弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

無症状への唾液PCR適用

2020-06-20 12:13:09 | 歴史・社会
入国緩和、カギは唾液検査の実現 無症状への適用を検証 2020年6月18日 朝日新聞
『安倍晋三首相は18日、政府の新型コロナウイルス感染症対策本部で、ベトナム、タイ、オーストラリア、ニュージーランドからの入国緩和を進める方針を表明した。これに先立ち、国家安全保障会議の緊急事態大臣会合で、国際的な人の相互往来の再開に向けた防疫措置を決定。今後は唾液(だえき)を使ったPCR検査で、検査体制を拡充できるかがカギになる。
・・・
対策本部で首相は、唾液PCR検査などの導入や、出入国者のための「PCRセンター(仮称)」の設置を進めるよう指示した。・・・
ただ唾液検査は現在、発症から9日までの人が対象だ。出発前に健康観察を終えた出入国者のように、発症していない人や症状のない人への使用は認められていない。厚労省は症状のない人にも使えるか検証を進めており、空港検疫で確認された無症状の感染者らに協力を求めているが、国内の感染者数が減っているため、必要なデータを集めるのに時間がかかるという。
厚労省幹部は「無症状の人にも唾液検査が使えれば、検査の負担が減り、検疫をはじめ幅広い場面で検査の拡充が期待できる」としつつも、「偽陰性が出てはいけないので、しっかりと精度を検証しなければならない」と強調する。首相が表明したPCRセンターの設置は、唾液検査などの本格導入が前提で、実現のメドは立っていない。』

厚労省の対応はどうしても悠長ですね。
厚労省が唾液PCRを認める通知(「2019-nCoV(新型コロナウイルス)感染を疑う患者の検体採取・輸送マニュアル」の改訂について)を出したのは6月2日です。このブログでは「唾液PCRやっと解禁」として記事にしました。
通知の新旧対応表中では
『おおよそ発症から 9 日間程度は、唾液でのウイルス検出率も比較的高いことが報告されています(・・・)。加えて、発症後 10 日目以降の唾液については、ウイルス量が低下することが知られており推奨されません。』
とあるのみで、「無症状の人には使えない」とは明示で記載がありません。しかし、「発症から 9 日間程度」とあることから、『「無症状は対象外」と読め』との趣旨なのでしょう。分かりづらい通知です。
ブログ記事中にも書きましたが、新旧対応表中で紹介されている文献3件とも、無症状の人の評価を行っていません。政府は、判断まで1ヶ月もかけたのですから、その間に無症状の人で鼻腔PCR陽性だった人を対象に、唾液PCR評価を実施すべきでした。抜けていたとしか言いようがありません。

東京都新宿区で、夜の街関連の人たちから大量のPCR陽性者が出たのはつい最近です。この人たちの大部分は無症状だったと思われます。この人たち(PCR陽性も陰性もともに)にお願いして唾液PCRを同時に採取していれば、データはあっという間に増加したはずです。
厚労省と東京都新宿区の連携が悪いというか、厚労省はやる気がないのでしょうか。新宿区の夜の街は「クラスター」と言えますので、厚労省のクラスター対策班には連絡が行っていたはずです。厚労省内で、「クラスター対策班」と「唾液PCR検討班」(そんな班があるかどうか知りませんが)との連携が悪かったのでしょうか。

そもそも、通知の新旧対応表中に紹介された文献(Comparison of SARS-CoV-2 detection in nasopharyngeal swab and saliva)によると、患者76人について、鼻腔と唾液でPCR検査を行っています。うち、8人は両方とも陽性、1人は鼻腔のみ陽性、1人は唾液のみ陽性、66人は両方とも陰性です。
Figure 1 Aには、横軸を発症後の日数、縦軸をウイルスの量として、10人分のデータが載っています。△が鼻腔、●が唾液です。上記いずれかまたは両方が陽性であった10人のようです。発症後3日では鼻腔が陰性、19日では唾液が陰性、それ以外の8人(発症後7~13日)は両方とも陽性です。発症から最も早期の発症3日で、鼻腔が陰性、唾液が陽性です。このデータからは、「発症前の感染者は鼻腔よりもむしろ唾液の方がウイルスが多いのではないか」との仮説が成り立ちます。この仮説が真であったら、「無症状では唾液の方が有効」となるわけです。可及的速やかに結果を出すべきです。

