弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

阿川佐和子・檀ふみ

2007-05-29 23:03:09 | 趣味・読書
阿川佐和子・檀ふみ
①「ああ言えばこう食う」(集英社文庫)
②「ああ言えばこう行く」(集英社文庫)
ああ言えばこう食う (集英社文庫)
阿川 佐和子,檀 ふみ
集英社

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ああ言えばこう行く (集英社文庫)
阿川 佐和子,檀 ふみ
集英社

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この2冊の本、いずれも、阿川佐和子と檀ふみの往復書簡形式のエッセイです。互いに相手をアガワ、ダンフミと呼び、相手の行状についてこき下ろします。

一つ前の相手の原稿の話題を受けて、あるいは関係なく、相互に原稿を書き付けていきます。相手の行状について悪口を書くうちに、結果的には自分自身を暴くことになっているのです。

二人が相手を呼びつけにしているので、年齢関係を調べてみたところ、阿川佐和子は1953年11月1日生まれ、檀ふみは1954年6月5日生まれで、半年違いなのですね。

①のまえがき(檀ふみ)
「『アンタたち仲良しなんて言われてるけど、ホントはすっごく仲が悪いんじゃないの』と、言われたことがある。
 ・・・
だが、『仲が悪い』と思ったことは一度もない。
アガワサワコは、ダンフミが二十代後半にしてようよう与えられた、天の恵みである。ご褒美である。」

①のあとがき(阿川佐和子)
「テレビのプロデューサー氏から電話をいただいた。・・・
『君に紹介したい人がいる。君とその人の間には三つの共通点がある。一つ、父親の職業が同じ。二つ、出身大学が同じ。そして三つ目は、翔べそうで翔べないところがそっくりだ』」
阿川佐和子と檀ふみが知り合ったきっかけです。

「たしかに私自身、ダンフミにあうまでは、この女優のことを、汚れも下品な冗談もいっさい知らぬ清純派だと思っていた。
 ・・・
『できる人』の印象に突然、変化をきたした日のことも、はっきりと覚えている。
(香港のホテルで二人は同じ部屋に泊まります。阿川は荷造りを終えているのに、檀ふみは化粧バッグのチャックを閉め、再び開け、何かを取り出してチャックを閉め、また開けています。阿川が「ねえ、さっきから何やってんの?」と聞くと、檀ふみは答えます。)
『そうなの。妹にもよく言われるの。おねえちゃん、ずっとチャックを開けたり閉めたりしているだけで、荷造りぜんぜん進んでいないじゃないって』
私は感動した。思わず目の前の女優を抱きしめたい衝動にかられた。
そうだったのか。長らくこの人を、何事にもスキがなく、近寄りがたい『できる人』と信じてきたが、それは間違いだったのだ。
この人は案外、バカだったのである。」

こんな感じで、全編相手をこき下ろす話で満載です。しかし、悪い感じは残らず、逆に書いている本人のドジさ加減が白日に曝されるのです。


①の巻末に、五木寛之氏と阿川・檀三者の特別鼎談が掲載されています。
五木「この本が、たくさんの人たちに楽しく読まれた理由のひとつは、読んだ後になにも残らないことですね。これがじつにいい(笑)。」
「読み終えた後、胃にもたれない。残っているのは、そのときのいい印象だけ、『ああ、おいしかったな』っていう。それはとても大事なことなんです。」

それは確かに言えてます。


阿川佐和子の父親は阿川弘之、檀ふみの父親は檀一雄で、ともに作家です。両人とも、少女時代の父親との話題は満載です。読み終わった現在、各話題が、いったいアガワだったかダンフミだったか、混然としています。

本人の誕生日、一家で中華料理屋に行き、ご馳走を食べます。食べ終わって外に出ると寒風が吹いており、一言「寒い」と言ったら、父親が「親からご馳走になって最初に言う言葉が『寒い』とは何ごとか」と怒鳴られます。折角の誕生会が台無しです。その晩本人は、『誕生日なんて来なければいいのに』と思いながら寝ます。ところでこの話はアガワだったかダンフミだったか。

ところで②によると、ダンフミの大学時代、トモタケくんとのデートの約束をうっかりすっぽかしてしまったことがあります。トモタケ君からは二度と連絡が来ません。「やたらとプライドの高い、神経質なオトコだった。無理矢理そう思ってみるのだが、高校時代、校庭でひとりサッカーボールと戯れていた、美しい横顔ばかりが浮かんで、いつまでも胸が痛い。」
っていうことは、トモタケ君はダンフミと同じ高校のサッカー部ですか?私の後輩に当たるわけだ。
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「ブラヴォー・ツー・ゼロ」

2007-05-27 18:58:24 | 趣味・読書
アンディ マクナブ「ブラヴォー・ツー・ゼロ―SAS兵士が語る湾岸戦争の壮絶な記録」(ハヤカワ文庫)
ブラヴォー・ツー・ゼロ―SAS兵士が語る湾岸戦争の壮絶な記録 (ハヤカワ文庫NF)
アンディ マクナブ
早川書房

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一連の軍事ものの書籍を購入した結果として、アマゾンから薦められたので購入して読んでみました。

1991年1月22日、湾岸戦争の地上戦が始まる前、イギリス陸軍のSAS(特殊部隊)の隊員8人が、ヘリコプターで運ばれてイラク国内に潜入します。シリアとの国境から約300kmの地で、徒歩で進軍し、スカッドミサイル発射のための通信ラインを破壊し、帰還しようという作戦です。

