弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

半導体一強の2社(TSMCとASML)

2022-06-29 21:37:51 | 歴史・社会
台湾TSMC・蘭ASML 半導体2強、進む技術支配
2022年6月29日 日経新聞
『自動運転など次世代技術の核心となる先端半導体の製造が、世界でたった2つの企業に独占され始めている。台湾積体電路製造(TSMC)とオランダの半導体製造装置大手のASMLだ。両社がいなければ、もはや先端製品が生まれない状況にさえなりつつある。世界に備えはあるのか。技術覇権を激しく争う米中にも大きな影響を及ぼすのは必至だ。』

このブログの「日本の半導体産業 2022-02-26」で、半導体をその製品分野別に分け、それぞれについて世界と日本の半導体産業の現状を概観しました。その中で、ロジック向け半導体については、
『最近、台湾のTSMCが話題になります。
(1)最先端の5nm~3nmの製品は、世界でもTSMCのみが量産できています。
(2)TSMCが熊本に20nmクラスの半導体工場を新設し、それに日本政府が4千億円の補助をします。
(3)TSMCがアメリカに最先端(5nmクラス)の半導体工場を新設し、米政府が兆単位の補助をします。
(4)アメリカが設けた規制により、台湾のTSMCから中国のファーウェイへの輸出が不可能になり、ファーウェイのスマホは壊滅的な打撃を受けました。』
と述べました。

最先端の半導体を製造する上で、シリコンウェーハ上に回路を描画するための露光装置が最も重要な装置です。昔は、日本のニコンとキャノンが世界の露光装置の2強として君臨していました。ところが、ロジックで台湾のTSMCが一強として君臨するのと軌を一にして、露光装置でオランダのASMLが一強となり、ニコンとキャノンは凋落した、という情報も得ていました。

今回の日経記事は、このような現状に至るいきさつを概観しており、その意味で私には有益でした。
『(露光装置の)EUV装置は10万点もの部品で構成され、重さは約200トン。1台当たり200億円にものぼる高性能装置であるがゆえ、昨年の出荷台数は42台にとどまる。多くはTSMC向けだったが「その獲得競争は現在、各国政府も巻き込み、熾烈(しれつ)を極める状況にある」(装置関連メーカー幹部)。』

『2つの国際会議でみえたのは、世界の半導体製造は、今後もASMLとTSMCが共に強力にリードしていくという両社の自信だ。さらには半導体の回路線幅が2ナノ(ナノは10億分の1)メートル以下となる超最先端の半導体製造を可能にする「次世代設備」の導入がいよいよ視野に入ってきたという安心感も、顧客に与えた。』

『例えば、米アップルの人気スマートフォン「iPhone13」。この心臓部の先端半導体を製造できる装置を持つのは、世界でASMLのみ。同社が開発した「EUV露光装置」でしか実現できず、世界シェアは100%だ。
しかも、そのEUV装置を使って、歩留まり良く、安定的に先端半導体をつくることができる企業も現在、世界でTSMCのほぼ1社しかいない。こちらの世界シェアは92%だ。』

最先端の露光装置はASMLでしか製造できないとしても、TSMC以外の半導体メーカーがその露光装置を購入して最先端の半導体を製造することはできないのでしょうか。特に、日本の半導体メーカーを駆逐した韓国のサムスンなどが思いつきます。

『サムスンの内情を知る大手装置関連メーカーのある幹部は「サムスンは先端の半導体の歩留まりをなかなかあげられず、相当焦っている。主要顧客からも発注量を減らされ、この1年ほど非常に苦しんでいる」と明かす。』

ここまでTSMCとASMLの一強2社の独走を許した背景には何があるのでしょうか。

1997年。インテルは当時、国際的なコンソーシアムを立ち上げ、米モトローラなどと共同で最先端のEUV装置の開発に乗り出しました。しかし、TSMCの参画をかたくなに拒否したといいます。
これに対し、TSMCはASMLをパートナーに選び、2社でEUV開発にまい進しました。結果として、世界初のEUVの実用化にこぎ着け、2019年から先端半導体の量産を成功させました。

『00年代、世界の露光装置市場でシェア7割近くを占め、世界を席巻していたニコンなどの日本勢も、インテルと歩調を合わせるうちに「開発が遅れ、共倒れした」(業界関係者)ことも、2社には追い風となった。』

ASMLの親会社はフィリップスです。フィリップスはTSMCの大株主となり創業期を支えるとともに、ASMLとのビジネス面での仲介役にもなってきました。

『こうした歴史の上に今の2強がある。』(日経記事、以上)