また、厚労省の通知では、「加えて、発症後 10 日目以降の唾液については、ウイルス量が低下することが知られており推奨されません。」とあります。
しかし、北大の文献本文では、「回復期には、唾液の方が鼻腔に比較して早くにウイルスが減少している。」「最近の文献では、鼻腔には死んだウイルスが溜まり、“擬陽性”となる。興味あることに、われわれの結果では、鼻腔に比較して唾液の方が迅速に陰性になる。口の中では死んだウイルスが唾液によって効果的に清掃されるようだ。コロナ感染症患者の回復確認には唾液の方が好ましい。」と記載されています。即ち、北大の文献では、「発症後10日以降は唾液の精度が落ちる」のではなく、「発症後10日以降は唾液の方が正しく回復状況を示している」と述べているのです。
この点でも、唾液PCRの利点を、厚労省は逆に「唾液PCRの弱点」として捉えているわけです。ジャーナリズムはなぜこの点に切り込まないのか、理解に苦しみます。
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建築家・早間玲子さん

2020-06-14 14:08:03 | 趣味・読書
5月18日~22日の日経夕刊「こころの玉手箱」は、建築家の早間玲子さんです。
ウィキペディアでは以下のような経歴が記されています。
1933年東京に生まれる。
1958年横浜国立大学工学部建築学科を卒業。
1959年 前川國男建築設計事務所勤務。
1966年 フランス政府・日仏工業技術交換留学生として渡仏。
1967年 シャルロット・ペリアン・インテリア設計事務所在籍。
1970年 ジャン・プルーヴェ建築設計・エンジニア事務所勤務。
1976年 早間玲子建築設計事務所設立。
2004年 フランス共和国・文化勲章、レジオン・ドヌール勲章 受賞
2011年 日本国・旭日小綬章受章

中学、高校の6年間にわたり元東京都立第3高等女学校(現・都立駒場高校)に在籍し、誇り高き女子教育を受けました。
横浜国立大学で建築を学んでいたときのこと、神奈川県立音楽堂に深い感銘を受けました。この建物を手がけた建築家の前川國男氏氏から回答を得られると考え、先生の設計事務所に入ろうと心に決めました。入所は困難を極め、門をたたいて1年後に「来年から来て」との連絡を受けました。
入所して数年を経過しても、設計を担当した建設現場に常駐させてもらえません。
ただ、「君はフランスに行くといい」という先生の言葉が耳の奥に残っており、それを実行に移しました。
フランスに渡った翌年から通い始めたシャルロット・ペリアンの仕事場(アトリエ)で、ジャン・プールヴェに初めて出会います。プールヴェの建築的思考に深く打たれ、70年にプールヴェのアトリエに入所しました。コンペで一等計画案に選ばれてから、フランス人の男性所員と変わらぬ待遇になりました。「信頼に応えようと心を尽くして仕事に励んだ。プールヴェとは日々、手描きのデッサンを通じて理解を深めた。建築現場では監理の役に就いた。」
フランスに渡ってから8年目の1974年、フランス国立美術大学建築学科の卒業同等資格を取得します。翌年、ジャン・プールヴェの温かい視線を背にアトリエを開設しました。まだ閉ざされていたフランスの建築界で、東洋人女性が独立したのです。
フランスでは書類上の契約が最も重要です。建物全体を完全無欠に表現しなければなりません。内務省管轄のセミナーに参加し、法務専門家の資格を取得する免状を受領しました。そしてまず、83年に始まったパリ国際大学都市・日本館の大規模改修工事の建築家に指名されました。
フランスのアーキテクト(建築家)は建築物に対して著作権を持つ一方、物的責任を負わなければなりません。
1983年夏、キャノンがブルターニュ地方に計画する新工場の設計依頼を受けました。日本企業に対し、労働基準局は目を光らせていました。
必要な書類を携えて緊張して担当局に出向くと、担当者は、建築家が説明に来たのははじめてだと満足し、そこから信頼関係が生まれて工場検査は滞りなく運びました。この経験に勇気をもらい、それからは行政当局訪問が習慣となりました。「誠意はどこでも通じるものだ。」

国連事務次長の中満泉さんも言っています。
『私は自分から面会を申し込んだ際は相手方に出向くようにしています。ある国の大使に「事務次長なら呼びだすのが普通ですよ」と驚かれましたが、こちらからお願いしたのだから出向いて当然ですよね。』

その後、ボージュ県のミノルタの工場、オルレアン市近郊の日立製作所の工場などを受注して、フランスで数少ない工業建築家の一人となりました。
93年に竣工した日立のコンピューター工場は、のちに日立から撤退の知らせを受けます。ほとんどの工業建築は持ち主が変われば取り壊されますが、2019年、旧日立工場の建築総合計画が、フランス共和国の「特筆すべき現代建築」の指定を受け、国の文化財として100年間、建築物の命が保証されることとなりました。

このように優れた日本人女性建築家がおられることを、私は知りませんでした。中満泉さん共々、誇りに思います。
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国連事務次長・中満泉さん

