新聞に、宮崎駿監督作品の映画「風立ちぬ」の全面広告が掲載されています。
絵には、『堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。「生きねば。」』の文字と、天空から舞い降りてくる一機の飛行機が描かれています。飛行機は、逆ガル形主翼、固定脚を持った単発プロペラ機です。
堀越二郎といえば零戦の設計主務者として有名です。
一方、逆ガル形主翼を持ったプロペラ戦闘機としては、アメリカのF4Uコルセアが有名です。もちろんコルセアは引き込み脚ですが。(下の写真:ウィキペディアから)
U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.253.7154.022
堀越二郎氏は、三菱内燃機名古屋航空機製作所の技術者として、七試艦戦(艦上戦闘機)、九試単戦(単座戦闘機)(後の九六式艦戦)、十二試艦戦(後の零戦)の設計主務者を務めています。初作品の七試艦戦(昭和7年)は失敗作でしたが、堀越氏にとってはいい練習台でした。そして、九試単戦(昭和9年)で一気に世界の最先端に躍り出ます。それからさらに、十二試艦戦(昭和12年)の成功により零戦の伝説を生み出すことになるのです。
さて、「風立ちぬ」の写真にある逆ガル形飛行機は一体何でしょうか。
七試艦戦は、こちらの写真によると主翼はやや逆ガルですが、固定脚のカバーがでかすぎます。
九試単戦についてウィキペディアでは、
『三菱の試作機は都合6機製作されたが、最初の試作一号機は逆ガル型の主翼を持ち、続く試作機や量産された九六艦戦とはかなり印象が異なる機体であった。実質的に九六艦戦の原型となったのは試作二号機ということになる。設計主務者は後継の零式艦上戦闘機の設計で知られる堀越二郎技師。日本で初めて全面的に沈頭鋲を採用した機体でもある。』
と説明しています。
そうすると、「風立ちぬ」の逆ガル形飛行機は、九試単戦の1号機がモデルということになるのでしょうか。
黒島 椿のアンニュイな日記に逆ガル形の写真が掲載されています。記事には、
『どうやら駿氏は九六式艦戦の試作型、9試単戦の2号機やら3号機(逆ガルのヤツです)がでてくる物語らしいです。』
『九六式艦戦の主翼は美しいです。』
の文言が出てきますが、正確には「九試単戦の1号機」というべきでしょうか。
九試単戦に基づいて制式採用となった九六式艦戦については、ウィキペディアに以下の写真が掲載されています。
三菱 A5M 九六式艦上戦闘機
第12航空隊所属の96艦戦2号2型機(A5M2b)後期生産機、増槽タンク装備。右に見えている3-104号機は前期生産機。後方に並んでいるのは96艦攻。
主翼途中(固定脚の位置)から若干反りが増加しているようには見えますが、逆ガルとまではいえないようです。
私の手許に、堀越二郎・奥宮正武著「零戦 (1975年)
」という書籍があります。この中に記載が見つかりました。
まず、54ページに九試単戦第一号機の写真があり、逆ガル形が明らかです。
次に57ページに以下の記載があります。
『三、翼の形と構造
低翼単葉機では、本質的に戦闘に必要な前下方の視界が悪いのはやむを得ない。当時は複葉やパラソル型からの移り変わりの時で、これが操縦者には予期以上に強く受け取られ、初めは低翼にともなう難問の一つだった。
そこで、この視界の問題と、一本柱の脚の強度、重量の問題との有利な解決策として、中央翼に大きい負の上反角を与え、脚の取り付け点付近から外方に大きな正の上反角を持たせた逆鷗(鴎)形配置を一号機に採用した。
この配置は、すでに述べた通り七試艦戦の時、佐波中佐から示唆されたが構造の複雑なことと安定上懸念があったので、その時は私は用心してこれを見送った。その後イギリスのスーパーマリーン社で、試作戦闘機(スピットファイアの前身)にこの型を採用したことが分かったので、一つこちらもやって見ようという気になった。が、この方法は、やはり翼の折れ目に気流の乱れが生じ、それが安定操縦性に悪影響を及ぼすおそれが大きく、この形式一本ヤリで進むことは危険と思われたので、二号機は初めから中央翼を水平に設計した。』
そうでしたか。堀越氏ご本人の記述ですから確かでしょう。これで、七試、九試、九六艦戦にいたる翼の形について統一的なストーリーが明らかになったと思います。
ところで、宮崎駿の「風立ちぬ」は、もともと雑誌「モデルグラフィックス」に連載した漫画が原作だそうです。モデルグラフィックスですか。懐かしい名前です。
Model Graphix (モデルグラフィックス) 2009年 03月号に、私が撮影した写真が掲載されたからです。ブログ記事Model Graphix誌・トラ・トラ・トラ!特集に顛末を書きました。
以下の拡大写真の右端に、「photo/Shunta Naito」と記されているとおりです。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/book/model2-s.jpg)
私にとって、堀越二郎、七試艦戦、九試単戦、十二試艦戦の知識は、第一に柳田邦男著「零式戦闘機 (文春文庫 や 1-1)
」に拠ります。この機会に、再度この本を紐解いてみたいと思っています。
ps 7/25 堀越・奥宮著「零戦」に掲載された逆ガル・九試単戦の写真は、こちらに掲載されていました(2枚のうち下の写真)。
ps2 9/23 Wikipediaに九試単戦1号機の写真が掲載されたので、こちらにも転載しておきます。
原典 あみあみ [キャラクター&ホビー通販] | 九六式艦上戦闘機と九試単座戦闘機の作り方(書籍・仮称)
絵には、『堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。「生きねば。」』の文字と、天空から舞い降りてくる一機の飛行機が描かれています。飛行機は、逆ガル形主翼、固定脚を持った単発プロペラ機です。
