弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

Model Graphix誌・トラ・トラ・トラ!特集

2009-01-31 21:09:46 | 趣味・読書
昨年の9月に家内とハワイを訪問し、そのときに真珠湾を駆け足で見てきました。アリゾナ記念館と、フォード島にある太平洋航空博物館には、真珠湾攻撃で日本の雷撃機が用いた航空魚雷の模型が飾られていました。以下の写真です。この魚雷について調べて分かったことを、このブログ9月30日の「真珠湾攻撃」で記事にしました。
  
Arizona Memorial Museum  Pacific Aviation Museum

最近になって、モデルグラフィックスという雑誌の編集の方からメールをいただきました。私がブログに掲載した上の写真を、雑誌の中で使いたいということです。
モデルグラフィックスというのはプラモデルをメインテーマとした雑誌のようで、真珠湾攻撃の特集号を計画されていました。その中で、日本の艦攻が用いた浅海用航空魚雷の姿を現した写真として、私の写真が好適だったようです。

私はOKですが、博物館の展示物を写した写真ですので、博物館の許諾を得るようにお願いしました。編集部も当然そのように考えており、博物館に連絡をしていたのですが、なしのつぶてだったようです。雑誌の締め切りも迫り、最後は直接電話で交渉に及び、許諾に至ったということでした。

この雑誌です。
Model Graphix (モデルグラフィックス) 2009年 03月号 [雑誌]

大日本絵画

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まずは、当時の連合艦隊旗艦である戦艦長門、それに南雲機動部隊旗艦である空母赤城の、それそれ1/350プラモデルが登場します。そういえば、私も小学生のとき、戦艦長門の木製模型を作った憶えがあります。

次いで、まず九九艦爆(急降下爆撃機)、そしてその次に九七艦攻(雷撃又は水平爆撃機)の登場です。プラモデルはいずれも1/48です。

このページの右上に、プラモデルとして用意されている魚雷と、私の写真とが掲載されています。下がその部分の拡大写真です。


編集の方からうかがったところでは、真珠湾で使われた航空魚雷において、側部の木製安定版は確かに使われていたものの、尾部の木製の框板(きょうばん)については、実際には使われていなかった、という説もあるそうです。
史実がまだ確定されていないのでしょうか。

私が撮してきた模型も、あくまで博物館が何らかの資料に基づいて再現しているのであって、真珠湾攻撃時の真の姿が再現されているかどうかは確証が持てません。それにもかかわらず、真珠湾の展示物写真に頼らなければならないというのも情けないものです。
日本によって準備され実行された史実なのですから、日本自身がその真実を再現し、語り継いでいくべきものです。
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加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」(3)

2009-01-29 20:26:13 | 歴史・社会
前回に続き、満州事変から日中戦争へ―シリーズ日本近現代史〈5〉 (岩波新書)を取り上げます。

日本陸軍の派遣軍の陣容は、現役兵を中心とする部隊ではなく、予備後備兵、補充兵を中心とする部隊でした。参謀本部第一部長の石原完爾は、あくまで対ソ連戦のために現役兵精鋭部隊を温存し、上海に補充兵中心の部隊を送り込んだのです。これが、上海から南京にかけての日本軍の軍紀弛緩の原因となりました。

この点は、上海での第百一師団 でも話題にしたとおりです。
「第百一師団長日誌―伊東政喜中将の日中戦争」(中央公論新社)に関する中央公論の座談会で、古川隆久日大教授は以下のように述べています。
「まず部隊の作り方がおかしい。急に日本で兵隊をかき集めて、そのまま二週間後には送り出してしまう。
この日誌から直接読み取れるところでも、師団長と連隊長の意思疎通がうまくいっていない。」
「中国と本格的な戦争になるなどとは思ってもいなかったと考えないと辻褄が合わない。」
「この日誌を読むと分かるのですが、行軍の時に、だんだんと統率が乱れていきます。」

こうして上海戦線に送り込まれた兵士たちがどのような体験をしたのか。秦 郁彦著「南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)」から拾います。
「二ヶ月半にわたる上海攻防戦における日本軍の損害は、予想をはるかに上回る甚大なものとなった。(戦死は1万5千を超えるのではないか)
 なかでも二十代の独身の若者を主力とする現役師団とちがい、妻も子もある三十代の召集兵を主体とした特設師団の場合は衝撃が大きかった。東京下町の召集兵をふくむ第101師団がその好例で、上海占領後の警備を担当するという触れこみで現地へつくと、いきなり最激戦場のウースン・クリークへ投入され、泥と水の中で加納連隊長らが戦死した。
 『東京兵団』の著者畠山清行によると、東京の下町では軒並みに舞い込む戦死公報に遺家族が殺気立ち、報復を恐れた加納連隊長の留守宅に憲兵が警戒に立ち、静岡ではあまりの死傷者の多さに耐えかねた田上連隊長の夫人が自殺する事件も起きている。
 日本軍が苦戦した原因は、戦場が平坦なクリーク地帯だったという地形上の特性もさることながら、基本的には、過去の軍閥内戦や匪賊討伐の経験にとらわれ、民族意識に目覚めた中国兵士たちの強烈な抵抗精神を軽視したことにあった。
 ・・・
 ともあれ、上海戦の惨烈な体験が、生き残りの兵士たちの間に強烈な復讐感情を植え付け、幹部をふくむ人員交替による団結力の低下もあって、のちに南京アトローシティを誘発する一因になったことは否定できない。」

