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東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の2011.12.26公表「
中間報告については、昨年12月から今年1月にかけて、このブログにて読み込みを行ってきました。
事故発生直後の各号機の作動状況に関しては、中間報告において1号機と3号機の解析が行われています。2号機については中間報告ではほとんど解明されていません。
その中の1号機については、1月8日に
原発事故政府事故調中間報告~1号機の初期状況として記事にしたのですが、3号機が手つかずのままでした。
そこで、遅ればせながら、3号機に関する政府事故調中間報告の抜粋をまとめておきます。
中間報告(概要)
平成23年12月26日
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会
『4 福島第一原発における事故後の対応に関する問題点
(2)3 号機代替注水に関する不手際 【Ⅳ章4(2)、Ⅶ章4(2)】
3 号機については、原子炉圧力が低い状態下で運転範囲を下回る回転数で長時間高圧注水系(HPCI)を運転していたため、当直は、HPCI による十分な注水がなされていないことを懸念し、平成23 年3 月13 日2 時42 分頃、HPCI を手動停止した。この時、当直は、十分な代替注水手段が確保されていないにもかかわらず、バッテリー枯渇リスクを過小評価しており、結果として代替注水のための減圧操作に失敗した。これらの措置に関する判断は、当直及び発電所対策本部発電班の一部のスタッフのみで行われ、幹部社員の指示を仰いでいなかった上に、発電所対策本部発電班から幹部社員に対する一連の経緯に関する事後報告も遅れた。かかる経緯は危機管理の在り方という点で問題であり、また、結果的に13 日9 時25 分頃まで代替注水が実施されなかったことは、極めて遺憾であったと言わざるを得ない。
また、全交流電源喪失の下では、HPCI 等の作動に必要なバッテリーの枯渇について懸念してしかるべきであった。そうした懸念があれば、発電所対策本部としては、消防車等を利用した早期の代替注水に取り掛かることも可能であったと思われる。しかし、発電所対策本部は、電源復旧によるほう酸水注入系からの注水という中長期的な対処については準備・検討していたものの、3 号機当直からHPCI 手動停止後のトラブルの連絡がなされるまで、消防車を用いた代替注水に動くことはなかった。発電所対策本部に3 号機代替注水に係る必要性・緊急性の認識が欠如していたことが、こうした対応の遅れを生んだと言わざるを得ない。』
上記「概要」の結論に至った詳細について、「
Ⅳ 東京電力福島第一原子力発電所における事故対処」から、長くなりますが関連する記述を抜粋してみます。
--抜粋開始---------------------------
3号機の直流電源盤が被水を免れたことにより、直流電源で操作可能なRCIC 及びHPCI がいずれも起動可能であった。そして、3/4 号中央制御室の制御盤上、これらの状態表示灯が点灯していたため、当直は、状態表示灯を見て、RCIC 及びHPCI が起動可能であることを確認できた。(95ページ)
(7)3 号機のプラント状態と対応
① 3 月11 日16 時3 分頃以降、3 号機のRCIC は、手順通り、復水貯蔵タンクの水を水源として運転していた。
当直は、3 号機のRCIC をできるだけ長時間作動させるため、当面必要ではない負荷を順次落としていった。
4 1 号機R/B 爆発後、3 号機R/B 爆発まで(3 月12 日15 時36 分頃から同月14 日11 時1 分頃までの間)
(2)3 号機への代替注水の状況
a 3 号機の当時のプラント状況と当直の対応
① 3 号機については、3 月12 日11 時36 分頃、何らかの原因でRCIC が停止した。・・・そのうちに3 号機の原子炉水位が低下していったため、同日12 時35 分頃、HPCI が自動起動した。
HPCI については、その流量が大きいため、流量を調節しなければ、原子炉水位が急上昇してすぐに停止してしまう。そして、再起動には多くの電気を必要とすることから、バッテリーの消耗が大きくなる。そのため、当直は、あらかじめ、HPCI のテスト配管の電動弁を開操作して、原子炉に注入するラインと水源である復水貯蔵タンクに戻るラインを作り、HPCI の流量を調節して作動できるようにしていた(図Ⅳ-7 参照)。
