弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

海難審判開始申立てのお知らせ

2008-06-29 12:16:00 | 歴史・社会
昨日、イージス艦事故海難審判申し立てについて新聞記事をもとにして記事にしました。
調べてみたら、海難審判庁のホームページ海難審判開始申立てのお知らせがアップされています。事故の状況については、こちらに詳しく記載されていることがわかりました。
1マイル(海里)=1852m=2025ヤード

まず、あたご艦長はあたごの「航行指針」を定めています。艦長、航海長、水雷長、船務長は、この航行指針の周知徹底を行っていたか、事故前にこの航行指針に従って任務を行ったか、が問われています。
航行指針によると,「横切り関係で避航船となった場合において,衝突の可能性があるときには,最接近距離(CPA)が2,000ヤード(約1海里)以内に入る目標が,5海里に接近するまでに艦長に報告し,また,更に接近して衝突のおそれが生じたときには,8,000ヤードに接近するまでに,右転又は減速による避航動作を開始してCPAを2,000ヤード以上確保し,4,000ヤードに接近するまでに避航動作を終了すること。」と定められています。
「横切り関係で避航船となった場合」とは、下の図で船Aとなった場合です。また「衝突の可能性があるとき」とは、下の図で①②ではなく③になったとき、という意味でしょう。


《航海長》
航海長の当直時間内において、衝突の恐れのある清徳丸が5海里以内に接近したのに、艦長に報告しなかった、という義務違反があります。

《水雷長》
「更に接近して衝突のおそれが生じたときには,8,000ヤード(約8km)に接近するまでに,右転又は減速による避航動作を開始して」という指針に基づいた行動を行わなかった、また艦長に報告しなかった、という義務違反です。

問題の3時58分(衝突の9分前)前後の状況について、以下のように説明されています。
03時57分
艦橋左舷側前面で見張りを始めた信号員から「右の漁船方位落ちる。」と報告を受けた水雷長は,右舷艦首の漁船群はいずれも「危険性なし。」と申し継がれていたものの,念のため,16海里レンジとしたレーダーで確認したところ,右舷艦首に4ないし6個の映像を認め,捕捉操作を行い,その映像にシンボルを付けたが,右見張り員やCICに対し,漁船群の動静監視を行うよう指示しなかった。
03時58分少し前
水雷長は,右舷艦首41度3.0海里に清徳丸の白・紅2灯を視認し,また,レーダーで各船の映像を探知し,その後清徳丸が前路を左方に横切り,その方位に明確な変化がなく衝突のおそれのある態勢で接近したが,動静監視を十分に行っていなかったので,清徳丸と衝突のおそれがあることに気付かず,航行指針に従って艦長に報告した上で避航措置について指示を受けなかったばかりか,大きく右転するなり,大幅に減速又は停止するなどして,清徳丸の進路を避けずに自動操舵のまま進行した。
CICでは,電測員が,03時58分8海里レンジのレーダー画面を見ると,右舷艦首41度2.9海里に清徳丸の映像が表示されていたので,捕捉操作を行って映像にシンボルを付けたが,清徳丸の映像の存在を速やかに艦橋への報告を担当しているOPA-3F卓の電測員に連絡しなかったので,水雷長にその旨報告されなかった。
04時00分半
水雷長は清徳丸がその方位に明確な変化がないまま右舷艦首42度2.0海里のところに接近していたが,依然動静監視不十分で,清徳丸と衝突のおそれがあることに気付かず,同船の進路を避けなかった
04時03分
信号員は,右舷艦首16度1.3海里のところに接近した幸運丸の方位が左方に変化していることを認めたので,水雷長に「右の漁船,増速,方位上(のぼ)る。」と報告し,清徳丸,金平丸及び康栄丸の3隻については,双眼鏡を使用して目視しただけで,注意を払わず,右方に変化するものと予測して報告しなかった。
このころ,シンボルを付けられた清徳丸の映像は,約1海里に接近してレーダー画面中心部の海面反射を抑制する不感帯に入って表示されていなかった
04時04分
OPA-3F卓に就いていた電測員に,005度5,000ヤードに映像を探知したことを連絡した。連絡を受けたOPA-3F卓の電測員は,右見張り員に対し,「5度5,000,何か視認できないか。」と問うたところ,右見張り員は,5度が真方位ではなく右舷艦首5度と思い,右舷艦首5度を見て,その方向にいた幸運丸の動静を水雷長に報告した。
04時06分
信号員は,艦尾方を通過すると予測していた清徳丸,金平丸及び康栄丸の3隻の灯火を確認しようとして右舷側を見たところ,右舷前方至近に清徳丸の紅灯を視認し,その方位が急速に左方に変化していたので,水雷長に「漁船増速,面舵。」と報告した。
報告を受けた水雷長は,艦首を通過したばかりの幸運丸のことであると思い,レピーター付近で艦首方を見ていたところ,信号員が「近い,近い,近い。」と連呼しながら右舷側に移動したので,04時06分少し過ぎ右舷艦首方の海面を覗き込んで清徳丸の紅灯を視認し,「両舷停止,自動操舵止め。」を令した
04時06分半わずか前
水雷長は艦首に向かっている清徳丸の船影を月明かりで視認し,直ちに汽笛で短音の連吹を始めるとともに「後進一杯。」を令し,一方,右舷ウイングに出た信号員は,探照灯で清徳丸の船尾付近を照射して注意を喚起した。
こうして,あたごは,清徳丸の進路を避けないまま進行中,04時07分少し前,原針路及びほぼ原速力のまま,その艦首部と清徳丸の左舷中央部とが衝突した。
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3時58分頃、清徳丸を視認しかつレーダーで確認していたのは、右見張り員ではなく水雷長だったのですね。しかし水雷長は、清徳丸が衝突の可能性があることに気づきませんでした。「見合い関係」にあったはずなのになぜ衝突の可能性に気づかなかったかは不明ですが、注意散漫だったのでしょうか。
「信号員」が多く登場します。清徳丸衝突の直前、その危険に気づいたのも信号員です。一方、「右見張り員」はほとんど登場しません。4時4分にCICからの問いかけでとんちんかんな方向を探していますが、その直前に清徳丸に気づいていたわけではありません。右見張り員は何をしていたのでしょうか。


