4月21日NHK「プロフェッショナル」は、「
武装解除・瀬谷ルミ子」でした。当日、番組が始まる直前にこの番組のことを知り、視聴することができました。
瀬谷ルミ子さんとは、ご本人のブログ
紛争地のアンテナによると、
「1977年2月生まれ
中央大学総合政策学部→英ブラッドフォード大学紛争解決学修士号取得。その後、国連PKO職員、外交官、NGO職員として勤務。第二回秋野豊賞受賞。
今までの勤務地は、ルワンダ、アフガニスタン、シエラレオネ、コートジボワールなど。
専門は、紛争後の復興、平和構築、紛争予防、兵士の武装解除・動員解除・社会再統合(DDR)、アフリカの地域安全保障機構。」
と紹介されています。
日本紛争予防センター(JCCP)事務局長の職にあります。
瀬谷さんの名前を知ったのは、伊勢崎賢治氏の以下の本においてです。
この本については、このブログの
伊勢崎賢治「武装解除」 でも紹介しました。アフガニスタンで、カルザイ政権が成立した後、旧北部同盟の軍閥の武装を解除する重大な役割を、日本の外務省が引き受けました。その困難な仕事を、伊勢崎賢治氏が中心となってやり遂げた、そのときの記録です。
武装解除(DDR)と一般に呼ばれている仕事は、D(武装解除)D(動員解除)R(社会復帰)の三つのプログラムを総称したものです。
この本のあとがきには、
「さらに、同大使館(在アフガニスタン日本大使館)DDR班で、僕の片腕となってくれた堀江浩一郎、井上勇一両参事官、そして工藤大介、瀬谷ルミ子両二等書記官の尽力は特筆に値する。瀬谷さんは、シエラレオネで国連スタッフとして僕の下で働いてくれて以来の付き合いであるが、まだ二十台の若さですでに二つのDDRを現場で経験した、これからの日本にとって逸材中の逸材である。
(NGOによる国際軍事監視団で活躍する今井千尋さんを紹介し)
日本の平和貢献の将来は、女性が担う予感がする。」
と紹介されています。
番組によると、瀬谷さんは英国の大学院で紛争解決学を学び、紛争解決のなかでも武装解除の仕事に自ら入っていったようです。
シエラレオネでは、90年代に激しい内戦があり、500万人の人口のうち5万とも50万ともいわれる人が命を失いました。同じ伊勢崎賢治氏の
自衛隊の国際貢献は憲法九条で―国連平和維持軍を統括した男の結論![](http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=bongore789-22&l=as2&o=9&a=4780301548)
(このブログでも
伊勢崎賢治「自衛隊の国際貢献は憲法九条で」で紹介)によると、
「実際にかれら(RUF(革命統一戦線))がやったことは、住民の無差別殺戮でしかなかった。無防備の村を襲い、恐怖を植え付けるために見せしめの殺人を行い、成人男子を奴隷にし、子どもは洗脳して兵士に仕立て上げ、次の村に向かっていくのである。」「生きたまま手足を切り落とされた子どもも数千人規模で生まれた。」
このシエラレオネで、内戦が終わった後、伊勢崎氏がリーダーとなって武装解除が行われます。「2002年初頭、全兵士の武装解除を成功させた。9ヶ月間にわたる努力の成果だった。シエラレオネの武装解除は、国連の内戦処理の輝かしい成功例になった。」
瀬谷さんは、シエラレオネで伊勢崎さんと一緒に、この武装解除プロジェクトに参画しました。
兵士の中に少年兵がいます。その少年兵は、村が反政府軍に襲われ、強要されて自分の父親の手を切り落とさせられ、その後兵士にさせられた経歴を持っています。内戦が終わっても、家族は「そんな子はいらない」と拒否します。少年でありながら、どこにも自分の居場所が見つけられないのです。
瀬谷さんはその少年たちの話を聞いてあげます。その結果、少年たちが少しは救われたらしいことを感じ、瀬谷さん自身も救われたようです。
アフガニスタンでの武装解除にも、瀬谷さんは伊勢崎氏と一緒に参画したわけです。二等書記官と言うことは、外務省職員の資格で参画したのですね。
アフガニスタンでの武装解除が成功裏に終わった後、社会復帰した元兵士が、結局は新しい社会になじめずに、武装勢力に逆戻りした、という話を瀬谷さんは聞きます。このときは無力感を感じられたようです。
番組が紹介するのは、スーダンでの武装解除活動に参画する瀬谷さんの姿です。今回は、DDRのうちR(社会復帰)を担当しています。
武装解除され、動員を解除された元兵士が、どうしたら新しい社会で新しい生活を始めることができるか。そのために瀬谷さんは、元兵士が復帰する現地に直接足を運びます。そこで、何が不足しているか、元兵士がどのような職業訓練を受けたら現地の役に立つのか、目で見て確かめ、計画を立案するのです。
悩みを持っているという一人の少年兵と面談します。最初はかたくなに面談を拒んでいた少年兵は、次第に瀬谷さんに自分の思いを語り始めます。自分は除隊して学校に通いたい。しかし上司がそれを許してくれない、というのが少年の悩みでした。
瀬谷さんはまず、軍を統括する准将に話しに行きます。准将は、勉強をしたい希望を持つものなら除隊はかまわないと言います。次に少年兵の直接の上司の少佐(中佐?)に談判すると、上司は、自分の一存では決められないと言います。そして最後に警察本部(少年は警官をさせられています)の大佐に談判に出かけると、大佐は、辞めるのを許すわけにはいかない、しかし勉強したいのなら、勤務しながらできるはずだ、と言いました。
3人との面談を終えた瀬谷さんは、少年兵に次第を伝えます。少年の希望を叶えることはできなかったが、細いルートを造ることまではできました。最後に瀬谷さんが「これは私の人生ではない。あなたの人生だ」と問いかけると、少年は瀬谷さんに「これはあなたの人生ではない。僕の人生だ。」と言い切ります。瀬谷さんの行動は、少年をここまで自立させることに役立ったのです。
現在、瀬谷さんは有能な紛争解決の専門家として認められ、毎日を過ごしているようです。
瀬谷ルミ子さんは現在32歳ということです。大学に入学したときから、国際紛争解決、それも武装解除という重い仕事にずっと携わっています。瀬谷さんをここまで駆り立てる原動力は何だったのでしょうか。
瀬谷さんには3歳下の弟さんがおられます。その弟さんが、小さいときに脳出血を患いました。家族が総出で看病を続ける中、瀬谷さんは大学に進学します。自分一人だけやりたいことに進んでいいのだろうか、と自問する中で、国際紛争を解決する仕事に就けば、家族も弟も許してくれるだろう、という思いがあり、この道に進まれたようです。
弟さんは九死に一生を得、現在は左半身不随ながら生活をされているようです。その弟さんが電話で「お姉ちゃんを誇りに思う」と瀬谷さんに伝えたそうです。
こんなすごい日本人の若者がいるのですね。NHKはいい番組を作ってくれました。
瀬谷さんのブログによると、NHKは1ヶ月にわたり4人チームでスーダンの現場の瀬谷さんに密着しました。担当ディレクターも女性だったそうです。
ところで、瀬谷さんが卒業したイギリスのブラッドフォード大学ですが、
このブログでも紹介した大西健丞氏も同じ大学で学んでいるのですね(
NGO、常在戦場![](http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=bongore789-22&l=as2&o=9&a=4198621357)
)。
ps追加の記事を
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ps2 2011.11.6.「職業は武装解除」関連記事を
こちらと
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