弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

日本サッカーと「世界基準」

2007-02-27 22:16:23 | サッカー
久しぶりにサッカーの話題です。
セルジオ越後著「日本サッカーと『世界基準』」(祥伝社新書)を読みました。
日本サッカーと「世界基準」 (祥伝社新書 (046))
セルジオ越後
祥伝社

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最近気付いて買ったのですが、昨年の9月に発行になっているのですね。そして未だに第2刷ということは、あまり売れていないのでしょうか。
しかし内容は納得することばかりです。

私にとってジーコは尊敬の対象としてあるので、いまだにジーコを非難する議論を聞くと辛いです。その点はドイツW杯の戦前及び戦後に書いたとおりです。
ジーコが監督としての試合運びが苦手であることも、ヒディングと比べたら監督としての資質は下位にあるだろうことも、戦前からわかっていたことです。ところが開催前は、ジーコを危惧する声はほとんど聞かれず、それが私には不思議でした(5月13日)。W杯を前にして日本は醒めているのか?と疑ったものです。また大会直前になると、楽観論ばかりが語られ、一次リーグ突破確率の議論では、セルジオのみが30%であとの識者は80%としていました。
戦いが終わってから、敗戦の原因をジーコに帰着させる議論を聞くと、「そんなことは戦う前からわかっていたことではないか。なぜもっと前に監督交代論を主張しなかったのか。」と腹立たしくなります。しかし論者がセルジオであると、腹を立てずに聞くことができます。

日本サッカー界のおかしなところについて、セルジオの言葉をリストアップします。

・ファンの応援の仕方
日本以外では、不甲斐ない戦いをしていれば会場のスタンド全体から大叱責を食らうし、負けている側のファンが終盤に一斉に歌い始めて大合唱になることもあります。
日本のファンは、いつもお決まりのコールを一本調子で叫んでいるだけで、チームを奮い立たせる効果的な応援になっていません。
「日本のサポーターは、勝っても負けても拍手ばかり。励ますのもときにはいいですが、それだけでは選手は鈍感になってしまいます。」

・批判精神の欠如
「日本ほどサッカー番組にタレントが出てくる国はありません。」
「番組の作りはあくまで芸能チックなもの。そこには本来あるべきはずの批判精神はかけらもありません。」

・補欠という名の人材損失
日本では二つ以上のチームに重複登録できないので、学校サッカー部に入ったら下級生のうちは補欠として球拾いしかできません。複数のチームに重複登録を許し、クラブ間の行き来を自由にして試合に出られるようにすべきです。

・巨大化するサッカー協会
日本サッカー協会の2004年の収入は200億円を超えるほど巨大化しているのに、お金の流れや人事の透明性が十分に確保されていません。

以下、私の意見です。
日本のサッカー番組に対する上の指摘は賛成です。試合後のインタビューも同じです(昨年5月の記事)。
しかし、テレビをはじめとするマスコミは、視聴者が欲する番組を提供しているだけであって、要するに視聴者がこのような番組や紙面を求めているに過ぎません。日本のサッカーファンが成熟していないことを示しているだけでしょう。
地元の子ども達のサッカー技術レベルが高くて驚いたのはもう20年も前です。その子達がもう大人になってサッカーファンのレベルを上げているはずなのに、なぜ全体として向上していかないのか、よくわかりません。しばらくはこのレベルが続くのでしょうか。

最近どうも日本人はセルジオの言葉に耳を貸さなくなっていますね。セルジオのキレが衰えたのかと想像していたのですが、今回のこの本を読む限りセルジオは良いことを言っていると思います。それにもかかわらずセルジオ離れが起きているとしたら、何か日本のファンやマスコミが勘違いをしているのかもしれません。
笹塚の本屋をのぞいてみても、並んでいるのはオシム本ばかりです。
その国のトップリーグが実力をつけないと代表のレベルは上がらないはずです。最近はJリーグチームがアジアで勝てなくなっており、日本トップリーグの力は相対的に落ちているようです。このような中で、オシム一人の力で代表のレベルを上げることは困難です。

ここしばらく、日本サッカーは世界の水準から取り残されていき、その動きは当分続きそうな気がします。
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化学発明の進歩性

2007-02-25 21:07:43 | 知的財産権
パネルディスカッション「化学発明の進歩性」(2月21日)を聞いてきました。日本弁理士会研修所の主催です。
参加者は事前にインターネット配信「化学・バイオ発明の進歩性」を視聴するようにとのことで、当日の朝にそのことに気付き、あわてて視聴してから参加しました。こちらによると、配信はその日を最後に終了しているのですね。

