弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

参院選終了

2013-07-22 21:02:46 | 歴史・社会
参院選は昨日投開票がありました。

3年前の参院選、与党民主党が敗北した参院選でも、一人区の多さから、衆院選の小選挙区制と同じような効果(最多得票党の一人勝ち)の傾向が顕著でした。
昨日開票速報を聞いていると、選挙区で「今回から定員が2人から1人に変更になりました」という県がいくつもありました。一人区の数が前回より増えたということで、参院選の「小選挙区効果」は今回よりいっそう顕著になったということですね。

自民党の細田幹事長代行も本日のテレビ出演で、「比例区の自民党得票率は34%に過ぎず、決して過半数の支持を得たわけではない。小選挙区効果だ。」と低姿勢でした。

しかしそれにしても、定員5人の東京都選挙区で、自民党が2人とも当選するというのは、野党の不甲斐なさによるものだと思います。少なくともみんなの党と日本維新の会が選挙協力して候補をひとりに絞れば、自民党2人目をおしのけてその候補が当選したことでしょう。

日本維新の会は、昨年末の衆院選直前には太陽の党と合流し、みんなの党との選挙協力をご破算にしました。維新の会はメルトダウンするのかで書いたとおりです。
そして今回の参院選前には、橋下代表の慰安婦発言でずっこけ、みんなの党との選挙協力もなくなりました。5月19日に誰か橋下徹さんを止められないのかで懸念したとおりとなってしまいました。

橋下さんは、日本維新の会の代表を降り、当面は大阪維新の会の活動に専念するのがいいと思います。橋下さんがいなくなった日本維新の会は心棒を失いますから、空中分解することになるでしょうがその方がベターです。橋下さんには、大阪維新の会の原点に立ち戻って力を蓄えてほしいと思います。

なお、このブログは1週間更新が滞っていましたが、先週1週間は夏休みをいただいて旅行にでかけていました。
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マークボウデン著「ブラックホークダウン」(2)

2013-07-12 20:10:45 | 歴史・社会
前回に引き続き、マークボウデン著「ブラックホークダウン」の2回目です。
ブラックホーク・ダウン〈下〉―アメリカ最強特殊部隊の戦闘記録 (ハヤカワ文庫NF)
マーク ボウデン
早川書房

この作戦、全体としてみると、アメリカは大きな勘違いをしているし、アメリカの身勝手がその根底に見えます。
国連は、ソマリア人の飢餓を救うために来ているのであるし、米軍も同じ趣旨で駐留しているはずです。あくまでソマリア人のためであって、ソマリア人・ソマリア政府は敵ではありません。
そのソマリアが内戦状態にあり、最大勢力のアイディド派が国連や米軍に敵対してはいました。しかし、ソマリア政府の了解もなく、白昼に首都のど真ん中に乗り込んで武力でアイディド派幹部の拘束を計るというのはどうでしょうか。そもそも首都に住むソマリア人は親米ではなく、米軍を嫌っているのですから、迅速な撤収に失敗したら、本来は敵ではないモガディッシュ市民を殺戮しつつ撤退せざるを得ないことになります。
迅速な撤収に失敗し、大勢の市民(一部は武装)に取り囲まれたとき、米軍が降伏して捕虜となる覚悟があるのであれば、まだわかります。大勢の市民が暮らす首都の中心に乗り込むのですから、市民の犠牲を少なくするためには捕虜になる覚悟も必要でしょう。しかし米軍は、捕虜になる気など毛頭ありませんでした。
白昼にヘリコプターを飛ばしたら、地上からのロケット砲攻撃で撃墜される可能性があることを、部隊ではうすうす感づいていました。しかし司令部は危機意識に薄く、従来と同様の作戦計画を実行してしまいました。さらには、もしヘリコプターが撃墜されたら全力で搭乗員の救助に向かう、という方針も堅持しています。実際には2機のブラックホークが撃墜されました。現地部隊は第1のヘリ墜落地点に急行し、その場で完全に足止めされました。夜明け前にパキスタン軍戦車とマレーシア軍の装甲兵員輸送車を動員し、ほうほうの体で米軍基地に帰り着きますが、米軍側は総勢99人のうち19人が戦死しました。そして、この戦闘で米軍が殺害したソマリア人は500人を超えるだろうということです。500人の中には、非武装の市民、女性、子供も多く含まれるようです。
冷静に考えたら、ソマリア人を500人も殺害したことが正当化できるとはとても思えません。他国の首都に勝手に武力で乗り込んでおいて、たまたまヘリが撃墜されて現地に踏みとどまったわけです。怒れる数千人のソマリア人に取り囲まれたからといって、その市民達を殺害しつつ自軍基地に逃れる権利などないと思われます。