当初の予想と異なり、その地はイラク軍が集結している地域であり、目的を達成する前に敵軍に遭遇して敵中突破を余儀なくされます。各所で遭遇戦を戦い、いつしか8名は小グループに分かれ、1名は飲まず食わずで8日間逃走してシリア国境を越えることができましたが、3名は戦死、残り4名は捕虜となります。捕虜となるまでの激しい戦闘、捕虜となってからの壮絶な尋問が克明に描かれています。
情報によると、8名が戦った遭遇戦でイラク軍は250名の死傷者を出したといいますから、8名の戦闘能力は凄いものです。

著者のマクナブは捕虜となった一人です。少年時代は警察のやっかいになり、16歳で軍務について以来33歳の執筆時まで軍務に服していました。しかし文章はわかりやすく、状況を克明に描いています。

Wikipediaによると、SASは第2次大戦中に敵の後方攪乱を目的として設立された特殊部隊であり、近年は北アイルランド紛争の対テロ活動で注目され、世界中の特殊部隊のモデルとなったそうです。この本にもSASの概略が描かれています。特別に強固な気力と体力を持った青年が、厳しい選抜訓練ののちにSAS隊員となります。
著者は、湾岸戦争でこれだけの試練を経験しながら、帰還後のストレス測定テストの結果では、自分の体験に感情面での影響を受けていないということです。その点でも強靱な精神力を持っていた人なのでしょう。

湾岸戦争の停戦協定が結ばれ、マクナブら捕虜が解放されます。赤十字の職員がバグダッド付近まで捕虜受け取りにやってきますが、その場面でのマクナブの記述が面白いです。
「赤十字の職員は、二十代なかばの女性から五十代後半の男性までいろいろだった。彼らは信じられないほど勇敢で、プロ意識の強い人々だった。わたしにはとうていつとまらない。」

書籍名のブラヴォー・ツー・ゼロ(Bravo Two Zero)とは、著者らの任務部隊に与えられたコールサインです。BravoはアルファベットBに対するフォネティックコードですから、このコールサインは「B20」という意味ですね。
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アメリカのロースクール

2007-05-26 19:58:08 | 弁理士
日本にロースクール制度ができて何年か経ち、昨年は2年(法学既習)コースの卒業生による初めての司法試験が行われ、今年は3年(法学未習)コースの卒業生による初めての司法試験が行われます。
新聞によると、合格確率は5割、いや4割ということで、厳しい試験になりそうです。

日本のロースクール制度は、もともとはアメリカのロースクール制度に範を求めたものだと思います。
日本のロースクールに関する新聞記事を見るにつけ、アメリカのロースクール制度との比較が気になります。
アメリカの大学の学部には法学部が存在せず、従ってロースクール進学者は全員が法学未習で3年コースのみです。

「パテント」2004年7月号に、「アメリカのロースクールの3年制課程について」と題して、弁理士の日野真美さんが体験記を書かれています(こちらにpdf)。

まえがきによると、
「私は,アメリカのニュージャージー州にあるシートンホール大学 (Seton Hall University) ロースクールの3年制課程(J.D.コース)を1999年6 月に卒業し,ニューヨーク市にあったペニー&エドモンズという知的財産権専門の法律事務所で2002年10月まで働きました。今後私と同じように法学部出身ではないがアメリカのロースクールへ行ってみたい,アメリカで働いてみたい,と思われる方のために,何かのご参考になればと,ロースクールの3 年制課程への進学について私の経験を交えて以下に述べることにします。」

日野さんは、大学の薬学部卒業、大手製薬会社の研究所勤務、大阪の特許事務所で弁理士として勤務と経歴を重ね、ご主人のアメリカ転勤が決まり、「それなら、私はアメリカでロースクールに行きたい」と無謀な(^_^)計画を立てます。

まずは英語力をつけるための苦労があり、ついで入学試験です。
「学校によって違いがありますが,上記TOEFL の得点,LSAT(ロースクール入学共通試験)の得点に加えて,大学の成績平均点,恩師などに書いていただく推薦状,及び小論文などをそろえて出願します。」「私はLSAT の点数は高くありませんでしたが,大学時代の成績はそれほど悪くなく,何よりも経歴がとても珍しかったので,それが考慮されて入学できたのだろうと思います。」

1年目の授業は、学生をパニック状態まで追い詰める「ソクラテスメソッド」という手法で進められます。英語のハンディを背負う辛さを日本人と分かち合いたいと思っても、その学校には日本語ネイティブの同学年生は皆無でした。

ロースクールは学生サポートシステムが充実しています。
前年の優等生が教授アシスタントとして学校に雇われており、補習や相談に乗ってくれます。図書館には過去問が製本されています。学部長に相談したところ、「過去問をやってそれぞれの教授に見せるように」とアドバイスされ、それで試験を乗りきります。図書館には有能で親切な司書がいます。またライティングコンサルタントの先生が雇われており、ライティングについてじっくり相談に乗ってくれます。

ロースクールの授業の成績は厳しい相対評価であり、出席も取ります。これは全米弁護士会(ABA)によって要求される条件であり、ABAの認定がないと卒業生が司法試験を受けることができません。

