弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

中国が仕掛ける遊就館戦争

2006-08-30 00:07:03 | 歴史・社会
文藝春秋9月号にジャーナリストの富坂聰氏が「中国が仕掛ける遊就館戦争」という記事を書いています。

民主党の浅尾慶一郎参議院議員の話として、
「日本に駐在する各国外交官の間で、昨年末頃からなぜか靖国神社見学がブームになっています。それも目的は本殿ではなく遊就館。明らかに日中の対立を意識したもので、何らかの働きかけがあったことは想像できます。そして問題はこれが効果を生んでいること。米国大使館の外交官の一人は、遊就館の展示物を見てかなり驚き、『中国が怒るのも無理はない』との感想を漏らしたと聞きました。」と紹介しています。

「この遊就館を見学すれば日本の歪んだ歴史観がわかると、駐日外交官たちに宣伝したのが実は中国大使館であるとの噂は根強い。昨年末から靖国参拝への厳しい論調が海外で目立つのは、この工作が奏功したからという見方もある。」

そんな動きがあったのですか。
東郷和彦氏が月刊現代9月号の「靖国再編試案」で、わざわざ遊就館を採り上げ、
「このことによって、先の大戦時の歴史観をそのまま顕示し、軍事博物館に準じる施設を宗教法人が作ってしまった。遊就館で示される歴史観は、日本国民のなかでもコンセンサスがないし、国際的にはもっとコンセンサスがない。しかし、政治家はそのことについて何も言えない。憲法20条が盾になっているからです。」
と論じています。

また韓国政府が、
「韓国の青瓦台(大統領官邸)関係者は聯合ニュースに対し、靖国神社内の「軍事博物館」である遊就館は軍国主義を美化する施設と指摘。分祀した後に政治家らが参拝しても容認できないとし「靖国問題はA級戦犯の分祀では解決できない」と言明した。」
コメントしました

なんで急に遊就館がこんなに注目を集めるようになったのか、不思議に思っていたのですが、そういういきさつがあったのですね。

田中行夫氏が、
「靖国神社の展示や主張を見ると、それはブッたまげますよ。明らかに侵略以外の何者でもない満州国について「現在は中国が支配し東北部と称している」と説明している。南京については「(日本軍が入ったから)南京城内では一般市民の生活に平和がよみがえった」とこう書いてある。こんな歴史観というか過去についての認識は、アジアどころか世界中どこへ行っても相手にされない。」
書いているくらいですから、やはりだいぶ偏った展示になっているのでしょう。

日本国内では遊就館について全く話題になりませんが、このまま放っておくのは大問題です。
憲法の政教分離で政治家や行政は遊就館の展示に口出しできないのでしょうから、世論で動かしていくしかありません。遊就館の現在の展示が日本の国益を損なっていると論じ、靖国神社に理解してもらい、展示内容を変えてもらうよう、努力しましょう。
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弁理士受験グループのオフミーティング

2006-08-28 00:07:28 | 弁理士
私は、以前報告したように、弁理士受験生時代(平成5~7年)の大部分を中国地方で過ごしました。受験機関の講座(通学)にもゼミにも参加できません。まだインターネットは始まっていません。
そこで、通信の講座を受講すると同時に、パソコン通信の弁理士受験フォーラムで疑問点を質問し、ゼミの代わりとしていました。NIFTY-Serveというパソコン通信が提供しているフォーラムの中にFLICというライセンスフォーラムがあり、弁理士受験会議室が開かれていたのです。会議室の議長・副議長が有資格者であり、受験生の質問に親身に答えてくれます。
私は、FLICをフル活用して平成7年の合格に至りました。その後1年間、お礼奉公として副議長も務めました。
パソコン通信が終了したのに伴い、FLICも消滅しました。

同じく受験生時代にFLIC利用者であり、弁理士合格後に議長団を務められただるぺんさんから、ご連絡をいただきました。FLICの跡を継いだ受験生グループが今も健在であり、そのグループのオフミーティングがあるから参加しないか、というお誘いでした。
私自身、最近は弁理士受験界と全く縁がないので、最近の状況を知りません。知りたいと思っていたところなので、よろこんで参加させていただくこととしました。