《清徳丸の責任について》
03時58分少し前
船長は,左舷船首27度3.0海里のところに,あたごの白・白・緑3灯を視認できる状況で,その後あたごが前路を右方に横切り,その方位に明確な変化がなく衝突のおそれのある態勢で接近した。
04時06分少し前
清徳丸は,あたごが避航動作をとらないまま間近に接近したが,大幅に減速又は停止するなどして,あたごとの衝突を避けるための最善の協力動作をとることなく,大きく右転し,279度に向首して進行中,原速力で前記のとおり衝突した。
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イージス艦事故海難審判申し立て

2008-06-28 17:59:52 | 歴史・社会
イージス艦事故 審判開始申し立て 護衛隊と前艦長ら4人
6月28日8時0分配信 産経新聞
「 イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、横浜地方海難審判理事所は27日、あたごが所属する海上自衛隊の第3護衛隊(旧第63護衛隊、京都府舞鶴市)と前艦長ら4人を、裁判の被告にあたる「指定海難関係人」に指定し、横浜地方海難審判庁に審判開始を申し立てた。海自の組織が対象になるのは、昭和63年の潜水艦「なだしお」の事故以来、2例目。
 指定されたのは、護衛隊のほか、前艦長の舩渡健1佐(53)と、衝突前に当直責任者だった前航海長の後瀉桂太郎3佐(36)、衝突時に当直責任者だった前水雷長の長岩友久3佐(34)、レーダー監視を行う戦闘指揮所(CIC)の責任者だった船務長、安宅辰人3佐(43)。
  ・・・・・
【用語解説】海難審判
 海難事故の原因を究明し、再発を防止することを目的に、海難審判庁が2審制で行う行政審判。免状をもつ船員は「受審人」に、他の関係者は「指定海難関係人」に指定して、審判を行う。海難審判理事所が検察的な役割を担当し、審判を申し立てる。審判では証拠調べや尋問が行われ、裁決により受審人に対する行政処分や、指定海難関係人への勧告がなされる。今年10月から、海難審判庁は海難審判所となり、船員の行政処分を行う機関となる。事故原因の調査は、新たに設置される運輸安全委員会が担う。」


朝日新聞6月28日の記事で補足します。

「■あたごと清徳丸の衝突までの経緯
①3:30 あたご当直員が右前方に灯火を視認
②3:40 航海長が灯火を確認。創業地家をの漁船で接近しないと判断
③3:50~3:55 当直交代。「漁船群は危険性なし」と申し継ぎ
④3:57~3:58 あたごの右前方3マイル(約5千メートル)に清徳丸→見合い関係発生。CICは清徳丸をレーダーで捕捉したが水雷長に報告されず
⑤4:06 右前方至近に清徳丸の赤灯視認。「両舷停止、自動操舵止め」指示。汽笛を鳴らし「後進いっぱい」指示。清徳丸は大きく右転
⑥4:06 衝突」

「(横浜地方海難審判)理事所は、衝突9分前の午前3時57分45秒ごろには、衝突のおそれがあり、かじを右に切るなどの回避措置をとる必要があったと判断した。」


《見合い関係とは》
上記④3:57~3:58に「見合い関係発生」とあります。他の新聞では、「回避動作をしなければ衝突してしまう「見合関係」」といった説明がされています。
見合い関係とは何でしょうか。

以前、イージス艦衝突事故(3) の記事で、2隻の船が、お互いに航路が交差する方向で進んでいるとき、将来衝突するか否かを簡単に予測する方法について説明しました。
相手船が右舷側に見える場合、
①相手船の方位が左に移動していれば(θ2<θ1)、相手の船が先に行きすぎる。
②相手船の方位が右に移動していれば(θ2>θ1)、相手の船が後に行きすぎる。
③相手船の方位が変化しなければ(θ2=θ1)、2隻は衝突する可能性が高い。

「見合い関係」とは、上記③のような状況を示す言葉ととると、すっきり理解できます。
記事を書いた記者は、「見合い関係」の意味をちゃんと理解して記事にしているのでしょうか。

同じイージス艦衝突事故(3) の記事において、私は3月21日夕刊で防衛省が発表した中間報告について記録しました。
この中で、
「3時58分(衝突9分前、距離4.5km)当直員Dは前の当直から「右の白灯群」との申し継ぎ。右30~40度、距離5千メートルと5千メートル以遠に三つの赤灯を確認。右5度の水平線にも白灯二つを視認、4時2分に「白灯二つ」を当直士官に報告。その後、右30度に左に動く白灯を視認」
について、私は
「なお、3時58分の「右30~40度、距離5千メートルと5千メートル以遠に三つの赤灯を確認。」については、方位の変化がわからないので①~③のいずれであるか判別できません。距離は清徳丸の予想位置にぴったりです。」
と述べました。今回の記事を読むと、まさにこれが清徳丸です。