進歩性の議論というと、最近の審査・審判・裁判における進歩性判断の実情を明らかにした上で、
(1) 最近の動向に立脚して、「進歩性あり」の判断を得るために出願人サイドはどのような動きをしたら好ましいか。
(2) 最近の進歩性の判断のハードル高さは妥当か。妥当でないとしたら、どうしたらいいのか。
の2点が論点となります。

今回は、インターネット配信で主に上記(1) を扱い、パネルディスカッションでは上記(2) について議論された、といったところでしょうか。

パネルディスカッションの登壇者は
コーディネーター
  渡邉一平弁理士 弁理士会元副会長
パネリスト
  増井和夫弁護士 「特許判例ガイド」著者
  細田芳徳弁理士 上記インターネット配信の講師
  杉村純子弁理士 弁理士から東京地裁調査官を経て現在弁理士
  佐伯憲生弁理士 元特許庁審判官
  加藤実弁理士   花王知財センター部長
  高橋秀一弁理士 武田薬品知財部シニアマネージャー

以前(10年ほど前)に比較し、現在の進歩性の判定が厳しくなっていることは皆が認めています。私も認めます。当時の進歩性の判定が甘すぎたと私は思っていますので、当時と比較して厳しくなるのは構いません。問題は、「厳しすぎる方向に振れすぎたのか、それとも妥当なレベルに落ち着いているのか」という点です。

企業在勤の2名のパネリストの意見がはっきりしません。高橋弁理士は冒頭、「厳しくなっているが厳しすぎるほどではない」と発言しました。
加藤弁理士もその点(厳しすぎるのかどうか)は明確にしません。
ただしお二人とも、「進歩性の基準が時期によって変動するのはよくない。また判断する人によって判断にばらつきが生じるのはよくない」という点では共通しています。

結局はばらつきが問題なのかもしれません。
私が現実に担当している案件でも、大多数の査定は妥当な判断がなされていると理解しています。一方で、判断のばらつきが最近増大しているように思います。意見書の主張を精査していない無造作な拒絶査定が増え、それらは拒絶査定不服審判の前置審査で特許査定になります。もちろんその際にクレーム範囲は減縮補正されるわけですが。
意見書はより一層の丁寧さを要求され、また査定不服審判に進む率が増え、企業知財部の人たちの業務負荷は増大しているだろうと推察されます。

パネルディスカッションでは、いつくかの判決例が議題にのぼります。その中には「これはひどすぎる(進歩性に厳しすぎる)」と思われる実例があります。これも、判決が平均値として厳しすぎる方に振れているというより、ばらつきが生じて妥当でない判決が現れているる、ということかもしれません。
審査段階では審査官ごとにばらつきが生じることがあるとしても、せめて知財高裁ではばらつきのない安定した判決を出すようにしてほしいものです。


事例:防汚塗料組成物事件(H16(行ケ)259)
・本願発明:防汚塗料において、亜酸化銅に銅塩を含有させることにより、ゲル化せずに長期保存を可能にした。
・刊行物1~3:亜酸化銅が防汚塗料の主たる活性化合物
・刊行物4:銅塩を含む材料の防汚活性を開示
・裁判所の判断:刊行物1~3に刊行物4を組み合わせることに困難性はなく、「ゲル化せずに長期保存が可能である」ことを確認する試験に格別の困難性はなく、優劣の判断は直ちにできる。従って「容易に見いだせる効果」であって進歩性の根拠にできない。

この判決については、パネリストの誰もが「おかしい」という意見でした。
ばらつきの原因となる判決の一例かもしれません。


パネリストの最後のコメント
《高橋弁理士》進歩性の判断に「技術常識」が多用され、技術常識であることの証拠が示されていない場合が多い。
《佐伯弁理士》審査基準が時代によって揺れ動き、世の中が振り回されている。
発明の実体をとらえた上で、いい発明はいいクレームで生かしていくべきである。
《杉村弁理士》医薬品の特許を国際的に取得するに際し、日本発の医薬の特許が日本で無効になるというおかしなことが起きている。
論理付けなしで「設計事項」で片付けられる場合が多い。
特許すべき発明はブラッシュアップして特許にする、という立場に立って欲しい。
《細田弁理士》進歩性についての適切な基準作りが必要である。効果参酌の基準など。
《増井弁護士》進歩性基準の一番の基本は、発明者のインセンティブであることを忘れてはならない。
hind sight(後知恵)を排した判断が必要である。日本の判決では、良くも悪くもhind sightを述べない。
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旧ソ連の情報公開と日本