最近の弁理士受験事情をよく聞いてこようと思っています。
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風の男 白洲次郎

2006-08-26 13:18:31 | 趣味・読書
青柳恵介著「風の男 白洲次郎」(新潮文庫)を読みました。
風の男 白洲次郎 (新潮文庫)
青柳 恵介
新潮社

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今まで、白洲次郎という人の名前は全く知らなかったのですが、最近は色んなところに彼の名前が出現しているようですね。最近、彼に関して何かあったのでしょうか。
私はたまたま本屋で偶然にこの本を手にし、読み終えたところです。

現代用語の基礎知識によると、
「白洲次郎は1902(明治35)年兵庫県生まれ、85(昭和60)年没。イギリス・ケンブリッジ大学を卒業し、商社で働いていたときに知り合った吉田茂元首相の要請をうけ、終戦連絡事務局参与としてGHQとの折衝にあたる。GHQから「従順ならざる唯一の日本人」とよばれ、誰に対しても自分の信条を貫く生き方が注目を集める。妻の正子は1910年東京生まれ、98年没。華族の家に生まれ、14歳のときに能の舞台に立つ(女性初)。古美術や古典文学など文化に通じ、数々の随筆を残した。「夫婦円満の秘訣は一緒にいないこと」といい、お互いの領域を尊重しつつも長く強い結びつきを維持し続けた夫妻は、「理想の夫婦像」として人気が高い。2人が晩年を過ごした東京・町田の武相荘は現在一般公開されており、その暮らしぶりをしのぶ人々が数多く訪れている。」とあります。

今回読んだ本は、白洲次郎氏没後1年、故人の関係者から「語録を出そう」との声が上がり、未亡人の正子さんが依頼して、国文学専門家の青柳恵介氏が取材し、できあがった本であるようです。

もともと裕福な家庭に生まれ、ケンブリッジに留学して奔放に暮らしていましたが、実家が没落して日本に戻ってきます。それからいろいろな会社の役員として世界を飛び回り、イギリスでは駐英大使の吉田茂と懇意にし、日本大使館を定宿とします。

昭和15年、次郎38歳の時でしょうか、仕事から退いて小田急沿線の鶴川村に引きこもります。このまま行けば日本が世界大戦に巻き込まれるのは必定で、戦争になればいずれ東京は爆撃に遭い、必ずや日本は戦争に敗れる。そうして食糧難に陥るであろうと白州は予見し、東京の家を引き払って鶴川村に五千坪の土地を求め、百姓をはじめるのです。
昭和15年といえば日独伊三国同盟締結の年です。朝日社説・「侵略」と「責任」見据えてで紹介したように、三国同盟締結のときには、西園寺公望、山本五十六が、戦争の勃発と東京の焦土化、日本の敗戦を予測しています。白州次郎も同じように予測したと言うことでしょうか。
上記の現代用語の基礎知識に出てくる武相荘が、鶴川の住まいであるようです。

戦争が終わった昭和20年12月、幣原内閣の吉田外相の要請で、白州は終戦連絡事務局の参与として公職に就くことになります。21年3月には終戦連絡事務局の次長に就任し、以後ほぼ占領の全期間中GHQ当局との交渉に当たることになります。

昭和21年2月13日、GHQ民政局のホイットニー准将らが麻布の外務大臣官邸を訪れ、吉田外相にGHQによる日本国憲法草案を手交した際、白州次郎も立ち会います。
英語の草案を、白州氏と外務省翻訳官の小幡薫良氏が二人で、二泊三日で日本語に翻訳します。
天皇の地位に関する草案の「シンボル・オブ・ステーツ」について、
「白洲さん、シンボルというのは何やねん?」
「井上の英和辞典を引いてみたら、どや?」
「やっぱり白洲さん、シンボルは象徴や」
こうして「象徴天皇」が生まれました。

