弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

インターネット出願の通信エラー解消

2013-08-29 23:53:27 | 知的財産権
1ヶ月半前の7月6日に、「インターネット出願で通信エラー頻発」の記事を書きました。事務所のパソコンからインターネット出願ソフトで特許庁と通信している最中に、通信エラーが発生する現象です。
複数の書類を特許庁に送信する手続き中であれば、通信エラーが発生した書類が「未達」となりますので、「処理の続行」で最終的には特許庁に提出することが可能です。しかし、拒絶査定不服審判請求書と手続補正書を同時に提出する場合には、「同時」が必須ですので、どちらかの送信が完了した後に通信エラーが発生したら、送信完了の手続きについても再度出し直さなくてはなりません。こうなると一大事です。

上記「インターネット出願で通信エラー頻発」で書いたように、特許庁のサポート窓口と相談し、その指示に従ってトレンドマイクロにメールで問い合わせを行い、返答メールの指示に従って、ダウンロードした修正モジュールをパソコン上で実行しました。
その結果、その日以降、通信エラーの発生は皆無となりました。

それから1ヶ月半、つい先日、査定不服審判請求のチャンスがありました。1件目は、審判請求書、手続補正書、分割出願の3件を「同時に」提出する案件です。2件目は審判請求書と手続補正書を「同時に」提出する案件です。
さて、無事に通信エラーを起こさず「同時に」提出が完了するか、緊張の一瞬でしたが、どちらも問題なく送信を完了することができました。

インターネット出願の通信エラーについて「問題は解決した」と結論して良さそうです。
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青木高夫著「日本国憲法はどう生まれたか」

2013-08-27 21:15:01 | 歴史・社会
イプシロン発射の実況放送を見ていました。
カウントゼロになったのにびくとも動かなかったのにはびっくりしました。発射19秒前に姿勢異常を検知し、ロケットが自分で発射中止を決めたようですね。しかしカウントダウンアナウンスは、「外部電源から内部電源に切り替わりました」など、順調に進んでいるような放送でした。あの放送は、実情とは関係なく予定通りに出しているだけなのですね。
次回は成功裏に発射されることを祈念しています。

日本国憲法はどう生まれたか? 原典から読み解く日米交渉の舞台裏 (ディスカヴァー携書)
青木高夫
ディスカヴァー・トゥエンティワン

この本に資料として掲載されている日本国憲法の「GHQ草案1946年2月13日」から憲法前文の英文をピックアップし、先日、「憲法前文GHQ草案」として記事にしました。
この本は、日本国憲法が成立に至る舞台裏、主にGHQと日本政府との裏交渉について、両者間で交換され、あるいはGHQ内で交わされた英語のレターや覚書をピックアップし、その英語を解釈しながら、日本国憲法成立のいきさつを考察している書物です。

マッカーサーが幣原首相に対して改憲の示唆を行ったのは、1945年10月11日です。日本がミズーリ上で降伏文書に調印した9月2日からまだ1ヶ月しか経っていません。
マッカーサーとホイットニー民政局長とがGHQ草案を作成することを決めたのは、1946年2月2日(土)です。翌3日(日)に25人のメンバーが招集され、2月13日までに日本国憲法の草案を作成するようにとの命令が下りました。たまたま東京のGHQに勤務する人の中から、当然憲法の専門家など一人もいないのに、集められて憲法草案を作成することとなったのです。
2月13日というのは、旧外務大臣公邸に日本政府とGHQが会合を行う日であり、この日に日本政府から憲法改正草案が提示されるはずでした。GHQとしては、日本の草案を受け取ると同時に、GHQ草案を日本に提示しようというのです。
たった10日間で日本国憲法草案(英文)はできあがりました。
GHQ草案を受け取った日本政府は、このあとGHQとさまざまなやりとりを行いますが、結局、2月26日の閣議決定により、GHQの作った憲法草案を基礎に新しい憲法を定めると決めました。
日本政府は、3月6日に「憲法改正草案要綱」を公表しました。
4月10日に衆議院(旧憲法下)の総選挙があり、憲法草案は8月24日衆議院通過、10月6日参議院を通過し、11月3日交付、そして翌1947年5月3日より施行されたのです。