2020-06-13 12:05:06 | 歴史・社会
5月18日から22日までの日経新聞では、3人の日本人女性の連載記事を興味深く読みました。
一人は、朝刊・私の履歴書での岸惠子さん(女優、87歳)、こちらは5月いっぱいの連載の途中です。
二人目は、夕刊・人間発見での中満泉さん(国連事務次長、56歳)、三人目は夕刊・こころの玉手箱での早間玲子さん(建築家、87歳)です。

ここではまず、三人の中の中満泉さんについてです。
ウィキペディアでは以下のように紹介されています。
1963年生まれ
フェリス女学院高等学校
1987年早稲田大学法学部卒業。
1989年にアメリカ合衆国ジョージタウン大学外交大学院修士課程を修了
1989年、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に入所
1997年にスウェーデン人の外交官と結婚
2005年から2007年まで一橋大学大学院法学研究科教授
2008年国際連合事務局平和維持活動局政策・評価・訓練部長
2012年から2014年10月まで国際連合事務局平和維持活動(PKO)局アジア・中東部上級部長
2014年UNDPの総裁補兼初代危機対応局局長
2017年国連事務次長(軍縮担当上級代表)に指名
2018年5月、フォーチュン誌発表の「世界の最も偉大なリーダー50人」に選ばれる。

中学から通ったフェリス女学院には大きな影響を受けました。当時からリベラルな雰囲気だったそうです。
留学を志し、早稲田大学に入学した上で、21歳の時に交換留学生としてミシガン州のホープカレッジで学びました。
大学卒業後、ジョージタウン大の大学院に進学します。大学院のある科目で、試験も論文もA評価だったのに最終成績はCでした。教授に尋ねると「発言しなかったからだ。発言しないということは、参加していないということだ」と言われ、ハッとしました。後の国連の仕事でも生きているとのことです。

89年に大学院を修了し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に入所しました。クルド難民危機の対応に派遣され、状況把握のため、地図と簡単な食料をもって身一つでトルコとイラクの国境地帯に出向きました。
中泉さんが師と仰ぐ緒方貞子さんとの出会いは、緒方さんが1991年に国連難民高等弁務官に着任された直後のトルコ視察でした。徹底した現場主義者だった緒方さんの施策に、駆け出しの職員として深く関われたことを心から幸福に思うと言われています。

サラエボへは中泉さんが女性として初めての派遣でした。紛争地の現場は精神的にも肉体的にも過酷でした。常に襲撃される緊張の中にあり、就寝時も軍事用ブーツを履いたままです。2年半経過後に突然倒れ、PTSDと診断される事象もありました。

ニューヨークの国連本部に移り、夫となるスウェーデンの外交官と出会いました。何回か食事するうちに、直感的にこの人と結婚すると思ったそうです。
1998年、まだ婚約者だった夫になる人がスウェーデンに戻ることになり、国連を離れ、スウェーデンに渡りました。周囲は「もったいない」と反対しました。しかし中満さんは、異なる環境や仕事への挑戦は新しい視点を保つのに重要だと思っていました。むしろ国連を離れなければ、今の役職(国連事務次長)には就けなかった、と思われています。
夫がスウェーデンにいる間は国際機関で働き、夫が在日スウェーデン大使館勤務となると日本の大学の教壇に立つなどしました。スウェーデンで長女、日本で次女を産みました。夫がスウェーデン人であり、子育ては完璧に夫と分業制を敷いたとのことです。

夫の任期満了で次の仕事を考えたとき、やはり国連に戻りたくなりました。PKO局のポストが空いており、2008年に応募して採用されました。
2017年5月に現ポスト(国連事務次長)に就任し、一度も担当したことのない軍縮を任されました。就任直後のグテレス国連事務総長から「専門家である必要はなく、新しい視点を持ち込んでほしい」との理由で打診されました。

このような日本人女性が、現在も世界の第一線で活躍していることを誇りに思います。
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暗渠巡り

2020-06-07 16:04:13 | 杉並世田谷散歩
暗渠巡り 街の魅力再発見
人混み避ける「通」の散歩術 川・用水…昔の姿思いはせ

2020年5月28日 日経新聞夕刊
『新型コロナウイルス対策の外出控えは、足腰の衰えを招きがちだ。シニア層には深刻な問題といえる。そろそろ外を出歩きたいが、人混みは避けたい。こうした向きにお勧めなのが、マニアックなテーマを決め近所を探索する新・散歩術だ。代表格が暗渠(あんきょ)巡りだろう。川や用水をふさいだ跡をたどればわが街の魅力を再発見でき、水害への備えにもなるという。達人らに極意を聞いた。
暗渠の愛好家は「ここ5年間で3倍ほどに膨らみました」。・・・暗渠巡りに足を踏み入れて11年たつ。』

