弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

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杉並世田谷散歩徒然

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レッド・ストーム・ライジング再読

2022-05-27 23:25:51 | 歴史・社会
トム・クランシー著「レッド・ストーム作戦発動(ライジング)」(
文春文庫 1987年第1刷
この本が出た直後に読んでいたと思います。今から35年前です。
当時のソ連とNATO軍の間の全面戦争(通常兵器)を描いたものです。
なぜ全面戦争になったのか。アゼルバイジャン人の反政府グループ数名により、ソ連の石油精製基地と大油田が破壊され、ソ連での石油供給が危機的な状況に陥りました。この危機に際し、ソ連中枢の政治局は、「それでは戦争を起こしてNATO諸国を屈服させ、その上で中東の石油を頂戴すれば良い」との結論に至りました。
主戦場は、東ドイツ国境から西ドイツになだれ込んだソ連陸軍と、NATO陸軍との陸戦です。
第2の戦場は、米国から欧州への軍需物資海上輸送を舞台とする、米海軍(空母、巡洋艦、原子力潜水艦)とソ連空海軍(長距離爆撃機、潜水艦)との戦いです。
第3の戦場は、アイスランドです。

現実に起こっているウクライナ戦争との関連で、何か得るところがあるのではないか、ということで、この本を読み直してみました。35年も経っているのに、戦争の実態は現代とさほど変わらないように感じました。
気がついたところを列挙してみます。

《ソ連における重要な政策の決定メカニズム》
政治局会議に、政治局員と政治局員候補が出席します。この小説の主人公の1人が、政治局員候補のセルゲトフです。セルゲトフは、まだ対NATO戦争が計画されていることを知らされていません。
国防大臣が話し始めました。「ペルシャ湾を奪う前に、まずやるべきことがある。政治的および軍事的勢力としてのNATOを除かねばならないのだ」
さらに外務大臣の発言を聞き、セルゲトフは、すでにKGBが中心となって政策が決定済みであることを理解しました。
セルゲトフが発言します。「われわれにNATOを打ち破る力があるのですか?」
「もちろんだ」と国防相が答えます。「何のために軍があると思う? われわれはすでにおもだった司令官と協議した」

共産党一党支配のソ連時代と、プーチン専制の現代のロシアとで、誤った情勢判断のもとでの誤った政策決定がなされる様子がよく似ていることを感じました。

《戦闘の計画》
国防相は、「目的は二週間で、たぶんもっと早く達成できると推定している。しかしNATO軍の力もかなりのものだろうから、推定日数を二倍にして30日と見よう。」とします。
ソ連軍は今から4カ月間で完全に戦闘作戦準備を整え、突如としてNATO軍に対して奇襲を仕掛ける計画です。

この小説の主人公の1人が、ソ連の南西戦域軍副司令官のアレクセーエフです。南西戦域軍総司令官との会話での発言です。「奇襲に失敗すれば、われわれは大規模な消耗戦を余儀なくされるでしょう。1914年から18年にかけての戦争のハイ・テクノロジー版というわけです」
ソ連海軍がアメリカからのNATOへの再補給を阻止できること、という条件もくわわります。

以上を読んでいて、プーチン専制ロシアの政策決定の様子と、当初は短期決戦を目指しながら実現せず、消耗戦に陥っている現状とあまりにも似ているのでびっくりします。

《米国フリゲート艦 対 ソ連潜水艦》
アメリカ海軍対潜フリゲート艦<ファリス>のモリス艦長は、この小説の主人公の1人です。
フリゲート艦と、艦搭載の対潜ヘリコプター、P3Cオライオン対潜機の共同作戦で、ソ連のフォックストロット級潜水艦を1隻、撃沈しました。
「(フリゲート艦の)艦橋要員はみんな笑顔を浮かべていた。・・・彼らにはまだ、自分たちと同じような青年を100人も殺すのを手伝った、北大西洋のものすごい水圧でその生命を絶ったのだ、という意識はなかった。」(上・433)

日本のニュース番組は、ウクライナ戦争のニュースで、ロシアの戦車が破壊されている写真を何気なく放映しています。砲塔が外れるほどに破壊された戦車では、搭乗していた4人の兵士は遺体も残らない状況で死亡しているはずです。死亡したロシア兵にはそれぞれ母親がいます。ニュース放映は、死亡したロシア兵とその母親を悼む気持ちが皆無であることに、私は違和感を覚えます。

《ハンブルグ郊外での戦闘》
計画では36時間でハンブルグ郊外へ達するはずでしたが、いまだにぜんぜん達していません。ソ連軍の損害は予想の2倍に近いです。NATO軍も兵器をいちじるしく消費しています。(上・488)

(ソ連側の評価)「北部はこのところ膠着状態です。現在もっとも深く侵入している距離はわずか100kmあまりにすぎません。予定はすっかり狂い、損害は予想をはるかに上回っています。双方ともですが、わが軍の方が甚大です。われわれは、NATO軍の対戦車兵器の恐るべき性能を過小評価していました。砲兵隊がそれを充分に阻止できないので、わが軍は大きな突破口を開くまでにいたりません。」(上・569)

『眼下に広がる破壊はすさまじいものだった。あらゆる道路に焼け焦げた戦車かトラックがあるように思われた。・・・航空機、車両、そして人間の黒焦げの残骸が、絵のように美しいドイツの田園をハイ・テクノロジー兵器の廃品置き場と化している。・・・一つ一つの道路、一つ一つの小村に攻防戦の跡があった。・・・村そのものは、砲撃とそれに伴う火災とでほぼ完全に破壊されていた。』(上・570)

ウクライナ戦争を報じる戦況写真とぴったり同じです。

《西ドイツ上空の制空権》
『(空軍の将軍の説明に)「いまの話だと、NATO軍が制空権を握っているということだな」とアレクセーエフが言った。
「いや、そんなことはない。双方とも握っていない。戦線上空を敵が支配することはわれわれの地対空ミサイルが拒んでおり、われわれによる支配は敵戦闘機が--彼らの地対空ミサイルと、それから味方のミサイルに助けられて!--拒んでいるのだ。戦場の上空はどちらのものでもない」死者のものだ、と空軍の将軍は思った。』(下・17)

ウクライナ上空の制空権がときどき話題になります。「ロシアは制空権を確保していない」ということです。小説における上記記述は、陸上戦闘を支援するに際しての制空権の実態をよく説明していると思いました。地対空ミサイルが跋扈している地域では、どちらも制空権を確保することができないのですね。

《ソ連軍の前線司令部》
『(ソ連軍の)師団本部では、作戦士官が師団への無線連絡網を使って新しい命令をあたえはじめた。
川のむこう側5キロのところで、155ミリ砲を擁するドイツの砲兵1個中隊が満を持していた。かれらは鳴りを潜め、通信傍受の専門家が敵師団本部の位置を突き止めるのを待った。そして砲手はすばやく目標データを射撃管制コンピューターに入れ、ほかの者が高性能炸薬の詰まった砲弾を装填した。中隊のすべての砲が同じ箇所に狙いを定めた。つづけざまの射撃が始まり、大地が震動した。
ものの2分と立たないうちに、師団本部の中や周囲に100発の砲弾が落下した。幕僚の半数が即死した。』(下・63)