当時、商工省の外局として貿易局がありましたが、貿易局を商工省に合体し、通商産業省を発足させる際、白洲氏が陰でリーダーシップを取ったと言うことです。
また電力再編についても尽力し、電力事業を9の電力会社に分割する案が成立すると、49歳で東北電力の会長に就任します。

そして昭和39年、57歳で東北電力の会長から退きます。鶴川村の一農夫に立ちかえり、政財界の表舞台に立つことはほとんどなくなります。

軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長としてはワンマンぶりを発揮します。
雑誌ゲーテ9月号「ゲーテだけが知っている軽井沢」特集の中に、軽井沢で別荘建築を手がける小林淑希氏の記事が載っています。小林氏が工事請負で軽井沢ゴルフ倶楽部の工事を行った際の白州氏との邂逅について語っています。
白州次郎氏がポピュラーな人なんだというのをこの雑誌の記事で知りました。
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弁理士の変貌

2006-08-24 22:12:31 | 弁理士
私が弁理士試験に合格したのは平成7年ですが、それ以降、弁理士試験は様変わりしています。
(1) 論文必須科目が5科目から3科目に
(2) 論文選択科目が条件次第で免除に
(3) 論文必須科目の試験問題が、1行問題中心から事例問題中心に
(4) 合格者の数が112名(平成7年)から711名(平成17年)に

上記のような制度変更により、合格する弁理士の傾向がどのように変化したのかあるいはしていないのか、という点に興味がありますが、私は最近合格された方と交際がないので、よくわかりません。

所長Hさんのブログで、貴重なコメントがありました。

--引用開始--
私が合格した当時(1981年)と比べると…
最近の弁理士は、
①法律の勉強蓄積量は最近の方が少ない
ですし、
②あやふやな条文知識の人が多い
ですが、
③基礎的なポテンシャルが高く、
④長年の受験生活で疲れていなくて、
⑤研鑽意欲と向上心に燃えている、
ので、
私が合格した当時の弁理士よりも期待できます。
--引用終わり(丸数字は私が付けました)--

なるほど。
そのようにお聞きすると、そういうこともあるだろうという気になります。

特許庁ホームページで平成17年度の合格者統計を見ると、平均受験回数は3.39回で昔とあまり変わりませんが、受験回数「初回」での合格者が66名と非常に大人数となっています。短い勉強時間で合格に至った人が大勢いることが分かります。その結果として、上記①②④の印象が生まれるのでしょう。

6月16日第2回弁理士制度小委員会の配付資料委員の発言によると、
「論文式試験については、短答式試験と異なり、必須科目や選択科目に関する知識等を判定するものではなく、法律や事実に対して適切な理解力を有しているか、これらに基づいて論理的な思考能力、判断能力、問題解決能力が備わっているかを判断することを目的としている。」
のですね。

ところで、法律に関する深い知識であれば、勉強時間に比例して知識は深まります。正しい勉強方法という前提ですが。一方、論理的な思考能力、判断能力、問題解決能力については、勉強時間が増えるほど備わる、というたぐいではなく、むしろ各個人の持って生まれた能力に左右される方が大きいでしょう。
上記のように、現在の弁理士試験において、知識は短答式試験で十分であり、論文試験は論理的な思考能力、判断能力、問題解決能力を試すというのであれば、勉強時間の多さでカバーできるのは短答式試験のみであり、論文試験は持って生まれた論理力が試されるということになります。
そのような試験を経て合格した弁理士であれば、上記③の印象に納得がいきます。

そして印象④については、が弁理士試験の最近のやり方を肯定する最大の理由です。③④があるからこそ、印象⑤に結びついているのでしょう。

昔、弁理士試験を受けるのは、特許事務所に就職して特許技術者を本職とするものが、必要に迫られて受験するものだったと思います。もしそうであれば、弁理士集団を特徴づけるものがあるとすれば、「なぜ特許事務所に就職したか」という点にその根拠があったはずです。
一方、最近は、どのような人が弁理士受験生となるのでしょうか。バブル崩壊後の超氷河期において、優秀な人材も資格指向となり、頭が良ければ短期間受験で合格できる資格に変貌した弁理士に着目し、優秀な未経験者が受験するようになった、ということであれば、所長Hさんの印象とも合致します。

