弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

アイガー北壁

2018-07-24 21:35:36 | 趣味・読書
ヨーロッパアルプスの三大北壁として、アイガー北壁、マッターホルン北壁、グランド・ジョラス北壁が知られています。
今回のスイス旅行では、マッターホルンの北壁を斜め方向の遠くから遠望したとともに、アイガー北壁は2日間にわたって近くから眺める機会を得ました。グランド・ジョラス北壁は訪れていません。
ここでは、アイガー北壁について記します。

アイガー北壁は、見上げる方向によってその顔が異なります。
グリンデルヴァルト付近から見上げると、アイガー北壁の左側に、北東側の長い峰と壁が続いています(下写真)。

アイガー北壁

クライネシャイデックからですと、アイガー北壁を間近に見ることができます。
下の写真、手前に見える建物がホテルです。この写真の印象として、ホテルの裏山がアイガーで、標高差はせいぜい500m程度かな?と思ってしまいます。それが写真の恐ろしいところで、実はホテルが標高2061m、アイガー山頂が3970mですから、標高差が1900mもあるのですね。ヨーロッパアルプスは一般的に、とくかくスケールがでかいので、日本の山の感覚で推し量ると距離や高さを見誤ります。
                         アイガー北壁

                           クライネシャイデックのホテル
                          アイガー北壁


登山電車でアイガー・グレッチャー駅からクライネシャイデックへ下るハイキングコースの途中からは、西方向からの北壁を見ることができます。
             アイガー(北壁(左)と西壁(右))

                       ファルボーデンゼー
                   アイガー北壁


クライネシャイデックの登山電車駅のすぐ近く、丘の中腹には、新田次郎氏の碑がひそやかに設けられています。新田氏の死後、夫人である藤原ていさんによって建てられたそうです。新田氏は生前、この丘からアイガー北壁を眺めていたのだといいます。

新田次郎碑

下のTシャツは、私が購入したもので、アイガー北壁と代表的な登攀ルートが記されています。
 
上のTシャツの図には、4つのルートが記されています。出発時点で左から2番目であり、その後ジグザグに登り、途中最も左のコースを取って山頂に至るルートが、ノーマルルートです。頂上の下、"Spinne"と書かれた雪田は、日本語で「白い蜘蛛」と呼ばれている困難箇所です。

アイガー北壁の初登攀は1938年、オーストリアのハインリッヒ・ハラーによって成し遂げられました。
私の中学校の図書室には、ハラー著「白い蜘蛛―アイガーの北壁 (1960年)」が置いてあり、読んだ記憶があります。アマゾンの紹介には『1938年7月、「死の壁」と呼ばれたアイガー北壁の初登攀に成功したハインリッヒ・ハラーは、自らの詳細な登攀記録とともにアイガーの登攀史をまとめ、北壁の象徴である「白い蜘蛛」を表題とした1冊の本を上梓した。』とあります。