私も、暗渠(隠れ川跡)を見つけてはわくわくしてその跡を辿り、すでに20年近くになります。このブログでは、「東京の街中に残る川の痕跡 2010-11-28」として記事にしています。
--以下、ブログ記事再掲------------------
何を隠そう、私も隠れ川跡フェチなのです。
杉並・世田谷の道々を散歩で回って、「ここは昔のどぶ川の跡ではないか」という怪しい路地が見つかるとわくわくし、その路地に分け入っていきます。
どのような場所が川跡かというと、
○ ものすごく狭い路地だが、くねくねとどこまでも続いている
○ 両側が段になって高くなっているところが多く、いかにもその路地が昔どぶ川だった風情である
○ 道路と交差する箇所に自転車止めの柵があり、「遊歩道」と書かれていることが多い
などの特徴を備えているところです。

杉並・世田谷は、戦前から終戦直後にかけては畑だったところが多く、畑の真ん中をくねくねと流れていた川が、その後の宅地化の時代にもそのまま川として残り、最後にどぶ川に蓋をされて暗渠化した、ということでしょう。暗渠になった後もそこは空間のままで残り、今では遊歩道と名前を変えて路地として残っているのです。

杉並の善福寺川北岸にある川跡を一つ紹介しましょう。
このグー地図を開いてみてください。
地図の真ん中あたりに、南北にくねくねと鎖線が走っています。この鎖線は、成田東一丁目と松ノ木一丁目との境界を示す線なのですが、同時に私が紹介しようとする川跡路地の位置をも示しています。この線に沿って歩くと、人がすれ違うのがやっとという狭くてじめじめした路地に入り込み、そしてその路地が延々とどこまでも続くのです。南の和田堀公園から北上した場合、五日市街道と交叉したあたりまで続き、そこで消滅しています。
ネットで検索したら、この川跡、善福寺川 リバーサイド Blog松ノ木支流という名称で紹介されていました。
--ブログ記事再掲以上------------------

さて、上記日経新聞の記事には、以下の書籍が紹介されていました。
はじめての暗渠散歩 ──水のない水辺をあるく (ちくま文庫)


書籍の中で、以下のスマホアプリが紹介されていました。さっそく両方購入し、iPhoneとiPadにインストールしました。
東京時層地図(iPhone) | 日本地図センター
東京時層地図 for iPad | 日本地図センター
どちらも、地図7種類(文明開化期、明治のおわり、関東地震直前、昭和戦前期、高度成長前夜、バブル期、現代)と、航空写真、それに土地の高低を陰影と明るさで表示した図(高低地形図)が内蔵されています。

iPhoneの方は、好みの地図を選択すると、GPSで現在地の地図が表示されます。今歩いている土地が、明治の頃にどのような地形だったのかがわかります。さっそく、日々のウォーキングで、明治の地図とGPSをたよりに歩いています。私の居住エリアである杉並区と世田谷区は、区画整理がほとんど行われておらず、明治時代の道路がほとんどそのまま残っているので、明治時代の地図で道を辿ることができるのです。
昭和の初め頃の地図を表示させれば、水路が青線になっています。そのような水路は現在は暗渠化されている場合が多いので、この地図を見ながら暗渠の存在場所を見つけることができます。

iPadの方は、左右2画面になり、それぞれに好みの地図を表示させます。どちらかの図をスクロール・拡大縮小するともう一つの図も同時に動きます。左の図で表示する場所を指定し、右の図で昔の様子を確認することができます。
たとえば左に現代の地図、右に高低地形図を表示させ、その土地の高低を右の図で確認できます。さっそく、山手線の内側、文京区のあたりの谷筋の位置を確認しました。私は1歳から18歳くらいまでこの地域が生活圏だったので、谷や坂の位置を明確に記憶しているのです。

さて、私のウォーキングの武器が一つ増えました。
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アベノマスクは令和のインパール

2020-06-04 19:43:30 | 歴史・社会
布マスク「質より量」、迷走
政府、早さ重視 国内検品断る
 2020年6月1日 朝日新聞朝刊
『・・・マスク不足の中、調達の現場ではなにが起きていたのか。
「3月中に1500万枚、4月中に5千万枚ほしい」
2月後半、最大の受注企業となる「興和」(名古屋市)の三輪芳弘社長は政府からの依頼に驚いた、と振り返る。枚数の桁が違った。
「量ですか、質ですか」。
納期を考えて優先事項を訪ねる三輪氏に政府の担当者は言った。「量だ。とにかく早くほしい」』

