弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

原発1号機の水素爆発~官邸と調整で公表遅れ

2011-11-28 21:25:06 | サイエンス・パソコン
11月27日の日経朝刊1面には、「原発1号機の水素爆発~官邸と調整で公表遅れ~事故調に保安院証言」という記事が掲載されています。
ネットニュースを見てもこのニュースをフォローする記事が現れませんが、どのような扱いなのでしょうか。
『東京電力福島第1原子力発電所1号機が3月12日に水素爆発を起こす直前に、首相官邸から経済産業省原子力安全・保安院に対し、重要な発表は官邸と事前に調整するよう指示が出ていたことが関係者の話で明らかになった。水素爆発を含むその後の重要事項の公表遅れを招いた可能性がある。政府の事故調査・検証委員会も関心を寄せており、12月の中間報告に関連事実を盛り込む方向で調査を進めている。』
『官邸や保安院の関係者によると、官邸の指示のきっかけは、保安院の審議官が「炉心溶融の可能性がある」と述べた12日午後2時の記者会見。審議官は会見前に保安院幹部と相談。保安院は重要事項を1時間以内に公表することになっており、早急に公表すべきだと判断した。』
このあと官邸は、①会見前に官邸と内容を調整②重要事項は官房長官が先に公表-と指示しました。
『この指示直後、午後3時36分に1号機が水素爆発した。保安院の報告を受け「何らかの爆発的事象があった」と枝野前官房長官が会見で公表したのは2時間以上後の午後6時前だった。』

この新聞記事は、官邸の指示の結果として、「公表が2時間も遅くなった」ことのみを問題としています。
しかしもっと重要な問題があります。
12日午後2時の保安院会見では、正しく「炉心溶融の可能性がある」と会見したのに対し、上記官邸の指示があった以降、官邸も保安院も「炉心溶融」について固く口を閉ざしました。そして、官邸と東電が「津波来襲直後から炉心溶融が起こっていた」と白状したのは、そのずっと後です。いつのことだったか忘れてしまいましたが。
3月12日午後の時点で、官邸が「炉心溶融」を隠蔽しようと画策した状況については、3月23日に「原子力安全保安院はどうなっているのか」で記事にしたとおりです。

もう一つ、福島第一原発の吉田所長が病気療養のために所長から外れた、というニュースが入りました。
福島第1原発の吉田所長が入院、退任へ
産経新聞 11月28日(月)15時36分配信
『東京電力は28日、福島第1原子力発電所で事故当初から陣頭指揮をとってきた吉田昌郎所長(56)が病気療養のため入院したことを明らかにした。東電は同日の取締役会で、吉田氏を所長から外し、原子力・立地本部付けとする役員人事を決定。医師からは放射線被曝との因果関係は指摘されていないという。』

5月27日に「第1原発の吉田所長とは」で記事にしたとおり、吉田所長は東工大の機械物理工学科を昭和52年に卒業し、同大大学院で原子核工学を54年に修了し東電へ入社しました。学部は私の後輩に当たります。
本当にご苦労さまでした。一日も早く病気を治して現場に復帰してください。
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イニシャルDと碓氷峠めがね橋

2011-11-25 19:12:20 | 趣味・読書
私は、信越本線の在来線について、つい最近まで以下のように信じていました。
○ 上野発の信越本線在来線で、長野や直江津まで行くことができる。
○ 横川-軽井沢間の碓氷峠越えには、アプト式が使われている。
アプト式とは、急勾配の上り下りをするための鉄道の駆動方式であり、レール側にぎざぎざのついたラックレールを配置し、機関車にピニオンギアを配置して両者をかみ合わせ、駆動力を得るという方式です(ウィキ)。

東北大震災直後、関東地方は計画停電となりました。夏にも計画停電が実施されたら大変なことになります。そこで、中部電力管内に避難することを検討しました。小諸や軽井沢近辺であれば、中部電力管内だし夏は涼しいので好都合です。
調べてみたら、横川-軽井沢間の在来鉄道が消え失せているではないですか。東京から小諸へ行こうと思ったら、在来線で行くことはできず、長野新幹線で軽井沢か佐久平に行き、そこから第三セクターのしなの鉄道線に乗り換えなければなりません。
うかつにもそのことを知らずにいたのです。

碓氷峠のアプト式についても、最近まで稼働していると思い込んでいたのですが、ずいぶん昔(1963年)には廃止されて別の方式(粘着運転)に変わっていたのでした。このこともうかつにも知りませんでした。

話変わって、最近アニマックスで連続アニメ「イニシャルD(頭文字D)」シリーズが放映されており、わが家では毎日楽しみにしています。本日(25日24時)はセカンドステージの最終回ですね。
先日は、午前0時からはじまるファーストステージ、セカンドステージとは別に、「頭文字D Extra Stage 2」の放送がありました。主に碓氷峠を根拠地とする佐藤真子と沙雪を主役とした番外編です。
見ていると、碓氷の峠道の場面で頻繁に、古代ローマ水道のようなアーチ橋が背景に現れます。何か意味があるに違いありません。

ひょっとして、アプト式の鉄道橋?