GHQは、日本政府に対してなぜ憲法改正をこれほどまでに急がせ、かつ自分が超短時間ででっち上げた草案を日本に押しつけたのでしょうか。
それは当時、GHQの上部組織である「極東委員会」が機能し始めていたからです。
GHQ、正確にはGHQ,SCAP(General Headquaters, the Supreme Commander for the Allied Powers)は、マッカーサーが総司令官を務め、ほぼ米国が支配していました。しかし、連合国はもちろん米国だけではありません。ソ連も参加しています。米国以外の連合国は、米国主導の対日方針の決定に不満を抱いており、そのためGHQの上位組織として極東委員会の設置を決めたのです。1945年12月27日です。

米国としては、特にソ連の介入を防いで対日方針を推し進めていきたい。改憲もその一つです。さらに、ソ連などは天皇を戦争犯罪の被告として極東軍事裁判(東京裁判)に引っ張り出そうとの意図を持っています。マッカーサーは占領政策を円滑に進める上で天皇を存続させる方針でした。極東委員会が始動を開始する前に、進歩的かつ平和的な憲法を作ってしまおうとの意図です。

舞台裏ではこうしてつくらた新憲法草案ですが、公表すると、国民からは好評でした。極東委員会も、日本国民が支持していることがわかったからでしょう、渋々ながらこれ以上の反対はしませんでした。


私は護憲論者ではありません。憲法に改正すべき点があれば、当然ながら改正していくべきだと考えています。
また、憲法成立のいきさつを見ると、決して日本国民が自分の意思で作成した憲法ではなく、米国人中心のGHQが短兵急にこしらえた草案をそのまま頂戴した内容になっています。
日本人自身が深く考えた上で自発的に憲法を制定することが良いに決まっています。

しかし、最近の改憲論を眺めているとあまり賛成する気にもなりません。自民党の改憲案をちょっと見る限りでは、どうも「すばらしい案だ」と賛意を表することができません。
こんな案しかできないのであったら、無理して改正することもないのではないか、というのが偽らざる心境です。

現行憲法は、GHQの起草者たちは「いい憲法にしよう」との熱意で作成し、公表時点で国民からの受けも良く、それなりに良くできた憲法といえるでしょう。
これに対し、「良くできた改正憲法だ」と国民の多数が納得するような憲法草案を、だれか作ってくれないものでしょうか。と他力本願ですが。
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憲法前文GHQ草案

2013-08-24 21:22:38 | 歴史・社会
日本国憲法は、GHQから提示された英語草案に基づいて、というかほとんどの部分はそのまま翻訳した文章が条文となっています。前文もそうです。
日本国憲法の前文は、美辞麗句が並んでいるものの正確な意味がよくわかりません。ところが、元になった英語草案を読むと、日本語では表現されないさまざまな情報が浮かび上がってきて、条文解釈をする上で非常に役に立ちます。このブログでも何回か紹介してきました。

しかし、憲法の英語版について、「日本語憲法の英訳」と称するものは見つかるのですが、「現行憲法の基となったGHQ草案」はどうしても見つかりません。今回、以下の本に資料「GHQ草案1946年2月13日」として掲載されていました。
日本国憲法はどう生まれたか? 原典から読み解く日米交渉の舞台裏 (ディスカヴァー携書)
青木高夫
ディスカヴァー・トゥエンティワン

そこで、以下、日本国憲法前文を3つの段落に分け、それぞれについて、「GHQ草案」「現行現法」「現行憲法の英訳」を並べてみます。「現行憲法の英訳」は、首相官邸ホームページのものと同じです。

・GHQ草案と現行憲法の英訳との間の相違点を赤字としました。日本語が英語と相違する点を見つけたので、その部分を日本語中にかっこ書きで追加しかつ赤字としました。

・以前から私が注目している単語を太字としています。この太字部分に着目しての私の主張については、以下を参照ください。なお、下記第3段落の日本語文については、最後の「信ずる」を最初の「われらは」の直後に移動し、それ以外の文章を「that」でつなげる形に変形しています。
第1段落 → 「日本国憲法前文(2)
第2段落 → 「日本国憲法前文(3)」(この部分は昨年12月に自民党安倍総裁に意見を提出しました(日本国憲法前文・三たび))
第3段落 → 「日本国憲法前文(1)

《第1段落》
(GHQ草案)
We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereignty of the people's will and do ordain and establish this Constitution,
founded upon the universal principle that government is a sacred trust the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people; and we reject and revoke all constitutions, ordinances, laws, and rescripts in conflict herewith.
(日本国憲法)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保(すべきことを決定)、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
(日本語の英訳)
We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution.
Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.