1965年8月、北壁で日本人の悲劇が起こりました。渡部恒明、高田光政両名による登攀の時です。渡部氏は、その直前にマッターホルン北壁登頂に日本人ではじめて成功していました。
新田次郎氏著書に「アイガー北壁・気象遭難 (新潮文庫)」があります。14編の短編が収められ、その中に「アイガー北壁」という短編が入っています。上記日本人によるアイガー北壁悲劇を、実名で小説化しているものです。以下、その小説から拾います。
渡部恒明氏(小説の中では渡辺恒明氏)は、芳野満彦氏と組んで、直前のマッターホルン北壁登頂に成功していたのでした。渡部氏と芳野氏がグリンデルヴァルトを訪れました。芳野氏は、高校時代の遭難が元で手足の指を凍傷で失っています。このときも、芳野氏の足の調子は悪く、続いてアイガー北壁に挑戦できる状況ではありません。そこで、もう一人の登山家、高田光政氏と出会います。
その年のアイガーは悪天候が続いていました。その中で、「午後になったら晴れる。そして天気は3日は続くだろう」との予報が出されました。渡部氏と高田氏はパーティーを組み、1965年8月12日、アイガー北壁登攀に出発しました。小説は、北壁の麓で見守る芳野氏の目で、二人を追います。
13日朝、二人は第一雪田を終わって、午後2時には“死のビバーク”(Tシャツの"Bugeleisen"近くに達し、そこで休憩の後、ランペ(階段)(Tシャツの"Rampe")にとりつきました。そのとき急に、北壁は雲でおおわれました。雲とともに雷鳴、雷光がとどろきます。
14日朝、芳野氏はクライネシャイデックのホテル・ベルヴュー(上の方の写真に見えるホテル)へ移動し、そこの望遠鏡の前に坐って霽(は)れるのを待ちました。
4日目、アイガー北壁だけに未練がましく霧がへばりついていましたが、そのうちに消えていきました。そして突然、2人の姿が頂上の下に見えました。渡部氏と高田氏は、白いクモ(白い蜘蛛)を通過しようとしているところでした。再度望遠鏡で確認すると、トップの渡部氏が荷物を背負っていました。トップはから身で氷壁に挑むものです。(なにかが起こったのだ)それっきり、また北壁は霧で視界が閉ざされました。
16日、高田氏が一人で下山してきました。下山した高田氏によると、・・・
14日、高田氏が滑落して肋骨を折りました。
15日午後、渡部氏が滑落して重傷を負ったのです。高田氏は渡部氏をザイルで岸壁に固定して、2日分の食料を置き、2日間頑張るように言い、救助を求めるために下山することにしました。彼は頂上めがけて登り、それから西壁の一般ルートを一晩中かかって下りてきて、16日の早朝に渡部氏の重傷を告げたのです。
『肋骨を折っている身体で、最後の300mの垂直の壁をよじ登り、真夜中、西壁をおりてくるなどということは神業だった。そして高田がやったその方法以外に、渡部を救出する道はなかったのだ。』(新田著)
しかしその翌朝、霧が晴れたとき、渡部氏はとりつき点上部で遺体で発見されたのです。
『「なぜザイルを外したのだ」
彼(芳野氏)は望遠鏡を見ながら怒鳴った。おそらく渡部は、傷ついた身体に鞭を打って頂上を目指して登攀を試みたに違いない。渡部ならばやりそうだった。』(以上、「アイガー北壁」より)

1969年、加藤滝男氏を隊長とし、今井通子氏を含め、総勢6人が、世界ではじめて「アイガー直登」を成し遂げました。Tシャツの右から2番目の直線コースです。
彼らは最初に、「赤い壁」と呼ばれる大岸壁を直登しました。この壁は、全体がオーバーハングしています。Tシャツでいうと、"2.Eisfeld"(第1氷田)の右の方です。
アイガー北壁で最も手強いのは落石であり、オーバーハング岸壁であれば、落石の直撃を受けないので安全と考えたようです。
7月14日から赤い壁のルート設営を開始し、赤い壁のルートが9割方できあがった7月30日、全員でベースキャンプを出発しました。無事登頂に成功したのは8月15日です。
私の北壁〈続〉 (1982年)
今井通子
朝日新聞社

赤い壁を登攀中の8月2日、今井氏は背中に落石の直撃を受けました。その翌日、今井氏は落石のケガを押して登攀を継続します。オーバーハングした赤い壁のフィックスド・ロープを登っているときです。
『上から声がかかった。「シャモー。そこで止まれ。待てよ」
私を確保しているメインザイルを固定した加藤隊長がカメラをかまえる。
「上を向けー。足をケルンダー」
私は顔を上げ、右足を思い切る後ろにそらせ空中バレリーナとなった。この時のポーズの写真は今(1972年)もグリンデルワルトの駅の売店に絵はがきになって売られている。』(続・私の氷壁)
私も絵はがきを探していたのですが、クライネ・シャイデックの売店で見つけることができました。下の写真です。
 
"Foto Takio Kato"とあります。加藤氏が、自分の股の間からカメラを構えて撮ったのでしょう。加藤氏の足も映っています。なお、“シャモ”とは今井通子氏に付けられたニックネームです。シャモのようにどう猛だったのでしょう。
ウィキによると、『加藤滝男が山頂直下でザイル無しで墜落したが、運良く固定ザイルに引っかかって九死に一生を得た。』とあります。今井氏の落石にしろ、加藤氏の墜落にしろ、一歩間違っていたら最悪の事態となる事象でした。運が良かったのでしょう。

私が宿泊したホテルの廊下にも、加藤隊の写真が飾られていました(左下写真)。
中央が今井通子氏、その左は隊長の加藤滝男氏でしょうか。今井氏の右は、背が高いので、加藤保男氏(滝男氏の実弟)と思われます。
 