満州事変から日中戦争へ―シリーズ日本近現代史〈5〉 (岩波新書)」に戻ります。
陸軍省軍事課長であった田中新一は、38年1月12日の乗務日誌に「軍紀風紀の現状は皇軍の重大汚点なり。強姦・略奪たえず。現に厳重に取締りに努力しあるも部下の掌握不十分、未教育補充兵等に問題なおたえず」と書きました。

戦争は日本軍にとって緒戦から困難な闘いとなり、37年中に動員された兵士は93万人に達します。その内訳は、召集兵は59万4千人で、現役兵の33万6千人の倍近くでした。戦争は続き、帰還兵による戦場の様相が少しずつ社会にも伝えられるようになります。
「陸軍次官通牒『支那事変地より帰還する軍隊及び軍人の言動指導取締に関する件』に例示されている帰還兵の話には、次のようなものがあった。
『兵站地域では牛や豚の徴発は憲兵に見つけられたよく叱られたが、第一線に出れば食わずに戦うことはできないから、見つけ次第片端から殺して食ったものだ』『戦闘中一番嬉しいものは略奪で上官も第一線では見ても知らぬ振りをするから思う存分略奪するものもあった』『戦地では強姦位は何とも思わぬ』。」
加藤著書ではここで、以前紹介した吉井義明「草の根のファシズム」 に言及します。上記「陸軍次官通牒」の出典が明らかにされていないのは残念でした。

満州事変、国際連盟脱退、盧溝橋事件から日中戦争へ、のそれぞれの時点で、特定の為政者の強い意思に基づくわけでもなく、もちろん蒋介石の仕掛けた罠でもなく、各人の思惑、日中両国の思惑がすれ違い、事態は悪い方へ悪い方へと転がっていった、というのが真相であるように理解されました。
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加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」(2)

2009-01-27 21:23:10 | 歴史・社会
特許庁のホームページに、特許制度研究会第1回(平成21年1月26日)のお知らせがなされています。第1回配付資料を見ることができます。
1月5日の日経新聞朝刊トップニュースで伝えられた研究会ですね(私の記事)。
配付資料を読んでみたのですが、今の特許法のどこがどのように問題か、どのように改正しようとしているのか、具体的なところがさっぱりわかりませんでした。
今後議事要旨が発表になるようなので、それを見てからコメントしましょう。
通常の専門委員会や小委員会では、配付資料と議事要旨の他に、詳細な議事録が公表されます。ところが今回の研究会では、議事録が公表されないようですね。議事要旨だけでは実は詳しい議論内容がほとんど伝わってきません。
今回の特許制度研究会は、半分クローズドで行おうという魂胆でしょうか。

それでは、前号に引き続き、加藤陽子著「満州事変から日中戦争へ―シリーズ日本近現代史〈5〉 (岩波新書)」を紹介します。

《日中戦争へ》
単なる発砲事件である盧溝橋事件が、なぜ全面的な日中戦争まで拡大してしまったのか。例の田母神論文では、日本が蒋介石に嵌められたことになっています。
盧溝橋事件の直後、現地では停戦協定が成立します。しかし蒋介石は、4箇師団を北上させる一方、まずは決戦の決心をなせとの命令を発します。
「日中両政府とも不拡大を希望しながらも、挑発には断乎応戦するとのスタンスを取った。」「日本側において当初から拡大論を唱えた者の中には、比較的リスクが低いと考えられた中国を相手とする紛争を名目にして臨時軍事費を獲得し、それによって産業五カ年計画(統制経済による軍需工業を軸にした重化学工業計画)を一気に軌道に乗せてしまおうとの目論見をもつ者がいた。」
日本と中国が、双方の思惑を読み間違い、双方の軍事力を読み間違えたことが、悲劇を生んだ、と言えるでしょうか。日本側で言えば、中国の軍事力を過小評価しすぎていました。ところが上海と長江流域には、蒋介石がドイツ人顧問団とともに育成した精鋭部隊8万を含む30万の中央軍が配備されていたのです。36年の統計では、ドイツは武器輸出総量の57%を中国に集中させ、国民政府軍はドイツ製の武器を用い、ダイムラー・ベンツのトラックで輸送し、ドイツ人顧問団に軍事指導を支援される状態にありました。
対する日本軍は、陸軍の到着までは海軍特別陸戦隊の約5000名にしか過ぎませんでした。

上海では、蒋介石軍の攻勢に対し、日本海軍特別陸戦隊が壊滅の危機に瀕します。私のブログ記事石射猪太郎日記(2)の8月17日部分が、加藤著書に引用されています。
陸軍は上海に5師団からなる上海派遣軍を派遣し、さらに第10軍が編成されます。上海戦は「ベルダン(第一次世界大戦の激戦地)以来もっとも流血が多かった」と称される戦闘となります。
蒋介石は、日本軍を中国内陸部におびき寄せようと策略をめぐらしたのではないと思われます。もしそのような策略であれば、上海に日本軍を呼び入れ、巧みに後退して日本軍を内地に引き入れるでしょう。しかし上海戦の終盤になると、ドイツ人顧問団によって訓練され、ドイツ製の兵器で装備した近代的戦闘部隊が完全に消耗する痛恨の事態に見舞われます。上海戦に投入された中国軍は延べで70箇師団、70万、そのうち19万人が犠牲になったといわれています。蒋介石は、日本軍を罠に陥れるのではなく、本気で日本軍を上海で壊滅するつもりだったのでしょう。

