弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

原発事故関連政府会議の議事録がない

2012-01-29 10:10:33 | 歴史・社会
原発議事録―「検証」阻む政権の怠慢 信じられない。政権の怠慢である。
朝日新聞 社説 2012年1月26日(木)付
『福島第一原発事故に対応する政府の原子力災害対策本部が、昨年末まで計23回開いた会議の議事録をまったく作っていなかったことがわかった。
未曽有の危機に際し、どのような情報に基づき、どんな検討を経て、判断したのか。一連の過程を克明に記録しておくことは、振り返って事故を検証し、二度と同じ過ちを繰り返さないために欠かせない作業だ。
緊急対応に追われた事故直後だけならまだしも、昨年5月に議事録の不備が明らかになったあとも、今日まで放置してきたとは、どういうことか。
自分たちの失策が後で露見しないよう、あえて記録しなかったと勘ぐられても、申し開きできまい。』

原子力災害関係の政府の会議体で議事録が作成されていなかったことに対し、このところ急に問題が大きく取り上げられています。事故から1年も経って、何で今ごろ問題が顕在化したのでしょうか。
私は、一部の会議体ではありますが議事録を作成していないことを去年の5月から知っていたので、最近になって騒ぎ立てる意味が良く分かりません。

昨年5月22日の記事「1号機海水注入の中断」の中で、翌23日の追記として、
『1号機の海水注入が一時中断となった経緯については、政府内部で混迷を極めています。
最初は、原子力安全委員長の斑目春樹氏が海水注入による再臨界の危険を主張したからだとの政府発表があり、班目氏がこの発表に激怒して政府にねじ込み、政府はすでにした発表の中味を修正するに至るという体たらくです。
3月11日の政府部内の会合における「言った、言わない」の話ですから、打合せメモを読み返せば一件落着だろう、と普通なら考えますが、ここへ来て「議事録は存在しない」ことが明らかになりました(「海水注入問題めぐる議事録はない」福山官房副長官~産経新聞 5月23日(月)12時37分配信)。
国家の一大事に対して政府が緊急に対応を協議するに際し、誰も発言メモを取っていないというのはあまりにも杜撰です。後の責任を回避するために意図的にメモを取っていなかったのだとしたら、政府首脳として姑息すぎます。
ただし、発言メモが存在しないことに私はさほど驚きませんでした。東電社長が病気療養で東電の会長がピンチヒッターに立ったとき、会長が「政府との連絡会議の議事録をオープンにしたい」と会見で述べたのに対し、「連絡会議の議事録など存在しない」と政府側が発言したのを覚えていたからです。』
と書いたとおりです。

東電の勝俣会長の議事録発言に関し、調べてみました。多分以下の報道でしょう。
枝野官房長官の会見全文〈30日午後5時前〉
2011年3月30日21時10分
『枝野幸男官房長官の午後5時前からの記者会見の内容は次の通り。
・・・・
【対策統合本部の議事録】
――勝俣会長が会見で、統合対策本部の会議で議事録があるが、政府とすりあわせて公開するならしたいと発言した。議事録はあるのか、あるなら公開するつもりか。

「統合本部はいわゆる会議というより、会議を始めます、会議を終わりますというような会議体というよりは、随時関係者間で様々な議論や情報交換を行っている場だ。そのやりとりを、個人的に適宜メモしている方はいるかもしれないが、統合本部として、あるいは政府として議事録を作成をしているものではない。その議論や情報交換の中身については、すみやかに記者会見などで報告し、また質問にお答えして東電の方で発表させて頂いている」』

この記事にあるように、少なくとも統合対策本部については、議事録を作成していないことが昨年の3月30日には明らかになっていたのです。大手マスコミとしては、「それではこの会議以外の例えば原子力災害対策本部の議事録はどうなっているか」とこのときに追求できたはずです。そして、そちらについても議事録が作成されていないことがわかったら、そのときに大騒ぎすべきです。そうすれば、まだ事故から20日しか経っていませんから、出席者の記憶を呼び起こして事後的に議事メモを作成することも可能だったでしょう。

事故から1年も経過して騒ぎ立てる大手マスコミの姿勢には呆れます。
朝日社説の『事故直後だけならまだしも、昨年5月に議事録の不備が明らかになったあとも、今日まで放置してきたとは、どういうことか。』については、そのまま朝日新聞にお返しします。
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知財高裁大合議判決「プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」の解釈

2012-01-28 11:46:52 | 知的財産権
1月28日の日経新聞朝刊に、知財高裁大合議判決の記事が載りました。
製法異なる同一物質、特許侵害に当たらず 知財高裁大合議 』という記事です。
特許登録された医薬品とは異なる方法で作った同じ薬が特許を侵害するかが争われた訴訟の控訴審で、『「特許の範囲は出願時に記載した製法で作った製品に限られるのが原則」として、特許侵害に当たらないとの判断を示した。』とあります。
記事ではさらに、
『中野裁判長は判決理由で、特許の範囲は「出願内容の記載を基準とすべき」と指摘。製法が記載されている場合は「特許の範囲はその製法で作ったものに限られるのが原則」と指摘した。
例外的に「発明物を構造や特性で直接説明できず、製法でしか説明できない場合には、製法にかかわらず特許の効力が及ぶ」としたが、今回問題となった医薬品はこうした事情に当てはまらないとして、特許侵害はないと結論付けた。』
とあります。

この新聞記事からはちょっと意外な判示であるように思えたので、最高裁と知財高裁にアクセスしてみました。まだ判決の全文はどちらにもアップされていませんでしたが、知財高裁には判決の要旨がアップされていました。
『平成24年1月27日 事件番号平成22年(ネ)第10043号部
○ いわゆるプロダクト・バイ・プロセス・クレームの技術的範囲について,物の構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在しない場合は,その技術的範囲は,クレームに記載された製造方法によって製造された物に限定されるとした事例
○ 特許法104条の3に係る抗弁に関し,いわゆるプロダクト・バイ・プロセス・クレームの要旨の認定について,物の構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在しない場合は,その発明の要旨は,クレームに記載された製造方法により製造された物に限定して認定されるとした事例』

ひとまず安心しました。対象は「プロダクト・バイ・プロセス・クレーム(物の発明において特許請求の範囲に製造方法が記載されている形式)」だったのですね。日経記事では『特許の範囲は「出願内容の記載を基準とすべき」』とあり、物の特許について、明細書中に製造方法が記載されていたら、権利範囲はその記載された製造方法で製造したものに限られる、とも解釈できそうな気がしてびっくりしたのですが、さすがにそうではありませんでした。

われわれが注目すべき点については、判決全文のアップを待つまでもなく、今回アップされた判決の要旨で十分に把握することができます。

ポイントは2つあります。判決要旨には「技術的範囲」と「要旨の認定」が出てきます。この2つは別物です。

1.特許発明の技術的範囲=侵害判断における発明の権利範囲
2.発明の要旨=進歩性の判断などにおける発明の範囲

そして、判決は、プロダクト・バイ・プロセス・クレーム(以下「PbPC」)を2種類に分類しています。

A.真正PbPC=「物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するため,製造方法によりこれを行っているとき」
B.不真正PbPC=「物の製造方法が付加して記載されている場合において,当該発明の対象となる物を,その構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するとはいえないとき」

1.の技術的範囲の認定について、真正PbPCか不真正PbPCかによって範囲をどのように認定するのかに関して、今回の判示事項と従来の通説との関係はもう少し調べてみます(ps この部分、1/28に文章を修正しました)。さらに判決では、真正PbPCであることの証明責任は権利者が負う、としています。

2.の要旨の認定についてはどうでしょうか。
判決では、真正PbPCでないかぎり、発明の要旨はクレームに記載された製造方法により製造された物に限定して認定されるべきである、としています。
この判示にはちょっと引っかかりました。

一般に、技術的範囲については、明細書の記載や包袋禁反言などによって範囲が狭まるのに対し、発明の要旨については特許請求の範囲のみによって認定されます。私はその意味するところは、「侵害判断では権利範囲が狭くなったり広くなったりする。特許するかしないかの判断においては、将来の侵害判断において(文言上)最も広く解釈されることを想定し、進歩性などを判断する。」というように理解しています。均等論は別議論です。

ところが今回の事例は、この逆のようです。一般に、発明の要旨を請求項記載の製造方法で製造された物に限定したら、その方が発明の範囲は狭くなるので、特許化される可能性が高くなります。そのようにして特許が成立し、その後の侵害判断において「このクレームは真正PbPCである」と認定されたら、発明の技術的範囲が発明の要旨よりも広がってしまいます。なんかおかしい。

