弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

5月23日東電報告書(2)1号機

2011-05-31 21:37:12 | サイエンス・パソコン
東電が5月23日に公表した「東北地方太平洋沖地震発生当時の福島第一原子力発電所運転記録及び事故記録の分析と影響評価について」を読み解いています。

資料の読解に努めたのですが、とてもわかりづらい文章でした。専門知識がわかりづらいというより、日本語の文章が分かりづらかったのです。ひょっとしたら「東電語」という方言が存在し、その方言で記述されているのかもしれません。
以下、私が理解した内容を、号機毎にまとめてみようと思います。一応標準語に翻訳したつもりです。翻訳に際し、難なく理解できた部分には○を、良く分からなかったが多分こういうことを言いたいのだろう、と推測を含んでいる部分には△を記しています。

まずは1号機です。

《非常用復水器の状況》
原子炉は、燃料棒の間に制御棒を挿入して核分裂を停止した後も、崩壊熱が発生し続けるので、水冷却を継続する必要があります。そして、全電源喪失時であっても水冷却を継続できるようにする設備を備えています。
福島第1の場合、1号機は「非常用復水器(Isolation Condenser)、2、3号機は隔離時冷却系ということで異なっています。
1号機で用いている非常用復水器について、例えば東電のこちらの資料の4ページに図面があります。圧力容器内の蒸気が非常用復水器に溜まった水で冷やされて液化し、水が圧力容器に戻る、という仕組みです。
○地震発生直後、制御棒が挿入されて核分裂が停止し、主蒸気隔離弁が閉じて圧力容器は隔離されました。これにより圧力容器の圧力が上がるので非常用復水器が自動起動しました。
○圧力容器と非常用復水器を結ぶ弁が「開」となることで蒸気は急速に冷やされ、圧力容器内の温度が低下します。手順書では、圧力容器温度降下率が55℃/hを超えないよう調整することを求めているので、操作員は非常用復水器のオン/オフを繰り返し、冷却速度を調整したのでした。
△たまたま津波来襲時に非常用復水器がオフ(閉)状態であり、津波で電源が失われた後、二度と「開」にできなかった、という説があります。
△非常用復水器の計測機器には、「非常用復水器の配管破断」を検出する計測器がある。この計測器の直流電源が失われると、フェールセーフ動作として、非常用復水器の配管が破断したものとして信号が発信され、これにより(弁の動作電源が残っていれば)非常用復水器のMO-2Aを含めた隔離弁の閉動作が行われる。ホワイトボードの記録には、3月11日18時18分にMO-2Aを開操作した記録が残っている。通常停止操作ではMO-2Aの閉操作は実施しないので、津波襲来時に「非常用復水器の配管破断」計測器の直流電源が失われ、非常用復水器のMO-2Aを含めた隔離弁が閉動作したものと推測される。
△津波来襲後の非常用復水器については、津波来襲時にたまたま「手動オフ」であったために二度と立ち上がらなかったのか、あるいは津波来襲で「非常用復水器の配管破断」とのシーケンスが働いて自動オフにしたのか、いずれにしろ津波来襲後には非常用復水器が働いていなかった可能性が高い、ということです。

《仮定に基づいたシミュレーション解析》
○「全電源喪失後は非常用復水器が動作していなかった」という仮定を置く(仮定1)。
○上記仮定の下で圧力容器内のシミュレーションをおこなうと、地震発生後3時間には炉心が露出し、4時間後には炉心損傷が開始し、15時間後には圧力容器が破損する。注水開始が15時間後なので、淡水注水開始時には炉心溶融も圧力容器破損も起こった後だったこととなる。
図3.1.3.にあるように、地震後15時間時の格納容器内の圧力はすでに0.8MPa[abs]まで上がっており、格納容器内圧力がここまで高くなるためには、炉心溶融と圧力容器破損を仮定しないと説明できない(らいし)。
○もうひとつ、シミュレーションの仮定として、地震後18時間に格納容器にφ3cm相当の穴が開いての漏洩を仮定した(仮定2)。また、50時間後にφ7cmの穴が開いての漏洩を仮定した(仮定3)。
図3.1.5.で見ると、18時間後には格納容器温度が300℃を超えており、このような温度ではガスケット損傷などが起こっても不思議ではない。
図3.1.3.で見ると、18時間以降における格納容器圧力について、測定値とシミュレーション値を合わせるために、仮定2を置いたことがわかる。また、3月14日頃の格納容器圧力について、測定値とシミュレーション値を合わせるために、仮定3を置いたことがわかる。
図3.1.2.で見ると、圧力容器圧力計測値は12日時点で1MPa[abs]程度まで下がっている。シミュレーションで圧力容器圧力がここまで下がる結果を出すためには、圧力容器損傷が必要であり、「非常用復水器作動せず(仮定1)」を仮定せざるを得ないのであろう。
○仮に全電源喪失後も8時間ほど非常用復水器が作動していたと仮定すると(仮定4)、図3.1.11.に示すように、格納容器内圧力について計測値とシミュレーション値とが合致しなくなる。

だいたいこんなところでしょうか。
地震後15時間(3月12日朝6時頃)には、炉心溶融が進んで圧力容器損傷まで起こっていたということです。
圧力容器、格納容器圧力についての最初の記録は3月12日朝2時45分で、圧力容器:0.8MPaG、格納容器:0.941MPa[abs]でした。この圧力から、圧力容器圧力がこんなに低いということは圧力容器損傷が起こっており、格納容器圧力がこんなに高いということは炉心損傷が起こっている、ということが、2ヶ月後のシミュレーションを待つのではなく、専門家の頭の中で瞬時のシミュレーションができていれば、この段階で「即座に海水注入」という司令が出たかもしれません。
一方、圧力容器内の水位計測値はその時点でまだ+1300mm(A), 500mm(B)でしたから、この数値に信頼を置けば、「燃料棒はまだ無事」ということになってしまいます。
今回のシミュレーションは、「水位計のデータを信用しない」という前提で行われており、それは5月になって作業員が原子炉建屋に入って水位計が正しくないことを確認できたことからはじまりました。やはり、3月12日段階では無理でしたか。