日本陸軍の派遣軍の陣容は、現役兵を中心とする部隊ではなく、予備後備兵、補充兵を中心とする部隊でした。当時参謀本部第一部長であった石原完爾は、戦線の不拡大方針をとり、あくまで関東軍をはじめとする在支日本軍の主力は対ソ戦に備える方針だったからです。戦線の不拡大に失敗した石原は、9月27日に第一部長を辞任することになります。
「こうした陸軍の方針には、天皇もまた強い疑念を抱いていた。華北から華中に拡大した戦争に対する、戦力の漸次投入ほど拙策はない。不安に駆られた天皇は、8月18日、軍令部総長と参謀総長に対し『重点に兵を集め、大打撃を加えたる上にて、我の公明なる態度を以て和平に導き、速やかに時局を収拾するの方策なきや、即ち支那をして反省せしむるの方途なきや』と下問する。」
陸海統帥部がなした奉答は、航空機による爆撃であり、兵力の少なさを戦略爆撃で補完する発想でした。

事変の不拡大方針、その根本は正しい判断だと私も思うのですが、結果として「不拡大方針を取ったことから、事変は泥沼化し、かえって事変を拡大させる結果を招来した」という皮肉なことになったように思います。

以上のとおり、日本陸軍の派遣軍の陣容は、現役兵を中心とする部隊ではなく、予備後備兵、補充兵を中心とする部隊でした。これが、上海から南京にかけての日本軍の軍紀弛緩の原因となりました。この点についてはまた次回に。
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加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」

2009-01-25 11:14:37 | 歴史・社会
たしか、去年の中央公論の3月号だったと思うのですが、「新書大賞ベスト30」という特集があり、そこで推奨された新書の大部分を私が読んでいないことが判りました。
その中の1冊に以下の本があり、いつか読もうと購入していました。
満州事変から日中戦争へ―シリーズ日本近現代史〈5〉 (岩波新書)
加藤 陽子
岩波書店

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1931年の満州事変勃発から、満州国成立、国際連盟脱退、そして盧溝橋事件から日中戦争が拡大する1940年までを対象にした歴史書です。
新書ですから、記載量には限りがあります。その制約の中で、「何が起こったか」を簡明に述べるよりも、「その深層に何があったか」を解明しようとする書です。従って、「この時期に何が起こっていたか」を詳しく知らずに読むと消化不良を起こしそうです。
かくいう私も、今年の春に購入した時点ではなかなか読み始める気力が沸きませんでした。ところがその後、「広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書)」「外交官の一生 (中公文庫BIBLIO20世紀)」「外交五十年 (中公文庫BIBLIO)」などを読むチャンスがあり、この時期に起きた事柄を頭の中で整理することができました。その結果、上記加藤陽子氏の著書をスムーズに読むことが可能になりました。

しかし、読み終わってその内容をまとめようとすると、やはり内容が実に多岐にわたっているのに対し、新書という制限内の著述でしかなく、私の頭をきちんと整理するのが極めて困難であることを実感します。


満州事変前後の国際情勢を語る際に、「日本が有していた満蒙における特殊権益」という言い方がよくされます。
加藤氏の著書では、「特殊権益(日本の特殊な権利、日本の特殊な利益)」というものが、決して二国間あるいは国際的に認知されたものではなく、日本単独の独りよがりであったことを本の中で明かしていきます。

しかし当時の国民は、陸軍による宣伝活動が功を奏し、「日本は満蒙に特殊権益を有しているのだ」と信じて疑わなくなります。そのような日本の権益を侵害する張作霖、張学良、中国人民はけしからん連中である、ということになります。

《満州事変後のリットン調査団から国際連盟脱退まで》
満州事変後、国際連盟はいわゆる「リットン調査団」を派遣します。
団長であるイギリスのリットン伯爵自身は、紛れもなく中国に同情的でありましたが、リットン報告書は日本に好意的に書かれたものでした。アメリカ代表は「日本側は報告書の調子に満足するだろう」と述べていますし、日本の専門家のメンバーも「内容は全体的には日本に対して非常に好意的である」と評価します。
しかし日本はこの報告書に満足しません。主に、日本の特殊権益が認められなかったところが大きかったようです。
当時の外相である内田康哉は、満鉄総裁時代から関東軍の行動に協力的であり、はやくから満州国独立・満州国承認論を論じていました。32年6月14日、衆議院本会議で、政友・民政共同提案の満州国承認決議は全会一致で可決されます。
国際連盟で、日本代表の松岡洋右は妥結に向け努力しますが、それを内田外相が葬ってしまいます。内田は国際連盟を脱退せずに済ます自信があったようです。
しかし国際連盟は、リットン報告書をベースとした和協案よりも厳しい内容の勧告案を採択します。