ウクライナ戦争で、ロシアの参謀総長が最前線を視察した際、ウクライナ軍によって指揮所が砲撃され、参謀総長は難を逃れたが負傷、指揮所の200人がやられた、というニュースがありました。この小説における上記情景と同じことが再現されたのでしょうか。

《NATO軍の対戦車ミサイル》
(アレクセーエフ)「問題はあの軽量の新しい対戦車ミサイルだな。3名の乗るジープは、道路を疾走し、さっと狙いをつけて、ミサイルを1発か2発発射すると、こちらが反撃する前に去っていき、数百メートル離れたところで、同じことを繰り返す。以前、防御火力はあんなに強くなかった。」(下・170)
「四輪車に3人が乗り、1人が運転、1人が装填、そして1人が発射を受け持ちます。道路の曲がり角の木に隠れて、待ち受けるのです。わが軍の縦隊が見えると、そうですね、2kmの距離からミサイルを発射します。かれらは指揮官の戦車--アンテナを立てたやつ--を狙うように訓練されています。ミサイルが命中して、それが最初の警報になることもしばしばです。かれらはもう1回発射してさら1台破壊し、こちらが砲撃せよと連絡する前にさっと逃げていきます。5分もすると、今度はべつの場所から同じことをやるのです。」(下・192)

ウクライナ戦争では、携帯型対戦車兵器ジャベリンが大活躍しています。1人が肩に背負い、もう1人が操作します。自動追尾なので正確に狙う必要がなく、その点で小説の対戦車ミサイルと相違します。一方、小説の対戦車ミサイルは、訓練を積んだ射手が射撃すれば甚大な効果を発揮するわけで、その点ではジャベリンの現代と同じような効果を発揮していたようです。

《ドイツの戦車部隊》
「同行の歩兵部隊はスティンガー対空ミサイル隊を配置し」(下・446)

ウクライナ戦争でスティンガー対空ミサイルの話を聞きますが、35年前にすでに実戦配備されていたのですね。

この小説の「著者のノート」によると、著者のトム・クランシーは1983年、ウォー・ゲーム「ハープーン」を考案したラリー・ボンドと知り合い、さらに「ハープーン」のシステムを使った「会戦」マクロゲーム「コンヴォイ-84」を使って「北大西洋の戦闘」を戦わせることを話し始めました。このアイデアに基づいてできあがったのがこの小説です。
もし現代版のウォー・ゲームがあれば、ウクライナ戦争についても極めて正確なシミュレーションができそうです。
しかし、ニュースでの解説を聞いていると、40年近く前のウォーゲームの方がよっぽど、正確に戦闘の状況を予測しているように思われます。
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私の履歴書・里中満智子さん

2022-05-22 13:05:50 | Weblog
日経新聞の5月の「私の履歴書」は、マンガ家の里中満智子さんです。
5月21日の「(20)国際交流 ソウルで深めた相互理解 アジア各地で毎年サミット」2022年5月21日 日経新聞
に、おもしろい記事が掲載されていました。
95年、韓国のマンガ家から、「ソウルに来て大臣に会ってもらいたい」と頼まれました。日本の漫画の海賊版が多くて困っているのだが、改善されないので、日本の作家から直接、政府に働きかけてほしい、ということでした。里中さん1人では力不足と思い、ちばてつやさんと一緒に行きました。そこでのエピソードです。

『歓迎会で聞いた韓国のマンガ家の話も興味深かった。彼らの多くは日本の漫画に親しんで育ってきたが、それが日本人の作品だと知ったときは「ショックで一週間くらい落ち込んだ」という。
「日本人は鬼だと聞かされて育ったから、これほど感動的な漫画を描けるとしたら日本にいる同胞だろうと思った。でもマンガ家が全員、同胞というのもあり得ない。悩むうちに気づいた。自分は人から聞いた日本人像に囚われて、リアルな日本人を知らないのだと。そこで思い切って日本に行って、日本人と話をするうち、日本人イコール鬼ではなく、当たり前の人間なのだと分かった」と言われた。』

韓国における反日教育がいかに徹底しているかがこれでわかります。このエピソードは95年に聞いた話ですが、現在でも反日教育が同じように続いているのだとしたら、韓国人の過半が、「日本人は鬼だ」と心から信じていることになります。
大統領が反日の人から親日の人に代わったとしても、韓国という国が親日に変わることはできないでしょう。国民が許しません。

今回の「私の履歴書」にはもう一つ、おもしろい話題が掲載されていました。
上記、韓国のマンガ家との交流がベースとなって、「アジアMANGAサミット」がスタートしました。
『台湾の漫画研究者にこう言われた。「日本の漫画のヒーローに世界が感動するのは、自分と関係のない人のために命を懸けるからだ。他の国のヒーローは、国家や友人や家族など自分と関わりのある人のために頑張る。」漫画から国際的な相互理解が深まることは大いにある。』
ヒーローが命を懸ける動機には、日本と諸外国の間にこのような相違があったのですか。これは新しい気付きでした。
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第2次上海事変と南京事件

2022-05-14 12:17:41 | 歴史・社会
阿羅健一著「日中戦争はドイツが仕組んだ―上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ」については、このブログで第1回第2回として記事にしました。

その第2回でも記載したとおり、第二次上海事変については、その後の泥沼の日中戦争の発端となったし、また直後の南京大虐殺の契機にもなった事変でしたが、日本ではさほど知られていませんでした。
このブログでは、『上海での第百一師団(2007-08-28)』、『加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」(3)(2009-01-29)』において、第二次上海事変の戦線に送り込まれた日本軍兵士たちがどのような体験をしたのか、秦 郁彦著「南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)」の記述に基づいて言及しました。
「二ヶ月半にわたる上海攻防戦における日本軍の損害は、予想をはるかに上回る甚大なものとなった。(戦死は1万5千を超えるのではないか)
 なかでも二十代の独身の若者を主力とする現役師団とちがい、妻も子もある三十代の召集兵を主体とした特設師団の場合は衝撃が大きかった。東京下町の召集兵をふくむ第101師団がその好例で、上海占領後の警備を担当するという触れこみで現地へつくと、いきなり最激戦場のウースン・クリークへ投入され、泥と水の中で加納連隊長らが戦死した。
 『東京兵団』の著者畠山清行によると、東京の下町では軒並みに舞い込む戦死公報に遺家族が殺気立ち、報復を恐れた加納連隊長の留守宅に憲兵が警戒に立ち、静岡ではあまりの死傷者の多さに耐えかねた田上連隊長の夫人が自殺する事件も起きている。
 日本軍が苦戦した原因は、戦場が平坦なクリーク地帯だったという地形上の特性もさることながら、基本的には、過去の軍閥内戦や匪賊討伐の経験にとらわれ、民族意識に目覚めた中国兵士たちの強烈な抵抗精神を軽視したことにあった。
 ・・・
 ともあれ、上海戦の惨烈な体験が、生き残りの兵士たちの間に強烈な復讐感情を植え付け、幹部をふくむ人員交替による団結力の低下もあって、のちに南京アトローシティを誘発する一因になったことは否定できない。」
《第2次上海事変状況図》