この点についてはもう少し考えてみます。

15年ほど前の経験ですが、EPCでの審査では、PbPCについては無条件にクレームの製造方法を除外して発明を認定し、新規性・進歩性の判断がなされていました。今でもEPCで同じ判断基準が使われているのだとしたら、発明の要旨認定については日本の裁判所とEPCとで基準が相違する、ということになってしまいます。
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山陽新幹線のコンクリートの状況

2012-01-27 19:53:27 | 歴史・社会
もう1ヶ月以上前のニュースなので、ソースは既に削除されてしまいましたが、以下のようなニュースが流れました。
山陽新幹線:トンネル天井からコンクリート片落下
毎日新聞 2011年12月6日
『JR西日本は6日、山口県岩国市周東町西長野の山陽新幹線新岩国-徳山駅間のトンネルで、天井付近からコンクリート片計10個(約940グラム)が落下したと発表した。同日未明の点検で見つかったが、運行に影響はなく、けが人もなかった。
同社新幹線管理本部によると、現場は、第2米川トンネル(438メートル)の徳山側出口付近。コンクリート片は天井付近(地上約6メートル)からはがれ、下り線路のへりに落ちていた。最大で縦20センチ、横11センチ、厚さ3.5センチ、重さ約470グラム。昨年7月、かなづちでコンクリートの異常を確かめる打音検査を実施したが、同社は「その際にたたき落としきれなかったものがはがれ落ちたとみられる」と話している。』
山陽新幹線のコンクリート構造物が損傷したという話を聞くと、以下の本を思い出します。
コンクリートが危ない (岩波新書)
小林 一輔 (著)
岩波書店
1999年に刊行された書物で、最近のコンクリート建造物が欠陥品であることを明らかにしています。
その中でも、山陽新幹線の高架橋などのコンクリート構造物において、劣化の進行が速く、1983年の段階で高架橋が激しく劣化していることが判明しました。建設後わずか10数年です。
その原因は、コンクリート材料として使われた海砂でした。海砂中には高濃度の塩分が含まれています。塩分は鉄筋を激しく腐食させるので、コンクリート材料として用いる場合には塩分を除く必要があります。しかし山陽新幹線高架橋のコンクリートには、塩分をほとんど除去しない海砂が使われていたのです。NHK社会部の斎藤記者は、生コン関係者などからの取材活動を通じて、山陽新幹線高架橋のコンクリートには洗浄されない状態の海砂が一般的に使われていたことをつきとめたのです(1983年)。山陽新幹線高架橋は、コンクリートの強度が設計基準を下回るものが多く、そのことも鉄筋腐食を進行させる原因となっています。
山陽新幹線高架橋がかかえているもう一つの難病は、アルカリ骨材反応です。この難病による劣化現象も1983年頃から、六甲トンネルや岡山、広島地区の高架橋で顕在化していました。アルカリ骨材反応は、アルカリ分(Naなど)の異常に多いセメントの使用が引き金になって起こりますが、海砂中の塩分もアルカリ骨材反応に加担するのです。
アルカリ分の異常に多いセメントが市場に大量に出回った時期は、1969~79年の約10年間でした。山陽新幹線建設の時期と重なります。

著者によると、東京オリンピックが開催された1964年頃を境にして、それ以降に建設された橋梁、建築物のいずれも寿命が短くなっているということです。

以上のような予備知識を持っているので、私は山陽新幹線のコンクリート建造物をまったく信用していません。いずれ10年20年のうちに、山陽新幹線は寿命を迎え、第二山陽新幹線の建造を余儀なくされるだろう、と考えていました。
そこで今回の報道です。現在、山陽新幹線の高架橋やトンネルはどのような状況になっているのでしょうか。
『昨年7月、かなづちでコンクリートの異常を確かめる打音検査を実施したが、同社は「その際にたたき落としきれなかったものがはがれ落ちたとみられる」と話している』とあることから、トンネル内では経常的に劣化が進行しており、その都度かなづちでたたき落として劣化部を除去しているのかもしれません。
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原発事故政府事故調・中間報告~事故後の国の対応・事故対策

2012-01-24 23:17:47 | サイエンス・パソコン
このブログでは、政府が設けた東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の「2011.12.26 中間報告」から、注目される項目をピックアップして内容の抜粋を紹介してきました。

3月11日に福島第一原発を津波が襲った以降、事故の被害を最小限にくい止めるためにどのような措置が執られ、その措置は青山の措置だったのか否かについて、第一原発の構内で行われていた対応に関しては、とりあえず1号機ついて、1月8日に原発事故政府事故調中間報告~1号機の初期状況として記事にしました。

マスコミは事故直後以来、まずは「東電が原子炉の廃炉を恐れて対応が遅れたが、官邸が叱咤して対応させた」と報道し、その後は「東京中央の対応、とりわけ管総理の対応が悪かったので事態を悪化させた」との報道に変化しました。
このような点について、今回の中間報告はどのように認識しているのでしょうか。中間報告の「Ⅲ 災害発生後の組織的対応状況」から抜粋してみました。

末尾の抜粋を読んでいただくとわかるのですが、政府事故調は、中間報告で以下のような評価を行っています。
(1) 原子力安全保安院は経産省にある緊急時対応センター(ERC)に原災本部の事務局を設置し、伊藤哲朗内閣危機管理監は、緊急参集チームのメンバーを官邸地下にある官邸危機管理センターに招集しました。ところがこれとは別に、管総理が官邸5階にコアメンバーを呼び出して独自の議論と指示出しを行いました。
法定の組織(原災本部事務局、官邸危機管理センター)にさらに官邸5階が乱立し、統一の取れた対応が困難になりました。
(2) ERCの原災本部事務局には情報が集まりません。東電本店とオフサイトセンターは現地との間にテレビ会議システムを立ち上げてリアルタイムで情報を入手できる体制を整えていたのですが、ERCメンバーは同じシステムをERCにも導入しようという発想をもつ者がいませんでした。
(3) 情報を持たない保安院が出す指示は、時期に遅れたものばかりで、実際の役には立ちませんでした。
(4) 官邸5階からは、東電の武黒フェローらが現地の吉田所長にあれこれ官邸の意向を電話しました。しかしその意向のうちで採用すべきものは、すでに現地の判断で実施検討開始されていましたし、現地の方針と異なる意向については、現地の吉田所長が官邸の方針ということで重く受け止め、かえって対応を誤らせた可能性があります。
(5) 現地には保安院の保安検査官が駐在していました。しかし現地本部のラウンドテーブルに常駐することがなく、情報を迅速的確に入手できませんでした。さらに理由を付けて現地から撤退してしまいました。こうして、保安院の現地の目となることができませんでした。
(6) 以上のように、国の対応は事故を収束する上で何の役割も果たしておらず、「あのときにこうしていたらもっと良い結果が得られた」というような「惜しい!」という場面は皆無だったのです。
(7) 中間報告では、原子力安全委員会の活動結果評価がまだ不足しています。

マスコミでは事故時の対応として「政府の対応」に注目が集まりますが、この事故調査委員会は、「現地の対応には、さまざまなミスはあったが、少なくとも怠慢はなかった。一方、政府の対応の善し悪しは、今回の事故対応においてクリティカルな影響を及ぼしていない」と認識していたようです。政府事故調はまだ管元総理に事情聴取を行っていませんが、あまり興味がないのでしょう。
以下に中間報告からの抜粋を載せます。

--抜粋はじめ-----------------------------
Ⅲ 災害発生後の組織的対応状況
1 原災法、防災基本計画等に定められた災害対応
(1)総論
、原子力災害対策特別措置法(「原災法」)は、原子力災害の予防に関する原子力事業者の義務、原子力緊急事態宣言の発出、原子力災害対策本部(「原災本部」)の設置、緊急事態応急対策の実施等について規定している。
・・・
(2)原災法第10条に基づく通報後の対応
① 保安院は、原子力防災管理者から10条通報を受けると、・・・経済産業大臣を本部長として経済産業省に設置される同省原子力災害警戒本部(「警戒本部」)において、事故対応に当たる。
・・・
② 内閣官房は、官邸地下にある官邸危機管理センターに官邸対策室を設置し、情報の集約、内閣総理大臣への報告、政府としての総合調整を集中的に行うとともに、事態に応じ、政府としての初動措置に関する情報集約を行うため、各省庁の局長等の幹部(緊急参集チーム)を同センターに参集させる。
③ 安全委員会は、直ちに、緊急技術助言組織を立ち上げる・・・。
④ 現地に駐在している原子力保安検査官事務所の職員は、直ちにオフサイトセンターに参集し、現地警戒本部を設置するとともに、原則として2名の原子力保安検査官(「保安検査官」)が現場に赴き、現場確認を行う。
(3)15条事態発生時の対応
保安院が、実用炉において原災法第15条第1項の規定する事態(原子力緊急事態)が発生したと判断した場合、政府は、以下のとおりの対応をとることとされている。
① 保安院は、経済産業省に設置される原子力災害対策本部において事故対応に当たる。

