弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

日銀「新型オペ」の評価

2009-12-13 16:01:17 | 歴史・社会
日銀が12月1日に明らかにした新たな金融政策(新型オペ)は、金利は政策金利と同じ0.1%で、期間は3カ月。国債や社債、コマーシャルペーパー(CP)、証貸債権など「全ての日銀適格担保」を裏づけに資金を貸し出す。供給額は10兆円程度を予定しているというものでした。
この政策が発表された直後のマスコミ評価は冷たいものでした。「これでは不十分だ」「政策の小出しは最悪だ」といった評価でした。12月2日の日経朝刊でも「今回の政策によって日本経済がデフレの解消に向かうと本当に期待できるのか。円高とデフレに向き合うには力不足との見方が市場関係者には多い。早くも政府や日銀による追加対策を求める声が上がり始めている。」としています。「無担保コール翌日物金利をゼロにする「ゼロ金利政策」には戻らない。金融の量的緩和の手段として、国債の買い切りを増やすのも避けた。肩すかしを食ったと市場が感じるようだと反動が恐い。」

しかしこの金融政策の発表を境として、9千円を割り込むかと懸念された日経平均株価は上昇を続け、4日には1万円を超えました。為替でも円が下がり続け、1ドル86円から90円にまで変化しました。

12月5日の日経朝刊で、この金融政策が解説されています。
『金融緩和で新手法 日銀「追加」の余地確保』
『日銀が1日決めた金融緩和は、翌日物金利をこれ以上下げられない中、わかりやすい追加的な緩和余地を別途確保した点に特徴がある。今回、3ヶ月に広げた「利下げ」対象の金利期間をさらに長くしたり、そのために必要な資金供給額(今回は10兆円程度)を増やしたりすれば、デフレ防止努力を印象づけられるのだ。経済や市場が再び不安定になるなら、そうした措置も検討対象になりそうだ。』
『どうやって、一般にもわかりやすい緩和の余地をつくり出すか。』
2001年春には、誘導対象の翌日物金利が実質ゼロに近づき利下げ余地がなくなる中、金融機関への資金供給量拡大で緩和を進める量的緩和政策を誘導しました。このときは不良債権に起因する金融システム不安の緩和に貢献します。
今回は、金融システム不安解消より実体経済への刺激や円高防止が重要であり、「利下げ」の対象を翌日物金利から広げる「やや長めの金利の低め誘導」を日銀が考案しました。
景気の二番底が現実味を帯びるなど厳しい情勢になれば、追加の対策を打って出ます。
・「利下げ」の対象をさらに長めの短期金利にしたり、資金供給量を増やしたりする。
・長期国債の購入拡大
・時間軸政策の再導入:日銀は06年に物価安定の目安となる消費者物価上昇率を0~2%程度とする判断を公表しているが、(時間軸政策の)効果を上げるために、例えば物価が1%上がるまで利上げはしないというのも一案
(編集委員 清水功哉)

今回の新型オペ政策が発表された直後は懐疑的であった日経新聞も、発表直後から始まった円の下落と日経平均株価の急上昇を見て、この政策を見直したということでしょうか。

以上は12月5日までの状況です。
その後、ドル円は7日に90円を超え、日経平均も10100円を超えました。しかしその後、また円高傾向となり、日経平均株価も急落して10日には9900円を割り込みます。ところが11日はまた反撥して10100円を超えました。日本経済は、ちょっとした外乱に影響されて乱高下を繰り返す状況となっています。

政府と日銀は常に連繋して、タイムリーな政策を実現するとともに、市場に強いメッセージを送り続けてほしいものです。
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塩野七生「ローマ人の物語~最後の努力」

2009-12-10 21:38:27 | 歴史・社会
塩野七生氏の「ローマ人の物語」文庫本版は、毎年1回、9月頃に3~4冊が刊行されます。今年9月には、「最後の努力」上中下(35~37巻)が発行されました。
ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生
新潮社

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ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫)