第2次上海事変が起きたのは、蒋介石が「日本軍と闘って日本を上海から追い落とす」という明確な意思を持っていたからです。
ドイツに指導された強固な縦深陣地を、上海市を取り囲むように築き、同じくドイツ製の最新兵器で武装した精鋭部隊を配置しての戦闘開始でした。少なくとも上海で守備に就く日本海軍特別陸戦隊を殲滅する目標は有していました。その目標は達せられませんでしたが。

それでは上海戦前、日本はどのような戦略を有していたのでしょうか。
孫氏の兵法に従うのであれば、「敵を知り己を知る」ことが重要です。蒋介石が上海の周辺に強固なトーチカ陣地を構築していること、その陣地及び蒋介石軍は、ドイツの指導とドイツからの輸入兵器によって強力な戦闘力を保持するに至ったことを、日本軍は知っていたのか知らなかったのか。阿羅健一著書によると、ドイツの指導及び陣地の構築を、日本軍はうすうすは感づいていたものの、その実力が非常に高いレベルに到達していたことには何ら気づいていなかったようです。

簡単に済むと思っていた上海戦でこのような苦戦を強いられたことは、日本を逆上させました。戦闘は上海で終わらなかったのです。
上海戦は最後、11月5日に日本の第10軍が杭州湾に上陸することによって大きく動きました。中国軍は、杭州湾への日本軍上陸を知って一気に崩れたのです。中国軍は潰走しました。
杭州湾に上陸した第10軍司令官の柳川平助中将は、独断で南京攻略に進撃しようとします。その上の中支那方面軍司令官の松井石根大将ももともとは南京攻略論者でしたから、柳川中将に引きずられていきます。参謀本部は当初南京攻略に反対でしたが、結局は現地軍の意向に引きずられ、南京攻略を許可してしまいます。
そしてその南京で、南京虐殺が発生してしまいます。
秦 郁彦著「南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)」の記述
ともあれ、上海戦の惨烈な体験が、生き残りの兵士たちの間に強烈な復讐感情を植え付け、幹部をふくむ人員交替による団結力の低下もあって、のちに南京アトローシティを誘発する一因になったことは否定できない。

石射猪太郎氏は、大正から昭和初期の外交官です。
石射猪太郎著「外交官の一生 (中公文庫BIBLIO20世紀)」については、こちらこちらで紹介しました。
このブログの石射猪太郎日記(3) 2008-11-30に、以下の内容を紹介しました。
石射猪太郎日記
石射 猪太郎
中央公論社

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昭和13年1月6日
○上海から来電,南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る。略奪、強姦、目も当てられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の廃頽の発露であろう。大きな社会問題だ。

南京でなぜこのような惨事が発生したのか。上記に述べたとおりです。
盧溝橋事件が収束に向かっていたとき、蒋介石は上海で日本の海軍陸戦隊に対して戦いを挑んできました。第2次上海事変の勃発です。日本は増援部隊として、陸軍を派遣し、上海の北の海岸に上陸しました。日本陸軍は、上海付近の中国軍は弱小であると見くびっていたのですが、実はドイツの指導でドイツ製の武器を装備し、縦深陣地を築いて待ち受けていたのです。
日本陸軍は思いもしなかった激戦で甚大な被害を被り、1万5千人からの戦死者を出しました。思いもしなかった損失で生き残った日本兵は復讐心に燃え、そのまま南京に向かって惨事を引き起こしました。

さて、第2次上海事変とそれに続く南京虐殺の話、現代のウクライナ戦争に繋がります。
ロシアは戦車隊によってウクライナに攻め込みましたが、その戦法たるや、一本道を一列縦隊で進行するのみです。「優勢な敵に遭遇するはずがない」との前提がなければ成り立ちません。ところがウクライナ軍は、アメリカ提供のジャベリンなどを装備し、一列縦隊の戦車に襲いかかったのです。ロシア軍の被害は、ウクライナが公表する映像から明らかです。見えるのは、破壊されたロシアの戦闘車両ばかりです。戦車の砲塔が吹き飛んでいれば、乗員4人は遺体も見つからないでしょう。戦死者は、第1次上海事変の日本軍の戦死数を上回っているようです。
思いもかけぬこのような惨状に遭遇して、ロシア軍の兵士が逆上して残虐になったとしたら、それは第2次上海事変当時とよく似た状況といえます。
ウクライナが公表しているロシア軍による残虐行為は、プーチンが命じているわけではなく、司令官が命じてもいないと思われます。現地の末端の兵士たちの精神が正常ではなくなった結果として行為が発生し、上官はそれを黙認している、というのが実態ではないでしょうか。

ウクライナにおける今回の悲劇は、プーチンによるロシア軍のウクライナ侵攻がその原因ですが、惨状を大きくしているのはウクライナ軍の善戦でロシア兵に甚大な被害が発生したことに起因しています。

「戦争は、起きてしまったら泥沼である。戦争が起きないように最大限の努力を払うべきだ。」という点を、今回は身にしみました。
プーチンの侵攻を思いとどまらせるため、アメリカとウクライナはNATO加盟を目標としないことを明らかにすべきだったし、アメリカは参戦するかしないかをあいまいにしておくべきでした。
それに加えて、ウクライナ軍がどの程度に強力化しているのかについて、プーチンにわかるように明確化しておくべきだったと思います。強力な軍隊を保持する目的は、実際に戦争をして勝つためではなく、「抑止力」を発揮するためであり、抑止力になるためには、相手方に当方が強いことを認識させることが必須だからです。
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知床遊覧船とアマチュア無線

2022-05-11 21:24:09 | 知的財産権
日常的にアマチュア無線使用、電波法に抵触も 観光船「KAZU 1」運航会社
5/10(火) 日テレNEWS
『北海道の知床沖合で観光船が沈没した事故で、運航会社が船との連絡手段として、本来は業務での使用が認められていないアマチュア無線を日常的に使っていたことがわかりました。』
『一方、不備が指摘されている連絡手段について、観光船「KAZU 1」の運航会社は、事故以前にも日常的にアマチュア無線を使っていたことが関係者への取材でわかりました。
アマチュア無線を業務で使うことは電波法で禁じられています。
国交省は、小型旅客船への緊急対策として、全国の事業者に運航基準の徹底と、常時通信可能な通信設備の確実な積載を求めることを表明しました。』

知床連絡船事故とアマチュア無線の関係について、やっとニュースが出始めました。
私が「知床遊覧船の通信手段 2022-04-30」で記事にしたように、沈没したカズワンはアマチュア無線機器を搭載し、当時知床連絡船の事務所はアンテナが折れていて無線が繋がらなかったが、同業他社の人がその人の施設に設置したアマチュア無線機器でカズワンの船長と連絡が取れ、その同業者が118番通報した、という事実が報道されていました。その後、「アマチュア無線」というニュースが出なくなっていたのですが、今になって再度出始めました。