弁理士界がこれからどのように変貌していくのか、楽しみです。

ところで、私が受験した頃の弁理士試験は、「合格するにはきわめて大変な思いをしなければならないが、正しい努力を続けさえすればいつかは合格する」という試験でした。「勉強しなければ受からないが、勉強しさえすれば受かる」という点では公平でした。
最近の試験が、「地頭が良くないといくら努力しても受からない」「地頭が良ければちょっとの勉強で受かる」という試験に変わっているのだとしてら、それはそれで困ったものだと思います。努力の末に優れた実務能力を身につけた実務家が、世の中にはたくさんいるでしょうから。このような方達が合格しづらくなっているとしたら、問題です。
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事務所の無停電電源(2)

2006-08-23 00:02:57 | サイエンス・パソコン
注文していた無停電電源(APC ES 500)が届きました。8月16日に報告したとおり、事務所のデータバックアップに使用しているミラーリングネットワークハードディスク(I-OデータのHDLM-250U)の供給電源として使います。

購入した電源とネットワークハードディスクとの間を、電源に附属していたUSBケーブルで接続します。何らかの設定が必要なのではないかと想定していたのですが、何ら設定は必要ありませんでした。
パソコンからネットワークハードディスクを閲覧すると、UPSの状況を見ることができます。バックアップ電源の充電状況、電池での作動可能時間などが、すべてここから監視できます。
商用電源停電時のハードディスクの動きについても、このページで設定できます。デフォルトでは、商用電源が停電してバッテリー作動になった後、5分後にハードディスクが自動シャットダウンする設定になっています。

試しに電源のコンセントを抜いてみました。ハードディスクには「商用電源異常、バッテリー作動」が認識され、その5分後には確かにハードディスクがシャットダウンしました。

これで、事務所に停電があったとしても、データバックアップ用のミラーリングハードディスクは正常にシャットダウンすることができます。

なお、前報では無停電電源のバッテリー作動時間を1分と書いていましたが、私が時間の単位を見間違えていました。約1時間の作動です。
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ハル・ノート

2006-08-21 00:14:51 | 歴史・社会
東郷和彦元外務省欧亜局長(現米プリンストン大学客員研究員)については、佐藤優氏の控訴審の証人尋問の様子(被告側検察側)、それに靖国に関する月刊現代の記事(靖国再編試案A級戦犯合祀問題)について以前書きました。

東郷和彦氏の祖父は東郷茂徳氏であり、太平洋戦争開戦時の外相と終戦時の外相を務めています。東京裁判ではA級戦犯として懲役20年の判決を受け、獄中で病死しました。

東郷和彦氏は、月刊現代の靖国再編試案の中で、太平洋戦争開戦時のハルノートについて記載しています。
「『ハル・ノート』が届いた夜
 母が繰り返し話して聞かせたのは、1941年12月、『ハル・ノート』が到着した日の夜の暗さでした。当時、東条内閣の外相だった祖父は日米開戦を回避するべく奔走していました。陸軍と中国からの撤兵をめぐって激しく議論を繰り広げる一方で、米国への和平工作として、甲案・乙案の交渉条件を出した。甲案は中国からの日本の撤退を含む長期的合意案で、甲案が成立しない場合の代替案として、日本の南部仏印からの撤退と、アメリカの石油の禁輸措置の中止を内容とする乙案を提示しました。
 ・・・
しかし、交渉の席に着くかと思われた米国は、甲案・乙案ともに蹴り、最後通牒とも言える『ハル・ノート』を日本に突きつけた。この日の夜、帰宅した祖父の落胆ぶりは傍らでみていて沈痛なものがあり、本当に暗い夜だったと母は何度も述べていました。」