やはり、3時58分にあたごの見張り員は清徳丸を発見しており、衝突の可能性がある「見合い関係③」であると認識していたのですね。3月の防衛庁中間報告は、この点を巧妙に隠蔽していたように思えてなりません。


海難審判では、自衛隊の組織も審判対象としています。事故当時の自衛隊の組織は、あたご艦長までの指揮命令系統に記事にしました。

先日の3管による刑事訴追は、個人の刑事責任を問うものです。それに対し今回の海難審判は、衝突事故の原因究明と再発防止が目的です。この海難審判をこそ、われわれは注視すべきでしょう。

なお、審判では、清徳丸側の責任についても触れています。
「理事所は衝突を避けるための『最善の協力義務』をとらなかったと認定した上で、死亡により審判に参加できないことを理由に対象からはずした。」

以前、イージス艦衝突事故で報告したように、4級小型船舶免許の更新教科書には、海難防止の基本的ポイントの中に以下の記述があります。
「大型船を避けよう。
小型船は、大型船と出合ったときには、早い時期に大きく、大型船の進路を避けましょう。操船の容易な小型船が、操船の容易でない大型船の進路を避けるというのが海上交通のマナーです。」

審判でも、やはりこの点は考慮されているようです。
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わが家のレーザープリンター

2008-06-26 21:03:19 | サイエンス・パソコン
わが家のパソコン群には何台かのプリンターがLANで接続されています。レーザープリンターとして、エプソンのLP-1700を使ってきました。下の写真です。

2001年にヤフオクで送料込み9000円程度で購入したものです。

それ以前、わが家では同じエプソン製でLP-700W(仕様)というレーザープリンターを使っていました。購入したのは1995~6年でしょうか。このプリンター、当時のレーザープリンターとしては安価(それでも定価59800円ですが)でしたが、Windows Printing Systemというソフト対応であり、結果としてはWindows95のみに対応し、それ以外のOSでは動かないという恐るべき代物でした。Windows Printing Systemはおそらくマイクロソフトが提唱したシステムだと思うのですが、Windows95でしか動かないということで、結果としてユーザーを酷い目に遭わせました。

このLP-700Wと姉妹機だったのがLP-1700です。メカ部分は全く共通であり、電装部分のみが異なります。それまでのわが家のLP-700Wから電装部分を取り外し、LP-1700の電装部分を載せ替えれば、わが家のプリンターがLP-1700に生まれ変わり、Windows95以外のOSでも動くようになるはずです。

そこで、何とかLP-1700のジャンク品が安価に入手できないかと考え始めました。メカ部分が故障でも、部品取りで電装部分のみを取り外して使えればいいのです。

しかしそのような都合のいい話は転がっていません。
結局、ヤフオクで健全なLP-1700を上記のように購入したという次第です。それでも、LP-700Wのトナーやドラムは使い回しできるので、資源を有効に使えたと思います。

そのLP-1700が、最近動かなくなりました。用紙が入っているのに「用紙がありません」と表示されてプリントしないのです。とうとう寿命かと諦めました。

そして購入したのが、キャノンのLPB3000(仕様)、下の写真です。本体17000円台で購入できましたから、レーザープリンターも安くなったものです。

機種選定に際しては、「従来品同様にコンパクトであること」を最重要ポイントとしました。その要望は満たしています。印刷速度も従来の6枚/分から14枚/分と速くなり、満足しています。解像度も向上しているようです。

このプリンター、ネットワークには対応していないので、別にプリントサーバーを購入しました。プラネックスのMini-101Mです。
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小平桂一「宇宙の果てまで」

2008-06-24 20:00:09 | サイエンス・パソコン
ハワイのハワイ島マウナケア山山頂(標高4205m)に、日本のすばる望遠鏡が設置されています。
すばる望遠鏡について、このブログでは以前、海部宣男「すばる望遠鏡の宇宙」として取り上げました。海部宣男氏の著書であるすばる望遠鏡の宇宙 カラー版―ハワイからの挑戦 (岩波新書 1087)に依ったものです。

すばる望遠鏡の建設推進は、初代の小平桂一氏から海部氏が引き継ぎ、海部氏の時代に本格建設及び完成にいたりました。
「外国の領土に、数百億円もする日本の国有財産を設置できるはずがない」という常識を覆し、すばる望遠鏡設置計画を実現したのが小平氏らしいです。てっきり、カリスマ的リーダー資質を備えた方かと想像しました。
そこで、小平氏著作の以下の本を読んで見ました。
宇宙の果てまで―すばる大望遠鏡プロジェクト20年の軌跡 (ハヤカワ文庫NF)
小平 桂一
早川書房

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読んでわかったことは、小平氏は決してカリスマ的リーダーなどではなく、もちろん優秀ですが、夢多き天文学者の一人であり、普通の天文学者として一生を終えても決しておかしくない人でした。

私が子どもの頃、小学校か中学か忘れましたが、学校の図書館にパロマー天体写真集という大判の写真集が備えてあり、それを見て天体の美しさに見ほれたものです。
小平氏も同じパロマー天体写真集を高校生のときに見ているのですね。
同じ写真集で啓発されながら、一方は普通のサラリーマンから弁理士へと流れ、他方は夢を追い続けて天文学者となり、世界一の大望遠鏡を実現したのですから、人生はまさにいろいろです。