興和が生産するマスクは、不織布が主流でしたが、布マスクも少数ながら扱っていました。政府は一貫した生産ができるとみて依頼したのですが、この時点で、政府の担当者も同社も、のちに「アベノマスク」とも言われる全戸配布の布マスクになるとは想像していませんでした。
生地はタイとインドネシアで加工、縫製は中国に依頼し、急遽集めた作業員は計1万人以上でした。
同社は最初、国内での検品を強く希望しましたが、それでは検査が厳しすぎて納期が間に合わないということで、政府側が断りました。契約書では、隠れた不具合が見つかっても興和の責任を追及しないとの条項が入りました。
『布マスク計画に関わった政府関係者は言う。「マスクが国民に行き渡るようにしろ、というのが官邸の意向だったが、これほどの量を短期間で確保するなんて元々厳しい目標だった」』

3月5日、安倍首相は布マスク2千万枚一括購入を切り出します。同じ頃、経済官庁出身の官邸官僚の発案で、布マスクを全戸配布する構想が官邸内で浮上していました。
そして4月1日、首相は1世帯に2枚ずつ布マスクを配る計画を表明します。マスク確保に動いた政府関係者の多くは直前まで知らされませんでした。
『マスク確保に関わった政府関係者の一人はこう振り返る。「『マスクをなんとかしろ』という官邸の声の大きい人が言ったことが通り、無理に無理を重ねた。」
関係者らの間では、今回の配布計画は第2次世界大戦中の日本軍による「インパール作戦」にたとえられているという。司令部がずさんな計画を強行して多くの犠牲を出し、「大戦中最も無謀」と呼ばれた作戦だ。』

こんなことが、日本の政府中枢で起こっているのですね。
危急存亡のときでしたら、無理に無理を重ねてでもその危機を乗り越える、ということはあるでしょう。しかし、「短期間で布マスクを全戸配布する」などという話は、何ら危急存亡の対応ではありません。ちゃんとしたリーダーだったら、実行部門に「できるか?」と確認してから指示するでしょうし、もしリーダーが無理筋の指示を出した場合、ちゃんとした実行部隊だったら「それは無理です」と意見具申するはずです。
今の日本の中枢(官邸と各省庁)において、官邸は無理な指示を平気で出すし、各省庁は無理であっても「それは無理です」と言えずに実行し、結局失敗で終わる、という体たらくです。
このことは、我が家に届いたアベノマスクの写真とともに、記録に残しておくべきと考え、記事としてまとめました。題して「アベノマスクは令和のインパール」です。


我が家に届いたアベノマスク
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唾液PCRやっと解禁

2020-06-03 00:15:52 | 歴史・社会
唾液でPCR検査可能に 新型コロナ 厚労省きょう通知、都が本格導入へ 2020/6/2付日本経済新聞 朝刊
『厚生労働省は新型コロナウイルスの感染を調べるPCR検査の検体に唾液を使えるようにすることを決めた。2日に自治体向けに通知する。鼻の粘液を採る従来の方法よりも医療従事者の感染リスクが低く、効率的な検査が可能になる。
・・・
国立感染症研究所が作成する検体採取マニュアルを改定し、今後は唾液を使った検査も可能にする。・・・
日本医師会は5月7日、唾液を検体に用いたPCR検査の実用化を政府に申し入れていた。』

以前から、国立感染症研究所のマニュアルを改定すれば可能、と聞いていたので、とっくに改訂されたものと思っていました。その割に動き出していないなと不審に感じていましたが。実は、本日になってやっと実現したのですね。

厚労省の自治体・医療機関向けの情報一覧(新型コロナウイルス感染症)を見に行ったら、ありました。
「2019-nCoV(新型コロナウイルス)感染を疑う患者の検体採取・輸送マニュアル」の改訂についてで、
『このたび、マニュアルを別添(新旧対照表)のとおり改訂したとの連絡が国立感染症研究所からありましたので、お知らせします。改訂の概要については下記のとおりです。
   記
1.発症から 9 日間までの唾液での PCR 検査が可能であること。
2.検体の採取については遠沈管等の滅菌容器を用いること。』
とされています。