文庫本が刊行されるたびに購読して読むのですが、その前の巻を読んだのは1年も前だし、そもそも1~34巻という膨大な書物ですから、読んだ内容をほとんど忘却しています。
ところで私のブログでは、24巻について2006年11月に読後感を書いて以来、34巻までについては一応ブログで記事にしています。従って、このブログ記事を辿ることにより、今回刊行されるまでの後半部分については思い出すことが可能となります。
このブログの右上の端に検索窓があります。検索範囲を「このブログ内で」として検索ワード「ローマ人の物語」とすれば、24巻以降についてざっとブログ記事を辿ることができます。ここをクリックしてもらっても同じ検索がされるはずです。

これはなかなか便利でした。今回の「最後の努力」に至るローマ帝国の変遷を、主に五賢帝時代以降ですが、思い出すことができました。

紀元3世紀、ローマ帝国は「混乱の3世紀」と呼ばれていました。

ローマ帝国とゲルマン民族地域との境界は、ライン川とドナウ川です。ライン川の東、ドナウ川の北は、主にゲルマン諸種族が住み着き、隙があればローマ帝国内に攻め込んでは掠奪を繰り返す状況でした。
五賢帝の時代(紀元96~180年)までは、ライン川沿岸とドナウ川沿岸にローマの軍団を配置し、ほぼ完璧にゲルマンの襲撃を防御していました。それが紀元後3世紀になると、ゲルマン民族の脅威が以前より厳しくなります。防衛線は頻繁に破られ、ローマ人の居住地が襲撃と略奪を受けます。そのため、国境付近はほとんど農耕が不可能になり、ローマ帝国の食料供給にも悪影響が出始めます。

ローマ帝国はその当初から、ローマ市民とそれ以外に別れていました。イタリア半島のローマ本国に住む人たちはローマ市民であり、それ以外の属国に住む人々は基本的に非ローマ市民でした。そして、非ローマ市民は収入の10%を税として徴収されますが、ローマ市民は税負担を負いません。その代わり、ローマ市民には兵役の義務があり、非ローマ市民は兵役の義務がありません。ところが、紀元後211年に即位したカラカラ帝は、属国の住民をすべてローマ市民にしてしまったのです。これは民主的な施策のように見えて、塩野氏にいわせるとローマ帝国衰退の原因となりました。税金を納める人がいなくなってしまったのですから。

さらにはキリスト教です。キリスト教徒は、神以外の権威を認めません。即ち、ローマ皇帝の権威を認めないのです。これでは、外敵の侵入にさらされる危機の時代に帝国の結束を保つことができません。

このような混乱の時代、紀元284年にディオクレティアヌスがローマ皇帝となります。
ディオクレティアヌス帝は、帝国の国境防備を強化するため、2人皇帝制(二頭制)をスタートさせます。さらに紀元293年には、「四頭制」すなわち4人皇帝制を始めます。ディオクレティアヌス帝が残り3名の皇帝を指名し、4人で帝国の国防地域を分担して軍備にあたるのです。この体制は、帝国の安全保障という点では効果を上げたようです。ところが他方、4人の皇帝がそれぞれ必要な軍備を整えた結果として、ローマ帝国が抱える兵力が倍増してしまいました。また、4人の皇帝がそれぞれ自分の行政組織を抱えた結果として、4つの強大な官僚組織が出来上がってしまいます。
そして当然ながらローマ市民は増税に苦しむことになります。

紀元305年、ディオクレティアヌス帝は、四頭制を維持したままで皇帝を引退してしまいます。第二次四頭制のはじまりです。
しかしその後、6人もの皇帝が乱立することになり、その争いは内乱の様相となります。その中からのし上がってきたのがコンスタンティヌスです。

紀元306年、4人皇帝の一人、コンスタンティウス・クロルスが、ブリタニアで北方蛮族の撃退戦を指揮しているときに死にます。その長男であるコンスタンティヌスは離別された先妻の子供です。正当な後継者は幼い弟たちでした。しかし31歳になるコンスタンティヌスは行動を起こします。ローマ帝国の辺境であるブリタニアの地で、コンスタンティヌスは配下の将兵たちの擁立を受けて皇帝就任を宣言します。