小平氏は若い頃にドイツに留学し、そこで知り合ってドイツ人女学生のウタさんと結婚します。日本に帰り、3人の娘さんの子育て時代にウタさんは日独の文化の違いに悩まされたそうです。

日本の天文学者の間で、「空気の良いマウナケア山山頂のようなところに、日本は大望遠鏡を設置すべきだ」という議論はずっとあったようですね。実現すると思っていた人は少ないでしょうが。
小平氏が停年(注1)まで15年の年になったとき、「残り15年間を、一天文学者として研究に打ち込むか、海外大望遠鏡設置に注力するか、軌道望遠鏡の仕事をするか」と思案します。そのとき、奥さんがドイツ人であることも手伝って、残りの学者人生で海外大望遠鏡設置を推進しようと決めたのです。

1982年当時、小平氏は東大附属の東京天文台に勤務していました。三鷹にあります。そしてハワイ望遠鏡実現のため、出かけるところといえば、本郷(東大)、虎ノ門(文部省)、永田町(国会議員)です。
偶然に文部省の高官と隣り合わせに座る機会があり、海外大望遠鏡について水を向けてみると「天文台が国立の研究所にでもなればですね」という意外な回答が帰ってきます。「何処か僕たちが知らない所で、知恵者が相談をしているようにも思えた。」
その頃、国会議員が「大望遠鏡計画推進議員連盟」を発足させます。推進者は与謝野馨氏で、加藤紘一氏を表に立て、船田元氏や扇千景氏が名前を連ねているということろがおもしろいです。

外国領土に日本の国有財産を設置できるのか。南極の昭和基地は、「外国」ではないので例外だそうです。
外務省の友人に調べて貰ったら、1件だけ「希有の例」が見つかりました。岸信介氏の肝いりでフィリピンに建立された戦没者慰霊塔です。日本の国有財産です。
戦没者慰霊塔と、数百億円の天文台とは全く異なりますが、しかし「前例」として足がかりにはなります。

1989年頃ですか、ある日思い切って大蔵省に出かけます。旧友の一人が相当に地位の高い役職に就いています。海外大望遠鏡計画について説明すると「文部省はどうですか」と尋ねます。「外国領土に、こんな何百億円もする国有財産をおいて運用するのは、前例のないことですから。そこは大きな問題です。」と答えます。

「そうですか。でも、置くことを禁じる法律はありませんよ」

このことばが、その後すばる望遠鏡を語るキーワードとなっていますね。

海外大望遠鏡設置計画は徐々に具体化し、既に国立天文台に改組した組織では活動が活発になります。
ここで驚くべきことに、もろもろの繁雑な事務処理を、基本的には天文学者が身を粉にしてこなしているのですね。新天文台の設備計画にしても、細部に至るまで、天文学者が勉強し、納得して先に進んでいます。
私のようなサラリーマン経験者は、餅は餅屋で、事務処理なら事務処理を得意とし業務とする人が、設備計画なら設備を得意とし業務とする人が担当するものと思っていますから、天文学者が何から何までお膳立てしなければ計画が推進しないというのは驚きです。
天文学の研究を志した優秀な研究者たちの多くが、すばる望遠鏡実現のために人生の多くを捧げているようでした。


すばる望遠鏡設置計画は正式に走り出します。小平氏の停年まで8年を残す頃、望遠鏡の稼働が小平氏の停年までに間に合わないことがはっきりします。この時点で、小平氏は建設のリーダーを前出の海部氏にバトンタッチするのです。

その後小平氏は国立天文台長に就任し、天文台長としてすばる計画を後押しします。

完成したすばる望遠鏡は、極めて短期間のうちに高性能を発揮するに至ります。
日本の多くの天文学者が建設計画に集められ、また三菱電機が主契約社としてリスクを負いながら望遠鏡を設計し建設し、各自がその能力を十二分に発揮して、突出した総合能力を実現したようです。

(注1)普通は「定年」といいますよね。不思議に思ってネット検索したところ、学校関係者が「停年」を使っているようです。あとは相撲界で使われているそうです。
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任天堂岩田聡社長

2008-06-22 11:03:04 | 歴史・社会
私はテレビゲーム的なものはほとんどやらないのですが、ここしばらくのゲーム界でニンテンドーDSとWiiが世界的にトップを走っていることは目に入ります。どちらも任天堂製です。
任天堂という会社、もともと花札・トランプメーカーだった会社が、創業家3代目の山内溥社長時代に、ゲーム&ウォッチとファミコンの成功により世界トップのゲーム機メーカーとなりました。
その後、ソニーのプレイステーションなどに押され、任天堂は衰退したように見えましたが、DSとWiiの大ヒットの結果、現在はトップを躍進しています。

ゲーム業界では各社が新製品にしのぎを削っているのに、なぜ任天堂のみが一人勝ちしているのか、興味のあるところです。

昨年の東工大の同窓会誌(蔵前ジャーナル)に、任天堂社長である岩田聡氏を紹介する記事が載りました。今回もう一度読み返してみました。なぜ東工大かというと、岩田氏が東工大出身なのです。

岩田氏は1959年生まれ、今年49歳になります。

その岩田氏が山内溥氏(現在は相談役)に請われて任天堂に入社したのが2000年、2002年に仰天の人事で代表取締役社長に就任し、2004年にDS発売、2006年にWii発売と続くのですから、現在の任天堂の躍進に果たした岩田氏の影響は大きいだろうと想像せざるを得ません。