その後、3 号機原子炉は、HPCI の作動によって減圧が顕著となり、同日19時以降、3 号機の原子炉圧力は、原子炉圧力計によれば、0.8MPa gage から1.0MPa gage までの数値を示すようになった。
② ・・・当直は、原子炉水位が不明な中で、HPCI によって原子炉注水が十分なされているのか判然とせず、かつ、通常と異なる運転方法によってHPCIの設備が壊れるおそれがあるとも考え、HPCI を作動させ続けることに不安を抱くようになった。
また、この頃、3/4 号中央制御室の制御盤上、SR 弁の状態表示灯が全閉を示す緑色ランプを示していたため、当直は、依然として制御盤上の遠隔手動操作によりSR 弁を開けることができると考えていた(資料Ⅳ-6 参照)。
そして、原子炉圧力が0.8MPa gage から0.9MPa gage 程度といった低い状態であったため、当直は、制御盤上の遠隔手動操作によりSR 弁を開けて原子炉を更に減圧すれば、作動中のD/DFP の吐出圧力でも注水可能であり、D/DFPの接続先をS/C スプレイラインから原子炉注水ラインに変更すれば、D/DFPで原子炉に注水できると考えた。
そこで、当直は、HPCI による注水からD/DFP による注水に切り替えた方が安定した注水ができると考え、同月13 日2 時42 分頃、HPCI を手動で停止することにした。
③ 3 号機のHPCI を手動停止する前、当直は、発電所対策本部発電班の一部(緊急時対策室の発電班ブースに控えていた3/4 号中央制御室担当の当直長ら)に対し、HPCI の作動状態に関する問題意識を示した上、HPCI を手動停止し、SR 弁で減圧操作してD/DFP を用いた原子炉注水を実施したい旨相談した。当直から相談を受けた発電班の一部の者は、3 号機のHPCI の作動状態に関する問題点やHPCI の手動停止の是非等に関して話し合った。その結果、これらの者は、運転許容範囲を下回る回転数でHPCI を作動させ続ければHPCIの設備破損等の危険があるのに対し、制御盤上の操作でSR 弁を開けてD/DFPによる原子炉注水が可能なのであれば、HPCI を停止するのもやむを得ないと考え、当直にも、その旨伝えた。
しかし、これらの発電班の一部の者は、現場対応に注意を払う余り、情報伝達が疎かになり、当直が抱いたHPCI の作動状態に関する問題意識やHPCIの手動停止に関する情報が、発電所対策本部発電班全体で共有されることもなかった。そのため、発電班長も、かかる情報を把握しておらず、低圧状態下で回転数が落ちた状態ではあるもののHPCIが作動しているという認識を有しているにすぎなかった。
その結果、吉田所長を含む発電所対策本部幹部や本店対策本部も、3 号機の当直がHPCI を手動で停止しようとしていることを知らなかった。
④ 3 月13 日・・・2 時42 分頃、当直は、3/4 号中央制御室において、制御盤上のHPCIの停止ボタンを押し、さらに、タービン蒸気入口弁の全閉操作をして、HPCIを手動で停止した。そして、同日2 時45 分頃及び同日2 時55 分頃、当直は、3/4 号中央制御室において、制御盤上の遠隔手動操作によりSR 弁の開操作を実施した。しかし、いずれの場合も、制御盤上の SR 弁の状態表示ランプは、「全閉」を示す緑色ランプから「全開」を示す赤色ランプに変わらなかった。そのため、当直は、制御盤上の遠隔手動操作によってSR 弁を開くことができず、減圧操作に失敗したと判断した。
3 号機制御盤上の状態表示灯が点灯していたにもかかわらず、SR 弁の開操作に失敗した原因については、その後同日9 時頃、電源復旧してSR 弁の開操作に成功していることから、物理的な障害ではなく、開操作に必要なバッテリー容量が不足していた可能性がある。・・・
⑤ 3 月13 日2 時45 分頃及び同日2 時55 分頃、当直は、合計2 度にわたり、遠隔手動によるSR 弁の開操作に失敗したが、当直長は、その都度、その状況を発電所対策本部発電班に報告していた。
しかし、発電班の中で、その報告を受けた者や、その者から状況を伝え聞いた者は、いずれも3/4 号中央制御室の交代要員として控えていた当直長らであり、発電班長に報告していなかったため、発電所対策本部や本店対策本部は、この時点になってもなお、SR 弁の開操作に失敗したことはもとより、HPCIを手動で停止させていたことすら把握していなかった。
・・・