そこで調べてみたら、確かにありました。
作者 Tam0031さん
群馬県松井田町、旧信越本線の碓氷第3橋梁

「碓氷峠(ウィキ)」でも説明されているように、碓氷第3橋梁(めがね橋)と呼ばれ、碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、アプト式鉄道時代に使われた鉄道橋のようです。1893年竣工です。重要文化財に指定されており、世界遺産の暫定リスト入りもしています。
碓氷峠のシンボルになっているのですね。

調べてみたら、イニシャルDの舞台を車で訪ね歩く旅をしている人が多いようです。私たちもいつか、秋名山(榛名山)~スピードスターズ、赤城山~レッドサンズ、妙義山~ナイトキッズ、碓氷峠~インパクトブルー、いろは坂~エンペラー、正丸峠~秋山兄妹を順番に訪ね歩いてみたいものです。

話は戻って小諸です。
小諸と言えば、長野へ向かう玄関口、小海線の始発駅など、重要な地方都市として認識していました。藤村の「千曲川旅情の歌」でも有名です。
それなのに、長野新幹線が開通して在来線の信越本線が変化した結果として、小諸駅にはJRが来なくなったのですね。これは小諸市としては大事件ではないでしょうか。ウィキで小諸駅を調べたところ、やはり書いてありました。「東京から乗り換えなしで小諸に至ることも不可能となり、地元経済・観光ともども大きな影響を受けている」とのことです。
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東電発表「1号機の非常用復水器動作状況評価」

2011-11-23 20:25:40 | サイエンス・パソコン
11月22日、東電は「福島第一原子力発電所1号機非常用復水器の動作状況の評価について(pdf)」という資料を記者会見配付資料として公表しました。

津波来襲らか1号機水素爆発に至る初期段階において、1号機の非常用復水器がどのように作動していたのかについては、今までも、5月23日東電報告書(pdf)、6月18日東電報告書(pdf)、NHKニュース 8月17日(冷却装置停止 所長ら把握せず)で公表された事実に基づいて解析を行い、「5月23日東電報告書(2)1号機)」、「6月18日東電報告書(2)1号機」に記事にしました。
そしてそれらをまとめ、「非常用復水器の動作メカニズム」、8月18日の「1号機の非常用復水器稼働状況」の記事を書きました。
さらに先日、1号機非常用復水器の潜在的可能性において、非常用復水器がきちんと動作する環境が整えられれば、全交流電源喪失時にも原子炉を有効に冷却できるのではないかとの推計を記事にしました。

今回、11月22日に公表された資料では、今までに知られていた事実にさらにどのような新規判明事実が加わり、その結果、発生事象の推測がどこまで進展したのでしょうか。

従来は、以下のような推定がなされていました。
[3月11日]
14:52 非常用復水器(IC)自動起動
15:03頃~ ICによる原子炉圧力の急激低下を防止するため、ICのオン・オフを手動で行う。IC2系統(A系、B系)のうち、B系は停止し、A系のみでオン・オフを行っていた。
15:37 全交流電源喪失
  津波来襲時、「非常用復水器の配管破断」有無を検出するための計器の直流電源が失われ、フェールセーフ動作として「非常用復水器の配管が破断した」という信号が発信され、これによって非常用復水器の隔離弁が自動的に閉操作した可能性がある。
18:18 一時的に操作盤のランプがともり、A系のバルブが「閉」であることがわかったので、A系の戻り配管隔離弁(MO-3A)、供給配管隔離弁(MO-2A)の開操作実施、蒸気発生を確認。
18:25 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)閉操作。
  「復水器が起動していれば発生するはずの蒸気が確認できなかったため、1号機の運転員が復水器の中の水がなくなっていわゆる『空だき』になっていると疑い、装置が壊れるのを防ごうと運転を停止した」と証言しています。
21:30 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)開操作実施、蒸気発生を確認。

それでは今回公表された報告書を読み解きます。
『10 月18 日に実施した現場調査で、格納容器外側の機器、配管に冷却材の流出に至るような損傷は確認されなかった。また、現場で確認したICの冷却水量を示す胴側水位レベルについてもA系が65%、B系が85%であることを確認した。』
これが新たな判明事項ですね。地震発生直後の冷却水量は80%弱とのことです。

『ICの冷却水温度のチャート(平成23 年5月16 日公表済:図2に示す)を確認したところ、蒸気と冷却水の熱交換により、A系、B系ともに冷却水温度が上昇していることが確認できる。A系は自動起動した後、一旦停止するまでに約70℃まで上昇するが、その後も津波が到達する15 時30 分頃まで継続して上昇し約100℃に到達している。一方、B系は一旦停止する15 時以降、約70℃で一定となっている。』
今まで気づきませんでした。5月23日東電報告書に掲載されていなかったので目に留まらなかったのです。
A系の冷却水温度は、津波が来襲したときにちょうど100℃に到達しました。冷却水が蒸発して容量が減少するとしたらそれ以降です。そして、10月に確認したところA系の冷却水量が65%ということで、津波来襲後に冷却水量が80%から65%まで減少したということは、津波来襲後もA系が作動していたことを示します。
圧力容器とA系との循環ループには4つの弁(1A、2A、3A、4A)があり、1Aと4Aは格納容器の中なので状況確認できません。津波来襲時のフェールセーフ動作で閉指令が自動的に出されたものの、全閉とはならなかったのだろうと推定しています。津波来襲後もA系が作動していたことが分かったからです。

11日の21:30にA系の「開」操作を行ったにもかかわらず、A系の冷却水量は65%までしか減っておらず、ICによる冷却効果はきわめて限定的であったことがわかります。なぜ圧力容器をもっと冷やすことができなかったのか。今回の報告書に推定が記載されています。
『燃料の過熱に伴って、水-ジルコニウム反応により発生した水素がICの冷却管の中に滞留し、除熱性能が低下した可能性が考えられる。
時期は不明だが、遅くとも 12 日3時頃には原子炉圧力が低下していることから、この圧力の低下により原子炉で発生した蒸気のICへの流れ込む量が低下し、結果としてIC性能が低下した。』

以上のように、最近の調査結果を踏まえた今回の報告により、1号機非常用復水器がどのような状況にあったのかの推定が一歩前進しました。

長くなったので以下次号。
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南スーダンでのJCCP活動

2011-11-22 20:51:00 | 歴史・社会
11月18日 22:48~テレビ東京「地球VOCE」を見ました。瀬谷ルミ子さんのブログで、『現地取材で、JCCPの南スーダンでの活動が紹介されます!』『現地にタレントのルー大柴さんが訪問して、JCCP現地代表の日野愛子とともに、若者や子どもたちと活動に参加して頂きました。』と紹介されていたからです。