半導体の歴史をたどると、まずはアメリカで集積回路(IC)が発明され(ICの最先発明者は誰か 2006-09-27)、半導体産業が立ち上がりました。
次いで、日本の半導体産業(主にDRAM)が隆盛し、アメリカの企業はDRAMから撤退を余儀なくされました。
日本企業の隆盛も続かず、韓国のサムスンに取って代わられました。
それが現在は、こと最先端ロジックの分野では、半導体メーカーではTSMCの一強、露光装置メーカーではASMLの一強です。
しかし、今までの隆盛と凋落の歴史を顧みると、現在の一強が次の世代の一強になるとは限りません。そう思って見ているのですが、現時点では、TSMCの一強を脅かすような他社の兆候は全く感じられません。
世界のロジック半導体(少なくとも最先端製品)が、台湾でしか製造できない、という現状には大きな安保リスクを感じます。中国が台湾を占領したら、すべてが中国のものになってしまいます。
少なくともロジックの普及品(20nmクラス)については、TSMCが熊本に新工場を建設することとなり、その点のみでは少しはリスク回避になりそうですが・・・。
私は、20nmクラスロジックの工場建設に政府が補助金を出すのであれば、むしろ台湾のTSMCではなく、日本のルネサスに補助金を出して育成することがスジではないか、と思っているのですが・・・。

ロジック以外の半導体分野はどうでしょうか。
DRAMについては、1990年代は日本の電機メーカーのほとんどが製造していました。私もシリコンウェーハメーカーの技術営業として、全国各地を回った記憶があります。各社のDRAM部門を集約してエルピーダができ、坂本社長の下で一時は良い方向に行っていたのですが(NHKプロフェッショナル・坂本幸雄 2007-05-13)、円高に負けて(エルピーダが会社更生法適用申請 2012-02-28エルピーダの教訓 2022-02-27)、米マイクロンに買収されてしまいました。半導体安保を視野に入れていたら、あのときに日本政府は支援して欲しかったですね。

フラッシュメモリーについては、これを発明したのが東芝社員で、東芝から分社したキオクシアが現在も頑張っています。
画像撮像素子については、ソニーが頑張っています。
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料理の上手下手問題/井上荒野さん

2022-06-27 18:00:48 | Weblog
料理の上手下手問題 作家 井上荒野 あすへの話題
2022年6月21日 日本経済新聞
『既述したが、週に3日、夫が夕食作りを担当している。』・・・
『でも実際のところ、夫の料理の腕前はプロやシェフのそれとは違う。オリジナルの料理は作れないし、応用力もない。これも既述だが、プロのレシピを見て、プラモデルのように作っているので、パーツ(材料)がひとつでも欠けるとできない。レシピの選択眼もなく、まれにネットから妙なレシピを拾ってきて、正確にすごく妙なものを作ってしまったりもする。』

これ、井上さんの夫さんは、私とそっくりなのでびっくりしてしまいました。
ただし、私が夕食づくりを担当しているのはせいぜい週に1、2回でしかなく、その点では夫さんに負けていますが・・・。

私も、レシピ通りに調理することしかできません。以前、お料理教室(こちらの記事)で習った肉じゃがを家で作ろうとしたところ、レシピにあるショウガが冷蔵庫の中に見当たらず、調理の途中で近所の“まいばすけっと”に買いに走ったことがあります。
レシピに「しょうゆ大さじ2杯」と書いてあればその通りに計量して配合します。「適当に」配合することはできないです。
調理の途中で味見をすることがありません。私は「味オンチ」であることを自覚しており、味見しても善し悪しが判定できないからです。

できあがった私の料理のでき映えについては、「味がいまいち」と言われたことはありませんし、「(同じ料理であれば)いつも同じ味で安定している」と言われたことはあります。

記事『それが悪いとは思わない。おいしいものが食べられる確率は高いのはたしかだから。ここで私が考えるのは、「料理が上手」「料理が下手」とはどういうことか、という問題である。
夫は料理が上手なのか。よほど凝った料理でないかぎり、レシピ通りに作ればおいしいものができあがるなら「料理が下手」とはどのような状態を指すのか。』

この問題は、「料理が上手/下手」で評価する問題ではなさそうです。
「料理が上手」について考えてみると、
○ 冷蔵庫の在庫を確認して、その範囲内でおいしい料理を作ることができる。
○ レシピを見ずに、とびきりおいしい料理を作ることができる。
などが該当しそうです。この基準で見ると、私は「料理が上手とはいえない」には該当しますが、「料理が下手」とまでは言えなさそうです。レシピ通りにしか作れませんが、できた料理が不味いわけではないのですから。