2007-02-24 23:57:32 | 歴史・社会
保坂正康著「昭和陸軍の研究()」について紹介しました。その本の中からピックアップします。

ソ連邦が1991年に解体したあと、旧ソ連時代の秘密情報が公開されるようになりました。ロシアの現代資料保存センターは、1952年のスターリン末期からの内部文書をすべて公開すると発表しています。
「アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなどは、国家が、あるいは国立の研究機関が、大学が、そして民間会社の大手出版社などが、自国に関係するソ連情報をまとめて膨大な金額で買い上げたり、党委員会の資料を一括して購入してしまって(コピーなどで複写する場合もあるが)、とにかく自国に持ちかえるのである。それを専門のスタッフがこれから10年20年という単位で整理しているのだ。
 したがって二十世紀のソ連とソ連に関わる歴史は、これから20年、30年後を目途に書き換えられることになるだろうといわれている。
 ところが日本はどうだろうか。
 日本の外務省はむしろ資料の公開に及び腰でさえある。ロシアの東洋学研究者によれば、あまり公開して欲しくないとの態度さえみえるというのだ。これは私の推測になるが、東西冷戦下でのソ連が歴史文書を公開しないことで隠されてきた対ソ関係の裏側が、ソ連側の資料公開によって明らかにされるのを恐れているかにさえみえるのだ。」

ここにも日本外務省の隠蔽体質が現れています。

外務省がダメなら、国の研究機関、大学、民間機関が行っても良いのですが、それもなされていません。必要な資金が集まらないのでしょうか。そうとしたら、そもそも日本国民全体が「知りたい」という意思を有していないということになります。
米、英、独、仏と日本との違い。民族の体質の違いと片付けたくはありませんが、どうなのでしょうか。

そのような状況下で、唯一民間の団体でロシア側の信任を得て、関東軍関係の資料や文書を自在に入手している団体があります。全国抑留者補償協議会の斎藤氏です。
「斎藤氏にいわせれば、『外務省などをロシアは相手にしていない。自分のところが最も入手できる立場にある』と豪語するのだが、それは現実として認めなければならない。斎藤氏の組織は、シベリア抑留者に対する日本政府の国家賠償を求めるために各種の当時の史料が必要であるということと、過去の日ソ関係の誤りを正し、民間レベルの日ロ交流を図ろうとしている点に特徴があり、それはそれで筋が通っているが、資料の発表やその解釈についてはかなり独善的で意図的なところがあることは否めなかった。」

旧日本軍捕虜のシベリア抑留に関し、斎藤氏がロシアから入手した資料が、断片的にポロッポロッと公開されます。その公開の仕方が、真実を曲解する方向に意図されているのではないか、という保坂氏の危惧です。

中立な立場の機関が、ロシアの信任を得て、必要な資料を入手した上で研究を進めて欲しいものです。
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昭和陸軍の研究

2007-02-22 21:21:30 | 趣味・読書
保坂正康著「昭和陸軍の研究 上下」(朝日文庫)を読み終わったところです。
昭和陸軍の研究 上 (朝日文庫)
保阪 正康
朝日新聞社

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昭和陸軍の研究 下 (朝日文庫)
保阪 正康
朝日新聞社

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上下各600ページ以上という大著でした。

イントロとして昭和陸軍建軍の歴史をざっと見た後、張作霖爆殺事件から始まり、第二次大戦の敗戦、そして敗戦後にまで範囲は及びます。

この本は、昭和陸軍について詳細に述べた通史ではありません。著者の保坂氏が直接インタビューしあるいは文通して得た当事者の証言が本の中心となっています。あとがきによると、500人余に取材したとのことです。そのような、保坂氏が自分で集めた一次史料を中心に据えていることから、表題にも「研究」の文字が入ったのでしょう。

まえがき
「本書は、昭和陸軍はなぜ多くの錯誤を犯したのか、その解明を試みた書である。
 そのために、昭和陸軍とはどのような組織だったか、指導部に列した軍人はどういう理念、思想をもってこの組織を動かしたのか、そして近代日本の終着点ともいうべき太平洋戦争は、何を目的に、いかなるかたちで戦われたのか、という疑問を土台に据えて、関係者の証言を求め、可能な限りの資料を集め、それを整理し、その実像をえがくことに努めた。あわせて昭和陸軍は、近代日本史のなかに、あるいは二十世紀という時間帯にどう位置づけられるのかも考えた。」

このような執念を持った日本人がいたことを、われわれは幸運であると思わなければならないでしょう。こうして、第二次大戦を指導し、戦った本人たちの直接の証言が集められました。同じ人のところに足繁く通って信頼を得た上で本音を聞き出し、あるいは文通を重ねて同じく本音を聞き出しています。
昭和陸軍の動きについて全体を満遍なくとらえるのではなく、保坂氏がインタビューした人に関する事象に記述が偏っていますから、この本のみから昭和陸軍の全体を知ることは不可能ですが、しかしこの本でしか知ることのできない事実がまたたくさんあります。