国際連盟脱退は、意外な展開に基づきます。
連盟規約16条では制裁について規定していますが、それは、15条の和解や勧告を無視して新しい戦争に訴えたときにだけ適用されると解釈されます。
関東軍は、「熱河作戦」を計画し、斉藤内閣はこれを諒承します。天皇も参謀総長の上奏に許可を与えます。この時点でまだ国連の勧告は決まっていません。しかし2月8日、連名の手続が勧告案へ移行したことが伝えられます。斉藤首相と天皇は、熱河作戦が「新しい戦争」と解釈される恐れがあると気付き、うろたえます。
熱河作戦は撤回できない。16条適用もあるうるかも知れない。ならば速やかに(連盟を)脱退すべきだとの方針を内閣は取りました。
こうして、日本は国際連盟から脱退しました。決して、松岡洋右単独のプレーではなかったのです。

以下次号へ。
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キャノンプリンターのプリントサーバー

2009-01-22 20:33:27 | サイエンス・パソコン
以前こちらで報告したとおり、昨年春、わが家のレーザープリンターとしてキャノンのLBP3000を購入しました。
CANON Satera A4モノクロレーザー LBP3000

キヤノン

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このプリンターはネットワーク対応ではないので、プリントサーバーとしてプラネックスのMini-101Mを併せて購入し、わが家のLANに接続しました。
PLANEX 双方向通信対応USBプリントサーバ Mini-101M

プラネックス

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ところが、設定した当初は良かったのですが、次の日になるとLAN経由でパソコンからの印刷を受け付けなくなりました。どうも原因がよく分かりません。
やむを得ず、このプリンターについてはプリントサーバーの使用を当面諦め、このプリンターを必須としている1台のパソコンにUSBで直付けとして使用していました。

最近、やはりネットワークプリンターとして使う必要に迫られ、再度プラネックスのプリントサーバーを接続し、いろいろいじってみました。
以前から何種類ものプリントサーバーを用いていますが、LANで繋がれたパソコンとプリンターとの間で、パソコン側のソフトでいちいちプリンターとの間を接続したり切断したりするタイプのものにお目にかかったことがありませんでした。ところが、今回のプラネックスのプリントサーバーは、パソコンを立ち上げるとプリントサーバーのアイコンも立ち上がり、その中でプリンターとの接続が行われているらしいのです。何ともうるさい限りです。
それだけではありませんでした。
LANに接続する1台のパソコンについてプリントサーバーの設定を終わった後、2台目のパソコンについて設定を開始したところ、その2台目のパソコンではどうしてもプリンターを認識することができないのです。
さんざん悩みました。
プラネックスのサイトでこのプリンターについての説明を再読したところ、「双方向通信利用時は同時に1台のコンピュータだけが印刷可能です。」との説明が目に入りました。
パソコンにインストールされたプリントサーバーのソフトでは、対象とするプリンターについて「接続」「切断」をマニュアルで選択できます。1台目のパソコンについては「接続」が選択されています。そこで、このパソコンについて「切断」に変更してみました。するとどうでしょう、2台目のパソコンでプリンターが認識され、「接続」が可能になったのです。
つまり、LANに繋がれたパソコンのうち1台でプリンターを「接続」とすると、プリンターはそのパソコンに占有され、他のパソコンではそのプリンターの使用が拒否されることが分かりました。こんなプリントサーバー、本当に初めてです。

それなら「双方向通信」を利用しなければいいのだろう、と考え、いろいろ設定を探りましたが、双方向通信の利用を中止する設定が見つかりません。
そこで、プラネックスにメールで問い合わせてみました。
返って来た回答にびっくりしました。
今回使用しているプリンターCanon LBP3000がcanon独自の通信プロトコルを使用しているため、プラネックスプリントサーバーの利用は出来ないというのです。

そこで、キャノンのサイトでプリンターの説明を再読し、プラネックスのサイトでプリントサーバーについての説明を再読しましたが、「キャノンLPB3000とプラネックスMini-101Mの組み合わせは不可能」との結論を得ることができませんでした。
プラネックスのサイトには対応情報が掲載され、確かにその中にはLPB3000は載っていません。しかし、通常であれば、その時点でメジャーなプリンターに使用するような場合、その機種のメインページに「○○のプリンターについては使用できません」という記載がなかったら、わざわざ対応情報に当たってそこに掲載されていなかったら“使用不可”と判断する、などということはしません。プラネックスの上記対応情報によれば、キャノンの主要なプリンターは全滅しているではないですか。

種々の情報を総合して考えると、キャノンLPB3000は、従来プリンタードライバーとしてメインであったLIPSではなく、Canon Advanced Printing Technologyというものを用いています。このキャノン特有のプリンタードライバーに、プラネックスのMini-101Mが対応していないという意味なのでしょう。

再度プラネックスのメインページに戻ると、以下のような記述のみ見つかります。
「全ての環境で動作を保証するものではありません。 プリンタ、複合機側にある仕様上の制限などのために本製品を使用できない場合があります。」
「WPS(Windows Printing System)プリンタではご利用できません。」

これでは、Canon Advanced Printing Technologyプリンターで利用できないことを認識することは不可能です。

しかしこうなった以上、泣く泣くプラネックスプリントサーバーの使用を断念するしかありません。
キャノンのサイトには、推奨のプリントサーバーが掲載されています。この中から、SilexのC-6500U2を選択し、購入しました。
Canon C-6500U2 キヤノンプリンタ専用USBプリントサーバ

キヤノン

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そして、設定はうまくいき、今ではLANに接続した複数のパソコンから自在に印刷することが可能となりました。