⑥ 3 月13 日3 時35 分頃、当直は、3/4 号中央制御室において、HPCI の再起動を試みたが再起動できなかった。再起動できなかった要因は、HPCI 起動時のバッテリー消費が大きいため、再起動に必要なバッテリー残量がなかった可能性が高い。そして、このバッテリーは、人力で持ち運び困難であり、仮に新たなバッテリーを調達したとしても、3 号機R/B 内に持ち運んで取替作業を行うことは事実上不可能であった。
・・・
そして、HPCI 停止及びその後の当直の対応を把握していた発電班の人間は、同日3 時55 分頃になってようやく、発電班長に報告することに思いを致し、発電班長に対し、「3 号機のHPCI が停止し、D/DFP による注水を試みたが、注水できなかった。原子炉圧力が4MPa gage 程度まで上昇した。」旨報告し、発電班長を通じて、吉田所長を含む発電所対策本部幹部も、3 号機のHPCI が停止したことを把握した。それまで、吉田所長を含む発電所対策本部幹部は、3 号機の当直がHPCI を手動で停止する予定であるという報告も、手動で停止したとの報告も受けておらず、3 号機のHPCI が正常に作動しているものと考えていた。
このとき、本店対策本部も、テレビ会議システムを通じて、3 号機のHPCIが停止したことを初めて把握し、発電所対策本部に対し、自動停止だったのか、手動停止だったのかを確認するように指示した。そこで、発電班長は、発電班に HPCI の停止原因を確認したが、緊急時対策室が騒然とする中で、発電班から「手動停止」と報告を受けたのに、「自動停止」と聞き違え、メインテーブルにおいて、マイクで「自動停止」と発話した。その際、緊急時対策室が騒然としていたため、報告をした発電班の人間も、発電班長の誤解に基づく発話に気付かず、訂正できなかった。そのため、発電所対策本部及び本店対策本部は、同日2 時42 分頃に3 号機のHPCI が自動停止したものと誤解した。
b 3 号機注水に関する吉田所長の判断
① 3 月13 日3 時55 分頃、吉田所長は、発電班長からの報告を受け、3 号機のHPCI が同日2 時42 分頃に停止していたことを知った。・・・
吉田所長は、3 号機のHPCI が停止したとの報告を受け、3 号機について、他号機よりも優先して、可能な限り早期に水を確保し、SR 弁による原子炉減圧と消防車を用いた注水を実施する必要があると判断した。そこで、吉田所長は、3 号機T/B 前の逆洗弁ピット内の海水を3 号機原子炉に注水するラインを構成するとともに、SR 弁の開操作に必要なバッテリーを調達するように指示した。本店対策本部やオフサイトセンターの武藤副社長らも、吉田所長の前記判断に異論はなかった。
② ・・・
③ 3 月13 日6 時19 分頃、3 号機につき、同日4 時15 分頃にはTAF に到達していたものと考えられたため、吉田所長は、官庁等に、その旨報告した。
c HPCI 停止後の海水注入準備の状況
・・・
③ 他方、3 月13 日2 時42 分頃にHPCI 停止後、2 度にわたり当直がSR 弁の開操作に失敗していたものの、消防車によるFP 系注水のためには、SR 弁を開操作して原子炉の減圧を行わなくてはならず、SR 弁開操作のために必要な電源を確保する必要があった。SR 弁の開操作には合計120V の直流電源が必要であったが、福島第一原発には、使用可能なバッテリーを備蓄していなかった。
・・・
そこで、発電所対策本部復旧班は、同日6 時頃から発電所構内にバッテリーがないか探し始めたが、既に1/2 号中央制御室及び3/4 号中央制御室の計測機器の電源復旧のため協力企業の業務用車両の 12V バッテリーを用いていたことから、これと同様に、SR 弁開操作に必要な直流電源として、車の12V バッテリーを10 個直列に接続して用いようと考え、同日7 時44 分頃までに、発電所対策本部にいる社員の通勤用自動車から12V バッテリー10 個を取り外して集めた。
その上で、発電所対策本部復旧班は、3/4 号中央制御室に12V バッテリー10個を持ち運んで、これらを直列に接続してSR 弁制御盤につなぎ込み、同制御盤の操作スイッチ・レバーによりSR 弁を遠隔手動で開操作できるようにした。その際、既に3/4 号中央制御室も放射線量が高くなっていたので、発電所対策本部復旧班は、全面マスク、ゴム手袋を装着した状態で、懐中電灯を用いながら配線の接続等の作業を行い、配線作業専用端末処理工具やバッテリー接続治具もなく、代用品を使うしかなかったので、通常よりも時間を要した。
また、SR 弁はAO 弁であるため、遠隔手動開操作には、バッテリーによる電磁弁の励磁のほか、AO 弁駆動用の空気圧が必要であったが(資料Ⅳ-6 参照)、発電所対策本部は、この時点では、アキュームレーターの残圧によって開操作できると考え、新たに可搬式コンプレッサーを準備することはなかった。