「料理が得意/不得意」「料理が好き/そうでもない」ではどうでしょうか。
私は、レシピを見ながら調理をするのですが、まだ「調理が楽しい」という心境にはなれません。料理をすると疲れます。職場の同僚(既婚の男性)に「料理が楽しい」という人がいますが、うらやましい限りです。
夕食当番を始めた当初は、料理教室で習ったレシピを使っていたのですが、最近はもっぱら「クックドゥー」派です。料理教室レシピでは「砂糖:大さじ1,しょうゆ:大さじ21/2、みりん:大さじ2、酒:大さじ2」などとあり、この作業に神経を使って疲れてしまいます。これがクックドゥーであれば、できあがって袋に入っているので、ぜんぜん楽です。

記事『料理は日常のことだから、毎日レシピを見て作ってられるか、という意見もあるだろう(私もそうだ)。』
私は週に1,2回です。それに対して(従来からの)家庭の主婦は、毎日調理することが仕事になっています。得意・不得意にかかわらず、さほど苦痛とは思わずに、毎回レシピを見ることもせずに、調理を行うスキルを習得するのでしょう(否応なく)。それにくらべれば私などは、「料理が苦手」などとただ逃げているだけです。

記事の結論『結局、家庭料理は、上手下手というより、やる気があるかないか、ということだろうか。やる気がないことを責める気はない(べつの分野でやる気を発揮すれば良い)。ただ、「料理はまったくできないんですよね(だからパートナーに任せきり)」とドヤ顔で言うような人には、「できない……とは……?」と最近は心の中で問いかけている。』
ごもっともです。
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知床遊覧船の無線局

2022-06-26 09:51:10 | 歴史・社会
「知床遊覧船」業務用無線の免許なし 電波法違反で告発
06月21日 NHK
『知床半島沖で観光船が沈没した事故をめぐり、運航会社「知床遊覧船」が必要な業務用無線の免許を取っていなかったことがわかりました。このため総務省は、電波法違反の疑いで会社と社長を21日付けで海上保安署に告発しました。
総務省によりますと、運航会社「知床遊覧船」の桂田精一社長に行った聞き取りなどの結果、本来必要な業務用無線の免許を取っていなかったことがわかりました。
そして会社は業務用無線ではなく免許を取らずにアマチュア無線を使っていたということです。
このため総務省は21日付けで北海道総合通信局を通じて会社と桂田社長を電波法違反の疑いで管轄する網走海上保安署に告発しました。
またこの無線局とは別に会社が免許を受けたうえで保有する8つの簡易無線局について総務省は運用を停止する行政処分を今月24日付けで出すことにしています。』

記事中には、3種類の無線局が記載されています。

《業務用無線》
よくわからないのですが、「国際VHF」のことかもしれません。知床遊覧船の通信手段 2022-04-30にも書いたように、超短波を用いた無線通信で、船上に船舶局、会社に海岸局を設置します。船舶局の運用には3級海上特殊無線技士の資格が必要で、海岸局の運用には2級海上特殊無線技士の資格が必要です。
ただし、国際VHFが、「遊覧船業務を行う上で必要な業務用無線の免許」であったとの情報を、私は持ち合わせていません。

《アマチュア無線》
アマチュア無線は、アマチュア無線従事者免許を有する者が、登録によりアマチュア無線局を開局して運営するものです。たとえ免許を持っていても、業務用に使用することは違法です。
知床観光船は、免許も持たずにアマチュア無線の設備を設置し、違法に業務用に用いていた、ということですね。

《簡易無線局》
これは今回はじめて知りました。総務省のホームページで調べて見ると、「簡易無線局とは、無線従事者資格が不要で、簡易(人命や財産に影響する通信は除く。)な業務又は個人的用務を目的とした無線局です。」「登録の対象となる簡易無線局を運用する場合には登録の手続が必要です。」とあります。
知床観光船は8つの簡易無線局を登録していたところ、今回の事故を受けての行政処分で、運用停止処分を受けたのですね。

《衛星電話》
今回の記事には、衛星電話が登場しません。現在では、漁船をはじめとして、衛星電話(イリジウム)の使用が常識になっているようです。知床遊覧船でも、衛星電話を所有していたところ、事故当時は故障で使用不能であった、との報道でした。
「必要な業務用無線」において、衛星電話がどのような位置づけなのか、今回の総務省の処分になぜ登場しないのか、わかりません。

