弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

ここへきてのコロナ対応政策

2020-08-29 14:39:01 | 歴史・社会
『コロナ対策 実効性は 感染症法、運用見直し 入院は重症者を優先』
2020/8/29付日本経済新聞 朝刊
政府が28日に発表した新型コロナウイルス対策は、重症者の治療に注力する体制づくりや全国民分のワクチン確保が盛り込まれた。今後の感染拡大時に医療現場の逼迫を避ける狙いだが、軽症者らを通じ感染が広がる懸念があるほか、ワクチンも開発途上。実効性がどの程度あるか未知数だ。
『具体的には、軽症や無症状の人は宿泊施設や自宅での療養とするため、政令改正などによる感染症法の運用見直しを検討。実現すれば、病院や保健所の業務の負担軽減を期待でき、高齢者や基礎疾患がある人ら重症化しやすい患者への治療を手厚くすることができる。
『埼玉県の大野元裕知事は28日の加藤勝信厚生労働相とのテレビ会議で「位置づけを見直すなら、軽症者らに宿泊施設への入所を勧告する権限を知事に与えてほしい」と訴えた。』

『軽症・無症状は宿泊療養 医療現場の負担減へ見直し 新型コロナ』
2020年8月29日 5時00分 朝日新聞
 政府は28日、新型コロナウイルスに感染した軽症、無症状の人の宿泊施設での療養を徹底する方針を打ち出した。季節性インフルエンザの流行に備え、医療機関や保健所の負担軽減が狙いだ。入院に関する措置を含め、厚生労働省は今後、運用の見直しに着手する。
『厚労省は運用上、軽症、無症状の人の塾泊・自宅療養を認めているが、病床が空いていれば入院を優先する自治体は少なくない。全国保健所長会長を務める大分県東部保健所の内田勝彦所長は「法令上の『入院すべきことを勧告することができる』は、実務上『入院勧告する』と取り扱っている」と話す。
感染拡大すれば、軽症や無症状の人で病床が埋まる要因になり、厚労省は重症者への医療に重点化するため、政令の表現を見直すとこにした。』

私はこの4月の段階で、以下のブログ記事を掲載しました。
軽度陽性者の扱い PCR件数が増えない 厚労省が機能不全(2020-04-04 )』
『《軽症の陽性者 自宅・施設で療養》
やっと、厚労省は軽症の新型コロナ陽性者を自宅・施設など病院以外で療養する方針を打ち出しました。』

コロナ対策・日本の惨状(2020-04-25 )』
『(B)隔離は自宅ではなく、ホテル等の宿泊施設とすること。
3月末まで、陽性者は軽症を含めて全員入院させていました。厚労省は4月初めになってやっと、軽症者を入院以外とする許可を出しましたが、原則は自宅療養、例外的にホテル等の宿泊施設、という扱いでした。
厚労省は最近になって、自宅療養の陽性者が死亡した事例が生じてやっと、宿泊施設を原則とすることに方針変更しました。

私が「軽度陽性者の扱い PCR件数が増えない 厚労省が機能不全」にて、家庭内感染、医師や看護師の感染を防止するためには、ホテルなどの宿泊施設の利用を原則とし、自宅隔離を例外とすべき、と記したのは4月4日です。それから20日もたって、やっと政策変更が実現しました。

一方、田村憲久・自民党「新型コロナ対策本部」本部長が最近テレビ出演中に「本人が自宅療養を希望したら、『ホテルへ行け』と強制することができない。」と発言していました。私は「今頃国会議員がそんなことを言うか」とびっくりしてしまいました。
私が「新型コロナ陽性者は軽症でも強制入院」(3/15)、「新型コロナ軽症の陽性者を自宅隔離できるか」(3/16)に書いたように、感染症法の19条には以下のように規定されています。
『(入院)
第十九条 都道府県知事は、新型コロナウイルス感染症のまん延を防止するため必要があると認めるときは、当該感染症の患者に対し感染症指定医療機関(・・・ )に入院し、又はその保護者に対し当該患者を入院させるべきことを勧告することができる。・・・
3 都道府県知事は、第一項の規定による勧告を受けた者が当該勧告に従わないときは、当該勧告に係る患者を感染症指定医療機関(・・・)に入院させることができる。』
即ち、入院には強制力があります。しかし、ホテル滞在、自宅隔離に関しては、強制力を担保する条文がありません。そこで3/16の私の上記記事では、「自宅隔離(現時点ではホテル滞在)を強制できるよう、法律改正が必要」と主張しました。それから1ヶ月が経過して、上記田村議員の発言です。国会議員、それも自民党のコロナ対策本部長なのですから、1ヶ月前に気づいてさっさと法律改正しとけよ、と叫びたくなります。』