ロースクールの2年から3年に上がる夏休みには、法律事務所の見習いとしてサマー・アソシエート・プログラム(3ヶ月間)に参加します。ここで働いて内定をもらうことが就職に直結するので、皆真剣に手の込んだ履歴書と手紙を用意し、100近くの法律事務所に送りますが、大部分は不採用です。
日野さんはたまに一次面接に進みますが、どうしても二次面接に進めません。日野さんは面接で日本人の習性として謙遜口調で臨んでいましたが、面接の本を読んで考え方を改め、自分のアピールに変更します。その結果、ニューヨークの大手事務所のプログラムに参加が認められました。さらにプログラムの最後には思いもかけず内定までもらってしまいます。


5月末にロースクールを卒業すると、司法試験は7月末にあります。その2ヶ月間、ほとんどの人はバーブリ(BarBri)という試験対策の塾に通います。
「学生の中には「なんだ,ロースクールに3年も行かないでもこの2ヵ月間バーブリで勉強するだけで充分じゃないの」と言う者も出る始末です。」

司法試験は7月と2月の年2回行われ、合格率は7月の試験で70%、2月の試験で45%程度とのことです。2月の試験には7月試験で不合格だった30%の人が受けるとすると、最終合格率=70+30×0.45=84%程度になるのでしょうか。
日本の50%程度とは随分な開きがあります。


実は日野さんは、2年目の半分の頃、ご主人が日本に転勤します。しかしご主人の理解で学業を続け、さらにご主人の理解で1年程度法律事務所に勤務することにしますが、結局は丸3年間働いたとのことです。

いやいや、いつもは硬い記事で満載のパテント誌ですが、この記事はおもしろさで特筆です。アメリカのロースクール制度に触れる意味も含め、ぜひご一読をお薦めします。
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審決取消訴訟の判決

2007-05-24 20:58:49 | 知的財産権
特許無効審決取消訴訟に被告代理人として関わっている案件があります。本件については、弁論準備手続での専門委員の関与弁論準備手続での応答口頭弁論について今まで紹介してきました。先日、この案件について知財高裁で判決がありました。
判決の言い渡しには出頭しない場合も多いそうですが、私はこの目で確かめるべく、指定の時間に出頭しました。

指定された法廷は裁判所の8階です。法廷の前の廊下に掲示された予定表を見ると、同じ時刻に3件の事件が入っています。私の事件はその最初です。
法廷に入室し、用意されていた用紙の被告側代理人欄に自分の氏名を記入し、傍聴席で待ちます。
指定時刻の5分ほど前、「○○事件の代理人の方はお入りください」と呼び出され、被告席に座ります。原告側の代理人も出頭していました。
定刻になると3名の裁判官が登場し、一同礼の後、判決主文が読み上げられます。
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は,原告の負担とする。」
やりました。当方の勝訴です。

そして次の事件に移るので、その事件の代理人とバトンタッチです。
判決の正文を受け取るべく、その足で17階の知財高裁の書記官室に出向きます。まだ書類が到着していないということで、廊下に並べた椅子でしばらく待たされます。原告代理人も来ています。書類はたった今の法廷に持参されていたのでしょうか。そのうちに書類が到着し、所定の用紙に印鑑を押して判決を受領してきました。
判決は裁判所ホームページにすでに掲載されています。

判決から2週間後、上告の有無を確認するまでは未確定の状況が続きますが、取り敢えずは安心することができました。
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(パリ)部分優先権の解釈(2)

2007-05-22 23:07:29 | 知的財産権
ボーデンハウゼンのパリ4条Fの記述についてです。私はボーデンハウゼンの難解な翻訳文をあまり見たくないのですが、前報で触れた以上、責任を取りましょう。

まず、優先権主張出願で、優先権基礎出願に記載した以外の発明を追加する場合を列挙しようと思います。ここで、国内優先権についての吉藤「特許法概説」の3類型を参考にします。
①実施例補充型
 基礎出願:請求項に発明A/実施例として発明a1
 優先出願:請求項に発明A/実施例として発明a1、a2

②上位概念抽出型
 基礎出願:発明A
 優先出願:発明Aの上位概念α

③出願単一性利用型
 いろいろ考えると、AorB、A&Bはこの類型に入るような気がします。逆に言うと、AorB、A&Bはいずれも①②になじみません。
 ③-1
  基礎出願:発明A
  優先出願:発明AorB
 ③-2
  基礎出願:発明A
  優先出願:発明A、発明A&B


ボーデンハウゼンの記述の中で、
「複数優先権が主張できるまでには別の特許出願がされていなかったかまた別個の特許出願にもされない(たとえば、追加要素それ自体では発明的性格を有しない)ような発明の要素」
の部分について検討します。

この記載をどのように分解するかですが、私は以下のように分解しました。
(1)「複数優先権が主張できるまでには別の特許出願がされていなかったような発明の要素」
(2)「別個の特許出願にもされない(たとえば、追加要素それ自体では発明的性格を有しない)ような発明の要素」

それぞれ「発明の要素」とは、どのような内容を意味しているのでしょうか。
(1)については、「別の特許出願しようと思えばできるが、たまたま出願していなかった」と解釈できます。そうすると、「A&B発明の構成B」は考えられません。通常、A&BのうちのBは、基本発明Aを改良するための一要素であり、Bそれ自身が独立した発明となる場合は少ないと考えられます。発明の要素として該当するのは、AorBのB(この場合はB自身が独立した発明)と、「発明A&Bそのもの」ぐらいです。