第一次四頭制の皇帝マクシミアヌス(その後引退)には、マクセンティウスという息子がいました。コンスタンティヌスのなし崩しの皇帝擁立に対し、マクセンティウスは不服です。マクセンティウスは帝都ローマでクーデターを起こし、皇帝に就任してしまいます。実父のマクシミアヌスも息子のクーデターに手を貸し、結果として六頭制になってしまいました。

帝国内は内乱状態となります。
最後はコンスタンティヌスが、ローマにいるマクセンティウスと戦います。なにしろマクセンティウスは帝都ローマを支配していますから、20万近い大軍勢を準備します。一方のコンスタンティヌスは、兵力こそ4万ですが、歴戦の精鋭たちです。
トリノ近郊の緒戦で勝利したコンスタンティヌスは、略奪も焼き討ちも一切行いません。その評判はすぐに北イタリア全体に広がり、その地域はコンスタンティヌスの味方になります。

もしマクセンティウスがローマの城壁内に籠城する作戦を採ったら、コンスタンティヌスは苦戦したはずです。攻城の途中に背後から攻められる危険性もあります。
ところがマクセンティウスは、首都の城壁を出て平野で戦う選択をしたのです。
そして、ローマの北、テベレ川にかかる「ミルヴィウス橋の戦闘」と呼ばれる戦闘で、コンスタンティヌスは勝利します。

この勝利の結果、ローマ帝国はコンスタンティヌスとリキニウスの「二頭」となりました。そしてこの二頭も、紀元324年、コンスタンティヌスとリキニウスが激突し、コンスタンティヌスが勝利することによって終焉します。

皇帝がコンスタンティヌス一人になったという以外にも、アウグストゥス以来続いてきた「元首制」が、「絶対君主制」に変貌を遂げていたのでした。

以下、次号
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雑誌「ZAITEN」で弁理士特集

2009-12-08 23:11:29 | 弁理士
雑誌「ZAITEN」1月号の第2特集が「弁理士」ということで、さっそく購入してみました。
ZAITEN (財界展望) 2010年 01月号 [雑誌]

財界展望社

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『全国8320人 知られざる弁理士の「仕事とカネ」』
『一般に馴染みの薄い弁理士。かつては特許庁の代理手続が主な仕事だったが、昨今の国際化の波と司法制度改革のあおりを受けて、仕事の内容が大きく変更している。-本誌特集班-』

記者がいろいろと取材して記事を書いたのでしょうが、当事者であるわれわれから見ると、実際の姿とは異なった内容が見受けられます。一応、私の見解を記しておきましょう。

記事「2次試験に工学系の問題が主に出題されるため、弁理士全体の8割が理科系出身者である。」
見解:「8割が理工系」は正しいでしょう。その理由が間違っています。工学系の問題は2次試験の選択科目で出題されますが、選択科目として法律系を選ぶことができますから、その点では文化系も受験できます。8割が理科系である理由は、弁理士業務の大部分を占める特許関連業務が、理科系の素養を要求しているからです。

記事「なぜ、そこまで資格試験に時間を要するのか。それは、試験が司法試験に次いで難関とされているからだ。」
見解:私は、資格試験の難易度を、合格までに必要とする勉強時間で比較しています。現在、要領の良い受験生であれば1500~2000時間程度の勉強時間で弁理士試験に合格できるでしょう。そうすると、2000~5000時間の勉強をしないと合格できないと思われる税理士、司法書士の方がよっぽどの難関資格であると言えます。

記事「多くの受験者が筆記試験は受かったものの、次のステップに進めないという難関試験でもある。」
見解:今年は筆記試験の後の口述試験合格率が80%まで下がりましたが、去年まではそれほど低い合格率ではありませんでした。そもそも80%であっても、それが弁理士試験の難関度を上げているわけではありません。筆記試験が難しいのです。

記事「かつては、試験に合格すればすぐに弁理士として仕事かできたが、08年からは新人研修として、毎年12月末から3月にかけて実務研修を行わないと弁理士として登録ができないようになった。この背景には、クライアントからの仕事に対する苦情が増えてきたということがあげられる。」
見解:弁理士試験は今も昔も、法律の試験であり、実務能力を問う試験ではありません。従って昔でも、試験に合格しただけでは実務者として十分ではありませんでした。ただ合格人数が少なかったから、目立たなかっただけです。昔は、受験者の多くが実務経験を積んだ実務者であったという事情もあります。今は、実務未経験者が大量に合格しています。