ところで、SilexのC-6500U2の購入は楽天で行いました。しかし今回のこの記事を作るのにアマゾンを検索したら、アマゾンでも購入可能であり、楽天よりも2000円近く安価であることが判明しました。
今では、アマゾンで何でも購入できるほど品揃えが豊富になっているのですね。これからは、まずはアマゾンで検索することとしましょう。
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伊勢崎賢治「自衛隊の国際貢献は憲法九条で」

2009-01-20 20:58:12 | 歴史・社会
以前このブログの、伊勢崎賢治「武装解除」で書籍「武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)」を紹介し、1年国会での伊勢崎賢治氏参考人発言1年前の衆議院での発言についてコメントしてきました。

その後、伊勢崎氏が以下の本を執筆していることを知り、読んでみました。
自衛隊の国際貢献は憲法九条で―国連平和維持軍を統括した男の結論
伊勢崎 賢治
かもがわ出版

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内容は、書籍「武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)」や1年前の衆議院での発言と重なりますが、それらを再整理した上で、伊勢崎氏の意見を明確にした書籍といえるでしょう。

憲法九条があるおかげで、日本は、自国の始末を自国でつけられない半人前の国家となっていることは明らかです。しかし、幸か不幸か憲法九条を背負っていることは間違いなく、この状況を逆にメリットとできるのであれば、そのメリットは最大限生かすべきです。

アフガニスタンにおいて日本が責任を負った「武装解除」プロジェクトにおいて、伊勢崎氏は最初の頃に責任者を務め、見事にその任務を果たしました。もちろん、アフガニスタンの治安回復の全プロジェクトのうち、国軍の創設、国家警察の建設、司法の確立、麻薬の撲滅にまったく成功していないなかで、武装解除のみが成功してしまったことは、全体としては成功とはいえず、むしろ「力の空白」を生んでタリバーン復活の余地を与えてしまい、そういった意味で「失敗」であった、と伊勢崎氏は述べています。しかし、「武装解除」単独プロジェクトとしては任務を果たしたわけです。

伊勢崎氏の「武装解除」プロジェクトにおける任務遂行の過程で、伊勢崎氏が実感したことは、「日本が憲法九条を有し、戦争を放棄しているという現実が、現地での信頼を得る上で大きな役割を果たした」という点です。
米国主導のアフガニスタン戦争が終結した後、アメリカ傀儡といえるカルザイ政権、特にその国防省を牛耳っていたのは、旧北部同盟の軍閥でした。アメリカですら国防省の軍閥支配を排除することができなかったなかで、伊勢崎氏が主張することにより、国防省から軍閥を排除することに成功しました。
「アフガニスタンの軍閥は、われわれが行くと、例外なく言う。『日本だから信用しよう』と。
アフガニスタン人にとって日本のイメージは、世界屈指の経済的な大国で、戦争はやらない唯一の国というものだ。もちろん、アフガニスタン人の軍閥が憲法九条のことなんてしるはずもない。しかし、憲法九条のつくりだした戦後日本の体臭というものがある。九条のもとで暮らしてきたわれわれ日本人に好戦性がないことは、戦国の世をずっと生き抜いてきた彼らは敏感に感じ取る。そういう臭いが日本人にはあるのだ。これは、日本が国際紛争に関与し、外交的にそれを解決する上で、他国には持ちえない財産だといえる。そういう日本の特性のおかげで、僕らは、他国には絶対できなかったことをアフガニスタンでできたのだ。」

ただし、アフガニスタン人の上記認識は「美しい誤解」です。実際には、日本はアメリカの同盟国であり、海上自衛隊をインド洋に出動させ、アメリカ軍に協力しています。イラクには武装した陸上自衛隊を派遣しています。

伊勢崎氏は最後に結論づけます。
「日本は今、アフガニスタン安定のカギを握るSSR(治安分野復興)の再構築、そしてタリバンとの政治的和解について、積極的にビジョンを表明するべきだ。DDR(武装解除等)の時がそうであったように、それらにおいても日本は他国にできない能力を発揮することになると思う。
ここに、憲法九条を持った日本の役割がある。他の国では果たせない役割がある。そして、何よりそれは、主体性のある対米協力である。」


そのほかのポイントを列挙すると・・・
「(安全保障の)仕事をやる場合、重要なのはお金なのである。お金がなければ何もできないし、お金を出す国が絶対に一番偉いのである。
日本は、憲法九条があったから、軍事的貢献は難しいということで、お金を出すことに集中してきた。・・お金を出してきたことは恥じることではない。誇りにすべきことだと思う。」
「お金を出す条件を明確にすることも大切だ。『このお金を受け取るなら、これが条件』という出し方に習熟する必要がある。」
「(湾岸戦争のときにお金をいっぱい出したのに)感謝されないのは、言われるままにポンと出して、何も言わなかったからである。」(出すのが遅かったという点もあります。)
「日本の外務省は、被援助国に条件を付けて援助することについて『主権侵害』『内政不干渉の原則に反する』という。しかし(これは)内政干渉には当たらない。なぜかというと、相手国には援助を拒否するという自由があるからだ。」
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生海苔異物除去装置事件の全経緯

2009-01-18 15:47:39 | 知的財産権
先日、日経新聞記事の紹介として述べた中に、生海苔異物除去装置特許に関する差止請求を容認する確定判決が、再審(知財高裁)によって取り消された(最高裁に上告受理申立て中)という事件について紹介しました。