《第2段落》
(GHQ草案)
Desiring peace for all time and fully conscious of the high ideals controlling human relationship now stirring mankind, we have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith of the peace-loving peoples of the world.
We desire to occupy an honored place in an international society designed and dedicated to the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance, for all time from the earth. We recognize and acknowledge that all peoples have the right to live in peace, free from fear and want.
(日本国憲法)
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
(日本語の英訳)
We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want.

《第3段落》
(GHQ草案)
We hold that no people is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all peoples who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other peoples.
To those high principles and purpuses
we, the Japanese people, pledge our national honor, determined will and full resources.
(日本国憲法)
われらは信ずる、 that いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、but that 政治道徳の法則は、普遍的なものであり、and that この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
(日本語の英訳)
We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.
We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.

以上、「GHQ草案」と「日本語の英訳」の相違点(赤字部分)を調べてみると、けっこういろんな部分に相違がありますが、私が着目した部分(太字部分)についてはほぼ両者が一致しており、従来から私が主張している点については、GHQ草案まで戻っても変更する必要がないことがわかりました。

今回、もう1点気づきました。
第1段落において、英語には草案と英訳の両方とも「determined that we shall secure」が登場するのですが、この「determined」の部分が日本語では抜けています。おそらく、その後に出てくる「決意し」にまとめてしまったのでしょうか。しかしその割りには、日本語の英訳であるはずの文章中には再度「determined」が登場するわけですから、この「英訳」は、実は英訳ではなく、「基本的にGHQ草案をベースにしている」ことを自白しているようなものです。
また、日本語では消滅している「動詞の時制の相違」についても、英訳文ではGHQ草案に忠実に表現されており、この点も、英訳が日本語の英訳ではないことが明らかです。

書物「日本国憲法はどう生まれたか? 原典から読み解く日米交渉の舞台裏」の読後感想については別に記します。
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堀越二郎氏と零戦

2013-08-21 21:03:27 | 歴史・社会
先月(7月)末、映画「風立ちぬ」に関して韓国ネットで批判があり、それに対して宮崎駿監督が韓国記者を招いて記者会見を開いたというニュースが流れていました。
今になって何があったのか調べようとしたのですが、まだ1ヶ月も経たないのにネット上のニュースが削除されており、調べることができません。
よくわからないながら、また、私は映画「風立ちぬ」を観ていないながら、一言コメントしておこうと思います。

メーカーの兵器開発担当者が、より優秀な兵器を開発しようと努力することは、全く当たり前で正当な努力であって非難の対象にはなり得ません。例えば、アメリカで生産されているF15という戦闘機は、兵器として優秀であるとの評価で世界中で使用されており、日本の自衛隊でも主力戦闘機となっています。このF15戦闘機の開発者が、「強力な殺人兵器を開発した」として非難される筋合いでないことと同様です。

まず、軍隊というのは、敵の軍隊を殲滅して無力化することを最大目的としており、敵を殲滅する活動には当然ながら敵兵を殺傷することが含まれています。そのために用いる道具である兵器は、戦闘において勝利をおさめられるものが優秀なのであって、当然ながら殺傷能力が優れています。
どこの国においても、国の安全と平和を守るために軍備を備えており、国防、抑止力を主眼としています。抑止力たり得るためには、「闘えば勝てる」ことが重要であり、優秀な兵器を装備するよう努力します。

ただし、国が軍の運用を誤ると、国防、抑止力という目的から外れ、他国に甚大な迷惑をかけることがあり得ます。しかしそれは国の運用の話であって、そのような可能性があり得るから、他国に迷惑をかけないために軍備は貧弱な方が良い、ということにはなりません。あくまで、しっかりと国を運用することにその国の国民が努力すべきです。

映画「風立ちぬ」では、堀越二郎氏をモデルにした「二郎」という主人公が登場するようですが、堀越二郎氏と作家の堀辰雄氏を合体した人格が創作されているようで、実在の堀越二郎氏とは別人格です。

ここでは、実在の堀越二郎氏がどのような考え方を持たれていたのかを確認しておきたいと思います。
ニュースによると、堀越二郎氏著「零戦 その誕生と栄光の記録 (角川文庫)」が売れているようです。私も購入してぺらぺらとめくってみたのですが、参考になる記述は見つかりませんでした。

