前回に続き、高橋洋一著「さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白
」の4回目です。
2006年9月、5年半にわたった小泉政権が退陣したとき、高橋氏も役人を辞めるつもりでいました。某大学の教授に内定していました。ところが、次期政権担当がほぼ決定した安倍晋三官房長官の側近から「安倍政権に入ってくれ」との連絡を受けます。
安倍新総裁は、総理官邸スタッフを10人、霞が関から公募する通達をしました。高橋氏はこの応募に応ずる形で、安倍政権に参画したのです。
《公務員制度改革》
高橋氏は官邸スタッフとして、公務員制度改革案を作成し、経済財政諮問会議に民間議員ペーパーとして提出しました。
ミソは、年功序列制の廃止(能力主義の採用)と、各省庁による再就職(天下り)の斡旋禁止です。
霞が関の年功序列は、生半可なものではなく、「年次絶対主義」といえるほどの規範になっているようです。
そして、年功序列の下、同期のだれかが局長になったとき、なれなかったその他同期は役所を辞め、天下ることになります。能力の足りない人間を押し付けるのだから、「お土産(補助金)」が必要になります。「再就職は悪ではないが、役所の斡旋で能力のない人間が天下るために血税が使われているという現状は、正さなければならない。ゆえに、斡旋の禁止なのだ。」
この提案には、2006年11月の諮問会議に出席した大臣の全員が反対を唱えたそうです。「もはやギブアップするしかないと覚悟した」
「風向きは突然変わった」
2006年12月、佐田行革大臣が政治資金収支報告書の虚偽報告問題で辞任し、後任に渡辺喜美さんが就いたのです。渡辺氏は高橋氏がつくった上記ペーパーを評価していました。
新大臣が就任する際、最初の記者会見はきわめて重要です。ところが、就任決定から記者会見まではほとんど時間がもらえません。新大臣は、官僚が準備した「べからず集」のレクチャーを受け、その線で記者会見に臨むこととなり、結局は官僚の望む方向に答弁せざるを得ないのです。
しかしこのときは違っていました。
渡辺氏は就任が決まった初日、朝7時から人間ドックに入ってしまいます。そしてその人間ドックに高橋氏を呼ぶのです。渡辺氏と高橋氏は3時間ほどたっぷりと意見交換しました。
一方、「べからず集」をレクチャーしようとした官僚側は渡辺氏を捕まえることができません。人間ドックから官邸に直行した渡辺氏に「べからず集」を渡すことはできず、記者会見に臨んだ渡辺氏は、公務員制度改革であれもやる、これもやりたいと、最初から全開となりました。
今回、民主党が政権党となったら、閣僚決定後の最初の記者会見には十分に注意する必要があります。官僚側の思惑に飲み込まれず、官僚主導政治を正す方向での記者会見が可能か否か。渡辺氏の例にならってほしいものです。
《事務次官等会議》
今回の総選挙における政党マニフェストの中に、「事務次官会議の廃止」というのが入っていました。
この事務次官会議(事務次官等会議)について、面白い話がこの本に載っています。
永田町・霞が関の慣行では、閣議に諮る前に、各省庁のトップが集まる事務次官等会議にかけ、ここではねられた案件は閣議にはかけられなかったのです。これでは、事務次官等会議が閣議よりも上位であることになります。
この慣例を、安倍総理が破りました。
公務員制度改革案に関連する質問趣意書の政府答弁を閣議了承する過程で、政府答弁案が事務次官等会議で否決されたのです。これまでの慣例では、閣議に諮ることができません。ところが安倍総理が「閣議に諮りたい」との意向を示したのです。
かくして戦後初めて、事務次官等会議が諒承しなかった案件が閣議に諮られるという前代未聞の事態となりました。閣議当日、霞が関も官邸も蜂の巣をつついたような騒ぎになり、「こんな暴挙を許していいのか」「総理はめちゃくちゃだ」「安倍さんは狂ったのか」と怒号が飛び交いました。