加藤隊長は、登攀前にクライネシャイデックのフォン・アルメン氏に面会し、助言を受けています。
『フォン・アルメン氏とは、アイガーの真下にあるクライネシャイデックのホテルの主人で、長年アイガー北壁をながめ続けてきた人である。』(続・私の北壁)
私が宿泊したときホテルのフロントで、お姉さんに「フォン・アルメン氏をご存じか」と聞いてみました。お姉さんは廊下の写真を示し、「この人がフォン・アルメンだ」と教えてくれました。右上の写真です。

なお、今井通子氏は、1967年に女性2人パーティーでマッターホルン北壁登頂に成功しています。女性のみでは世界初です。また、1971年にはグランド・ジョラス北壁の登頂に成功、頂上でパーティー隊長の高橋和之氏と結婚式を挙げました。女性として世界初のヨーロッパ三大北壁登頂です。

新田次郎の小説に登場する芳野満彦氏について、私のブログで記事にしています。
芳野満彦さんご逝去
芳野満彦「山靴の音」

新田次郎氏の夫人である藤原てい氏について、私のブログで記事にしています。
藤原正彦「祖国とは国語」
藤原てい「旅路」(2)
藤原てい「旅路」
藤原てい「流れる星は生きている」(3)
藤原てい「流れる星は生きている」(2)
藤原てい「流れる星は生きている」
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スイスの旅(3)アイガー~ユングフラウ

2018-07-22 16:42:57 | 知的財産権
ヨーロッパアルプスの著名な山々は、スイス・フランス・イタリアの各地に散らばっています。今回はそのうちの2箇所を巡っています。1箇所目は、前回紹介したツェルマット周辺とマッターホルン、そしてモンテローザ山群でした。
次の目的地はクライネシャイデック、アイガーとユングフラウを主な峰としています。

6月19日に、ツェルマットからクライネシャイデックに移動しました。
[特急]ツェルマット10:13-11:22フィスプ11:28-11:53シュピーツ
[トゥーン湖の船旅]シュピーツ12:28-13:49インターラーケン・ヴェスト(西)
[登山電車]インターラーケン・オスト14:35-クリンデルヴァルト-15:19クライネシャイデック(山岳ホテル泊)

下の写真は、グリンデルヴァルトに到着する直前に車窓から撮ったアイガーです。写真の右半分がアイガー北壁、左半分は、北壁とのつながりがよくわからないのですが、北壁に連なる山稜です。

アイガー北壁

6月20日、クライネシャイデックの山岳ホテル1泊目が明けました。朝5時過ぎに目覚ましをかけています。窓から外を見ると、一点の雲もない晴天です。身支度をして、一人でホテルを出ました。

もう日の出が近いというのに、付近には人っ子一人いません。マッターホルンのモルゲンロートとはえらい違いです。
ホテル前の丘に登ります。360°の景色が広がっています。眼前にアイガー北壁、右に目を転じればメンヒ、さらに右にユングフラウ、その右の真っ白い三角はシルバーホルンです。
朝のこの景色を、私一人が独占しているのです。
アイガー山頂とメンヒ山頂直下の壁に朝日が射しました(下写真)。いずれも、北壁に対して東から日が当たっているので、昨日のマッターホルンのようなダイナミックさはありません。カメラが記録した時刻(現地時間)を写真の横に記しました。
        アイガー                       メンヒ

5:32

5:32
アイガー北壁

ユングフラウ山頂とシルバーホルン山頂にも陽光がが届きました(下写真)。
          ユングフラウ                             シルバーホルン

5:38

そして、私が立っている丘にも朝日が昇ってきました(下写真)。太陽の右横の絶壁の上の頂は、ヴェッターホルン(英語で言えばウェザーホーン(天気岳))、写真の右端はアイガーの頂です。

5:40

本日はユングフラウヨッホに出かけます。
ここクライネシャイデックは標高2000m、そして登山電車で行くユングフラウヨッホは標高3400mです。ヨッホはドイツ語で“肩”の意味で、ユングフラウとメンヒの山の間の峠の意味でしょう。下の写真は、登山電車の窓から撮ったユングフラウです。左1/4付近の肩の部分に建物が見えます。そこが今回の目的地です。
         ユングフラウヨッホ                    ユングフラウ


    シルバーホルン


登山電車の最初の停留所がアイガーグレッチャー、その先は、アイガーとメンヒの山腹をくり抜いたトンネルです。途中、アイスメーアで停車します。電車を降りて地下道を行くと、山腹をくり抜いた窓があります。そこからの景色(東方)が下の写真です。
←ヴェッターホルン
ミッテルホルン                  シュレックホルン              フィッシャーホルナー?