生海苔異物除去装置特許に関連する事件がどのように推移したのか、一度整理してみることにします。

「生海苔異物除去装置事件」というと、「侵害裁判において均等が認められた事件」として有名です(地裁判決高裁判決、いずれも裁判所ホームページ)。
判決では、「被告製品の構成は、本件特許発明の特許請求の範囲に記載された構成要件B「この環状枠板部の内周縁内に第一回転板を略面一の状態で僅かなクリアランスを介して内嵌めし」のうち、「環状枠板部の内周縁内に第一回転板を」「クリアランスを介して内嵌めし」という構成と異なっているが、被告製品は、本件特許発明と均等と認められる」と判断し、原告による差止請求を認容しました。
原告は特許権者である親和製作所、被告はフルタ電機です。地裁の裁判長は有名な三村量一裁判長です。

「生海苔異物除去装置」特許は特許2662538号として、親和製作所を特許権者として成立していました。
この特許に対する無効審判は、合計で7件も請求されています。そのうち、フルタ電機を請求人とする審判が4件、渡邊機開工業を請求人とする審判が3件です。
フルタ電機が請求した最初の2件と、渡邊機開が請求した最初の1件は「請求棄却」で確定し、渡邊機械が請求した後の2件は取り下げられました。
フルタ電機が請求した3件目の無効2003-035247審判(請求項1に対する)において、審決では請求棄却審決(特許は有効)がなされたのですが、知財高裁での審決取消訴訟(H16(行ケ)00214)で請求容認・審決取消(特許は無効)とされました(佐藤久夫裁判長)。特許権者は上告せずにこの判決は確定し、再度の審決で特許を取り消す審決が出されます。今度は特許権者が審決取消訴訟(H17(行ヶ)10530を提起しますが請求棄却(佐藤久夫裁判長)、上告も退けられて、請求項1の無効が確定しました。これら一連の無効審判事件について、このブログでは、06.4.1706.4.19に論評しました。
さらにフルタ電機は4件目の無効2005-080132審判(請求項2に対する)を請求し、審決・審決取消訴訟(H18(行ヶ)10392)(飯村敏明裁判長)ともに請求項2を無効と判断し、上告も退けられました。このブログでは07.4.22に話題にしています。

こうして、対象特許の請求項1、請求項2がともに無効確定したことを受け、上記差止請求を認めた侵害事件の確定判決に対し、再審が請求されました。再審事件の知財高裁判決(田中信義裁判長)において、差止請求を認めた確定判決を取り消す判決を下します。再審原告による無効審決が確定した旨の主張は権利消滅の抗弁であり、この抗弁を制限すべき理由もないので、原判決は取消を免れない、というものです。

この再審判決の結論自体は、無効審決が確定した以上は妥当だというべきでしょう。

再審判決を読むと、特許権者である親和製作所と侵害被告であるフルタ電機との間の争いのいきさつが見えてきます。
親和製作所は、フルタ電機に対して上記差止請求訴訟を起こしたのとは別に、損害賠償請求訴訟(東京地裁H13(ワ)14954)も起こしていました。地裁判決では4億2109万円の損害賠償をすべきとの判決が下っています。
これに対して被告は知財高裁に控訴していましたが、高裁で訴訟上の和解が成立していました。和解において、フルタ電機が親和製作所に和解金として2億9627万円を支払うとともに、仮に将来本件特許について無効審決が確定した場合でも、和解金を返還する義務がないことを確認する条項が合意されていました。ただし、和解の中では侵害行為の差止め等に関しては何らの合意も成立していませんでした。

以上が今までの顛末です。
再審の判決がこのままで確定すれば、差止請求についての確定判決が取り消されるとともに再審被告による本案請求棄却が確定するので、フルタ電機は自由に本件発明を実施することができるようになります。もともとこの特許権は出願から20年の2014年11月に期間満了で消滅するはずでしたから、これより数年早く、実施が可能になるということです。

損害賠償金に代わる和解金については、返還義務がないことが合意されているのでこのままです。
フルタ電機の実施が差し止められたことに起因してフルタ電機が被った損害について、損害賠償を請求するかどうか、そしてその請求が成立するか否かはこれからの問題です。通常の判断に従えば請求は成立しないでしょう。

私としては、本件特許の請求項1、請求項2を無効とした判決に納得できないところがあるので、今回の顛末は残念だと思っています。以前書いたとおり(06.4.1706.4.1907.4.22)ではあるのですが、このあと再度蒸し返そうと思っています。
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1年前国会での伊勢崎賢治氏参考人発言

2009-01-16 23:16:46 | 歴史・社会
昨年11月末頃、当ブログへの検索ワードで「伊勢崎賢治」が増えたことがありました。伊勢崎賢治氏といえば、アフガニスタンでの武装解除を成し遂げた立役者として記憶しています。
いろいろ調べたところ、11月に「マガジン9条」で新しい発言をしているのを発見しました。さらにこのサイトの1年前の発言によると、伊勢崎氏は去年の11月に国会で参考人として証言しているのですね。

私が伊勢崎賢治氏についてはじめて知ったのも1年前です。「世界」誌の去年の11月号に、伊勢崎氏に対するインタビュー記事が載りました(こちら)。これを期に、伊勢崎氏による「武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)」を読み(こちら)、武装解除についての記事をこちらこちらに書きました。