日本大百科全書で「ハル・ノート」を引くと、
「太平洋戦争直前の日米交渉末期、アメリカ国務長官ハルC. Hullにより日本側に手交されたアメリカ側対案。1941年(昭和16)11月20日の日本の野村吉三郎大使による打開案に対する回答として26日(日本時間27日)提示された。内容は、日本の中国および仏領インドシナからの全面撤兵、重慶を首都とする国民党政府以外のいかなる政権をも認めないことなど、きわめて非妥協的な要求をもつ対日要求であり、この文書の提出によって、日米交渉は事実上終止符を打たれた。日本側はハル・ノートをアメリカの最後通告とみなし、12月1日の御前会議では、日米交渉の挫折を理由に対米英蘭開戦を決定した。」とあります。

日本政府は昭和16年11月当時、米国との間に困難な日米交渉を展開すると同時に、政府部内では、軍部を中心とする開戦派とそれに反対する和平派が激しくやりあっていましたが、ハル・ノートを受けて和平派は万事休す、政府の方針は一気に開戦に傾きました。

私の全体感では、
日中戦争の泥沼化から日独伊三国同盟を経て、日米開戦に向けて日本が坂道を転がりかけていた時勢の中で、昭和16年11月当時、転がり落ちようとしている石を和平派がなんとか食い止めていた。そこに到着したハル・ノートは、最後に残ったつっかい棒をいとも簡単にへし折り、石は谷底に向けて転がり落ちることになった、
と、そのように理解しています。
つまり、日米開戦の直接の引き金を引いたのはアメリカだと。

ところで、米国は日米開戦を望んでいなかったか、あるいは日本の対米開戦が寝耳に水だったか、というととんでもありません。
アメリカは昭和16年末の当時、日米開戦を決断していました。何らかのきっかけで日本に引き金を引かせ、それに応じて日米戦争を開始するつもりだったのです。ただ、開戦の時期としては、米国海軍が「あと数ヶ月は準備が必要」と主張したこともあり、昭和17年に入ってからの予定だったようです。ところが11月26日朝(アメリカ時間)、どこからか何らかの連絡が米国政府に入り、その結果、突然上記のハル・ノートを日本に突きつけることに決したようです。その連絡内容については未だに非公開情報とされています。
ハル・ノートの手交によって日本が対米開戦するだろうことを米国は予期していたはずで、ただし日本海軍航空部隊がハワイの真珠湾攻撃をかけてくるとまでは(おそらく)予想できなかったのでしょう。

いずれにしろ、以上のようないきさつを考慮すると、日米開戦時にたまたま外相だった東郷茂徳氏をA級戦犯として懲役20年の刑に処したのは??と言わざるを得ません。
ただし、今読んでいるパル判決書はまだ日米開戦時の論証まで読み進んでいないので、そこまで読んだらまたコメントすることとします。

たまたま吉田茂著「回想十年」(中公文庫)を読み返していたら、ハル・ノート関連記事がありました。
外務官僚だった吉田茂氏は、昭和11年当時、駐英大使でした。日本政府は日独防共協定を締結する肚を決め、在外大使の意見を徴することになりました。他の大使がすべて賛成した中で、吉田大使のみは断固反対を通します。その後、昭和14年に外務省を退き、終戦後まで浪々の身となります。
米国からハル・ノートが手交されたとき、東郷茂徳外相経由で吉田茂氏にハル・ノートが届けられます。吉田氏の義父である牧野伸顕伯に見せてもらいたいとの主旨でした。
ハル・ノートを見た吉田氏は、
「(米国の)実際の肚の中はともかく、外交文書の上では決して『最後通牒』(ultimatum)ではなかった筈だ。私はあらためて東郷外務大臣を訪ね、牧野伯の言葉を伝えると同時に、執拗にノートの右の主旨をいって、注意を喚起した。私は少々乱暴だと思ったが、東郷君に向かって『君はこのことが聞き入れられなかったら、外務大臣を辞めるべきだ。君が辞職すれば、閣議が停頓するばかりか、無分別な軍部も多少は反省するだろう。それで死んだって男子の本懐ではないか』とまでいったものだ。」
と書いています。

