Jリーグができる前、アマチュアトップリーグは日本リーグでした。技術レベルは低かったです。住友金属鹿島製鐵所のサッカー部は、日本リーグより下位のリーグに属する弱小チームでした。
Jリーグが誕生する際、住金鹿島サッカー部はJリーグ入りを目指し、何と世界のジーコ招聘を思いつくのです。当時現役を退いて文化大臣のような職に就いていたジーコは、何を考えたかその招聘を受けます。
ジーコが住金鹿島サッカー部に合流してしばらくした頃の様子を、当時のテレビ番組で見たことがあります。
もちろん選手の技術レベルは低いし、勝負に対する執着心が低く、試合に負けて帰るバスの中でもへらへらしています。勝負にこだわるジーコが最も嫌う態度です。しかしジーコは腐ったりせず、何とかチームを改革しようと一生懸命です。
そうかと思うと、小さな子供がジーコにサインをせがむと、優しい表情を浮かべながらよろこんでサインに応じています。
当時、プロスポーツ選手というとプロ野球選手が中心で、イメージとしては悪ガキかそうでなければ職人です。ファンを大事にしてどのような場合でもにこやかにサインに応じるという姿は新鮮でした。サッカーの世界で神様といわれたあのジーコですから。
番組の最後、「次の試合には必ず勝つから」とコメントを残してピッチに飛び出していきました。
その後、もちろん選手補強があり、鹿島よりも能力のあるチームが合流するといったことはありましたが、Jリーグスタート時に鹿島がチャンピオンに輝いた最大の功績はやはりジーコの牽引力だったでしょう。
あのテレビ番組から受けた印象は強く、今でもJリーグの試合ではどうしてもアントラーズを応援してしまうし、ジーコは尊敬の対象としてあります。
ですから、Jリーグでのジーコ唾吐き事件を翌朝の新聞で知ったときは、とても残念でした。たしかヴェルディ相手の試合でジーコも出場しており、ヴェルディにPKが与えられたのを不服としてボールに唾を吐いたのです。審判がヴェルディに依怙贔屓しているとの見解でした。今でも同じようなシチュエーションではジーコの血圧は一気に上がりますね。
新聞のコラムの作者が書いていたのですが、あるときジーコと同席するチャンスがあり、何か意見を言ったところ、ジーコはその人の真正面に身を乗り出し、じっと目をのぞき込んで「・・の点についてどう思うか」と問いかけてきたそうです。後で鹿島の関係者に「いやあの威圧感には参った」と述べたところ、「アントラーズの選手は毎日あれをやられているんですよ」と笑っていたそうです。
ジーコがアントラーズの現役を退き、日本とブラジルを往ったり来たりするようになった後、ジーコがスタンドからアントラーズの試合を観戦する日には、アントラーズ選手はものすごくハッスルしたようです。「ジーコにほめられたい」という意識がそうさせたようです。こういう状況こそ「カリスマ」といえるように思います。
ジーコは、日本代表監督になるまではきちんとした監督の経験がありません。アントラーズの総監督や、フランスワールドカップ時のブラジルの何とかいう役職に就いただけです。しかしアントラーズをあそこまで育て上げた実績があるので、「別の人に替えた方が良い」というようなことはなかろうと思ってきました。
ただ、オーストラリアのヒディング監督は、前回大会で韓国をベスト4に導いたというだけでもたいした監督です。ジーコが監督としてヒディングと同レベルにある、とまではとても言うことはできません。
代表監督就任から3年半、「選手に指示を与えない」という方針でずっと来ました。トルシエサッカーに慣れていた選手はとまどっていましたが、アントラーズ時代を知る私にも同じジーコとは思えませんでした。指示する能力がなかったのではなく、「選手の発意で工夫しない限り日本サッカーの進歩はない」という考えによるのだとジーコ本人が言っています。
ワールドカップ本戦前の最後の合宿に入りました。これからは、日本の将来を見据えて選手の自由に任せるのではなく、アントラーズ当時の気迫を取り戻して、日本代表をひとつの方向に束ねて力を発揮させて欲しいものです。
Jリーグが誕生する際、住金鹿島サッカー部はJリーグ入りを目指し、何と世界のジーコ招聘を思いつくのです。当時現役を退いて文化大臣のような職に就いていたジーコは、何を考えたかその招聘を受けます。