短い映像でしたが、
日本紛争予防センター(JCCP)が南スーダンで行っている活動(スラムの若者のライフスキル向上支援)の様子を垣間見ることができました。また、JCCP南スーダン代表の日野愛子さんが活動する様子も拝見できました。

私が瀬谷ルミ子著「職業は武装解除」(2)で紹介したように、瀬谷さんが事務局長を務める『JCCPの活動分野は、現地にニーズがあるのに、やり手がいないために問題が解決されないままになっているものに特化している。』ということで、南スーダンでの活動もその一環です。南スーダンでは、ストレートチルドレンや若者に対して啓発と職業訓練を始めました(2009年)。2年間で200人を訓練し、その半数が無事に就職しました。
南スーダンではJCCPのほかにも、JICAが大々的に活動を行っています。これも先日、テレビ東京の番組(「地球VOCE」10月7日・14日放送分)で見ることができました。職業訓練所を開設し、日本人指導員が大勢で活動していました。活動内容はJICA 南スーダンで見ることができます。「自衛隊施設部隊が南スーダンPKO派遣」で記事にしたとおりです。

JCCP南スーダン代表をつとめる日野愛子さんとはどのような経歴の持ち主でしょうか。

JCCP NEWS 2011 年1 月31 日発行 / No.18の7ページに、「新任スタッフからのご挨拶」として日野さんのコメントが掲載されています。
『スーダン代表 日野 愛子(ひの あいこ)
自己紹介:
はじめまして。この度スーダン・ジュバ事務所に赴任いたしました。JCCP の一員として、「スーダン南部における子どもと若者へのライフスキル向上支援事業」を担当しています。南部スーダンの独立を問う住民投票を受け、スーダン南部及び周辺地域の平和と安定を目指すプロセスは正念場に差し掛かっていますが、JCCP のプロジェクトが平和促進の一助になればとの思いを持ち、気を引き締めて業務に取り組んでまいります。
略歴:
米国の大学院にて国際平和及び紛争解決学修士号を取得後、アジア及びアフリカにおける平和構築プロジェクトを管理・運営し、特に赴任地であったスーダンでは国連スーダンミッション及び国連地雷対策事務所等の国連機関と共同で地雷対策活動に従事。2008 年からは在ウガンダ日本国大使館にて経済協力調整員を務め、援助効果促進に係る取り組みのフォロー及び対ウガンダ日本ODA案件を管理。』

JCCPに参加される前は、難民を助ける会 スーダン・ハルツーム事務所駐在勤務をされていたようです。難民を助ける会のホームページに、「活動報告」として日野さんの記事が掲載されていました。
『地雷対策は除去だけじゃない!
スーダンの人々のための地雷回避教材が完成
[報告者] スーダン・ハルツーム事務所駐在 日野 愛子
奈良県出身。2005年10月より東京事務所で主に広報・支援者サービスを担当。その後2007年1月よりスーダンのハルツーム事務所駐在し、主に地雷回避教育事業を担当。大学では政治学を、大学院では国際平和と紛争解決学を専攻。外資系企業で勤務後、難民を助ける会へ。
[報告年月日] 2007年10月 』

JCCP職員として世界で活躍する日本人女性をもう一人紹介しましょう。
JCCPケニア代表の高井史代さんです。
JCCP NEWS 2011 年1 月31 日発行 / No.18の2ページに、「Kenya 暴動の記憶」として高井さんのレポートが掲載されています。
古い記録を探したら、ソンドウ/ミリウホームページに2002年2月かまど作りセミナー開くとの記事が見つかりました。
『海外青年協力隊の高井史代さんが、2月21-22日キスムで関係した9地区から20名の婦人会を招待して、かまど作りのセミナーを開き ました。レポートは別途掲載します。写真でまず味わって下さい。』
日本NGO支援無償資金協力事業完了報告書には
『4.来訪者(6)2006 年9 月
高井 史代在アンゴラ日本国大使館Grant for Grassroots Project 担当
元青年海外協力隊ケニア隊員』
との紹介がありました。
JCCPのケニア 現地レポート(2009年10月)には、ケニア事務所代表 高井 史代さんがケニア事務所での3つの事業を紹介されています。



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オリンパス問題と海外メディア

2011-11-19 22:36:47 | 歴史・社会
今回のオリンパス騒動のそもそもの発端となったのは、日本の雑誌FACTAの8月号に掲載された記事でした。多分こちらの記事『オリンパス 「無謀M&A」巨額損失の怪 零細企業3社の買収に700億円も投じて減損処理。連結自己資本が吹っ飛びかねない菊川体制の仮面を剥ぐ』(FACTA online 2011年8月号)と思います。

当時のオリンパス社長ウッドフォード氏はこの記事で初めてオリンパスの闇について知り、追求を始めました。ウッドフォード社長が調査会社に調査させたところ、ファクタの記事は根拠がありそうでした。社内での追求のため、当時の菊川会長兼CEOからCEO職を取り上げるまでは成し遂げたのですが、その直後に取締役会で社長を解任され、それだけではなくオリンパスから放逐されてしまいました。

オリンパス取締役会はウッドフォード氏を日本からも放り出したのですが、イギリスに戻ったウッドフォード氏は追求の火の手をあげました。

それに対し、海外メディアは敏感でした。続々と追求記事が続きます。
ところが、日本国内メディアはほとんど報じません。海外メディアとの落差は鮮明でした。
いつの間にか、海外では「やっぱり日本企業のコンプライアンスはデタラメだ」という雰囲気が生まれていったようです。日本経済にとっては不運なことでした。