以前、知床遊覧船の通信手段 2022-04-30で以下の記事を紹介しました。
航路の大半が通信圏外の携帯 船長が通信手段と申請 観光船の事故前検査で 4/30(土) 北海道新聞
『海事局によると、日本小型船舶検査機構(JCI)札幌支部が20日、船舶安全法に基づく年1回の中間検査を行った際、豊田船長が通信手段を衛星電話から携帯電話に変更すると申請した。JCI側が「海上でつながるか」と確認すると、船長は「つながる」と答え、その場で変更を認めた。
船舶安全法は20トン未満の小型船舶の通信手段として携帯電話の使用を認めている。ただ、通信事業者の公式サイトによると、豊田船長が申請した携帯は航路の大半がエリア外だった。
これとは別にカズワンを運航する知床遊覧船は海上運送法に基づき、緊急時の連絡手段として衛星電話と無線を届け出ていた。だが関係者によると、衛星電話は少なくとも1年前から故障し、無線も数カ月前から同社事務所のアンテナが壊れ、自社では受信不能だった。』
この記事によると、海上運送法に基づく届け出では、「衛星電話と無線」を届けています。ここでいう「無線」は何でしょうか。「本来の業務用無線」(おそらく国際VHF)は免許を取得していないので、届け出で用いることはできません。アマチュア無線も違法ですから不可です。そうすると、海上運送法で届け出た「無線」は、簡易無線局だったのでしょうか。
壊れていた事務所のアンテナは、アマチュア無線用だったのか簡易無線局用だったのか、そこが不明です。
少なくともカズワンは、船内にアマチュア無線機器を備えていました。事故当時、事務所同士が隣接する同業者とカズワンとの間で、アマチュア無線で連絡を取れていることが明らかです。

断片的な情報はボツボツと出てくるものの、なかなか全体像をつかむことができません。
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凧形二十四面体と正八面体

2022-06-22 19:50:24 | サイエンス・パソコン
昨日、このブログのりゅうぐうの磁鉄鉱は凧形二十四面体 2022-06-21にて、
「磁鉄鉱の結晶は正八面体といわれているのに、はやぶさ2がりゅうぐうから持ち帰った砂の中に、凧形二十四面体の磁鉄鉱が発見された」
と発言しました。
その後、凧形二十四面体と正八面体の図形をつらつら眺めていたら、その2つが結構似ていることに気づきました。

左上の凧形二十四面体(赤色)と右上の正八面体(黒色)を重ねたら、下の絵のようにぴったりと重なりました。
ひょっとすると結晶学的にも、凧形二十四面体と正八面体とはいとこ同士ぐらいの近さがあるのかも知れません。
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りゅうぐうの磁鉄鉱は凧形二十四面体

2022-06-21 22:54:50 | サイエンス・パソコン
はやぶさ2 砂のアミノ酸は23種 リュウグウ起源は「氷天体」の新説 2022/6/10
この記事に載っている写真には、24面体の結晶がたくさん写っています。「磁鉄鉱」粒子だとのことです。

この24面体はなんだろうか。調べた結果、「凧形二十四面体」(偏方二十四面体、四辺三・八面体)(ウィキ)に間違いありません。
しかし、磁鉄鉱の結晶は正八面体(ウィキ)である、ということになっています。

「はやぶさ2がりゅうぐうから持ち帰った砂の中に、凧形二十四面体の磁鉄鉱が発見された」
という事実は、ネットで検索したのですがぜんぜんヒットしません。
一体どうなっているのでしょうか。
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文系博士過程は今後どうなる?

2022-06-18 11:04:58 | 歴史・社会
就職難の文系博士支援、企業と連携し進路多様に 中教審
2022年6月16日 日経新聞
『文系の博士課程修了者を巡る雇用状況が厳しいとして、中央教育審議会部会は16日、大学院のキャリア支援改革案を示した。研究が細分化され進路選択の幅が狭くなっている現状を問題視。企業などと連携した多様な進路提示を求める。就職難を背景に博士課程の志望者は減っており、高度人材育成へキャリアパスの拡大が必要となる。』

文系の博士課程修了者の進路について、私が持っているイメージは、大学や研究所での研究者、のみです。
大学の法学部、経済学部、文学部、教養学部などにおいて、特定の教授を指導教官として修士課程、博士課程を修了し、博士号を取得する、というのが、文系の博士課程修了者のキャリアパスです。博士課程は、博士論文を完成して博士号を得ることを目的としています。博士論文のテーマは、指導教官の研究する専門分野の中の1つのテーマに限られます。この課程で何を習得するかというと、「研究者としての研究スキルの習得」、「特定の1分野における深い知識の習得」になるでしょう。
一般企業が、このような過程を経た文系の博士課程修了者を雇用し、学卒で入社して5年の経験を積んだ社員と同じ処遇を与えることを望むか、と考えたら、とてもではないですが無理です。