(2) については、発明の要素として、「A&Bの構成B」は確かに該当しそうです。一方、実施例補充型における追加の実施例a2も該当するように思います。


ボーデンハウゼンの記述を遡及効解釈で読むと以下のようになります。「要素」とは、複数記載された各発明を意味します(発明の構成要素ではない)。
優先権基礎出願:請求項1:発明A/実施例:a1
優先権主張出願:請求項1:発明A/実施例:a1、a2、請求項2:A&B

「最初の特許出願(請求項1:発明A)がされてから、最初の出願のときには存在せず、複数優先権が主張できるまでには別の特許出願がされていなかったような発明の要素(発明A&B)、あるいは別個の特許出願にもされない(たとえば、追加要素それ自体では発明的性格を有しない)ような発明の要素(実施例a2)が、最初の出願の優先権を主張した同一の発明に関する後の出願に含まれることがしばしば起こる。この条約においては、この後の出願において追加された事項(請求項2の発明A&B、請求項1の実施例a2)は最初の出願にすでに存在していた発明の他の要素(請求項1の発明A)について優先権を認める妨げにならない。」


ふぅ。取り敢えず終わりまで来ました。


次に、前回紹介した[事例1]について

出願2と出願3の間に特許法29条の2が介入するとややこしくなるので、出願2と出願3を同日出願にしてしまいましょう。
(1) 甲が他国で発明Aについて出願(出願1)
(2) 第三者が発明Aを公開
(3) 乙(出願2)と甲(出願3)がそれぞれ独立にかつ同日に、日本で発明A&Bについて出願
(発明A&Bは発明Aによって進歩性を否定される)

証拠除外効で解釈すると、出願2と出願3は同日出願で同じ立場なのに、乙の出願2は(2) の公開に基づいて拒絶され、甲の出願3は証拠除外効で(2) が除外され拒絶されません。
このような差別を認めるか、認めないかという点です。

私は、発明Aと発明A&Bとは別発明なのだから、発明Aの発明者を特別に優遇する必要はないと思っています。
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(パリ)部分優先権解釈の推移

2007-05-20 20:22:30 | 知的財産権
先日も書いたように、パリ優先権の効果については、「遡及効」と「証拠除外効」という大きな二つの解釈の流れがあったようです。この点については、パテント誌2006年6月号で、特許庁審判官の柴田和雄氏が「改良発明に対する複合/部分優先権制度の意義-証拠除外効から遡及効への解釈の転換-」という論文を発表されています。こちら(pdf)です。

優先権基礎出願に発明A、優先権主張出願に発明A&Bが書かれており、優先権基礎出願と優先権主張出願との間に発明Aが公開になった場合、証拠除外効であればA&Bについて優先権が効き、遡及効であればA&Bについては優先権が効きません。
言葉を替えると、発明A&Bの構成要件Aのみについて優先権が効くとの考え方(証拠除外効に対応)と、A&Bでは発明が一体であるから構成要件Aのみに優先権が効くことはないとの考え方(遡及効に対応)の対立です。

上記パテント誌の論文によると、部分優先権についてのパリ条約のもともとの趣旨は、この「証拠除外効」であったというのです。そして、ボーデンハウゼンの記述、日本の審査基準の変遷、EPC審決の変遷などについて説明し、次第に解釈が「遡及効」変化した状況について説明がされています。


《ボーデンハウゼン》パリ条約4条Fの項には以下のように書かれています。

「(ロ)発明が直ちには完成されず、したがってその特許出願がされてからでも改良発明または追加発明がされ、それが他の異なった部分についての別々の(複数の)優先権を、その部分についてされたいろいろな最初の出願を基礎として、主張することを認めている。
(ニ)1958年のリスボン改正会議でされた第2の追加規定は、部分優先権の可能性に関するものである。最初の特許出願がされてから、最初の出願のときには存在せず、複数優先権が主張できるまでには別の特許出願がされていなかったかまた別個の特許出願にもされない(たとえば、追加要素それ自体では発明的性格を有しない)ような発明の要素が、最初の出願の優先権を主張した同一の発明に関する後の出願に含まれることがしばしば起こる。この条約においては、この後の出願において追加された事項は最初の出願にすでに存在していた発明の他の要素について優先権を認める妨げにならない。」

この記述を、証拠除外効と見るのか遡及効と見るのか、読めば読むほど分からなくなりましたが、皆さんはいかがでしょうか。


《EPCの状況》
EPCにおいては、上記パテント誌によると、条約成立時に多くの国の運用を統一するための議論が行われ、その中で「証拠除外効」ではなく「遡及効」を採用するに到ったいきさつがあるようです。
ここにおいて、やはりパリ条約4条Hの"elements of the invention"の解釈には困ったようです。そこで英文を都合のいいように解釈したとしています。
「「構成部分」(elements)と「発明」(invention)を同格に扱い,「ある構成部分,即ち,優先権の主張に係る発明」と文意解釈したのである。このように解釈すると,発明と同格の「構成部分」(element)は「主題事項」(subject matter)ということになるから,「構成部分」(element)は「構成要件」(feature)ではなく「実施例」(embodiment)であるという結論を導くことができる。」


