世襲議員の立候補を制限しようという動きが、民主党からも自民党からも出ています。
ここで“世襲議員”とは、国会議員が引退するとき、子息などの近親者が後釜として立候補して議員になる場合を意味します。
何を世襲するかというと、親である議員が育て上げた後援会を世襲するのですね。後援会組織は、いわゆる三バン(地盤、看板、カバン)を備えた、強力な選挙マシーンです。この選挙マシーンに乗っかって、親の七光りで選挙戦を戦うのですから、他の候補者は大きなハンディを背負います。特に小選挙区制になってからこの傾向が強いようです。今では、少なくとも自民党公認の場合、世襲議員でなければ新人候補が勝つことがほとんどできなくなっているようです。
このような状況が、日本の政治にいい影響を与えるはずがありません。
しかし、世襲議員が少ない民主党でさえ、この実態を変革するための法改正に消極的だったようです。「憲法の職業選択の自由を侵害する」という点を気にしているようです。
しかし、国会議員の子息が立候補すること自体を禁止しようというのではありません。親の選挙区を継いで、親の後援会に乗っかっての立候補を禁止するだけであって、別の選挙区から立候補するぶんには禁止されないのですから、職業選択の自由を侵害はしていないと思うのですが。
もう10年ほど前になりますが、高校のクラスメートから連絡を受け、同じ高校を卒業した後輩が民主党から立候補するので、パーティー券を買わないか、という誘いでした。
私は、「二世議員でないだけでも立派なものだ」と考え、どの政党かということも関係なく応援させてもらいました。
世襲議員がなぜいけないかというと、私は政治における目的と手段の倒錯が起きやすいのではないかと危惧しています。
本来、議員は政治課題を解決することが目的であり、選挙で当選するのはそのための手段に過ぎません。
それに対し、世襲議員というのは、後援会の自己保存本能がきわめて強い団体でしょうから、その団体に乗っかった議員自身の考えよりも後援会の自己保存本能が打ち勝つ可能性が高いと考えられます。そうであれば、議員は次の選挙で当選することが目的となり、自身の政治活動はそのための手段となりはてるのが落ちでしょう。
もちろん、世襲議員自身は、“親の後援会を引き継いではいるが、後援会の意思に引きずられてはいない。自分は自分の政治信条に忠実に活動を行っている。”とおっしゃるでしょう。しかし世襲議員の多数が、このような堅固な意思を貫いていると考えるのは難しいです。
最近読んだ記事で出典を忘れてしまったのですが、福田康夫前総理が立候補したときのいきさつを知りました。
親である福田赳夫議員が引退するとき、後継者を誰にするかということを福田赳夫氏自身は決めず、後援会にゲタを預けたというのです。そして後援会が、後継者として、当時サラリーマンであった福田康夫氏を選択しました。
つまり福田康夫氏は、自身が立候補の意思を持ったのではなく、親が決めたのでもなく、後援会の意思で立候補が決まったというのです。
やはりこのようないきさつで議員になった人には、“命がけで国政に従事しよう”という意気を期待する方が無理でしょう。
小渕恵三氏が急死された際の後継者選びも同じような印象を受けました。それまで政治とは無関係に生きてきた小渕優子さんが後継者に選ばれたのは、やはり後援会の自己保存本能に基づくものだったように思います。
後援会としては、下手に前任議員の筆頭秘書などを後継者にするより、ぼんくらでも息子を後継者にした方が収まりがいいのでしょうね。
中川一郎議員が急死したとき、当然後継者は決まっていませんでした。そのとき、秘書として筆頭であった鈴木宗男氏と、息子の中川昭一氏とが骨肉の争いを演じたのが有名です。その中川昭一氏も、財務大臣にまで昇進した後、酒癖の悪さであのような不始末をしでかしてしまいました。
ここで“世襲議員”とは、国会議員が引退するとき、子息などの近親者が後釜として立候補して議員になる場合を意味します。
何を世襲するかというと、親である議員が育て上げた後援会を世襲するのですね。後援会組織は、いわゆる三バン(地盤、看板、カバン)を備えた、強力な選挙マシーンです。この選挙マシーンに乗っかって、親の七光りで選挙戦を戦うのですから、他の候補者は大きなハンディを背負います。特に小選挙区制になってからこの傾向が強いようです。今では、少なくとも自民党公認の場合、世襲議員でなければ新人候補が勝つことがほとんどできなくなっているようです。
このような状況が、日本の政治にいい影響を与えるはずがありません。
しかし、世襲議員が少ない民主党でさえ、この実態を変革するための法改正に消極的だったようです。「憲法の職業選択の自由を侵害する」という点を気にしているようです。
しかし、国会議員の子息が立候補すること自体を禁止しようというのではありません。親の選挙区を継いで、親の後援会に乗っかっての立候補を禁止するだけであって、別の選挙区から立候補するぶんには禁止されないのですから、職業選択の自由を侵害はしていないと思うのですが。
もう10年ほど前になりますが、高校のクラスメートから連絡を受け、同じ高校を卒業した後輩が民主党から立候補するので、パーティー券を買わないか、という誘いでした。
私は、「二世議員でないだけでも立派なものだ」と考え、どの政党かということも関係なく応援させてもらいました。
世襲議員がなぜいけないかというと、私は政治における目的と手段の倒錯が起きやすいのではないかと危惧しています。
本来、議員は政治課題を解決することが目的であり、選挙で当選するのはそのための手段に過ぎません。
それに対し、世襲議員というのは、後援会の自己保存本能がきわめて強い団体でしょうから、その団体に乗っかった議員自身の考えよりも後援会の自己保存本能が打ち勝つ可能性が高いと考えられます。そうであれば、議員は次の選挙で当選することが目的となり、自身の政治活動はそのための手段となりはてるのが落ちでしょう。
もちろん、世襲議員自身は、“親の後援会を引き継いではいるが、後援会の意思に引きずられてはいない。自分は自分の政治信条に忠実に活動を行っている。”とおっしゃるでしょう。しかし世襲議員の多数が、このような堅固な意思を貫いていると考えるのは難しいです。
最近読んだ記事で出典を忘れてしまったのですが、福田康夫前総理が立候補したときのいきさつを知りました。
親である福田赳夫議員が引退するとき、後継者を誰にするかということを福田赳夫氏自身は決めず、後援会にゲタを預けたというのです。そして後援会が、後継者として、当時サラリーマンであった福田康夫氏を選択しました。
つまり福田康夫氏は、自身が立候補の意思を持ったのではなく、親が決めたのでもなく、後援会の意思で立候補が決まったというのです。
やはりこのようないきさつで議員になった人には、“命がけで国政に従事しよう”という意気を期待する方が無理でしょう。
小渕恵三氏が急死された際の後継者選びも同じような印象を受けました。それまで政治とは無関係に生きてきた小渕優子さんが後継者に選ばれたのは、やはり後援会の自己保存本能に基づくものだったように思います。
後援会としては、下手に前任議員の筆頭秘書などを後継者にするより、ぼんくらでも息子を後継者にした方が収まりがいいのでしょうね。
中川一郎議員が急死したとき、当然後継者は決まっていませんでした。そのとき、秘書として筆頭であった鈴木宗男氏と、息子の中川昭一氏とが骨肉の争いを演じたのが有名です。その中川昭一氏も、財務大臣にまで昇進した後、酒癖の悪さであのような不始末をしでかしてしまいました。