか-財政編
第3章 国のお金はどう動くのか-金融編
第4章 公務員制度改革の闘い
第5章 国家を信じるな

内容はとても平易です。
国の経済の動きが、こんな簡単なロジックで本当に語れるのだろうか?と疑問に思うほど平易です。
私はエコノミストではないので、この本で語られるロジックが正しいのか正しくないのか判断がつきません。しかし取り敢えず、書かれていることは覚えておこうと思います。

《第1章 「埋蔵金」とはなにか》
「埋蔵金」とは、国の特別会計における「資産と負債の差額」のことです。長い間、この数値が表に出ることはありませんでした。それを高橋氏が算出可能にし、さらに高橋氏の政敵?である与謝野馨氏が「埋蔵金」とネーミングした以降に一気に国民に知れ渡りました。

2003年、塩爺(塩川正十郎当時財務大臣)が最初に、「母屋でおかゆをすすっているときに、離れですき焼きを食べている」とうまいことを言いました。母屋=一般会計、離れ=特別会計です。
塩爺はこれを直感的にアドリブで言ったらしいですが、高橋氏はそれを聞いて、塩爺の直感をどうしたら数字にできるかと考えました。
経済財政諮問会議において、各省庁から特別会計の数字を出させ、高橋氏が特別会計のバランスシートをつくってみたところ、年金を除く特別会計を全部足し合わせると資産負債差額という内部留保が50兆円ぐらいありました。なかでも大きかったのがいずれも財務省管轄の財政融資資金特別会計12兆円、外為資金特別会計8兆円です。

高橋氏はまず竹中平蔵大臣に伝えます。竹中氏は何回も「ほんとうか」と繰り返しました。
竹中氏はこの事実を小泉総理に伝えようとします。それも各省庁から出向している総理秘書官が同席していない所で。秘書がいない隙を見計らって竹中さんから小泉さんに言ったら「えーっ、ほんとうか!そんなにあるのか!」と言ったといいます。竹中さんが、財務省に知られずに小泉さんに先に話しちゃったということで、実は「勝負あった」だそうです。
財務省にはまったく相談せずに諮問会議のペーパーをつくりますが、総理秘書官が「ほぼ全面削除」とします。最初は半信半疑だった竹中さんも、この財務省の抵抗の激しさを見て「これは本物だ」と思います。
諮問会議では竹中さんと当時の谷垣財務大臣がガチンコでやりあいましたが、竹中さんの圧勝で終わりました。あっという間に財務省が折れて、シレッとして「従来の予定通り出します」と小泉さんに説明しました。20兆円が財務省管轄特別会計から出てきました。2006年です。このときはまだ「埋蔵金」という言葉もなく、マスコミは全く反応しませんでした。このブログの2007年11月29日の記事が、このことを指していたのでした。

そして2007年10月、財政融資資金特別会計から再度「埋蔵金」を出させようとしたら、財務省は「ない」と言いました。しかし高橋氏との論戦の結果、財務省は折れ、また十兆円出してきたのです。これが、「埋蔵金」命名後の最初の発掘でした。このブログでは2007年12月7日に記事にしていました。

「埋蔵金」と名づけられましたが、今では、当時の改革によってディスクロージャーが進んで、もう「露天掘り」になっているようです。

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