米軍は、ヘリの墜落に備え、救護要員と戦闘要員を乗せた救援へりを1機だけ用意していました。1機目のヘリ墜落に対応し、救援ヘリが急行し、墜落現場に救護要員と戦闘要員をロープ降下させました。また地上にいたレインジャー部隊とデルタフォースも1機目の墜落現場に駆けつけました。
一方、2機目に墜落したヘリに関しては、もう救援ヘリはありません。また、地上部隊も2機目の墜落現場には到達できませんでした。2機目墜落現場に派遣できる唯一の戦闘要員、それは上空で飛ぶヘリに搭乗していた2名のデルタフォース、ゲイリー・ゴードンとランディ・シュガートでした。墜落ヘリに向けては無数の武装した群衆が殺到していることを知りながら、この2名は従容としてロープ降下し、墜落現場に向かいました。
結局、2機目墜落ヘリに関しては、負傷した操縦士1名を除き、救援に向かった2名のデルタを含めて全員が死亡しました。

このモガディッシュ戦闘に関して我々が知っている唯一の事象は、戦死した米兵の死体を民衆が引き回し、その映像が全世界に流れたことです。その死体は2機目墜落ヘリの搭乗員でした。また、2機目墜落ヘリで負傷した操縦士は捕虜となり、これも映像が全世界に流れました。西側、特にアメリカでは、これら映像が強烈な印象として残りました。

当時のクリントン大統領は、この戦闘、特にアメリカの若者の死体が引き回される映像が流れたことに影響され、ソマリアからの引き揚げを決定しました。米軍が撤退したことで国連の活動も制限され、ソマリアの無政府状態が改善されることはありませんでした。モガディッシュの戦闘は、アメリカにとっても国連にとってもソマリア人にとっても不幸なできごとでした。

アメリカのアクション映画を見ていると、主人公と大勢の敵が戦闘する際、主人公には敵の弾丸が当たりませんが、主人公が撃つ弾はことごとく敵を倒していきます。「現実にこんなことが起きるはずがない」と今までは思っていましたが、こちらがデルタフォース、敵が武装した民衆や民兵であるような場合には、実際に起こるのですね。それほどに、デルタフォースと素人戦闘員との戦闘能力の差は歴然としています。双方の武器が小火器のみであっても。

著者のマーク・ボウデンが戦闘から3年後にこの戦闘について執筆しようと考えた当初、戦闘詳報は当然ながらすでにまとまっていると思っていました。ところが、大部の報告書などどこにもなかったのです。アメリカ人は、「一体何でこんなことになったのか」と徹底追求する人種だと思っていました。真珠湾攻撃の後がそうでした。ところが、モガディッシュの戦闘に関してのみは、その詳細を明らかにしようとする動きがなかったのです。
ボウデンの取材に対し、戦闘に参加した米兵(元米兵)は進んで取材に応じました。またボウデンはモガディッシュに出かけ、当日アメリカ軍兵士と闘った人々にインタビューも行いました。その膨大な取材結果からこの本が生まれたのです。
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門田隆将著「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」

2013-07-09 23:38:12 | 歴史・社会
まさに、下記の本を読み終わったところでした。
死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
門田隆将
PHP研究所

吉田昌郎さんの訃報に接し、驚いています。

本の帯には、『「私はあの時、自分と一緒に“死んでくれる”人間の顔を思い浮かべていた」』とあります。
2011年3月14日午後10時頃、2号機のサプレションチャンバーが破損して大量の放射能が放出される8時間前ですね。一度は下がり始めたはずの2号機の格納容器圧力がふたたび上昇に転じました。
吉田氏は、格納容器爆発という最悪の事態に備えて、協力企業の人たちに帰ってもらおうと声をかけました。その後、午前4時すぎ、吉田氏はふらりと椅子から立ち上がると、そのまま胡座をかいて座り込みました。周りのみんなはこれを見て、“もう最期だ”と思ったそうです。
このとき吉田氏は、「私はあの時、自分と一緒に“死んでくれる”人間の顔を思い浮かべていたんです」と回想しました。