「日頃、マスコミは政治主導の政策作りが必要だと訴えている。そういう観点から見れば、安倍総理の決断は、まさに霞が関を排除して政治主導の政策決定を目指した歴史的な快挙だったといえるが、不思議なことに、翌日の新聞は事の経緯を一切報道しなかった。」
記者クラブ制度で官僚に首根っこを押さえられているマスコミの姿が見えてきます。
《天下りをどうするのか》
総選挙の各党公約では、どの党も「天下りをなくす」としています。
しかし、単純に天下りをなくしたら、官僚の全員が定年まで役所で勤務することになり、年功序列の中、同期の一人が次官になったら他の同期全員が次官と同じ給料をもらって役所でぬくぬくと暮らすことになります。
「天下り」がなぜいけないかというと、高橋氏がいうように、天下りに伴う「お土産」が存在するからです。渡辺行革大臣が進めた公務員制度改革では、人材バンクをつくり、「お土産」を持たずに民間に再就職してもらうというものです。各省庁による再就職(天下り)の斡旋禁止です。再就職する役人の能力に応じたポストと処遇が準備されることになります。
今回の選挙中は各党とも「天下りをなくす」と叫んでいますが、結局は渡辺行革大臣と高橋氏が推し進めた制度改革案が良さそうに思います。
[以上]
総選挙当日です。
民主党は政権を獲得するのでしょうか。
民主党がやろうとしている「霞が関改革」を実効あるものにするためには、霞が関の抵抗を排除していくことが不可欠です。そのためには役人が弄する種々の奸計を見破り、その上を行かなければなりません。役人の手法の裏の裏まで知り尽くした人間が、内閣の側に立って作戦を練ることが不可欠です。
「さらば財務省!」を読んだ感想として、高橋氏はそのような役割に最適な人物でした。
しかし高橋氏は、破廉恥な窃盗事件が明るみに出てもはや表世界では活動できない人となってしまいました。誠に残念なことです。
2006年9月、5年半にわたった小泉政権が退陣したとき、高橋氏も役人を辞めるつもりでいました。某大学の教授に内定していました。ところが、次期政権担当がほぼ決定した安倍晋三官房長官の側近から「安倍政権に入ってくれ」との連絡を受けます。
安倍新総裁は、総理官邸スタッフを10人、霞が関から公募する通達をしました。高橋氏はこの応募に応ずる形で、安倍政権に参画したのです。
《公務員制度改革》
高橋氏は官邸スタッフとして、公務員制度改革案を作成し、経済財政諮問会議に民間議員ペーパーとして提出しました。
ミソは、年功序列制の廃止(能力主義の採用)と、各省庁による再就職(天下り)の斡旋禁止です。
霞が関の年功序列は、生半可なものではなく、「年次絶対主義」といえるほどの規範になっているようです。
そして、年功序列の下、同期のだれかが局長になったとき、なれなかったその他同期は役所を辞め、天下ることになります。能力の足りない人間を押し付けるのだから、「お土産(補助金)」が必要になります。「再就職は悪ではないが、役所の斡旋で能力のない人間が天下るために血税が使われているという現状は、正さなければならない。ゆえに、斡旋の禁止なのだ。」
この提案には、2006年11月の諮問会議に出席した大臣の全員が反対を唱えたそうです。「もはやギブアップするしかないと覚悟した」
「風向きは突然変わった」
2006年12月、佐田行革大臣が政治資金収支報告書の虚偽報告問題で辞任し、後任に渡辺喜美さんが就いたのです。渡辺氏は高橋氏がつくった上記ペーパーを評価していました。
新大臣が就任する際、最初の記者会見はきわめて重要です。ところが、就任決定から記者会見まではほとんど時間がもらえません。新大臣は、官僚が準備した「べからず集」のレクチャーを受け、その線で記者会見に臨むこととなり、結局は官僚の望む方向に答弁せざるを得ないのです。