ところで、官邸の記録によると、3月11日16時36分に「1、2号機に関し、原災法15条事象発生(非常用炉心冷却装置注水不能)」が起きたことになっています。今回の報告書ではこの点についての記述が見あたりませんが、11日16時半に「注水不能」と判断していたのであれば、やはり早期に海水注入に踏み切ることも可能だったのではないか、と推測されます。
また、「1号機の水位計のデータと、圧力容器・格納容器の圧力データとは相容れない」ということには、地震発生後10日もすれば専門家の誰かが気づけたはずです。2ヶ月も経って、水位計を較正してデータが不良であったことを確認してはじめて、今回のシミュレーションがなされた、というのはやはりお粗末すぎます。
また、たとえ水位計のデータが正しいと仮定したとしても、3月13日には水位が-1700mmまで下がっているのですから、2、3号機について東電が述べているとおり、水面より上に露出している燃料棒はメルトダウンするのは当たり前で、「メルトダウンしていない」と言い張っていた神経が理解できません。

もう1点、今回のシミュレーションにおいて、圧力容器の圧力と水位は出てきますが、圧力容器温度は登場しません。東電のこのデータでわかるように、圧力容器温度の計測値がわかっているのは3月22日以降の分だけです。シミュレーションの対象期間である3月16日までの温度がわかっていないので、解析に登場しないということでしょうか。
しかし、3月22日に温度データが出始めてみたら、1号機の圧力容器は400℃という高温状態であることが判明し、大慌てで海水注入量を増大して温度を下げました(1号機はどうなっている?)。今回のシミュレーションの対象期間を延長し、3月22日の圧力容器温度が400℃ということはそれまでの圧力容器冷却がどんな状況であったと推定されるのか、その点を評価して欲しかったです。

次は2号機です。
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5月23日東電報告書(1)

2011-05-29 17:52:39 | サイエンス・パソコン
東電は5月23日、福島第一原子力発電所の地震発生時におけるプラントデータ等を踏まえた対応に関する報告書を公表しました。公表のいきさつについては、プレスリリース「当社福島第一原子力発電所の地震発生時におけるプラントデータ等を踏まえた対応に関する報告書の経済産業省原子力安全・保安院への提出について」に記されています。
そしてそのプレスリリースには、以下の3種類の添付資料が添付されています。
東北地方太平洋沖地震発生当時の福島第一原子力発電所運転記録及び事故記録の分析と影響評価について(概要)
東京電力 福島第一原子力発電所2号機、3号機の炉心状態について
東北地方太平洋沖地震発生当時の福島第一原子力発電所運転記録及び事故記録の分析と影響評価について

3番目の資料は、225ページに及ぶ膨大な資料です。私はこれをプリントアウトし、記載内容について読解努力をしてみました。
内容は大きく3部構成になっています。「1.はじめに」のあと、2.から8.までにおいては、最近になって現地の中操(中央操作室?)から回収されたチャート類、日誌類に的を絞って、それら新たなデータから何が分かったか、という点のみを記述しているようです。
次の「別紙-1」は「福島第一原子力発電所1~3号機の炉心の状況ついて」との標題で、いくつかの仮定を置いて炉の挙動をシミュレーション(解析)し、シミュレーションの結果と得られている計測結果を対比し、どのような仮定を置けば計測結果と一致するのか、という観点での分析が行われています。この「別紙-1」で参照されている計測結果は、最近になってはじめて明かされたデータはほとんどなく、大部分は当初から判明していた計測データでした。
最後の「別紙-3 福島第一原子力発電所 設備の損傷状況と原因について」は、損傷状況が一覧表にまとめられたものです。

《シミュレーションにおける海水注入量の前提(2、3号機)》
1号機において、圧力容器の水位計を最近になって較正したところ、それ以前には水位が燃料棒上端から1.6m下方にあるものと表示していたものが、較正の結果5m以上下方であると修正されました。2、3号機についてはまだ水位計の較正がなされていません。いずれも、燃料棒上端から1.5m前後下方に水位があることになっています。
2、3号機の解析では、前提条件として、
【その1】消防ポンプによる海水注入の注入量は、水位計が示す水位が維持できる程度の注入量を確保していた。
【その2】消防ポンプによる海水注入の注入量は、燃料域以下程度の水位が維持できる程度の注入量しか注入されていなかった。
という2種類の仮定をおき、それぞれについて解析がなされています。

《炉心溶融について》
2、3号機について上記のように2種類の解析を行っているのですが、「炉心溶融の有無」という点に関しては、“水位計が示す水位を維持できる海水注入量であったとしても、炉心溶融は起こっていた”という結論です。水面より上方に位置していた燃料棒が溶け落ちたということで、言われなくても当たり前の結論だと私は思います。
そして当然、水位が燃料域以下までした到達していなかったという前提では、燃料棒のすべてが溶け落ちたという結論です。
1号機に関する今までの報道で、水位計の較正がなされた後にはじめて、「1号機で炉心溶融が起きていた」ことが表明されたわけですが、結局、較正前の水位計の水位が正しかったとしても炉心溶融は起こっていたと言うことです。「新しい事実が判明したから判断を変更した」のではなく、「従来から分かっていたデータに基づく判断を修正した」ということで、「今までしらを切っていたがとうとう白状した」というに等しいでしょう。

《圧力容器の破損について》
号機毎に、シミュレーションの結果として「圧力容器は地震発生後○○時間で破損した」という結論を述べています。どうも、「圧力容器内の状況が□□になると圧力容器破損に至る」という評価をしているらしいのですが、肝腎の□□については何ら述べていません。
そして、号機毎に以下のような判定を行っています。
・1号機:地震発生から約15時間後に圧力容器破損に至る。 → 3月12日に海水注入を開始する前に、すでに圧力容器は破損していたということです。
・2、3号機:【その1】前提(燃料棒上部から1.5m程度に水位が維持される程度に海水が注入されていた)では、現在に至るまで圧力容器は破損していない。
【その2】前提(燃料棒下端までしか水位が維持されない程度の海水しか注入されていなかった)では、2号機で地震発生後約109時間、3号機で地震発生後約66時間に、圧力容器が破損した。
「圧力容器の破損」というのが、どの程度の破損であるのかについては何ら述べられていません。