③ 内閣総理大臣は、原子力緊急事態宣言を公表し、自らを本部長、経済産業大臣を副本部長とする原災本部を内閣府に設置する。
この原災本部の事務局は、保安院長を事務局長として、経済産業省別館3階にある経済産業省緊急時対応センター(ERC)に置かれ、六つの機能班(総括班、放射線班、プラント班、医療班、住民安全班、広報班)から成る。
④ 官邸対策室は・・・。
⑤ 現地においては、経済産業副大臣を本部長として、国の原子力災害現地対策本部(「現地対策本部」)をオフサイトセンターに設置する。(47ページ)

2 事故発生後の国の対応
(1)国の対応の概観
平成23 年3 月11 日14 時46 分の地震発生直後、経済産業省は、震災に関する災害対策本部を設置し、被災地に所在する原子力発電所の原子炉の状況等に関する情報収集を開始した。他方、官邸においては、同日14 時50 分、伊藤哲朗内閣危機管理監(「伊藤危機管理監」)は、地震対応に関する官邸対策室を設置するとともに、関係各省の担当局長等からなる緊急参集チームのメンバーを、官邸地下にある官邸危機管理センターに招集した。
・・・
(2)保安院の対応
保安院は、3 月11 日14 時46 分の地震発生以降、ERC に必要人員を参集させ、六つの機能班(総括班、放射線班、プラント班、医療班、住民安全班、広報班)を編成し、情報収集や必要な対応を行う態勢を整え、さらに、原災本部が官邸に設置されると同時にその事務局がERC に設置された。
  ・・・・
東京電力本店においては、事故発生直後から、社内のテレビ会議システムを用いて福島第一原発の最新情報を得ており、このシステムは、12 日未明までには、保安院職員が派遣されていた現地対策本部(オフサイトセンター)でも使用できるようになり、プラント情報等が共有されていた。
しかしながら、ERC にいたメンバーには、東京電力本店やオフサイトセンターが、社内のテレビ会議システムを通じて福島第一原発の情報をリアルタイムで得ていることを把握していた者はほとんどおらず、情報収集のために、同社のテレビ会議システムをERC に持ち込むといった発想を持つ者もいなかった。また、迅速な情報収集のために、保安院職員を東京電力本店へ派遣することもしなかった。
ERC での情報収集は、例えば、原災本部事務局プラント班の保安院職員が、ERC詰めの東京電力職員に対し、携帯電話で同社本店からプラントパラメーターの情報を収集させ、電話をつないだまま電話口で、口頭で報告させるといった方法で行っていた。
保安院の東京電力に対する指示・要請は、そのほとんどが「正確な情報を早く上げてほしい。」というものであり、時折、監督官庁として具体的措置に関する指導・助言を行うものの、時宜を得た情報収集がなされなかったために、その指導・助言も時期に遅れ、又は福島第一原発のプラントやその周辺の状況を踏まえないものであることが少なくなかった。あるいは、保安院の指示は、既に実施し、又は実施しようとしている措置に関するものが多かったため、現場における具体的な措置やその意思決定に影響を与えることはほとんどなかった(例えば、3 月12 日朝に行われた福島第一原発1 号機のベントの実施命令の発出。また、同日夕方に行われた同原発1 号機への海水注入命令の発出)。(55ページ)

(3)官邸危機管理センター(緊急参集チーム)の対応
3 月11 日14 時46 分の地震発生直後から、官邸地下にある官邸危機管理センターにおいては、緊急参集チームとして、保安院その他の関係省庁の局長級職員や担当職員が集まり、各地の被災状況に関する情報を収集するとともに、避難、物資・機材の調達その他の被災者支援のため必要な対応を検討し、関係部署に対して必要な指示・要請をするなどしていた。
ただし、官邸地下においては、情報保全のため平時から携帯電話が使用できず、携帯電話で事故情報を迅速かつ機動的に収集することが困難であった。また、地震発生後は、原発事故だけでなく、地震・津波等に関する情報収集や連絡も並行して行われたため、回線が混雑し、FAX により関係省庁等から福島原発事故等に関する情報を収集することも困難な状況にあった。
他方、後記(4)のとおり、菅総理ら官邸5 階にいたメンバーは、地震・津波発生以降、官邸5 階の総理大臣執務室又はその隣室等において、避難区域の設定、福島第一原発内の各プラントの現在及び将来の動向とそれへの対応等について検討・決定していたが、緊急参集チームのメンバーは、その経緯を十分把握し得なかった。(57ページ)

(4)官邸5 階
また、この官邸5 階での協議においては、単にプラントの状況に関する情報を収集するだけではなく、入手した情報を踏まえ事態がどのように進展する可能性があるのか、それに対しいかなる対応をなすべきか、といった点についても議論され、その結果、主に東京電力の武黒フェローや同社担当部長が、同社本店や吉田所長に電話をかけ、最善と考えられる作業手順等(原子炉への注水に海水を用いるか否か、何号機に優先的に注水すべきかなど)を助言した場合もあった。
ほとんどの場合、既に吉田所長がこれらの助言内容と同旨の判断をし、その判断に基づき、現に具体的措置を講じ、又は講じようとしていたため、これらの助言が、現場における具体的措置に関する決定に影響を及ぼすことは少なかった。しかし、いくつかの場面では、東京電力本店や吉田所長が必要と考えていた措置が官邸からの助言に沿わないことがあり、その場合には、東京電力本店や吉田所長は、官邸からの助言を官邸からの指示と重く受け止めるなどして、現場における具体的措置に関する決定に影響を及ぼすこともあった(1 号機原子炉への海水注入、2 号機原子炉の減圧・注水等、3 号機原子炉への淡水注入)。(59ページ)
(5)安全委員会の対応
(6)他の政府関係機関等の対応
(7)福島第一原子力保安検査官の活動の態様
3 月11 日14 時46 分の地震発生当時、保安院職員としては、原子炉の定期検査等のため、福島第一原子力保安検査官事務所の保安検査官7 名全員及び保安院本院職員1 名が、福島第一原発敷地内におり、・・・5 名が福島第一原発敷地内に残り、同発電所敷地内の免震重要棟内において、情報収集及び保安院への報告に当たった。
当時、保安院等への連絡は、屋外に駐車した福島第一保安検査官事務所の防災車に搭載された衛星電話を用いて行っていたが、放射線量の上昇に伴い屋外に出ることが困難になり、この電話を用いた連絡ができなくなったことから、3 月12 日5 時頃、前記5 名は、福島第一原発から退避することとし、ERC にいた保安院原子力防災課長の了承を得た上で、オフサイトセンターに退避した。
前記5 名がオフサイトセンターに戻った後の翌13 日未明、海江田経産大臣から、現地に保安院職員を派遣して原子炉への注水作業を監視するようにとの指示があった・・・。
現地対策本部は、・・・4 名の保安検査官の福島第一原発への再派遣を決め、この4 名は、13 日7 時40 分頃から、再び福島第一原発敷地内に常駐し、ローテーションを組んで、情報収集及びオフサイトセンターへの報告を行う態勢をとった。
再派遣された4 名の保安検査官は、免震重要棟内の緊急時対策室に隣接する一室において、東京電力職員からプラント状況等に関する資料を受け取り、東京電力から貸与された同社内部のPHS を用いて、オフサイトセンターに置かれた現地対策本部プラント班に、これらの資料の内容等を報告していたが、免震重要棟の外に出て注水現場を確認することはなかった。
・・・
3 月14 日午後、同日11 時頃の3 号機原子炉建屋の爆発や、その後の2号機の状況悪化を受け、前記4 名の保安検査官は、福島第一原発敷地内にとどまった場合には自分たちにも危険が及ぶ可能性があると考え、オフサイトセンターへ退避することについて現地対策本部に指示を仰いだが、明確な回答が得られなかったため、同日17 時頃、退避することを決め、現地対策本部にその旨を伝えた上で、オフサイトセンターに退避した。
さらに、翌15 日、この4 名を含む福島第一原発担当の全ての保安検査官は、他のオフサイトセンター要員と共に、福島県庁に移動した。
--抜粋おわり-----------------------------
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TPPと健康保険制度