ファクタ誌によって報じられたのは、国内の小さなベンチャー企業を08年3月期に3社まとめて700億円近くで買って子会社化し、翌年にはほぼその全額をこっそり減損処理した事件、08年2月に買収した英国の医療機器メーカー、ジャイラスを2千億円で買収するとともに助言会社に法外な報酬を支払った事件でした。その金はいったいどこに消えたのか、という点が謎でした。

ニューズウィーク日本版 10月28日(金)17時20分配信「企業スキャンダルの温床はどこにあるのか?」では、
『このオリンパスの問題ですが、前回この欄でお話したような事件性の疑惑、例えば「脅されていた」「癒着していた」「騙された」という理解とは次元の違う解説もあるようです。ネット上の匿名記事(複数)によれば、総額1200億という巨大な損失は、個人的な私利私欲を動機とした事件性としては説明がつかないスケールだという前提で、バブル崩壊以来の20年間延々と「飛ばし」や「先送り」のされた投資損失を、今回は「M&Aの失敗」という口実で表面化させ処理したというストーリーが描けるというのです。』
と報じています。今から考えると、実に先見の明がある報道です。

その謎が急転直下明らかになったのが11月8日です。前日の7日夕方、森副社長が高山社長に、過去の損失隠しについて自白したのです。
森副社長は、なぜ突然自白する気になったのでしょうか。
この点について、同じ7日付けのロイター記事に目が留まりました。
オリンパス買収仲介者は80年代から関係、「損失先送り」に関与=関係筋
2011年 11月 7日 18:04 JST
『[東京 7日 ロイター] オリンパス(7733.T: 株価, ニュース, レポート)による2007年の英社買収で巨額の手数料を受け取っていた投資助言会社の中心人物が、1980年代から同社と関係を持ち、バブル崩壊期に同社の「損失先送り」処理に関与していたとみられることが、関係者への取材で明らかになった。』
ジャイラス社を2千億円で買収した際の助言会社が関係している中川昭夫氏という人物(野村證券OB)が、バブル崩壊で企業が抱えこんだ損失の表面化を避ける「損失先送りスキーム」を企業に持ち込んでおり、主要顧客の1社がオリンパスでした。
『オリンパスと中川氏の関係が事実とすれば、同社の不透明なM&A(買収・合併)資金とバブル期の損失処理との間に何らかの結びつきがある可能性も否定できない。』

森副社長の自白を先取りするような上記記事、これもロイターというアメリカ系の通信社が発したニュースでした。

直近の報道ではまた、ニューヨークタイムズの報道がありました。
「闇経済」に2000億円超=オリンパスから流出か―NYタイムズ
時事通信 11月18日(金)11時59分配信
『【ニューヨーク時事】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は17日、オリンパスによる巨額の損失隠し問題に関し、2000億円を超える金額が指定暴力団など「闇経済」に流れた可能性があると報じた。日本の捜査当局に近い関係者から得た文書を基に東京発で伝えた。』

また海外系メディア発ですか。

オリンパス問題について、日本メディアが主導して全容解明に至るのは何時の日になるのでしょうか。

なお、最初のFACTA8月号に戻ると、その末尾
『収益源の多角化とも純投資とも呼べないいかがわしいM&Aに、菊川会長がなぜこれほど淫したのかの解明は、東京地検特捜部の仕事かもしれない。一連のM&Aで社外に流出した巨額の資金の流れも闇に閉ざされている。オリンパスの「ココロとカラダ」がこれ以上病んでしまう前に、菊川会長には果たすべき説明責任と経営責任がある。』
と結んでいます。

実に先見性に富む結論であるとびっくりしました。
日本メディアの中では、FACTA誌ただ一つが孤軍奮闘しています。
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中国の軍事力脅威と在日米軍の再編

2011-11-16 22:35:16 | 歴史・社会
普天間問題に関連して、沖縄駐留の米海兵隊のうち、司令部の8000人がオーストラリアに移転するという計画が知られていました。それに対し、以下のような報道がなされました。
<在日米軍再編>米海兵隊、「司令」と「戦闘」分散 一極集中の危険を回避
毎日新聞 11月14日(月)8時54分配信
『米国が在沖縄海兵隊司令部の大部分をグアムに移転するとの方針を改め、司令部機能と戦闘能力を沖縄とグアムに分散する方向に転じた。アジア太平洋の幅広い範囲に米軍を配備しようとの再編戦略がうかがえる。
アジア太平洋における海兵隊拠点の沖縄、移転先のグアムに加え、オバマ米大統領は今月中旬のオーストラリア訪問で、海兵隊を豪州に駐留させる方針を表明する予定だ。海兵隊はハワイにも6000人程度駐留しており、太平洋に海兵隊が分散配置される傾向が顕著になっている。
欧州などに比べ、アジア太平洋には政治的に不安定な地域が多い。クリントン米国務長官は外交誌「フォーリン・ポリシー」(11月号)で、アジア太平洋の米軍が今後、(1)地理的に配置を分散する(2)作戦面での弾力性を高める(3)駐留国などの「政治的な持続可能性」に配慮する--の3原則に基づいて再編されるとの見通しを示している。背景には、中国軍が弾道ミサイルの精度を高め、海軍力、空軍力を増強している事情がある。グアムに海兵隊の一大拠点を設けて「一極集中」すれば、弾道ミサイルの格好の標的となる。海兵隊の司令部や拠点を分散すれば、攻撃される危険性を減じ、万が一、攻撃された場合にも反撃能力を温存できる。
ただ、海兵隊のグアム移転は、米軍普天間飛行場をキャンプ・シュワブ沿岸部に移設するとした日米合意の進展が前提だ。しかし、現行移設計画への沖縄の反対は根強く、「現行計画が政治的に持続可能か」という原則が揺らいでいる側面もある。【ワシントン古本陽荘】』