それでは、号機ごとの報告書読取り結果については別の記事とします。

1号機  2号機(1)   2号機(2)
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第1原発の吉田所長とは

2011-05-27 22:20:41 | サイエンス・パソコン
東電福島第1原発の吉田昌郎所長が一躍時の人となっています。昨日も海水注入は中断していなかったで記事にしたばかりです。

吉田所長については、4月29日にも記事にしました。
1号機格納容器への窒素ガス注入を始めるに際し、東電本店と福島の吉田所長との間で、テレビ会議において緊迫したやりとりがあったことについてです。
4月4日のテレビ会議で、吉田所長が1号機の窒素ガス注入に異議を唱えました。窒素注入の目的は格納容器の水素爆発を防ぐことですが、逆に、その時点で窒素注入を行ったらそれが原因で水素爆発を起こす危険があるのではないか、と吉田所長は危惧したのです。本店側は「NRC(アメリカ原子力規制委員会)も強く主張していることもあり、1号機窒素注入をいち早く実施しなくてはならない」との主張するばかりです。
「もし、格納容器に損傷があったらどうする? 窒素を高めに注入したら、蒸気が凝縮して水滴ができ、陰圧になると格納容器内に空気が入る仕組みが働き、爆発条件が満たされる-」「つまり、それこそ水素爆発の危険が発生する。そんなリスクは冒せない!」
吉田所長は「それでも窒素封入をやれと言うのなら、オレたちは、この免震棟から一歩も出ない! ここで見ている!」「もう、やってられねえっ!」とマイクを机の上に叩きつけました。

現在、東電は吉田所長を処分しようとしています。それもバカげた話で、処分されるべきは、官邸の“空気”に気圧されて、技術的には絶対継続しなければいけない海水注入を「中断せよ」と司令した本店側でしょう。
もし3月12日のテレビ会議で吉田所長が「それでも海水注入を中断せよと言うのなら、オレたちは、この免震棟から一歩も出ない! ここで見ている!」と啖呵を切っていたら、百点満点の対応だったでしょうね。
しかし、3月12日のテレビ会議で本店側には東電の清水正孝社長も列席していたといいますから、さすがにそんな啖呵を切ることはできなかったのでしょう。

吉田所長について『「本店に盾突く困ったやつ」「気骨のある人物」 第1原発の吉田所長とは~産経新聞 5月26日(木)23時49分配信』によると・・・

原子力委員会の専門委員で4月に第1原発を視察した独立総合研究所の青山繁晴社長(58)が、吉田所長との面会に先立ち東電社員から聞いた話では、「自信過剰」「本店に盾突く困ったやつ」ということで、吉田昌郎所長(56)への東電本店の評判は散々だったそうです。
吉田所長は昭和30年、大阪府出身。東京工業大で工学部卒業後、同大大学院で原子核工学を54年に修了し東電へ入社しました。原子力の技術畑を歩み福島第1、第2両原発の発電部などを経て平成19年から本店の原子力設備管理部長、22年6月から現職とあります。

手許の名簿で調べたら、学部は機械物理工学科を昭和52年に卒業とあります。機械物理工学科ということは、要するに私の後輩だということです。これはまた機縁でした。
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海水注入は中断していなかった

2011-05-26 23:28:40 | サイエンス・パソコン
3月12日における1号機の海水注入中断騒動は、思いっきり強烈などんでん返しでした。
とにかく、海水注入が中断していなかったということで、事態がこれ以上悪くなる危険性が回避されていたことが判明し、喜ばしい限りです。
しかし、官邸・原子力安全委員会・東電本店が右往左往していたずらに事態を悪化させてばかりいた中、1Fの吉田昌郎所長たった一人が頼りである、というのが現状でしょうか。
本店と福島(1F)との電話会議で、本店から「総理の了解が得られていないから海水注入を中断するように」との指示が発せられたとき、吉田所長は「何を馬鹿なことを!」と煮えくりかえったことでしょう。ここで反論しても本店に押し切られるだけだから、ここは了解を装って実態としては海水注入を続けよう。「責任はオレが取る!」と言ったかどうかは知りませんが。その判断のおかげで日本は救われました。
しばらくして本店から「海水注入を再開するように」と連絡があり、「はい。再開しました。」とでも答えたのでしょうか。

こうして落着した結果、「なぜ中断したのか」という騒動は終結しました。
私が本当に気にしているのは、「なぜ海水注入は12日の午後7時まで始まらなかったのか」という点です。
11日の深夜に1号機の格納容器圧力が上がってベントが必要となった時点で、もし十分な量で海水注入を始めていたら、福島における状況はまったく異なっていたのではないか、という思いを持っているのです。

今回のニュース(海水注入、中断せず=所長が継続指示、1号機―東電が訂正・福島第1原発~時事通信 5月26日(木)15時9分配信)では、事実関係を
『東電によると、3月12日午後2時50分、清水正孝社長が海水注入を了承。同3時36分には1号機原子炉建屋が水素爆発した。同6時5分、政府から海水注入の指示があり、同7時4分に注水を開始した。
 その約20分後、官邸に連絡役として駐在していた武黒一郎東電フェロー側から「首相の了解が得られていない」と東電本社や福島第1原発に連絡があった。官邸側から直接中止の指示はなかったが、東電は「最終的な責任を負う首相が了解していない状況で、注水を継続すべきではない」と判断。同原発と本社を結んだテレビ会議で中断を決めた。
 吉田所長は会議で特に異論を述べなかったが、「注水継続が何よりも重要」と自分で判断し、注水を続けた。同原発から午後8時20分に注水再開の連絡が入ったため、東電はこれらをもとに、注水が55分間中断したと発表した。』
と報じています。