調べてみると、伊勢崎氏が国会の参考人招致に応じたのは平成19年11月5日、衆議院の「テロ防止・イラク支援特別委員会」でした。私が伊勢崎氏について調べているちょうどそのときに、国会で発言されていたのですね。気付きませんでした。

衆議院委員会の議事録はこちらにあります。
この日の委員会には、参考人として、拓殖大学教授・森本敏氏、軍事アナリスト・小川和久氏、医療法人健祉会理事長・レシャード カレッド氏、外語大教授・伊勢崎賢治氏、衆議院調査局・金澤昭夫氏が呼ばれていました。

伊勢崎賢治氏の発言内容を読むと、1年前の議事とは思えません。現在の状況を十分に伝える内容になっていると感じました。

伊勢崎氏は、2004年以降アフガニスタンに足を踏み入れていません。それなのになぜ1年前当時のアフガンに詳しいのか。
去年の9月、アフガンに出兵している国の国会議員とアフガニスタンの議員団が参加するクローズドの会合がありました。日本からはなぜか伊勢崎氏だけが招待され、アフガン政策に対して本音の議論がありました。この会議に伊勢崎氏が出席していたので、アフガンの実情に詳しかったというわけです。

以下、印象に残ったことを書き記しておきます。

まずアフガンの治安問題。
国際部隊がテロリストせん滅のためにピンポイント爆撃を行うと、その周りの、戦闘員には絶対になり得ない女子、子供が巻き添えになるという、これは今大変な数に上っています。これがアフガン世論の反感を買っており、南東部では一般の農民がタリバンの方に寝返ってしまう。

次に麻薬問題。
世界で流通するケシの93%がアフガン産です。これだけ麻薬が増えているのは政治が腐敗しているからです。政府を構成する閣僚が、麻薬生産に邁進しています。

治安分野復興(SSR)
2003年当時、アメリカの主導で、健全な国軍、健全な警察、健全な司法システムを構築するとともに、旧国軍(北部同盟軍閥)の武装解除を目指します。この中で武装解除を日本が担当し、これだけが成功してしまうのです。国軍はまだまだ、警察は腐敗の温床になっています。
これでは武装解除としては失敗です。力の空白を生むからです。
北部同盟の武装解除を行い、その結果生じる力の空白が埋まらなければタリバンが復活します。
その後、日本はDIAGというDDR(武装解除)の後継プロジェクトをやっていますが、非常に評判が悪いです。これは内務省や警察を通じてやっているので、それが腐敗の権化なわけです。

《こういう現実の中で日本が何を果たすべきか》
2003年に武装解除を日本が成し遂げ得た理由は、美しい誤解、つまり日本は武力を背景にしない、大変力のある中立な国だとアフガンで見られていたためです。
この美しい誤解が今、崩れつつあります。日本自衛隊によるインド洋での給油活動を、アフガンの人たちが気付いたためです。

タリバンとの交渉。
「タリバンとの交渉というのは大変に困難を極めるだろうが、それしか出口がないというのが、共通認識になっている。そこに日本が決定的な役割をできると僕は信じている。」
人道援助
「アフガニスタンは、これだけ国際支援が入っているのに麻薬対策ができない。おそらく、人類史上極めてまれな、経験したことのない政治腐敗が進んでいると考えた方がいい。こういう国に対して人道援助というのは一筋縄ではいかない。」

自衛隊派遣
「今、自衛隊を、インド洋の活動を継続する、もしくは、地上部隊として出す、この考え方は日本国の国益にはならないと私は断言いたします。」
「2002年、日本は公的資金をNGOに託して、アフガンにNGOを送り出した。日の丸を背負ってアフガンに行ったわけである。
テロ特措法の問題で日本が自らを目立たせてしまった。」
(以上)


こうして衆議院委員会での発言を読むと、去年の「世界」誌の記事よりも踏み込んで発言していることがわかります。
このような発言が、国会の議事録の中に埋もれているというのももったいない話ですね。
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1年前の週刊ポスト記事

2009-01-14 23:18:33 | 歴史・社会
家で書棚の整理をしていて、1年前の週刊ポストに興味深い記事を見つけました。
「2008.1.4・11 週刊ポスト」で、もともと高橋洋一氏の埋蔵金関連の記事が載っていたので購入し、今まで保管していたものです。この週刊誌の180~183ページに、今回話題にする記事が掲載されています。

「近未来予測リポート 2008『ドル崩壊』で『資産消失』 緊急シミュレーション」

「ここ数年、懸念されてきた『ドル崩壊』がいよいよ現実のものとなりつつある。
現在のドル安は歴史的だ。対円レートこそ113円(レートは12月18日現在)だが、・・・ユーロに至っては誕生以来(0.69ユーロ)の安値圏が続いている。
経済アナリストの森永卓郎氏(獨協大学経済学部教授)は、サブプライムショックを端緒として08年中にさらなるドルの暴落が起こりえると予測する。」
森永氏は、マクドナルド社のビックマックの価格をもとに消費者物価を勘案したリポートを示し、『このリポートによれば、1ドルは82円と発表されている。私もだいたいこれが適正な為替レートだと考えています』としています。

かつてジョージ・ソロス氏とヘッジファンドを立ち上げ、活躍した伝説の投資家であるジム・ロジャース氏は、「今後の展開次第では、大手投資銀行が破綻に追い込まれるような事態もあり得る。これが起こればドルのパニックをさらに助長し、米国経済が大混乱に陥る。・・・私もこの1年のうちにドル建ての資産はすべて処分するつもりでいる」と述べています。