《日本の状況》
日本は欧州が運用を固めた後、欧州の運用解釈に追従した形をとることにした、と上記パテント誌は述べています。
パリ優先権の運用を、条文上遡及効であることが明確な国内優先権の運用と合わせる点でも意味があります。
そして、遡及効であることを明らかにした審査基準を発表した後、パブリックコメントでもこの点についての反論は一切なかったとのことです。

《日本の判決》
先日紹介したテクスチヤヤーン事件光ビームで情報を読み取る装置事件があります。
どちらも「①一体不可分でない(独立して発明を構成する)場合」に発明の構成要件ごとに優先権が有効であるとし、②そうでない場合は構成要件ごとの優先権は有効でないとしています。
テクスチヤヤーン事件ではA&Bが②、光ビームで情報を読み取る装置事件ではA&Bが①の扱いでした。
A&B発明の場合、常に②なのか、それとも事例によって①だったり②だったりするのか、という点が論点です。
審査基準では常に②ですが、判決の動向ははっきりしませんね。


《「発明の保護と利用の釣り合い上、遡及効の方が好ましい」と考える理由》
[事例1]
(1) 甲が他国で発明Aについて出願(出願1)
(2) 第三者が発明Aを公開
(3) 乙が日本で発明A&Bについて出願(出願2)
(4) 甲が日本で優先権主張して発明A&Bについて出願(出願3)
(発明A&Bは発明Aによって進歩性を否定される)

この場合、「乙の出願2は(2) の発明A公開によって拒絶となり、甲の出願3は優先権が有効で特許になる」というのは、納得できません。
もっとも、出願3は出願2によって特許法29条の2違反となりますが。


[事例2]
(1) 甲が他国で発明Aについて出願(出願1)
(2) 10ヶ月後、甲が他国で発明A&Bについて出願(出願2)
(3) 第三者が発明Aを公開
(4) (2)から10ヶ月後、甲が日本で出願2を優先権基礎として発明A&Bについて出願(出願3)
(発明A&Bは発明Aによって進歩性を否定される)

この場合、「出願2について構成Aは出願1の優先権が効いている。その結果、出願2のA&Bについて、優先権が発生するのは構成Bのみ。従って、出願3において構成Aについては優先権が効かず、Aの公知によって進歩性が否定される」というのは納得できません。

以上のような事例から、私は遡及効の方が好ましい、と考えました。

もちろん、逆の解釈が好ましいような事例が存在すると思います。もしありましたらご紹介ください。

例えば上記パテント誌では、「発明Aを出願した者が直ちに発明Aについて公開し、1年以内に改良発明A&Bについて優先権を主張して出願することができる。」という事例で証拠除外効のメリットを述べています。
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日経新聞社「そこまでやるか!」

2007-05-19 22:54:43 | 趣味・読書
日本経済新聞社編「そこまでやるか!」(日経ビジネス人文庫)
そこまでやるか!―あなたの隣のスゴイヤツ列伝 (日経ビジネス人文庫)

日本経済新聞社

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2004年に日経新聞夕刊に連載された「そこまでやるか」シリーズをまとめたものです。
まえがきから。
「この連載にはおよそ目的というものがなかった。変わった人間がいるらしいと聞けば、飛んで行って話を聞き、記事にするというただそれだけだ。」
「それでも、一人の人間がひとつのことに生涯をかけて、ボウボウと燃えさかっている現場は侮れない。」

・岡山県新見市の山あいの町のドラッグストア女主人は、年間売り上げ2億円を誇ります。その接客の秘密が明かされます。
・山形新幹線の車内販売員である女性は、東京-新庄の一往復7時間で、30万円以上を売り上げます。都内のコンビニは24時間の営業で50万円売り上げれば上出来だそうです。そのすご技が紹介されます。
・口べたで人と話すことが苦手だったのに、生命保険の営業でトップクラスのエースとなった女性。マネジャーとなっても、メンバーに攻略法を静かに助言し、彼女の班は4回も社内全国一を獲得しています。

そんな凄い人たち66人の話が載っている本です。

世の中にはこんなに変てこな人たちがいて、こんなに頑張っているのか、と読んでいて元気が出てきます。
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(パリ)部分優先権(2)

2007-05-17 23:15:46 | 知的財産権
先日報告したように、パリ条約の部分優先権の効力について、判決例「テクスチヤヤーンの製造法」があります。判決文はこちら

この判決文を素直に読むと、
「優先権基礎出願に発明Aが記載され、優先権主張出願に発明Aとともに、発明A+Bが記載されているときに、
(1) A+BがA&Bであれば、優先権は効かない。
(2) A+BがA or Bであれば、Aの部分のみに優先権が効く。」
と解釈できます。

しかし、「A&Bであっても、場合によってはAの部分に優先権が効く」という判決があるのです(ちょっと状況が異なるが)。
東京高裁平成元年(行ケ)115「光ビームで情報を読み取る装置」審決取消請求事件です。判決文はこちら

①フランス第1出願(特許出願A)には、構成(a)~(e)の装置(焦点集束装置)が記載されている。
②フランス第2出願(特許出願B)には、構成(a)~(e)(焦点集束装置)に構成(f)(情報読取装置)を付加した発明が記載されている。
③わが国に、特許出願Bを優先権基礎として、構成(a)~(e)(f)の装置についてパリ優先権主張出願をした。
④特許出願Bと日本出願の間の期間に、特許出願Aの公開公報((a)~(e)の装置が記載されている)が公開になった(第一引用例)。