「携帯電話」「衛星携帯電話」も無線による通信ですが、ここで「無線」という場合、携帯や衛星携帯は意味せず、狭い意味での「無線通信」が該当します。会話を行う双方が、特定の周波数で電波通信を行うトランシーバーを設置し、トランシーバー間で直接に通話を行うやつです。携帯のように間に基地局を介さず、衛星携帯のように間に人工衛星を介していない点で相違します。
アマチュア無線も、「無線」の一種です。ただし、操作できる人はアマチュア無線技士資格取得者に限られ、会話の内容に業務連絡を含むことはできません。従って、カズワンが事務所との業務連絡にアマチュア無線を用いていたのであれば、明らかに違法です。
しかし、アマチュア無線というのは魅力なのですよね。簡単に入手でき、しかもトランシーバーが安価です。違法に手を染めたくなる気持ちはわかります。

合法的な無線通信手段は、おそらく「国際VHF」と呼ばれている無線の規格でしょう。船舶側が「船舶局」、陸側が「海岸局」として認められる必要があります。5W規格の船舶局の運用には3級海上特殊無線技士(3海特)、海岸局、25W規格の船舶局の運用には2級海上特殊無線技士(2海特)の資格が必要です。

今から20年ほど前、私が山口県で暮らしていた頃、私が関係していたヨットハーバーで、無線機器を正規のものに整備しようとの話が持ち上がりました。そのヨットハーバーを拠点とするヨットクラブで、海上のモーターボート(指導・救助船)と陸側の待機所(ヨットハーバー)の間での無線通信を目的とします。まずは、海に出る関係者の全員が3海特の資格を取得しました。全員が1ヶ所に集まり、1日の講習と検定試験で資格を取得することができます。次に、ヨットハーバーを運営する団体の職員2名が2海特の資格を取得しました。ヨットハーバーに設置予定の海岸局を運用するためです。
ところが、海岸局の設置がなかなか進みません。ヨットクラブ側としては、自分たちのヨットクラブの仲間内での通信を目的としています。ところが、聞いてみると、海岸局というのは、私的な集団が仲間内で使うような運営は許されず、設置する海岸を含む沿岸での半ば公共で用いる無線局が要請されていたようなのです。ヨットハーバー側にはもともとそんなつもりはありません。行政側と連絡を取りながら計画を進めていたはずなのですが、行政もその点に気づくのが遅かったのかもしれません。
結局、私が関係していた期間内には、そのヨットハーバーに国際VHFの海岸局、船舶局は開設されませんでした。3海特、2海特の資格だけは取得したのですが・・・。
ちなみに私も1日の講習で3海特を取得し、「これだったら勉強すれば上の資格も取得可能だ」と気付き、勉強して資格試験を受け、1海特を取得してしまいました。

船舶と陸側との間で正規の無線を運用しようとすると、以上のようなめんどうなことが待っているようです。こっそりとアマチュア無線に手を出してしまう気持ちもわかるというものです。

私は子供の付き添いで、ジュニアヨットの大会出場のために各地のヨットハーバーを回りました。琵琶湖大会では、地元の琵琶湖ジュニアヨットクラブが世話をしてくれました。使っていた無線機器は、市民バンドでした。これなら合法です。しかしうわさでは、市民バンドというのはトラック野郎に独占され牛耳られている、ということでしたが、実態はどうなのでしょうか。
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知床遊覧船事故

2022-05-03 14:22:36 | 歴史・社会
先日、遭難した知床遊覧船の通信手段について記事にしました。
船には船長の携帯電話が備えられていましたが、遭難して沈没する直前、船長の携帯は圏外で通話不可でした。同業他社の人が自分の施設で(アマチュア無線らしき)通信手段を用いて船長と連絡が取れ、緊急事態ということでその人が118番通報しました。ドコモは通話できたらしく、船長はドコモの携帯を所有している乗客から携帯を借り、ごくわずかな通信を行いました。
確かに通信手段は極めてお粗末でしたが、では、本来装備していた衛星携帯電話(事故当時は故障で使用不可)が機能していたら状況が好転したかというと、結論的には何の助けにもならなかったでしょう。船が水没するまでの僅かな時間、アマチュア無線や乗客の携帯での通信実績とほとんど変わらない程度の通信しかできなかったはずです。

今回の極めて悲惨な水難事故は、「当事者が海を甘く見ていた」ことに尽きます。
○ 他社の遊覧船はまだ営業しておらず、当日は当該船のみが運行していた。
○ 出港時は穏やかだったが、知床岬から折り返した頃に予報通りに強風と荒波に襲われた。最寄りの港(ウトロ港)は遠く、自力でたどり着くことは困難。
○ 沈没前に船外に脱出しても、海面を漂うしかない。水温は5℃以下で、1時間程度しか生存できない。
○ 天気予報に対応して、漁船も出航を見合わせており、付近には救助に向かえる船が皆無だった。
これでは、どんな通信手段を備えていても、乗客乗員が助かる可能性は皆無です。また、同社の運行基準に基づいて運行管理者(社長)が事務所に勤務し、無線連絡手段が生きていて定点連絡を実施したとしても、午前中に港に戻るように引き返さない限り、今回の遭難は防げませんでした。

船長はなぜ出港し、社長はなぜ出港を認めたのか。またなぜ早々に引き返さなかったのか。おそらく、船長も社長も、海の恐ろしさを知らなかったのでしょう。
社長が海の恐ろしさを知らなかったら、船長を任命するに際し、たとえ船長が海の恐ろしさを知らなかったとしても、任命してしまうでしょう。
今回の遭難事故の原因は、突き詰めると以上に集約されてしまいます。

今後、事故の再発防止のための制度作りが始まるのでしょう。
議論は、「マニュアル作り」の方向に進む可能性があります。しかし、船長やその任命者が海の恐ろしさを知らない場合に、マニュアルだけで事故を防止することは困難です。もしやろうとしたら、極めて安全サイドのマニュアルしかできないでしょう。そして、マニュアル通りに運用したら、遊覧船はほとんど出航できなくなる可能性もあります。
今回も、同社の運行基準には、「予報などで波高が1.0メートルに達する恐れがある場合は出航を中止」と定めているにもかかわらず、出航したのですから、マニュアルを作っても守られなければ何もなりません。

ところで、カズワンの前任の船長が語ったという記事があります。
知床遊覧船沈没 前船長の悲痛告白「引継ぎもろくにできないまま」桂田社長の“散財”、社員との衝突、そして解雇通告… 4/30(土) 文春オンライン
前船長が同社に入社したのは約12年前のこと。同業他社の船長や地元の漁師たちに操船を教わりました。前船長が初めて舵を握るまでに、3年の月日を要したといいます。
「僕の他にもう1人の船長、営業担当、事務員、駐車場係など計4名の顔なじみのスタッフがいました。その方たちと一昨年のシーズンまで、遊覧船『KAZU I』と『KAZU III』を運航してきました」