堀越二郎といえば零戦の設計主務者として有名です。
一方、逆ガル形主翼を持ったプロペラ戦闘機としては、アメリカのF4Uコルセアが有名です。もちろんコルセアは引き込み脚ですが。(下の写真:ウィキペディアから)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2b/F4U-1_VMF-213_on_USS_Copahee_1943.jpg/300px-F4U-1_VMF-213_on_USS_Copahee_1943.jpg)
堀越二郎氏は、三菱内燃機名古屋航空機製作所の技術者として、七試艦戦(艦上戦闘機)、九試単戦(単座戦闘機)(後の九六式艦戦)、十二試艦戦(後の零戦)の設計主務者を務めています。初作品の七試艦戦(昭和7年)は失敗作でしたが、堀越氏にとってはいい練習台でした。そして、九試単戦(昭和9年)で一気に世界の最先端に躍り出ます。それからさらに、十二試艦戦(昭和12年)の成功により零戦の伝説を生み出すことになるのです。
さて、「風立ちぬ」の写真にある逆ガル形飛行機は一体何でしょうか。
七試艦戦は、こちらの写真によると主翼はやや逆ガルですが、固定脚のカバーがでかすぎます。
九試単戦についてウィキペディアでは、
『三菱の試作機は都合6機製作されたが、最初の試作一号機は逆ガル型の主翼を持ち、続く試作機や量産された九六艦戦とはかなり印象が異なる機体であった。実質的に九六艦戦の原型となったのは試作二号機ということになる。設計主務者は後継の零式艦上戦闘機の設計で知られる堀越二郎技師。日本で初めて全面的に沈頭鋲を採用した機体でもある。』
と説明しています。
そうすると、「風立ちぬ」の逆ガル形飛行機は、九試単戦の1号機がモデルということになるのでしょうか。
黒島 椿のアンニュイな日記に逆ガル形の写真が掲載されています。記事には、
『どうやら駿氏は九六式艦戦の試作型、9試単戦の2号機やら3号機(逆ガルのヤツです)がでてくる物語らしいです。』
『九六式艦戦の主翼は美しいです。』
の文言が出てきますが、正確には「九試単戦の1号機」というべきでしょうか。
九試単戦に基づいて制式採用となった九六式艦戦については、ウィキペディアに以下の写真が掲載されています。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/A5M2b_3-104.jpg/300px-A5M2b_3-104.jpg)
第12航空隊所属の96艦戦2号2型機(A5M2b)後期生産機、増槽タンク装備。右に見えている3-104号機は前期生産機。後方に並んでいるのは96艦攻。
主翼途中(固定脚の位置)から若干反りが増加しているようには見えますが、逆ガルとまではいえないようです。
私の手許に、堀越二郎・奥宮正武著「零戦 (1975年)
まず、54ページに九試単戦第一号機の写真があり、逆ガル形が明らかです。
次に57ページに以下の記載があります。
『三、翼の形と構造
低翼単葉機では、本質的に戦闘に必要な前下方の視界が悪いのはやむを得ない。当時は複葉やパラソル型からの移り変わりの時で、これが操縦者には予期以上に強く受け取られ、初めは低翼にともなう難問の一つだった。
そこで、この視界の問題と、一本柱の脚の強度、重量の問題との有利な解決策として、中央翼に大きい負の上反角を与え、脚の取り付け点付近から外方に大きな正の上反角を持たせた逆鷗(鴎)形配置を一号機に採用した。
この配置は、すでに述べた通り七試艦戦の時、佐波中佐から示唆されたが構造の複雑なことと安定上懸念があったので、その時は私は用心してこれを見送った。その後イギリスのスーパーマリーン社で、試作戦闘機(スピットファイアの前身)にこの型を採用したことが分かったので、一つこちらもやって見ようという気になった。が、この方法は、やはり翼の折れ目に気流の乱れが生じ、それが安定操縦性に悪影響を及ぼすおそれが大きく、この形式一本ヤリで進むことは危険と思われたので、二号機は初めから中央翼を水平に設計した。』
そうでしたか。堀越氏ご本人の記述ですから確かでしょう。これで、七試、九試、九六艦戦にいたる翼の形について統一的なストーリーが明らかになったと思います。
ところで、宮崎駿の「風立ちぬ」は、もともと雑誌「モデルグラフィックス」に連載した漫画が原作だそうです。モデルグラフィックスですか。懐かしい名前です。
Model Graphix (モデルグラフィックス) 2009年 03月号に、私が撮影した写真が掲載されたからです。ブログ記事Model Graphix誌・トラ・トラ・トラ!特集に顛末を書きました。
![]() | Model Graphix (モデルグラフィックス) 2009年 03月号 [雑誌] |
クリエーター情報なし | |
大日本絵画 |
以下の拡大写真の右端に、「photo/Shunta Naito」と記されているとおりです。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog2/book/model2-s.jpg)
私にとって、堀越二郎、七試艦戦、九試単戦、十二試艦戦の知識は、第一に柳田邦男著「零式戦闘機 (文春文庫 や 1-1)
ps 7/25 堀越・奥宮著「零戦」に掲載された逆ガル・九試単戦の写真は、こちらに掲載されていました(2枚のうち下の写真)。
ps2 9/23 Wikipediaに九試単戦1号機の写真が掲載されたので、こちらにも転載しておきます。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/97/Kyushi_Tanza_Sentoki.jpg)