弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

米国トランプ政権と北朝鮮

2017-05-07 10:25:44 | 歴史・社会
米国トランプ政権と北朝鮮の関係が、ヒートアップしています。北朝鮮が、米国まで届く大陸間弾道弾の開発を進めており、同時に核兵器の開発を進めていることが原因です。しかし、大陸間弾道弾も核兵器も、今に始まったことではありません。なぜ急に、北朝鮮への武力攻撃まで含めた激しい話に拡大したのか。

北朝鮮が保有する、米国まで届く大陸間弾道弾は、液体燃料ロケットであり、米国の偵察衛星から丸見えの発射台において、何日間も準備しないと発射できません。従って、米国-北朝鮮間の関係が本当に一触即発になり、米国がミサイル攻撃を受ける蓋然性が高くなったそのときに、発射台上のロケットをピンポイントで空爆破壊しさえすれば、問題は解決してしまいます。
両国間が一触即発ではない平時において、北朝鮮が「人工衛星打ち上げ」と称してロケットを準備しているときはどうでしょうか。平時において、北朝鮮がアメリカに向けてミサイルを撃ち込むとは思えません。そんなことをしたら、次の瞬間には北朝鮮政権は攻撃を受けて崩壊するでしょうから。日本にしても、現時点で、北朝鮮の多数の弾道弾が日本に向けられていることを知っていながら、平時において北朝鮮が日本に弾道弾を撃ち込むことなどまったく想定していません。米国も同様の筈です。

今のアメリカ政府を見ていると、イラク戦争勃発時のアメリカ政府を思い出します。
イラク戦争が始まる前、私は、なぜアメリカがイラクに攻め込まなければならないのか、理解できませんでした。戦争が始まれば、大勢のイラク人が死に至るでしょう。曖昧な状況証拠のみに基づいて、人を死刑にするようなものではないのか。
しかし、当時のアメリカ政府はネオコンに牛耳られており、岡本行夫氏がアメリカで政府関係者と話をしても、「イラク戦争に反対するなどもってのほか」という雰囲気だったようです。
イラク戦争が終わってみれば、フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っているとの情報はガセネタであったし、戦後のイラクは破綻国家となり、ISの温床となりはてました。

今回のトランプ政権内の雰囲気も、イラク戦争開始時のブッシュ政権内の雰囲気と共通するものがあるのではないか、との危惧を感じます。
なぜ今、アメリカが北朝鮮に対してこれほど強面で対応しなければならないのか、理解できません。国務省の東アジア・極東担当の高官がまだ就任しておらず、いわゆるジャパンハンドと呼ばれる人たちも政権から遠ざかっているようです。アメリカ国内でのトランプ政権の支持率も低迷しています。このような中、アジアでの外交の機微を理解せずに、アメリカ国内での受けを狙って強面で接しているのではないか、と危惧します。
相手は何をしでかすか判らない金正恩ですから、米国の側からこのような瀬戸際外交を仕掛けたら、乗ってきて現実に戦端が開いてしまうかもしれません。

イラク戦争のとき、日本の小泉政権は、いち早くブッシュ大統領の方針を支持する側に回ってしまいました。今回の北朝鮮危機で、安倍政権としては、トランプの尻馬に乗るのではなく、危機回避のためにトランプ政権をコントロールする側に回って欲しいものです。
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安倍首相が憲法改正の方向提示

2017-05-05 12:22:17 | 歴史・社会
私が憲法記念日によせてとして記事をアップした当日、安倍首相が日本会議の会合にビデオメッセージを寄せていたのですね。
安倍晋三首相が改憲に強い意欲 9条に自衛隊明記 教育無償化にも前向き
2017.5.3産経ニュース
『安倍晋三首相(自民党総裁)は3日、改憲派の集会にビデオメッセージを寄せ、憲法改正について「2020(平成32)年を新しい憲法が施行される年にしたい」と述べた。』
憲法9条関連では以下のように述べています。
『憲法改正は、自由民主党の立党以来の党是です。自民党結党者の悲願であり、歴代の総裁が受け継いでまいりました。私が総理・総裁であった10年前、施行60年の年に国民投票法が成立し、改正に向けての一歩を踏み出すことができました。しかし、憲法はたった一字も変わることなく、施行70年の節目を迎えるに至りました。
 ・・・
わが党、自由民主党は、未来に、国民に責任を持つ政党として、憲法審査会における具体的な議論をリードし、その歴史的使命を果たしてまいりたいと思います。
例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命がけで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く。その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、いまなお存在しています。「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任です。
私は、少なくとも私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置付け、「自衛隊が違憲かもしれない」などの議論が生まれる余地をなくすべきであると考えます。
もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けてしっかりと、堅持していかなければなりません。そこで、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います。』