2017年5月、高齢となった創業社長が、約4000万円で事業を譲渡。その経営権を買い取ったのが、地元のホテルチェーン「しれとこ村グループ」の代表取締役社長・桂田精一氏(58)でした。
2021年3月、前船長とその他の従業員が解雇されました。
「前船長の後を継ぐことになったのが、甲板員になってわずか3カ月の豊田徳幸氏(54)だった。」
「突然の解雇だったため、引継ぎもろくにできないまま、ウトロを後にしました。それまで豊田さんには、船の操縦や機器の使い方を説明したこともありましたが、僕がかつて教わったように、つきっきりで指導したわけではありません」

遊覧船の船長が具備すべき資格については以下の記事があります。
船舶に二種免許はないのか? いまザワついている船の疑問にバスマガ記者が解説! 5/2(月) ベストカー
小型船舶とは総トン数20トン未満の日本の船舶のことで漁船は除き、基本的に船長一人で操縦できる船舶だ。小型船を操縦するには小型船舶操縦士の免許が必要。
小型船舶操縦士の免許は一級と二級、特殊小型(水上オートバイ)の3種に分類される。航行できる区域の違いで二級は平水と海岸から5海里以内で一級には制限がない。
免許の区分はこれだけ(年齢による限定免許等は除く)だが、旅客船や遊漁船の操縦をする場合は特定操縦免許という免許が別途必要。試験はなく小型旅客安全講習を受講すれば取得できる。この講習はほぼ1日かかり、海難時の救命や本物の救命いかだを使用して内部の艤装品(備え付けの備品)を知り、その後の漂流にともなうサバイバル術を学ぶ。

今回の事故では、遭難後のサバイバル術では生還できない状況です。出航する/しない、途中で撤退する/しない、の判断のみが重要でした。

私は、1990年発行の四級小型船舶操縦士免許(旧四級)を持っています(失効中)。旧四級は現二級に対応するようですので、免許を更新して有効化した上で、小型旅客安全講習を受講すれば、私も知床遊覧船の船長資格が得られるのですね。それだけで、海水温5℃以下の知床の海に、乗客20人を乗せて船長として出港するなど、あまりに無謀すぎます。
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知床遊覧船の通信手段

2022-04-30 12:29:28 | 歴史・社会
今回の知床遊覧船事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。また、行方不明の方が1日も早く発見されることをお祈りします。

遭難した知床遊覧船の通信に関して、昨日まではさまざまな情報が錯綜していました。
「会社の屋根に設置しているアンテナが折れていた。」
「会社から船長に連絡してもつながらない。同業者が自分の施設でアマチュア無線で呼びだしたところ、連絡がつき、その同業者が118番通報した。」

それに対して昨日、以下の情報が上がりました。
事故直前に通信手段“変更”申請…なぜ衛星電話から“エリア外”の携帯に 4/29(金) テレ朝ニュース
『確実な通信手段がない状態で出航した「KAZU1」。小型船舶の検査機関を所管する国土交通省への取材で、新たな事実が浮かび上がってきました。
今月20日の検査のとき、法令で設置が定められている通信手段を、衛星電話から携帯電話に変更したいとの申請があったことが新たにわかりました。豊田船長への確認、また、漁業関係者からの「つながる」との情報もあったため、変更を認めたうえで、検査は合格としています。全国的に、通信手段の確認は、自己申告を基に行われているため、実際につながるかどうかは確認していないということです。・・・
地元で30年以上の経験がある漁師に聞きました。業務連絡は、衛星電話で行うのが当たり前だといいます。』

「法律で遊覧船に通信設備の設置が義務づけられている中、遭難事故の当日は、携帯電話が通信手段であった」というのが正しい認識でしょうか。
ところが、知床半島の先端付近では、携帯が圏外となる可能性が高い、というのが実態だとのことです。
船長との携帯のやりとりが一時的には可能であり、また乗客が家族に「沈没する」と携帯で伝えていることから、完全に圏外ではなかったようです。

さて、今月20日までの通信手段であった「衛星電話」とは、多分イリジウムのことだと思います。地球上どこでも、多数のイリジウム衛星の一つと船内の衛星電話が無線でつながり、必要とする相手と通信ができます。会社側は普通の電話回線でも繋がるはずです。そうとすると、「折れていた会社屋上のアンテナ」は必要ありません。あのアンテナは何なのでしょうか。

同業者がアマチュア無線で船長と連絡したということです。ということは、船にアマチュア無線機器が搭載されていて、事故当時に船長はアマチュア無線で通信が可能だったということです。会社の折れていたアンテナは、アマチュア無線用のアンテナなのかも知れません。
しかし、アマチュア無線を遊覧船の業務に使用することは法律違反です。どのような実態があったのでしょうか。

私は、船舶無線というと、国際VHFを思い浮かべます。超短波を用いた無線通信で、船上に船舶局、会社に海岸局を設置します。船舶局の運用には3級海上特殊無線技士の資格が必要で、海岸局の運用には2級海上特殊無線技士の資格が必要です。
しかし今回の報道では、国際VHFの話題は一切登場しません。最近の実務では、もう衛星電話に集約されているのでしょうか。衛星電話であればなんの資格も必要ないでしょうから。

遊覧船事故の報道でも、「通信手段について何が問題だったのか」そろそろ正しい報道に集約してほしいものです。

ps 4/30 以下の報道がありました。
航路の大半が通信圏外の携帯 船長が通信手段と申請 観光船の事故前検査で 4/30(土) 北海道新聞
『海事局によると、日本小型船舶検査機構(JCI)札幌支部が20日、船舶安全法に基づく年1回の中間検査を行った際、豊田船長が通信手段を衛星電話から携帯電話に変更すると申請した。JCI側が「海上でつながるか」と確認すると、船長は「つながる」と答え、その場で変更を認めた。
船舶安全法は20トン未満の小型船舶の通信手段として携帯電話の使用を認めている。ただ、通信事業者の公式サイトによると、豊田船長が申請した携帯は航路の大半がエリア外だった。
これとは別にカズワンを運航する知床遊覧船は海上運送法に基づき、緊急時の連絡手段として衛星電話と無線を届け出ていた。だが関係者によると、衛星電話は少なくとも1年前から故障し、無線も数カ月前から同社事務所のアンテナが壊れ、自社では受信不能だった。』
上記記事の「無線」の意味が不明です。アマチュア無線が海上運送法で認められるはずがないし、とすると国際VHFでしょうか。
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特許庁基幹システム開発の失敗

2022-04-26 19:05:06 | 歴史・社会
特許庁の基盤システム開発の失敗の経緯については、このブログで「特許庁システム開発で何が起こったのか 2013-01-08」として記事にした経緯があります。
日本では、昨年デジタル庁が発足し、特に行政において遅れている業務コンピュータシステムの最適化推進が叫ばれています。
ところが、先日「日経・もがくデジタル庁 2022-04-24」で記事にしたとおり、デジタル庁は残念ながら悪い方向に進んでいるようです。

そういう意味ではすでに手遅れかもしれませんが、特許庁におけるシステム化の失敗は、行政の業務システム改善時に遭遇する問題点が顕著に現れているので、ここにブログ記事を再掲します。