しかしこのときは違っていました。
渡辺氏は就任が決まった初日、朝7時から人間ドックに入ってしまいます。そしてその人間ドックに高橋氏を呼ぶのです。渡辺氏と高橋氏は3時間ほどたっぷりと意見交換しました。
一方、「べからず集」をレクチャーしようとした官僚側は渡辺氏を捕まえることができません。人間ドックから官邸に直行した渡辺氏に「べからず集」を渡すことはできず、記者会見に臨んだ渡辺氏は、公務員制度改革であれもやる、これもやりたいと、最初から全開となりました。
今回、民主党が政権党となったら、閣僚決定後の最初の記者会見には十分に注意する必要があります。官僚側の思惑に飲み込まれず、官僚主導政治を正す方向での記者会見が可能か否か。渡辺氏の例にならってほしいものです。
《事務次官等会議》
今回の総選挙における政党マニフェストの中に、「事務次官会議の廃止」というのが入っていました。
この事務次官会議(事務次官等会議)について、面白い話がこの本に載っています。
永田町・霞が関の慣行では、閣議に諮る前に、各省庁のトップが集まる事務次官等会議にかけ、ここではねられた案件は閣議にはかけられなかったのです。これでは、事務次官等会議が閣議よりも上位であることになります。
この慣例を、安倍総理が破りました。
公務員制度改革案に関連する質問趣意書の政府答弁を閣議了承する過程で、政府答弁案が事務次官等会議で否決されたのです。これまでの慣例では、閣議に諮ることができません。ところが安倍総理が「閣議に諮りたい」との意向を示したのです。
かくして戦後初めて、事務次官等会議が諒承しなかった案件が閣議に諮られるという前代未聞の事態となりました。閣議当日、霞が関も官邸も蜂の巣をつついたような騒ぎになり、「こんな暴挙を許していいのか」「総理はめちゃくちゃだ」「安倍さんは狂ったのか」と怒号が飛び交いました。
「日頃、マスコミは政治主導の政策作りが必要だと訴えている。そういう観点から見れば、安倍総理の決断は、まさに霞が関を排除して政治主導の政策決定を目指した歴史的な快挙だったといえるが、不思議なことに、翌日の新聞は事の経緯を一切報道しなかった。」
記者クラブ制度で官僚に首根っこを押さえられているマスコミの姿が見えてきます。
《天下りをどうするのか》
総選挙の各党公約では、どの党も「天下りをなくす」としています。
しかし、単純に天下りをなくしたら、官僚の全員が定年まで役所で勤務することになり、年功序列の中、同期の一人が次官になったら他の同期全員が次官と同じ給料をもらって役所でぬくぬくと暮らすことになります。
「天下り」がなぜいけないかというと、高橋氏がいうように、天下りに伴う「お土産」が存在するからです。渡辺行革大臣が進めた公務員制度改革では、人材バンクをつくり、「お土産」を持たずに民間に再就職してもらうというものです。各省庁による再就職(天下り)の斡旋禁止です。再就職する役人の能力に応じたポストと処遇が準備されることになります。
今回の選挙中は各党とも「天下りをなくす」と叫んでいますが、結局は渡辺行革大臣と高橋氏が推し進めた制度改革案が良さそうに思います。
[以上]
総選挙当日です。
民主党は政権を獲得するのでしょうか。
民主党がやろうとしている「霞が関改革」を実効あるものにするためには、霞が関の抵抗を排除していくことが不可欠です。そのためには役人が弄する種々の奸計を見破り、その上を行かなければなりません。役人の手法の裏の裏まで知り尽くした人間が、内閣の側に立って作戦を練ることが不可欠です。
「さらば財務省!」を読んだ感想として、高橋氏はそのような役割に最適な人物でした。
しかし高橋氏は、破廉恥な窃盗事件が明るみに出てもはや表世界では活動できない人となってしまいました。誠に残念なことです。