東電の内部で、「1号機に十分な量の海水注入を始めるべきだ」と誰かが言い出した最初はいつごろで、それがどのような経過をたどり、3月12日午後2時50分に清水正孝社長が海水注入を了承するに至ったのか。
東電社長は11日の地震発生時に名古屋におり、自衛隊に頼んで輸送機に乗り込み離陸までしたのに、防衛大臣が拒否したために輸送機は引き返しました。やむなく社長は翌日の朝、ヘリコプターで帰京した、のでしたっけ。
あのバカげた輸送機逆戻り事件が、1号機海水注入開始諒承を遅らせる原因になったのではないか、とも危惧しているのです。
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長谷川幸洋氏と経産省とのバトルがすごいことに

2011-05-23 00:01:09 | 歴史・社会
長谷川幸洋氏は著書『日本国の正体 政治家・官僚・メディア――本当の権力者は誰か (現代プレミアブック)』において、日本のジャーナリズムがどのようなメカニズムで霞が関に籠絡されているのかを詳細に論じた人です。私が長谷川幸洋「日本国の正体」で書いたとおりです。

その長谷川幸洋氏(東京新聞・中日新聞論説副主幹)と、経済産業省との間のバトルがすごいことになってきました。

発端は、現代ビジネスにおける長谷川幸洋氏の『「銀行は東電の債権放棄を」枝野発言に資源エネ庁長官が「オフレコ」で漏らした国民より銀行、株主という本音~「私たちの苦労はなんだったのか」とポロリ』における発言です。
長谷川氏は5月13日午後、資源エネルギー庁が開いた論説委員懇談会に出席しました。そこで「枝野発言をどう受け止めるか」という質問に対して、細野哲弘長官は「これはオフレコですが」と前置きして、「そのような官房長官発言があったことは報道で知っているが、はっきり言って『いまさら、そんなことを言うなら、これまでの私たちの苦労はいったい、なんだったのか。なんのためにこれを作ったのか』という気分ですね」と発言した内容を記述しているのです。
そして、論説懇で「オフレコですが」と前置きしての細野発言が何を狙ったものなのか、それを解説しました。さらに、
『最後に「オフレコ話を書いて大丈夫か」という読者に一言。官僚はよく自分の都合に合わせて「これはオフレコ」などというが、私は私自身が明示的に同意した場合を除いて、そういう条件は一切、無視することにしている。
今回は細野が勝手にそう言っただけで、私はなにも同意していないし、同意を求められてもいない。したがって、今回はオフレコでもなんでもない。相手が勝手にそう思い込んだだけの話である。』
と念を押しました。

その続報が同じ長谷川氏による『本人に直接言わず、上司に電話「オフレコ破り」と抗議してきた経産省の姑息な「脅しの手口」~「枝野批判」の情報操作がすっぱ抜かれ大あわて』です。
経済産業省の成田達治大臣官房広報室長が、上記現代ビジネスでの長谷川氏の論説に対し、反応を示しました。成田室長が電話してきたのです。
『成田は私に直接、電話してきたのではない。私の「上司」に電話したのだ。』
そこで長谷川氏はすぐに成田氏に電話しました。
長谷川氏と成田室長との電話内容は上記の記事を見てください。
成田室長は、長谷川氏本人に電話するのではなく、上司に電話し、「オフレコですが」と断ってした細野長官発言を記事にしたことについて抗議してきたのです。
長谷川氏は、その成田室長との電話内容をも上記のように記事にした上で、官僚の「オフレコ発言」というのは官僚側のどのような意図によってなされるのか、記者側はなぜ、その官僚側の意向に沿ってしまうのか、というてんについて解説されています。
その上で、『だから、官僚が「ここはオフレコで」といったときこそ、本当は記者が官僚の狙いに気づかなければいけない。』としています。

そして、『では、論説懇のオフレコ破りは許されるのか。
私は基本的に大勢の記者が参加した場で「オフレコ」はあり得ない、と思っている。』
として、その根拠を述べています。

このような事態になって、経産省が煮えくりかえっているだろうことは推測できます。そしてその波紋は、さらにすごいことになって噴出したのでした。
長谷川氏の第三報『「枝野批判」オフレコ発言をすっぱ抜かれ、今度は東京新聞記者を「出入り禁止」にした経産省の「醜態」~広報室長は直撃にひたすら沈黙』です。
なんと、『東京新聞の経産省クラブ詰め記者に対して、事務次官など幹部との懇談に出席するのを禁止したのだ。いわゆる懇談への「出入り禁止処分」である。』という強硬手段に出たというのです。
『当事者である私自身に対しては、これを書いている19日午後7時現在に至るまで、経産省はいっさい接触しようとしてこない。私との接触を避ける一方、先のコラムで紹介したように「上司」に抗議電話をかけ、それでも効き目がないとみるや、今度は取材現場で働く記者に懇談出席禁止の制裁を加えたのである。』
この事態に対応し、長谷川氏は19日午後、経産省の成田広報室長をアポなしで訪問しました。
当初は取材に応じた成田室長は面談を切り上げようとします。
『「私は私の記事の件で経産省が弊社の記者に幹部との懇談を遠慮するように求めたと理解しているが・・・」
「知らない」
「え、知らないんですか?」。これには驚いた。』
『記者への懇談禁止処分について、私はそれなりに事実関係を確認している。だが、成田は認めないばかりか「知らない」と言った。クラブ記者の懇談禁止処分について、成田が「知らない」というのが本当なら、広報室長の職責を果たしているとは言えない。広報失格である。
もしも懇談禁止処分が本当であるとしたら、とんでもないことだ。』
さらに長谷川氏は、新聞社内における論説委員と新聞記者との関係を述べ、両者が新聞社内で独立の地位を保っていること、霞が関も当然にそのような関係を知っていると述べています。
霞が関は、論説委員といえども新聞社に所属するサラリーマンであるから、サラリーマンの弱みに付け込むべく、まずは「上司」に圧力をかけ、それでもだめなので「同じ社内の新聞記者」に圧力をかけてきたのです。