蔵前ジャーナルの記事は、この岩田氏を描き出します。記事にも書かれていますが、岩田氏は、糸井重里氏が主催するほぼ日刊イトイ新聞というページで、2005年に糸井氏と対談し、その結果が「社長に学べ!」として収録されています。蔵前ジャーナルの記事もこの対談を元ネタとしています。


岩田氏がその才能を最初に現したのは、札幌での高校生時代、ヒューレット・パッカード社のプログラム電卓を使ってブログラムに没頭した頃です。岩田氏はプログラムをHP社に送ります。HP社では「とんでもない高校生が札幌にいるらしいぞ」と話題になりました。
1978年に東工大に入学したときは自分のコンピュータを持っていました。東京池袋の西武百貨店のパソコンコーナーに同じパソコンが置いてあるということで、そこに通います。その売り場の店員だった人がHAL研究所を創立し、岩田氏は誘われてそこでバイトとしてプログラムを作成します。
大学を卒業すると、そのままHAL研究所に入社しました。

HAL研究所入社後、日本ではファミコンが誕生します。当時24歳の岩田氏は京都の任天堂に押しかけ、「仕事をさせてくれ」と依頼します。任天堂はその依頼に応えるのです。

岩田氏が31歳の時、HAL研究所は数十億円の負債を抱え、傾きます。和議の結果、15億円を6年間で返済することとなり、同時に岩田氏が社長に就任するのです。
逃げ出すことも可能だったが、「これは、自分でやるのがいちばん合理的だ」「逃げたら一生後悔する」と覚悟を決めます。
そのHAL研究所で、仲間も逃げ出さず、岩田氏と行動を共にします。この辺が「天性の経営者」といわれるゆえんのようです。

岩田氏の経営スタイルの特徴に「面談」があるようです。HAL研究所社長時代、全社員と半年に一回「面談」することを始めました。このやり方が、岩田氏とその仲間たちには有効だったようです。誰でもできることではないでしょうが。

岩田氏の一つのモットーは、「現状否定しない」ということです。誠実にやってきたアウトプットに対して現状否定することだけは「なし」だと思う、と語ります。
この点は、以前紹介したソニーの近藤哲二郎氏の「それまでに本人が成し遂げてきた業績を否定し(自己否定)、そこから新しい発想を生み出すことが要求される」とは正反対の人心掌握術ですね。


HAL研究所社長としての責任を果たした後、2000年に山内溥社長に請われて任天堂入りし、その後、上記のような経過をたどってきたわけです。

2002年当時、日本のゲーム市場は縮小を続けています。
私は、自分ではゲームをやらないながら、当時のテレビ番組で宣伝されるテレビゲームの宣伝を見て、「これはおもしろそうだ」と思ったものは一つもありません。映像は三次元で精密を極めているのですが、大昔のファミコンのスーパーマリオと比較して圧倒的におもしろいようにはとても思えませんでした。それでいて、ソフト開発者の手間は圧倒的に増大し、高コスト構造となっています。

ですから、任天堂のDS開発は、まさに理にかなっていたと私でさえ思います。
ゲーム人口の拡大のため、岩田氏は以下のような基本戦略を設定します。
・5歳から95歳までが対象
・ゲーム経験の有無を問わない
・だれもが同じスタートラインに立てる
・家族の誰にも敵視されない
・お母さんに嫌われない

任天堂には、宮本茂氏という著名なゲームクリエーターがおられるそうです。現在は任天堂の代表取締役専務です。「スーパーマリオ」「ドンキーコング」「ゼルダの伝説」などの制作者だそうです。

高校生時代から「天才プログラマー」といわれた岩田氏ですら、宮本氏にはかなわないといっています。岩田氏が作り手の視点からつくっていたのに対し、宮本氏は使い手の視点、ユーザーの視点も良く理解した上でつくるそうです。
宮本氏は大学の専攻がインダストリアルデザインであり、プログラムからでもなくアートからでもない視点が斬新なのかもしれません。

そのような能力を持つ宮本氏がおり、中興の祖である山内溥氏が相談役を務め、そして社長に岩田氏がおり、これらの人たちがどのような役割を演じて、最近の任天堂の一人勝ち状態を作りだしてきたのか、興味があるところです。
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堀栄三氏が遺してくれたもの

2008-06-19 21:22:25 | 歴史・社会
堀栄三氏は、1913年生まれ、旧日本陸軍軍人と自衛隊員を務めた人です。
太平洋戦争開戦時には大尉で陸軍大学校に学んでおり、1942年12月に陸大を卒業して1年ほどした後、大本営参謀に発令されます。大本営第二部(情報部)です。堀氏は、参謀も初めてなら情報担当も初めてです。
情報部内でドイツ課からソ連課に移り、さらに短期間で米英課に替えられます。

時は1943年(昭和18年)11月です。既に対米英全面戦争を日本主導で開始して2年近くも経過しているのに、一番大切な米英情報の収集を担当する米英課はこのとき誕生してまだ半年です。
その米英課は参謀が7名、総勢40名しかいません。そこで堀氏は、米国の戦法の研究を命じられます。自分で戦争を始めておきながら、そのあとに相手の戦法を研究しようというのですから、日本陸軍の泥縄ぶりがよく現れています。

