日本史教科書の文科省検定で昨年、「沖縄戦での民間人集団自決が日本軍の強制による」との記述に対して修正を求める検定意見が付き、教科書は修正されて発行されました。
この検定に対して、反論が高揚し、政府は教科書の記述を元に戻す方向で動いています。
「集団自決は軍命令によるのか否か」という議論を行うに際し、「軍命令」をどのように捉えるかで結論が変わります。
「軍命令」「師団命令」「大隊命令」などの形で、オフィシャルに民間人の集団自決を命令した事例は多分ないのだと思います。
実態は、民間人もいさぎよく自決すべきだという「空気」が民間人側にも軍人側にもあり、その「空気」に従って手榴弾が民間人に配布されます。
一方、最終決断は、民間人と軍人がともに隠れている洞窟のそれぞれで異なっていたのではないかと推測されます。
ある洞窟に隠れている軍人の最先任将校(下士官)の例えば少尉が、「我々軍人は最後まで戦うが、あなた方民間人は米軍に降伏しなさい。」と指導した場合、その洞窟に隠れる民間人は助かりました。そのような事例はよく聞きます。従軍看護婦が書いた本で記憶があります。
一方、別の洞窟の最先任である例えば伍長が、民間人に「最後はこれで自決しろ」と手榴弾を配れば、受け取った民間人はこれを当然ながら「軍命令」と捉えるでしょう。たとえその伍長が単なる「空気」に基づいて手榴弾を配ったとしても。
多分、「軍命令はなかった」と主張している人たちは、「オフィシャルな軍命令はなかった」と言っているのでしょう。これ自体は上記のように誤りではありません。
しかし沖縄の人たちにしてみれば、たとえ伍長からでも「これで自決しろ」と手榴弾を渡されたら、立派な「軍命令」です。
今回の議論では、「軍命令」を柔軟に捉え、沖縄の人たちが主張するように理解すべきと思います。
月刊誌「世界」11月号に安田浩一氏が「誰が教科書記述を修正させたか」を載せています。
昨年12月末、教科書会社の編集者、執筆者が文部科学省を訪れると、同省の教科書調査官から指摘を受けます。
「軍隊から何らかの強制力が働いたかのような受け取られ方をしてしまう。この表現は、ちょっと避けてもらえませんか。」
教科書会社の編集者は「これだけは絶対に譲ることはできないとでもいうような、文部官僚の"決断"だけは伝わってきました」と述懐します。
2005年、自由主義史観研究会の代表を務める藤岡信勝拓殖大学教授らが沖縄を訪問します。その後、藤岡氏は「現地調査を行った結果、旧日本軍が沖縄住民に集団自決を強要したというのは虚構があることが判明した」と報告します。
今回の教科書書き換えを迫った調査官は、村瀬信一氏という人だそうです。
藤岡氏と村瀬氏の関係について、世界の記事では、「藤岡氏は、『新しい歴史教科書をつくる会』を立ち上げたことで知られる。現在、藤岡教授は『つくる会』の会長だ。村瀬氏は、『つくる会』教科書を監修した伊藤隆・東大名誉教授の弟子である」という関係を紹介しています。
また世界の記事では、まだ強気だった頃の安倍内閣時代にすべてが進行したことを留意すべきとしています。
それにしても、このような社会問題になるような動きが、たった一人の文科省調査官の力で行い得るものなのでしょうか。
文部科学大臣の公式見解では、「検定に関しては、最終的に外部の学識経験者によって組織される検定調査審議会が決めるもので、調査官をはじめとする文科省の意思など反映させることができない、口出しなどできない」と言っているようです。
ところが、民主党の川内博史代議士の調査によると、審議会による「検定意見書」の内容は、文科省調査官による「調査意見書」とまるで同じ記述・内容だったのです。そして、審議会において、集団自決に関しては何の議論もされなかったというのです。
この検定に対して、反論が高揚し、政府は教科書の記述を元に戻す方向で動いています。
「集団自決は軍命令によるのか否か」という議論を行うに際し、「軍命令」をどのように捉えるかで結論が変わります。
「軍命令」「師団命令」「大隊命令」などの形で、オフィシャルに民間人の集団自決を命令した事例は多分ないのだと思います。
実態は、民間人もいさぎよく自決すべきだという「空気」が民間人側にも軍人側にもあり、その「空気」に従って手榴弾が民間人に配布されます。
一方、最終決断は、民間人と軍人がともに隠れている洞窟のそれぞれで異なっていたのではないかと推測されます。
ある洞窟に隠れている軍人の最先任将校(下士官)の例えば少尉が、「我々軍人は最後まで戦うが、あなた方民間人は米軍に降伏しなさい。」と指導した場合、その洞窟に隠れる民間人は助かりました。そのような事例はよく聞きます。従軍看護婦が書いた本で記憶があります。
一方、別の洞窟の最先任である例えば伍長が、民間人に「最後はこれで自決しろ」と手榴弾を配れば、受け取った民間人はこれを当然ながら「軍命令」と捉えるでしょう。たとえその伍長が単なる「空気」に基づいて手榴弾を配ったとしても。
多分、「軍命令はなかった」と主張している人たちは、「オフィシャルな軍命令はなかった」と言っているのでしょう。これ自体は上記のように誤りではありません。
しかし沖縄の人たちにしてみれば、たとえ伍長からでも「これで自決しろ」と手榴弾を渡されたら、立派な「軍命令」です。
今回の議論では、「軍命令」を柔軟に捉え、沖縄の人たちが主張するように理解すべきと思います。
月刊誌「世界」11月号に安田浩一氏が「誰が教科書記述を修正させたか」を載せています。
昨年12月末、教科書会社の編集者、執筆者が文部科学省を訪れると、同省の教科書調査官から指摘を受けます。
「軍隊から何らかの強制力が働いたかのような受け取られ方をしてしまう。この表現は、ちょっと避けてもらえませんか。」
教科書会社の編集者は「これだけは絶対に譲ることはできないとでもいうような、文部官僚の"決断"だけは伝わってきました」と述懐します。
2005年、自由主義史観研究会の代表を務める藤岡信勝拓殖大学教授らが沖縄を訪問します。その後、藤岡氏は「現地調査を行った結果、旧日本軍が沖縄住民に集団自決を強要したというのは虚構があることが判明した」と報告します。
今回の教科書書き換えを迫った調査官は、村瀬信一氏という人だそうです。
藤岡氏と村瀬氏の関係について、世界の記事では、「藤岡氏は、『新しい歴史教科書をつくる会』を立ち上げたことで知られる。現在、藤岡教授は『つくる会』の会長だ。村瀬氏は、『つくる会』教科書を監修した伊藤隆・東大名誉教授の弟子である」という関係を紹介しています。
また世界の記事では、まだ強気だった頃の安倍内閣時代にすべてが進行したことを留意すべきとしています。
それにしても、このような社会問題になるような動きが、たった一人の文科省調査官の力で行い得るものなのでしょうか。
文部科学大臣の公式見解では、「検定に関しては、最終的に外部の学識経験者によって組織される検定調査審議会が決めるもので、調査官をはじめとする文科省の意思など反映させることができない、口出しなどできない」と言っているようです。
ところが、民主党の川内博史代議士の調査によると、審議会による「検定意見書」の内容は、文科省調査官による「調査意見書」とまるで同じ記述・内容だったのです。そして、審議会において、集団自決に関しては何の議論もされなかったというのです。