一方、昭和27年に最初の出版がされ、昭和50年に復刻した下記書籍の「初版のまえがき」に、堀越氏の考えが述べられていましたので、以下に記します。
零戦 (1975年)
堀越二郎・奥宮正武
朝日ソノラマ

『初版のまえがき
・・・過去の政治、軍事指導者の無謀に対する憤り、政権が軍部に移るのを幇助したような政党政治家に対する不満、これらに対して監視を怠ったわれわれ国民の愚かさに対する自責、および善隣に加えた罪科に対する申し訳なさなどに心が痛む。思えば当時の日本はもし望んだなら、互いに侵さず侵されざる理想の文化国家--いわばたとえ程度は少し低くともより大きな東洋におけるスイスの地位--を築き上げ得る環境と実力に恵まれていたのではなかろうか。然るにそれを一朝にして失い、自らを泥沼の環境に投ずるとともに、近隣の人々に償い得ないような惨禍を及ぼす愚を敢えてした。国民の一人としての責任を別として、われわれ兵器関係の仕事に携わった者に特別の責任があるであろうか。全然ないような気もするし、反省しなければならぬ問題があるとも思われる。
・・・
昭和27年11月30日  堀越二郎』

「先の戦争で冒した戦争責任に対し、国民としての責任は当然ある。しかし、兵器設計者としての特別な責任はないと思う。」というご意見と理解しました。私も同意見です。

私は以前、映画「風立ちぬ」のCMに登場する逆ガル形主翼を持った飛行機について、『「風立ちぬ」~逆ガル~堀越二郎氏』で記事にしました。今回の記事とあわせ、映画を観ていないのに2回もコメントしたことになります。
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金融緩和政策はどのように論じられてきたか

2013-08-17 16:41:54 | 歴史・社会
この半年、アベノミクスの効果で円高是正と株価の上昇という効果が得られています。といっても、アベノミクス3本の矢のうち、まだ1本目、及び2本目の半分しか実現していない状況です。現在得られている効果は、そのほとんどが、1本目の金融政策によるものといっていいでしょう。
金融政策の主役は日本銀行です。
1.インフレ率目標を2%に置く。
2.目標インフレ率を得るため、日銀はマネーの供給を増やす。
3.その手段は、市中銀行から国債を買い取る。


実はこの議論、私はいろいろな機会で見聞しているため、耳にタコができています。ところが、実際の政治経済の現場においては、総理になる前の自民党安倍総裁が政策として掲げるまで、全くの少数意見に過ぎませんでした。
何で安倍さんの前はだれも取り上げなかったのか。なぜ安倍さんはこの政策を自分の政策の骨格にしようと決心したのか。いまだに謎ではあります。自民党の山本幸三議員の影響を受けたことは間違いありませんが(自民党安倍総裁の金融政策)。
取り敢えず、このブログでは金融緩和政策についてどのように取り扱ってきたか、ちょっと過去をふり返ってみました。

高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」(2) 2009-08-22
高橋洋一著「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書)」(2008/05)の読書感想文です。
「財務省は財政政策。日本銀行は金融政策。財政政策と金融政策がマクロ経済政策の二本柱。」
「結論を簡単に言うと、固定相場制の下では財政政策は完璧に効いて、金融政策は効かない。逆に変動相場制になると、金融政策しか効かなくて、財政政策は効かなくなってしまう。」
「というのを、マンデルとフレミングという二人の経済学者が編み出したので、『マンデル・フレミング理論』という名前がついている。」
「ところが日本ではこの世界の常識が知られていないから、みんな景気対策というと財政出動でしょう。」(いずれも高橋洋一氏)

高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」(3) 2009-08-23
「マネーを出すのを『金融緩和』、マネーを引っ込めるのを『金融引き締め』というんだけれど、日本銀行には『金融引き締め』したら勝ちという文化、バカみたいなDNAがある。」「資産を買わないと日本銀行はマネーが増えない。資産を買うので一番手っ取り早いのは国債。マネーを増やすために、日本銀行は国債を買わなければいけない。でも、国債を買うと言うことは財務省を手助けすると言うことだから、日銀の人は財務省への対抗心からそれを『負け』という風土があって、国債を買いたがらない。」
「インフレターゲットを設けて日銀が国債を買うと、戦前と同じハイパーインフレが起こる」という議論があるが、そんなことはない。3%程度の目標でハイパーインフレになることはない。
サブプライム問題以降、日本も円高と株安に見舞われている。しかし日本はサブプライムの被害は少ないはず。日本の円高と株安は、日銀が異常に引き締めていることが原因。「日本の国内も金融を締めているから、日本の株価は上がらない。円高で外需もだめだし、日本の国内のほうもさっき言ったマネーを絞っていて実質金利が高くなっているから、ためだ。株価が上がらないのは当たり前です。でも、株価が上がらないのは、日本銀行のせいだってみんな認識していないでしょう。マスコミは日本銀行の悪口をまず書かないの。」(いずれも高橋洋一氏)

