弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

高橋洋一氏が何故??

2009-03-31 21:39:44 | 歴史・社会
このブログの一日の訪問者数はだいたい400人台ですが、昨日は突然に増加し、897人の訪問がありました。そう、検索ワード“高橋洋一”でのご来訪です。

小泉政権ブレーン・高橋洋一教授を窃盗容疑で書類送検
3月30日16時55分配信 読売新聞
「警視庁練馬署は30日、温泉施設のロッカーから財布や腕時計を盗んだとして、元財務官僚で東洋大教授の高橋洋一容疑者(53)を窃盗容疑で書類送検した。
 同署幹部によると、高橋容疑者は24日午後8時ごろ、東京都練馬区の温泉施設「豊島園庭の湯」の脱衣所で、区内に住む男性会社員(67)が使っていたロッカーから、現金約5万円が入った財布や、数十万円相当のブルガリの高級腕時計を盗んだ疑い。ロッカーは無施錠だったという。
 男性の通報で駆けつけた同署員が調べたところ、防犯カメラに高橋容疑者に似た男が写っていたため、浴場から出てきた高橋容疑者に事情を聞くと、盗んだことを認めたという。調べに対し、高橋容疑者は「いい時計だったので、どんな人が持っているのか興味があり、盗んでしまった」と供述しているという。」


高橋洋一氏に関しては、この1年半、当ブログで注目してきました。
このサイトの左下にある検索窓に“高橋洋一”と入力して検索すると、13件の記事がヒットします。

小泉内閣が成し遂げた構造改革は、小泉首相と竹中平蔵氏の二人三脚で推進したようですが、ブレーンとして高橋洋一氏が大きな役割を果たしたのだそうです。
高橋洋一氏は、東大理学部数学科、経済学部卒業後、80年に大蔵省に入省し、金融検査部、理財局などを経て、竹中平蔵大臣の補佐官、内閣参事官(官邸)となりました。

小泉政権が誕生する直前、高橋氏は大蔵省から派遣されてプリンストン大学に学んでいました。2001年の2月に竹中氏とニューヨークで会っており、その後同年7月から「構造改革」に関わるようになります。

プリンストンから帰って、猪瀬直樹さんに頼まれて道路公団の民営化にもタッチしました。
道路公団に関し、学者を含めて関係者は「6兆円から7兆円の債務超過だ」と主張していました。これに対し高橋氏は「道路公団は債務超過でない」と証明し、資産査定の理論武装をして猪瀬氏を助けます。


郵政民営化は、高橋氏は大蔵省理財局にいた96~98年に財投改革を担当して郵政分野に通じていたので、竹中氏から「ぜひやってくれ」と頼まれます。2003年秋のことです。

2004年の夏に郵政民営化の基本方針を作った時、竹中さんは麻生太郎総務大臣と真っ向から対立します。麻生さんには総務省が付いていますが、竹中チームの方は高橋氏と岸博幸秘書官(現・慶応大学準教授)らの数名だけです。結果的には諮問会議で竹中さんの完勝に終わります。

郵政民営化の最初の難関はコンピュータシステムの問題です。「民営化というが、システム構築が間に合わない」と反対派が言い出し、公社総裁の生田正治さんもそれに乗ってしまいます。
高橋氏はシステム専門家に頼み、全部のシステムを見直し、当面いらないものを取り除いたら、1年半で構築できる見通しが出ました。多くの人はシステムは間に合うはずはないといっていましたが、昨年10月に郵政民営化がうまくスタートできたことで高橋氏の意見が間違っていなかったと証明されました。

郵政民営化の4分社化のアイデアも高橋氏によるものです。4分社化の方針はロジカルに考えた末に出てきた結論です。
さらに、郵政公社の廃止後、郵貯と簡保を直ちに商法会社にするという措置を講じておきました。商法会社にしてしまえば、揺り戻しの動きが出たとしても公社に戻すことが不可能です。これは役人でないと気付かない部分で、反対派は「やられた」と思ったはずです。

2005年9月の郵政選挙で小泉与党が大勝します。竹中さんから「熱の冷めないうちに政策金融をやろう」と言われ、政策金融機関の統合と民営化計画を手がけ、わずか二ヶ月で案を仕上げます。
どの国にも政策金融機関はありますが、ひとつくらいです。だから「ほとんど民営化して最後に一つでも残ればいい」という方針を出したところ、財務省と経産省の逆鱗に触れます。しかし小泉総理と竹中さんの力で押し切ったので、財務省も経産省も最後は手も足も出なかった。ある雑誌に某財務省高官のコメントとして「高橋は3回殺しても殺し足りない」という談話が載ったそうです。

高橋氏の埋蔵金発掘は、05年、小泉政権の経済財政諮問会議で、各省庁に指示して全ての特別会計の「資産負債差額」つまり、余剰金をいくら持っているかを試算させたのが最初です。高橋氏の“レーダー探査”によって明らかにすることができました。
「レーダー探査の仕組みを作るのは難しいけれど、それは私が役所からボコボコにやられながらやっていたんだから、あとは表計算ソフトに数字を入れて、ボタンを押せばパーッと出てくるんですよ、埋蔵金が。どの特別会計にいくらあるか、3日もあれば計算できる。」
そして今では、政府自身が経済対策の財源として埋蔵金をあてにするまでになったのです。

財務省では最後の半年ほど懲罰人事を喰らいますが、去年の3月に財務省を辞め、東洋大学の教授に就任しました。
そして最近は、テレビにもちょくちょく出演するようになっていました。