2012-01-21 17:55:42 | 歴史・社会
20XX年、TPP参加であなたの医療が削られる 有名無実化した国民皆保険の未来予想図
知らないと損する!医療費の裏ワザと落とし穴
【第20回】 2012年1月16日 早川幸子

このページでは、『TPPに参加すると医療に市場原理が導入され、国民皆保険が崩壊する恐れが出てくる』と警告しています。

第1に、「抗がん剤は、場合によっては健康保険がきかなくなる」
という問題が提起されています。

TPP以前(つまり現在)は、健康保険で必要な治療は誰でも差別なく受けられていたのに対し、TPPに参加した結果、健康保険の審査業務にアメリカの保険会社が参入してくるというのです。彼らは経済原理ですべてを判断するから、医師が必要な治療だと言っても高価な抗がん剤治療の使用はなかなか認めてくれません。治療実績から判断して、進行性のがんでの抗がん剤使用は保険適用されなくなります。支払いできるのは切除術に関する費用のみになるといいます。

著者の早川さんは「TPPに参加する国民皆保険が崩壊する」といいますが、実は現在でも、国民皆保険は既に内部崩壊していると私は思っています。
特に、高齢者は当然定年退職で組合健康保険から国民健康保険に移っており、高齢者の医療保険は国民健康保険から支払われます。その国民健康保険の収支が完全に崩壊しており、組合健康保険から援助を行っている状況です。

現在は、1年間の死亡者数が百万人です。これが、私たち60歳代が死亡する20年後には、1年間の死亡者数が2百万人に倍増するのです。ガンによる死亡が全体の3割を占めるとすると、ガンにかかる患者の数も2倍に増えることになります。
抗がん剤は非常に高価であることが通例でしょうから、抗がん剤の保険適用を現在と同じように認めていたら、そのことによって国民皆保険制度が崩壊してしまうでしょう。

そう考えると、「進行性のがんでの抗がん剤使用は保険適用されなくなる」ということは、国民皆保険制度を維持する上で必然の選択であるようにも思えてきます。健康保険は、国民相互の互助制度です。ガンによる死亡時期を半年程度先延ばしすることを目的に、何百万円もの保険金を互助会から捻出することが、国民全体の幸福につながっているのだろうか、という論点です。
しかし、このような論点は、議論を始めたとたんに袋だたきに遭う可能性があり、タブー視されるでしょう。そうとしたら、「TPPに参加したせいで進行性のガンに抗がん剤の保険適用が認められなくなった」というのは、「外圧を利用して制度をあるべき方向に改革する」ということで逆に有効かもしれません。

どうしても抗がん剤を保険で賄いたい、という人には、任意でガン保険に加入するという道もあります。

上記ページで早川さんは、TPP参加で医療制度が被る被害として以下の点も挙げています。
『●薬や医療機器の価格が高騰する
日本の医療費は公定価格制で、薬や医療機器の価格も国が決めている。TPPに参加すると、アメリカはこれらの規制を撤廃し、自由に価格を決められるようにすることを要求してくるため、薬や医療機器の値段が高騰する。
●営利目的の株式会社が病院経営に参入
日本の法律では営利目的の病院経営は制限されており、出資者などへの配当の支払いを禁止している。しかし、TPPによってアメリカの民間企業が病院経営に参入してくると、株主に支払う配当を確保するために、患者が受けるべき必要な医療を削ったり、売り上げを伸ばすために過剰な検査など行われる。
●混合診療が全面解禁される
国民の健康を守るために、日本では効果と安全性が認められた治療や薬しか健康保険を適用しておらず、健康保険のきく保険診療と評価の定まらない自由診療を併用する「混合診療」を禁止している。営利目的の株式会社が病院経営に参入すると、治療法や治療費を医療機関が自由に設定できるようにするために混合診療の全面解禁を要求。その結果、医療の安全性が保てなくなったり、お金持ちしか医療の進歩を享受できなくなる。

つまり、TPPに参加すると医療に市場原理が導入され、国民皆保険が崩壊する恐れが出てくるというわけだ。』

薬や医療機器の値段が、保険制度の影響で不当に低い価格に抑えられているのだとしたら、それこそ問題です。自由競争の結果として落ち着いた価格が現在の公定価格よりも上昇するのだとしたら、その価格が妥当だというべきかもしれません。その結果として製薬会社や医療機器会社が正当な利益を得て、より良い薬が生まれることにもなるはずです。

営利か非営利かの差は、出資者に配当するか否かという点のみです。出資者に配当を許さない現在の日本の医療制度が、医療機関の儲け主義を排除しているとはとても思えません。医療法人化していると否とにかかわらず、儲け主義に走った個人病院などいくらでも見つけることができます。病院の株式会社化に抵抗するのは、医師会の既得権益保護に過ぎないと思われます。

「混合診療を全面解禁すると、医療の安全性が保てなくなったり、お金持ちしか医療の進歩を享受できなくなる」というロジックは理解できません。
私が経験しただけでも、歯の治療に保険が効かないセラミックス製のものを用いる場合、現在は混合診療もどきが効いて歯そのものの価格以外の治療費は保険適用になり、とても助かっています。「混合診療が適用されれば、お金持ち以外も高度な医療を受けることが可能になる」というイメージはできますが、その逆はとてもイメージできません。

こうして、医療制度の観点からTPPに反対する人の論を聞いてみても、「医療制度を改革してあるべき方向に変革する上で、TPPが後押ししてくれる」としか聞こえてきません。
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新日鐵住金社長が技術系に

2012-01-19 21:01:36 | 歴史・社会
新日鉄住金、会長に新日鉄・宗岡氏 社長は住金・友野氏
2012/1/6 14:00 日本経済新聞
『10月の合併を目指す新日本製鉄と住友金属工業は新会社「新日鉄住金」の会長に新日鉄の宗岡正二社長(65)が、社長に住金の友野宏社長(66)がそれぞれ就く人事を固めた。統合を主導する両社トップが引き続き陣頭指揮を執り、新体制を早期に軌道に乗せる。
両社は2011年2月に統合検討入りを発表。同年12月に公正取引委員会が合併を承認した。合併比率は新日鉄1対住金0.735。』

今年10月に誕生する新日鐵住金の初代社長が友野宏さんですか。
友野宏さんについては、2009年12月にこのブログで「友野宏氏そして松尾雄治氏」として記事にしたことがあります。
そこでも書いたように、私は某高炉製鉄会社に以前勤務しており、入社から13年間は「製鋼技術」という分野を担当していました。高炉で還元され不純物を多く含んだ銑鉄を、転炉という精錬装置を用いて溶けたままで精錬し、連続鋳造装置で凝固させるまでの工程です。
友野社長も、住友金属工業の和歌山製鉄所に入社し、私と同じ製鋼技術で連続鋳造を担当して働いていました。私より2学年上だと思います。

高炉大手各社の最近の社長を見ると、住友金属が上記のように製鋼技術出身の友野社長であるほかに、JFEにも製鋼技術出身の社長がおられます。JFEホールディングス社長の数土文夫氏で、川鉄社長、JFEスチール社長を歴任しました。数土氏の前に川鉄社長だった江本寛治氏も、やはり製鋼技術出身です。2009年当時の神戸製鋼所社長の佐藤広士氏も、九大冶金出身で入社当時はチタン研究者として活躍されたようです。

これに対し、高炉大手のうちで新日鐵だけは、文系でないと社長になれませんでした。少なくとも私が知る限り、技術系は副社長止まりで社長・会長になった人はいません。
それが今回の新日鐵住金誕生と同時に、はじめて技術系の社長が登場することになったわけです。
これは現新日鐵のエンジニアにとっては朗報ですね。これからは、ぜひ社長をめざして励んで欲しいものです。
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塩野七生著「ローマ人の物語~ローマの終焉」(3)

2012-01-17 21:33:00 | 歴史・社会
前回の第2部に引き続き、第3部です。
ローマ人の物語〈43〉ローマ世界の終焉〈下〉 (新潮文庫)
塩野 七生 (著)
新潮社

《第3部 「帝国以後」》
西ローマ皇帝を廃帝にしたオドアケルは、自分が皇帝に就くのではなく、「レックス」(王)を名乗りました。東ローマ帝国との関係を配慮してのことです。
そして、それまでの西ローマ帝国の統治機構をそのまま活用して統治を開始しました。オドアケルは「客人」、先住のローマ人は「主人」であって、「客人接待(ホスピタリタス)」の関係としたのです。「主人」の資産の三分の一を「客人」に贈与すると決めました。
こうして、オドアケルによるイタリア支配は17年続き、その間の統治は良好に行われました。
オドアケルを排除したのは、東ゴート族の族長であるテオドリックです。彼は東ローマ皇帝の了解の下、東ゴート族を引き連れてイタリアへ進攻します。オドアケルとテオドリックは、2回の戦闘でいずれもオドアケルが負けました。その後両者は講和しましたが、両者の融和を祝す宴が十日目にはいったとき、オドアケルとその家族や主立った部下が突然に殺されてしまいます。
こうしてイタリアの地はテオドリックが統治することとなり、その期間は33年に及びました。このときも、テオドリックによるイタリア統治はうまくいっていたようです。