東京において、官邸と東電社長との間で、「全員撤退と言った、言わない」の例の話が持ち上がっていた、まさにそのときです。

吉田氏がこの本の著者門田氏の取材を受けたのは、食道癌の手術が終わって、脳内出血で倒れるまでの短い期間、2012年7月のことでした。その取材を基礎にしてこの本ができあがっています。
吉田さんがこの本の取材以外にどのような記録を残したのかは現時点で不明です。ひょっとしたら、このときの取材と取材結果を基にしたこの本が、吉田さんの遺言であったかもしれません。

ご冥福をお祈り申し上げます。
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インターネット出願で通信エラー頻発

2013-07-06 11:02:06 | 弁理士
ここ数週間でしょうか、わが特許事務所のパソコンからインターネット出願ソフトで特許庁にオンライン手続きを行う際、通信エラーが頻発しています。
インターネット出願、その前のパソコン出願まで入れたら、13年以上にわたって日々特許庁にオンライン手続きを行っていますが、通信エラーの発生等皆無でした。それが最近になって頻発です。何かおかしい。それも、同じ事務所内では同じLANにつながった複数のパソコンでインターネット出願手続きを行っていますが、通信エラーが発生するのは私が使っているパソコン1台だけです。他のパソコンでは発生していません。
その都度、「処理の続行」を選択すれば最後には処理が完了するということで、今までは過ぎてきました。

先日も通信エラーが発生しました。そこで、今回こそ原因を究明しようと、エラーを表示する画面をハードコピーした上で、特許庁のサポート窓口に電話することとしました。

画面上には以下のメッセージが表示されています。
『V5IPX9999E 通信処理中に異常が発生しました。関数名[V5IPIP33_Reception]・・・』
サポート窓口への電話では、まず関数名を聞かれたので、上の関数名を回答しました。また、「ウィルスソフトに何を使っていますか」との質問に「ウィルスバスターです」と答えました。
すると、以下のような回答を得ました。

『最近、同じ現象が多く発生しています。本日も同じ質問が既にありました。ウィルスバスターとの関連があるようです。問題解決用のモジュールがメーカーのトレンドマイクロで準備されています。今からご案内するウィルスバスターのインターネットサイトにアクセスし、そのモジュールを入手して適用してください。』
そして、サポートの案内に従って、トレンドマイクロのお客様窓口にアクセスし、「メールでの問い合わせ」でメールを送りました。
特許庁サポートからの指示でメール本文に「特許庁ソフトでのトラブルについて]の文言を入れ、状況説明を行いました。

翌日、トレンドマイクロからの返答メールが届きました。
『お問い合わせいただいた現象につきましては、恐れ入りますが、現在弊社にて専用の修正モジュールを用意しております。』
そして、[VB2013_60_win_jp_AMSP25_Scan_hfb1428.exe] という名称のファイルがダウンロードされました。
さっそく、メールの指示に従ってこのファイルを実行し、修正モジュールを読み込ませました。

さて効果のほどは・・・。
修正モジュール導入後、まだ特許庁と通信していませんし、通信エラーの発生は1週間に1、2回発生する程度でしたから、この対策が効果を奏したかどうかを実感するには1週間以上待たなければならないでしょう。

もし同じ現象にお悩みの方がおられましたら、まずは特許庁サポート窓口に確認した上で、対策を講じられてみてはいかがでしょうか。
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マークボウデン著「ブラックホークダウン」

2013-07-03 21:10:18 | 歴史・社会
ブラックホーク・ダウン〈上〉―アメリカ最強特殊部隊の戦闘記録 (ハヤカワ文庫NF)
マーク ボウデン
早川書房

これは、1993年10月3日にソマリアの首都モガディシュで起きた戦闘の記録です。
当時、ソマリア内戦が泥沼化しており、戦争による難民の飢餓が国際的な課題となっていました。国連は食糧援助のためPKOによる軍事的介入を行いました。
ソマリアには米軍が駐留しておりまたしが、国連の指揮下にあるわけではなく、米国が単独で指揮下に置いていました。その米軍は、モガディッシュ市街のすぐ外にある飛行場に駐屯しているわけですから、米軍を脅威に陥れる強力な反対勢力がソマリアに存在していたわけではありません。種々の部族が相互に敵対して戦乱状況にあったのです。
しかしこの当時、モガディッシュ市民は米軍を忌み嫌っていました。市民の多くは小銃を保持しており、またハンディロケット砲を有する部族の民兵も市民に混じっていましたから、もし米軍が無防備に姿を現したら、市民が米兵に襲いかかるであろう状況でもありました。残念ながら。
アフガニスタンでもイラクでも同様ですが、善意で進駐する米軍が現地の人たちから忌み嫌われるというのは皮肉なことです。