このような経歴を経てきた高橋氏が、何であんな破廉恥な犯罪を犯してしまったのか。全く理解の範疇を超えています。
せっかく高橋氏に期待していたのにこんな結末が待っていようとは。
(実は彼には盗癖があったんだ)なんて裏話でも聞かない限り(聞いてませんが)、とてもじゃないが納得できないつまらない結末になってしまいました。
コメント (2)
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国木田独歩「武蔵野」(2)

2009-03-29 21:19:27 | 杉並世田谷散歩
前回は、明治29年に国木田独歩が渋谷に住んでいた頃の、渋谷界隈の状況を調べてみました。ここでは引き続いて、独歩自身が「武蔵野 (岩波文庫)」の中で描いている武蔵野の様子についてたどってみます。

こんな時代の武蔵野ですから、現在われわれが杉並・世田谷を散策して見ることのできる景色とは全く別物であることはわかります。
国木田独歩がいう武蔵野の範囲は広いです。東は亀戸のあたりまで、西は立川から多摩川のあたりまでを含めています。この中にある東京の街中は除外します。しかし町外れは決して抹殺してはならないとします。ただし、彼が言う町外れは渋谷の道玄坂、早稲田の鬼子母神、新宿、白金、とありますから、現代の東京における町外れとは全く別の場所です。


東京周辺の土地を2種類に分けるとしたら、私は台地部と平野部に分けます。
平野部とは、川の水面レベルとほぼ等しい高さの平地が広がる地域で、東京近郊であれば隅田川、荒川によって形成された地域です。神田川の下流に広がる神田の界隈もこの範疇に入ります。川による浸食と、洪水が運んできた堆積物で形成された平野です。
台地部は、平坦なのですがその標高は平野部よりも高く、そこを川が流れると川によって土地が侵食され、川が流れる流域の標高は平坦な台地の標高よりも低くなります。その結果、平坦な台地部と、川が流れる谷部とが形成され、台地部と谷部の境が坂になり、坂が多い地形となります。
東京でいうと、京浜東北線(上野から北)の線路が、ちょうど台地部と平野部との境界になります。京浜東北線の東側が平野部、西側が台地部です。従って、京浜東北線の西側は谷部が多く、坂が多い地形となっています。
杉並区でいえば、神田川と善福寺川の流域が谷を形成し、それ以外の部分が平坦な台地部です。台地部は水が豊富ではないので、昔だったら畑でしょう。水田は谷部の川岸に形成されたはずです。

そのような見方で独歩の「武蔵野」を読みます。
「武蔵野には決して禿山はない。しかし大洋のうねりのように高低起伏している。それも外見には一面の平原のようで、むしろ高台の処々が低く窪んで小さな浅い谷をなしているといった方が適当であろう。この谷の底は大概水田である。畑はおもに高台にある、高台は林と畑とで様々の区画をなしている。畑は即ち野である。されば林とても数里にわたるものなく否、恐らく一里にわたるものもあるまい、畑とても一眸数里に続くものはなく一座の林の周囲は畑、一頃の畑の三方は林、というような具合で、農家がその間に散在して更にこれを分割している。即ち野やら林やら、ただ乱雑に入り組んでいて、忽ち林に入るかと思えば、忽ち野に出るというような風である。それがまた実に武蔵野に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道のような自然そのままの大原野大森林とは異なっていて、その趣も特異である。」

まさに、平坦な台地部と、窪んだ谷部とで形成される武蔵野の様子が示されています。
そして、武蔵野のもうひとつの特徴が、林と畑です。

下の地図は、古地図史料出版株式会社「東京近傍図(1/2万)七面組 明治二十年作 陸地測量部作」から、杉並区の神田川と善福寺川が合流する手前あたりを抜き出したものです。

古地図史料出版株式会社「東京近傍図(1/2万)七面組 明治二十年作」から

土地利用の地図記号については、以下のように解釈しました。地図の「空白」部分は畑です。

この地図からも、水田は神田川や善福寺川の流域(窪地・谷部)に限られることがわかります。そして谷部以外の平坦な台地部については、畑(地図記号なし)と雑木林が乱雑に入り組んでいる状況です。
まさに、独歩が描いた武蔵野の状況と等しい姿が現れています。

独歩の上記の文章を頭に置きながら杉並・世田谷のうねうねした路を歩くと、明治時代にはこの界隈が林と畑とが入り交じった土地であっただろうということを頭の中に思い描くことができます。現実には道の両側に果てしなく家が建ちならんでいるのですが。
しかしときどき、独歩の頃から繁っていたであろうと思われる巨大な古木に遭遇することがあります。

なお、古地図史料出版株式会社発行の地図の一部を掲載する件については、古地図史料出版株式会社殿に許可を得るための問い合わせをしているところです。
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国木田独歩「武蔵野」

2009-03-26 21:04:51 | 杉並世田谷散歩
私は東京杉並に住み、その周辺の散策を一つの趣味としているのですが、この界隈は“武蔵野”と呼べるはずで、そうとすれば国木田独歩の「武蔵野」と何らかの関係があるかもしれません。
その「武蔵野」、大昔に読んだような気もするのですが全く忘却しています。そこで再度読んでみました。
武蔵野 (岩波文庫)
国木田 独歩
岩波書店

このアイテムの詳細を見る

読んで分かったのですが、書籍「武蔵野」というのは、初期の作品18編を収めた国木田独歩自選の短編集を指すのだそうです。18編のうちの第1編が短編「武蔵野」でもあります。独歩26歳から5年間の作品が収録されています。