ジーコが住金鹿島サッカー部に合流してしばらくした頃の様子を、当時のテレビ番組で見たことがあります。
もちろん選手の技術レベルは低いし、勝負に対する執着心が低く、試合に負けて帰るバスの中でもへらへらしています。勝負にこだわるジーコが最も嫌う態度です。しかしジーコは腐ったりせず、何とかチームを改革しようと一生懸命です。
そうかと思うと、小さな子供がジーコにサインをせがむと、優しい表情を浮かべながらよろこんでサインに応じています。
当時、プロスポーツ選手というとプロ野球選手が中心で、イメージとしては悪ガキかそうでなければ職人です。ファンを大事にしてどのような場合でもにこやかにサインに応じるという姿は新鮮でした。サッカーの世界で神様といわれたあのジーコですから。
番組の最後、「次の試合には必ず勝つから」とコメントを残してピッチに飛び出していきました。
その後、もちろん選手補強があり、鹿島よりも能力のあるチームが合流するといったことはありましたが、Jリーグスタート時に鹿島がチャンピオンに輝いた最大の功績はやはりジーコの牽引力だったでしょう。
あのテレビ番組から受けた印象は強く、今でもJリーグの試合ではどうしてもアントラーズを応援してしまうし、ジーコは尊敬の対象としてあります。
ですから、Jリーグでのジーコ唾吐き事件を翌朝の新聞で知ったときは、とても残念でした。たしかヴェルディ相手の試合でジーコも出場しており、ヴェルディにPKが与えられたのを不服としてボールに唾を吐いたのです。審判がヴェルディに依怙贔屓しているとの見解でした。今でも同じようなシチュエーションではジーコの血圧は一気に上がりますね。
新聞のコラムの作者が書いていたのですが、あるときジーコと同席するチャンスがあり、何か意見を言ったところ、ジーコはその人の真正面に身を乗り出し、じっと目をのぞき込んで「・・の点についてどう思うか」と問いかけてきたそうです。後で鹿島の関係者に「いやあの威圧感には参った」と述べたところ、「アントラーズの選手は毎日あれをやられているんですよ」と笑っていたそうです。
ジーコがアントラーズの現役を退き、日本とブラジルを往ったり来たりするようになった後、ジーコがスタンドからアントラーズの試合を観戦する日には、アントラーズ選手はものすごくハッスルしたようです。「ジーコにほめられたい」という意識がそうさせたようです。こういう状況こそ「カリスマ」といえるように思います。
ジーコは、日本代表監督になるまではきちんとした監督の経験がありません。アントラーズの総監督や、フランスワールドカップ時のブラジルの何とかいう役職に就いただけです。しかしアントラーズをあそこまで育て上げた実績があるので、「別の人に替えた方が良い」というようなことはなかろうと思ってきました。
ただ、オーストラリアのヒディング監督は、前回大会で韓国をベスト4に導いたというだけでもたいした監督です。ジーコが監督としてヒディングと同レベルにある、とまではとても言うことはできません。
代表監督就任から3年半、「選手に指示を与えない」という方針でずっと来ました。トルシエサッカーに慣れていた選手はとまどっていましたが、アントラーズ時代を知る私にも同じジーコとは思えませんでした。指示する能力がなかったのではなく、「選手の発意で工夫しない限り日本サッカーの進歩はない」という考えによるのだとジーコ本人が言っています。
ワールドカップ本戦前の最後の合宿に入りました。これからは、日本の将来を見据えて選手の自由に任せるのではなく、アントラーズ当時の気迫を取り戻して、日本代表をひとつの方向に束ねて力を発揮させて欲しいものです。
ワールドカップでいい結果が出なくて、監督としての力量は批判されても、ジーコという人間は絶対に否定できないですね。監督として批判されても、ジーコをよく知らない日本人から、人間としての否定されたら、これほど悲しいことはないです。
ドイツ戦の内容を新聞で読む限り、私の中での1次リーグ突破確率は上がったように思われるので、その点は喜ばしいです。
ところで、私はたまたま、Jリーグ開始前にジーコの番組を見たのでジーコのファンになりましたが、もしストイコビッチの番組を見ていたらストイコビッチとグランパスのファンになったかも知れません。
