弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

再び“教育勅語”

2017-04-09 14:00:01 | 歴史・社会
本年3月に、このブログで「何で今“教育勅語”?」として記事を書きました。
杉並の大宮八幡宮で、『誰にでも覚えやすい「教育勅語」(たいせつなこと)』(明治神宮崇敬会発光小冊子「たいせつなこと」より転載)をいただいたことに端を発します。
その後、あちこちで教育勅語が話題になっていることから、どんな意味内容なのか、原文を眺めることになりました。

《本文》
『(一)朕惟(ちんおも)うに、我が皇祖皇宗(こうそこうそう)、国を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹(た)つること深厚なり。我が臣民、克(よ)くに克(よ)くに、億兆心を一にして世世(よよ)厥(そ)の美を済(な)せるは、此れ我が国体(こくたい)の精華(せいか)にして、教育の淵源、亦(また)実に此に存す。

(二)爾(なんじ)臣民、(1)父母にに、(2)兄弟(けいてい)に友(ゆう)に、(3)夫婦相和(あいわ)し、(4)朋友(ほうゆう)相信(あいしん)じ、(5)恭倹(きょうけん)己(おのれ)を持(じ)し、(6) 博愛衆に及ぼし、(7) 学を修め、業を習い、以(もっ)て智能を啓発し、徳器を成就し、(8)進んで公益を広め、 世務(せいむ)を開き、(9)常に国憲(こっけん)を重んじ、国法に 遵(したが)い、(10) 一旦緩急あれば、義勇公(こう)に奉じ、以(もっ)て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし。
是くの如きは、独(ひと)り朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の臣民たるのみならず、 又以(もっ)て(11)爾(なんじ)祖先の遺風(いふう)を顕彰(けんしょう)するに足らん。

(三) 斯(こ)の道は、実に我が皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所 、之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず。

(四)(12) 朕、 爾臣民と倶(とも)に拳拳服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(その)徳を一(いつ)にせんことを庶幾(こいねが)う。

明治二十三年十月三十日
御名御璽』

一つ、論点があるようです。
『以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。』の部分は、その前のどの部分を受けているのだろうか、という論点です。
最近の論説では、上記部分の直前、『一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、』のみを受けているような解釈ばかりです(解釈1)。
一方、ウィキペディアの教育ニ関スル勅語には、さまざまな解釈が掲載されており、その中には、戦前の文部省が示していた解釈が含まれています。それによると、『以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。』の部分は、その前の、『父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、 学を修め、業を習い、以て智能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、 世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に 遵い、 一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、』の全体を受けているような解釈になっています(解釈2)。
解釈1でも、解釈2でも、結論ががらっと変わるわけではありませんが、全体が示すニュアンスは結構変化します。そして現時点で、どちらの解釈が正しいのか、私にはわかりません。ただしここでは、戦前の通説であったらしい解釈2を用いることにします。

それでは、本文の(一)と(二)前段の部分について、現代語訳を試みます。

『(一)明治天皇である私がおもうに、私の祖先である歴代天皇は、はるか昔にこの国をはじめ、徳を樹立してきた。
私の臣民が、「忠」と「孝」の2点において、億兆(現臣民と過去の臣民の全体?)が心を一つにして、代々、その美(天皇の徳?、臣民の忠孝?)を受け継いできた。このことは、私の「国体」の神髄かつ美しいところであって、教育の源もまさにそこに存在する。
(二)あなた方臣民、
「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、 学を修め、業を習い、以て智能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、 世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に 遵い、 一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、」
これにより、天地共にきわまりのない皇運(天皇、天皇家の盛運)を助けなさい。』

済す---受け継ぐ
天壌無窮---天地と共にきわまりのないこと
扶翼---助ける

上記(一)からわかることは、
(1)あくまで中心は天皇、天皇家である、ということです。
(2)天皇に対する「忠」と、(父母に対する)「孝」が価値の中心にすわっています。
(二)からわかることは、
(3)「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、」については、これだけ単独に取り出せば、「国の独立が脅かされたときは、命を懸けてでも国の独立を守る」との意味ととることができ、独立国の国民であれば普通に持ち合わせているはずの価値観です。
(4)一方、「父母に孝に」から「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、」までの徳目は、いずれも常識的な徳目が羅列しているように見えますが、これらの徳を持すことは、それ自身が目的ではなく、手段であることが明らかです。
(5)これら手段は何を目的としているかというと、まさに、「天地共にきわまりのない皇運(天皇、天皇家の盛運)を助けなさい」が目的です。