記事「原則として、特許出願をしてから1年半は他社の動きや業界の動向を見るために、出願したことを秘密にしておくという。・・・1年半を過ぎたあたりから、本格的に特許申請に向けて動き出すのだ。」
見解:ちょっと意味不明の記事です。出願から1年半というのは、公開公報が発行されるまでの期限を言っているようです。出願人の意思ではありません。
上記の記事に続いて、弁理士のトオルさん(仮名)の発言として「この手はずを踏むと、どうしても特許申請には数年かかってしまい、その間に案件を管理し続けるのは大変なこと。書類も、少しでも間違いがあると突き返されてしまう。多くの弁理士は1人で事務所を開設していますが、正直、大変だなぁと思います。」とあります。この発言内容も、弁理士業務の何について言っているのかよくわかりません。出願から権利取得までに数年かかるからといって、別に一人で大変だとは思いませんし。

記事「実年齢よりも若く見られる弁理士が多いのも、常に最先端の技術や商品を扱っているからだとある弁理士は分析する。実際に、他のサムライ業と違い飄々と仕事をこなし、明るい性格の人が目立つ。」
見解:そうですか。他人様からのそのような評価はありがたく受け取ることにしましょう。


上記記事の後、
『筒井大和・日本弁理士会会長 「質の高い弁理士を維持することが最大の課題です」』というインタビュー記事が続きます。
こちらについては特にコメントはありません。
コメント (2)
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東京でアフガン国際会議

2009-12-07 00:14:16 | 歴史・社会
昨日、伊勢崎賢治氏は何を?で紹介したとおり、6日のサンデーモーニングに出演した伊勢崎氏が「先週、(アフガニスタン)政府首脳やNATOの関係者が東京に集まり、非公式の会合が開かれた。」と発言していました。

その後、この件についてネット検索を行った結果、以下の状況を把握することができました。

東京でアフガン国際会議始まる タリバンと対話の道筋探る
『アフガニスタンにおける国民和解と和平の道筋を探る国際会議(主催・世界宗教者平和会議、協力・外務省)が23日から3日間の日程で東京都内で始まった。出席者の安全確保や、自由な討議を保証するために会議は非公開とされているが、外交筋によると、反政府武装勢力タリバンとの対話、和平交渉がどのような条件下で可能になるかが中心議題となる。
 日本政府は既にアフガンへの50億ドル(約4500億円)の民生支援を表明しているが、会議の結果を日本の中長期的なアフガン和平貢献策に反映させる方針。
 会議にはアフガン、パキスタン、サウジアラビア、イラン、欧州連合(EU)などの代表が参加。アフガンからはタリバンとの和平交渉を担当するスタネクザイ大統領顧問ら、日本からは犬塚直史参院議員(民主党国際局次長)、伊勢崎賢治東京外大大学院教授(元アフガン武装解除日本政府特別代表)らが出席した。
 一定の合意が得られた場合は最終日に岡田克也外相に提言書を手渡すほか、声明を発表し、記者会見する。(共同)
2009/11/23 10:17 【共同通信】』

日本はアフガン和平貢献の中心に 各国代表らが提言
『アフガニスタンや周辺諸国の代表を招き、23日から都内で開かれていたアフガンの和解と平和に関する国際会議(主催・世界宗教者平和会議など)は最終日の25日、「アフガン和平構築で日本は中心的役割を果たすべきだ」などとする提言書をまとめ、岡田克也外相に手渡した。
 会議は、アフガンから反政府武装勢力タリバンとの和平交渉を担当するスタネクザイ大統領顧問らを招き、非公開で開催された。提言は、和平交渉進展に向けて、タリバンに一定の影響力があるとされるサウジアラビアのアブドラ国王らの協力を期待し、イスラム諸国の一層の関与を要求。
 タリバンメンバーが和解に応じて暴力を放棄すれば、タリバン幹部らの資産凍結を命じた国連安全保障理事会決議からメンバーの氏名を削除するよう国連に求めた。
 日本政府は既にアフガンへの50億ドル(約4400億円)規模の民生支援を表明しているが、これとは別に、提言を中長期的な和平貢献策に反映させる。(共同)
2009/11/25 22:15 【共同通信】』