「経済ジャーナリスト・荻原博子氏は『1ドル80円が引き起こす危機』について、こうシミュレーションする。
『外国人投資家たちがドル暴落の穴埋めのために日本株を売ることも想定され、相場が数千円単位で下落することが想定されます。
企業は派遣社員や高齢社員のリストラという形で早々に対策を打ってくるでしょう。』
日本経済は壊滅的パニックとなりかねない。」
----以上-----

何と何と、現在の日本の経済状況をピタリと言い当てているではないですか。
こういう予想をする人が、1年前にちゃんといたということですね。

しかし、少なくとも私は全く注目していませんでした。たとえ印象に残ったとしても、たかが週刊ポストが掲載する経済記事だから、どうせいい加減だろう、で済ませたことでしょう。
何とも週刊ポスト誌をお見それしていました。深くお詫びし、その卓見に敬意を表します。

しかし、この記事でも予測を誤った点はいくつかあります。
第1に、「ユーロは安泰」と考えた点です。去年の秋以降の、対円ユーロ下落をまったく予測できていません。
第2に、中国株などのBRICsが、アメリカの経済危機に呼応して危機的状況に陥ることも予測できませんでした。

「『為替が不安定な時は現金主義が基本』というのは、複数の専門家の一致した意見だ。」というところで止めておけば、まさにすばらしい卓見、と喝采するところだったのですが、その後で、「株なら中国株」「外貨預金なら『ユーロ』と『人民元』へ」と勧めている点で予想は外れてしまいました。
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日経記事「特許の侵害訴訟の件数が減っている」

2009-01-12 22:47:03 | 知的財産権
日経新聞1月12日「法務インサイド」の記事です。
「特許紛争 司法・特許庁2本立てのゆがみ 『泥沼裁判』嫌う企業多く 制度変更で侵害訴訟減」
「特許の侵害訴訟の件数が減っている。事業の生命線ともいえる発明や技術が侵害されても、『裁判での紛争解決は割に合わない』という企業の声なき声の表れとの指摘もある。政府が『知財立国』推進を宣言してから七年が経過しようとしている。迅速な訴訟の裏で、権利侵害の救済がうまく機能していないとしたら、知財立国の実現にはまだ課題山積といえるだろう。」(法務報道部 瀬川奈都子)

いろいろの論点が語られています。
まずは、「生海苔異物除去装置事件」の顛末が、松本直樹弁護士(特許権者の訴訟代理人)によって語られます。
この事件、侵害訴訟で「侵害」と確定していました。侵害訴訟の被告は、侵害訴訟の前も後も、次から次へと無効審判を請求します。私のカウントでは7回目(記事では4回目)の無効審判で、審判では「権利有効」と審決されたのに対し、知財高裁の審決取消訴訟で「進歩性なし権利無効」と審決が取り消され、判決が確定し、再度の審判で請求項1が無効となりました。その後8回目の無効審判が起こされて請求項2についても無効になり、確定していました。
すると侵害訴訟の被告は、確定した侵害判決に対して再審を請求したというのです。知財高裁において再審が認められ、以前確定した「侵害」判決が取り消されました。
記事によると、原告(特許権者)は最高裁に上告受理申し立て中とのことです。

記事の論評では、「04年の特許法改正により、侵害訴訟と特許庁無効審判の2本立てで無効を主張できるようになったので、被告側に有利」としています。

「特許権関係の民事訴訟件数は地裁レベルで減少傾向にあり、07年は156件と、3年前より3割も落ち込んだ。・・・『特許権者が特許が無効になることを恐れて訴訟を敬遠している例も少なくない』と特許訴訟に詳しい尾崎英男弁護士は背景を分析する。」

侵害訴訟で特許無効の抗弁が認められる場合についても言及します。
「訴訟での権利者敗訴率は常に8割程度と高いうえ、敗訴した場合に特許が無効になる割合もここ2-3年で、従来の3割程度から6割以上に増えている。」

異議申立制度が廃止になったことも、侵害訴訟で無効になる確率が高くなた要因である、という点も挙げています。
政府の知的財産戦略本部は08年11月の専門委員会で、異議申立制度の必要性について改めて検討を行う方針を打ち出しているそうです。

知財高裁の飯村敏明判事の意見が掲載されています。
「特許権者と第三者の利益のバランスを図って、公平なものにするには、特許庁と裁判所のダブルトラックによる紛争解決制度を見直すべきだ。例えば、①無効審決の効力は、既に確定した特許権侵害訴訟の被告には及ばないようにする②一定の期間後の無効審判請求を制限する-などの制度変更が考えられる。紛争を1回の手続で解決し、いたずらに繰り返される無効審判で特許権者を疲弊しないようにすることが必要だ」
---以上---

記事の中で、「特許の進歩性の判断基準が厳しくなった」という点が何回か語られています。平成一桁時代は特許庁の進歩性の基準が甘すぎたので、この頃に成立した特許が侵害裁判で無効と判定される場合があり得ることはやむを得ません。問題は、現在が必要以上に厳しくなりすぎているか否か、ですが、その点については私もよくわかりません。

最近の侵害裁判の傾向について、産業界がどのような評価をしているのか、という点に関しては記事に載っていませんでした。

冒頭の「生海苔異物除去装置事件」については、また別の機会に取り上げます。
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