消費者物価2.2%低下 2009-09-01
『最近、高橋洋一氏の著書を連続して読んだので、私の頭の中では取るべき政策は明確です。
1.適正なインフレ率は1~3%である。
2.適正インフレ率を下回るデフレ傾向に陥ったら、日銀はマネーの供給を増やすべきである。
3.その手段は、市中銀行から国債を買い取ればよい。


デフレ克服のためにどうすべきか 2009-11-20
ここでは、勝間和代氏の活動を紹介しました。
勝間和代「リフレ論」が大反響 ネットで賛否両論が渦巻く」 2009/11/11 18:00 J-CASTニュース
『通貨の大量発行でデフレを克服する「リフレーション」を政府に求めた経済評論家、勝間和代氏(40)のプレゼンテーションが、ネット上で大反響を呼んでいる。リフレ擁護派から反対派まで、ブログなどを通じて議論が大盛り上がりなのだ。
「それにしても勝間和代氏の影響力の大きさにびっくり……」』

ドル円の推移は、リーマンショック前は100~110円、リーマンショック後1年は90~100円でしたが、2010年後半、一気に80円台の前半まで円高が進行しました。この2010年のドル円の推移を私は「2010年ドル高」と名付けました(ドル円5年間の推移と“2010年円高”)。当時、ドル高が刻々と進行しているのに、政府日銀は無策でした。それに対して以下の提言がありました。
高橋洋一氏の予言 2010-09-04
『具体的には、まだ法律上生きている経済財政諮問会議を復活させればいい。そうすれば、自動的に総理、経済閣僚と日銀総裁が議論できる。民主党のメンツでできないなら別の会議をつくってもいい。
そこで、政府と日銀の共有目標として、2年以内に物価を2%程度にするということであれば、逆算して(FORWARD LOOKING)、現時点で、例えば数十兆円規模の量的緩和など、結果としてかなりの金融緩和措置が日銀に求められることになるだろう。』高橋洋一氏

また、これより前、ベン・バーナンキは、2004年発行の「リフレと金融政策」の中で、日本がデフレ対策としてインフレターゲットを設定すべきことと、そのターゲット達成のために金融緩和すべきことを提言しています(ベン・バーナンキ著「リフレと金融政策」)。
・・・以上・・・

以上で分かるように、ベン・バーナンキ氏や高橋洋一氏は、ずっと以前から金融緩和政策を提言していたのに、日本全体は見向きもしませんでした。
2009年秋の段階で、当時の管政権が金融緩和政策を推し進めてくれていたら、そうでなくても、2010年にさらに円高が進行した際に、同じ管政権が金融緩和政策を推し進めてくれていたら、日本の経済はずいぶん異なった推移をたどったのではないかと思います。
企業の海外移転と国内産業の空洞化にはどこかで歯止めがかかったでしょう。エルピーダ、ルネサスの運命も異なっていたと思われます。ソニー、パナソニック、シャープの状況も異なっていたでしょう。

2009~2010年当時、日銀はなぜ金融緩和を頑なに拒否していたのか。(←日銀には「金融緩和すると負け」という文化がある?)
日銀の監督官庁である財務省はなぜ金融緩和を主張しなかったか。(←財務省は金融緩和で財政再建したのでは消費税増税できないから困る? 為替介入という特権を手放したくない?)
エコノミストの間で、金融緩和政策論者はなぜ少数派だったのか。(←日銀からのエサに目がくらんでいた?)
マスコミはなぜだんまりだったのか。(←日銀記者クラブで睨まれたくない?)
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フランス近世史とロワールの古城