特許庁システムの失敗について、以下の記事が最も詳細に事件を追っていました。
55億円無駄に、特許庁の失敗 2012/12/10 出典:日経コンピュータ 2012年7月19日号
《2004年、特許審査や原本保管といった業務を支援する基幹系システムの全面刷新を計画》
従来の政府のシステムは、構築とメンテに膨大なコストがかかっていました。これを低コストのシステムに入れ替えようという考え方のようです。
特許庁の情報システム部門担当者(以下A職員)が調達仕様書を作成しました。
『業務プロセスを大幅に見直し、2年かかっていた特許審査を半分の1年で完了することを目指した。度重なる改修によって複雑に入り組んだ記録原本データベース(DB)の一元化に加え、検索や格納などの基盤機能と法改正の影響を受けやすい業務機能を分離し、保守性を高めるという野心的な目標を立てた。一方で、全ての情報をXMLで管理するなど技術的難度が高く、十分な性能を出せないなどのリスクを抱えていた。』
ところが、仕様書の骨格が固まった2005年7月、A職員は異動となりプロジェクトを離れたのです。「役人の2~3年ローテーション制度」の弊害によるのでしょうか。

《2006年7月に入札を実施》
○ 一般競争入札
○ 大規模プロジェクトについては分割発注を原則
一般競争入札の恐ろしさ、それは、“安い入札価格の業者が本当に実力を有しているか”の判断を、利用者側が下さなければならないことです。正しい判断を行うためには、利用者側がシステムに精通している必要があります。
『落札したのは東芝ソリューションだった。技術点では最低だったが、入札価格は予定価格の6割以下の99億2500万円。これが決め手となった。』

《2006年12月プロジェクト開始開始》
『特許庁は東芝ソリューションにこんな提案をしたという。
 「現行業務の延長でシステムを開発してほしい」。
業務プロセス改革(BPR)を前提にシステムを刷新するのではなく、現行システムに機能を追加する形でシステムを開発しようというわけだ。』
恐ろしいことです。
プレーヤーは3者です。
①ユーザーの利用部門
②ユーザーのシステム部門
③システムベンダー(東芝ソリューション)
システム設計方針の大幅変更が、システム開発にどのような影響を及ぼすのか、しかるべき部署がきちんと評価する必要があります。しかし①が方針変更の要求を出し、それに対して②が待ったをかけられませんでした。③は言われたとおりに進めるしかありません。
東芝ソリューション(東ソル)は、現行の業務フローを文書化するため、2007年5月までに450人体制に増強しますが現行業務の把握に手間取りました。遅れを取り戻すため、2008年には1100~1300人体制にまで増員しましたが、さらなる混乱をもたらしました。ただただ、現行業務について聞き取った結果を書き写した書類が積み上がるばかりです。

《2009年4月、A職員プロジェクト復帰》
プロジェクトの仕切り直しを図り、開発範囲を当初の仕様書ベースに戻すことにしました。
『とはいえ本格的にプロジェクトを立て直すには、現行システムを担当するNTTデータの参画が必要なのは明らかだった。分割発注に基づくアプリケーション開発をNTTデータが落札すれば、現行業務の把握など懸念のいくつかを解消できると見込んだ。』

《2010年6月、NTTデータ等が特許庁職員にタクシー券などの利益供与をしたことが明らかに》
NTTデータ社員と特許庁の職員は逮捕されました。A職員も入札前の情報を東芝ソリューションに提供していた事実が認められ、プロジェクトを再び離れました。NTTデータには6カ月の指名停止処分が下りました。
万事休すです。

《2011年頃、プロジェクトはほとんど「開店休業」》
プロジェクトの破綻は明らかでしたが「開発中止」を認定・判断するプロセスがなかったのです。
『苦肉の策として持ち出されたのが、贈収賄事件を機に2010年6月に発足した調査委員会だった。同委員会をベースとした技術検証委員会は2012年1月に「開発終了時期が見通せない」とする報告書を公開。この報告書を根拠に、枝野幸男経済産業大臣がプロジェクトの中止を表明した。プロジェクト開始から5年が経過していた。』
(以上)

私が最も関係している省庁で、このようなことが起きていたのですね。
失敗の経緯をたどってみると、大規模システム開発で陥りやすい罠にすっぽりとはまっていることがわかります。
ニュースでは、「開発に失敗した東芝ソリューションが悪い」ということで烙印が押されているようです。東ソルに問題があるのはもちろんですが、もっと大きな問題があります。

1.競争入札でシステムベンダーを選定する際、ベンダーの実力が不明な中、一番安い見積もりベンダーに落札していいのかどうか、発注側が最も悩むところです。今回はまずそこで失敗がありました。
2.基幹業務システムを構築する際、システム設計では利用部門とシステム部門が相談して仕様を決めます。利用部門はシステムについて素人ですから、「今やっている業務をベースにしてもっと便利に」としか提案しません。それを鵜呑みにしてシステム設計したら、膨大な冗長システムができあがってしまいます。あくまで、業務改革とベアでシステム設計すべきです。今回も当初はそのような方針でしたが、途中で利用部門の声に押されて「現行業務ベース」に変更になってしまいました。
3.私も製鉄所の現場でエンジニアとして働いていたとき、職場のシステム更新の仕事を横目で見ていました。利用部門にもシステム担当者がおりましたが、長いことシステム専任でした。そうしないと使えるシステムは作れないからでしょう。それに対して特許庁は、システム担当者を異動させてしまいました。
4.悪いことに贈収賄事件が勃発し、頼みとしていたNTTデータの参画が不可能になると共に、A職員が再度離脱しました。

業務のコンピュータシステムの改善では、どのようなシステムにするのかについて強い信念を有し、リーダーが強力にリーダーシップを発揮しない限り、その効果を十分に発揮することはできません。
成功例は、先日「私の履歴書・野路國夫氏 2022-04-23」で紹介したコマツの例です。
そして失敗例が、上記特許庁の事例となるでしょう。
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モデルナジャパン社長・鈴木蘭美さん

2022-04-25 00:00:41 | Weblog
日経新聞夕刊のシリーズ記事「人間発見」、4月18日~22日は、モデルナ・ジャパン社長の鈴木蘭美(すずきらみ)さんでした。
第1回 4月18日
第2回 4月19日(写真は通学路だった巴波川沿いの遊歩道)
第3回 4月20日(写真はUCLで博士号を得たとき)
第4回 4月21日(写真はエーザイ時代2015年)
第5回 4月22日

私は鈴木蘭美さんについて全く存じ上げませんでした。日経のシリーズ記事を読んでも、全経歴が凄すぎて、まだ全体像がつかめずにいます。ネットでも、鈴木蘭美さんの情報は極めてわずかです。
まずは、年代に沿ってまとめてみます。こちらの情報も援用しました。