それから1945年7月の終戦まで、堀氏は大本営の情報部、その後、フィリピンの山下兵団の情報参謀、そしてまた大本営の情報部に戻り、一貫して日本陸軍の情報を担当し、第二次大戦中における日本陸軍の情報がどのような状況にあったのか、渦中にあってつぶさに体験します。

戦後の1945年秋、堀氏は山下兵団での経験について400枚ほどの原稿を書いたことがありましたが、養父(元陸軍中将)から「負けた戦さを得意になって書いて銭を貰うな!」と叱られ、それからは一切口をつぐみました。
しかし敗戦から41年後、台湾沖航空戦の戦果に関する堀氏の役割が雑誌で話題になり、保坂正康氏が堀氏を説得し、とうとう堀氏は以下の書を執筆します。
大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)
堀 栄三
文藝春秋

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堀氏が実際に見聞した、太平洋戦争の対米戦における日本陸軍の情報戦の実態について、飾らずに真実を後世に残そうというスタンスで書かれているようです。

堀氏がこの本を出版してくれたおかげで、第二次大戦中の日本軍が情報戦をどのように戦ったのか、非常に克明に明かされました。この本が出されなかったら、多くの事実が闇に葬られたままで終わったでしょう。
よくぞこの本を出してくれたものとありがたく思います。


現在このブログでは、金賢姫拘束の真相(5)において、当事者の矢原純一さんが実際に起こったいきさつをお話しくださっています。ここでも、大韓航空機爆破事件の犯人である金賢姫らが、どのようにして浮かび上がり、彼らに到達し、拘束に至ったのか、その一端が事実として定着されつつあると実感しています。
過去に起こった大事な事象について、実際には何が起こっていたのかを明確にし、記録に留めること、これはとても大切なことだと思います。
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パソコン出願終了のアナウンス

2008-06-17 21:51:07 | 知的財産権
特許事務所からパソコンを使って特許庁に電子手続を行う際、現在は「インターネット出願」と「パソコン出願」の2種類から選ぶことができます。インターネット出願はインターネット経由であり、パソコン出願はISDNの電話回線で特許庁に接続します。

パソコン出願はいずれ停止されると言われてきましたが、私は今でもパソコン出願を使っています。
私のメインクライアントは、出願案件の電子データを必要としています。そしてその電子データが、パソコン出願とインターネット出願とで書式が異なるらしいのです。クライアントがパソコン出願のフォーマットで要求する以上、インターネット出願に変更することはできません。

この6月10日に、特許庁からインターネット出願への一本化についてとのアナウンスがなされ、パソコン出願が2010年3月末で廃止されることが明らかとなりました。

さっそく、メインクライアントに電話で確認したところ、今から社内のシステム変更に取りかかるということです。クライアントのシステムが変更になり、インターネット出願で対応するべき時期が到来したところで、当方もインターネット出願に変更するということです。

今までは上記のような状況でインターネット出願についてはあまり調べていなかったのですが、あれこれ調べ始めました。

パソコン出願では、PCT出願についても、日本特許庁が作成したパソコン出願ソフトの中で行うことができます。ところがインターネット出願では、国内出願とPCT出願とで用いるソフトが違うのですね。うっかりしていました。
インターネット出願への一本化に伴うPCT国際出願における対応についてを読むと、「PCT-ROの電子出願は国際事務局の開発した電子出願ソフトであるPCT-SAFEを利用したインターネット出願を利用することになります。」とあります。

インターネット出願では個人認証のための電子証明書が必要になります。国内出願のインターネット出願では、ICカードタイプの電子証明書とファイル形式の電子証明書のいずれも使用可能ですが、PCT出願ではファイル形式の電子証明書しか使えないのですね。

まあ、私は杉並区の住民で住基ネット(住民基本台帳)が使えないので、ICカードタイプが使えなくてもダメージではないですが。

パソコン出願からインターネット出願に変更すると、電子出願がらみでISDNを保持し続ける必要性はなくなります。
しかし私の場合、自宅のパソコンと事務所のバックアップハードディスク(LAN接続)とを、LAN間接続で接続可能にしてありまして、そのLAN間接続を、双方のISDNルーター同士の通信によって実現しています。ですから当面は事務所も自宅もISDNのままにしておく予定です。

事務所の電話を光電話などに変更すれば安くなるのでしょうが、現時点でも電話の通話料というのは大した費用になっていません。電話でのやり取りが極めて少なくなっているためです。従って、コスト削減という意味では今すぐ光電話にするニーズはあまりありません。
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アフガニスタンに陸上自衛隊派遣?

2008-06-15 10:16:15 | 歴史・社会
報道されたとき私は気が付かなかったのですが、陸上自衛隊をアフガニスタンに派遣しようとする計画があるのでしょうか。

政府、アフガンへ調査団送る方向 陸自派遣の可能性探る
2008年6月5日13時15分
「政府はアフガニスタンの復興支援のため、海上自衛隊によるインド洋での給油活動に加え、陸上部隊派遣の可能性を探るため、近く外務、防衛両省などの担当者でつくる調査団を現地に派遣する方向で調整に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
 アフガンへの陸上部隊派遣には、新たな立法が必要。政府は陸自派遣を前提とした調査ではなく「状況を見極める事務的な調査」(高官)と位置づける。民主党の小沢代表がアフガンで活動する国際治安支援部隊(ISAF)への参加に前向きなため、秋の臨時国会に向け、自衛隊海外派遣のための恒久法(一般法)など、安全保障論議を呼びかける狙いもありそうだ。
 町村官房長官は5日の記者会見で「現に40カ国以上の部隊も派遣されており、現地での調査を行うか否かも含めて幅広い検討の対象に含まれている」と述べた。アフガンへの陸自派遣については福田首相も1日、「日本の協力が出来るような態勢になればできる。そういう可能性については常に考えている」と語っている。 」