独歩は1896(明治29年)に半年ほど、豊多摩郡渋谷村上渋谷154番地(東京都渋谷区宇田川町(goo地図)。NHK放送センターの近く)に住んでいました。25歳の頃です。
私は、古地図史料出版株式会社が発行している「東京近傍図(1/2万)七面組 明治二十年作 陸地測量部作」を持っています。この地図で独歩の住まいを探してみましょう。図面中の青い線は、川の部分を私がなぞったものです。

  古地図史料出版株式会社「東京近傍図(1/2万)七面組」から

当時、独歩宅を初めて訪れた田山花袋が書いたものが、その頃の渋谷周辺の面影をよく表しています。下の文章中に私が記した①~⑤を、上記地図(拡大図の方)の中から探しだしてみました。当たっているかどうかわかりませんが。

「渋谷の通①を野に出ると、駒場に通ずる大きな路②が楢林について曲がっていて、向こうに野川のうねねうと田圃の中を流れているのが見え、その此方の下流には、水車③がかかっていて頻りに動いているのが見えた。地平線は鮮やかに晴れて、武蔵野に特有な林を持った低い丘がそれからそれへと続いて眺められた。私たちは水車③の傍らの土橋④を渡って、茶畑や大根畑に沿って歩いた。(中略)
少し行くと、はたして牛の5、6頭がごろごろしている牛乳屋があった。(中略)
路⑤はだらだらと細くその丘の上へと登っていった。斜草地、目もさめるような紅葉、畠の黒い土にくっきりと鮮やかな菊の一叢二叢、青々とした菜畠-ふと丘の上の家の前に、若い上品な色の白い痩せぎすな青年がじっと此方を見て立っているのを私たちは認めた。
「国木田君は此方ですか。」
「僕が国木田。」」

今だったら、渋谷の道玄坂下から東急ハンズの前を通ってNHK放送センターに至る繁華街です。ここが明治30年頃には、田圃と畠と水車小屋が点在する田園地帯だったと言うことになります。

まずは、独歩が住んでいた頃の渋谷の景色について、田山花袋の筆を借りて確認しました。
次回は、独歩が見た武蔵野の風景について書いてみます。

なお、昔の地図記号についてこちらで調べたところ、上記地図の③の記号は「工場」なのです。水車は微妙に異なる別の記号です。しかし、明治20年地図の全体を見ても、工場があるべきところに「工場」記号は記されておらず、③の記号は必ず川沿いにあります。ということで、この地図では③の地図記号が「水車」を表しているのではないかと推測できます。
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フィットネスに通い始めた

2009-03-24 22:13:29 | Weblog
4年前に高脂血症の宣告を受けて以来、健康に留意しています。3年前に始めたパワーウォーキングと、2年前からの栄養摂取量の減少による効果はこちらに書いたとおりです。さらに1年前からは筋トレとしてスロトレ始めています。それらの効果はここに報告したとおりです。
こうしてこの3年間、毎年新しいことをはじめ、徐々に体重が減少し、健康診断で測定される数値も改善してきました。
さてそれでは、今年は何を始めようか。「スロトレ」とは、低荷重ながら筋肉をだまし、成長ホルモンを分泌させて筋肉を増強しようというものです。そろそろ筋肉をただだますのではなく、本当に高荷重をかけて筋肉を鍛えた方が効果が上がるのではないか、と考えました。そこで、いよいよ今年はフィットネスジムに入会し、通うことにしたのです。

近所の駅ビルが新築になり、その中にフィットネスジムが開設されたのは知っていました。まずは有料体験を経た後、そのジムに入会することにしました。ティップネスというフィットネスクラブです。

通い始めて1ヶ月が経過しました。
原則として週に2回、筋トレだけを行っています。有酸素マシンもたくさん置いてあるのですが、今のところ有酸素運動は通勤時のパワーウォーキングと自宅のエアロバイクで行うようにしています。

私の場合、筋トレを計画するにあたって以下のような留意事項があります。
(1) 私は頭痛持ちであり、背中の僧帽筋を鍛えると、次の日に激しい頭痛に襲われる。
(2) 左肩が五十肩の最中であり、左手を上に引っ張る運動をすることができない。
(3) 40年ほど前に2年間ほどサッカーをやった遺産として、足の筋肉は発達している。逆に上半身の筋肉はほとんど付いていない。

以上のような特質があるため、腕や肩の筋トレマシンは種類を限定し、かつ負荷を軽くしています。そこで、筋トレマシンとして以下のマシンを使うメニューを作りました。
指導では、筋肉を収縮するときに2秒、伸ばすときに4秒、それを繰り返します。呼吸は、筋肉収縮時にはき出し、筋肉を伸ばすときに吸い込みます。
各種目、10回を1セットとして3セットないし2セットを行います。セット間のインターバルは30秒~1分としました。













足の筋肉はもともとサッカーの遺産を持っていたので、比較的順調に伸びています。レッグプレスを最初は負荷(F)80kgから開始し、1ヶ月が経過した現在では130kg×3セットまで負荷を上げました。
ペクトラルは35キロ×3セット
チェストプレスは肩の筋肉も使うので、頭痛回避のため、30キロ×2セットという軽負荷です。
腹筋に関しては、まずシットアップを2セット行い、時間を空けてクランチを3セット行っています。

この1ヶ月間の成果に関してはまた別の機会に。
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横田宏信「ソニーをダメにした「普通」という病」(2)