アントラーズのジーコ、グランパスのストイコビッチ、ジュビロのドゥンガ、いずれもJリーグの恩人達です。
それは前監督が暴君のように指揮を執り、「俺の言うことを聞いていればいいんだ」というタイプだったことからの反発がそういう考えを僕に持たせた部分も大いにあるでしょう。
いくら結果が一番大切な評価基準とはいえ、選手を信頼するという意味ではこの考え方は絶対に間違っていないと思います。
ただセルジオさんいわく、過去3人の外国人監督の中で一番プレッシャーを受けたトルシエが一番監督として伸びたと言っています。
思えば確かに世論はジーコの偉大な歴史に敬意示し、監督としてのジーコに寛容だったのではないでしょうか?少なくともトルシエほどプレッシャーを受けてはいないと僕は考えています。
だから後悔しています。もし世論がもっと彼に正当な批判をぶつけていれば、きっと少し違っていたのではないか?という後悔があるのです。だからオシムにも正当な批判をすることが日本のためなのではないか?と強く感じていました。
ただ今の(あるいはこないだまでの)日本ではオシムを批判することは許されないですよねぇ。みんな「オシムは今までの監督とは違うんだ、なんでお前はそんなこというんだ」みたいな感情論。これじゃ何にも変わってないよと思うんですがね。
そうですか鹿島の選手はジーコがスタジアムに来るたび気持ちが高ぶったのですか。うーん、何故ジーコは代表監督になってから静岡より西は行かないようになってしまったのでしょうか。(これもセルジオさんの批判です。)いくらコーチが試合を見に行っていたとはいえ、残念でなりませんね。
いや、別にジーコが嫌いなわけじゃないんですよ。ただ日本協会とすれば次の監督に「できるだけ試合を直接見に行ってください、選手の士気を上げることにつながりますから」と言う必要があると学んだわけですから。これを言うと、結果論でもの語りやがってと言われてしまうんですよね。残念です。
私は鹿島時代のジーコの印象が極めて強いので、代表監督時代は同じ人とは思えませんでした。
鹿島時代は選手を生徒と見ており、代表監督時代は代表選手を対等な大人と見ていたのでしょうか。やはり本人に聞かないと分からないですね。
もし私の想像通りとしたら、日本の代表選手はそんなに大人ではなかった、ということでしょう。
トルシエは中田英を通してチームを作ろうとしていたかも知れません。しかし中田英は、残念ながら選手を束ねるようなキャラクターの持ち主ではありませんでした。
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/f4d6944c131b09e8983b4c241e1e9298
トルシエには私も頭に来ましたが、選手も同様だったでしょう。その緊張が、結果としていい方向に向かった面も大きいでしょうね。
そして現在の岡田代表監督です。
1年前の就任当初は、一体どういう方向に代表を持っていくのか、疑問符だらけでした。しかし最近は、それほどの危うさを感じなくなりました。
思うに、岡田監督は、私も頼りにする湯浅健二氏の評論を読んでおり、それを参考にしているのではないか、という気がしてなりません。もしそうだとしたらそれはいいことだと思います。
後にトルシエがテレビで「私は中田のような強い個性を持った人間を求めていた。決して喧嘩していた仲ではない」というような事も言っています。
選手からほとんど賞賛されていないトルシエを見ると、僕にはトルシエが都合のいい事を言っているようにしか思えません。
トルシエは常に「ボスは俺だ」「何故監督じゃなくて、選手が新聞のトップなんだ」と言っていたとかいないとか。むしろリーダーを作るのを嫌がっていたようにも思えます。キャプテンを固定しないことも話題になりましたね。
結果、監督への反抗心が選手を一つにしたというのはなんとも皮肉な話です。
「トルシエは中田英を通してチームを作ろうとしていたかも知れません。」
は誤記でした。正しくは、
「ジーコは中田英を通してチームを作ろうとしていたかも知れません。」
です。
どうも申し訳ありませんでした。