[論点]
構成(a)~(f)の装置全体について、特許出願Bによる優先権が効いているか否か。

テクスチヤヤーン事件をはじめてとして、今までの議論は「第2出願でA+BのAに優先権は効いているか」でしたが、今回は「第2出願でA+BのAについて優先権は発生しているか」であり、その点で異なります。

[判決の論旨]
(一般論)
「パリ条約四条F項によれば、同項は発明の単一性を要件として、いわゆる複合優先及び部分優先を認めており、第二国出願に係る発明が第一国出願に係る発明の構成部分とこれに含まれていない構成部分を含んでいるときは、共通である構成部分と第一国出願に含まれていない構成部分とがそれぞれ独立して発明を構成するときに限り(すなわち、この両構成部分が一体不可分のものとして結合することを要旨とするものでないときに限り)、共通である構成部分については第一国出願に係る発明が優先権主張の基礎となることに照らすと、第一国に最初にした出願に係る発明と後の出願に係る発明とが右のような関係にある場合に、第二国に後の出願に係る発明と同一の構成を有する発明について出願するとき、優先権主張の基礎とすることができる特許出願は、第一国に最初にした出願に係る発明と共通の構成部分については、最初にした特許出願であり、これに含まれていない構成については後の特許出願である、と解すべきである。」
この内容は、前述のテクスチヤヤーン事件の判示事項をそのままなぞっています。
テクスチヤヤーン事件であれば、
・一体不可分である(独立して発明を構成しない)場合としてA&Bが挙げられ
・一体不可分でない(独立して発明を構成する)場合としてA or Bが挙げられていました。

(具体論)
今回の事件では、明らかに「(a~e)&(f)」と表現されるべき発明です。
これに対し判決では、「A&B」的発明であっても、一体不可分とは限らず、一体不可分ではなく、独立して発明を構成する場合があり、本件がそれに該当すると判示したのです。

(a)~(e)は、特許出願Aに記載の発明ですから、当然に独立して発明を構成します。そして本件では、(f)が情報読み取り装置であって独立して発明を構成するのであり、(a)~(e)と(f)を単純に組み合わせたものにすぎない。従って、両構成部分がそれぞれ独立して発明を構成するから、(a)~(e)からなる構成部分については、特許出願Aが最初の出願となるものであり、日本での本件出願は、特許出願Aに基づいてしか優先権を主張できない(言葉を替えれば、特許出願Bは(a)~(e)の部分について優先権を発生しない)としました。
従って、特許出願Bにより優先権を主張することができるのは構成部分(f)についてのみであり、上記第一引用例を持って進歩性が否定される、と結論しました。

意外な結論です。
発明(a~e)&(f)は一体としてひとつの発明であり、優先権が効く構成要素と効かない構成要素が混在するなど、理解できません。パリ条約4条Fに「構成部分」という文言がありますが、それのみからこのような結論を出すのには無理があると思います。

おそらく裁判所は、「(a~e)&(f)は、(a~e)に公知の(f)情報読み取り装置を単純に組み合わせたに過ぎず、(a~e)と(a~e)&(f)は実質的に別発明とはいえない。このような発明に、特許出願Aからの優先期間を過ぎてから、日本で権利化するのは不当である」と考えたのでしょう。

そうであれば、判決でそのような点について明確に説明すべきでした。そうすれば、新しい判例として定着したかもしれません。それをせずに、テクスチヤヤーン判決の一般論をそのまま適用したので、わけの分からない判決となり、この判決の判示事項は審査基準にも採用されませんでした。

この判決は「パリ条約講話」に掲載され、平成9年度の弁理士試験論文試験・条約では、この高裁判決を題材として次のように出題されています。

「同盟国の国民甲は、正規に特許出願Aを自国の所轄官庁にした後、正規に特許出願Bを自国の所轄官庁にした。特許出願Aに係る発明は、構成要件(a)と(b)とからなる装置であり、特許出願Bに係る発明は、特許出願Aに係る発明の構成要件(a)と(b)に横成要件(c)を加えた、構成要件(a)ないし(c)とからなる装置であった。甲が我国に特許出願Bをするとき、第1国特許出願A、Bのどれが優先権主張の基礎となる出願になるか、理由を付して述べよ。」

受験生を悩ませる結果のみを生み出しました。
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(パリ)部分優先権

2007-05-15 22:28:37 | 知的財産権
以下、次の(1) (2) を区別して議論します。
(1) パリ優先権か、国内優先権か
 パリ優先権の効果は、パリ条約4条Bで規定され、部分優先権については4条Fの規定があります。一方、国内優先権の効果は特許法41条2項で規定されています。両者は規定ぶりが全く異なるので、別々に検討する必要があります。

(2) 「A+B」とは、「A or B」かそれとも「A&B」か
 「A or B」とは、例えば、Aが「温度100~200℃」、Bが「温度200~300℃」といったような場合です。
 一方「A&B」とは、部材Aと部材Bとを組み合わせた装置、といった場合です。

そしてここでの議論は、パリ条約が適用される部分優先権についてです。

「優先権基礎出願に発明Aが記載され、優先権主張出願に発明Aとともに、発明A&Bが記載されている。発明A&Bについて、優先権はどのように有効なのか、あるいは効かないのか。」という問題です。

