先日読んでここでも報告した生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
、著者の福岡伸一先生は、日米の大学研究の違いについても言及しています。
「米国で研究を始めた私の研究室内でのポジションはポスドクと呼ばれるものだった。ポスト・ドクトラル・フェロー。博士研究員と訳されるこの職は、教育課程を終えた研究者にとってひとり立ちへのトレーニング期間である。」
日本では、研究者になろうとして博士課程を修了して博士号を取得した後、幸運ならば大学助手のポジションにありつけますが、好きな研究を自由にできるわけではありません。
「講座制と呼ばれるこの構造の内部には前近代的な階層が温存され、教授以外は全てが使用人だ。助手-講師-助教授と、人格を明け渡し、自らを虚しくして教授につかえ、その間、はしごを一段でも踏み外さぬことだけに汲々とする。」
福島先生は、博士号を取った後米国で職を探すことにします。
「米国のシステムは日本の大学を呪縛する講座制とはかなり異なる。教授、助教授、講師などの職階はある。しかし職階間に、支配-被支配関係はない。それぞれが独立した研究者であり、肩書きは純粋に研究キャリアの差である。独立した研究者とは、自らの研究費(グラント)を自分で稼げる研究者と言うことだ。研究者の生命線はまさにこのグラントである。それゆえに彼らの最優先事項は、国の研究予算あるいは民間の財団や寄付などを確保することであり、それに狂奔する。グラントがすべての力の源泉であり、研究資金のみならず自分のサラリーもここから得る。」
「ポスドクは、独立研究者がグラントで雇い入れる傭兵だ。米国の研究室は基本的にこの単位、ボスとポスドク、で成り立っている。ポスドクは即戦力の人員として、研究戦争の最前線に立つ。鵜匠と鵜の関係といっても良い。ボスとの関係は、純粋に期限付きの雇用契約だけである。
それでもポスドクが日々ボスのために研究に邁進できるのは、次に自分がボスになる日を夢見てのことである。ポスドクの数年間に重要な仕事をなして自らの力量を示すことができれば、それはそのまま独立した研究者へのプロモーションの材料となる。」
私が「ポスドク」という言葉を知った最初は次の本です。「理工教育を問う―テクノ立国が危うい (新潮文庫)
」産経新聞社会部編です。初出は平成7年、文庫本は平成10年発行です。
「(米国の)ポスドクは博士が就職するまでの研修期間であり、あるいは企業の研究機関にいた人がキャリアアップを目指してポスドクになるケースも多い。一人前の研究者になるための重要な期間として位置づけられている。」年俸も2万ドル程度とあり、福島先生の著書と一致しています。
それ以前、日本の大学では「オーバードクター」という言われ方がしていました。博士号を取得したものの就職口がない研究者のことをいいます。上記「理工教育を問う」を読んで、日本にも米国のようなポスドクができればいいのでは、と思ったものです。
その後、「日本にもポスドク制度が生まれた」という話を聞きました。
ところが、聞こえてくるのは、「ポスドクは任期が短期間で決まっているので、それが終了すると結局は失業する」ということで、何の解決にも役立っていないような議論です。一体どうなっているのでしょうか。
そもそも、日本のポスドクは「ポストドクター」の簡略形であって、アメリカのポストドクトラルフェローと異なるらしいのです。ウィキペディアなどを読むと、「旧文部省の旗振りで始まった大学院重点化計画によって大学院の定員が増え、その結果博士号取得者が増加した。そして増加した博士号取得者の職を補う形として、科学技術基本計画の一部であるポストドクター等一万人支援計画(ポスドク一万人計画)が実施されポスドクの人数は増加した。しかしながら、ポスドクを経験した博士号取得者の行き先として考えられる大学・研究所の定員は増えていない。このことはポスドク問題と呼ばれる。同時に、海外の日本人ポスドクが日本で就職できる機会が限られてきていることも深刻であり、結果として頭脳流出が起きている。」と解説されています。
また、「高齢ポスドク」という記事では、日本ではポスドクから35歳までに助手の職を得ないと、それ以降は大学研究者への途が事実上閉ざされる現実があるといいます。
結局、大学・研究所の研究者の位置づけを何ら改善することなく、博士課程の卒業者人数を増加してオーバードクターの数を増大させ、一時的な逃げの手段としてポストドクターなる政策を採用したと言うことでしょうか。アメリカでは研究者のキャリアアップの過程としてポジティブに評価されているポスドクが、日本ではネガティブな評価しかされていないということです。