d 淡水注入への変更・実施
① 3 月13 日未明以降、官邸5 階の総理大臣応接室では、海江田経産大臣、平岡保安院次長、班目委員長、東京電力部長らが、時折、吉田所長に電話をかけるなどして情報を得ながら、福島第一原発のプラント状況や今後の対応等に関する意見交換をしていた。
このとき、福島第一原発において、3 号機原子炉への海水注入に向けた作業を実施しているとの情報が得られ、「海水を入れるともう廃炉につながる。」「発電所に使える淡水があるなら、それを使えばいいのではないか。」「発電所内の防火水槽やろ過水タンク、純水タンクなどに淡水がまだ残っていないのだろうか。」「新潟県中越沖地震後、防火水槽をたくさん作ったのではないか。」などといった意見が出た。
この会合に参加した者らは、これらの意見を交わしたものの、福島第一原発が、発電所内に淡水が残っていないことを確認した上で海水注入すると判断したか否かについて分からなかったので、会合に参加していた東京電力部長が、吉田所長に電話をかけて問い合わせてみることになった。
同日早朝、東京電力部長は、吉田所長に電話をかけ、「他に防火水槽とかろ過水タンクとかに淡水があるのではないか。淡水が残っているなら極力淡水を使った方がいいのでないか。官邸でそのような意見が出ている。」旨伝えた。
② 東京電力部長は、官邸5 階の会合で出た意見を伝えたにすぎなかったが、吉田所長は、これを重く受け止め、海水注入の前に極力ろ過水タンク等に残る淡水を注入すべきというのが、菅総理を含めた官邸の意向と理解した。・・・
そこで、吉田所長は、テレビ会議システムを通じて、本店対策本部及びオフサイトセンターの武藤副社長らに官邸の前記意向を伝えた上、まず淡水注入をしたい旨述べたところ、特に異論が出なかったので、担当責任者を通じて、現場で海水注入のための作業を行っていた自衛消防隊及び南明社員に対し、海水注入のための作業を中断して、使える淡水を全て使えるよう注水ラインを変更するように指示した。
③ この頃、既に、3 号機T/B 前の逆洗弁ピットに貯留していた海水を消防車で吸い上げ、これを3 号機T/B 送水口からFP 系ラインを通じて3 号機原子炉に注水するラインは完成していた。
しかし、現場で注水作業に従事する自衛消防隊及び南明社員は、吉田所長の指示に従い、放射線量が高い中で、散乱するがれき等に埋没していた防火水槽の取水口を探し回り、水源となる淡水の確保に努めた。
そして、3 号機及び4 号機の各R/B 付近にあった防火水槽から淡水をくみ取り、これを3 号機T/B 前ヤード海側の防火水槽に補給するラインと、この防火水槽から3 号機T/B の送水口に注水するラインを作って、FP 系ラインを通じて 3 号機原子炉へ注水しようと考え、消防ホースの敷設等の作業を行った(資料Ⅳ-21 参照)。
④ 3 月13 日9 時8 分頃、発電所対策本部復旧班は、3/4 号中央制御室において、合計120V のバッテリーをつなげてSR 弁の電磁弁を励磁し開操作を行い、3号機の原子炉の急速減圧を実施した。
3 号機の原子炉圧力は、原子炉圧力計によれば、同日8時55 分頃に7.300MPagage であったが、減圧操作中の同日9 時10 分頃に0.460MPa gage、同日9時25 分頃に0.350MPa gage まで減圧され、消防車の吐出圧力を下回って注水が可能となった。そして、同日9 時25 分頃、消防車により、3 号機への淡水注入を開始した。
もっとも、注水の水源となる淡水には限りがあったため、吉田所長は、近いうちに海水注入に切り替えなければならないと認識していた。
その後、吉田所長は、オフサイトセンターにいる武藤副社長からも、そろそろ海水注入も考える必要がある旨示唆を受け、同日10 時30 分頃、淡水枯渇後速やかに海水に切り替えるため、海水注入を視野に入れて動くように指示をした。
⑤ 3 月13 日12 時20 分頃、取水可能な防火水槽にある淡水が枯渇し、外部から福島第一原発にすぐに淡水が補給される見込みもなかった。
自衛消防隊及び南明社員は、水源を防火水槽から3 号機T/B 前の逆洗弁ピットに変更して淡水注入ラインから海水注入ラインに切り替えられるようにあらかじめ準備し、淡水枯渇後、速やかに海水注入ラインに切り替える作業を開始したが、3号機原子炉への海水注入
が開始されたのは同日13時12分頃であった。
--抜粋終わり---------------------------
1号機のみならず、3号機までもが炉心溶融に至った詳細の経緯が以上から明らかです。