一人の人間が直接自分の足で収録できる情報の量には限りがあります。
昭和陸軍の全貌に関する情報を、それも当事者が存命中に収録することは、極めて重要な日本民族としての仕事と思います。そしてそれは、一人二人の個人が行うのではなく、お金をかけ、多くの人数で行えば、短時間で有効な仕事ができることは明らかです。
日本ではそれがなぜできないのでしょうか。
日本政府自身が、先輩達の失政を白日に曝すことを嫌い、くさい物に蓋をする隠蔽体質を持っているからでしょうか。
政府ではなく、民間の研究機関や大学が行っても良いのです。そのような研究にはお金が集まらないのでしょうか。

中国や韓国と日本が共同で歴史研究を行うという話がときどき出ますが、そのようなことを始める前に、まず日本自身が歴史上の事実をできるかぎり公平かつ正確に収集することが第一です。それさえきちんとできれば、よその国から言われっぱなしになることはないはずなのですが・・・。

通史ではない、というものの、この本は昭和陸軍の足跡を丹念にたどっており、これからはリファランスとして使うことができます。別の書物を読んでいて「あのとき何があったのか」調べる必要が生じたとき、まずはこの本を紐解くことによって解決を得ることができそうです。
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パソコンの冷却強化2

2007-02-20 21:22:34 | サイエンス・パソコン
パソコンの再生について2月6日に報告し、CPUの冷却強化を2月10日に報告しました。しかしまだ改造の勢いは止まりません。
冷却強化後にCPU温度は50℃前後で安定していると書きましたが、パソコンを立ち上げてから何時間も経過すると、温度はじわじわと上がっていきます。54℃程度までは上がります。

Pentium4用のパソコンケースは、左下図のように、ケースの外から導入した空気が直接CPUクーラーの入り口に導かれていますので、常に外気温度の空気が導入されます。
それに対し私が使っているPentium3用のケースは、右下図のように、CPUに直接導かれる空気取り入れ口がありません。CPUクーラーから排出された高温の空気は、そのままケースから排出されればいいのですが、そのまま舞い上がってCPUクーラーの入り口に導かれる程度が大きいでしょう。何とかこのバイパスルートを遮断する必要があります。


そこでまたボール紙工作の登場です。
CPUクーラーの空気入り口と出口とを遮断し、入り口にはなるべくケース前面ファンからの導入空気が導かれるように、出口から出た高温空気は入り口にバイパスせず、電源ファンとケース背面ファンを経由して外に導かれるようにしました。左下図が概念図、右下図ができあがったボール紙工作の写真です。
 

さて、これでCPU温度は下がったのでしょうか。
パソコンを立ち上げて長時間経過後のCPU温度が、第2次改造前で54℃程度あったものが、今は51℃程度で収まっています。取り敢えず数℃ダウンの効果はあったようです。画期的とはいえませんが。

私の家族が購入したCore 2 Duoマシンが到着しました。
いやいや、動作は俊敏だし、うらやましい限りです。
CPUは消費電力がすごく少ないのに、ケースと換気装置はPentium Dの大消費電力CPUに対応して作ってあります。ですから、排気口から出てくる空気は「冷風」です。それに比較し、私のマシンの排気口からは「温風」が排出されます。
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Vistaで表示漢字が増える

2007-02-18 22:33:33 | サイエンス・パソコン
ATOK 2007 for Windowsのダウンロード版が発売されたので、ジャストシステムのサイトを閲覧してみました。
すると、「Windows Vistaに対応!」と書かれており、その中に
「Windows Vistaの大きな特徴としてあげられる「JIS X 0213:2004」への対応に合わせ、同音語用例ウィンドウで表外漢字字体表の情報を表示。印刷標準字体を含む候補が選択しやすくなりました。」
との記事があります。
今まで、Vistaの新機能については詳しく調べていなかったのですが、そんな話があったのですね。ところで「JIS X 0213:2004」って何でしょうか。パソコンで扱うことのできる漢字の範囲が広がるのでしょうか。



Vista で導入される JIS X 0213:2004(JIS2004) のまとめ(お勉強編)から、いろいろ調べてみました。
マイクロソフトのサイトWindows Vista で拡張された文字についてにも情報があります。

Vistaで化ける字,化けない字の図1~4はVistaで字体が変わる漢字、図5~7はVistaではじめて表示できるようになる漢字です(JIS第1~第3水準)。
Vistaで化ける字,化けない字(続報)ではJIS第4水準について書かれています。

私が使っている親指シフトキーボード(Rboard Pro for PC)は、今のところWindows Vistaに対応する予定がないので、何とか今のWindows 2000Proあるいは変更するとしてもWindows XP Proを今後7年間は使い続けたいと思っています。しかし、Vistaに変更せざるを得ない理由が発生すれば、困難なことになります。