優先権・遡及効と証拠除外効で紹介したように、パリ優先権の効果については、「遡及効」と「証拠除外効」という大きな二つの解釈の流れがあったようです。

証拠除外効とは、「優先期間中に、優先権基礎出願に記載の発明(この場合は「A」)と同じ発明を記載した公知文献が現れても、その文献は、優先権主張出願の新規性・進歩性を判断するための文献から除外される」という効果です。別名、アンブレラ理論と呼ばれるようです。部分優先権についてのパリ条約のもともとの趣旨は、この「証拠除外効」であったというのです。

この「証拠除外効」と別の考え方、あるいは言葉を替えた考え方として、「優先権主張出願の発明A&Bについて、構成Aには優先権が効き、構成Bには優先権が効かない」という主張もあります。
部分優先権を定めたパリ条約4条Fに「優先権の主張の基礎となる出願に含まれていなかった構成部分については、通常の条件に従い、後の出願が優先権を生じさせる。」とあり、ここにある「構成部分」というのが、発明の構成要素を意味するというのです。

パリ条約4条Hには、確かに「発明の構成部分」という文言がありますが、パリ条約の英語翻訳文によると4条Fはあくまで「(出願の)構成部分」です。「複数記載された発明のうちの一部の発明」と解釈しても全然おかしくありません。


この問題について判断した判決例として、東京高裁昭和58年(行ケ)54号審決取消請求事件「テクスチヤヤーンの製造法」があります。判決文はこちら

本願(優先権主張出願)発明は、テクスチヤヤーンの製造方法で(a)~(h)をその構成要素とします。第1優先権基礎出願には(a)~(g)が、第2優先権基礎出願には((a)~(g)に加え)(h)のうちの0.20~0.34部分が、第3優先権基礎出願には((a)~(g)に加え)(h)のうちの全部が、それぞれ記載されています。

原告である出願人は、発明の構成要素(a)~(g)については第1優先権基礎出願によって優先権が発生すると主張します。

裁判所は以下のように判示しました。
(一般原則)
「部分優先の場合も、我が国への特許出願に係る発明が第一国出願に含まれている構成部分(A)に他の構成要件ないし構成部分(B)(これは第一国出願に含まれていない。)を一体不可分のものとして結合するものであるときは、構成部分(A)について優先権の主張を容認すべきでない。ただ、我が国への特許出願に係る発明のうち第一国出願に含まれていない構成部分(B)と第一国出願に含まれている構成部分(A)の両者がそれぞれ独立して発明を構成するときに限り、第一国出願に含まれている構成部分(A)につき優先権の主張を容認することができるものと解するのが相当である。」

(一体不可分の結合)
「本願発明は、原出願の発明と同一の、第一優先権主張の基礎とされた米国特許出願に係る発明の構成要件(a)ないし(g)により構成された部分に他の構成要件(h)を結合させたものであり、各構成要件は一体不可分のものとして本願発明を成り立たせているものであるから、本願発明を(a)ないし(g)の要件により構成された部分と、(h)の要件により構成された部分に分離して、各構成部分にそれぞれ対応する第一国出願に基づく優先権を主張することを容認することはできない。」
(それぞれ独立して発明を構成する場合)
「、構成要件(h)の規定するfs70の特定値0.37以下には、第二優先権主張の基礎とされた米国特許出願に係る発明に含まれる0.20~0.34の範囲とその他の範囲とを含んでいるものであり、かつfs70の値が0.20~0.34の範囲と(h)中のその他の範囲の両者はそれぞれ独立して発明を構成するものであることは明らかであるから、第三優先権主張の対象とされた構成要件(h)のうち、fs70の値が0.20~0.34の範囲については第二優先権主張日を基準として判断すべきである。」
(本件出願への適用)
「 結局、本件出願における優先権の主張は、本願発明の構成要件(h)のうちfs70の値が0.20~0.34の範囲については、第二優先権主張日を、その余の要件については第三優先権主張日を基準として判断すべきものとする限度において容認することができる。」

以上の判決を観察すると、以下のように考えられるようです。
「優先権基礎出願に発明Aが記載され、優先権主張出願に発明A+Bが記載されている。
(1) A+Bが「A&B」である場合は、AとBが一体不可分のものとして結合するものであるから、A+B(のうちのA)について優先権を主張できない。
(2) A+Bが「A or B」である場合は、AとBがそれぞれ独立して発明を構成するするので、A+BのうちのAの部分について優先権を主張できる。」


現在の審査基準は、以上の考え方に基づいて決められているようです。

(一体不可分の結合)(審査基準6ページ)
「日本出願の請求項に、第一国出願の出願書類の全体に記載されていない発明特定事項を記載することにより、日本出願の請求項に係る発明が、第一国出願の出願書類の全体に記載した事項の範囲内のものでなくなる場合には、優先権の主張の効果は認められない。例えば、第一国出願の出願書類に記載された構成要素と日本出願で新たに追加された構成要素を組み合わせた結合発明や、第一国出願の出願書類に記載された上位概念の発明から下位概念の要素を選択した選択発明を、日本出願において請求項に係る発明とする場合がこれにあたる。」