昨年秋に福田政権が誕生してから、昨年いっぱいは、海上自衛隊のインド洋での給油活動を再開するための法案成立にかかりきりでした。ところが法案が成立した後、新聞やテレビではアフガニスタンについての報道をとんと見ません。すっかり国民は関心を失っていると思っていたら、陸上自衛隊を派遣する話があるというのでしょうか。

今、アフガニスタンのために日本がなすべきことは何か。その点をまず深く議論すべきと思うのですが、月刊誌でも最近はそのような議論を見ないですね。私が知る範囲では、昨年11月号の月刊誌「世界」で東京外語大教授の伊勢崎賢治氏が述べている内容が最も信頼が置けそうです。

アフガニスタンで外国の軍隊が行っている軍事行動は、OEFとISAFという2つの枠組みがあります。議論をする上で、どちらの枠組みに参加しようとする活動なのか、それを明確に区別する必要があります。

OEF:911同時多発テロを契機とし、アメリカの「タリバン=アルカイダ憎し」で始まった戦争は、OEF(不屈の自由作戦)であり、NATO加盟国にとってNATO条約5条の「集団的自衛権」の行使です。テロ特措法による日本自衛隊の洋上給油はこちらの範疇です。
ISAF:一方、ISAF(国際治安支援部隊)は、アフガンの治安維持のために国連が国連憲章第7章に基づき全国連加盟国に参加を呼びかけた「国連的措置」です。
両者の法的な根拠の違いは明確です。米国の体制も複雑で、OEFは米国防省直轄、復興支援担当は米国国務省です。

その他、いくつかの略語を挙げておきます。
PRT:地域復興支援チーム:ISAFの下で活動する軍事チームのようです。
DDR:「武装解除」と呼ばれている活動で、アフガニスタンで日本が担当し、成功裏に終了しています。
SSR:治安分野復興:武装解除、国軍の整備、警察の整備、麻薬対策、司法の確立など、当事国の現政権の治安装置を安定化させるための活動です。


アフガニスタンにおけるSSRのうち、国軍の整備は米国、警察の整備はドイツ、司法改革はイタリア、麻薬対策は英国、旧軍(北部同盟の軍閥など)のDDRは日本と、分担しました。当時の川口順子外務大臣が現地で変な約束をしてしまい、それがために日本が武装解除を担当することになりました。できっこないと思われていた活動を、日本は伊勢崎氏を中心に成し遂げてしまったのです。
ところが、肝腎の国軍の整備も警察の整備も一向に進みません。そんな中、武装解除だけが完了してしまったので、アフガニスタンには「力の空白」が生まれます。最近のタリバンの勢力復活もそのあたりが影響している可能性があります。4月27日にはカルザイ大統領暗殺未遂発砲事件がありました。

日本が担当した「武装解除」活動において、活動を見守る軍事監視団が結成されます。非武装の軍人が当たります。武器を持っている軍閥から、非武装の軍事監視団が監視して武器を取り上げるというわけで、勇気のいる仕事です。2003年当時、日本の自衛隊がこの軍事監視団に加われば、名誉ある地位を得ることができたでしょうが、伊勢崎氏の進言にもかかわらず、日本政府は一顧だにしませんでした。

また、2003年当時であれば、日本の自衛隊はPRTに参加して実効を挙げることができたようですが、日本はイラクに陸上自衛隊を送り込むことのみに熱心で、やはりアフガンには目もくれませんでした。
伊勢崎氏は世界誌で「今のアフガニスタンの現状で、日本のPRTを出すことに私は反対ですが、当時はそういうオプションも可能だったのです」と述べています。
もし、現在の日本政府が陸上自衛隊をPRTとして派遣することを考えているのだとしたら、派遣すべき時期を間違えたと言うことになります。
PRTの最近の活動状況について、日暮れて途遠しさんのブログに、「2008.2.24朝日新聞 オピニオン 耕論」の中の中村哲さんのコメントが転載されています。
中村哲さん 医師・医療NGO ペシャワール会現地代表 46年生まれ。84年からアフガン難民診療に携わる。
「日本が復興支援に多額の援助をしていることは、民衆レベルでも広く知られている。一方、インド洋上での給油活動は、ほとんどの人が知らない。日本政府が洋上給油を国際貢献の象徴だと声高に叫べば、米軍と一体視され、対日感情の悪化につながる。それは、現地での復興支援活動を困難にするものだ。
最近、日本政府が軍民一体型の「地域復興支援チーム」(PRT)に途上国援助(ODA)資金を出していることが、日本で報じられた。
私たちの診療所にも、軍服姿の者たちが突然、装甲車で乗りつけ、薬を配らせてほしいと言われたことがある。診察もなしに投薬するのは危険だと断ったが、PRTの実態は軍による宣撫工作に過ぎない。道路を造るにしても、戦闘地域に通じる道路を優先する。現地では、PRTと米軍は一体だと誰もがみている。
そこに日本の資金が使われていることも、現地では知られている。それでもこれまで、日本の復興支援は評価されてきた。しかし、軍事ブロセスへのかかわりがさらに強調されるようになれば、その評価がどうなるかは危うい。」