2009-03-22 13:28:16 | 趣味・読書
3月12日に引き続き、横田宏信著「ソニーをダメにした「普通」という病」から面白かった点をピックアップします。

「本来、何事にも本質を求めて止まないのがソニー流である。」
横田氏は1980年代後半、イギリスで勤務し、ソニーの欧州テレビ事業で業務プロセスの革新を成功させます。それまで4、5ヶ月先であった生産確定の対象期間を4週間先まで短縮し、同時に在庫も大幅に圧縮するというものです。これはソニー初であり、世界初でもありました。これが、後年世界的なSCM(Supply Chain Management)ブームとなる改革のはしりだったのです。

「機能価値」と「使用価値」
技術者というものは、とかく「機能価値」で勝負しがちであり、特に日本人技術者にその傾向が強いと横田氏はいいます。
それに対し、ソニーが生み出したウォークマンは、ソニーの誇る優れた録音機能を取り去り、再生機能のみを残すことによって大幅な小型軽量化を実現しました。録音という「機能価値」をあえて犠牲にし、ユビキタスな音楽再生という全く新しい「使用価値」を世界に先駆けて生み出したのです。

最近のソニーでは「使用価値」ということばを全く見なくなりました。

《成果主義》
「普通の国際企業の例に漏れず、ソニーも成果主義を導入した。最近のソニーは、よほど『人のやること』がお好きらしい。」
成果主義に基づいて成果序列をつけようとすると、成果を比較する必要があります。しかし、成果を数字化しづらい職種での比較、あるいは異なる職種間での成果の比較をやろうとするため、無理矢理な比較のための無理矢理なコジツケ論理が作られることとなります。
成果主義を導入したとされる企業では、こうした『コジツケの体系』の運用に膨大な時間を費やします。
「人は、コントロールするものではない。
『人はモチベートする』ものである。放っておいても仕事を通じた社会貢献を自立的に楽しめるようにするのが、リーダーたる者の使命なのだ。」
「昔のソニーでは、次のような台詞が飛び交っていた。
『管理職なんかになるもんじゃない、仕事が楽しくなくなる』
『あんまり、金、金って言うな。カッコ悪い』」

「投資家は『お金を活かす』ことを狙って経営者にお金を付託し、経営者は『人を活かす』ことに注力する。これが、投資家と経営者の原理的な役割分担である。」
それが最近は、経営者も普通の投資家のようになり、下にも「お金を活かす」ことを求めるようになります。

《消えた内部統制の鍵「お局さん」》
「お局さんとは、仕事に筋を通すことを何よりも重んじる、経験豊富な職業婦人のことであり、職場の良心である。
ソニーには、たくさんのお局さんがいた。」
お局さんは駄目な上司を容赦しません。お局さんが、若手のみならず管理職をも鍛えていました。
「それに、なにしろお局さんがにらみを効かせる職場では、社会的不祥事など、起こそうにも起こせるものではない。」
「私は、男性に多く見られる『予定調和』の発想を否定する。『予定調和』の発想とは、ビジネスとしての正解を突き詰めるよりも、内輪の納得感を優先した『落としどころ』を最初から狙うというパターンの考え方のことであり、これは世の中の進歩を妨げるものであるが、女性は、総じてそうした発想とは無縁である。
だから、そうした女性の資質というものを、もっともっとビジネスシーンで活かすべきだと私は強く考えており、その意味で、私は女性管理職待望論者でもある。
しかし、お局さんは、自身のキャリア向上を捨てでも職場の良心であり続けることを選ぶ。自分の分担すべき役割を、ここと定めて一歩も動かない。」
「ところが近頃、ソニーを含めて、大企業ではとんとお局さんを見かけない。一方、中小零細企業では、まだまだ健在だ。」

「優れた経営コンサルタントとは、企業経営にまつわる様々な事象を、それらの本質に即して論理的に分類整理する能力、すなわち『構造化能力』を磨きに磨き上げた者のことである。
自らの中にゆるぎない論理の構造物を持ち、ありものの経営手法に軽々に依存することもない。ありものの経営手法に軽々に依存する者は、優れた経営コンサルタントといえるものではない。
そして、この高い『構造化能力』は、実は、優れた経営者の多くにも共通するものである。
そして、優れた経営者は、自らの中にある巨大な構造物を、ほんの一言のメッセージに凝縮する、という高い『抽象化能力』を併せ持つ。つまり、『要は何か』を短く語りきる能力だ。
この『抽象化能力』において、優れた経営コンサルタントは、優れた経営者にはとてもとても対抗できるものではない。完璧に理論立った説明よりも、時に一言だけの『メッセージ』のほうが、人には深く響くものである。
優れた経営者は、『説明』ではなく『メッセージ』で勝負する。」

「私が英国での生活を経験したことはすでに書いたが、英国と言えばパブが有名である。私が住んでいた英国の片田舎には、まだブルーカラーとホワイトカラーにそれぞれ専用のスペースが区画されているパブが残っていて、ある日、そうと知らずにブルーカラーの方へ入っていったとたん、丁重にではあったが、有無を言わさず追い出されたことがある。私がネクタイをしていたので、すぐに分かったのだそうだ。
「私には、国は違えど、その時、肌で分かった。ブルーカラーは、ブルーカラーであることを誇りとし、ホワイトカラーとは違うライフスタイルを楽しんでいるのだと。」
「ブルーカラーとホワイトカラーは、社会的な役割分担でしかない。使う、使われるの感覚は無用だ。それぞれがそれぞれの役割を誇りを持って全うし、時には『俺たちは奴らとは違うのだ』と言い放って、それぞれ独自のライフスタイルで共存共栄していけば良いのだと思う。」
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検察vs小沢陣営バトルの行方