上記『就職難を背景に博士課程の志望者は減っており、』というのは、日本の大学院教育 2022-06-05でも書いたように、日本の文科省が2001年頃に博士課程の定員を増員する政策を採った結果として、博士課程の進学人数が増大しすぎ、当然ながら就職難を来たし、その反動として志望者が減ったに過ぎません。

上記記事中に『博士課程を修了しても、大学教員など正規ポストで能力を発揮できるケースが少ないためだ。』とあります。しかし、文科省は一方で文系博士課程の定員を増やして博士課程修了者の数を増やす一方で、大学が自由に使える予算の枠を年々減少する政策を取った結果として、文系博士課程修了者のほとんど唯一の就職先である大学教員の定員の減少が進みました。これでは、博士浪人(オーバードクター)が多発するのは当然の帰結です。

上記『研究が細分化され進路選択の幅が狭くなっている現状を問題視。』については、そもそも博士課程での主要課題である博士論文の執筆が、細分化された特定の研究分野を対象としているですから、当然です。そもそも、進路選択の幅を広げようとして現状の文系の博士課程に進学するとしたら、誤った選択と言わざるを得ません。

上記『企業などと連携した多様な進路提示を求める。』『高度人材育成へキャリアパスの拡大が必要となる。』について
文系の大学院教育について、研究者以外の社会や企業のニーズに対応した教育といったら、現状で思いつくのは、MBA(経営学修士)、ロースクール(修士相当)です。
MBAはアメリカの有名大学のコースが有力で、日本の大学でのMBAはパッとしません。日本の大学の経済学部の教授陣が教えるのだとしたら、魅力的なMBAコースになりそうにありません。
ロースクールと新司法試験は、法曹人材を育成するコースとして、旧司法試験に代わって創設されたものです。アメリカの制度をまねたものですが、文科省は必要とされる人数を大幅に超える定員のロースクールを認可してしまい、ロースクールを卒業しても司法試験に合格しない、合格しても就職先が見つからない、という悲劇を多発させてしまいました。
いずれにしろ、MBAもロースクールも修士課程であり、博士課程は対象としていません。

上記記事中に『部会の改革案は▽大学院が就職支援や産業界のニーズ把握に組織的に取り組む▽企業や自治体の課題を解決するプロジェクトへの参加拡大――が柱。研究志向の強い学生が、大学以外のキャリアに関心を持てるよう促す。教員に対し、学生に「研究で培った力を社会でどう生かすか」を指導することも求める。』とあります。
しかしこのような方向は、せいぜいが文系の修士課程までであって、博士課程にまでこのような方針を求めるというのは、私には現実性が全く感じられません。それに、現在の日本の大学の文系の教官が、このような教育を修士課程の学生に施せるとも思いません。
記事本文中で『学生のキャリアパスを確保すべき指導教員の意識の低さも浮かぶ。ヒアリングでは「学術界以外への理解が足りない」「研究の指導方針が明瞭でない」といった教員側の問題点を指摘する声があった。』とありますが当然です。それに、問題点を指摘するだけでは、何の解決も得られません。

記事の結論で『日本の人口100万人当たりの博士号取得者数は18年度は120人で、08年度(131人)から減少。増加傾向にある米独英韓は200人を超える。研究力の向上やイノベーションの創出を支える層を厚くするため、博士人材のキャリアパスが不透明な現状の改善が求められる。』とあります。
これって、主に理系の博士号取得者が対象となっているのではないですか?記事は文系の博士号取得者のみを対象に論じているのに、結論が理系にすり替わってしまっています。
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高尾山訪問2

2022-06-17 21:45:32 | Weblog
6月7日に引き続き、6月17日に高尾山に行ってきました。
登山道の途中の看板を写真に撮ってきましたので(下の2枚)、この地図で説明します。

上の「広域図」で、前回は、京王線終点の高尾山口駅から歩き始め、赤線の「1号路」を歩き、ケーブルカーの上の駅(高尾山駅)まで歩きました。帰りはケーブルカーで下りてきました。
今回は、まずはケーブルカーで高尾山駅まで上がり、そこから浄心門まで歩きます。浄心門から先は、下の「近辺図」が詳しいです。今回は、浄心門から先は、青色の「4号路」をたどりました。4号路のみやま橋の先で、グレーの「いろはの森コース」と交差します。ここから先はグレーのいろはの森コースに移りました。その先は赤色の「1号路」に合流し、高尾山山頂へ到着します。
下りは紺色の「3号路」を下り始めました。途中、下の図で「現在地」とある地点(この看板が立っていた地点)で、2つの道に分かれます。ここで3号路と離れ、看板のグレーの道を下りました。そして赤色の1号路に合流し、そのまま1号路を下り、ケーブルカーを利用して下山しました。