たとえ吉田茂氏が主張するような行動をそのときとって開戦が回避されたとしても、米国は少なくとも数ヶ月後には日米開戦する肚を決めていたのですから、単に開戦が数ヶ月延びたという結果しかもたらされなかったでしょう。
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組織行動の「まずい!!」学

2006-08-18 00:09:56 | 趣味・読書
樋口晴彦著「組織行動の『まずい!!』学」(祥伝社新書)を読みました。
組織行動の「まずい!!」学―どうして失敗が繰り返されるのか (祥伝社新書)
樋口 晴彦
祥伝社

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JR西日本福知山線事故、三菱重工客船火災事故など、記憶に新しいいくつもの事故の原因を探りながら、これらの事故がどのような原因によって大惨事に至ったのかを紐解きます。
著者の樋口氏は1961年生まれ、東大経済出身で警察庁に入り、現在は警察大学校教授として危機管理分野を担当しているそうです。

取り上げられている事例は、
・チェルノブイリ原発事故
・JR西日本福知山線事故
・三菱重工客船火災事故
・スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故
・WBC誤審騒動
・えひめ丸衝突事故
・スペースシャトル コロンビア号事故
・JCO臨界事故
・クロネコメール便未配達事件
・美浜原発蒸気管爆発事故
・ボパール化学工場事故
・中華航空機墜落事故
・六本木ヒルズ回転扉事故
・和歌山砒素カレー事件
・不正経理事件
・耐震強度偽装事件
・大和銀行巨額損失事件
・東京女子医大手術ミス隠蔽事件
と盛りだくさんです。

これだけの内容を新書にまとめているのですから、ひとつひとつについてはそれほどのページ数は割いていません。しかし、内容については貧弱ではなく、必要な事柄がコンパクトに論じられています。

この本を読んで再認識するのは、「安全対策に近道はない」ということです。安全に携わるひとりひとりが、研ぎ澄まされた感性を磨き、細かいことをおろそかにせず、「安全は大切だ」と日々思い出しながら責任を持って仕事をするしかなさそうです。

通常、すべての作業は少しぐらい標準から外れても大事故に至らないような余裕しろを持っています。作業者はそれを知っているので、「この程度標準から外れても大丈夫だろう」とちょっとだけ楽をします。しかしこの「ちょっとだけ」が幾重にも重なり、ある日突然大事故の発生に至るのです。

世の中が注目する事故が発生すると、「その点についてのマニュアルが整備されていなかった」と鬼の首を取ったようにマスコミが書き立てます。今回の流れるプール事故もそうです。
しかし、あらゆる想定事項をすべてマニュアルに記載したら、マニュアルは膨大になり、だれも読まなくなり遵守しなくなります。絶対に守らなければいけない事項がかえって埋もれてしまいます。
三菱重工客船火災事故は、溶接作業者が遵守すべき事項を守らなかったために発生しましたが、その裏側には、あまりにも膨大なマニュアルの存在があったようです。
最近の家電製品の説明書がそうですね。最初の数ページはPL法対応の分かり切った注意が並び、読み手が本当に読みたい内容がどこに書いてあるのかわかりません。

「1件の重大事故の背後には、29件の小事故と、300件のトラブルが存在する」(ハインリヒの法則)が紹介されています。
今回の流れるプール事故がそうです。文部省やプール関係者は最初「特別例外的な事故」のような顔をしていましたが、私はハインリヒの法則どおりに多くの小事故やトラブルが潜在しているだろうと予測していました。
上記「トラブル」を現場では「ヒヤリハット」と呼んでおり、この本でもそのように紹介されています。「ヒヤリとしたりハッとした経験は、やり過ごしたり隠したりせず、職場の共有知識とし、対策を講じることによって大事故を防ごう」という運動です。

この本は、安全に対する入門書でわかりやすいですが、安全に携わるプロが座右の書とするだけの価値もあると思います。この本を何回も読み返すことにより、安全管理の感性が研ぎ澄まされていくのではないでしょうか。
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靖国神社に対する韓国の考え方