母の実家の栃木県栃木市で生まれた。
3歳の時両親が離婚、父の記憶はほとんどない。
小学校1年生まで東京の鶯谷や金町で過ごした。母が働いていたので鍵っ子。
6年生で栃木の祖父母に預けられた。
中学からは埼玉県飯能市の自由の森学園に通い、寮生活となった。鈴木さんはのびのびしすぎて勉強に身が入らなかった。
このまま日本にいたらずっと遊んでしまうと思い、中学卒業後は海外への留学を志した。母からは「高校までは日本にいなさい」と言われたので、高校には行かずに大検に合格しようと考えた。当時は理系は苦手だったが、大検に向けて勉強するうちにサイエンスの世界に引かれていった。
まず向かったのはスウェーデン。英語を猛勉強し、最上級の英語検定とされる英ケンブリッジ大学の「ケンブリッジプロフィシエンシー試験」を受けた。
18歳でウェールズ大学に入学。
エクスター大学で修士課程に進んだ。
ここで学友2人が相次いでガンを患った。2人が苦しむ姿を目の当たりにして、ある朝「私はガンを完治するために生まれてきた」とのメッセージが心に焼き付いた。それをドイツ人教授に話すと、教授は、親友のバウム教授を紹介してくれた。バウム教授はユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の医学部で乳がんを専門とする外科医だった。教授はマイクロ・オヘア教授を紹介してくれた。
オヘア研究室で働くことになり、実験助手的な仕事をした。先生は奨学金の手続きまでしてくださり、おかげで1999年、UCLで博士号を取ることができた。
インペリアル・カレッジ・ロンドン(ICL)でポスドクとなり、乳がんの研究に取り組んだ。
2000年4月、日本のベンチャーキャピタルITXの欧州事務所(ロンドン)に就職した。欧州とイスラエルのヘルスサイエンスに投資をする仕事だった。
2004年エーザイ・ヨーロッパに転職。2006年にエーザイ入社、2016年にはエーザイ本社の執行役となり、がんとアルツハイマー型認知症の治験薬の開発に取り組んだ。
2017年にヤンセンファーマに移り、がん、結核などの薬を出すとともに、重度うつ病の開発にも取り組んだ。
21年秋(ヤンセンファーマからフェリング・ファーマに移って10ヶ月後)、モデルナ・ジャパンの社長になるよう誘いを受けた。
『mRNAは人類の歴史を変える画期的な技術だと確信していたので、「私がやらずに誰がやる」との思いでした。』

上記の経歴の通り、鈴木さんは高校を出ていません。世の若者が高校生活を送る年代を、スウェーデンで独学しています。この時代について、
『オフは近くの森で過ごしました。歴史と自然に富むこの街での2年間は宝物です。』
と記載されているので、普通に日本の高校に通学するより以上の有益な青春時代を過ごしたようです。

博士課程で勉強していた頃、
『周囲の好意で勉強を続けられる幸運に感謝し、「恩返しをしなければ」という思いに駆られるようになりました。がんで知人が亡くなると自分のせいだと思うようにもなりました。カウンセリングでは「背負っている十字架を下ろしなさい」と言われました。
この頃、別の転機もありました。ともに十字架を背負ってくれる伴侶との出会いです。』
2000年に結婚したのは、やはりがん研究者の英国人の男性でした。
3人の息子さんがおられます。2人は大学生、三男は高校生です。
『勤めながらの育児は大変でしたが、研究者仲間だった夫が、日本に帰国した2006年10月から、主夫に専念してくれたので、乗り切ることができました。私のキャリアがあるのは彼のおかげといっても過言ではなく、いくら感謝しても足りません。』
エーザイ・ヨーロッパを経てエーザイに入社した2006年に、日本に移ってきたのですね。そのときから、軽井沢に住み、片道2時間の新幹線通勤を始めました。この4月には東京にも居を構えました。

ベンチャーキャピタルITX時代、投資先を探して欧州とイスラエルの大学を訪ね回る日々でした。ベンチャーを立ち上げた若手経営者たちと熱く語り合い、彼らの夢と野望に心を躍らせました。
ただし、新薬の開発には膨大な時間が必要で、市場に出るまで10~15年かかるのも普通です。一方、VCの投資期間は8~10年程度と短いです。矛盾に悩んだ末、エーザイヨーロッパに転職しました。

もともとエーザイには優れたがんの新薬候補があり、認知症の薬は開発すれば社会に大きく貢献すると考えました。
『製薬会社は負担を他社と分け合っておらず、すべて自社でまかなうビジネスモデルに固執していました。そんな中、米企業と連携し、6つの化合物について、11の適応症を開発したので、かなり周りには驚かれました。』
「ギリアデル」という悪性脳腫瘍の新薬の開発では、ノーベルファーマ(東京・中央)と組みました。開発と販売の権利はエーザイにあったのですが、社内にこの分野のエキスパートがおらず、一方で、この分野に精通したノーベル社のYさんから「私に任せてくれ」とのオファーを受けました。約束通り、Yさんはギリアデルの承認取得をなし遂げ、晴れて日本の患者に届けることができました。
『認知症治療薬の開発も、開発を進めていた米バイオジェン社と共同で行うことにしました。』
『アルツハイマー型認知症の新薬登場が長年滞っていたなか、先頭を走って承認を得たことで、この領域に挑戦する研究者たちを勇気づけることができたと、誇りに思っています。』

日本の新型コロナ対策の問題点として、「リアルワールドエビデンス」(実世界においての証し)が欠けていることだとのことです。英国では毎週、政府がコロナ感染の報告書を出しており、どのようなワクチンを接種した人が、その後どうなったかなどが一目でわかります。
それに対して日本では、接種履歴、医療情報、介護情報という3つの情報がつながっていないので、英国のような調査を定期的に行うのは事実上不可能なのです。

やはりそうでしたか。私は、この2年間の日本でのコロナの対応を見ていて、整理された情報が全く出てこないことを疑問に思っていました。データが出てくるとそれは外国のデータです。「日本ではデータが蓄積されていないのだろう」と想像していたのですが、想像していたとおりだったのですね。

日経新聞の「人間発見」や「こころの玉手箱」では、今まで知らなかった凄い人を知ることができます。このブログでも、国連事務次長・中満泉さん 2020-06-13建築家・早間玲子さん 2020-06-14を紹介してきました。
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日経・もがくデジタル庁

2022-04-24 08:55:11 | 歴史・社会
日経朝刊4月18日~21日に「もがくデジタル庁 1~4」が連載されました。

この4月から、マイナ保険証を使うと支払う初診料が高くなるという制度がスタートしました。初診時には21円、再診時には12円が上乗せとなります。厚労省が、マイナ保険証の普及には病院などの設備投資を後押しする必要があると判断し、診療報酬の引き上げを優先したのです。
『国民生活を便利にするはずが、なぜユーザー不在の政策と化したのか--。デジタル庁はデジタル行政の司令塔役を期待され、他省庁への勧告権など強い権限を持つはずだった。それにもかかわらず診療報酬に関する既得権益への配慮が立ちはだかった。』

萩生田経産大臣は、「デジタル庁がもっと大きな絵を描いてくれるかなという気持ちもあったが、今のところそういう動きもない」(1月の記者会見)として、経産省が独自に社会インフラのデジタル化の工程表を作ると表明しました。

