阿川佐和子・檀ふみ
①「ああ言えばこう食う」(集英社文庫)
②「ああ言えばこう行く」(集英社文庫)
この2冊の本、いずれも、阿川佐和子と檀ふみの往復書簡形式のエッセイです。互いに相手をアガワ、ダンフミと呼び、相手の行状についてこき下ろします。
一つ前の相手の原稿の話題を受けて、あるいは関係なく、相互に原稿を書き付けていきます。相手の行状について悪口を書くうちに、結果的には自分自身を暴くことになっているのです。
二人が相手を呼びつけにしているので、年齢関係を調べてみたところ、阿川佐和子は1953年11月1日生まれ、檀ふみは1954年6月5日生まれで、半年違いなのですね。
①のまえがき(檀ふみ)
「『アンタたち仲良しなんて言われてるけど、ホントはすっごく仲が悪いんじゃないの』と、言われたことがある。
・・・
だが、『仲が悪い』と思ったことは一度もない。
アガワサワコは、ダンフミが二十代後半にしてようよう与えられた、天の恵みである。ご褒美である。」
①のあとがき(阿川佐和子)
「テレビのプロデューサー氏から電話をいただいた。・・・
『君に紹介したい人がいる。君とその人の間には三つの共通点がある。一つ、父親の職業が同じ。二つ、出身大学が同じ。そして三つ目は、翔べそうで翔べないところがそっくりだ』」
阿川佐和子と檀ふみが知り合ったきっかけです。
「たしかに私自身、ダンフミにあうまでは、この女優のことを、汚れも下品な冗談もいっさい知らぬ清純派だと思っていた。
・・・
『できる人』の印象に突然、変化をきたした日のことも、はっきりと覚えている。
(香港のホテルで二人は同じ部屋に泊まります。阿川は荷造りを終えているのに、檀ふみは化粧バッグのチャックを閉め、再び開け、何かを取り出してチャックを閉め、また開けています。阿川が「ねえ、さっきから何やってんの?」と聞くと、檀ふみは答えます。)
『そうなの。妹にもよく言われるの。おねえちゃん、ずっとチャックを開けたり閉めたりしているだけで、荷造りぜんぜん進んでいないじゃないって』
私は感動した。思わず目の前の女優を抱きしめたい衝動にかられた。
そうだったのか。長らくこの人を、何事にもスキがなく、近寄りがたい『できる人』と信じてきたが、それは間違いだったのだ。
この人は案外、バカだったのである。」
こんな感じで、全編相手をこき下ろす話で満載です。しかし、悪い感じは残らず、逆に書いている本人のドジさ加減が白日に曝されるのです。
①の巻末に、五木寛之氏と阿川・檀三者の特別鼎談が掲載されています。
五木「この本が、たくさんの人たちに楽しく読まれた理由のひとつは、読んだ後になにも残らないことですね。これがじつにいい(笑)。」
「読み終えた後、胃にもたれない。残っているのは、そのときのいい印象だけ、『ああ、おいしかったな』っていう。それはとても大事なことなんです。」
それは確かに言えてます。
阿川佐和子の父親は阿川弘之、檀ふみの父親は檀一雄で、ともに作家です。両人とも、少女時代の父親との話題は満載です。読み終わった現在、各話題が、いったいアガワだったかダンフミだったか、混然としています。
本人の誕生日、一家で中華料理屋に行き、ご馳走を食べます。食べ終わって外に出ると寒風が吹いており、一言「寒い」と言ったら、父親が「親からご馳走になって最初に言う言葉が『寒い』とは何ごとか」と怒鳴られます。折角の誕生会が台無しです。その晩本人は、『誕生日なんて来なければいいのに』と思いながら寝ます。ところでこの話はアガワだったかダンフミだったか。
ところで②によると、ダンフミの大学時代、トモタケくんとのデートの約束をうっかりすっぽかしてしまったことがあります。トモタケ君からは二度と連絡が来ません。「やたらとプライドの高い、神経質なオトコだった。無理矢理そう思ってみるのだが、高校時代、校庭でひとりサッカーボールと戯れていた、美しい横顔ばかりが浮かんで、いつまでも胸が痛い。」
っていうことは、トモタケ君はダンフミと同じ高校のサッカー部ですか?私の後輩に当たるわけだ。
①「ああ言えばこう食う」(集英社文庫)