ところで、「国体」とは何でしょうか。

第二次世界大戦の末期、日本には「一億玉砕」というスローガンがありました。「一億」とは「国民全員」の意味ですから、「国民全員が戦死するまで戦おう」という意味であることが明らかです。国民全員が戦死しても守らなければならないものとは、一体何でしょうか。
どうも「国体の護持」が究極の目的らしいのです。「国体」が「国民」を意味しないことは、「一億玉砕」から明らかです。
そして「国体」とは、「天皇、天皇制、天皇を中心とした国の秩序」を意味するようでした。

以上のように考えると、教育勅語の「これ我が国体の精華にして」とは、「これは、天皇を中心とした国の秩序の神髄であって」と読み取ることができます。

ネットで検索すると、世の中には「教育勅語」の現代語訳がいろいろと登場しています。いずれも、私が行った上記解釈とは似ても似つかないものです。
しかし、ここ一週間ほど、つらつらと教育勅語を眺めた結果としての解釈は、上記私の解釈が妥当なところだとの思いを強くします。

この教育勅語、現代の教育現場で、どのような活用が可能でしょうか。
高校生ぐらいの年代で、各自に意味を解釈させた上で、グループで討論を行う、というような活用はありえるでしょう。
一方、小中、あるいは幼稚園で、暗唱させる、というのはどうでしょうか。暗唱とは、意味がわかろうがわかるまいが記憶させるということです。普通は、「普遍的に正しいこと」を暗唱させます。暗唱した本人たちは、それが正しいものとして記憶に定着するでしょうから。
上記私の解釈しか有り得ないような教育勅語を、訳もわからない子供に暗唱させていいはずがありません。
「憲法や教育基本法の範囲内で、幼稚園や小中学生に教育勅語を暗唱させる」という教育法はあり得ません。
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中学の体育に銃剣道が登場

2017-04-02 21:24:31 | 歴史・社会
中学武道に木銃使う「銃剣道」追加
読売新聞 3/31(金) 7:58配信
『文部科学省は2020年度以降に実施する小中学校の次期学習指導要領を31日付の官報で告示する。
2月に公表した改定案に対するパブリックコメント(意見公募)の結果を考慮し、表記を改める予定だった「聖徳太子」や「鎖国」を一転して変えないことにした。中学校の保健体育で必修の武道の例としては、柔道や剣道など8種目に加え、木銃を使って相手を突く「銃剣道」を加えた。』
何か、歴史の彼方に忘れ去られていたはずのものが、突然現世に現れたような感覚です。そもそも現代の人が、「銃剣道」と聞かされてイメージが沸くものでしょうか。
私は1948年生まれで、今から50年ほど前までは「銃剣術」をイメージする出来事はありました。しかしそれ以来、この50年間、「銃剣術」「銃剣道」にお目にかかったことがありません。

さて、銃剣道(ウィキ)のページで確認しましょう。
『剣道のような防具を身に付けて竹刀の代わりに木銃(もくじゅう)を用いて相手と突き合う競技である。
対戦相手の上胴・下胴・喉・(左)小手・肩の5つの各部位を木銃(三八式歩兵銃に銃剣を着剣した長さの銃身を模した木製の物。166cm)で突いて競技する。』

全日本銃剣道連盟によると、
『木銃(もくじゅう)
樫の木で作られていて、中学生以上は長さ166cm、重さ1,100グラム以上、小学生以下は133.5cm、重さ800グラム以上のものを使うように決められています。木銃の先にはタンポと呼ばれるゴムがついていて、突き技の衝撃をやわらげています。』

木銃の長さ166cmは、やはり旧帝国陸軍の三八式歩兵銃がモデルだったのですね。ここまで、旧日本軍の武闘訓練が、そのままスポーツに姿を変えて生き残っていたとは、驚きです。