2009-03-19 00:01:50 | 歴史・社会
民主党小沢代表の公設第一秘書が東京地検特捜部に逮捕され、民主党は大変の危機状況に陥っています。
世間の評価としては、“逮捕容疑は微罪だが、特捜は大きな犯罪を掴んでいるに違いない”、“やっぱりあの小沢さんは裏で何かしていたか”といったところでしょうか。
しかし、一向にその“大きな犯罪”は出てこないし、検察は正式記者会見を開かず、毎日のように検察リークを垂れ流すのみです。一体どうなっているのでしょうか。

NB OnLine(日経ビジネスオンライン)の記事「「ガダルカナル」化する特捜捜査/「大本営発表」に惑わされてはならない(郷原 信郎)」を読んだところ、郷原さんの見立ては一般とはずいぶんと異なったものでした。
「民主党小沢代表の公設第一秘書の大久保氏が東京地検特捜部に、政治資金規正法違反(政治資金収支報告書の虚偽記載罪)の容疑で逮捕されてからおよそ2週間。衆議院議員総選挙を控え、極めて重大な政治的影響が生じるこの時期に、比較的軽微な政治資金規正法違反の事件で強制捜査に着手した検察側の意図、捜査の実情、今後予想される展開が、おぼろげながら見えてきた。」

まず、今回の小沢公設秘書の逮捕は、大きな犯罪を摘発するための第一段階というより、特捜が軽率に行ってしまったものではないか、ということです。

今の時期、全国の検察はもっとも多忙なときだそうです。3月末の定期大異動を控えて事件の引継を行いつつ、今年はさらに5月から始まる裁判員制度に向けての準備に組織を挙げて取り組んでいるはずです。その忙しい時期に、今回の強制捜査着手後に、東京地検の特捜部以外の他の部のみならず、全国の地検から検事の応援派遣を受けて行われているというのです。
このような泥縄式の捜査が行われているということから、現在の捜査は決して予定してのものではないというのです。
「強制捜査に着手したところ、民主党サイドの猛反発、強烈な検察批判などによって、予想外に大きな政治的・社会的影響が生じてしまったことに驚愕し、批判をかわすため、泥縄式に捜査の戦線を拡大しているということではないか。当初から、他地検への応援要請が必要と考えていたのであれば、強制捜査着手を別の時期に設定していたはずだ。」

小沢公設秘書逮捕容疑の政治資金規正法違反事件ですが、収支報告書の虚偽記載罪が成立するとすれば、献金の名義とされた西松建設のOBが代表を務める政治団体の実体が全くないということが実証された場合のみです。しかし、この政治団体には事務所も存在し、代表者のOBが常駐し、一応活動の実態もあったという情報もあります。検察の思惑通りに犯罪は立件されない可能性が高いのです。


それに代わって、にわかに活発になったのが、東京地検特捜部が東北地方の大手ゼネコンなどの一斉聴取に乗り出したとの報道です。
「まず、この「迂回献金」や公共工事を巡る談合などに関する小沢氏側の新たな犯罪事実を立件できる可能性はほとんどないと言ってよいだろう。」
「 「迂回献金」は、政治資金の寄附行為者の開示だけが義務づけられ、資金の拠出者の開示を求めていない現在の政治資金規正法上は違法ではない。また、2005年の年末、大手ゼネコンの間で「談合訣別宣言」が行われ、2006年以降は、公共工事を巡る談合構造は一気に解消されていった。現時点では2006年3月以前の談合の事実はすべて時効が完成しているので、談合罪など談合の事実自体の立件は考えにくい。また、談合構造を前提にした「口利き」などでのあっせん利得罪の時効期間も同じであり、立件は考えられない。
 そうなると、今回の建設業者への捜査は、新たな犯罪の立件のためではなく小沢氏の秘書の逮捕事実の悪性を根拠づける証拠の収集のための捜査としか考えられない。」
しかし、東北地方の大手ゼネコンをいくら捜査しても、犯罪を摘発することは極めて困難であろうと郷原氏は予測します。


一方、マスコミは毎日一面で捜査状況を報じています。そのニュースソースはほとんど検察リークのようです。マスコミは何の疑いもなく、検察リーク情報を真実の情報として流し続けます。
郷原氏が「大本営発表」といっているのはこの現象についてです。

たとえ小沢公設秘書の容疑が最終的に冤罪、あるいは極めて軽微な犯罪であったとしても、マスコミのこの報道によって世論は大きく動かされています。

そして東京地検特捜部は、たとえどんな微罪であろうと、一度逮捕した容疑者については絶対に起訴に持ち込むことでしょう。その点は、外務省の佐藤優氏の逮捕劇からも明白です。
一方で日本国民と国民に迎合するマスコミは、小沢陣営が真っ白でない限り、つまり公設秘書が不起訴で終焉しない限り、小沢陣営を許さないだろうと推測されます。しかしそんな結末はあり得ないでしょう。
検察に見込まれてしまった小沢氏は、もう浮かぶ瀬がないのでしょうか。


以上から考えると、検察の軽率と片意地によって、日本の政治がズタズタにされてしまったという構図となりそうです。
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朝のNHKでうどん特集

2009-03-17 22:30:35 | 趣味・読書
3月17日朝のNHK「生活ほっとモーニング」で、うどんを取り上げていました。
にっぽんの味ところ変われば ご当地うどん自慢」というテーマです。
出勤前のひととき、細切れですが見ていました。

まずはもちろん香川のさぬきうどん。
山懐にある集落のうどんやです。前の通りに行列ができています。大阪から来た若い女性3人グループがいます。この店はどこだろう。
レポーターが「米」の看板を見て「お米屋さんですよ」のようなことを言っています。ということは“谷川米穀店”か?