②「ああ言えばこう行く」(集英社文庫)
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この2冊の本、いずれも、阿川佐和子と檀ふみの往復書簡形式のエッセイです。互いに相手をアガワ、ダンフミと呼び、相手の行状についてこき下ろします。
一つ前の相手の原稿の話題を受けて、あるいは関係なく、相互に原稿を書き付けていきます。相手の行状について悪口を書くうちに、結果的には自分自身を暴くことになっているのです。
二人が相手を呼びつけにしているので、年齢関係を調べてみたところ、阿川佐和子は1953年11月1日生まれ、檀ふみは1954年6月5日生まれで、半年違いなのですね。
①のまえがき(檀ふみ)
「『アンタたち仲良しなんて言われてるけど、ホントはすっごく仲が悪いんじゃないの』と、言われたことがある。
・・・
だが、『仲が悪い』と思ったことは一度もない。
アガワサワコは、ダンフミが二十代後半にしてようよう与えられた、天の恵みである。ご褒美である。」
①のあとがき(阿川佐和子)
「テレビのプロデューサー氏から電話をいただいた。・・・
『君に紹介したい人がいる。君とその人の間には三つの共通点がある。一つ、父親の職業が同じ。二つ、出身大学が同じ。そして三つ目は、翔べそうで翔べないところがそっくりだ』」
阿川佐和子と檀ふみが知り合ったきっかけです。
「たしかに私自身、ダンフミにあうまでは、この女優のことを、汚れも下品な冗談もいっさい知らぬ清純派だと思っていた。
・・・
『できる人』の印象に突然、変化をきたした日のことも、はっきりと覚えている。
(香港のホテルで二人は同じ部屋に泊まります。阿川は荷造りを終えているのに、檀ふみは化粧バッグのチャックを閉め、再び開け、何かを取り出してチャックを閉め、また開けています。阿川が「ねえ、さっきから何やってんの?」と聞くと、檀ふみは答えます。)
『そうなの。妹にもよく言われるの。おねえちゃん、ずっとチャックを開けたり閉めたりしているだけで、荷造りぜんぜん進んでいないじゃないって』
私は感動した。思わず目の前の女優を抱きしめたい衝動にかられた。
そうだったのか。長らくこの人を、何事にもスキがなく、近寄りがたい『できる人』と信じてきたが、それは間違いだったのだ。
この人は案外、バカだったのである。」
こんな感じで、全編相手をこき下ろす話で満載です。しかし、悪い感じは残らず、逆に書いている本人のドジさ加減が白日に曝されるのです。
①の巻末に、五木寛之氏と阿川・檀三者の特別鼎談が掲載されています。
五木「この本が、たくさんの人たちに楽しく読まれた理由のひとつは、読んだ後になにも残らないことですね。これがじつにいい(笑)。」
「読み終えた後、胃にもたれない。残っているのは、そのときのいい印象だけ、『ああ、おいしかったな』っていう。それはとても大事なことなんです。」
それは確かに言えてます。
阿川佐和子の父親は阿川弘之、檀ふみの父親は檀一雄で、ともに作家です。両人とも、少女時代の父親との話題は満載です。読み終わった現在、各話題が、いったいアガワだったかダンフミだったか、混然としています。
本人の誕生日、一家で中華料理屋に行き、ご馳走を食べます。食べ終わって外に出ると寒風が吹いており、一言「寒い」と言ったら、父親が「親からご馳走になって最初に言う言葉が『寒い』とは何ごとか」と怒鳴られます。折角の誕生会が台無しです。その晩本人は、『誕生日なんて来なければいいのに』と思いながら寝ます。ところでこの話はアガワだったかダンフミだったか。
ところで②によると、ダンフミの大学時代、トモタケくんとのデートの約束をうっかりすっぽかしてしまったことがあります。トモタケ君からは二度と連絡が来ません。「やたらとプライドの高い、神経質なオトコだった。無理矢理そう思ってみるのだが、高校時代、校庭でひとりサッカーボールと戯れていた、美しい横顔ばかりが浮かんで、いつまでも胸が痛い。」
っていうことは、トモタケ君はダンフミと同じ高校のサッカー部ですか?私の後輩に当たるわけだ。