現在はもう8月の末です。4月から5ヶ月間、コロナ対策の政策は何も進展していないように思えてなりません。
厚労省から各自治体への「事務連絡」では、無症状・軽症の陽性者について、入院ではなく宿泊療養または自宅療養とすべきこと、宿泊療養を優先すべきことが通知されていました。それにもかかわらず、各自治体とその傘下の保健所は、その通知に従わずに入院を優先し、結果として病床の圧迫と自分自身の事務負荷過剰を招いていたということになります。
厚労省からの「事務連絡」では不十分で、政令の改正が必要だと分かっていたのなら、もっと早く、5月頃にはできていたはずです。政令改正は国会ではなく内閣が決めるのですから。また、「宿泊療養に強制力を」の件についても、今になって埼玉県知事から指摘されるのではなく、5月頃にはやっておいて欲しかったです。
自治体や保健所の現時点での対応も理解できません。「軽症や無症状の陽性者は、宿泊療養させるべき」との厚労省の事務連絡が出ているのですから、それを活用して、入院ではなく宿泊療養させる方針を、なぜとれないのでしょうか。理解に苦しみます。

未曾有のコロナ禍に見舞われて、国としてどのような対策を打っていくべきか。その政策立案には、専門知識を持ったシンクタンクがデータに基づいて方針を検討し、献策していくべきです。日本においては、最大のシンクタンクは霞ヶ関です。コロナ対策については、厚生労働省の双肩にかかっています。
しかし、この3月からの厚労省の対応を見ていると、惨憺たる有様です。厚労省は機能不全に陥っています。なぜこんなことになったのか。

私はブログ記事『内閣人事局の功罪(2020-05-31 )』にて以下のように書きました。
『日本特有の「官僚内閣制」を改め、何とか本来の「議院内閣制」を構築しよう、ということで、紆余曲折を経て、「内閣人事局」が誕生しました。
ところが、内閣人事局ができあがってみると、その結果、ちょうど良い「議院内閣制」が生じるのではなく、逆に振れた「官邸忖度内閣制」が生まれてしまったようです。
2年前のブログ記事『内閣人事局はどうなる? 2018-03-25』で論じました。
その当時、「内閣人事局」の評判が悪くなっていました。高級官僚が安倍総理と総理夫人に「忖度」しているのは、内閣人事局に人事を握られているからだと。』
『お役人はそもそも、自らの人事権を持っている人事権者には頭が上がらない、上ばかりを見るいわゆる「ヒラメ役人」が大勢を占めているかもしれません。内閣人事局ができるままでは、省内の事務方トップ(次官)が人事権を握っていたため、省内の事務方トップ(次官)の意向を常に忖度して政策が立案されていました。
内閣人事局ができた結果、人事権者が省内事務方トップ(次官)から官邸に移行しました。ヒラメ役人たちは従来通り、人事権者に忖度する態度をとり続けた結果、今度は官邸に忖度することになってしまった、ということではないかと。』
また、省庁の高級官僚が官邸に忖度するヒラメ官僚ばかりになった結果として、生まれてくる政策も、骨太の政策が立案されなくなったのではないでしょうか。

安倍長期一強政権は終わりを告げることになりました。この7年間の政権の負の遺産は、「霞ヶ関官僚の毀損」と「官邸官僚の跋扈」でしょうか。この半年間、特にコロナ対策で見せつけられてきました。
次の政権には、内閣人事局を適切に運用してもらい、霞ヶ関の省庁が最強のシンクタンクとして活力を取り戻し、日本の国政を正しい方向に導くよう、切に願うところです。
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「an・an」の・・・特集に、巨大な変化が起きていた…!

2020-08-13 18:15:41 | 歴史・社会
2012年8月、私は『若い女性の意識はこの20年で変わったのか』と題する記事を書きました。以下、一部文字をスパムコメント対策としてイメージ表示しています。

北原みのりさん著「アンアンのできれいになれた?」についてです。
その一部を以下に転記します。
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雑誌「an an」(以下「アンアン」)は、1970年に創刊されました。
そのアンアンが、創刊から40年でどのように変わってきたのか、アンアンが創刊された70年代に“新しい女”の時代を生きた女たちは、今どんな60代を迎えているのか。そんなことを考えながら、著者の北原氏はアンアンを創刊号から読み直してみようと思いました。「キラキラしていた女の雑誌が、普通の雑誌になるまでの40年に、日本の女に何が起きたのかを考えてみたくなった。そして、自分のことも振り返りたい。」