アフガニスタンの和解と平和に関する円卓会議 ~「支えあう安全保障(Shared Security)」をめざして~
『伊勢崎さんがイニシアチブを発揮して開かれたアフガン和平東京会議ですが、あまり情報がないと思います。そこで、参加者の合意で採択された「提言」を、全文掲載します。』

ざっと様子を把握することができました。
この国際会議が、アフガニスタン政府、米国政府、タリバーン勢力にどのような影響力を有しているのか、その点はわかりません。少なくともアフガニスタンの政府首脳の一人が出席し、日本政府が関与していることも明らかです。米国政府も、この会議に期待しているかもしれません。
タリバーン勢力はどうだろうか。
伊勢崎氏の発言に従えば、日本はアフガニスタンにおいて中立国として扱われています。その通りであれば、タリバーンにも影響を及ぼせるかもしれません。

会議の結論は日本の岡田外務大臣に手渡されています。受け取った日本政府が、本気になって取り組むかどうか、事の成否はそこにかかっているかも知れません。
最近の鳩山政権は優柔不断が目立ちます。
せっかく「日本の力を発揮してくれ」と関係各国から期待されているのに、日本自らが一歩を踏み出さなかったら何も生まれません。

ここはぜひ、鳩山政権に踏ん張ってもらいたいところです。
そして伊勢崎賢治氏を全権代表として使節団を送り込みましょう。伊勢崎氏は、「カネも出すけど口も出す」というやり方で、関係先をまとめていく能力に長けた人です。日本は総額50億ドルを拠出する腹を固めているのですから、このカネをできるかぎり有効に交渉パワーとして使うべきです。
日本自衛隊も、非武装の監視団として名誉ある地位を占めることができると思います。

なお、以下のような情報も見つかりました。
アメリカ、裏ルートでアフガニスタン・タリバンと交渉
By Azaz Syed
火曜日、2009年11月24日
イスラマバード:
記事原文
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伊勢崎賢治氏は何を?

2009-12-06 11:00:46 | 歴史・社会
アフガニスタン「テロとの戦い」に対する日本の参画であるインド洋上給油を、日本は止めることを決めました。そのかわりに、反政府武装勢力タリバンの元兵士の社会復帰を促すことを中心に、「早急に必要とされる約800億円の支援を行うとともに、これまでに約束した総額約20億ドル程度の支援に替えて、今後のアフガニスタンの情勢に応じて、2009年から概ね5年間で、最大約50億ドル程度までの規模の支援を行う。」という政策です(外務省)。
これだけだったら、「日本はまたも、人を出さず、カネだけ出す国になった」と侮蔑のまなざしを向けられることになると思われました。
ところが米国は、この政策にケチをつけるどころか、今のところ歓迎のコメントのみが聞こえてきます。一体どうなっているのか。

一方、テレビ番組で伊勢崎賢治氏が発言していました。
このブログの10月20日「民主党政権・特に対アフガニスタン」に書いたように、10月18日のテレビ番組では、崩壊の危機に瀕している現カルザイ政権の施政を好転させるべく、日本がやるべき方策を述べていたとともに、直前にアフガニスタンを訪問したと発言していました。
その後、10月21日「伊勢崎賢治氏の最近」に書いたように、10月15日(水)BSフジ「Prime News」「『どうする?対アフガニスタン政策~対テロ支援か?民生支援か?』ゲスト:渡部恒雄 東京財団上席研究員、伊勢崎賢治 東京外語大学大学院教授」(前編後編)という番組に出演しています。米国及びNATO軍は、アルカイーダによってアフガニスタンというイスラム国に引きずり込まれ、終わりのない消耗戦を戦わされています。米軍やNATO軍だけではこの戦いを終わらせることができない。泥沼状態です。このような中、カルザイ政権、米軍・NATO軍、タリバーンの仲に立って、相互の講和を推進しよう。そのための推進役を日本が担おうではないか、といったような話をされていました。