いよいよ、中国のミサイルの脅威が、日本に駐留する米軍の配備にも影響を及ぼしてきているのですね。
この話には伏線がありました。
今年1月、このブログで『中国の「空母キラー」ミサイル』という記事を書きました。中国が、敵空母部隊に対しての強力な攻撃兵器である「対艦弾道ミサイル(ASBM)」を開発しており、ほぼ完成してすでに部隊配置も始まっているようです。
ASBMとは中距離弾道ミサイル(DF21)を改造して、はるかかなたの洋上を航行する空母を攻撃できるようにした新兵器で、防御が難しいことから「空母キラー」とも呼ばれています。人工衛星から誘導するようです。
射程は1500キロを超えるということで、日本列島は沖縄を含めてすべてその範囲内に入り、グアムのアンダーセン基地のみがかろうじて射程から外れています。弾道ミサイルは目標への突入速度が速すぎるからでしょうか、迎撃が難しいと言われているようで、ということは、もはや米国空母は中国近海に進出することがきわめて危険であるということになります。
昨年11月に発表された米中経済・安全保障検討委員会の米議会への報告書は、中国軍が弾道・巡航ミサイルで、三沢、横田、嘉手納各米空軍基地を攻撃する能力を持っていると指摘。有事の際には使用不能となる可能性に触れています。
『米側では、「多くの専門家が琉球諸島の米国の『(軍事)聖域』はすでに失われたと思い始めている。だから海空戦闘構想が広まっている。米国は(有事には)日本とともに戦い、そうした基地を取り返さなければならない(ヨシハラ米海軍戦争大准教授)という指摘が聞かれる。』

そして今年7月、JBプレスに『危ない横須賀を去って豪州へ行くべし?』という記事が載りました。
2011.07.21(木) 谷口 智彦
『米国海軍大学(US Naval War College)でアジア太平洋科を率いる日系研究者トシ・ヨシハラが、豪州を代表するシンクタンクから注目、というより、いささか瞠目すべき論文を発表した。』
『日本から豪州へ基地を移管せよ
 横須賀、佐世保、嘉手納を、今後重要となる戦域から遠過ぎるうえ中国ミサイルの射程内にありはなはだ危険だと断じ、米海軍力の少なくとも一部を豪州に移管する必要を強く説いている。』
『ヨシハラに言わせると、在日基地はすべて中国短中距離ミサイルの射程内に入り、嘉手納など「数時間で無力化されかねない」。
・・・・
横須賀、佐世保は冷戦の遺物。この先重要なのは豪州に持つ米海軍基地だと示唆した格好だ。パース沖合ガーデン島に豪州海軍が有する最大基地「HMAS Stirling」の名を挙げ、米海軍が同基地内にプレゼンスを持つ重要さをしきりに説いている。』

中国の軍事力の強化、なかんずく中距離弾道弾の脅威は、日本を中心とする米軍の配置に大きな影響を及ぼしているようです。
今までは、主に沖縄に空軍や海兵隊を集中し、横須賀に第7艦隊の司令部を置き、日本の主要基地に弾薬や燃料を大量に備蓄することによって、西太平洋からインド洋までの安全保障の要としてきました。ところがこれらの配備が中国の中距離弾道弾の脅威にさらされることとなり、グアムやオーストラリアに分散配置せざるを得なくなっているようです。

1996年3月、中国はミサイル演習と称して台湾近海に向けて3発のミサイルを発射しました。この2週間後、台湾は総統選挙を控えており、台湾では中国からの独立の気運が高まっていたのに対し、台湾近海に向けてのミサイル演習はこの独立気運を牽制する目的でした。
米国のペリー国防長官はクリントン大統領に進言し、横須賀を母港とする空母インディペンデンスを中核とする戦闘グループを台湾周辺海域に向かわせるとともに、インド洋で待機していた原子力空母ニミッツを中核とする機動部隊も台湾近海へ向かわせました。
このとき中国は、米軍の脅威に対してすっかりおとなしくなりました。
しかし中国はそれ以来、海軍力の増強にまい進するようになっていきました(上掲記事)。
中国が空母キラーミサイルのような兵器開発に着手する契機となったのが、まさに上の1996年台湾総統選挙時の中国ミサイル演習とそのとき米国が2つの空母部隊を台湾近海に派遣して力で押し返したことにあるようです。

私はつい最近『小川和久著「日本の戦争力」』において、日本に展開する米軍がはたす安全保障戦略上の重要性について記事にしたばかりです。しかしその在日米軍が、中国の軍事脅威によって再編を余儀なくされているということです。
普天間問題も、このような観点も考慮して見直すべきなのでしょう。
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TPPがわからん

2011-11-14 22:22:21 | 歴史・社会
TPPについて野田総理は11月11日の記者会見で
『私としては、明日から参加するホノルルAPEC首脳会合において、TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入ることといたしました。』
と述べました(官邸ページの「野田内閣総理大臣記者会見」)。
この発言を、新聞各紙は「参加表明」と報道する一方、山田前農相などは「参加表明ではない。ほっとした。」と記者会見で述べる始末です。いったい、どういうことになっているのでしょうか。

私は、上記野田首相発言の英訳を待っていたのですが、官邸~英語サイトになかなか載りませんでした。
本日(14日)になってやっと、「Press Conference by Prime Minister Yoshihiko Noda」として官邸~英語サイトにアップされました。
"I have decided to enter into consultations toward participating in the TPP negotiations with the countries concerned, on the occasion of the Asia-Pacific Economic Cooperation (APEC) Economic Leaders' Meeting in Honolulu, Hawaii which I will be attending from tomorrow."
こうして英語翻訳文を読むと、上記日本語の完全な逐語訳であり、今回ばかりは英語を読んでもクリアーにはなりませんでした。