最先端基礎研究でアメリカと肩を並べるレベルに到達するため、ぜひとも日本の大学の組織を根本から見直して欲しいものです。
「米国で研究を始めた私の研究室内でのポジションはポスドクと呼ばれるものだった。ポスト・ドクトラル・フェロー。博士研究員と訳されるこの職は、教育課程を終えた研究者にとってひとり立ちへのトレーニング期間である。」
日本では、研究者になろうとして博士課程を修了して博士号を取得した後、幸運ならば大学助手のポジションにありつけますが、好きな研究を自由にできるわけではありません。
「講座制と呼ばれるこの構造の内部には前近代的な階層が温存され、教授以外は全てが使用人だ。助手-講師-助教授と、人格を明け渡し、自らを虚しくして教授につかえ、その間、はしごを一段でも踏み外さぬことだけに汲々とする。」
福島先生は、博士号を取った後米国で職を探すことにします。
「米国のシステムは日本の大学を呪縛する講座制とはかなり異なる。教授、助教授、講師などの職階はある。しかし職階間に、支配-被支配関係はない。それぞれが独立した研究者であり、肩書きは純粋に研究キャリアの差である。独立した研究者とは、自らの研究費(グラント)を自分で稼げる研究者と言うことだ。研究者の生命線はまさにこのグラントである。それゆえに彼らの最優先事項は、国の研究予算あるいは民間の財団や寄付などを確保することであり、それに狂奔する。グラントがすべての力の源泉であり、研究資金のみならず自分のサラリーもここから得る。」
「ポスドクは、独立研究者がグラントで雇い入れる傭兵だ。米国の研究室は基本的にこの単位、ボスとポスドク、で成り立っている。ポスドクは即戦力の人員として、研究戦争の最前線に立つ。鵜匠と鵜の関係といっても良い。ボスとの関係は、純粋に期限付きの雇用契約だけである。
それでもポスドクが日々ボスのために研究に邁進できるのは、次に自分がボスになる日を夢見てのことである。ポスドクの数年間に重要な仕事をなして自らの力量を示すことができれば、それはそのまま独立した研究者へのプロモーションの材料となる。」
私が「ポスドク」という言葉を知った最初は次の本です。「理工教育を問う―テクノ立国が危うい (新潮文庫)
「(米国の)ポスドクは博士が就職するまでの研修期間であり、あるいは企業の研究機関にいた人がキャリアアップを目指してポスドクになるケースも多い。一人前の研究者になるための重要な期間として位置づけられている。」年俸も2万ドル程度とあり、福島先生の著書と一致しています。
それ以前、日本の大学では「オーバードクター」という言われ方がしていました。博士号を取得したものの就職口がない研究者のことをいいます。上記「理工教育を問う」を読んで、日本にも米国のようなポスドクができればいいのでは、と思ったものです。
その後、「日本にもポスドク制度が生まれた」という話を聞きました。
ところが、聞こえてくるのは、「ポスドクは任期が短期間で決まっているので、それが終了すると結局は失業する」ということで、何の解決にも役立っていないような議論です。一体どうなっているのでしょうか。
そもそも、日本のポスドクは「ポストドクター」の簡略形であって、アメリカのポストドクトラルフェローと異なるらしいのです。ウィキペディアなどを読むと、「旧文部省の旗振りで始まった大学院重点化計画によって大学院の定員が増え、その結果博士号取得者が増加した。そして増加した博士号取得者の職を補う形として、科学技術基本計画の一部であるポストドクター等一万人支援計画(ポスドク一万人計画)が実施されポスドクの人数は増加した。しかしながら、ポスドクを経験した博士号取得者の行き先として考えられる大学・研究所の定員は増えていない。このことはポスドク問題と呼ばれる。同時に、海外の日本人ポスドクが日本で就職できる機会が限られてきていることも深刻であり、結果として頭脳流出が起きている。」と解説されています。
また、「高齢ポスドク」という記事では、日本ではポスドクから35歳までに助手の職を得ないと、それ以降は大学研究者への途が事実上閉ざされる現実があるといいます。
結局、大学・研究所の研究者の位置づけを何ら改善することなく、博士課程の卒業者人数を増加してオーバードクターの数を増大させ、一時的な逃げの手段としてポストドクターなる政策を採用したと言うことでしょうか。アメリカでは研究者のキャリアアップの過程としてポジティブに評価されているポスドクが、日本ではネガティブな評価しかされていないということです。
最先端基礎研究でアメリカと肩を並べるレベルに到達するため、ぜひとも日本の大学の組織を根本から見直して欲しいものです。