2013-08-11 16:36:01 | 歴史・社会
フランスの歴史というと何を思い出すでしょうか。
(1) 紀元前にはガリア人が部族に別れて住み着いていた。
(2) カエサルのガリア戦の結果、ローマ帝国の版図となった。
(3) ゲルマン民族大移動の結果、ゲルマン一部族であるフランク族が支配するところとなった。
(4) シャルルマーニュが版図を今のドイツ・イタリアに広げ、その後の条約でフランス・ドイツ・イタリアの国境が定まった。
(5) 英仏百年戦争があり、ジャンヌ・ダルクが活躍した。
(6) ルイ十四世の時代に絶対王政が確立した。
(7) フランス革命勃発
(8) ナポレオンの時代
(9) 普仏戦争敗北
(10)第一次、第二次大戦とドゴールの時代

こんなところでしょうか。

今年7月、夏休みの旅行としてフランスのロワールを旅し、ロワール古城めぐりをしてきました。ここで訪問した古城が、フランスのどの時代にどういういきさつで生まれたのか、という点を調べていくと、上記のような一般常識に出てこないフランス史を勉強する羽目となりました。
ロワールの古城は、上記(5) と(6) の間のフランス王家の歴史と密接に関連しているのです。
まずはこの間のフランス王家の系図を書いておきます。

(カペー朝)
  ├-------------------①┐
フィリップ三世(1270-1285)
  ├-----------------②┐
フィリップ四世(1285-1314) カペーの奇跡
  |
ルイ十世(1314-1316)
  フィリップ五世(1316-1322)
    シャルル四世(1322-1328)
  ┌-----------------②┘
(ヴァロア朝)   英仏百年戦争の始まり
フィリップ六世(1328-1350)
  |
ジャン二世(1350-1364)
  |
シャルル五世(1364-1380)
  ├----------------③┬④┐
シャルル六世(1380-1422)
  |
シャルル七世(1422-1461)  ジャンヌ・ダルク
  |
ルイ十一世(1461-1483)
  |
シャルル八世(1483-1498)  イタリア戦争
  ┌----------------③┘
(ヴァロア・オルレアン家)
ルイ十二世(1498-5154)
  ┌------------------④┘
(ヴァロア・アングレーム家)
フランソワ一世(1515-1547) イタリア戦争勝利
  |
アンリ二世(1547-1559)
  |  -(愛人)ディアーヌ・ド・ボアティエ
  |  -(王妃)カトリーヌ・ド・メディシス
フランソワ二世(1559-1560)
  シャルル九世(1560-1574)
    アンリ三世(1574-1589) 暗殺される
  ┌--------------------①┘
(ブルボン家)
アンリ四世(1589-1610)  ナントの勅令、暗殺される
  |
ルイ十三世(1610-1643)
  |
ルイ十四世(1643-1715)  ヴェルサイユ宮、絶対王政

上記家系図に登場する13世紀から16世紀にかけ、フランスの地域はまだ「フランス国」として統一されたわけではなく、一応フランス王は存在しましたが、各地の封建領主と主従の契約を結んでいる程度であり、本当に権力を把握している地域はパリを含むイル・ド・フランスの領域のみでした。
そのフランス王家ですが、パリが中心であるはずにもかかわらず、なぜかロワール川流域に住むことを好んでいた時期がありました。

今年の夏のロワール古城めぐりで、私は以下の5つの城を訪問しました。
シノン城、ブロワ城、アンボワーズ城、シャンボール城、シュノンソー城

《シノン城》
 
有名なジャンヌ・ダルクが1429年にはじめてシャルル七世に謁見したのがシノン城です。

《アンボワーズ城》
 
シャルル八世が1491年に結婚した直後にアンボワーズ城に移り住むことを決めたときから、アンボワーズ城はフランス王の居城となっていました。

《ブロワ城》
 
また、ブロワで生まれたルイ十二世がフランス王に即位した1498年から、アンリ四世が宮廷をパリに移すまでの約100年間、ブロワ城はフランス王の第1城でした。

《シャンボール城》
 
もともと王の狩猟用の離宮として考えられていたシャンボール城は、1519年、フランソワ一世によって膨大な建設工事がはじまりました。イタリア戦争で勝利を飾ったフランソワ一世は、イタリアでルネッサンス様式の建築様式をふんだんに取り入れてシャンボール城の建設に着手したのです。城はフランソワ一世の在世中には完成せず、アンリ二世とルイ十四世によって現在の姿に整えられました。