本日のニュースでは、
野田首相、APEC首脳会議でTPP交渉入りを表明
産経新聞 11月14日(月)8時21分配信
『野田佳彦首相は13日午前(日本時間14日早朝)、米ハワイ州で開催されているアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、「環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加に向け、関係国と協議に入る」と表明した。その上で、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)の構築に向け、「主導的な役割を果たしたい」と述べた。』
とあります。

当然APEC首脳会議では、野田首相は日本語で上記のように発言し、外務省の通訳が英語に通訳したはずです。おそらく、本日官邸~英語サイトに掲載された上記英語文そのものが通訳の口から出たものと思われます。
これに対して、各国はどのように解釈したのでしょうか。

TPPが現時点でどうなっているかというと、ウィキによれば、
『シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国は協定を締結済み。
当初の4加盟国につづき、アメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルーが参加を表明し、ラウンド(交渉会合)に臨んでいる。次いで、マレーシア、コロンビア、カナダも参加の意向を明らかにした。
その一方で、カナダは酪農などの市場開放が十分でないとの理由で2010年10月にTPPへの参加を断られた。』
とあります。

「加盟国4ヶ国、交渉国5ヶ国」とありますが、交渉国5ヶ国とはどの国を指すのでしょうか。
日本は、当面「交渉国」に入るのかどうか、ということですね。報道では、9ヶ国すべてが了解しないと仲間に入れないということのようですが、本当にそうなのか、確認はできませんでした。
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八代尚宏著「新自由主義の復権」

2011-11-11 22:19:24 | 歴史・社会
新自由主義の復権 - 日本経済はなぜ停滞しているのか (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社

この本の冒頭にもありますが、現在の日本において、新自由主義というと「市場原理主義」のレッテルを貼られ、「市場競争を煽って格差を拡大し、日本の伝統を破壊した」「世界金融危機を引き起こした元凶」といった批判がされます。「小泉-竹中改革」即ち「市場原理主義」によって日本が悪くなった、という論調が多くなされています。
しかし、これら報道や論調は根拠に裏付けされているとは思われません。なぜこのような主張が根拠レスに喧伝されるのか、とても不思議に思っているところです。

上の本は、『本書では、「小泉改革」や世界金融危機の再検討、さらに日本経済紙を通じて、その誤解をとく。そのうえで、新自由主義の思想に基づき、社会保障改革から震災復興まで、日本経済再生のビジョンを示す』とうたっています。

ということで読んでみました。

私は経済学については素人なものですから、まず専門書を読んでもちんぷんかんぷんです。そして、本書のような入門書を読むと、「なるほどそうか」と納得してしまいます。
しかし、「新自由主義反対派」の人と議論して負けない程度の知識が得られたか、というと全くそうではありません。こればかりはしょうがないですね。
著者の八代氏は、これだけ小泉構造改革路線を擁護しているので、小泉政権と関係があった人なのかと思いましたが、ウィキで見る限りはそのような経歴は見つかりませんでした。

とりあえず、報道等で「市場原理主義に基づく小泉構造改革のせいでこんな悪いことになった」という説明がされたとき、この本を思い出して2つの論を比較対照することにしましょう。

ひとつだけ、本書の中から具体論をピックアップします。

現在のTPP参加可否議論の中で、反対派の中から「TPPに参加したら、医療において『混合診療』が導入され、国民皆保険制度が崩壊する」という議論が出されています。この議論は私にはちんぷんかんぷんで論理が全く理解できません。

ところで本書では、「新自由主義のスタンスでは混合診療を認めるべき」と主張しています。
日本医師会は「(混合診療を認めると)追加的な費用を負担できない患者が、質の高い医療から排除される」と主張しています。しかし実際には、(混合診療を認めない)現行制度こそが、「金持ちだけがよい医療を受けられる」仕組みであり、(混合診療を認める)改革案は、よい医療を受けられる患者の範囲を大幅に広げるものだ、とこの著者は述べています。私もそのとおりと思います。
本の中で、現在でも混合診療的なものが例外的に認められている例として、セラミックスの人造歯が挙げられています。前歯をセラミックスにする場合は保険がききますが、犬歯より後だと保険適用外です。しかし笑ったときに見えるので、私はセラミックスを入れています。このとき、セラミックスの歯そのものの費用は保険適用外ですが、治療は保険が適用されます。もし例外が適用されなかったら、混合診療不可で、保険適用外の歯にセラミックスを入れる場合には治療費まで保険適用外となり、治療費が高くなります。この例だけからも、混合診療の方がわれわれに恩恵が及ぶことが明らかです。
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川口淳一著「小惑星探査機はやぶさ」(2)

2011-11-09 21:20:22 | サイエンス・パソコン
第1回に引き続き、川口淳一著「カラー版 小惑星探査機はやぶさ ―「玉手箱」は開かれた (中公新書)」です。

はやぶさは、長い旅の末にイトカワに到着しました。

《着陸のための誘導制御》
着陸時の誘導制御がどうしてもうまくいかなかったのですが、3回のリハーサルの後、地形航法という新たな方法をNEC航空宇宙システムの白川健一さんたちの提案をもとに見つけることができました。「詳細を書くことはできない」「この技術は我が国がアドバンテージを発揮できる部分であり」とあります。「人間による処理を入れ、これにより処理が爆発的に速くなった」とのことです。

《再着陸か帰還か》
1度目に「不時着」して再離陸した後、「このまま帰ろう」という意見が出されたといいます。不時着時にサンプルが採取できている可能性もあり、再着陸はリスクが高すぎるという理由です。それでも川口リーダーは最終チャレンジを決定しました。

《運用室の変化》
着陸ミッションにおいて次々と降りかかる困難を解決する仮定で、プロジェクトのメンバーは日に日に成長したといいます。メンバーは命じられる前に議論し最適解を見つけていきました。

《弾丸を発射していない?》
『弾丸が発射されていない、サンプルが回収されていないかもしれないと知らされたときの気持ちは、落胆とかショックなどという言葉ではとうてい表現できない。声すら出ない。背筋が凍るとはこういうことか、そんなバカな・・・そんな思いが身体を駆け抜けた。』