見ていると、谷川おばあちゃんが登場しました。やはり谷川米穀店です。おばあちゃんは80歳を過ぎています。40年以上前にうどんをはじめたそうです。
店内の客が座るスペースはごく僅かのようでした。大将はおばあちゃんのむすこさんで、黙々とうどんを打っています。客の相手をするのはむすこさんのお嫁さんです。孫の男の子も手伝っていました。
メニューは釜玉でした。

谷川米穀店、今でこそ大阪からも客がやってくる全国的有名店ですが、麺通団の田尾団長が紹介するまでは、高松の人でさえ知らないローカルなお店でした。なにしろ田尾団長が知らなかったのですから。
このブログでも紹介した文庫本「恐るべきさぬきうどん」では、その巻頭で、麺通団の団員紹介があります。その中の「太っ腹 D々さん」は「「谷川米穀店」の第一発見者」と紹介されています。

同じ「恐るべきさぬきうどん」によると、田尾団長がはじめて谷川米穀店を訪問したのは平成元年です。
「まさに感動もののうどん。素朴で生き生きしてて、こんなうどんが食べられることを讃岐人として誇りに思いたい。しかしそれにしてもよく見つかったもんやなー。谷川米穀店、その後改装して店がきれいになって奥さんもきれいになって(うまい!)それでも看板が出てない!」

しかし、これだけ全国的に有名になり、行列ができるようになると、普通のお店だったら量産に走って味が落ちるものでしょう。そころがこの谷川米穀店は、「讃岐うどんの強者50人が選んだ2006年私の好きなうどん屋総合ランキング」で堂々の5位に位置しているのです。人気にかまけず、味を守り抜いているということですね。


生活ほっとモーニングが訪問した2番目のさぬきうどんは、どっかの田舎にある製麺所でした。「恐るべきさぬきうどん」でも、おいしいうどんのトップは製麺所並設セルフ店です。
今回の製麺所もセルフですが、それが実に徹底しています。店内には、どんぶりもだしも何も置いていないのです。どんぶりを持参すると、その中におばちゃんがゆでたての麺を手づかみで入れてくれます。生醤油も自分で持参し、うどんにかけて食するのです。
店側で準備するのはゆでた麺のみ、という徹底ぶりです。
何という店だったか覚えていません。

気をつけてみていると、さぬきうどんのディープな店はテレビ番組でしょっちゅう取り上げられているようでした。
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政府系金融機関の民営化、与謝野氏が「間違いだった」

2009-03-15 20:22:01 | 歴史・社会
政府系金融機関の民営化、与謝野氏が「間違いだった」
2009年3月10日(火)22:57
「与謝野財務・金融相は10日の参院予算委員会で、小泉内閣時代に政府系金融機関の統廃合や民営化を進めた政策金融改革について、「(改革)当時は世界が順調に成長していくという前提の経済学で、世界が同時に不況になることをまったく想定していなかった。間違いだった」と述べ、改革に誤りがあったとの認識を示した。自民党の西田昌司氏の質問に答えた。
 政策金融改革では小泉政権時代の05年、八つの政府系機関の統廃合などを閣議決定。08年10月、国民生活金融公庫など4機関が統合して日本政策金融公庫が発足した。」

与謝野さんがとうとう逆襲に出てきたのでしょうか。
政府系金融機関の統廃合に関連して、小泉政権の竹中平蔵氏と高橋洋一氏の陣営 vs 与謝野馨氏のバトルについては、このブログで1年ちょっと前に書いてきました。高橋洋一氏と埋蔵金高橋洋一氏と小泉構造改革(2)などです。

政府系金融機関というのは、そのトップが高級官僚の天下り先としてもっとも価値のあるものでした。そのため、8つもの政府系金融機関が乱立していました。

2005年9月の郵政選挙で小泉与党が大勝します。
高橋洋一氏は竹中さんから「熱の冷めないうちに政策金融をやろう」と言われ、わずか二ヶ月で案を仕上げます。
どの国にも政策金融機関はありますが、ひとつくらいです。だから「ほとんど民営化して最後に一つでも残ればいい」という方針を出したところ、財務省と経産省の逆鱗に触れます。
高橋氏と与謝野氏との対立のきっかけはこのときからです。経済財政諮問会議で高橋氏が廃止を主張すると、与謝野氏から「財務省の了解を得ているか」聞かれ、高橋氏が「当然していません。これから戦うんです」といったら、「それじゃ、だめだね」と。
与謝野馨氏は、「財務省の守護神」だったそうです。

しかし小泉総理と竹中さんの力で押し切ったので、財務省も経産省も最後は手も足も出なかった。ある雑誌に某財務省高官のコメントとして「高橋は3回殺しても殺し足りない」という談話が載ったそうです。


高橋氏は、小泉政権では竹中平蔵氏とのコンビで存分に力を発揮しました。
しかし安倍政権時代、内閣改造で与謝野氏が官房長官になると、高橋氏は経済社会総合研究所に出向を命じられます。高橋氏の当時の職場は、研究所の倉庫だったところに机を置かれ、財務省の“社史編纂”のようなことをやらされていたそうです。その後、高橋氏は財務省を辞め、東洋大学の教授に就任しました。