新旧対照表には以下のように記載されています。
『おおよそ発症から 9 日間程度は、唾液でのウイルス検出率も比較的高いことが報告されています(鼻咽頭ぬぐい液陽性の患者の唾液検体 85~93%前後で陽性)。加えて、発症後 10 日目以降の唾液については、ウイルス量が低下することが知られており推奨されません。
(Iwasaki S et al., medRxiv 2020.05.13.20100206; doi:https://doi.org/10.1101/2020.05.13.20100206,
令和2年度厚生労働行政推進調査事業補助金/新興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業 自衛隊中央病院 感染症内科 今井一男(研究代表者 国際医療福祉大学成田病院 加藤康幸),
Williams E et al., 2020 J Clin Microbiol DOI: 10.1128/JCM.00776-20)』
てっきりデータを提示してくれているのかと思ったら、そうではなく、参照文献を探して読まなければならないのですね。不親切です。
最初の文献について、「https://doi.org/10.1101/2020.05.13.20100206」をダブルクリックすると、Comparison of SARS-CoV-2 detection in nasopharyngeal swab and salivaに案内されました。その中のpdfをクリックしたところ、
文献(Comparison of SARS-CoV-2 detection in nasopharyngeal swab and saliva)が表示されました。
患者76人について、鼻腔と唾液でPCR検査を行っています。うち、8人は両方とも陽性、1人は鼻腔のみ陽性、1人は唾液のみ陽性、66人は両方とも陰性です。
Figure 1 Aには、横軸を発症後の日数、縦軸をウイルスの量として、10人分のデータが載っています。△が鼻腔、●が唾液です。上記いずれかまたは両方が陽性であった10人のようです。発症後3日では鼻腔が陰性、19日では唾液が陰性、それ以外の8人(発症後7~13日)は両方とも陽性です。
文献本文では、「回復期には、唾液の方が鼻腔に比較して早くにウイルスが減少している。」「最近の文献では、鼻腔には死んだウイルスが溜まり、“擬陽性”となる。興味あることに、われわれの結果では、鼻腔に比較して唾液の方が迅速に陰性になる。口の中では死んだウイルスが唾液によって効果的に清掃されるようだ。コロナ感染症患者の回復確認には唾液の方が好ましい。」と記載されています。
即ち、北大の文献では、「発症後10日以降は唾液の精度が落ちる」のではなく、「発症後10日以降は唾液の方が正しく回復状況を示している」と述べているのです。

2番目の文献について検索したところ、唾液を用いたPCR検査に係る厚生労働科学研究の結果についてにたどり着きました。
こちらは、鼻腔PCRで陽性だった88人のみを対象とし、唾液のPCR評価を行っています。鼻腔で陰性だった人は含まれないので、唾液陽性/鼻腔陽性の比率において、必ず100%以下となります。
発症から1~9日は上記比率がほぼ100%であるのに対し、10~14日は30~60%に低下します。この点についてこの文献では、『発症から9日以内の症例では、鼻咽頭ぬぐい液と唾液との結果に高い一致率が認められた。』とのみ評価しています。

3番目の文献について検索したところ、Saliva as a non-invasive specimen for detection of SARS-CoV-2 Eloise Williams, et.al. DOI: 10.1128/JCM.00776-20にたどり着きましたが、全文を閲覧することはできません。

以上総合すると、第1と第2の文献で、発症後9日ぐらいまでは鼻腔と唾液で同じ結果となり、それ以降は唾液の方が早くウイルスが減少する点で、両文献は一致しています。そして、発症後10日以降で鼻腔と唾液に差が生じ、唾液の方が迅速に低下する点に関し、第1の文献では「むしろ唾液の結果の方が正しい評価結果だ」との分析であり、第2の文献では沈黙しています。
それにもかかわらず、国立感染症研究所マニュアルの新旧対照表では、『発症後 10 日目以降の唾液については、ウイルス量が低下することが知られており推奨されません。』とし、唾液検査結果に否定的です。なぜこのように、結論の逆転が生じるのでしょうか。
この点は、専門家の間でよく議論してほしいです。

p.s. 6/3
3件目の文献が閲覧できました。下記
Saliva as a non-invasive specimen for detection of SARS-CoV-2
です。622人中の鼻腔PCR陽性39人に関し、唾液PCRを行ったら33人が陽性だった、との結果です。図2の横軸は発症後の日数、縦軸は「低いほどウイルスが多い」指標です。■が鼻腔、●が唾液です。唾液の方がウイルスが少なめ、との結果でしょうか。発症した人のみが対象のようです。
鼻腔PCR陰性の50人について唾液検査したところ、1人が陽性でした。この1人、鼻腔PCRが“偽陰性”だったのか、それとも唾液PCRが“擬陽性”だったのかは区別できません。

新聞によると、「無症状の人は有効性が確認できないため適用外とした」とあります。マニュアルにはそのようなことは明示では記載されていませんが・・・。
そもそも、文献3件とも、無症状の人の評価を行っていません。政府は、判断まで1ヶ月もかけたのですから、その間に無症状の人で鼻腔PCR陽性だった人を対象に、唾液PCR評価を実施すべきでした。抜けていたとしか言いようがありません。
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黒川氏賭け麻雀事件