もし、伊勢崎賢治氏が日本政府の意を受け、水面下でこのような活動を行っているのであれば、アメリカとしても大歓迎であり、インド洋上給油の中止も受け入れるはずです。

ところが、その後も注目してきたのですが、アフガニスタンについての情報が一向に発信されません。伊勢崎氏の構想は結局鳩山政権に受け入れられなかったのだろうか。しかしそうだとしたら、アメリカの歓迎ぶりはなんだろうか、と不思議に思っていました。

本日6日、テレビのサンデーモーニングを見ていたら、コメンテーターに伊勢崎賢治氏が見えます。さて何を発言するのだろうかと注目しました。
そして発言です。

「(アフガニスタンの当事者間において)日本は中立国として認められている。
先週、(アフガニスタン)政府首脳やNATOの関係者が東京(日本だったか?)に集まり、非公式の会合が開かれた。」

えっ、東京でそんな非公式会合が開かれたなんて、私は知りませんでした。

日本が音頭を取り、水面下でカルザイ政権とタリバーン勢力との講和の動きが進んでいるのでしょうか。それも日本政府の意のもとに。そうだとしたら、大いに期待したいところです。
しかし、報道に現れなかった非公式会合について、伊勢崎氏がテレビ番組でオープンにしたというのもよくわかりません。

今後の報道に注目しましょう。

なお、再度ネット検索したら、「マル激トーク・オン・ディマンド 第448回(2009年11月07日) アフガニスタンで日本がすべきこと、やってはいけないこと」という記事が見つかりました。この中で伊勢崎賢治氏は、「日本が一番貢献できる分野は、テロとの戦いの名目でアフガンに侵攻したまま抜けられなくなっている米軍と米軍に支えられたカルザイ政権、そしてタリバンとの間の和解の推進ではないかと、伊勢崎氏は言う。依然としてアフガニスタン人の日本に対する国民感情は良好で、日本は欧米諸国に比べてアフガニスタンにいろいろ提案できる立場にある。実際今月末には、ノーベル平和賞受賞者のアハティサーリ・前フィンランド大統領を議長とするアフガン和平会議が東京で開催され、アフガン情勢の打開策が模索される予定だ。」と発言されているようです。
本日テレビ番組での「先週の非公式会合」とは、この会合を指していたのですね。この会合に対する日本政府の関与はどうなのでしょうか。
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日銀新型オペ・事業仕分け

2009-12-05 15:15:22 | 歴史・社会
《日銀の新型オペ》
先週1週間の株価の動きは激しかったです。
先々週の週末、11月27日には日経平均株価が9100円を割り、いよいよ8千円台に突入かと懸念しました。
11月30日と12月1日午前、何とか9300円台まで戻したところで、1日の午後に日銀が臨時政策決定会合をこの日の2時から開催することが報じられ、後場に日経平均が9600円近くまで急騰するとともに、為替が円安に振れました。市場が日銀の新政策に大きな期待を寄せたことがわかります。
午後4時過ぎに日銀が発表した新たな政策(新型オペ)は、金利は政策金利と同じ0.1%で、期間は3カ月。国債や社債、コマーシャルペーパー(CP)、証貸債権など「全ての日銀適格担保」を裏づけに資金を貸し出す。供給額は10兆円程度を予定しているというものでした。
発表直後、報道される市場の反応は冷ややかでした。こんな政策では不十分だというものです。
しかし、翌日以降の日経平均株価は上昇し続けました。そしてとうとう、12月4日の終値が1万円を超えたのです。為替も円安の方向で変動しています。

こうしてふり返ってみると、今回日銀が採用した新型オペが十分か不十分かよくわかりませんが、投資家の心理を明るくさせたことは間違いないようです。日銀が政府と共通認識を持ち、断乎とした政策を表明するということが如何に大切か、よくわかりました。