いかに東京新聞が度量のある新聞社であったとしても、霞が関からこのように露骨な圧力をかけられたら、会社としては腰砕けにならないとも限りません。そうなれば雇われ人である長谷川論説主幹の命運にも影響は及ぶでしょう。
大変なことになってきました。
長谷川氏は
『フリーランス・ジャーナリストたちの努力には頭が下がる。組織メディアの一員として、せめて戦うチャンスが来たときくらいは精一杯、戦っていきたい。』
と決意を述べて記事を締めくくっています。

これからどんなことになるのか。目が離せなくなってきました。
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1号機海水注入の中断

2011-05-22 17:23:28 | サイエンス・パソコン
《1号機の圧力容器への海水注入開始時の経緯》
海水注入が3月12日午後7時4分に始まり、同7時25分に注水を一時中断、同8時20分に注水が再開されたという経緯があるようです。
なぜ注水を一時中断したのか、また、午後7時4分の海水注入開始はどのような経緯だったのか、という点についてマスコミを賑わしているようです。私は5月20日から旅行に出かけ、ネット接続が困難な場所にいたものですからついさっき知りました。

私自身は、「もっと早く、少なくとも3月12日の朝には海水注入を開始していて欲しかった」と思っているので、それより半日ほど遅く始まったことが残念ではありますが、その後に1時間ほど中断したことは半日遅れたことに比較したら小さな事項です。それが、政局に影響するような事象として捕らえられているようです。

《1号機のベントが遅れたことの影響》
20日の夜にテレビを見ていたら、専門家が「1号機のベントがもっと早く行われていたら、1号機の水素爆発はなかった」という趣旨の発言をしていました。
私は専門家でないのでわからないのですが、全電源停止で排気系の送風機が全停止している中で、格納容器内の全圧が上昇するとともに水素ガスの比率が高くなっている状況で、ベントしたら水素ガスは原子炉建屋の上方へと流れていき、結局は水素爆発せざるを得なかったのではないか、という図式で理解しています。
たとえベントの時期が早かったとしても、ベント状態を継続せざるを得ず、格納容器内の水素濃度が高まった時点で結局は水素爆発に至ったのではないか、と理解しているのです。
はたして実態はどうだったのでしょうか。

《2、3号機》
3月12日における1号機で起きた諸々の事象は諸々の経緯に基づいて起こったとして、13~15日における2、3号機で起きた事象はなぜ防ぐことができなかったのか、その点は3月12日における経緯とは無関係に起こっています。むしろ、1号機の経験を生かして3号機の原子炉建屋水素爆発、2号機の格納容器爆発を防ぐことができなかったのか、そちらの方が残念ですし、しっかりと検証して欲しいところです。

p.s. 5/23
1号機の海水注入が一時中断となった経緯については、政府内部で混迷を極めています。
最初は、原子力安全委員長の斑目春樹氏が海水注入による再臨界の危険を主張したからだとの政府発表があり、班目氏がこの発表に激怒して政府にねじ込み、政府はすでにした発表の中味を修正するに至るという体たらくです。
3月11日の政府部内の会合における「言った、言わない」の話ですから、打合せメモを読み返せば一件落着だろう、と普通なら考えますが、ここへ来て「議事録は存在しない」ことが明らかになりました(「海水注入問題めぐる議事録はない」福山官房副長官~産経新聞 5月23日(月)12時37分配信)。
国家の一大事に対して政府が緊急に対応を協議するに際し、誰も発言メモを取っていないというのはあまりにも杜撰です。後の責任を回避するために意図的にメモを取っていなかったのだとしたら、政府首脳として姑息すぎます。
ただし、発言メモが存在しないことに私はさほど驚きませんでした。東電社長が病気療養で東電の会長がピンチヒッターに立ったとき、会長が「政府との連絡会議の議事録をオープンにしたい」と会見で述べたのに対し、「連絡会議の議事録など存在しない」と政府側が発言したのを覚えていたからです。

ところで、1号機海水注入中断がこのように大騒動になった源は、5月20日に東電が記者会見で明らかにしたことから始まったようです(<福島第1原発>海水注入55分間中断…1号機~毎日新聞 5月21日(土)1時23分配信)。また、震災翌日の原子炉海水注入 首相の一言で1時間中断~産経新聞 5月21日(土)1時6分配信によると、『3月12日に東電は原子炉への海水注入を開始したにもかかわらず菅直人首相が「聞いていない」と激怒したとの情報が入り、約1時間中断したことが20日、政界関係者らの話で分かった。』とあり、また安倍晋三元首相は20日付のメールマガジンで「『海水注入の指示』は全くのでっち上げ」と指摘したそうです。

東電はなぜ、このような話を今になって会見で公表したのでしょうか。また安倍元首相をはじめとする政界関係者は、なぜ「管首相の激怒が原因」というストーリーを述べるに至ったのでしょうか。
私は、東電の陰謀ではないかと疑い始めました。
政府の関係閣僚が取りまとめた賠償枠組み案(閣議決定ではない!)では、「発送分離」の話など一切なかったのに、管首相は唐突にそのような方向もあり得ると発言しました。これに対して東電が、首相を困らせようと画策して行っているのではないか、という推測です。
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イージス艦あたご衝突事故地裁判決

2011-05-19 21:45:07 | 歴史・社会
あたご判決 立証甘かった検察側
産経新聞 5月12日(木)7時55分配信
『航跡が最大の争点となった海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故をめぐる判決で、横浜地裁は無罪を言い渡した。事故で記録が失われ、衝突状況を科学的に証明できないにもかかわらず、「あたごの過失ありき」で主張を展開した検察側は、十分な検証を怠っていたといわざるを得ない。
航跡という客観的証拠がない中、関係者の供述をどう評価するかが公判のポイントだった。秋山敬裁判長は検察側が航跡特定の根拠とした供述調書について、「前提としている証拠に誤りがある」と立証の甘さを断じた。
秋山裁判長は判決理由で、海保や地検の捜査手法について「極めて問題がある」と言及。
地裁は証拠の信頼性を一つ一つ検討した上で、独自に航跡図を作成し、漁船側に事故原因を認定。清徳丸が複数回にわたり方向転換したことで、危険な状況を作り出したとした。
海上で起きた事故。捜査を担当したのは海保と地検だった。「海上保安庁は司法警察機関として不適切だ」。公判で検察側立証の甘さが次々に露呈する中、後潟3佐は航跡を特定した海保の捜査を、こう批判した。』