《ミッション継続への執念》
イトカワからの離陸後にまず化学エンジンが故障して姿勢制御がうまく行かなくなり、とうとう電波も途絶してはやぶさは行方不明となりました。
このとき一番恐ろしかったのは「年度末だから予算を打ち切る」といわれることでした。川口リーダーは「今後はやぶさが再発見される確率」を算出して示し、これによって予算は継続されました。

《救出運用》
はやぶさは12月8日に燃料漏出によるガス噴射があり、とうとう姿勢制御ができなくなり、太陽電池パネルの方向がずれて電力を失い、バッテリがなくなり、全部の電源が落ちて12月9日に地球との交信を絶ってしまいました。
その46日後、2009年1月23日に、はやぶさとの交信に成功したのです。
行方不明になっているとき、はやぶさのモードは高利得アンテナ(指向性アンテナ)使用、中央コンピュータ電源ダウン、機器を温めるヒーターオフ、などとなっています。はやぶさの姿勢は自然に単純なスピンに収束するはずですが、そのときでも地球と交信できるのは高利得アンテナが地球に向いたときだけです。そのときをとらえ、「指向性アンテナを無指向性アンテナに切り換える」「すべての電源を順次入れていく」など10以上の指令を順に送っていってすべて解読され、かつ実行されなければ復旧はできず、電波すら出ないのです。さらに通信機の温度が最適温度から外れているはずで、通信周波数もまったく予想できません。そのような状況下で、はやぶさが受信できるように指令を工夫し、周波数も予測範囲内でスイープさせ、根気よくはやぶさの方向に電波を出し続けました。
このような悪条件から復帰できるなど、本当に千に一つ程度の可能性だったように思います。

《カプセルの蓋閉め》
2007年1月にはやぶさ着々と帰還準備で報告したように、バッテリの再充電と試料容器のカプセル収納に成功したことをJAXA報告で知りました。
ここで、奇怪な事実によってバッテリ再充電が可能になったようです。意外にも補充電回路が当初の設定と異なり、オンになっていたのです。プログラム上は意図してオンにしたわけではなさそうです。こんなところにも「はやぶさの奇跡」があったのですね。

《イオンエンジンのつなぎ替え》
2009年11月、4基のイオンエンジンがすべて故障し、万事休すと思われたとき、当初設計にはなかったバイパスダイオードが組み込まれていたことによって危機を脱したことは有名です。堀内康男さんらイオンエンジンチームの創造力と機知のたまものでした。
ただし、これだけではそのときの危機を回避できなかったといいます。
イオンエンジン稼働は1基ですが、別の中和器を使うオペレーションでは2基分の電力を消費します。このときはまだ太陽との距離が遠く、太陽電池での発電が十分ではありません。当初設計ではたまたま電力が不足したときにはバッテリでバックアップしている間に機器の電源を遮断することになっていましたが、そのバッテリが故障しています。コンピュータが生きている間に遮断機能が働いて機器をオフにするのが間に合わないとシステム全体が死んでしまいます。しかし、これまでこの機能の試運転は行っていませんでした。実際にこのときロックアップは起きたのですが、無事に救われました。
またこのオペレーションでは、プラズマ発生量は1基分なのにマイクロ波電力は2基分作動するので、まるまる1基分は「空焚き」になります。はやぶさは、この空焚きに耐えるように総合設計がされていたのです。このような冗長設計がされていたからこそ、はやぶさは帰還ができたのでした。

はやぶさのカプセルが帰還した後、はやぶさについての単行本を読むのはこれが初めてかもしれません。リアルタイムで追いかけていたときには知り得なかった事情をいろいろと知ることができました。
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前宜野湾市長がケビンメア氏を名誉毀損で刑事告発

2011-11-07 22:08:53 | 歴史・社会
ケビンメア著「決断できない日本 (文春新書)」については、10月9日にこのブログで紹介しました。その中で普天間問題について
『普天間基地の近くには小学校もあり、(宜野湾)市長はいつも小学校が危ないと心配していました。日本政府はこの小学校を移転させようとしたのですが、驚くべきことに移転に一番反対していたのが市長だというのです。かれはこの小学校の危険性を政治的に利用したのです。』
と紹介しました。
この問題で、前宜野湾市長だった伊波洋一氏が、10月26日、メア氏について、名誉毀損容疑で那覇地検に告訴状を提出したというニュースが流れました(前宜野湾市長、「本に虚偽記載」とメア氏を告訴)。この中で、メア氏は読売新聞の取材に対し、「本の記述は事実で、告訴は不当だ」と語ったそうです。
同じ名誉毀損でも、民事での損害賠償請求ではなく、刑事告発だという点が変わっています。

前宜野湾市長(市長在籍2003年4月~2010年10月)が、市長時代に小学校の移転問題にどのように取り組んでいたのかという点については「事実問題」ですから、直ぐにでも真相が明らかになると思っていたのですが、その後何も報道されません。
そこで、ネットで調べることにしました。