527年、東ローマ帝国でユスティニアヌス帝(大帝)が即位しました。
大帝と呼ばれるようになったのは、キリスト教から認められたためです。現在も皇帝ユスティニアヌスの功績は以下の3つとされています。
1.ハギア・ソフィア(コンスタンティノープルに作られた壮麗な教会)の建立
2.「ローマ法大全」の編纂
3.旧西ローマ帝国領の再復

ユスティニアヌス帝は、若く優秀な将軍ベリサリウスに海外遠征を託しました。
まずベリサリウス将軍は、長くヴァンダル族の支配が続いた北アフリカを攻め、たった2週間で北アフリカのヴァンダル王国を壊滅させました。

ユスティニアヌス帝は次に、ベリサリウス将軍にイタリア進攻を命じます。ところが、皇帝が将軍に与えた兵力はたったの7500人でした。これでは、さすがのベリサリウス将軍でもイタリア半島の東ゴート王国に勝利することはできません。しかし敗北もしませんでした。その結果、イタリア半島では536年から17年間も戦乱が続くことになってしまったのです(ゴート戦役)。
それまでは平穏にイタリア半島を統治していた東ゴート政権でしたが、この戦乱の時代、東ゴート族はイタリア半島の住民(今までの西ローマ帝国住民)と敵対することになりました。ミラノでは、30万人と言われたミラノの男たちが全員殺され、女たちも全員が奴隷にされるという惨劇が生まれたのでした。ミラノは無人の廃墟と化したのです。
イタリア半島は食糧も欠乏し、住民は大量の餓死に至りました。
552年になって、ユスティニアヌスはようやく、ゴート戦役を決着させる決心がついたようです。しかし総司令官に任命されたのは、52歳のベリサリウスではなく、70歳は超えていたナルセスでした。今回は3万の兵力を投入しました。この中に、1万を超えるロンゴバルド族の男が入っていました。このロンゴバルド族が、ゴート戦役によって疲弊しきったイタリア半島の、次の主になる蛮族だったのです。

552年、ナルセスはゴート軍を破ってローマに入城しました。
『ローマ帝国が健在であった時代は帝国の本国であってイタリアは、土地もそこに住む人々も、18年もつづいたこの戦争によって、考えられないくらいの打撃と被害を受けたのであった。1世紀前の5世紀に繰り返された蛮族の来襲よりも、自分たちとは同じカトリックのキリスト教を信ずるビザンチン帝国が始めたゴート戦役のほうが、イタリアとそこに住む人々に与えた打撃は深刻であったのだ。』

568年、ゴート戦役後はアルプスの北に戻っていたロンゴバルド族が南下し、イタリアの次の主人となりました。
『18年もかけてゴート族を追い出したイタリアなのに、ようやくそれも成ったわずか15年の後に、ロンゴバルド族に奪い取られたことになったのである。このロンゴバルド族による支配は、ゴート族による支配などは支配ではなかった、と思うほどに、イタリア半島に深く酷い傷を残すことになる。』

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こうして、全43巻(文庫版)におよぶ「ローマ人の物語」は終わりました。
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塩野七生著「ローマ人の物語~ローマ世界の終焉」(2)

2012-01-14 23:21:50 | 歴史・社会
だいぶ前の第1部に引き続き、第2部です。
ローマ人の物語〈42〉ローマ世界の終焉〈中〉 (新潮文庫)
塩野 七生 (著)
新潮社

《第2部 ローマ帝国の滅亡》
西ローマ帝国では、「最後のローマ人」と讃えられた将軍スティリコを皇帝が死刑に処してしまい、スティリコに抑えつけられていた西ゴート族のアラリックの暴虐を許し、ローマ市が劫略を受けるに至りました(以上、第1部)。

その後も、皇帝と皇帝を取り巻く宮廷官僚がなす施策は、ローマの滅亡を促進させるような愚策ばかりでした。
紀元425年から450年まで、西ローマ帝国は、幼帝ヴァレンティニアヌス3世の母親であるガッラ・プラチディアが実権を握っていました。この時期、使える将軍としてボニファティウスとアエティウスという2人が働いていました。ガッラは、この2人を有効に働かせることができず、逆に2人を反目させる言動を取ってしまったのです。
北アフリカで指揮を執っていたボニファティウスがアフリカの分離独立を企てているとの噂を耳にしたガッラは、ボニファティウスに召喚の命令を出しました。ボニファティウスは自衛のため、ヒスパニアを支配していたヴァンダル族に応援を頼んでしまったのです。ところがそのヴァンダル族が部族全員を伴ってジブラルタル海峡を越え、北アフリカに進出してきます。ヴァンダル族とボニファティウスの間は戦闘に発展し、最後は西ローマ帝国の一部として栄えていた北アフリカがヴァンダル族に蹂躙される結末に至るのです。442年。

私たちは歴史で「ローマ帝国はゲルマン民族の大移動によって滅亡した。フン族の来襲がゲルマン民族大移動の原因だった。」と習いました。
「ローマ人の物語」でも、ここにおいてフン族が登場します。
ローマ人であるアミアヌス・マルケリヌスが、ゲルマン系の北方蛮族から聞いた情報として、フン族について記しています。
「二本足で動く、人間というよりは野獣。」「何をするにもどこに行くにも馬に乗る。」「馬上のフン族は、まるで人間が馬に釘打ちにされでもしたかのように人馬一体で、それがためにすさまじい突撃力を発揮する。」「彼らの住まいは二輪の牛車で、その内部で、食し、交わり、子を産むなどのすべてをやってしまう。最も本質的な意味で非定住民族であるためか、いかに肥沃な土地であろうと耕作にはまったく関心を示さない。」
さらに著者の塩野氏は、フン族の強さの要因を以下のように分析しています。
「1.目的なし、目的地なし。2.家を持つことに関心なし。3.法律なし。4.家族の守り神を持たない。5.明日の食を確保する考えがない。」
5世紀になると、ゲルマン民族を押し出したフン族がローマ領との境界線とされていたドナウ川に姿を現します。現代のハンガリーと重なる地方であり、ここがフン族の新たな根拠地となりました。

444年、アッティラが、兄の死とともにフン族の族長となりました。これ以降、フン族の脅威は大幅増大します。
アッティラ率いるフン族は、ドナウ川を渡って東ローマ帝国領内の侵略を開始しました。フン族に攻め入られた地域は、フン族が去った後には犬の声もしないといわれるとほどに殺し尽くされ破壊し尽くされました。東ローマ帝国はアッティラに全面降伏です。

アッティラが次に狙ったのは西ローマ帝国でした。しかしここでアッティラは、皇帝が居を構えるラヴェンナを包囲するのではなく、ガリア(現在のフランス)へ向かったのです。フン族の兵士だけなら3万、総戦力は10万に迫ったかもしれないと塩野氏は推定します。ガリアでは、西ローマ帝国の2人の軍司令官のうちで残ったアエティウスがアルルを本拠地にして守備していました。アエティウスは西ゴート族らと反アッティラ連合軍を組んで迎え撃ちました。451年です。そして6月24日、両軍はシャンパーニュの野を舞台に「カンピ・カタラウニチの会戦」と名付けられた戦いを行いました。そしてこの会戦、両軍とも布陣に手間取っているうちに時間が過ぎ、午後の3時過ぎにようやく始まった戦闘は、やみくもに力で押すだけの混戦となりました。そして、日が落ちる頃にはアッティラ側が押される一方となります。
『考えれば、あれほども恐れられていたフン族も、戦闘らしい戦闘をしたとたんに敗れたのだった。蛮族とは、防衛も十分でない民間人を襲う場合にだけ強かったのか、とさえ思ってしまう。』
なぜかアエティウスは追撃せず、アッティラは無事にライン川を渡ってゲルマンの地に逃げ戻りました。
翌年,アッティラは北イタリアに侵攻しました。そして北イタリア全域を略奪して回ります。海上のラグーナに町を作ってできたヴェネチアはこのときに誕生しました。フン族から逃れるために海上に逃げたのです。
ローマは、元老院議員2人とローマの司教レオの3人からなる交渉団をアッティラのもとに送りました。カネを払うからお帰り頂きたいという交渉で、これにアッティラは承諾してアルプスの北に帰って行きました。
そのアッティラが、453年に宴会のさなかに突然死亡しました。この直後から後継者争いでフン族は四分五裂になり、フン族は霧散してしまいました。