[東方]                フィッシャー氷河

登山電車終点のユングフラウヨッホに到着しました。
ここには展望箇所が2箇所あります。一番高い所にある展望台、スフィンクス・テラスと、ヨッホ(肩(峠))の雪原です。最初は峠の雪原に出ました。

下の写真、ふもとには小さくクライネシャイデックの駅とホテルが見えています。

[北方]

雪原を後にし、施設内に入ります。エレベーターで上がったところが、スフィンクス・テラスです。標高は3571mとあります。屋内からも展望できるし、屋外も360°の展望が楽しめます。本日は天候が良好なので、屋外からの展望です。
                      メンヒ

[東方]


[北方]
                                            メンヒ

[東方]
                ロッターホルン             ユングフラウ

[西方]
      フィーシャーガーベルホルン              ドライエックホルン    アレッチホルン

[南方]                  アレッチ氷河
                        セルバドン            ハイゼンホルン
                                エッジズホルン

                      アレッチ氷河

ここで、人間が写り込んでいる写真を2枚掲載します。いずれもスフィンクス・テラスから撮影しました。ユングフラウヨッホに豆粒のように見える人、アレッチ氷河のトレールをたどる小さな人と駐機しているヘリコプターの大きさに注目してください。ヨーロッパアルプスの山容があまりに大きいので、つい近くの風景と思い違いしてしまいます。
         ユングフラウ

                            ユングフラウヨッホ
          トルーグベルク           フィーシャーガーベルホルン

                        アレッチ氷河

ずっと眺めていたい景色ですが、帰りの登山電車の時間が決まっています。
乗車する登山電車の出発時刻です。
電車は元来たトンネル内を通過し、トンネルから出たところにある停留所、“アイガー・グレッチャー”で降車します。ここから、登山電車一駅分を歩いて下るのが、本日のハイキングコースです。
このハイキングコースから見上げるユングフラウとメンヒ、そしてそれらの山から下っている氷河の景色は、絶景でした。
                         メンヒ


                  ユングフラウ                      シルバーホルン


             ラウバーホルン                 チェッケン

                               ファルボーデンゼー
上の写真、手前に池(ファルボーデンゼー)、そのむこうにクライネシャイデックの登山電車駅とわれわれの宿泊しているホテルが見えます。
ここから見えるアイガーは、西壁が見えており、ここからでは北壁が見えません。
                    アイガー西壁


                                  メンヒ


《槇有恒氏とミッテルレギ小屋》
歩いていると、下の方に小さな建物が見えます(下写真)。小屋のある丘と、対岸の村との間は、大きくえぐれた谷が隔てています。氷河の浸食によるものでしょう。


小屋の前まで来ました。

この小屋は、日本の登山家である槇有恒(まきゆうこう)氏にゆかりの小屋だそうです。現在、小屋の中に入ることはできません。入口のガラスを通して中を見ると、この小屋が使われていた当時を再現しているようでした(左下写真)。右下写真は、槇有恒氏に違いないでしょう。
 
 小屋の内部                         槙有恒氏の写真

ウィキによると、槇有恒氏は1921年(大正10年)、グリンデルヴァルトの登山ガイド3名と共にアイガー東山稜(ミッテルレギ)を初登攀しました。その記念として3年後に1万スイスフランを寄贈してミッテルレギ小屋(en)を作ったそうです。
ネット記事によると、「2001年 ミッテルレギ小屋2号が建てられた際小屋1号をアイガーグレッチャー駅の近くに移動。その後、2011年に現在の位置(ハイキングコース)に移動させました。」とあります。

下の写真は、われわれが宿泊しているホテルの廊下に飾られている写真です。“Yuko Maki 10 Sept. 1921”と署名されています。


             アイガー(北壁(左)と西壁(右))