メア氏は勝訴する!」には、『那覇支局長に着任間もない宮本雅史支局長の渾身の記事を先ずはご覧下さい。』として産経新聞の「【揺らぐ沖縄】児童の安全より反対運動優先か 基地隣接の小学校移転(2010.1.9 23:26)」を参照しています。
『米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)に隣接し、ヘリ墜落など事故の危険にさらされてきた同市立普天間第二小学校(児童数708人)で、これまで2回、移転計画が持ち上がったが、基地反対運動を展開する市民団体などの抵抗で頓挫していたことが9日、当時の市関係者や地元住民への取材で分かった。市民団体などは反基地運動を展開するため、小学生を盾にしていたとの指摘もあり、反対運動のあり方が問われそうだ。(宮本雅史)
普天間第二小は、昭和44年に普天間小から分離。南側グラウンドが同飛行場とフェンス越しに接しているため、基地の危険性の象徴的存在といわれてきた。
移転計画が持ち上がったのは昭和57年ごろ。同小から約200メートル離れた基地内で米軍ヘリが不時着、炎上したのがきっかけだった。
当時、宜野湾市長だった安次富(あしとみ)盛信さん(79)によると、それまでも爆音被害に悩まされていたが、炎上事故を受け、小学校に米軍機が墜落しかねないとの不安が広がり、移転を望む声が地域の人たちから沸き上がったという。
安次富さんらは移転先を探したが確保できなかったため米軍と交渉。約1キロ離れた米軍家族用の軍用地のうち8千坪を校舎用に日本に返還することで合意。防衛施設庁とも協議して移設予算も確保した。
ところが、市民団体などから「移転は基地の固定化につながる」などと抗議が殺到した。安次富さんは「爆音公害から少しでも遠ざけ危険性も除去したい」と説明したが、市民団体などは「命をはってでも反対する」と抵抗したため、計画は頓挫したという。
同市関係者は「市民団体などは基地反対運動をするために小学校を盾にし、子供たちを人質にした」と説明している。

その後、昭和63年から平成元年にかけ、校舎の老朽化で天井などのコンクリート片が落下して児童に当たる危険性が出たため、基地から離れた場所に学校を移転させる意見が住民から再び持ち上がった。だが、やはり市民団体などに「移転せずに現在の場所で改築すべきだ」と反対され、移転構想はストップした。
当時市議だった安次富修前衆院議員(53)は「反対派は基地の危険性を訴えていたのだから真っ先に移転を考えるべきだったが、基地と隣り合わせでもいいということだった」と話す。別の市関係者も「多くの市民は基地の危険性除去のために真剣に基地移設を訴えたが、基地反対派の一部には、米軍の存在意義や県民の思いを無視し、普天間飛行場と子供たちを反米のイデオロギー闘争に利用している可能性も否定できない」と指摘している。』

上記「メア氏は勝訴する!」と同じ方の「人間の盾に小学生を!普天間移設の真相(2010-01-11)」には、『昨日の沖縄タイムスの一面を飾った下記引用の写真は、普天間移設問題ですっかり時の人となった伊波宜野湾市長の得意のポーズである。』として、写真(伊波洋一宜野湾市長(左)の説明を聞く平野博文官房長官=9日午後、宜野湾市・普天間第二小学校)を掲載しています。
『伊波市長の知事選への野望はさておいて、上記のように伊波知事が普天間基地の紹介をするとき、その舞台になるのが、定番ともいえる普天間第二小学校である。
「世界一危険な米軍基地」と、そこに隣接する小学校。
左翼勢力にとってこれほど絵になるおいしい場面はない。
普天間第二小学校はいわば「米軍基地反対運動」の象徴的存在でもある。
「住宅密集地の真中にある米軍基地」と聞くと、住宅密集地に米軍が割り込んできて強引に基地を作ったという印象を受ける。
だが、実際は原野の中にできた米軍基地の周辺に、後から住民が集まってきて住宅街を作ったというのが普天間基地の実態である。』

伊波前宜野湾市長「メア氏を告訴」』には、
『去年、民主党の前幹事長岡田氏が、普天間第二小学校を移転するなら国が金を出すと発言したことがある。しかし、すぐに普天間の議員から反発が出て、発言を打ち消した。宜野湾市が移転を希望するなら国が金を出すというのは暗黙の了解あるようなものである。そして、宜野湾市の革新系の政治家が移転に反対しているのは事実である。』とあります。岡田氏が学校の移転について述べたのは2010年12月8日のようですから(岡田氏「政治の役割」 普天間第二小移転案)、伊波氏が宜野湾市長を辞めた後ですね。直後の1月には、県民の受け止めに敏感に反応したためか「移転の考えはない」と考えを翻しています(「信頼構築」空振りに 岡田幹事長来県)。

以上から、(歴代、前伊波)宜野湾市長と宜野湾第二小学校移転問題との関連は以下のような事実は明らかであるようです。

1.昭和57年(1982)頃、安次富盛信市長の時代に、小学校を移転する計画が実行の直前まで進捗しながら、市民団体の反対によって頓挫した。
2.伊波市長は、普天間第二小学校を「危険な小学校」として宣伝材料に使っていた。
3.伊波市長が、普天間第二小学校を移転しようと動いた形跡はない。
4.伊波市長辞任後だが、民主党幹事長が小学校移転について肯定的に語り、その後否定に転じた。


それでは、ケビンメア著の問題箇所と対比してみましょう。
『普天間基地の近くには小学校もあり、宜野湾市の伊波前市長はいつも小学校が危ないと心配していました。日本政府も放置できず、この小学校を移転させようとしました。
ところが、驚くべきことに移転に一番反対していたのは伊波氏でした。はっきり言って、かれはこの小学校の危険性を政治的に利用していました。この小学校がなくなれば、基地に反対する材料が減ると思い、移転に反対していたのです。普天間基地は自分を政治的に引き立ててくれる存在というわけです。「基地のない沖縄」を標榜する革新系地方政治家の正体がこれなのです。』

私が調べた範囲では、「伊波前市長は小学校が危ないと心配していたが、移転しようとした形跡はない」ということです。「伊波市長は移転に反対していた」という情報まではありませんでした。
ところで、伊波市長辞任後ですが、当時の民主党岡田幹事長が「普天間第二小学校の移転に積極的に関与する」旨の発言をしたところ、「県民の受け止めに敏感に反応」して考えを翻した、という経緯があるようです。そうとしたら、市長が伊波氏であっても、やはり地元と同じ意見、即ち「移転に反対」という意思を有していた可能性は十分にありそうです。
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