《事業仕分け》
話変わって事業仕分けです。
私もテレビニュースで事業仕分けの様子を見ただけであり、ニュースはおもしろおかしいところだけピックアップしているのでしょうが、尋常でない議論であることは感じました。
政府が行う予算編成について、国民が強く関心を持つようになったということで、今回の事業仕分け、公開の場で議論を戦わせる方法が果たした役割は大きかったでしょう。30分や1時間の議論で正しい結論が出せるわけはありませんが、国民の注目を集める役割は果たしました。
今回の事業仕分けの結論を錦の御旗にして、財務省が予算編成に有効活用することでしょう。
今回の事業仕分けのようなやり方、自民党政権であれば、族議員が寄ってたかって潰しにかかり、絶対に実現することはなかったでしょう。そういう意味でも、族議員が一掃され、しがらみを断ち切って予算の議論ができるようになったわけであり、政権交代のありがたさをつくづくと感じます

事業仕分けが国民の喝采を浴びることで、民主党政権の支持率がかさ上げされ、現政権にとってはプラスでした。ただし、手法はポピュリズム政治そのものです。あくまで“お祭り”と受け止め、政治そのものは冷静に行ってほしいです。

今回の事業仕分けについて、高橋洋一氏が発言しています。高橋洋一の民主党ウォッチ「事業仕分けの限界 埋蔵金まだまだある」です。
2009/11/26 17:09
「国会法等の改正を当初の首班指名国会か今臨時国会に提出しなかった段階で、国会議員の仕分け人は何の権限もなく意見をいうだけの人だ。国家行政組織法等で権限のある財務省の走狗になるのは法的にはわかりきっている。それに、事業仕分けは素人というか国民目線で見直すものだから、何の問題もない。この意味で、今回の事業仕分けは公開性もあり概ね評価できると思う。」
「事業仕分けの限界を認識すべきだ。予算には、事業系と制度モノという2種類がある。事業系予算は、誰にもわかりやすいので、事業仕分けに適切だ。」
「制度モノは話が抽象的で事業仕分けには不向きなので、国家戦略局でじっくり専門家が議論すべきだった。」

事業系予算と制度モノ予算ですか。

そして高橋氏は、雇用保険には4兆円程度の埋蔵金があるはずとの指摘、国債整理基金特別会計には昨年度末で12兆円の基金があるとの指摘を行い、「これを使えば、国債発行額は43兆円になる。さらに、特別会計の埋蔵金や余剰金をかき集めれば、4兆円くらいはなんとかできる。となると、来年度の国債発行額は40兆円を切ることができる。」としています。
「いずれにしても、事業仕分けはそれでいいが、筆者としてはこうした制度モノに焦点をあてていきたい。」ということで、これから高橋氏が、いろいろとあぶり出してくれるようです。期待しましょう。
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友野宏氏そして松尾雄治氏

2009-12-02 22:28:46 | Weblog
11月20~21日にかけて、何気なく見ていたテレビで、住金社長の友野宏氏と元ラガーマンの松尾雄治氏を目にすることができました。ここにメモしておきます。

朝日ニュースター経済の達人
『第3回 「100年企業のサスティナビリティ」
ナビゲーター :三富 正博(株式会社バリュークリエイト パートナー)
経済キャスター:鈴木ともみ
ゲスト :友野 宏(住友金属工業株式会社代表取締役社長)
歴史が長く規模も大きな会社になると、大企業病に襲われる、と言われます。その結果、企業の成長率は落ち込んでいきます。ところが、創業から100年の歴史を持つ大企業は、いまも新しい成長ステージを目指しています。強いところをより強くしながら、質と規模をバランスよく高めていきます。大企業病に陥らず、常に成長を続ける企業とは、どういう理念を持って経営されていくのかを探っていきます。』

私は、某高炉製鉄会社に以前勤務しており、入社から13年間は「製鋼技術」という分野を担当していました。高炉で還元され不純物を多く含んだ銑鉄を、転炉という精錬装置を用いて溶けたままで精錬し、連続鋳造装置で凝固させるまでの工程です。