パックス・ロマーナの繁栄を誇ったローマ帝国が滅亡の瀬戸際まで追い詰められたのは、皇帝に忠誠を示さないキリスト教が広まったことと、ゲルマン民族がローマ帝国領内に雪崩を打って移動してきたことが原因と言われています。ゲルマン民族はローマ人から見れば野蛮な蛮族でしたが、その蛮族をすら恐れさせたフン族は途方もなく強大であると信じられていました。しかし、アッティラの活動期間はたったの10年程度、それも会戦ではアエティウスに負ける始末です。アッティラが死んだらフン族そのものが霧散してしまいました。この程度のフン族が、本当にゲルマン民族(彼らも野蛮人)を恐れさせたのでしょうか。
真相はというと、それまではドナウ川の北・ライン川の東の森の中で暮らしていたゲルマン民族が、フン族の襲来を一つの契機として、肥沃なローマ帝国領内に移動してきたに過ぎないのかもしれません。カンピ・カタラウニチの会戦から推し量る限り、もしゲルマン諸部族が連合してフン族に当たれば、簡単に撃退できたかもしれないと思いました。

翌454年、皇帝ヴァレンテニアヌスが首都ローマを訪問し、このとき南ガリアからアエティウスもやって来ました。両者の会見の席上、皇帝が突然キレてしまい、自らアエティウスを刺し殺すという暴挙に出たのです。
翌日、皇帝は元老院で釈明しますが、元老院議員の一人は言いました。「陛下、陛下の思いが何であったのかはわたしにはわかりません。だが、わたしでもわかるのは、あなたは、左腕で右腕を斬ってしまわれたということです」

フン族の霧散という好機を活かすことができず、西ローマ帝国は皇帝自身の愚行によって自壊の道を辿っていきます。

455年には、北アフリカに君臨していたヴァンダル族がローマ市を襲います。ローマ市は無抵抗で略奪に任せました。

その後、西ローマ帝国が単独で北アフリカのヴァンダル族を攻撃しようとして事前に失敗し、東西両ローマ帝国が共同でヴァンダル族を攻撃しようとしてやはり失敗しました。いずれも、ヴァンダル族のゲンセリックの計略にやられてしまったのです。もはやローマ帝国軍に機略も軍略もありません。このとき、東ローマ帝国は西ローマ帝国を見捨てました。

そしてオドアケルの登場です。私たちは中学・高校で「傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国は滅亡した」と教わりました。
実際には、西ローマ軍で働く蛮族の将軍たちが、待遇改善要求をしたのに皇帝から拒否され、オドアケルを頭目に立てて武力闘争に出た、というだけのことでした。オドアケルは戦争に勝ち、ラヴェンナに入場して皇帝ロムルス・アウグストゥスを退位させました。オドアケルは、自分が帝位に就くわけでもなく、他の誰かを帝位に就かせたのでもありません。それだけのことですが、こうして誰も気づかない間に西ローマ帝国が滅亡していたのでした。476年です。

以下次号。
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日本のリーダー教育で何が足りないか

2012-01-11 22:49:00 | 歴史・社会
日本が抱える教育問題について、非常に具体的な事例で分からせてくれる話を読みましたので、ご紹介します。
ここでいう教育問題は、国民があまねく受けるべき教育というより、「リーダー」と呼ばれることを目指す人が受けるべき教育です。タブー語を用いれば「エリート教育」ということもできます。

日経ビジネスオンラインから
そこまでヒドイの? ケア・テーカーと呼ばれている日本人支社長たち
大上 二三雄
2012年1月6日(金)
『古い米国人の友人が半年ほど前、日本の大手メーカー米国本社に幹部として転職した。先日、彼と暫くぶりに邂逅し食事をした席、酒が廻ったあたりで話題は、彼の勤務先における日本人駐在員の評価に移った。
 ・・・・・
余程言いたいことが溜まっていたのか、彼の毒舌は続く。
「彼らは、日本にある本社の事情は良く知っている、だがそれ以外の事には驚くほど無知だ。役割に応じたスキルは不足しておる、学ぶ意思も無い。ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ」』

国際社会で生き抜いていくためにはどのような能力と知識が必要なのでしょうか。
『目標を提示し、能力に応じた各人の役割を規定し、進捗に応じ情報収集の上適確に判断を下し、次のアクションにつなげていく。いわゆるPDCA(Plan Do Check Action)のサイクルを廻して行く能力。このような当たり前の能力こそが、最も重要である。』とした上で、以下のように論じています。

『次に重要なのは、日本に関する知識である。その中でも、重要なのは現代日本の政治経済や社会、それから明治維新以降の近代史であろう。平安や江戸時代の話は、ファンタジーや教養としての意味が有るが、必須科目であるとは思わない。多様性の中で、近代・現代日本の政治経済や社会を語っていくためには、それと世界を対比して行くことが望ましい。アジアや欧米の近代史に日本を対比して語らうことが出来るようになれば、ある程度の評価を得ることが出来る。

日本以外の先進国やアジア諸国は、階級社会(Class Society)により成り立っている。ビジネス分野に於いてそれは、MBAプロトコルと呼ばれる見えない壁を形成している。MBA資格の有無が重要なのではなく、「話が出来る相手かどうか、を見極める手段である。この文化の根源は、ギリシャ時代の自由市民(Free Citizen)に遡ることが出来る。すなわち、一定レベルの教養(Liberal Arts)を習得した者のみが、自由かつ平等な権利を有する市民たり得る、という考え方である。』

日本の各界でリーダーたらんとする若者は、上の話を心して聞くべきです。
何か付け加えようと考えましたが、上の引用にすべてが現れています。

戦後の日本の教育は、「国民にあまねく同じ教育を」という方針でなされてきたと思います。一方、上記の議論で「リーダーに必須」とされている教養(リベラルアーツ)は、すべての国民に必須というわけではありません。リーダーを志す、おそらく同学年日本人のうちの10%程度が身につけていれば十分と思われます。そして、このような素養を身につけるのは、現在の6334制でいったら高校と大学教養課程でしょう。
現在の日本では高校はほぼ全入、大学は同世代人口の約50%が進学しています。このうちから同世代人口の10%程度の学生が身につけるべきリベラルアーツは、どのようにして修学したらよろしいのでしょうか。
おそらく、高校進学の時点で、リベラルアーツを修養する高校とそうでない高校とに道が分かれるのでしょう。その場合、リベラルアーツを修養する高校に進学した生徒は、大学受験の詰め込み教育から解放される必要があります。どのような入試制度になるのでしょうか。
いずれにしろ、これは「エリート教育」として戦後一貫して日本でタブーとされてきた方向ですね。

ところで、上記のような制度が過去には日本に存在しました。旧制高校です。私が父親から聞いた限りでは、知識を必要とする入学試験は高校受験までです。ひとたび高校に入学すると、旧制高校では学生がお互いに切磋琢磨し合い、詰め込み教育はありません。大学入試は、さほど勉強せずともクリアできたようです。“大学では勉強した”と父親は言っていました。
旧制高校制度は、戦後進駐軍によって解体され、消滅しました。“日本を弱体化するための陰謀”といわれていますが、結果からすればその通りになりました。

もう一点、教養(リベラルアーツ)を備えていなくても、欧米人から尊敬を受けることができる場合があります。日本文化を深く心得ている場合です。上記記事は続きます。

『アジアの末端に位置する日本では、入りこんできた様々な文化が熟成され、渾然一体となり完成されている。このような日本の伝統的な文化、例えば芸術や宗教、伝統的な儀式、皇統などについてその経緯から現在までを語ることが出来れば、階級社会における見えない地位は、間違いなく向上する。
筆者の友人の奥様は、修学旅行以外は京都を出たことが無い和菓子屋の娘さんであったが、茶道や華道、日本舞踊などを一通り修めていた。ご主人のロンドン赴任に同行したところ、英語が全く話せなかったにも関わらず、彼女はあっという間にパーティの花形となった。
そのうち、スペインやフランスの貴族たちのパーティにお呼びが掛かるようになり、今では国際的にアンティーク家具を商う貿易商として、ロンドンの社交界を中心に活躍している。和を極めることがグローバルに繋がる、良い例と言えるだろう。』