日本の陸上自衛隊が参加しようとしているPRTの実態がどのようなものか、よく見極める必要があります。


2002年1月に東京で開かれた第1回アフガン復興会議で、日本は国策として公的資金を出し、NGOを行かせることを決めました。NGOは今でも現地で働いています。

この1月には、緒方貞子氏が見たアフガニスタンとして、国際協力機構(JICA)理事長の緒方貞子氏の意見を載せました。現在のアフガニスタンでは、日本の復興支援の成果が次々と実っています。このような民生支援によってアフガニスタンに平和が定着することこそ、「テロの予防にもつながるということは認識されねばならない」と緒方氏はいいます。まさに、日本が得意とするアフガニスタンにおける「テロとの戦い」ではないですか。

また、上の中村哲さんのコメントにあるように、また伊勢崎氏が説くように、「世界テロ戦をいかに成功に導くか、アフガニスタンをいかに安定させるか」という当事者意識で考えたときに、日本は軍事活動には参加せず、民生支援に特化することが得策である可能性は高いです。
ぜひこのような方向での議論を深めて欲しいものです。
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工業所有権法(産業財産権法)逐条解説

2008-06-12 21:10:15 | 知的財産権
工業所有権法(産業財産権法)逐条解説

発明協会

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弁理士受験界で「青本」と呼ばれ、弁理士受験の必須図書と言われながら、2001年に16版が出たきり、ずっと改訂がされていませんでした。それがこの6月に、7年ぶりの改訂版として17版が発売になったのです。
先週、水道橋の丸沼書店に問い合わせたところ、入荷は6日になるということでした。12日の本日再度問い合わせたところ、確かに入荷しているということで、事務所の帰りに立ち寄って購入してきました。アマゾンではまだ予約受付中のようです。

記述内容そのものは、その年々の法改正解説本の焼き直しでしょうから、新しい記載は含まれていないと予想されます。そういう意味では実務者の必読ということではないのですが、青本といえば取り敢えずは特許事務所の「顔」ですから、やはり揃えないわけにはいきませんよね。

8年以上前、この青本が最新の法改正に対応していた頃、実務の上で重要だったのは、「附則」を解読する点にあったように記憶しています。
現在審査中の各出願案件、審判事件係属案件が、いったい何年法の適用を受けるのか、厳密には附則とその中にある経過措置をきちんと追いかける必要があります。そのようなとき、参照図書としてはこの青本が使いやすかったと思います。

青本の最新版が手に入って、そのような使い方を再開することができるというわけです。
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陸上自衛隊の次世代戦車

2008-06-10 21:03:50 | 歴史・社会
6月8日の朝日朝刊「日曜ナントカ学」は、陸上自衛隊の新しい戦車開発の話題でした。
陸上自衛隊の今の主力戦車「90式」は、1両10億円前後で、北海道を中心に300両ほど配備されています。10億円という値段は、米国の主力戦車M1の約3倍です。

今年2月、防衛省は次世代の新戦車「TKX」の試作車を公開しました。02年に開発を始めたそうです。コンセプトは「小型軽量化」と「情報ネットワーク化」。90式より6トン軽く、戦車同士や司令部間を通信ネットワークで結びます。

欧米の戦車の寿命が50年以上であるのに対し、日本は約30年と短いです。日本には「改良」という発想がなく、毎回フルモデルチェンジです。
なぜ新しい戦車が必要なのか。
新聞記事では、国内の戦車製造にかかわる業者(千社以上)を保護するための公共事業的な意味合いでは、と疑っています。

なぜ、日本の自衛隊が使う戦車について、国産にこだわるのか。そして短い寿命でフルモデルチェンジしていくのか。国内業者保護と疑われても仕方ないと思います。むしろ日本の歳出削減の観点からは、必要なら海外の戦車を安く買ってくるべきでしょう。

この問題に関して、わが家にある関連図書は以下の1冊(2001年発行)です。
日本の軍事システム―自衛隊装備の問題点 (講談社現代新書)
江畑 謙介
講談社

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陸上自衛隊の戦車についての記事を読むと・・・。
90式の前の74式戦車が退役させられ、その代替として、今回の新聞に載っている次期戦車の開発が予定されていると書かれています。
この本によると、現在主力の90式戦車は、重量が50トンになってしまい、トレーラーによって一般道路(高速道路を含む)を輸送することがもはや困難だそうです。有事に際し、日本国内で戦車を移動して展開することが困難ということです。だから次世代戦車は軽量化を図っている、ということかもしれませんが。
国内を自由に動き回ることができない戦車を配備して、どれだけ日本の防衛力に寄与し得るのか、疑問に感じてしまいます。

この本には、海上自衛隊の潜水艦についておもしろい記事が載っています。
海上自衛隊は16隻の潜水艦を保有しています。
一方、日本は潜水艦を三菱重工業と川崎重工の2社が建造しています。潜水艦を2社が建造する国は、日本以外では米国とロシアのみです。2社の技術力を確保するため、毎年1隻ずつ、両社から交互に新潜水艦が生まれます。
毎年1隻ずつ増え、一方で保有艦数は16隻ですから、潜水艦は寿命16年という若さで退役させられてしまいます。この点で日本は極めて異例の国です。もったいない税金の使い方です。


日本の国防予算が、その総額で世界のトップクラス(5位)にあるといっても、以上のように費用対効果の悪い予算の使い方をしていますから、国防力として比較したら大したことはないのかもしれません。
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