デジタル庁の組織問題も露呈しました。飲食店など事業所のデータ整備事業について、昨年11月時点で事業に問題があることがわかっていながら、結論を先送りして入札の公開(1月)に至ってしまい、3月になって中止する異例の事態となりました。『問題があるときに中止を建議する責任者がいないことがぶざまな展開につながった。』

『ガバナンスが迷走しつつあるデジタル庁から民間も距離を置き始めた。ある電機大手は3月末に出向中の技術者を引き上げ、後任を送らなかった。このままでは持たないとの危機意識がデジタル庁を覆う。』
(以上、もがくデジタル庁(1)「誰が決めているのか」2022年4月18日

2021年12月14日、職員のパソコンに幹部連名の「謝罪メール」が送られてきました。組織体制の混乱を謝罪する内容であり、「責任分担があいまいになり、情報共有もできていない」状態だった、とするものです。

『民間からの出向者200人を含む約600人で立ち上げられたデジタル庁。それなのに「仕事ができる」とされる20~30人の官僚が兼務の形であらゆる案件に絡むようになるまで、時間はかからなかった。違和感を抱いた民間出身者は反発した。』
「会議が多すぎる」「同じような書類を何度も作っている」兼務者が多いため根回し先が増え、不毛な業務の水準は「ほかの役所と比べても異常な水準」(官僚出身の若手職員)に達しました。
『21年度末にかけ、デジタル庁で働いていた職員が10人近く一斉に退職し、通信大手や外資系コンサルなどに転職した。いずれも優秀な若手だが「ここにいても未来はないと思ったのだろう」と中堅職員は解説する。』

この春には、100人近い新たな職員が加わりました。その半分は地方自治体からです。「中央官僚文化の霞ヶ関」「民間の意識」に「地方」の感覚が加わり、『壮大な組織立ち上げの実験は、息を継ぐ間もなく次の段階に突入している。』
(以上、もがくデジタル庁2 「会議に出たくない」2022年4月19日

第3回は、送電線や鉄塔の保守点検をドローンとAIに任せようとする改革が、規制の壁に突き当たっている、といった話です。民間の事業のデジタル化について、規制が立ちはだかっているという内容で、「行政のデジタル化」とはちょっと離れます。
『「デジタル庁のやりたい方向性は分かるがそう簡単ではない。お手並み拝見だ」との声が公然とデジタル庁に寄せられる。現状維持の姿勢が根強い各省庁をどこまで説き伏せ、規制を取り払えるか。デジタル庁の突破力が試されている。』
(以上、もがくデジタル庁3 「お手並み拝見だ」2022年4月20日

2021年10月、行政向けシステム基盤「ガバメントクラウド」の選考事業の公募がありました。ガバメントクラウドは、省庁や自治体が各自運営してきたシステムを共通化するデジタル庁の目玉事業です。
ところが、公募でデジタル庁が求めた要件は、「米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のプレゼン資料そのものだ」、ということです。結局、AWSとグーグルの米2社が選ばれました。
政府からは「国産クラウド」の選定を求める声も上がりましたが、NTTデータやNECは必要な実績や性能を満たせず、応募もできませんでした。
官庁などで使われているシステムはNEC製も多く、「実績やノウハウがある」と強調しますが、クラウド事業では土俵にも上がれず、米企業が担うデータ基盤への移行作業を請け負うしかないのが現状です。
(以上、もがくデジタル庁4 「結局アマゾンか」2022年4月21日

しかしこの現状は、デジタル庁が何とかできる問題ではありません。このブログの「クラウドの世界シェア動向 2021-12-08」でも述べたように、世界のクラウド市場における上位3社(アマゾン、マイクロソフト、グーグル)の寡占は進む一方であり、日本の企業は出る幕がありません。
私は12年前、このブログで「クラウドコンピューティングとは何か 2009-11-25」との記事を書きました。2009/4/23発売の「クラウド大全」という書物の内容をレビューした記事でした。
私が「クラウド大全」を参照して記事を書いてから12年間、日本でクラウドインフラに関する技術や事業が大幅に拡大した話を聞くことができません。クラウドインフラに関して日本企業の躍進は見られず、デジタル庁が選定したクラウド提供企業も、結局はアマゾンとグーグルなのですね。クラウドインフラを提供する日本発の事業が立ち上がる気配はないのでしょうか。

もがくデジタル庁4 「結局アマゾンか」では、もう一つの話題があります。
20年6月に、独仏政府は企業間などの国際データ流通基盤「ガイアX」を公表しました。これに対抗するための日本政府の施策として、1月上旬、デジタル庁のサイトに「産業データ連係」の入札公告がひっそりと載りました。『欧州から約2年遅れで指導する「日本版データ流通基盤」だが、まだ調査段階に過ぎない。』

日経新聞「もがくデジタル庁」の内容は以上です。
デジタル庁の状況については、日経「ニッポンの統治 危機にすくむ④」2021-12-05でも取り上げました。
日本の行政、デジタル化拒む本能 使い勝手より組織優先
ニッポンの統治 危機にすくむ④ 2021年11月25日 日経新聞
『9月に発足したデジタル庁の動きが鈍い。政府内のやりとりからは電子化の推進役とはほど遠い姿勢が浮かび上がる。』
『デジタル庁の民間人材も突破口になっていない。企業出身の職員が電子化を提案すると、個人情報保護法や自治体実務の慣習を盾に「複雑な業務だから無理」と返される。「技術に詳しくても行政知識で負けるので論破しにくい」とこぼす。』
『壁をつくることで自らの責任が問われるのを避けようとする日本の行政機構。』

業務のシステム最適化について、私は成功例を「私の履歴書・野路國夫氏 2022-04-23」で紹介しました。失敗例を次回紹介する予定です。
どうも、デジタル庁については、良い話は全く聞かれず、失敗に向けて進んでいるようです。

また、デジタル庁に関連する記事では、閣僚の顔が全く見えてきません。これだけ、もともとの計画から離反しつつあるのですから、正しい方向に戻すためには閣僚が頑張るしかありません。牧島かれんデジタル大臣は、この舵取りには任が重いのでしょうか。そうであれば岸田総理が指導力を発揮しなければなりませんが、それも期待できなさそうです。

以上の記事を書いていたら、「<独自>デジタル庁事務方トップの石倉氏退任へ 4/23(土) 産経新聞」という記事が飛び込んできました。
『デジタル庁の事務方トップ「デジタル監」の石倉洋子氏(73)が退任する見通しとなったことが22日、分かった。早ければ5月にも退任する方向で、昨年9月の就任から1年足らずという異例の早さでの交代となる。政府はデジタル分野の専門家をあてる方向で後任人事の調整に入った。』
石倉氏の専門は経営戦略やグローバル人材であり、デジタルは専門ではありませんでした。当初から石倉氏の適性を懸念する声もあったとのことです。デジタルへの知見が少ないことや体調問題などがネックとなり、今年に入ってからは登庁機会や政府の会議への出席も減っていたとのことです。

これはもう、デジタル庁が関連する日本のデジタル改革は、とてもではないが期待することはできなさそうです。
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