同じ話を深田祐介氏の「新西洋事情 (1975年)」「西洋交際始末 (1976年)」のどちらかで読みました。そこでは、華道のたしなみがある日本女性がアメリカで尊敬を集めた話が載っていました。
身近なところでは、茶道の心得があるとずいぶん役に立つようです。私の母親は茶道をやっていまして、父親のビジネスで外人が来日したときにはわが家で茶道を披露するのが恒例になっていたと聞きました。
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原発事故政府事故調中間報告~津波対策と原子力安全保安院

2012-01-09 10:11:59 | サイエンス・パソコン
1月2日にこのブログの記事「原発事故政府事故調中間報告~津波予防対策」において、今回の原発事故で津波の来襲に事前に備えることができなかったことに対し、東電にはどのような責任があったのかについて、今回の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の「2011.12.26 中間報告」から検証を行いました。

一方、津波を予測して予防対策を講じることができなかった点について、もちろん国の責任を第一に考えるべきです。そこで、今回の中間報告において国の責任をどのように評価しているのかについて、中間報告の「Ⅵ 事故の未然防止、被害の拡大防止に関連して検討する必要がある事項」から抜粋してみました。

--抜粋はじめ-----------------------------
(2)原子力安全に関する規制機関
我が国の発電用原子炉施設は経済産業大臣が所管しており、その安全規制は、経済産業省資源エネルギー庁の特別の機関として、発電用原子炉施設の安全確保等のために設置された保安院(原子力安全・保安院)が行っている。
これらの規制当局が行う安全規制について、内閣府に設置された安全委員会(原子力安全委員会)が、その適切性を第三者的に監査・監視しており、安全規制の独立性、透明性を確保している(図Ⅵ-3 参照)。
また、保安院の技術支援機関として、独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)があるが、JNES は、法律に基づく原子力施設の検査を保安院と分担して実施しているほか、保安院が行う原子力施設の安全審査や安全規制基準の整備に関する技術的支援等を行っている。(368ページ)

(5)改訂指針に基づく耐震バックチェック指示等の経緯(津波評価部分)
a 津波評価に関するバックチェック指示の経緯
保安院は、平成18 年9 月19 日の安全委員会による耐震設計審査指針等の耐震安全性に係る安全審査指針類(以下「新耐震指針」という。)の改訂を受けて、翌9 月20 日、「新耐震指針に照らした既設発電用原子炉施設等の耐震安全性の評価及び確認に当たっての基本的な考え方並びに評価手法及び確認基準について」(以下「バックチェックルール」という。)を策定するとともに、各電力会社等に対して、稼働中及び建設中の発電用原子炉施設等について耐震バックチェックの実施とそのための実施計画の作成を求めた。
保安院は、耐震バックチェックの実施・報告の指示時に、バックチェックルールにおいて、津波に対する安全性を含めて耐震安全性評価における評価手法及び確認基準も示したが、その内容及び検討経緯は以下のとおりである。
(a)バックチェックルールにおける津波関連の記述
津波の評価方法として、既往の津波の発生状況、活断層の分布状況、最新の知見等を考慮して、施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性のある津波を想定し、数値シミュレーションにより評価することを基本とし、水位上昇・低下の双方に対して安全性に影響を受けることがないことを確認するとともに、必要に応じて土砂移動等の二次的な影響について確認することを求めている。(388ページ)

(6)貞観津波等についての知見の進展
b 行政機関における津波評価の動向
①推本「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(平成14年7 月)
平成7 年に発生した阪神・淡路大震災を踏まえ、地震防災対策特別措置法に基づき総理府(当時)に政府の特別の機関として地震調査研究推進本部(推本)が設置された(現・文部科学省に設置)。
三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのプレート間大地震(津波地震)については、1611 年の三陸沖、1677 年の房総沖、明治三陸地震と称される1896 年の三陸沖のものが知られているが、これら3 回の地震は、同じ場所で繰り返し発生しているとは言い難いため、固有地震としては扱わないこととするとともに、同様の地震は三陸沖北部海溝寄りから房総沖の海溝寄りの領域内のどこでも発生する可能性があるとしている。(392ページ)

(7)津波対策の進展や耐震バックチェック指示等を受けた福島第一原発等に関する東京電力の対応や社内検討の状況
b 東京電力が平成20 年に行った福島第一原発及び福島第二原発における津波評価、対策に関する社内検討
(a)社内検討に至る経緯
保安院による前記(5)a記載の津波評価に関するバックチェック指示を受けて、東京電力は、福島第一原発及び福島第二原発に関する作業を進めたが、津波評価を検討する過程において、平成14 年7 月に公表された推本の「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」で述べられている「1896 年の明治三陸地震と同様の地震は、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域内のどこでも発生する可能性がある。」という知見をいかに取り扱うかが問題となった。
東京電力は、推本の長期評価に基づき津波評価技術で設定されている三陸沖の波源モデルを流用して試算した結果、それぞれ福島第一原発2 号機付近でO.P.+9.3m、福島第一原発5 号機付近でO.P.+10.2m、敷地南部でO.P.+15.7m といった想定波高の数値を得た。
この波高を知った吉田昌郎原子力設備管理部長(吉田部長)の指示で、武藤栄原子力・立地副本部長(原子力担当)(武藤副本部長)らに対する説明及び社内検討が行われることとなった。(400ページ)


(8)福島第一原発等の津波対策に関する保安院の対応
a 保安院が、東京電力による津波評価等を認知した経緯
(a)保安院からの説明要求
東京電力から提出されていた福島第一原発5 号機及び福島第二原発4 号機における耐震安全性評価の中間報告書に対する評価が、平成21 年6 月及び7 月、「総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会地震・津波、地震・地盤合同ワーキンググループ」(以下「合同WG」という。)において行われていた際、合同WGの委員から、貞観三陸沖地震・津波を考慮すべき旨の意見が出された。
かかる貞観三陸沖地震・津波の指摘を踏まえ、保安院の審査官が、平成21年8 月上旬頃、東京電力に対し、貞観津波等を踏まえた福島第一原発及び福島第二原発における津波評価、対策の現況について説明を要請した。
これを受け、東京電力の担当者は、吉田部長に対応ぶりを相談し、これまでに決定された東京電力の方針、すなわち、「①貞観津波については、その知見が確定していないことから、電力共通研究として土木学会で検討してもらい、標準化をする。②耐震バックチェックは、平成14 年の津波評価技術に基づき実施する。③貞観津波については、土木学会による検討や今後実施予定の津波堆積物調査の結果を踏まえ、改めてバックチェックを実施し、必要があれば対策工事を行う。」という方針を、佐竹論文に基づく試算の結果得られた波高の前記数値と共に保安院に説明する意向である旨述べたところ、吉田部長から了承が得られたが、波高の試算結果については、保安院から明示的に試算結果の説明を求められるまでは説明不要との指示がなされた。(401ページ)

(c)平成21 年9 月7 日頃なされた保安院に対する説明
東京電力は、保安院から貞観津波に関する佐竹論文に基づく波高の試算結果を説明するよう要請されたことを受けて、吉田部長の了承を経て、平成21 年9月7 日頃、保安院において、室長らに対し、準備した資料を使いながら、貞観津波に関する佐竹論文に基づいて試算した波高の数値が、福島第一原発で約8.6m から約8.9m まで、福島第二原発で約7.6m から約8.1m まで(全てO.P.)であったことを説明し、これらの説明に使用した全ての資料を室長らに渡した。
このような説明を受けて、保安院の審査官は、波高が8m 台なら、津波がポンプの電動機据付けレベルを超え、ポンプの電動機が水没して原子炉の冷却機能が失われることを認識した。しかしながら、保安院の室長らは、前記説明に係る津波発生の切迫性を感じず、保安院として新しい知見を踏まえた原発の安全性について説明を求められる程度には至っていないと考えたことから、東京電力に対し、担当官限りの対応として福島第一原発及び福島第二原発における津波対策の検討やバックチェック最終報告書の提出を促したものの、対策工事等の具体的な措置を講じるよう要求したり、文書でバックチェック最終報告書の提出を求めることまではせず、森山善範審議官(原子力安全基盤担当)(以下「森山審議官」という。)等の上司にも報告、相談しなかった。また、森山審議官は、自らが原子力発電安全審査課長として出席していた前記(a)記載の合同WGの委員による貞観三陸沖地震・津波の指摘以降、自ら部下に対して貞観三陸沖地震・津波に関する話の進展等を尋ねることはなかった。
東京電力は、前記のような保安院の態度を踏まえ、説明した東京電力の前記(a)記載の方針につき、保安院の了承が得られたものと考えた。(402ページ)