私の場合、仕事の内容は特許明細書の作成であり、パソコン出願で使うことのできない字体は仕事で必要とされません。パソコン出願の字体範囲がまた狭く、例えばⅠ、Ⅱ、Ⅲ、①、②、③といった文字ですら使用不可です。ですから、Vistaではじめて使用が可能になるような特殊な文字など、導入する必要は全く生じないでしょう。

ところで私と同じRboard Pro for PCを使われているNAGIさんの場合、日本文学をご専門にされているということで、Vistaの導入を迫られる可能性もあるように思います。調べられた方がよろしいかもしれません。導入の必要が生じないように念じております。
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幸吉丸の乗員生還

2007-02-17 18:29:08 | 歴史・社会
マグロはえ縄漁船幸吉丸に乗船していた3名が、沈没から3日後にライフラフト(救命いかだ)で漂流しているところを救助されました。全員無事救助され、何よりでした。

漂流しているところを捜索ヘリコプター乗員の目視によって発見されたわけですが、真っ先に思ったのは「イーパブ(EPIRB)を持っていなかったのか」という疑問です。しかし新聞でもテレビでも、イーパブについては触れていません。
イーパブとは無線で遭難信号を発信する小型無線機です。イーパブについて知ったのは、外洋ヨット「たか号」遭難のとき(1992)ですから、今でもイーパブが使われているか知りません。ネットで検索する限り、現在でも使われているようです。
通常は船のマストなどに取り付けておき、船が水没すると自動的に離脱浮上し、救難信号を発信するようです。

ライフラフトについても、今回の幸吉丸については搭載を義務づけられておらず、搭載していたのは船長のお手柄でした。ですからイーパブについても義務ではなかったかもしれません。
またイーパブを搭載していたとしても、ライフラフトと一緒に収納しているわけではなさそうなので、ラフトに移乗後にスイッチを入れるということはできなかったでしょう。今回のように大型船に衝突されて沈没するような場合、マストに設置されたイーパブを取り外してラフトに移乗することなどできないでしょう。

それにしてもこのような状況ではヨット「たか号」を思い出します。
1991年年末、日本-グアム島間の外洋ヨットレースにおいて「たか号」(乗員7名)が遭難し、ライフラフトで漂流27日、その間に乗員は次々亡くなり、たった一人佐野三治氏のみが生還しました。
佐野三治著「たった一人の生還」(新潮文庫)がありましたが、現在は絶版のようですね。

レース途中、参加艇は大しけに遭遇します。参加していたたか号は夜中に突然船が転覆し、そのまま復元しません。クルーザーは自動復元するように設計されているはずですが、このときはしませんでした。
キャビン内には4名が閉じこめられます。
ここで、キャビン内の壁面にとりつけてあったイーパブを取り出し、スイッチを入れますがランプがつきません。出発前の確認を怠っていたのです。そこで装置の蓋を開けてみると、臓物がごろっと出てきます。紙が入っており、"Battery disconnected"と書かれています。意味が分からず、臓物が抜けて落としてしまっては大変だと、中に戻してしまいます。

転覆したままのキャビン内にも浸水してきます。そこでハッチを開け、船外に脱出することになりました。イーパブは佐野氏が持つことになり、イーパブの2mぐらいの紐を手に巻き付け、素潜りで脱出します。転覆時に船外にいた3人のうち2人は生きていました。
船内の4人が脱出してしばらく経ったとき、ヨットは突然復元しました。しかしキャビンのハッチを閉める差し板が失われており、そこからキャビン内に海水が侵入します。

ライフラフトを開くことにします。本来ライフラフトは海に浮かべて開くのですが、そのときはデッキ上で開いてしまいました。見るとラフトの紐が船に引っかかっています。佐野氏が「紐がからんでいる」と叫ぶと、ラフト内の誰かがナイフを出そうとして、ラフトの艤装品袋の固縛を解いてしまいます。紐のからみは佐野氏が手ではずしました。
とそのとたん、艇が大波をかぶり、ラフトも人も海に投げ出され、ラフトはひっくり返ります。そのときに固縛を解いた艤装品袋が流されてしまうのです。

6人の漂流が始まります。
「イーパブはどうした」と聞かれた佐野氏は、このときはじめてイーパブを失っていることに気付きます。
水の大部分、食料もラフトの修理具や空気入れも、艤装品袋とともに流失しました。わずかに500ml水ボトル1本とビスケット9枚が残っていました。ビスケットを1日1枚、6人で分けて食べるとこにします。

漂流開始後12日目、一人目が亡くなります。それから次々と亡くなり、18日目に5人目が亡くなり、佐野氏一人となります。佐野氏は一人で生き続け、27日目、フィリピンの貨物船に発見され、生還することができました。