2020-06-02 10:47:59 | 歴史・社会
黒川氏賭け麻雀事件には、いくつかの論点があります。
「新聞記者が高級官僚と仲良くなるのは問題だ」
「賭け麻雀は犯罪だ」
「緊急事態宣言下で3密の会合を行ってはならない」
「処分が甘すぎる」

ここでは、「新聞記者が高級官僚と仲良くなるのは問題だ」について取り上げます。

このブログの「官僚と報道機関の関係 2018-04-29」で以下のように論じました。
日本の報道・ジャーナリズムが「権力の監視」機能を発揮していない理由は、大きく次の2点に集約されると言います。
○ 記者クラブ制度
○ 特ダネ至上主義
ここでいう特ダネとは、
①その報道がなければ世の中に知られることがなかったような特ダネ
②明日公表されるニュースを今日独占して報道するような特ダネ
の2種類がありますが、数量的には②が多数を占めます。

日本のジャーナリズムのこのような問題点を記載した書籍として、このブログでは、過去に以下のような記事を書いてきました。
上杉隆「ジャーナリズム崩壊」2008-11-18
長谷川幸洋「日本国の正体」2010-01-05
牧野洋「官報複合体」2012-08-14

この中で、長谷川幸洋「日本国の正体」2010-01-05 について振り返ります。
日本国の正体 政治家・官僚・メディア――本当の権力者は誰か
長谷川 幸洋
講談社

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---ブログ記事抜粋--------------
大新聞をはじめとする日本のジャーナリズムは、「他紙よりも一刻も早く報道すること」を至上命題としています。そして、取材源を官僚に依存する記者は、官僚から特ダネ情報を他紙記者よりも早く受け取ることにより、特ダネをモノにします。実は情報を提供した官僚は、その報道によって自分の推し進める政策を後押しさせたいのであって、官僚自身の代弁者として好適な記者に特ダネ情報を漏らしているのです。このとき記者は役人から、政策を記したペーパー(紙)を併せて受け取ります。
官僚は、自分たちが推し進める政策を自分たちが思うとおりにうまく報道してくれる記者を選択し、情報を渡します。従って、官僚の政策を批判的に記事にする記者は情報が流れません。記者のうち、官僚から紙をもらえる記者は10人中1、2名しかいないということです。特ダネ記者になりたくて官僚に取り入っていくうちに、知らず知らず、記者は官僚の代弁者=ポチに成り下がっていきます。
記者は、「自分が官僚から信頼された結果として情報をもらえるのだ」と思い込んでいるそうで、「自分は官僚の代弁者に成り下がっている」とは気付かないのだそうです。

なぜ日本の新聞報道はそんなことになってしまったのか。以下の3点が挙げられます。
(1) 日本の新聞は、「他紙よりも一刻も早く報道すること」を至上命令とする。
(2) 情報を持っているのは官僚であり、官僚と記者との間に圧倒的な情報格差が存在する。
(3) 記者は「官僚は、自分たち記者と同様に中立の立場」と思い込んでいるところがある。
---ブログ記事抜粋終了--------------

さて、ここからは今回の黒川賭け麻雀問題についてです。
上記長谷川幸洋著「日本国の正体」でも明らかなとおり、日本の報道機関は、主なニュースソースを官僚に頼っており、特ダネをものにするには、高級官僚から「特別に懇意な記者」として扱われることが最重要です。相手が検察であっても同様です。東京高検の検事長という高級官僚に取り入って、公式発表の一日前に情報をリークしてもらい、それを報道することで「日本式特ダネ」をゲットできる記者が、「優秀な記者」と評価されます。その意味では、今回の麻雀の相手3人の記者・元記者は、新聞社から見れば「最も優秀な記者」です。
一方、検察側から見ると、自分のポチ記者に捜査情報をリークして記事を書かせることにより、世論を「推定有罪」に導き、捜査及び訴訟を検察有利に進めようとします。

現在の日本のジャーナリズムの病理の中で、今回の賭け麻雀は必然として生じた、ということができます。

さて、黒川賭け麻雀事件の論点のうち、「処分が甘すぎる」についてですが・・・
安倍総理は「法務省と検事総長が決定した処分について、内閣は受け入れただけ」と言い逃れしています。しかし、官邸が「この処分は甘すぎる。懲戒処分が適当。」と判断したのであれば、突き返せば良いだけです。検事長に対する懲戒処分の決定権は内閣が握っているのですから。「人事案の突き返し」は安倍政権の得意技ではないですか。
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検察を官邸忖度型に