(それぞれ独立して発明を構成する場合)(審査基準9ページ)
「[例2] 日本出願の請求項に係る発明の、一部の選択肢が第一国出願の出願書類の全体に記載されている場合
第一国出願:第一国出願の請求項に係る発明はアルコールの炭素数が1~5であることを含むもので、その出願書類の全体にはアルコールの炭素数が1~5のものの実施の形態のみが記載されている。
日本出願:日本出願の請求項に係る発明は、アルコールの炭素数が1~10であることを含むもの(事実上の選択肢)である。
優先権についての判断:日本出願の請求項に係る発明のうち、アルコールの炭素数が1~5の部分については、第一国出願の出願書類の全体に記載されているから、優先権の主張の効果を認める。一方、アルコールの炭素数が6~10の部分については、第一国出願の出願書類の全体に記載した事項の範囲内のものではないから、優先権の主張の効果を認めない。」


ところが、テクスチヤヤーンの判決をベースにしていると思われるのに、「A+Bが「A&B」である場合でも、構成Aのみに優先権が発生する場合がある」としている判決が存在するのです。
この点については別の機会に。
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NHKプロフェッショナル・坂本幸雄

2007-05-13 22:13:23 | Weblog
5月8日、NHKのシリーズ「プロフェッショナル」で、「経営者・坂本幸雄」を見ました。
国内大手半導体メーカーが合体してできた会社(エルピーダメモリ)に異色の経営者がいるという話は耳にしていましたが、詳しく知ったのはこの番組がはじめてでした。

社長・坂本幸雄 59歳

・高校球児だったが、高三のときに自らのエラーで敗退
・野球指導者を目指して体育大学に進むが、教員試験に失敗
・つてで外資系半導体メーカー(日本TI?)に就職するが、倉庫係に配属
・仕事を早く終わろうとして、倉庫業務を工夫する
・倉庫での仕事を外人上司に認められ、社の企画中枢に抜擢される
・米国本社に抜擢される
・命じられた仕事は必ずやり遂げようとし、ストレスのため胃潰瘍となって胃の2/3を切除する
・以降、「できることをやる」という方針に切り替える
・いつくもの会社を建て直したあと、経営不振のエルピーダメモリ社長となり、短期間で黒字化を達成し、今も会社を躍進させている。

以上が番組から得た知識です。

倉庫係からスタートすれば誰でも優秀な経営者になれるわけはありません。やはり本人の資質でしょう。
何より、倉庫係の能力を見抜き、社の中枢に抜擢した外人上司が偉いですね。このあたりは今でも「アメリカ人は凄い」と脱帽です。


エルピーダメモリは、日本の大手電機メーカーが半導体部門を切り離して合体させたメーカーである、という程度の知識でした。今回ネットで調べたところでは、日立とNECの半導体部門が合体して1999年に設立され、その後三菱電機も参画しているようです。その他の電機メーカー半導体部門はどうなのでしょうか。

エルピーダの挑戦と題する坂本氏の講演記録がネットで見つかりました。

エルピーダ誕生前、日立とNECの合計シェアは16%程度であったものが、2003年に坂本氏が入ったとき、シェアは2%まで落ちていました。
「エルピーダの失敗はどこにあったのかといいますと、日立とNECの官僚主義をそのままエルピーダに持ってきたということです。日立とNECのどちらが官僚的なのかをお互いに議論していて、仕事をしていなかったのが実情ではないかと思います。」
そうだったのですか。

「私がエルピーダに入って最初に作った方針があります。まず「会議は1時間以内に終わらそう」ということです。」
機械的に1時間に短縮するのではありません。会議が始まる前に情報を頭の中で整理しておき、会議の席上で実質的にどんどん決めていくのです。

私のサラリーマン時代、半導体製造装置を設計・製造・操業立ち上げするプロジェクトのリーダーをしていたことがありました。
設計打合せで仕様を決めていきます。打合せの席上であれこれ考えたのでは、効率のよい議論ができません。その日の打合せで議論になるだろう事項について事前に想定し、自分の頭の中で整理しておきます。その上で会議に臨むと、短時間で仕様を決めていくことができます。
そのような経験があったので、坂本氏の考え方はよく分かります。

「そして「レポートはA4サイズ1枚以内」ということです。」
トップが、下から上がってくる資料で勉強しようとすると、資料は分厚くならざるを得ません。トップが周辺事情についてよく勉強している企業では、トップに決断してもらうための資料はA4で1枚でOKなのですね。
すなわち、「レポートはA4サイズ1枚以内」が可能か否かは、トップ次第だということです。

私はシリコンウェーハをつくる会社にいましたから、国内の半導体デバイスメーカーは概ね営業で訪問しています。日立もNECも、各地に多くの工場を配置していました。特に日立は多くの小さな工場を抱えていました。
それがエルピーダになった現在は、前工程(ウェーハ工程)が広島1箇所、後工程(チップ工程)が秋田1箇所だそうです。ものすごい統合をしたのですね。

20年近く前、韓国のサムソン電子に営業で出かけたことがあります。日本メーカーが1M-DRAMを量産しており、サムソンはまだ1Mを量産できない、勃興期でした。ソウル郊外の器興(キーフン)にある工場ですが、その規模の大きさに圧倒されました。とにかく大きな工場を集中して建設していました。それと同じことを、今のエルピーダがやっているのですね。

番組によると、エルピーダは台湾メーカーと合弁で台湾に最新工場を建設しています。70nmルールという最先端の微細技術を使うそうです。これからもつまずくことなく、エルピーダが躍進することを祈念します。
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