                       ファルボーデンゼー
ハイキングは、ファルボーデンゼーに到着した。ここまで来ると、アイガーは北壁を見せ始めます(上写真)。
北壁をアップで捉えようとしましたが、タイミングが遅すぎました。雲が出始めたのです(下写真)。
                   アイガー北壁


p.s.ユングフラウ、メンヒ、アイガーの3山全体の写真を撮り忘れていました。ウィキペディアに転載できる写真がないか調べたところ、下の写真に到達しました。すごい写真です。特に、高精細で見たときの細部がすごいです。撮影者に感謝します。
ヴェッターホルン              アイガー     メンヒ      ユングフラウ  シルバーホルン

グローセシャイデック                        クライネシャイデック      
Photographer: Armin Kübelbeck, CC-BY-SA, Wikimedia Commons

アイガー北壁については、別に記すこととします。

戻る                            続く
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スイスの旅(2)マッターホルン

2018-07-20 21:17:15 | 趣味・読書
今回のスイス旅行でツェルマットを訪問して認識したこと、それは、“ツェルマットと言えばマッターホルン”という事実です。
ツェルマットから登山電車でゴルナーグラートまで上がれば、モンテローザがあります。そのちかくにはさまざまな雪山が並んでいます。
一方でマッターホルンは、一峰だけ独立してそびえ立ち、ツェルマットの周辺どこからでもその雄姿を認めることができます。
“日本に富士山あり。ツェルマットにマッターホルンあり”といいたいところです。

今回の旅では、6月17日に氷河特急経由でツェルマット着、登山鉄道でゴルナーグラートに向かうときに、マッターホルンに初お目見えしました(下写真)。このとき、天気は全般に曇りがちでした。

マッターホルン

登山電車が終点のゴルナーグラートに到着、振り返れば西の方角にマッターホルンです(下写真)。曇りがちの空を背景に、このときはなんとかその全景を見せていました。


翌6月17日の早朝、5時過ぎに起きたときは一面の霧の中でしたが、次第に霧は下に降りていきました。ゴルナーグラート展望台からホテルの方向(西方向)を眺めると、手前が3100クルムホテル・ゴルナーグラート、その向こうにマッターホルンがそびえていました(下写真)。
                マッターホルン                  ダン・ブランシュ

[西方]

この日の予定では、ゴルナーグラートから登山電車で下り、最初の停車場であるローテンボーデンで降り、こから1駅分の下り道を歩くハイキングの計画でした。途中にはリッフェルゼーという湖があり、その水面に逆さマッターホルンが映し出されるというのです。しかし、現時点ではリッフェルゼーの湖面がまだ凍っており、逆さマッターホルンを見ることができません。ハイキングコースを変更することとし、取りあえず登山電車をローテンボーデンで途中下車しました。そこから見える景色が下の写真です。下方に見える湖が、予定していたリッフェルゼーです。たしかに湖面が氷結しています。マッターホルンの方向には雲がかかっていますが、なんとか頂上部は見えていました。
                            リッフェルゼー            マッターホルン

ローテンボーデンで次の電車に乗り込み、その日のうちにツェルマットに下りました。

ツェルマットの街中の路地を散策し、路地のむこうに教会の尖塔、そしてそのむこうにマッターホルンがそびえている場に遭遇しました(下写真)。

教会の尖塔とマッターホルン

翌6月18日の早朝、5時過ぎに目覚ましで目覚めます。窓から外を見ると、まだ暗い夜空に星が見えています。晴天だ!
今朝はまず、近くの川にかかる橋からマッターホルンのモルゲンロートを見る予定にしています。ちょっと早めに橋に着くと、すでに橋の上には大勢の人たちが来ています。
空はすっかり明るくなっているのに、マッターホルンにはなかなか日が差しません。ひょっとして太陽が出る東の方向は雲がかかっているのでは、と懸念し始めたとき、マッターホルンのてっぺんに赤みが差すのが見えました。
そしてそれからの様子は、下の写真に示すとおりです。写真右に、カメラが記録した現地時間を記しました。15分ほどのできごとだったことがわかります。

《マッターホルンのモルゲンロート》
5:32

5:33

5:35

5:37

5:41

5:49

このとき、同じアングルで撮影した写真をすべて使って、連続写真動画を作ってみました。表示間隔を0.5秒としています。計算すると、1分が1秒に短縮されているようです。
https://youtu.be/iC4DEUs0mn4
モルゲンロートがどんな現象か、知らずにいました。それにしても、こんな現象であろうとは想像できませんでした。どんな現象かというと、日に照らされた部分はあくまで赤く、そして日照部分と日陰部分との境界がぼやけずに鮮明であったということ。境界部が、山頂から山腹に降りてくるまでを20分も見続けることができたこと、など。