日本が、国連の平和維持活動に自衛隊を派遣することによって国際平和に貢献しようとしたら、現在の憲法9条のもとでは対応できない、ということは、例えば伊勢崎賢治氏が述べています。
日本はずっと昔に自衛隊PKO派遣の「資格」を失っていた! 誰も言わない本当の論点
ルワンダでの苦い経験以降、国連は、方針を変更しました。
『平和維持活動国で内戦が深刻化して住民の生命が危険にさらされたとき、「住民の保護」を目的として、国連部隊自らが「交戦主体」となる。国際人道法に違反した場合、国連部隊の軍事要員は、それぞれの国内裁判所で起訴の対象となる。』
ところが、日本の憲法9条2項で、「国の交戦権は、これを認めない。」としています。素直に読めば、PKOに派遣された日本国自衛隊は、交戦主体となり得ません。
また、日本は軍法を持っていないので、国際人道法違反容疑の自衛隊員を、国内法で裁けません。日本国刑法は、国外での過失犯を裁けないのです。
従って、日本が、国連の平和維持活動に自衛隊を派遣することによって国際平和に貢献しようとしたら、自衛隊に交戦権を付与する必要があり、憲法9条2項「国の交戦権は、これを認めない。」を削除する必要があります。また、軍事法典と軍事法廷を設ける必要があります。

安倍総理はビデオメッセージで「9条1項、2項を残しつつ」としていますが、2項の「交戦権否定」をどのように捉えているのでしょうか。
軍事法廷については、自民党憲法草案が参考になります。
9条の2第5項「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。」

さて、「あなたは憲法9条の改正に賛成なのか」と聞かれれば、「9条の改正に賛成です。ただし、前提条件があります。」と答えるでしょう。その前提条件とは、・・・
2年前、「安全保障関連法案」の記事で明らかにしたことですが
《先の戦争の総括》
日中戦争にしろ太平洋戦争にしろ、日本国がそれら戦争を始めたこともさることながら、「どのような戦争をしたか」という点で日本は大きな責任を持っていると感じています。
このブログ記事から拾うと、
吉井義明「草の根のファシズム」
保坂正康「昭和陸軍の研究」
私が読んだその他の著書としては、
秦郁彦著「南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)
小松真一著「虜人日記 (ちくま学芸文庫)
石川達三「生きている兵隊 (中公文庫)
五味川純平「人間の条件〈上〉 (岩波現代文庫)
が挙げられます。

私の印象では、戦後、日本は自分たちがしてきた戦争の内実をきちんと総括してきていません。責任を曖昧にしてきました。なぜ日本はそのような曖昧な態度で終始することが許されたか。私はこれを、「日本は憲法9条に逃げ込んだ」と表現しました。「日本は戦争を放棄したのだから、これから戦争を起こすことはない。だから、済んだことは良いじゃないか」といった態度です。
ところが、世界情勢が変化して、日本も憲法9条を改正し、自衛隊、交戦権を合法化して抑止力を確保し、それをもって世界平和に貢献すべきときが来ました。そうなるとどうなるか。
「戦争放棄」で臭いものに蓋をしていたのに、その蓋を取り払わなければなりません。
本来であれば、「これこの通り、日本は自分たちが行った戦争についてきちんと総括した。その結果、日本は平和の維持のためにしか軍事力を行使しない国になった。だからこそ、9条を改正して自衛隊と交戦権を合法化し、世界平和に貢献していく。」と正々堂々と主張すべきなのに、それができないのです。
野党は集団的自衛権のときと同様、「戦争をする国にするのか」と反論することになるでしょう。これなど、「日本は凶暴な国だ。武器を持たせると凶暴になるから、今まで武器を封印してきた。ここで武器を持たせたら、気違いに刃物だ」と言っているようなものです。自分が国会の一員であるこの国についてです。

韓国や中国から謝罪を要求されると、「いつまで謝罪をしていたら気が済むのだ」との言い方がされます。しかし、ドイツのメルケル首相はポーランド国民に対し、今でも折に触れて謝罪し続けています(川口マーン惠美「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」)。

以上のとおり、私は、憲法9条の改正に賛成ではあるが、その前提として、先の戦争で日本がしてきたことについてきちんと総括することが必要である、との立場です。しかし、今更、自民党政権は先の戦争の総括を真摯に行うなどの方向には向かわないでしょうね。そうなると、私は「憲法9条改正反対」と表明することになります。
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憲法記念日によせて