イーパブの"Battery disconnected"
10年以上経ちますがこの言葉が頭から離れません。
"dis-"が"not"の意味であるということは、それほど一般的ではないでしょう。私にも、何となくバッテリーは接続されているような印象を受けます。これを「未接続」と解釈できる人がいれば、状況は全く異なっていたことになります。
また船からの脱出時にイーパブを失わなければ、ラフト内でバッテリーを接続できた可能性が高いです。佐野氏自身、このことを悔やんでおり、またイーパブを流出させた責任を問う海難審判も受けています。審判の結論は「責任なし」ということでした。

幸吉丸-ライフラフトで3日後に全員生還-たか号で27日後にたった一人生還-イーパブ-Battery disconnected
私の中では連鎖しています。
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リバーベンドが語るイラクの現状

2007-02-15 21:44:05 | 歴史・社会
リバーベンドとは、バグダッドに在住する20代後半の女性で、イラクの現状をブログで発信し続けている人物です。ただしその本人が誰であるかは不明で、実は全くの他人がなりすましている可能性も否定できません。
しかし彼女の文章を読む限り、イラクの現状について真実を語っているように思われます。

私は、最近になって彼女のブログ記事を日本語に訳した著書(バグダッド・バーニング2)をはじめて読み、2月4日2月11日に記事にしました。

彼女のブログの記事については、日本語に翻訳され、インターネットで閲覧することができます。バグダードバーニング by リバーベンドです。こちらについてはつい最近閲覧し、昨年12月末に書かれた記事を読みました。

イラクが、どんどん悪い方向に転がり落ちている状況を見て取ることができます。

2006年12月29日の記事から
「平均的イラク人の1日の生活は、遺体の身元確認や、自動車爆弾を避けることや、監禁されたり、追放されたり、誘拐されたりしている彼らの家族たちを探すことだけに明け暮れている。
2006年は、はっきり言ってこれまでで最悪の年だった。間違いないわ。」

「この年は特に転換点だった。ほとんどのイラク人が多くのものを失った。本当に多くのものを。この戦争と占領によって私達が喪失したものを言い表すことなんて不可能だわ。毎日40体ほどの、切断され腐敗した様々な状態の遺体が見つかっていると知っていることから湧き上がってくる気持ちを言い表せる言葉なんてありはしない。イラク人ひとりひとりに覆いかぶさっている恐怖の黒く厚い雲を埋め合わせてくれるものなんてありはしない。手に負えなく怖しいものは、名前が「スンニ的」か「シーア的」かなんて馬鹿げたことで区別されること。もっと恐ろしいもの-戦車に乗ったアメリカ兵、地域をパトロールする黒いバンダナに緑の旗を持った警察、検問の黒い覆面をしたイラク軍兵士。

もう一度、自らに問いかえさざるを得ないのだけど、なぜこのようなことすべてが起こったのか?修復できないほどにイラクを破壊した理由は何だったのか?イランだけが得をしたように見える。イラクでのイランの存在はとても確固としたものになっていて、聖職者やアヤトラを表立って批判しようものならそれは自殺行為だ。状況はもはやアメリカの力を超えて、修復不可能なところまで行ってしまったのだろうか?それともこれは最初からの計画の一部?考えるだけて頭が痛くなってしまうわ。

今一番わからないのは、なぜ火に油を注ぐようなことをするのかということ。スンニとシーア穏健派は南部の大きな都市や首都から追い出されつつある。バグダードはシーアが立ち去ったスンニ地域と、スンニが立ち去ったシーア地域とに引き裂かれていっている-ある地域は脅迫のもとで、またある地域は襲撃の恐怖のうちに。人々は検問で大っぴらに銃撃されたり、ゆきずりの車から撃たれて殺されていっている...多くの大学では授業を中止した。何千人ものイラク人たちはもはや子供たちを学校にやってはいない-安全ではないからだ。」

「ただ一つ確実に言えることは、アメリカ人たちはイラクから撤退したがっているのだけれど、本格的な内戦にしてから出たいのだろうということ、なぜなら、もし撤退して状況が実際に良くなってきたりしたらかっこ悪いから、違う?

ここ2006年の終わりにきてわたしは悲しい。国の状況のためだけに悲しいのではなく、私たちのイラク人としての人間性の状態のために。わたしたちはみんな、4年前に私たちが誇りにしてきた思いやりや礼節を失ってきている。わたし自身を例にとってみると、4年ほど前には、アメリカ兵の死を聞くたびにわたしは身を縮める思いをしていたものだった。彼らは占領者ではあるけれど、彼らもまた人間で、彼らがわたしの国で殺されていっていることを思うと眠れぬ夜を過ごしていた。彼らは海を越えてこの国を攻撃しに来たのだから気にすることはないのだけど、実際に同情していたのだ。