《シュノンソー城》
 
アンリ二世には、20歳年上の愛人ディアーヌ・ド・ポワティエがおり、王はシュノンソー城をディアーヌに贈りました。ディアーヌは城とシェール川の向こう岸を結ぶアーチ型の橋を建設しました。アンリ二世の王妃はカトリーヌ・ド・メディシスです。アンリ2世の死後、カトリーヌはディアーヌを追い出してこの城の主となり、橋の上に建物を建造した。これによって、現在のシュノンソー城の外形ができあがりました。カトリーヌの死後、城はアンリ3世の妻のルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンが相続、アンリ三世が暗殺されると、ルイーズはシュノンソー城に引き籠もり、白い喪服を着てこの城で過ごしたといいます。

ps 8/15 環境によって系図の罫線が乱れていたので、縦罫線を省略しました。
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地下鉄九段下ホームで撤去された壁

2013-08-07 20:26:47 | Weblog
私はピアノレッスンの日は、地下鉄都営新宿線新宿方面行きに乗り、九段下駅で東西線に乗り換えます。
新宿線を九段下駅で降りると、従来存在した壁が撤去されており、同じホームの反対側に半蔵門線の押上方面行きが停車します。私は東西線利用ですからこの壁撤去の恩恵には浴していません。

ところで、この壁撤去が本当に利便性向上に役立ったのか、疑問に思っていました。
壁撤去の恩恵を受けるのは、新宿線で馬喰横山方面から来た客が半蔵門線に乗り換えて大手町・水天宮方面に向かう場合か、半蔵門線で渋谷・永田町方面から来た客が新宿線に乗り換えて市ヶ谷・新宿方面に向かう場合のみです。いずれも九段下駅で乗り換えて反対方向に向かうということで、そのような乗客がはたしてどの程度存在するのだろうか、と疑問に思っていたのです。

同じ疑問を、フォトジャーナリストの櫻井寛さんも感じたようでした。7月10日の日経新聞夕刊「にっぽん途中下車」に記事が掲載されていました。
問題の壁は、猪瀬都知事に「バカの壁」呼ばわりされ、今年3月15日に撤去されたものです。
櫻井さんは実際に九段下駅まで出かけ、念のため、1時間ほど眺めていたそうです。その間、このホームのみを利用して新宿線と半蔵門線を乗り換える客は一人もいなかった、ということなのです。
「バカ呼ばわりされた壁が気の毒になってきた。壁の撤去費用が回収できるのはどのくらいですかね、猪瀬さん?」(日経記事から)
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「シフト補正禁止」審査基準改訂の説明会

2013-08-04 13:35:25 | 知的財産権
先日、弁理士会主催の会員研修として以下の説明会があり、参加してきました。
・標題 『「発明の単一性の要件」、「発明の特別な技術的特徴を変更する補正」の審査基準の改訂について』
・日時 7月26日
・場所 砂防会館
・講演 特許庁特許審査第一部審査基準室 室長補佐 東松修太郎氏
テキストは、弁理士であればこちらからダウンロードできるようです。

今回の審査基準改訂については、今年3月6日に改訂案が公表され、6月26日に決定版が公表され、7月1日から適用されているものです。最近では「シフト補正禁止」審査基準改定で記事にしました。

今回の改訂でどのような範囲まで「発明の単一性」が広がり、「シフト補正禁止」範囲から外れることになったのか、という点については、改訂案を読んで解読した「発明の単一性とシフト補正禁止の審査基準案」が使えると思いますので、以下に骨子を再掲します。
---発明の単一性---
A.請求項1から直列に審査を行い、(1)特別な技術的特徴が発見された場合には、発見された特別な技術的特徴と同一の又は対応する(注3)特別な技術的特徴を有する発明(5ページ3.1.2.1(4)の後半)、(2)及び直列に審査を行った発明

B.請求項1に記載された発明の発明特定事項を全て含む(注1)同一カテゴリーの請求項に係る発明(5ページ3.1.2.2(1))(注2)

C.特別な技術的特徴に基づいて審査対象とした発明について審査を行った結果、実質的に追加的な先行技術調査や判断を必要とすることなく審査を行うことが可能である発明(6ページ3.1.2.2(2))
例えば当該箇所の(i)~(v)のいずれかに該当する発明

D.請求項に係る発明間に特定の関係がある場合(基準案8ページ4.1)
(物とその物を生産する方法、物とその物を使用する方法、方法とその方法の実施に直接使用する機械など)