地裁判決が出たのは5月11日です。忙しくて記事が書けずにいる間に、この事件についてもすでに「過去のニュース」になってしまい、その後のフォローニュースに接することもなくなりました。

本件について、海難審判所の裁決がなされたのが平成21年1月22日です。もう2年以上も経つのですね。
このブログではイージス艦衝突事故・海難審判所裁決として記事にしました。海難審判のときからすでに、海難審判所側が主張する清徳丸の航跡と、あたごの当直士官らが主張する清徳丸の航跡とは食い違っていました。海難審判所が認定した航跡は、裁決に附属する参考図(図面の2ページ)にあるとおりです。これに対して舩渡元艦長らは、審判において、「清徳丸の航路はあたごの艦尾を通過するはずの航路であった。衝突直前に清徳丸が右転蛇したので衝突したが、転蛇せずに直進していたら衝突しなかった」と主張していたようです。裁決ではその主張を「合理性に欠ける」として退けています。しかし裁決を読んだのみでは、元艦長らがどのような証拠に基づいて清徳丸の航路を見積もったのか、裁決がどのような証拠に基づいてその主張を退けたのか、よくわかりませんでした。

地裁でもまったく同じ争いとなり、地裁は海難審判と反対に、被告ら(当時の水雷長と航海長)の主張を認め、検察の主張を退けました。
海難審判の当時から、どのような客観的根拠が存在し、その客観的根拠に基づいて清徳丸の航跡がどのように推定されるのかに興味があったのですが、海難審判時には上記のようにその謎は解明されず、今回の地裁判決でもニュースに接する限りは具体的な根拠がはっきりしません。

証拠採用の根拠は明確でないながら、海難審判の裁決を読むと、衝突直前におけるあたごの環境での様子が非常に具体的に再現されています。その中で、艦橋の左に位置していた「信号員」の行動が目に付きました。
艦橋左舷側前部にいた信号員は,艦首右舷前方に4個の紅色舷灯を認めていたが,レピーター等で方位を確認することなく,・・・04時03分半ごろ艦首右舷前方にH丸,J丸及び清徳丸の紅色舷灯を認めていた。
  ・・・
04時04分水雷長は,艦首右舷前方1.1海里付近に清徳丸の紅色舷灯を認めたので,04時05分ごろレピーターにより同舷灯の方位を確認し,04時05分半ごろOPA-6Eにより同船を確認しようとしたものの,既に清徳丸は0.5海里ばかりに接近し,OPA-6Eの画面の中心から約1海里の範囲に現れていた海面反射内に入っていたために同船のレーダー映像を識別できず,なおもOPA-6Eによる同映像の確認作業を行っていたところ,
04時06分艦橋左舷側前部にいた信号員から「漁船増速,面舵とった。」との報告があり,この報告を艦首方の漁船のことと思い,レピーターのところに戻った。
水雷長は,04時06分わずか過ぎ信号員が「漁船近いなぁ,近い,近い,近い。」と声を発し,右舷ウイングに向かったので,視線を右方に移したとき,清徳丸の紅色舷灯を右舷側近距離に視認し,04時06分少し過ぎ「機関停止,自動操舵やめ。」と令し,続いて月明かりにより同船の船影が見えたので,汽笛吹鳴スイッチを押して短音等を6回吹鳴し,ほぼ同時に後進一杯を令したが及ばず,04時07分少し前野島埼灯台から190度22.9海里の地点において,あたごは,ほぼ原速力のまま,326度を向いたその艦首が清徳丸の左舷ほぼ中央部に後方から47度の角度で衝突した。』

4時3分半頃(衝突の3分前)、信号員は清徳丸の紅色舷灯を認めていましたが、別の記録によると、「この船はあたごの艦尾を通過する」と考えていたようです。その信号員が4時6分(衝突の1分前)、「漁船増速,面舵とった。」と報告しました。この信号員の発見と報告が、衝突直前における清徳丸の最初の認知情報です。従って、信号員の記憶が正確に再現できれば、清徳丸の衝突直前における航跡が再現できるのではないかと期待されます。地裁において、この信号員はどのような証言をしたのでしょうか。

起訴当時の地検の発言では自信満々でしたが、実際の捜査では客観証拠が得られていなかったのですね。しかし今のところ、地裁での詳細な審理過程が不明なままです。どこかに裁判の傍聴記録でもないかと探したのですが、見つかっていません。

ただし、被告が主張するように清徳丸の直進針路があたごの艦尾1100mを通過する針路だったとしても、近接する航路であることに変わりはありません。あたごの艦橋は極めて注意深く見守る必要があったはずですが、清徳丸に対する注意は散漫であったことに相違有りません。その点で、海難審判所の裁定は納得できるものではあります。
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政府のおろおろぶりはなぜ?

2011-05-17 21:26:45 | サイエンス・パソコン
5月12日に、1号機の圧力容器水位計を調整した結果として、それまでは燃料棒上端から1.65m程度下方にあると思われていた水位が、燃料棒上部より約5m低いことがわかりました。新たに分かったことはこれだけです。しかしその結果として、「水棺とする計画はおじゃんになった」という結論まで導かれました。

水位が燃料棒上部-1.6mだろうが上部-5mだろうが、燃料棒が露出していることでは変わらず、露出している部分がメルトダウンしていることにも変わりありません。何で天と地ほどの差が生じるのでしょうか。

今まで、1号機の格納容器は健全で水が半分ぐらいまで溜まっているといっていたのが、突然格納容器が破損して水棺は不可能であるという話にかわりました。しかし、格納容器が健全で水が溜まっていると判断していた従来の根拠も不明ですし、突然格納容器が破損していることに変化した根拠も不明です。
そもそも、圧力計を見る限り、格納容器内の圧力と圧力抑制室の圧力とが同じままで推移しているのですから、「水は溜まっていなかった」と見る方が自然なのにです。