下の写真は、高尾山口の駅から進み、ケーブルカーの麓駅前広場にあるモニュメントです。


ケーブルカーで上まで上がり、4号路を歩き始めます。本日は曇り空ですが、山の緑が映えています(下の3枚の写真)。平日であり、4号路を歩く人はわずかです。






下写真は4号路途中の吊り橋(みやま橋)です。


4号路を進むと、Y字路に到達します。右の4号路はいきなり下り道です。左のいろはの森ルートは下っていないので、今回はこちらに変針することとしました。下の2枚は、4号路あるいはいろはの森の途中です。




いろはの森コースの最後、下写真のように、1号路に合流します。
ここから先の1号路は、さすがに大勢の人が歩いています。


1号路をさらに登ると、高尾山の山頂(599m)に到着します。
時刻は12時ちょっと前です。予定では、コンビニでおむすびを購入してお昼にするつもりだったのですが、うっかり忘れていました。そこで、山頂からちょっと下ったところにある食堂に入りました。冷やしおろしそばを注文し、いただきました。

帰りは3号路を下り始めます。しばらく下ると下の看板に至りました。最初の地図の看板です。


看板で「現在地」とあるところで、右(右下の写真)に行けば3号路、左(左下の写真)にいけば看板のグレーの道です。それぞれの写真から明らかなように、右の道はここから急に細くなる一方、左の道は車も通行している道です。本日はできるだけ無理をしたくないので、楽そうな左の道を選ぶこととしました。



程なくして、薬王院の境内に着きました(下写真)。



そしてさらに行くと、正面の山門(上写真)、そしてその脇に天狗とからす天狗が迎えてくれます(上写真、下写真)。


薬王院からさらに1号路を下ります。下り道は、右の男坂と左の女坂に分かれます。男坂は急な階段なので、ゆるやかな下り坂で終始する女坂を選びました。
ケーブルカーの高尾山駅からは、前回と同様、ケーブルカーを利用して下山しました。

今回も前回同様、軽登山靴を履いて歩きました。4号路は土の道路が前日までの雨で滑りやすく、軽登山靴を利用して正解でした。1回も滑ることなく歩くことができました。
連続して高尾山に出かけ、登山の高低差はわずかでしたが、弱っていた脚力が徐々に回復していると思われます。
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高尾山訪問

2022-06-07 20:54:03 | Weblog
年休が貯まっており、消化しないと秋には何日か流れてしまいます。年度末までは忙しかったのですが、5月になって暇ができてきたので、できるだけ休みを取ることを計画しています。
先日千川上水1 2022-05-29で記事にしたように、まずは5月25日に休暇を取り、千川上水の起点である境橋から、環八との交差点までの約8kmを歩いてきました。6月に入り、まずは1日に休暇を取って旧交を温める機会がありました。
そして今週です。毎週一日は休暇を取ろうと計画していたのですが、何と東京は梅雨に入ってしまいました。週間天気予報を見ても行楽日和は皆無です。

6月7日(火)も、天気予報では雨模様だったのですが、雨戸を開けたら青空が広がっています。急遽休暇を取ることにしました。
行き先としては、千川上水の第2弾もあるのですが、今回は高尾山に出かけることにしました。
私は2月末に帯状疱疹が右足に発症し、3月4月の2カ月間はその治癒に努め、痛みに耐える期間でした。免疫力の不足を補うために安静にするように言われており、あっという間に体力が落ちた実感があります。
今回高尾山に出かけるのは、登り道を歩くことにより、弱った足腰を回復しようとの意図があります。しかし体力が弱っているので、歩くのは麓からケーブルカー山上駅までとし、そこから先には上らず、帰りはケーブルカーに乗って帰ってくることにしました。登りの標高差は270mちょっとです。なお、ケーブルカー山上駅から高尾山山頂までは、まだ標高差130mほど登らなければなりません。

朝の東京は快晴でしたが、京王線で西に進むと空は曇りに変わりました。しかし雨には降られず、歩くことができました。

登山ルートは「1号路」と呼ばれるルートで、ケーブルカーの麓駅付近から歩き始めます。
下の写真の寺社を横に見ながら登り始めます。


今回のルートは、最初から最後まで舗装された道路です。念のためハイキングシューズを履いてきたのですが、結果的には不要でした。




病み上がりで心配しましたが、何とか登り切ることができました。
ケーブルカー山上駅付近からは、東京の町並みが展望できます(下写真)。


今まで何回も高尾山を訪れていますが、いずれも週末でした。ケーブルカーやリフトを利用しようとすると、長時間待たされてやっと利用する状況でした。登山道も人で一杯でした。
それに対して今回初めて平日に訪れたところ、ガラガラでした。登山道も人はまばらですし、下りで利用したケーブルカーは、定員の1/3程度の乗客でした。もちろん待ち行列は皆無です。
これからも、年休消化で平日に高尾山を訪問し、徐々に体力を増強して、足で稼ぐ高低差を増やしていこうと思います。
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日本の大学院教育