わたし自身のこういった気持ちをまさにこのブログに書きつづっていなかったならば、かつてわたしがそんな気持ちでいたことがあったなんて信じられなかっただろうと思う。今では、かれらは単なる数字でしかない。この4年近くの間に3000人のアメリカ人が死んだ?本当?それはイラク人の1ヵ月の死者数にも満たないじゃない。アメリカ人には家族がいた?それはお気の毒さま。わたしたちもおんなじよ。道端の遺体や遺体安置所で身元確認を待っている遺体たちもね。今日アンバールで死んだアメリカ兵の命はわたしの従兄弟の命よりもっと大切だって言うの?わたしはそうは思わないわ。従兄弟は6年もの間思い続けてきた女性と婚約したまさに先月のその夜に撃ち殺されたのよ。

アメリカ人の死者数の方が少ないからといって、アメリカ人の死の方がより重要だってことにはならないわよ。」

日本が日中戦争の泥沼に踏み込んでいった状況、アメリカがベトナム戦争の泥沼に踏み込んでいった状況と、今のイラクの状況とが、重なって見えます。
現地で起こっている状況が正確に知らされないまま、アメリカ政府は世論に動かされ、また実権を握った集団の力によって動かされ、悪い方に悪い方に転がっていくようです。

しかし日常の新聞記事にはイラクがあまり登場しません。国連で議論がされているとも報道されていません。新生イラク政府ができ、今ではイラクと米国との2国問題とみなされているのでしょうか。
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ニッポンの教育

2007-02-13 22:46:41 | 歴史・社会
日経新聞の朝刊1面で、「ニッポンの教育」シリーズが掲載されています。2月11日朝刊は、第2部「学び」とは何か④として、「揺れる『22歳の決断』」です。

中堅製薬会社を二年で辞め、フリーター生活5年目に入る29歳の男性が登場します。
東大の文科二類に現役で合格しますが、「そこで人生の目標を達成してしまった」ということで、大学時代を無為に過ごし、製薬会社の営業部で成績が上がらず、嫌になって退職したというのです。
「高度成長期からバブル期まで、名の通った会社に入社すれば終身雇用で守られていた。大学卒業後、十分な知識がなく会社に入っても大抵は会社が丸抱えで育ててくれた。
 が、バブル崩壊とグローバル競争の激化に伴う雇用の流動化が進んだ今、大学4年で迫られる『22歳の決断』が揺れる。自ら社員を育てる余裕を失った会社に決別する若手。新卒採用社員が就職後3年以内に離職する率は4割に迫る。」


同じ日経新聞朝刊の最終面、「私の履歴書」は、ダイキン工業会長の井上礼之氏です。
2月11日の記事
大学を卒業して、勧められるままにダイキン工業に入社したものの、特別な新人教育もないまま淀川製作所勤務を命じられ、工場の総務課庶務係に配属になります。採用面接で希望したのは花形部門の化学の営業でした。
仕事らしい仕事はなく、ただ一つ、任されたのはガリ版刷りです。
「不満がたまったからだろうか、入社して1年あまりたったある朝、突然『行くのをやめた』と思い、無断欠勤した。」
無断欠勤8日目に、同じ職場に勤務する大学の一年先輩が家までやって来ます。『お前はぼんぼんや。どこに行っても同じやで。』先輩訪問の3日後、会社に出ます。

2月12日の記事
10日間の無断欠勤のあと職場に復帰すると、今まで毛嫌いしていた係長はニヤッと笑っただけ、その上の課長も平然とした態度で、職場の人たちの優しさと人の弱さを包み込む寛容さを肌で感じ、会社の景色が全く違って見えてきます。

井上氏は、結局はダキイン工業の会長にまで上り詰めることになります。

上の記事に出てきた29歳フリーター氏の話と、ダイキン会長の井上氏の話の対比から何を感じ取るのか。
まずは、新入社員がしっかりと教育されないという同じようなシチュエーションでも、人によって対応はまちまちであり、一般論を導くことは難しいということです。

つぎに、最近は新人教育がおろそかにされているとの論調があるものの、今も昔も新人がほったらかしにされる状況は存在したということです。
ただし、高度成長期からバブル期に至るまでは、新人教育が充実しているという幸せな時代だったかもしれません。しかし長い日本の近代史の中で眺めると、結局は短期間の特異なできごとであったと認識すべきでしょう。

会社が手取り足取り新人を教育するのが当たり前で、そうでなかったら辞める、との態度であったら、新人離職率が増えるのは当然ということになります。離職が本人の幸せにつながるのなら良いのですが、そうでない場合の方が多いでしょう。

人間、一人で何から何まで手がけていくより、組織として、各人が得意技を出し合って分担して仕事をした方が大きな仕事ができます。そのために会社という組織があります。しかし組織である以上、各人の自由は束縛されます。また人間の集合体である以上、全体の中の各部分にはうまく機能していない部分もあるでしょうが、「そういうものだ」と理解した上で本人が対応すれば、いつか途は開けていくと思います。