2017-05-03 17:08:25 | 歴史・社会
本日は憲法記念日です。
以前、国会で、安倍総理が野党から「どのような内容の憲法に改正したいのか」と問われると、「憲法改正の方向は憲法審査会で論議すべきもので、私から述べるものではない」と答弁していました。
一方で、憲法記念日を前にして自民党の会(新憲法制定議員同盟)に出席すると、「(改憲の)機は熟した」とハッパをかけています。
自らは改憲の方針を有していないのに、一体どのような「改憲」の機が熟したのでしょうか。
同じ会合で、議連の会長・中曽根元総理は、「明治憲法は薩長同盟という藩閥政治の力の所産であり、現行憲法はマッカーサーの超法規的力が働いたことを考えれば、憲法改正はその内容にもまして、国民参加のもとに国民自らの手で国民総意に基づく初めての憲法をつくり上げるという作業だろうと自覚する。」と述べていました。

確かに、現行憲法は、日本が連合国の施政権下にある時期に、連合軍総司令部に示された英語草案をほとんど直訳してできあがったものです。その意味では確かに異常です。
マッカーサー総司令部から示された草案ですが、私は、「米国から強要された」とは思っていません。たまたま連合軍総司令部(GHQ-SCAP)の民政局に勤務していた少数の者たちが、(自国では認められなかった)自分の理想を日本国に実現したいとの希求の元、短時間で執筆したものと理解しています。
日本国民はこの新憲法を受け入れました。そして現在に至るまで、日本国民は現行憲法におおよそ満足しているものと、私は観ています。

マッカーサーが新憲法制定を急いだ理由、そして当時の吉田総理がそれを受け入れた理由は、早く憲法改正を行わないと、当時の極東委員会から「天皇制廃止」を言い出されかねない、という事情があったからだと、確か吉田茂本人が述べていたと記憶しています。

「自国の憲法は、国が完全に独立しているときに、国民の総意で決定すべき」というのは確かにその通りです。一方、現行憲法がその原則から外れるといっても、「だから全部ダメ」とは思いません。
必要に応じて、憲法の一部を改正することはされるべきです。一部改正のチャンスが生まれるのであれば、そして、現行憲法の制定過程がどうしても気持ち悪いのであれば、一部改正のチャンスに、憲法の残りの部分について信認投票を行ってもよろしいでしょう。

現行憲法の制定過程が気持ち悪い、というのであれば、自民党が制定した憲法改正草案の方がよっぽど気持ち悪いです。
私は、あたらしい憲法草案のはなしを持っています。自民党憲法草案について記述した本です。憲法論議では必要ですので、持っておくと便利です。
自民党草案のポイントをピックアップしておきます。
前文の冒頭:(現行)「日本国民は」→(改正)「日本国は」
第1条:(現行)「天皇は、日本国の象徴であり」→(改正)「天皇は、日本国の元首であり」
第3条第2項:(改正)「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」
第9条:現行2項の「国の交戦権は、これを認めない。」→削除
(改正)9条の新設2項、新設の9条の2(1~5項)、9条の3にて、安全保障について詳細に規定
第13条:(現行)「すべての国民は、個人として尊重される」→(改正)「すべての国民は、人として尊重される」
第24条1項:(新設)「家族は互いに助け合わなければならない」
《国民の義務》
3条:国旗及び国歌の尊重、9条:領土、領海及び領空の保全、12条:常に公益及び公共の秩序に反してはならない、24条:家族は互いに助け合わなければならない
《憲法を尊重する義務》
(現行)99条:国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員が、憲法尊重と擁護の義務
(改正)102条:憲法尊重の義務は国民が負う。国務大臣などは憲法擁護の義務を負う。

現行憲法の前文については、改正の議論の前に、「現行憲法の前文は、実はどのような意味内容を有しているのか」という点について疑問を持っています。今まで、このブログでも何回もアップしてきました。
日本国憲法は、GHQから提示された英語草案に基づいて、というかほとんどの部分はそのまま翻訳した文章が条文となっています。前文もそうです。
日本国憲法の前文は、美辞麗句が並んでいるものの正確な意味がよくわかりません。ところが、元になった英語草案を読むと、日本語では表現されないさまざまな情報が浮かび上がってきて、条文解釈をする上で非常に役に立ちます。このブログでも何回か紹介してきました。
憲法前文GHQ草案
第1段落 → 「日本国憲法前文(2)
第2段落 → 「日本国憲法前文(3)」(この部分は2012年12月に自民党安倍総裁に意見を提出しました(日本国憲法前文・三たび))
第3段落 → 「日本国憲法前文(1)
残念ながら、この疑問についての議論はまったく見ることができません。憲法改正の議論の前に、「現行憲法の条文は、実は何を意味しているのか」を徹底議論したいものです。
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