もう一つ驚くべきこと。
モルゲンロートを観察した橋には、観光客が鈴なりになっていました。観察すると、その全員が東洋人でした。白人は一人も見当たりません。
ガイドさんによると、この橋は以前は“日本人橋”と呼ばれていたそうです。現在は日本人は少数派であり、“中韓人橋”と呼ぶのがふさわしいでしょう。

戻る                            続く
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スイスの旅(1)

2018-07-18 21:21:35 | 趣味・読書
先般、以下のような日程で、妻と二人でスイス8日間の旅に行ってきました。旅の詳細は別のブログで記事にしていますが、こちらのブログでもエッセンスをいくつか紹介します。

6月16日(土)出発 成田10:10-LX161-15:35チューリッヒ チューリッヒ泊
6月17日(日)チューリッヒ-氷河特急-ツェルマット-ゴルナーグラート(泊)
6月18日(月)ゴルナーグラート-ツェルマット(泊)
6月19日(火)ツェルマット-(列車と船)-クライネシャイデック(泊)
6月20日(水)ユングフラウヨッホ-ハイキング クライネシャイデック(泊)
6月21日(木)クライネシャイデック-(列車)-ベルン-列車-チューリッヒ(泊)
6月22日(金)チューリッヒ13:00-LX160-(6月23日(土))7:50成田

今回の旅の大きな目的は、やはりスイスアルプスです。天候にも恵まれ、スイスアルプスの雄姿を写真に収めてきましたので、以下、順次紹介します。

6月17日、スイスの登山基地となる町の一つであるツェルマットに入りました。われわれはツェルマットから登山電車に乗り、登山電車の終点であるゴルナーグラートの山岳ホテルに一泊しました。

6月18日、3100クルムホテル・ゴルナーグラートで迎える朝、5時過ぎに目覚ましをかけています。日の出時刻は5時40分頃です。
部屋の窓から外を眺めると、霧の中です。こりゃモルゲンロートどころではありません。霧が晴れるのを祈って待つしかないです。

朝食の時間になると、霧がだんだんと降りて行き、峰々がその姿を現し始めました。ホテル食堂のテラス席から、山々を見ることができます。下の写真は左:ロッチャ・ネーラから右:ブライトホルンのあたりまでです。

[南方]

                                  リスカム


                 カストル       ポルックス          ロッチャ・ネーラ


         ロッチャ・ネーラ


               ブライトホルン              クラインマッターホルン


さらに霧と雲が晴れ、西方にはマッターホルンが姿を見せ始めました。
                          マッターホルン

[西方]

ホテル裏の高台にゴルナーグラート展望台があります。ここは標高3000mを超えています。ホテルの玄関から展望台まで、3~4フロアー分位の登りですが、心臓がバクバクです。
展望台まで登ると、南東方向にモンテローザが見えてきます。
             モンテローザ                      リスカム

[南方]

             リスカム       カストル  ポルックス      ロッチャ・ネーラ

[南西方向]

                      モンテローザ


展望台からホテルの方向(西方向)を眺めます。手前が3100クルムホテル・ゴルナーグラート、その向こうにマッターホルンがそびえています(下写真)。
                マッターホルン                  ダン・ブランシュ

[西方]

本日はゴルナーグラートから登山電車でツェルマットに下ります。
ツェルマットに到着、ホテルの部屋で一休みし、街へ出ました。

ツェルマットの街並み

ホテルから歩いてすぐのところに、“古い穀物倉庫群”があります(下写真)。壁は丸太の校倉造り、土台と倉庫との間には、石のネズミ返しが配置されています。スレート屋根の材料は、山で採取される石の板がそのまま使われているらしいです。
 
石のネズミ返し                       石のスレート屋根

穀物倉庫群から西に向かう路地に入ると、路地のむこうに教会の尖塔、そしてそのむこうにマッターホルンがそびえていました(下写真)。

教会の尖塔とマッターホルン

こうして、ゴルナーグラートからツェルマットに至る一日が無事に終了しました。
モンテローザ山群をこれだけ鮮明に見ることができたことは、好天に感謝しなければならないでしょう。

続く
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