2006-08-17 17:57:45 | 歴史・社会
分祀でも靖国参拝容認せず 韓国政府が内部確認
--以下引用--
 【ソウル16日共同】韓国の聯合ニュースは16日、小泉純一郎首相ら日本の政治家の靖国神社参拝問題について、A級戦犯が分祀(ぶんし)されても参拝は容認できず、問題解決とはならないとの考えを韓国政府が内部で確認したと伝えた。

韓国政府は15日の小泉首相の靖国参拝に対し「A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社」との表現で非難したが、今後は靖国神社自体が「侵略戦争を正当化する」施設であるとの判断に基づき、靖国問題に対応していく姿勢を示したといえる。

韓国の青瓦台(大統領官邸)関係者は聯合ニュースに対し、靖国神社内の「軍事博物館」である遊就館は軍国主義を美化する施設と指摘。分祀した後に政治家らが参拝しても容認できないとし「靖国問題はA級戦犯の分祀では解決できない」と言明した。
--引用終わり--

「A級戦犯の分祀だけでは解決しない」ということですね。
私は靖国神社の遊就館を訪れたことはありませんが、田原総一朗と岡本行夫の対談 での岡本行夫氏の発言、東郷和彦氏「靖国再編試案」 での東郷氏の発言などから、中国、韓国はおろか、我々自身にもなかなか容認できない展示場であることがうかがわれます。遊就館をこのままにしておく限り、たとえA級戦犯を分祀したとしても、中国・韓国からの文句は出続けるでしょう。

この点、月刊現代9月号の、東郷和彦氏「靖国再編試案」 は、このことをきちんと踏まえています。
「このことによって、先の大戦時の歴史観をそのまま顕示し、軍事博物館に準じる施設を宗教法人が作ってしまった。遊就館で示される歴史観は、日本国民のなかでもコンセンサスがないし、国際的にはもっとコンセンサスがない。しかし、政治家はそのことについて何も言えない。憲法20条が盾になっているからです。」

“靖国問題”を語るとき、靖国にまつわる諸々をきちんと把握しておかないで、「A級戦犯を分祀しさえすればいいんだろう」と短絡的に動くと、後から足下をすくわれることとなります。

韓国政府は、良いタイミングで良いことを言ってくれました。

(追録)
「外交」とは何か、「国益」とは何か、から田中行夫氏の発言を記載しておきます。
「靖国神社の展示や主張を見ると、それはブッたまげますよ。明らかに侵略以外の何者でもない満州国について「現在は中国が支配し東北部と称している」と説明している。南京については「(日本軍が入ったから)南京城内では一般市民の生活に平和がよみがえった」とこう書いてある。こんな歴史観というか過去についての認識は、アジアどころか世界中どこへ行っても相手にされない。」
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事務所の無停電電源

2006-08-16 00:01:42 | サイエンス・パソコン
8月14日の首都圏大停電の被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。
私はお盆休みで杉並の自宅におりましたが、この地域は大丈夫でした。停電の情報を聞き、LAN間接続で自宅から事務所のLANに接続してみたところ、日本橋地区にある事務所も無事配電されているようでした。

私の事務所は半年前、ミラーリングのネットワークハードディスクを導入し、バックアップデバイスとして使っています。
オリジナルのファイルは自分のパソコン内のハードディスクに作成し、1日1回、必要なデータをバックアップディスクに転送しておきます。重要なファイルは、パソコン内のハードディスク、バックアップディスクの2台のハードディスクと、合計3箇所に格納されています。

今まで、バックアップディスクの停電対策はとっていませんでした。停電があっても、ハードディスクがクラッシュする確率は低いだろうという考えです。
しかし、停電でバックアップディスク内の2台のミラーリングハードディスクが同時に異常停止するわけですから、同時にクラッシュする可能性もゼロではありません。

今回の大停電に接し、やはりこれは停電対策をきちんとしておこうと思い立ちました。

私が使っているミラーリングネットワークディスクは、I-OデータのHDLM-250Uです。この製品は、APC社製UPS(無停電電源)に対応しており、停電発生時には、UPSから電源供給を受けながら、ディスクの自動シャットダウンを行うことができます。