友野社長も、住友金属工業の和歌山製鉄所に入社し、私と同じ製鋼技術で連続鋳造を担当して働いていました。私より2学年上だと思います。出身は京都で、京大卒と記憶しています。
同じ製鋼技術を担当したライバル会社のエンジニア同士で、私は紆余曲折を経て弁理士稼業を営んでいますが、友野さんは住金の社長にまで上り詰めました。

友野さんが社長になってからです。それまで低迷していた住金の株価が急上昇したのは。

番組では、若いエンジニアの頃にスイスのチューリッヒに留学したことなどを話されていました。

高炉大手各社の最近の社長を見ると、住友金属が上記のように製鋼技術出身の友野社長であるほかに、JFEにも製鋼技術出身の社長がおられます。JFEホールディングス社長の数土文夫氏で、川鉄社長、JFEスチール社長を歴任しました。数土氏の前に川鉄社長だった江本寛治氏も、やはり製鋼技術出身です。
11月23日日経朝刊「私の課長時代」によると、神戸製鋼所社長の佐藤広士氏も、九大冶金出身で入社当時はチタン研究者として活躍されたようです。
新日鐵だけは、文系でないと社長になれません。

友野宏氏の経歴を記しておきます。
1971年 住友金属工業入社
1996年 鹿島製鉄所副所長
1998年 取締役電子部品事業部長
1999年 常務執行役員・エレクトロニクス事業本部長
2001年 常務執行役員、鹿島製鉄所長
2003年 専務執行役員、鋼板・建材カンパニー長
2005年 代表取締役社長


ヒストリーチャンネル時代の響き
『2009年1月4日(日) 16:00 #24 元ラグビー日本代表 松尾雄治
松尾が歩んできたラガーマンとしての歴史、そして今、大学のラグビー部の監督として学生たちと共に闘う、「松尾雄治」に迫る。
明治大学を史上唯一の日本一に導き、その後新日鉄釜石の司令塔として日本選手権7連覇を達成。日本代表としても1983年にウェールズ相手に24対29と感動的な試合を演出した、名実共に日本ラグビー史上最高のスタンドオフと呼ばれる。現在、成城大学ラグビー部の監督(ヘッドコーチ)。』

その再放送を11月21日に放映していたのでしょう。

昭和50年代でしたか、私は毎年1月15日を楽しみにしていました。ラグビー日本一を決める試合がその日に行われ、新日鐵釜石が7連覇を達成する経過を毎年目撃することができたからです。
当時、新日鐵釜石ラグビー部でスタンドオフをしていた松尾雄治氏は、素晴らしい選手でした。変幻自在のパスやステップで敵を翻弄します。タッチパントを上げれば、タッチラインぎりぎりの内側でバウンドしてそのままボールはタッチラインを割ります。
ぬかるみに近いグラウンドでの試合では、ほとんどの選手のジャージーが泥だらけになる中、松尾選手のジャージーだけは泥がついていません。司令塔として試合を支配しながら、タックルで倒されたことが1回もなかったことを物語っています。

番組によると、北島忠治監督の下で明大ラグビー部所属の頃、スクラムハーフで日本代表にも選出されました。ところが3年時、日本代表から帰ると、北島監督からスタンドオフに転向するよう命じられるのです。本人はこれに一時くさりましたが、後に奮起。4年時に大学選手権優勝、そして明治史上初の日本選手権優勝を果たします。ポジジョン変更を命じた北島監督の深謀は何だったのでしょうか。

また番組では、新日鐵釜石時代に明大と戦ったビデオが映されていました。明大のスクラムハーフから出たパスを松尾氏がインターセプトし約40mを走りきってトライを上げます。スクラム前に明大が確認しあった“33”というサインは、松尾氏自身が明治在学中に作ったサインだったのです。

7連覇達成後の1985年に現役を引退。しかし1992年にポーカー賭博事件により警察に逮捕され、表舞台から姿を消しました。

番組は、成城大学ラグビー部ヘッドコーチとなった松尾氏を追います。
登場する松尾氏の顔を一目見たら“松尾だ”と気付きました。現役時代と変わらず、元気にコーチを務められているようでした。
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