教育と就職の問題を眺めるとき、まだまだいくつもの問題が見えてきます。
大学全入の時代を迎え、大卒者全員が大卒らしい仕事に就けないのは目に見えています。求人と求職のミスマッチです。「大卒らしい仕事」というのは、全就労者数のせいぜい2~3割程度しか存在しないように思います。
「大学には専門教育を期待しない」という企業側の要望に甘え、大学教育が職業というものを見据えてこなかったことは間違いないでしょう。企業が即戦力を求めるようになり、今になって大学があわてています。
学生も大学も、大学さえ卒業すればあとは社会が何とかしてくれるはずだ、という甘えを捨て、社会の荒波を自分で乗りきっていく覚悟を持つことも大事でしょう。
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バグダッドで大規模掃討作戦

2007-02-11 23:26:50 | 歴史・社会
産経新聞による報道
「AP通信によると、イラク駐留米軍報道官は7日、深刻な宗派対立による流血が続くイラクの首都バグダッドでの武装勢力に対する大規模掃討作戦を開始したと言明した。同通信は、最終的に投入されるイラク治安部隊と米軍の規模が8万5000人にのぼるとしており、米軍増派に国内で反対が強まっているブッシュ米政権にとっても威信をかけた作戦となる。」

先日バグダッド・バーニング2(アートン社発行)を紹介したばかりです。
この本の中で、著者のリバーベンド(ハンドル名)が実際に遭遇した掃討作戦(強制家宅捜索)の様子が描かれています。詳しく引用してみましょう。
2006年2月11日の数日前、リバーベンドはいとこのJ(16歳)の誕生パーティで、その日はおばの家に泊まります。

夜中の午前2時過ぎ、携帯電話が不通になっていることに気付きます。
「Jは突然警戒するような表情をし、何かを思い出したように『あー、これはー』と声を上げた。『R、あなたの横にある電話をチェックしてみて』私は横にある固定電話の受話器を上げ、息を殺して発信音を待った。何も聞こえない。
『前にもこういうことがあったわ』Jは続けた。『この地区が掃討作戦にあったとき』
最初、私には何も聞こえなかったけれど、そのうち自動車か何か乗り物の音がゆっくり近づいてくるのがわかった。Jは飛び上がって彼女の父親を揺り起こしに行った。

私はアンモ・Sが外に出て、道に面した門の大きな南京錠を外している音を聞き、『どうして鍵を全部はずしてしまうの、J?』と闇の中で叫んだ。『もし3秒以内に門を開けなければ、けだものたちがドアを壊すからよ。やつらはその後庭も家のなかも荒らし回るのよ』

もう午前4時だ。
部隊が近づくにつれ、外の騒音はだんだんと大きくなってきた。ドアを開けろと怒鳴ったり、ドアを銃でガンガン叩く音がときどき聞こえてきた。
この前おばの地区であった強制捜索では、彼らの住む通りからだけでも4人の男性が連れ去られた。二人は20代初めの学生で、一人は法学部、もう一人は工学部の学生だった。そして、三人目は60代初めのおじいさんだった。罪状も告げられなかったし、何かもめたわけでもなかった。ただ外に出るように命令され、白い小型トラックに乗せられ、他の地区からの男の人たちのグループと一緒に連れ去られた。家族はそれ以来彼らの消息を聞くことはなく、彼らが死体で発見されることを予測して、日に何回も死体保管所を訪れている。

午前5時過ぎ
彼らがやって来た。・・・・・つぎの瞬間、彼らは家の中にいた。突然家は、ドカドカと足を踏み鳴らし、あちこちの部屋に押し入って怒鳴り散らす見知らぬ男たちでいっぱいになった。もうめちゃくちゃだった。
突然、二人の男が居間に入ってきた。一人が私たちにカラシニコフ銃を向け、『お前らのほかに誰かここにいるか?』と、おばに吠えた。
   ・・・・・
突然外で誰かが大声で何か叫び、それは終わった。侵入してきたのとほぼ同じ速さで彼らは立ち去った。

後で知ったところでは、この日襲撃のあいだじゅう、アメリカ軍がこの地区を包囲して奴らを守っていた。これはアメリカ軍との共同作戦だったのだ。

おばの地区からだけでも、少なくとも12人の、19歳から40歳までの男たちが連行された。裏の通りには、50歳以下の男のいる家などひとつもない。弁護士、技術者、学生、ふつうの労働者達は、みんな新生イラクの『治安部隊』によって連行されてしまった。彼らに共通する唯一の事実は、彼らがスンニ派の家族であることだ。」

リバーベンドが体験したのと同じことが、今バグダッドの全域を舞台として繰り広げられているということでしょうか。
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