b 東京電力による津波堆積物調査への対応
保安院は、平成22 年5 月、東京電力から、前記(7)c記載の津波堆積物調査の結果について報告を受けた際、東京電力に対し、津波堆積物が発見されなかったことをもって津波がなかったと評価することはできないなどとコメントしたが、具体的な行動を東京電力に求めることはなかった。
なお、森山審議官は、同年3 月、福島第一原発における津波対策の状況を部下に尋ねたところ、「東京電力は、津波堆積物の調査をしている。貞観の地震による津波は、簡単な計算でも敷地高は超える結果になっている。防潮堤を造るなどの対策が必要になると思う。」旨の報告を受け、福島第一原発で防潮堤を必要とする程度の敷地高を超える波高の試算結果が存在することを認識するに至った。ところが、かかる試算結果を認識したにもかかわらず、森山審議官は、具体的な波高数値を部下や有識者に確認せず、貞観三陸沖地震・津波の話を前記合同WGにて様々な新知見を有識者に議論してもらうこともなかった。当委員会によるヒアリングに対し、森山審議官(ヒアリング当時は原子力災害対策監)は、そのときの認識について、「平成21 年に合同WGの委員から指摘を受けたときとあまり認識は変わっていない。この段階でも、(津波が)大きくなるということはあっても、量的な認識はなかった。津波堆積物調査を始めとする様々な調査をして評価をしつつある過程であり、貞観三陸沖地震についての調査はそれほど進展していないと認識していた。津波の認識は低く、情報の受け止め方の感度がよくなかった。」などと供述している。(403ページ)

c 保安院が、平成23 年3 月7 日に実施した東京電力に対するヒアリング
(a)ヒアリングに至る経緯
保安院は、推本が平成22 年11 月に「活断層の長期評価手法(暫定版)」を公表したことを契機として、平成23 年2 月22 日頃、保安院原子力発電安全審査課と文部科学省地震・防災研究課との意見交換を行い、文部科学省から、推本の長期評価につき貞観三陸沖地震に関する最近の知見も踏まえた改訂を同年4 月頃行う予定であるとの情報を得た。
保安院は、国の機関である推本が貞観三陸沖地震の知見を踏まえた長期評価の改訂を行えば、保安院として長期評価の改訂を踏まえた福島原発の安全性確保に関する説明を求められる事態に進展するおそれがあると考え、意見交換会当日のうちに東京電力に連絡し、長期評価が改訂される情報に接したことを告げるとともに、福島第一原発及び福島第二原発における津波対策の現状について説明を要請した。その結果、東京電力が、近日中に、文部科学省と長期評価の改訂を巡る情報交換を行う予定であったので、その報告と併せて福島第一原発及び福島第二原発における津波対策の現状を説明することとなった。
(b)ヒアリングの内容
平成23 年3 月7 日、保安院において東京電力に対するヒアリングが行われた。
東京電力は、同月3 日に文部科学省で開催された推本の長期評価改訂に関する情報交換会の概要を説明するとともに、文部科学省に対し、「貞観三陸沖地震の震源はまだ特定できていないと読めるようにしてほしい。改訂案は貞観三陸沖地震が繰り返し発生しているかのようにも読めるので、表現を工夫してほしい。」などと要請したことを紹介した。
次に、福島第一原発及び福島第二原発における津波評価、対策の現状につき、以下の内容を説明した。
津波評価については、資料を使いながら、①平成14 年の津波評価技術で示されている断層モデルを用いた試算結果、②平成14 年の推本の長期評価に対応した断層モデルに基づいて試算した福島第一原発及び福島第二原発における想定波高の数値が(ケース1)明治三陸沖地震(1896 年)のモデルを用いた場合には、それぞれ福島第一原発で8.4m から15.7m まで、福島第二原発で7.2m から15.5m まで、(ケース2)房総沖地震(1677 年)のモデルを用いた場合には、それぞれ福島第一原発で6.8m から13.6m まで、福島第二原発で5.3m から14m までとなるが、平成22 年12 月の津波評価部会での審議における三陸沖北部から房総沖の海溝寄りプレート間大地震(津波地震)の考察にて、福島県を含む南部領域については前記房総沖地震(1677 年)を参考に波源を設定する旨の方針が出されていること、③貞観津波に関する佐竹論文の断層モデルを用いた場合、それぞれ福島第一原発で8.7m から9.2m まで、福島第二原発で7.8m から8.0m まで(用いた断層モデルは、平成21 年9 月の説明に用いたものと同じ。ただし、潮位データをより安全サイドに立って採用した。)となることを説明した。
さらに、福島第一原発及び福島第二原発の津波対策については、平成24 年10 月を目途に結論が出される予定の土木学会における検討結果如何では、津波対策として必要とされ得る対策工事の内容を検討しているが、同月までに対策工事を完了させるのは無理である旨説明した。
このような東京電力の説明に対し、保安院の室長らは、「4 月の推本の公表内容によっては、保安院から指示を出すこともある。また、女川のバックチェック最終報告の審議において貞観津波が話題になることが予想され、その審議状況によっては口頭で指示を出すこともあり得る。」旨を述べ、さらに、審査官は、「土木学会による検討の結果、平成24 年10 月に津波評価技術の改訂がなされることとなった場合に、その後でバックチェックの最終報告書が提出されれば、世間的に見たらアウトになってしまう。なるべく早く津波対策を検討してバックチェック最終報告書を提出してほしい。」旨を述べた。このように、保安院は、何らかの指示を今後行うことがあり得る旨の予告については行ったが、他方で東京電力に対し、対策工事を実施するよう明確に要求し、バックチェック最終報告書の提出を文書で求めるなどの踏み込んだ対応は行わなかった。また、保安院の室長らは、前記ヒアリングの内容を上司に報告相談せぬまま、3 月11 日の地震の日を迎えた。
他方で、東京電力は、仮に今すぐ平成14 年の津波評価技術を基にしたバックチェックの最終報告書を提出したとしても、貞観津波の最終的な断層モデルが未確立ゆえ合同WG における審議が円滑に進まない可能性があることから、福島地点津波対策ワーキングにおける社内検討を進め、前記土木学会の検討により津波評価技術が改訂された場合に、それに基づく必要な対策工事を終えてからバックチェックの最終報告書を提出するのが現実的であると判断した。(403ページ~)

8 原子力安全委員会の在り方
安全委員会は、保安院等の規制当局が行う安全規制についてその適切性を第三者に監査・監視しており、安全規制の独立性、透明性を確保している。また、規制当局が行った安全審査をレビュー(二次審査)するための評価基準として、専門家の意見を聴取し、安全設計審査指針等の指針類を制定している。このほか、防災基本計画に基づき、特定事象発生の通告を受けた場合、直ちに緊急技術助言組織の招集等を行うことになっている。
安全委員会については、当委員会の調査・検証において同委員会の在り方が問題として浮かび上がっている面は少ないが、これまでの調査では、耐震設計審査指針の改訂作業において十分な体制を取れなかったのではないかとの問題が指摘されており(前記3(4)参照)、原子力発電所の地震・津波対策のための指針の策定が十分かつ迅速であったかなどについて今後も検証を続ける必要があると考えている。
また、安全委員会の策定した指針類への適合性は、保安院での原子炉施設の安全審査において審査されており、安全委員会による二次審査は形骸化しているとの指摘もあり、規制当局の在り方にも関わる事項であるから、引き続き調査を行いたい。(462ページ)
--抜粋終わり-----------------------------

こうして中間報告を読んでみると、原子力安全保安院も、津波の可能性については十分に予測可能であったことがうかがえます。
平成21 年6月及び7月、「総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会地震・津波、地震・地盤合同ワーキンググループ」(合同WG)において、福島第一原発の耐震安全性評価中間報告書に対する評価が行われていた際、合同WGの委員から、貞観三陸沖地震・津波を考慮すべき旨の意見が出されていました。そしてこの議論に基づいて、保安院は東電に検討を命じ、検討結果の説明を受けていたのです。説明を受けた保安院の審査官は、波高が8m 台なら、津波がポンプの電動機据付けレベルを超え、ポンプの電動機が水没して原子炉の冷却機能が失われることを認識しました。
保安院の森山善範審議官(原子力安全基盤担当)をはじめとする責任者がこの問題に真剣に取り組んでいれば、平成23年3月に至るまでに何らかのより好ましい対応がなされていた可能性があります。
今回の原発事故に関しては、保安院の責任を厳しく追及すべきでしょう。

ところで、今回の中間報告では、原子力安全委員会の影が薄いです。報告書で「これらの規制当局が行う安全規制について、内閣府に設置された安全委員会(原子力安全委員会)が、その適切性を第三者的に監査・監視しており、安全規制の独立性、透明性を確保している」と認めているにかかわらずです。
安全委員会については最終報告できちんと評価するのかもしれません。それを期待しましょう。
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