国連と米軍に抵抗する最大武装勢力はアイディド派でした。米軍は、アイディド派の幹部二人がモガディッシュの中心部のある建物で会合するという情報をつかみました。そこで米軍は、真っ昼間にヘリコプターでこの建物を急襲し、幹部二人を拘束・拉致しようと企てるのです。
作戦はこうです。
ブラックホークヘリコプター搭乗したデルタフォース部隊が目標の建物にロープ降下して敵を急襲し、目標の幹部二人を拘束します。別のブラックホークヘリコプター4機にそれぞれレインジャー部隊が搭乗し、建物の周辺4箇所にロープ降下し、防御陣地を構築します。それと同時にハンヴィーとトラックからなる車列が米軍基地を出発して目標の建物に到着し、拘束した敵幹部を乗せて基地に帰還する、というのです。空からの攻撃支援として、リトルバードという攻撃ヘリコプターも参加しています。

それまで、米軍は同じような作戦を何回か行い、成功してきました。そのため今回も作戦は成功するだろうとふんでいました。
しかし、実態はそんなに簡単ではなかったのです。
アメリカ軍を攻撃する市民や民兵が有する武器は、大部分が小銃、それにロケット砲、少数の機関銃です。ロケット砲は対戦車砲であり、目標に衝突することによって起爆します。従って、ヘリコプターのような目標には向いていません。しかし彼らは、ロケット砲を改良していたのです。時限起爆装置を取り付け、発射してヘリコプターに到達した頃を見計らって爆発する手段を手に入れていました。そして、数打ちゃあたるでしょうか、このロケット砲によって、何と2機のブラックホークが目標建物近くで撃墜されてしまうのです。

米軍は確固たる方針を持っていて、「ヘリコプターが撃墜されたら、必ず搭乗者を助けに行く」ことにしていました。そこで、建物の4隅を防御していたレインジャー部隊も、目標を急襲したデルタフォースも、迅速に撤収する方針から、墜落したヘリコプターに向けて移動する方針に変更しました。この時点で、迅速な撤収という当初の計画が実現不可能になることが決まりました。

もう一つ、何千人というモガディッシュ市民が、米軍急襲現場に向けて集まってきました。この中には、武器を持たない人、小銃を手にした市民、民兵などが混じっています。いずれも、米軍に対する激しい怒りという点では共通していました。

このあと、戦闘は15時間に及びました。
かたや、勇敢で、卓越した戦闘能力を有している99人の米軍兵(ヘリコプターからの支援を含む)
他方は、勇敢で、戦闘能力は素人である市民が大部分の何千人というモガディッシュ市民(民兵を含む)

著書の中で、戦闘記録は詳細を究めます。あたかも自分が現場に居合わせているかのようです。
米兵は、当初は非武装の市民に向けて発砲することに躊躇がありましたが、非武装市民の後から民兵が撃ってきますから、しまいには、発砲がある限り、その周辺に非武装市民がいることにお構いなしに反撃を加えることとなりました。
レインジャー部隊、特にデルタフォースの戦闘能力は秀逸です。モガディッシュ側からの射撃はなかなか米兵に当たりませんが、米兵が撃つ小銃弾は間違いなく相手を倒しているようです。
「戦闘能力に優れる少数の歩兵部隊は、烏合の衆である大部隊を相手にしても負けない」ということを実感しました。

この書物が優れているのは、現場に遭遇したソマリア人にもインタビューを行い、ソマリア人から見た戦闘状況を明らかにしているところです。そのため、この戦いがソマリア人から見たら「正義の戦い」であることが見て取れます。

ソマリアに駐留する米軍は、戦車も装甲車も持っていません。そして、ハンヴィーとトラックでは、怒れる何千人のソマリア人に包囲された現場に到着することは不可能です。
一方、ソマリアには、マレーシア軍が装甲兵員輸送車、パキスタン軍が戦車を保有していました。急遽それらの部隊が米軍基地に招集されました。しかし、米軍、マレーシア軍、パキスタン軍が共同で作戦することなど今まで訓練でもやっていません。そのぶっつけ本番を、かれらは実行するのです。
夜が明ける直前、戦車と装甲車を含む車列は、米兵が死守していた地域に到着し、米兵はやっと窮地から脱出することができました。

この戦闘で、米軍側は19人の戦死者を出しました。一方のソマリア側は不明ですが、500人以上が死亡したであろうと推定されています。

以下次号。
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