2022-06-05 13:37:15 | 歴史・社会
日本では、学歴構成において、理系の博士の比率、文系の修士の比率が低いことが問題になっています。
これら大学院進学比率が低いことが、世界における日本の沈没の一因であるとの考え方です。

この考え方、私にはピンときません。
私が工学部の修士を修了して就職した1970年代、私の周りでは、学部卒での就職と修士卒での就職がほぼ半々、博士課程まで進学する比率はわずかでした。
現在ではほぼ全員がリタイアした年代です。クラス会でそれぞれの人たちの卒業後の履歴を比較してみると、各会社内において修士卒が学部卒よりも出世が進んだかというと、そんなことはありません。修士卒は研究職、学部卒はそれ以外の社内全般、という傾向があり、そして社内で部長や役員まで上り詰めたのは修士卒より学部卒の方が多い、という実態を見て取ることができます。
この事実を見ると、「日本の人材育成で大学院進学比率を高めることが重要」との議論については、「そうだ」と実感することができません。
私自身、修士卒で会社に就職し、同学年で2年前に入社した学部卒と一緒になって仕事をするわけですが、「同学年だが修士卒の自分の方が学部卒よりも仕事ができる」という実感を持ったことはありません。
私の場合は、大学で所属した研究室の専門分野と、就職した会社での担当分野とが異なっていた、という事情もあるでしょう。しかし、世の中の大部分の人たちにおいて、大学の研究室の専門分野と会社での担当分野がぴったりと一致している、という場合は極めてわずかであろうと推測します。

文系の修士課程はどうでしょうか。現状では、文系で修士課程に進学するのは、ほとんどが就職先として大学での研究を目指している人たちばかりであり、文系の修士を修了して一般企業の会社員になる人はわずかでしょう。会社側でも、文系の新入社員に修士修了を要求する場合は極めて希であろうと考えます。

博士課程について考えてみます。
1970年代、理系の博士課程に進学する人は、就職先として大学等の研究職が想定されていました。一部、大学院での専門性と共通する研究を行う民間企業の研究所に就職する人もいましたが。
私が就職した会社では、博士課程進学の学歴を有し、博士課程と専門性と異なった部門で仕事をしている研究者が少数いましたが、「博士課程中退」が多く、博士号を取得してその専門性を仕事に生かす、という人は見かけませんでした。

「学生の博士課程離れが深刻だ」といいます。最近の傾向を見ると、博士課程に進学する学生の比率が下がっているからです。
しかしこの現象、もうちょっと昔からの推移を観察する必要があります。
日本の文科省は、2001年頃に博士課程の定員を増員する政策を採りました。その結果、博士課程の進学人数が増大したのは当然です。しかし、博士課程を修了して博士号を取得した人の就職先の大部分は、実質的には上述のように大学等の研究職しか用意されていません。
日本の文科省は一方で、大学が自由に使える予算の枠を年々減少する政策を取りました。結果として、日本の大学は、研究者の定員を削減し、あるいは正規雇用から非正規雇用に変更する対策を取りました。
博士進学者は、博士修了人数は増えたのに就職先は減るのですから、たまったものではありません。就職先が見つからない新博士が大量に世の中にいらっしゃるのを、私も実感していました。これらの人たちは、民間企業に就職先を求めるに際しても、博士号取得を生かしたいと考えるでしょうから、企業側とはミスマッチとなり、不遇をかこつことになったと思われます。この状況を見た学生たちが、入学枠があるとは言え、博士課程への進学をためらうのは当然です。結果として博士課程修了者の数は年々減少しました。この実態を受け、2009年頃、文科省は各国立大学に博士課程定員削減を要請しました。

〈揺らぐ人材立国〉博士離れ、賃金が一因か
クボタ専務執行役員 木村一尋氏
教育岩盤 2022年5月17日 日経新聞
『大学院教育を通じた人材の高度化に産業界が期待を寄せ始めたが、日本の大学院進学率は欧米に比べて低いままだ。』