どの計器が信頼できるかがあいまいなのですから、「格納容器内に水は溜まっているかもしれないが溜まっていないかもしれない。格納容器は健全かもしれないが破損しているかもしれない」というスタンスであらゆる計画は立案すべきです。それなのに、「少なくとも1号機は水棺でいける」と決め打ちし、それだけを実行すべく推進してきたのですね。
呆れてものも言えません。
政府・東電統合対策室事務局長の細野豪志首相補佐官は、メルトダウンを「想定していなかった」と述べているようですが、一方で原子力安全委員長の斑目春樹氏は以前からメルトダウンを予想していたと発言しています。政府は、極めて情報不足の中で起きている事象を推測するに当たり、東電からの極めて楽観的な推測は信じていたが、政府に助言する権能を有している原子力安全委員会の委員長からの意見にはまったく耳を貸さなかったということでしょうか。

私は、循環冷却にして圧力容器への水注入量を増大することが大事なのはわかりますが、水棺にするか否かが大事かどうかわかりません。とにかく、取水位置を決めた上で、循環冷却に早く移行することを優先すべきでしょう。私は3月29日の圧力容器の冷却方法以降このことを言い続けているのですが、なぜ素人の私がこんなことを言い続けなければならないのでしょうか。

ところで、原子炉建屋などに溜まった汚染水を取水して循環するに際しては、「放射能除染しなければならない」と報道されています。水棺のときだって、格納容器に溜まる水は圧力容器から来た水ですから汚染されているのですが、格納容器内の水を取水して循環冷却するに際し除染する必要があるとの報道はありませんでした。なぜ急に除染の話が出てくるのでしょうか。必要だというのなら、もう1ヶ月以上も前から除染のための設備が計画されているべきです。

《3月11日の1号機》
朝日新聞5月16日の記事によると、1号機圧力容器の水位は、津波来襲と同時に下がり始め、11日18時頃から12日20時に海水注入が始まるまで(それ以降も)、燃料棒がすべて露出しています。しかし、今までも11日の1号機圧力容器水位は公表されており、12日20時の海水注入開始時の水位は燃料棒の上端付近まではあったことになっています。水位計がこのときすでに狂っていたということでしょうか。そのために、1号機の燃料棒が11日の時点で完全に露出していたことが今までわからなかったのですね。
一方2号機については、14日の夜から翌未明にかけて燃料棒が全部露出していたことがそのときからわかっています。今ごろになって「はじめてメルトダウンと聞かされた」とびっくりすることはないでしょう。1号機についても、3月23日に圧力容器温度が400℃であることがわかってあわてふためいたのですから、今になってメルトダウンと聞いても驚くことではありません。

ところで、地震発生から津波到来までの間、1号機で「非常用復水器」を手動で止めたため、津波来襲以降に早期にメルトダウンしてしまった、というような報道があります。この意味がよくわかりません。
2、3号機は、津波来襲ですべての電気機器がダウンした後も、圧力容器から放出される蒸気の力でポンプを回して冷却する「隔離時冷却系」が作動し、そのために「冷却不能」に至る時期が13~14日まで延びました。1号機について見ると、今回の報告では、津波来襲直後から圧力容器水位が下がり始めており、1号機の隔離時冷却系は作動しなかったようです。
ところで、地震発生から津波来襲までの間は、ディーゼル発電機が健全だったので、電気機器が作動しており、圧力容器の冷却は隔離時冷却系ではなく残留熱除去系にて行っていたはずです。圧力容器や圧力抑制室内の水を取水し、海水で冷却し、圧力容器に戻す系列です。
「非常用復水器」が私の持っている図面中には出てこないのでわからないのですが、津波到来前に作動していたということは残留熱除去系などで使われていたのではないかと推測されます。そうとしたら、津波来襲後に隔離時冷却系が動き出すにあたって、非常用復水器は関係ないようにも思われるのですが、どうなっているのでしょうか。
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3月11日の1号機

2011-05-15 22:54:35 | サイエンス・パソコン
このニュースは、やはりここに記録として留めておくべきニュースでしょう。
震災翌朝、全燃料落下=1号機メルトダウン、東電解析-ベント「遅いか言えず」
時事通信 5月15日(日)19時4分配信
『福島第1原発事故で、東京電力は15日、1号機原子炉で3月11日の東日本大震災発生直後に起きたメルトダウン(全炉心溶融)の暫定解析結果を発表した。同日午後3時半ごろに津波で冷却機能を全部喪失したとみた場合、同7時半ごろ「空だき」状態となって燃料の損傷が始まり、急速に溶融し圧力容器底部に落下。翌12日午前6時50分ごろには、ほぼ全燃料が落下したとみられる。
消防ポンプで真水を注入し始めた12日午前5時50分ごろには、圧力容器下部が損傷。格納容器への水漏れが起きたが、小規模にとどまった。真水の注入は午後2時50分ごろ止まり、直前の同2時半ごろに格納容器の圧力逃がし弁を開く「ベント」ができたが、同3時36分に水素爆発に至った。
松本純一原子力・立地本部長代理は記者会見で、当時の水位や温度などのデータ収集と作業員への聞き取り調査が進み、解析できたと説明。ベントや海水注入のタイミングが遅かったか現時点で言うことは難しく、今後検証されると述べた。
炉心最高温度は「空だき」で急上昇し、11日午後9時ごろ、燃料ペレットが溶融する約2800度に達した。
約9時間の真水注入後、東電は12日午後8時に廃炉につながる海水注入に踏み切った。注水がもっと遅かった場合、圧力容器の底が壊れ、高温の溶融燃料が格納容器まで落ちた可能性があるという。その場合、水蒸気爆発などで大量の放射性物質が外部に放出される深刻な事態もあり得た。』