《80年代~90年代前半》
『70年代のアンアンが高い志のもとに自由を謳歌するお姫様だったとしたら、80年代のアンアンは、今の感覚からいうと“悪ふざけ”にも見えるほど、徹底して軽く、明るく、おしゃべりで行動的な女の子に見える。』
そして1989年4月に発売されたアンアンの特集「で、きれいになる。」です。
『欲望を丸出しにしているのに、きれい。そして、全然男に媚びていない。何が斬新だったのかを一言で表すなら、すべてが完璧な「女目線」だった、これに尽きる。』

《90年代後半~00年代》
97年の特集では「愛情と信頼と、すべてをゆだねられる一番好きな恋人とこそ」と「愛」が連呼されます。
『愛、愛、愛。そういえば、これまで「愛ある」をアンアンが声高には主張してこなかったことに、ここに来て初めて気がつく。』
『一方で、97年と98年には、アンアンがいままで紹介したことがない、本格的なハウツーテクニックがページを占めていくことだ。』
・・・
2000年1月号でアンアンが掲げた目標『今年こそ、“恋愛の勝ち組”を目指すぞ!「男が追いかけたくなる女」になりたい』
『あの頃に発売された本や、歌を振り返ってみると、女の子たちの叫びのようなものが、聞こえてくる気がする。・・・この社会には、女の子の居場所がない、と。
バブル世代の女は、自分たちがいる場所が世界の中心だと思えていた。・・・若く未来のある女が、世界で一番自由で強く、世の中の真ん中にいられる。女であることの居心地の悪さを感じたことはないけれど、「居場所がない」と苦しむのは、少なくとも80年代の女にはなかった感性だ。
わずか数年で女の子から見える世界は180度変わってしまった。』
01年から03年ころには、アンアンの記事は完全に変わってしまいました。
80年代には「自分のため」だったものが、90年代後半以降「男に奉仕する」「男に媚びる」ものに変身してしまいました。
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北原氏の「アンアンのできれいになれた?」を通じて、日本の若い女性の置かれた環境が、70年代から00年代にかけてどのように変化したか、そして若い女性の希望がいかに抑圧されるようになったか、この本からひしひしと伝わってきました。

北原著書の「あとがき」がはっきり示しています。
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それでも、「昔はよかった」という郷愁のようなものは、この本(アンアン)のあらゆるところから、ダダ漏れしてしまっていると思う。それは、確かに昔はよかった、と思えるものが確実に一つ、アンアンを読み進めるうちに浮き彫りになってしまったからだ。昔の女にあって今の女にないものが明快にわかってしまったからだ。
それは、自由への希望、のようなもの。アンアンを読み進めていくうちに、それがどんどん薄れていくのを確信するようなことが何度もあった。40年前のアンアンは「もっともっともっと、私たちは自由になろうよ!」と叫んでいた。けれど、今の女性にとって自由は憧れでも希望でもない。それは自由が達成できたから、というだけではないように思う。
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今回、三浦 ゆえさん著の『「an・an」の〈特集〉に、巨大な変化が起きていた…!』「愛され」から「女性の主体性」へ
を読む機会がありました。
北原著書と同じ、アンアンの記事の変遷について述べています。
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『始まった「迷走」
それでも夏の風物詩として特集号を出しつづけた「an・an」だが、2010年ころから迷走が著しくなっていたと感じる。
「・・・」「・・・」(2012年)などといった、男性を喜ばせる“テクニック指南”には度肝を抜かれた。もちろん、悪い意味で。
こうした指南を通して同誌が提案したのは「男性を喜ばせる」であって、女性自身の快感は後回し。男性から評価される(愛される)ことが女性にとっての喜びである、という価値観を強く感じる内容がつづいた。』
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北原さんがびっくりした、00年代のアンアンの特徴が、2012年までずっと続いていたことがわかります。北原著書は2011年発行ですから、発行後も同じ状況だったと言うことです。
それに対し、
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『今年は様子が違う…!
ところが、である。今年の「an・an」は、様子が変わっていた。における女性の「主体性」が語られ、性的同意の解説にページが割かれる。
今年の「an・an」の特集には「愛と」というタイトルがついている。これまでに同誌が何度も使い回してきている定番のフレーズである。しかし、今年の特集からは少し違う印象を受ける。
において本当に必要なのは、愛という抽象的で不確かなものではなく、より具体的で地に足のついたコミュニケーションのうえに成り立つ信頼と安心である。今年の同特集の行間からは、そんなニュアンスすら時おり感じた。愛は、その基盤なくしては成り立たない。』
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若い女性を取り巻く環境に、良い変化の兆しが生まれているのでしょうか。そうであれば良いのですが・・・。

なお、三浦 ゆえさんの上記記事には、以下の北原著書が参照されていません。その点は残念でした。

アンアンのできれいになれた?
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