今になって、上述のニュースのように、与謝野財務・金融相は、小泉内閣時代に政府系金融機関の統廃合や民営化を進めた政策金融改革について、改革に誤りがあったとの認識を示しました。
私の印象では、政府系金融機関の数を減らしたことは問題にはならないはずです。政府系金融機関を一つだけ持っていれば、必要な政策はその金融機関が行えばいいのです。金融機関の数が多くないと対応できないという主張はよくわかりません。

ぜひここは、高橋洋一氏に登場願い、与謝野 vs 高橋のバトルを再開して欲しいものです。


なお、現政権が財源として特にあてにしている「霞が関の埋蔵金」、その名付け親が実は与謝野馨氏でした。
2007年11月、与謝野馨・前官房長官が会長を務める自民党財政改革研究会が出した報告書に“特別会計の余剰金の話をしている人がいるが、埋蔵金伝説のようなものだ”と書いたのが最初です。これに逆に奮起した高橋洋一氏が夜な夜な資料を調べ、その埋蔵金を発掘したのです。
これ以降、「埋蔵金」というフレーズの新鮮さが受け、すっかり熟語として定着しました。
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横田宏信「ソニーをダメにした「普通」という病」

2009-03-12 21:58:18 | 歴史・社会
ソニーという会社は、私が物心ついた頃から、エクセレントな会社であり続けました。井深大、盛田昭夫の二人の創業者が退場された後も、ホンダとともになぜエクセレントであり続けていられるのだろうと不思議に思っていたものです。
そのソニーが、現在ではどうも普通の会社になってしまったようです。
ソニーをダメにした「普通」という病
横田 宏信
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著者の横田氏は、慶応経済を出て1982年にソニーに勤務。現場の部品検査部門をスタートに、その後イギリス勤務では「出る杭」ぶりを発揮します。
1995年頃にソニーを退社し、コンサルタントの道に入ります。一度は起業に失敗しますが、大手のコンサルティング会社に就職して大手企業の大規模な経営革新プロジェクトを成功させます。2004年に会社を立ち上げ、現在もコンサルティング活動を続けています。

横田氏の経験から、特に日本企業でよく耳にする台詞のトップ3は
1番目「会社のため」
2番目「そんなの聞いてない」
3番目「我が社流」
であるとします。

そして盛田氏が健在であった頃のソニーは、上の3つのいずれも反対に位置していたものが、現在のソニーは上の3つにいずれも該当するようになっているようです。

横田氏がソニーに入社して最初に盛田さんから言われたのは「ソニーで働いても楽しめないと思ったら、すぐに辞めなさい」でした。ソニーでは「会社のため」に働くのではなく、ソニーという会社を通じて「社会のため」に働いていたのです。

横田さんが入社した当時、会議で「そんなの聞いてない」と発言したら他の出席者から「だから何?」と言われるだけでしたが、そんな場面も消えていきました。
日本でよく言われる「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」は、「そんなの聞いてない」とごねる上司に対応するための処世術であるわけです。

コンサルティングの現場で「我が社流」が出てくると、大抵は個人の趣味に過ぎないそうです。
最近のソニーでは、プロジェクトの中心人物がへんてこな方針を主張した場合、他のメンバーが「横田さんもご存じの通り、ウチは『人がルール』の会社ですから」と返ってきます。しかし横田さんがご存じだったソニーは「本質がルール」の会社でした。

「私が入社した頃のソニーの組織は、世間からよく『カオス(混沌)』的な組織だと揶揄されていた。
直属の管理職の言うことは聞かないくせに他部門の尊敬する管理職の言うことなら聞く奴。逆に、他部門のメンバーをまるで自分の部下であるかのようにコキ使う管理職など、ざらにいた。
出社はしても自分の席を温めた試しがなく、あちらこちらの職場をふらふらし続ける奴も特に珍しくはなかった。そして、時折そういう奴から、面白い組織間連携の話が持ち込まれたりもした。」

横田さんによると、昔の「ソニー流」とは「何かを真似したり、何かにかぶれたりでは、その何かを超えることはできない。だから、本質の飽くなき追求だけを考えればいい。そして、そのビジネスの本質に忠実であることが、ソニー流なのだ。」ということです。

横田さんが入社した当時、ソニーの本社部門ではすでにソニー流はずいぶん廃れていたようですが、横田さんが配属したのは大崎工場の部品検査部門でした。そして、ソニー流を最も強く受け継いできたのは、工場の技術者たちだったのです。
それが現在では・・・
「いまや、米国かぶれ企業であるという点で、世間の見る目とソニー内部の実態にズレはないと思う。」

「ついでになるが、『産業界全体の間接部門』とでも呼ぶべきコンサルティング業界、特に外資系コンサルティング業界の人間の米国かぶれは、それこそすさまじいものがある。米国流を受け入れない企業は馬鹿げているとさえ言い放つ愚か者が実に多い。同じMBAでも、米国で取得したMBAしか実質的にその価値を認められない業界である。
それでも、同じく産業界全体の間接部門である金融業界、なかでも投資会社には負けるが。」
この本は2008年2月の出版ですが、その後起こった米国発の世界金融危機を見ていると、「まさにおっしゃるとおり」ということになりそうです。

ソニーはずっと就職人気企業トップであり続け、ソニーには高学歴者が集まります。高学歴の優等生ばかりになってしまい、ソニーというブランドの上にあぐらをかいて、実績もないのにでかい顔をしている社員ばかりになりました。