三八式歩兵銃(ウィキ)で確認すると、
『全長 1,276mm
(三十年式銃剣着剣時: 1,663mm)』
とあり、寸法に間違いありません。

現代の軍隊で用いられている小銃と比較すると、三八式歩兵銃、そしてそれに着けられる銃剣はとても長いです。
例えば、現在自衛隊で使われている89式5.56mm小銃(ウィキ)は、
『全長 916mm(固定銃床式)
89式多用途銃剣
全長41cm(刃渡り29cm)の64式銃剣に比べ、全長が27cm、刃渡りは旧型の半分程度の15cm内外と短縮されている。』
とあります。916mmに刃渡りの150mmを足すと、着剣時の全長は1066mmでしょうか。
また、カラシニコフは、AK-47(ウィキ)によると、
『全長 870mm 』
AK系アサルトライフルの銃剣
『6kh2銃剣
AK-47III型用の銃剣。200mmの刃渡りを持つ。』
とあり、着剣時の長さは1070mmになります。
こうして見ると、現代の軍隊や武装勢力が用いている小銃(銃剣付き)に比較して、銃剣道の木銃の長さは600mmも長いものになっています。
「スポーツ」とはいいながら旧日本軍の姿を濃厚に残しており、現代の武闘術に結びつくこともない、不思議な武道です。

今から50年以上前、私が見聞した銃剣術(銃剣道ではない)について記します。3つあります。

《五味川純平著「人間の條件」》
太平洋戦争のさなか、主人公の梶は、満州の製鉄会社に勤務しています。梶の勤める鉱山での出来事から、梶は臨時召集令状によって召集され、酷寒のソ満国境の部隊に配属になりました。その駐屯地を突然、妻の美千子が一人で面会に訪れるのです。鉄道で1500km、そのあとの馬車道を30kmかけて。隊長の特別の計らいで、翌朝まで、美千子は一軒家の宿舎での宿泊を許され、梶も美千子とともに過ごすことが認められました。
翌朝、休養が明けた梶は、他の兵隊とともに朝食前の剣術の間稽古を命じられます。小説には剣術とありますが、武器は木銃であり、銃剣術です。古兵たちは、美千子との一夜をやっかみ、木銃で梶に次々に当たります。木銃対木銃の、一対多の壮絶な乱戦となりました。梶がへとへとになったところで、つわものである軍曹が相手になり、梶は強烈な突きを喉に直接受けました。『タンポがずぶりと喉に入った。』
そのあと、美千子との別れです。梶は声が出ません。
『梶が口を動かした。声は少しも聞こえなかった。
・・・
「・・来てくれて、ありがとう」
梶の潰れた声が、ようやくそう聞こえた。』(「人間の條件 3」文春文庫164ページ)

「人間の條件」は、連続テレビドラマと映画(シリーズ)になったものです。テレビドラマは加藤剛主演、映画は仲代達也主演でした。そのどちらも私は観ているのですが、上記の別れの場面、梶がしゃがれた声で美千子に別れを告げる情景を鮮烈に憶えています。テレビと映画のどちらだったかは不明ですが。

《テレビバラエティ番組での前田武彦》
50年ほど前、テレビのバラエティ番組で、マエタケこと前田武彦(タレント、放送作家)が人気を博していました。ある番組で、登場者が勝手に踊っている場面で、前田武彦が半身になり、両腕を繰り返し前に突き出しながら前進する動作を始めました。見たとたんに「銃剣術の動作だ」と気づきました。腰が入っており、ホンモノだと直感しました。
今回、ウィキで前田武彦について調べたところ、
『1929年、東京府東京市芝に生まれる。太平洋戦争中には予科練に1年半在隊し、敗戦翌年の1946年に開校した鎌倉アカデミア演劇科に第1期生として入学した。』
とありました。
予科練に1年半も在隊していたら、それはホンモノの銃剣術を修得したことでしょう。それから20年後のテレビ番組で、フッと出てきたものと思われます。

《小説の最終場面》
高橋和巳の小説だったと思うのですが、最終場面、主人公の男性(中年だったか初老だったか)が、夜の路上でチンピラに絡まれます。男性は、持っていたこうもり傘を構えると、チンピラに向けて突き出しました。戦時中の兵役で叩き込まれた銃剣術が、突然蘇ったことが明らかでした。小説はそこで終わりました。私は、チンピラがこうもり傘で刺殺されたことを確信しました。

以上のように、今から50年前であれば、まだ戦争の亡霊として銃剣術が生活の中に登場していました。しかし、この50年間、銃剣術は私の目の前に現れませんでした。
それが突然、「学校で中学生に教える種目」として復活したのです(銃剣術ではなく銃剣道として)。一体何がそうさせたのか、見当も付きません。

先日、「何で今“教育勅語”?」として記事を書きました。
教育勅語も、私が気づかないうちに人々の生活の中に入り込もうとしています。今回の銃剣道も、教育勅語と同じ流れの中にあるのでしょうか。
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