3月12日、原子力安全保安院の記者会見で中村幸一郎審議官がした「1号機は炉心溶融の恐れがある」との見解は、まさに正鵠を射ていたことがわかります。しかしその発言によって中村審議官は官邸から疎まれ、その後は西山英彦審議官が記者会見を一手に引き受け、推定に基づく見通しは一切公表しないこととなりました。3月23日にこのブログ原子力安全保安院はどうなっているのかで報告したとおりです。

1号機圧力容器への海水注入があれ以上遅れず、水蒸気爆発による格納容器の破裂が起こらなかったのは不幸中の幸いでした。しかし日本国民及び全世界の人びととしては、「もっと早く海水注入していれば、ここまで悪化しなかったのではないか」との疑問から離れることができません。

一方で東京電力は5月15日、3号機の原子炉で再臨界が起きないよう、原子炉の冷却水に、中性子線を吸収するホウ酸を溶かした上で、同日から原子炉への注水を始めたと発表しました。1、2号機も今後、同じ措置を取るそうです。そんな心配があるのならもっと早くにホウ酸を注入してほしかったです。

さらに以下のニュースが流れました。
『また、東電は5月15日、4号機で3月15日に原子炉建屋が大破したのは、3号機原子炉で発生した水素が、4号機と共通の配管から4号機側に逆流し、爆発した可能性が高いとの見方を明らかにした。
3号機で放射性物質を含む蒸気を逃した排気作業の際、通常は稼働している4号機側の排風機が、当時は停電で作動しておらず、4号機側に水素が流入したとみられるという。』
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1号機続報

2011-05-14 00:11:59 | サイエンス・パソコン
1号機の圧力容器内の水位計を点検調整した結果として、水位は燃料棒(長さ4メートル)の上部より約5メートル低かったと12日に発表されました。同時に、1号機圧力容器の底部には合計で数センチ程度の穴が開いているとのことです。また、東電ははじめて、1号機の核燃料もメルトダウンしていると表現しました。

ここまでなら別に驚きません。格納容器を水棺として、核燃料の全体を水没させる既定の方向でいいからです。
ところが情報によると、「1号機の格納容器も損傷している」ということのようですが、その根拠が明らかになりません。
「格納容器に水が溜まっていないことが明確になった」のなら根拠を含めてそのように発表して欲しいのですが、その点も不明です。「圧力容器底に穴が開いているのに、格納容器に水が溜まっていない」としたら、格納容器から水が漏れていることは確かです。ですから、格納容器の損傷が見つかった、あるいは格納容器に水が溜まっていないことが分かった、という点は重要です。
また、「圧力容器の底部に穴が開いている」と推定した根拠も知りたいです。「圧力容器につながる配管から漏水しているとしたら、圧力容器内の水位はここまで低下し得ない。水位がここまで低下しているということは、圧力容器の底から漏水することしかあり得ない」ということなら、そのように理解します。

ところで、政府・東電は、1号機圧力容器の水位計を調整してはじめて、1号機のメルトダウンを認めました。
しかし、振り返ってみると、1号機は3月23日にすでに、圧力容器の温度が400℃に到達するという危機的状況を経験しています。3月24日に1号機はどうなっている?で書きました。
1号機の圧力容器の温度が400℃の高温であることがわかり、圧力容器に海水を注入する消防ポンプを1台から2台に増やし、圧力温度を低下させる、というアクシデントでした。「①今までも計測できていた温度が、この日に急に上昇した」のか、それとも「②電源が復旧したので計測が可能になり、計測してみたら400℃であることが初めて判明した」のか、その点は今でも不明です。原子力技術協会のグラフによると、1号機の圧力容器温度データは3月22日の400℃が最初ですから、これ以前から温度は400℃を超えており、このときはじめてその事実が判明したのかも知れません。

そして、圧力容器の圧力は2気圧G程度だったのですから、温度が400℃ということは沸点をはるかに超えており、圧力容器の中には液体としての水が1滴も存在しなかったことを意味します。
このとき私は『1号機の圧力容器が損壊しなかったのは、単なる幸運に過ぎないかも知れません。』と胸をなで下ろしたものです。
そうとしたら、1号機の圧力容器内の燃料棒がメルトダウンしていたとしても何ら不思議はないわけです。また水位計についても、圧力容器冷却水量を変化させても水位がピクリとも動かなかったのですから、「水位計は正しくないかもしれない」と推定しておくべきです。今になって政府・東電・マスコミがしょげかえっている理由が分かりません。

日本原子力技術協会最高顧問の石川迪夫氏が、4月26日に「電気新聞「時評」福島第一原子力発電所~炉心状況~」を公表していました。
『さて、炉心の溶融状況は推定する人により異なる。政府はプラント毎に異なり20~70%の範囲と言うが、僕は炉心はほぼ全て溶融したと見ている。
この場合、溶融炉心が圧力容器の中に残っていれば、直径4メートル高さ2メートルほどの蛤形状で、その中はセ氏2千数百度の溶融炉心が煮えたぎっている。表面は鋳物状の皮殻で、厚さは20~30センチメートルほどであろうか。皮殻の裂け目からは、蒸発してガスと化した溶融炉心(放射性物質)が、絶え間なく吐き出されている。背筋の寒くなる話だが、現実はこれに近いと想像している。』

まさにその通りなのでしょうね。
そして専門家はみな、内心そのように想像していたのでしょう。口に出さないだけで。

いずれにせよ、格納容器さえ密閉性を確保できているのであれば水棺という方針通りでいいわけです。「格納容器も破損している」というのなら、はやく根拠とともに分かっていることをすべて公表してほしいです。

首相官邸災害対策ページの5月13日17:00現在データには1号機パラメータが以下のように記されています。
・水位(5月13日11:00)
(A)ダウンスケール
(B)-1700mm
・原子炉圧力(5月13日11:00)
(A)0.478MPaG、(B)1298MPaG
・格納容器圧力(5月13日11:00) 0.1204MPaabs
・圧力容器温度(給水ノズル)(5月13日11:00):114.2℃

水位(A)が「ダウンスケール」に変化しただけで上の騒ぎです。それ以外の圧力や温度データは従前のままですね。
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