調べてみると、APC ES 500が楽天で9500円程度で購入できることが判明し、即購入をかけました。
この電源は、内蔵電池の寿命がカタログで4年ということであり、電池のみ交換することも可能です。

今回のような停電が発生した場合、無停電電源からのバックアップ電源供給時間はせいぜい1分以内ですが、この時間内に電源供給を受けつつディスクのシャットダウンを行うので、無停電電源のバックアップ電源が尽きても、ディスクが異常停止することがありません。

I-OデータのHDLM-250Uは、WOL(Wake on LAN)に対応しています。どういうことかというと、停止したディスクを、LAN上の他のパソコンから遠隔で立ち上げることができるのです。そしてこの操作は、LAN間接続した自宅のパソコンからも操作できます。ですから、長期休暇中に停電でディスクがシャットダウンした場合、どうしてもディスクの内容を自宅から閲覧したければ、復電後に自宅と事務所をLAN間接続し、自宅のパソコンからWake on LANで事務所のディスクを立ち上げ、その後で自宅パソコンからディスクを閲覧することが可能です。
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新・拒絶理由通知との対話

2006-08-15 00:01:12 | 知的財産権
「“拒絶理由通知との対話”という名著がある」という話をよく耳にしましたが、すでに絶版ということで、今まで実際に目にしたことはありませんでした。

「弁理」屋むだばなしさんのブログで、改訂版が発行されるという話を知り、さっそく注文してみました。こちらのページから、メールやFAXで注文できます。
370ページにも達する分厚い本であり、まだ途中までしか読んでいません。
新・拒絶理由通知との対話―特許出願
稲葉 慶和
エイバックズーム

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8月5日付け日経新聞朝刊に、この本の広告が大きく掲載されていたのにはびっくりしました。

はじめて拒絶理由通知を受け取って、うろたえている人や審査官に対して怒っている人、などを対象とした語り口で話は進んでいきます。
著者が特許庁出身であることから、拒絶理由通知を受けた出願人・発明者が特許庁に対してどのような反応を示すのか、「こんな人もいます」ということでその実態が紹介されます。我々実務家としては、このような生々しい実態には興味があります。
しかし著者の目的は、このようなさまざまな反応を示す人々に対し、本人が不利益を被らないように対応の指南をすることにあります。

そうは言うものの、3800円という価格にしろ、370ページという分厚さにしろ、1回だけ出願して初めて拒絶理由通知をもらった、という本人出願の発明者が買える本ではないですね。もちろんそのような人が読んでも十分に役に立ちますが。

この本はあくまで、実務家としてこれから実務能力を磨いていこうという人たちに最も有益な本だと思います。一方、私のように年数だけはベテランの部類に入った実務家にとっても、随所に新しい発見があります。

おもしろいと思った箇所をピックアップしてみると(特29条関係)・・・

「『拒絶理由通知なんて慣れっこだ』というのも困ります。慣れすぎて、対応がおざなりになってしまうおそれが、たぶんにあります。人は、いくらかは怒ったほうがいい」

「審査官は引用文献の参照ページや行を示さないことが多い。しかしあまりこまかに特定すると、出願人はそこだけしか参照しない、という人はよくあるんです」

「出願人が本願発明と認識している発明に対し、クレームが広すぎることに気付かない人が多い。出願人はAという発明をした。しかし審査官がクレームを読むとAともBとも読める。もしも、思いもかけぬヘンな引用例Bがついていたら、それこそが審査官からのシグナルかもしれません。」
「出願人はどうしても、範囲が限定された実施例そのものを本願発明として、それと引用例とを比べてしまいがちです。」

ぜい肉の多い意見書
「引用例との対比とは無関係に、自慢話や苦労話が延々と書かれている。審査官は、そんなことはいいから、肝心の引用例との要件や効果の違いを早く知りたい。ところが、それがいつら読んでも書いてない。」
「念のため、特許庁にご足労願ってお話を聞くと、その方は、実は、引用例をまるで読んでおられない、ということも少なくない。」
などなど
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