横田さんは、ソニー時代には、ソニースピリットの残る現場を経験し、米国かぶれに陥った本社部門も経験しました。そしてコンサルティング業界に移ったあとは、裸一貫でスタートし、大手コンサルティング会社でコンサルタントとしてのトップポジションを経験します。
このような経験を踏まえ、ソニーの今昔を比較することから、企業再生へのヒントを語っています。

しかし、普通の人が集まる会社で、普通でない会社にしていくことは極めて困難に思います。ソニーが普通でなかったのは、井深大、盛田昭夫という卓越した創業者に恵まれたことが大きいでしょう。
一度普通の会社になってしまったソニーが、再度(いい方向で)普通でない会社に変身するのは並大抵でないと思います。
「読んだ人の意識が少しでも変われば」という程度の効果期待でしょうか。

この他にも、この本ではいろいろ語られています。また別の機会に。
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知財管理誌「補正・訂正に関する内容的制限が緩和された事例(「除くクレーム事件」以降)」

2009-03-10 21:32:08 | 知的財産権
知財管理誌2009年No.2に、「補正・訂正に関する内容的制限が緩和された事例(「除くクレーム事件」以降)」という記事が掲載されています。今回、この記事を読む機会がありました。

「除くクレーム事件」知財高裁大合議判決では、補正・訂正が「願書に添付した明細書等に記載した事項の範囲内」でなされているか否かについての判断基準が示されました。もう1回復習しましょう。
(1) 補正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該補正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。(41ページ5行)

(2) 付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合や,その記載から自明である事項である場合には,そのような訂正は,特段の事情のない限り,新たな技術的事項を導入しないものであると認められ,「明細書又は図面に記載された範囲内において」するものであるということができるのであり,実務上このような判断手法が妥当する事例が多いものと考えられる。(41ページ15行)

(3) 明細書又は図面に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする訂正についても,平成6年改正前の特許法134条2項ただし書が適用されることに変わりはなく,このような訂正も,明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する訂正であるというべきである。(43ページ8行)
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上記(1) で裁判規範を定立し、その具体的な表れを(2) と(3) で示しています。(2) は「明細書等に明示的に記載されている場合や,その記載から自明である事項である場合」とあるように、現在の審査基準を含めた実務の実態を表しています。そして(3) が、現在の審査実務を超えて、補正可能範囲を広げたものと私が解釈している部分です。


知財管理誌によると、「除くクレーム事件」以降、「保形性を有する衣服」事件の判決がなされたといいます。平20行ケ10053です。
こちらの事件では、無効審判において特許請求の範囲の訂正を行い、その訂正が新規事項の追加であるとして審決で却下されました。今回の訂正は「除くクレーム」ではなく、特許請求の範囲についての通常の訂正です。
審決取消訴訟において、原告である特許権者は、「訂正は出願当初明細書等の記載から自明である」と主張しました。

裁判所は、まず一般論として、
「訂正が,当業者によって,明細書,特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該訂正は,「明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができ,特許請求の範囲の減縮を目的として,特許請求の範囲に限定を付加する訂正を行う場合において,付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合や,その記載から自明である事項である場合には,そのような訂正は,特段の事情のない限り,新たな技術的事項を導入しないものであると認められ,「明細書,特許請求の範囲又は図面に記載された範囲内において」するものであるということができる」
と説示しました。「除くクレーム事件」の上記(1) と(2) です。
ということは、「除くクレーム事件」の裁判規範に準拠しているといっても、具体的には現行の審査基準の判断手法と何ら変わらないということになります。

実際、「訂正は適法である」との結論を導くに当たり、「当業者であれば、本件明細書の記載から自明である事項として認識することができる」としており、現行の審査基準と変わるところがありません。

以上からすると、上記「保形性を有する衣服」事件の意味するところは、「除くクレーム事件」で示された裁判規範が、「除くクレーム」ではない通常の補正についても適用されることが明示された、という点でしょうか。
上記(3) 規範が用いられるか否かについては不明なままです。


ところで、知財管理誌の記事では、さらに以下の事項を述べています。
「(除くクレーム事件の)裁判所の判断には、違和感が残る。・・・・・裁判所の理論に従うと、補正(訂正)前と後とでクレームされた技術的事項の作用効果が同じであるならば、技術的事項の外縁を定義する発明特定事項の記載が明細書等になくとも、出願人・権利者がそれを自由に追加できることとなり、あまりに補正(訂正)の自由度が高くなってしまうからである。例えば明細書等に「1<x<100」の数値範囲が記載されていたときに、補正(訂正)後の作用効果が同じであれば、いかなる時でも、また補正(訂正)により追加する新たな数値範囲の値(発明特定事項)が明細書等に記載されていなくても、出願人・権利者は、その数値範囲を自由に狭めること(「点」で一部を除くこと、および「範囲」で一部を除くことのいずれも)が可能となるかのように読め、あまりに現状の実務からかけ離れてしまうからである。」

そう、私もこの判決からそのように読めてしまいます(こちらこちら)。

知財管理誌の記事では、このように読めてしまう判決は問題であるとします。
「そもそも、「除くクレーム」が適法であることの解釈として、今回の大合議判決のような解釈に無理がある。「除くクレーム」は原則として新規事項追加であると認めた上で、一定条件を課した上で例外的に認めることを特許法上で規定すべきである。」
とのご意見です。

さて、知財高裁大合議判決が最高裁でも認められて、補正可能範囲が実質的に広がっていくのか、そうでないのか、今後の動向を見守るしかありません。
コメント (16)
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