(注1) 発明の「発明特定事項を全て含む」場合には、当該発明に別の発明特定事項を付加した場合に加え、当該発明について一部又は全部の発明特定事項を下位概念化した場合や、当該発明について発明特定事項の一部が数値範囲である場合に、それをさらに限定した場合等も含まれる。(4ページ最終行)

(注2)ただし、請求項1の課題と追加された特徴の課題との関連性が低い場合、請求項1の技術的特徴と追加された技術的特徴との技術的関連性が低い発明、を除く。

(注3)「対応する特別な技術的特徴」については、3ページ2.2(3)参照
---以上---

---シフト補正禁止---
補正後の特許請求の範囲に記載される事項により特定される全ての発明が、補正前に新規性・進歩性等の特許要件について審査が行われた全ての発明の後に続けて記載されていたと仮定したときに、「第Ⅰ部第2章 発明の単一性の要件」の「3.1 審査対象の決定」に照らして発明の単一性の要件以外の要件についての審査対象となる補正後の発明を、第17条の2第4項以外の要件についての審査対象とする。(2ページ3.1.2 具体的な手順)
---以上---

今回の講演では、発明の単一性の要件について、以下の3.1.2.1と3.1.2.2の2つを対比させる形で説明がなされました。
『・ 審査対象は、「特別な技術的特徴」と「審査の効率性」に基づいて決定する。
3.1.2.1 特別な技術的特徴に基づく審査対象の決定
3.1.2.2 審査の効率性に基づく審査対象の決定
→ いずれかの判断で「審査対象」となれば、審査を行う。』

講演での「3.1.2.1」が上記私のA.に対応し、「3.1.2.2」がB.及びC.に対応する、といっていいでしょう。
結局、私が述べた「B」と「C」の部分が、今回の審査範囲拡張部分である、という説明になろうかと思います。
「D」はもともと(発明単一性についての平成15年法改正前から)存在していたということで、今回の説明から省かれたのでしょう。

私は講演会で2点の質問をしました。
(1) 上記「3.1.2.2 審査の効率性に基づく審査対象の決定」は、法律のどの条文を根拠としてなされたのか?
答:「特許法37条の趣旨に鑑みてなされたものである。」
この点は、配布資料の15ページ(9ページ)にも記載されていました。

(2) 今回配布資料には、上記私の「注1」が記載されていませんでした。そこで念のため、『請求項1の発明の「発明特定事項を全て含む」場合には、請求項1を下位概念化したり数値範囲を減縮したりする発明も含まれるのか?』と質問しました。
答:「含まれます。」

さて、上記「3.1.2.2 審査の効率性に基づく審査対象の決定」ですが、37条の条文ではなく37条の趣旨に鑑みて定められた審査基準と言うことです。講演会が終わってから、「このような決め方は、裁判所から見て法律違反になるのではないか」という点が気になり始めました。

そこで、特許法37条、49条、123条などを再度当たってみました。
37条では、所定の場合に「一の願書で特許出願することができる」と規定し、出願人の権利が定められています。
49条では、37条に違反した場合、審査官は拒絶査定しなければなりません。
123条では37条は無効理由として挙げられておらず、審査官が37条の条文の範囲を超えて審査し特許査定したとしても、違法としてとがめられることはありません。
以上から、以下のように整理できるのでしょうか。
『出願人は、37条で規定する範囲は最低限の権利として守られる。一方、審査官が37条で具体的に規定する最低限の範囲を超えて審査し特許査定したとしても、それは審査官の裁量範囲であって許される。』
この裁量範囲超えが、別の第三者の不利益になっていない、ということも重要でしょうか。「国は、複数の審査請求料を徴収できる機会を失った」との不利益もありますが、国自体がそのような要求をしないとの意思表示が今回の審査基準なのでしょう。

以上のように整理すると、審査官は、法律的には「3.1.2.2 審査の効率性に基づく審査対象の決定」に従うべき義務は存在しません。そうすると、「私は37条の条文に基づいて厳密に単一性を審査する」という審査官が現れて拒絶査定をしても、法律違反とはならないことになります。一般的には査定不服審判で救済されるでしょうが、審判官まで厳しい見解を持っていたら救済されません。この場合、知財高裁はどのように判断するのでしょうか。
あり得ないこととは思いますが、ちょっと気になりました。
コメント (8)
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