2020-06-01 08:34:54 | 歴史・社会
安倍政権が内閣人事局を使って、日本の行政機構を「官邸忖度内閣制」にねじ曲げてしまった点について、前回記事にしました。
最近の検察騒動は、まさに、安倍政権が検察に関しても、「官邸忖度検察」を作ろうとしていたように見受けられます。
“定年延長”黒川弘務検事長に直撃取材 検察庁法改正で「安倍政権ベッタリ」の検事総長が誕生する
広がり続ける「#検察庁法改正案に抗議します」「週刊文春」編集部2020/05/10
『法務検察は、黒川氏と同期の林氏を将来の検事総長候補と位置付け、黒川氏を地方の検事正として転出させ、林氏を事務次官とする人事案を作成。ところが官邸側はこれを蹴り、露骨に人事に介入してきたのだ。
「官邸は過去3度廃案になっている『共謀罪』の成立を見越して、黒川氏の調整能力が欠かせないと判断し、彼の次官昇格を求めたのです。翌年の共謀罪の国会審議では答弁が心許ない金田勝年法相に代わり、刑事局長だった林氏が矢面に立ち、法案成立のために粉骨砕身した。ところが、17年夏の人事では再び官邸が介入。裏で汗をかいた黒川氏の留任が決まるのです」(同前(法務省関係者))
そして18年1月。林氏は三たび、官邸に法務事務次官就任を阻まれ、名古屋高検検事長に転出することになったのである。』

官邸は、黒川氏を次の検事総長にしようとしていました。現総長の稲田氏は、官邸の意を受けた辻裕教法務次官から黒川氏の63歳の誕生日までに退官するよう暗に迫られましたが、それを拒否しました。そこで官邸が考え出した裏技が、「東京高検検事長の定年延長」閣議決定です。これで、現稲田検事総長が、慣例に従って任期2年で退官すれば、官邸の思惑通り、黒田氏を検事総長に押し上げることが可能になる、はずでした。
官邸は、検察庁法の改正案の中に、検事総長などの幹部について定年延長の特例規定を潜り込ませました。1月末の閣議決定の前後だと言います。内閣法制局の審議も終了した改正法案について、そのあと、さらに閣議決定後に条文を潜り込ませるなど、私には信じられませんが・・・。

しかしその結果として、「#検察庁法改正案に抗議します」運動が激しく盛り上がり、今国会での成立が見送られました。そしてそのあとの「黒川氏賭け麻雀報道」です。

以上の検察に関する安倍官邸の対応を見ていると、内閣人事局を通しての官僚支配に味を占め、検察についても同じことをしようとしていた、としか思えません。

私は、現在の検察が、正しい方向に向かっているとは思っていません。検察、特に地検特捜部の独走に関しては、いくつもの記事を書いてきました。

八田隆著「勝率ゼロへの挑戦」 2014-09-07、(2)
陸山会捜査報告書虚偽記載事件 2012-07-18
検察vs小沢陣営バトルの行方 2009-03-19
大阪地検特捜部のFD改竄犯人隠避事件 2011-09-16
佐藤栄佐久著「知事抹殺」 2011-08-21、(2)
佐藤優氏の有罪が確定 2009-07-02
堀江貴文「徹底抗戦」 2009-05-19
最近では、籠池夫妻が長期拘留された事件がありました。

なかでも、陸山会事件における東京地検特捜部の罪は大きいです。当時、次の衆議院総選挙で民主党が勝利するのはほぼ確実でした。しかしその民主党、政権運営の力を有しているのは、代表である小沢一郎氏ただ一人でした。その小沢一郎氏を東京地検特捜部が狙い撃ちしたため、小沢氏は代表を降りざるを得ませんでした。その後の民主党政権で、鳩山総理、菅総理の下、どのような政治がなされたかは記憶にあるとおりです。もしも小沢氏が代表に座っていたら、小沢総理のもと、別の民主党政権が生まれていたでしょう。
一方の陸山怪事件では、結局小沢氏を立件することができませんでした。
このように考えると、民主党政権時代の悪夢を生んだ張本人は、東京地検特捜部の暴走が原因であった、という結論になります。

以上述べたように、現在の日本の検察、特に地検特捜部は、ほっておくと暴走する傾向を明らかに有しています。この暴走は防がなければなりません。霞ヶ関の官僚について、過去には「官僚内閣制」が支配していたのと同じ弊害です。
一方で、官邸が力を持ちすぎると、内閣人事局支配による「官邸忖度内閣制」に成り下がってしまいます。検察も同じです。今回の「検察幹部の定年を内閣が延長できる特例」の法制化を阻止したことは、その点で意味があります。
官僚機構について「官僚内閣制」と「官邸忖度内閣制」のいずれでもない良好な体制を実現すること、及び検察について、「検察の暴走」と「官邸忖度検察」のいずれでもない良好な体制を実現することは、どちらも重要な課題です。
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