産業界は、大学院教育において、「人材の高度化」と称して何に期待しているのでしょうか。
もしも産業界が期待していることがあるのであれば、その期待している内容を産業界が明確に示すことが必要です。その上で、大学側は、産業界のその期待に添えるような大学院教育ができるのかどうか検討し、「できる/できない」を明確にすべきです。
私の持っている印象では、今の日本の大学院が、産業界が期待するであろう大学院教育を実施する能力は有していないだろうと思います。このミスマッチをどのように解消するのかを明確にしない限り、「理系の博士課程、文系の修士課程の進学率を増やすことによって日本の人材の高度化を図る」という方向は、かけ声倒れに終わることでしょう。

この点について、上記日経新聞での木村一尋氏も、明確な指針を出せずにいます。

1990年前後、私がシリコンウェーハ製造会社で働いていた当時、学会発表をかねてヨーロッパを訪問したことがあります。当時の西ドイツでの同業会社を訪問したら、そこでの技術系の社員は、課長以上であればほとんどがPhDのドクターを名乗っていました。ドイツではなぜ技術系にドクターが多いのか、理由はわかりませんが、とにかく日本とは大違いです。
アメリカの実情は知りませんが、民間を含めて研究者の中に占める博士の比率が高く、その博士たちが主役となってアメリカの科学技術を牽引しているのだとしたら、やはり日本との違いが明確です。

私は、日本の大学院教育をどのように変革すべきか、どのような変革が可能なのかわかりません。もしも欧米でうまく機能しているのであれば、まずは欧米の実態を正しく評価するところから始めるべきでしょう。
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カルビー常務 武田雅子さん

2022-06-02 17:13:16 | Weblog
日経新聞夕刊2面の1週間連載記事、5月23日の週は「カルビー常務執行役員 武田雅子さん 人事部は魔法使い」でした。5回の連載記事です。
まずは、武田さんの略歴をまとめてみます。
1968年東京生まれ。
 青山学院の中等部・高等部
 青山学院女子短大に進学
 学校を休学し、アルバイトをかけ持ち
 短大中退
89年にクレディセゾン中途入社(21歳)。吉祥寺パルコ内のセゾンカウンター配属。
 2年経たずにショップマスターに。
 吉祥寺で3年半過ごした後、近隣店や大阪・梅田、栃木の宇都宮のセゾンカウンターで店舗責任者を経験
 営業推進部に所属し、2年目には課長に就任。トレーニング課にて、現場の教育指導を手がける。その後、人事部の課長も兼任。戦略人事部において人材開発などに関わる。
2004年36歳の時、乳がんの告知を受ける。
2014年人事担当取締役に就任(46歳)。
2016年には営業推進事業部トップとして、大幅な組織改革を推進する(48歳)。
2018年5月に初めての転職で、カルビー株式会社に入社(50歳)。

青山学院には当然4年制もある中、武田さんは短大を選びました。
『4年制か短大か。「早く社会に出たい」との思いから短大を選びました。短大卒の社員は数年だ結婚退職することが多いと知ったのは入学後。長く働きたいという私の望みとは異なりました。とにかく社会を自分の目で見ようと学校を休学し、アルバイトをいくつもかけ持ちしました。』
武田さんの勘違いで短大を選んでしまったのですね。
新聞記事のタイトル部には『当時の日本は、女子学生の就職では「4年制大学より短期大学が有利」といわれていた。』と記載されていますが、これは違和感があります。武田さんより20年前の私の世代、あるいは山口県の80年代では、確かにそのような風潮が感じられましたが、80年代後半の首都圏、それも青山学院の高等部クラスでそのような認識があったとは思えません。新聞記者の勘違いでしょう。

21歳でクレディセゾンに中途入社しました。配属先は吉祥寺パルコ内のセゾンカウンターで、通路の一部にカウンターを設けたような職場です。「また間違えた」と思いましたが、仕事にのめり込みました。
「人は修羅場では早く育つもの。2年たたないうちにショップマスターになると、もう現場に上司はいません。」
武田さんが苦手な細かい事務作業や保険の勧誘について、職場にはそうした仕事が得意な人がいます。会社のマニュアルからは外れるものの仕事を任せることにすると、8人のチームで20人分くらいの仕事ができるようになりました。
『初任地のあった西東京地区では「武田チルドレン」が10人はいたはず。』
ショップマスター次第で店のムードや業績が「違う会社みたい」といわれるほど変わります。「これでいいのか」と疑問を感じ、会社に提言を行いました。「それなら、自分で仕組みを作れ」と言われ、東京・池袋の本社へ異動することになりました。
全国の支店を支援する営業推進部に所属し2年目には課長に就任。
人事部の動きが遅く感じられ、上司に文句を言ったら今度も「じゃあ、おまえがやれ」。人事部の課長を兼任することになります。

36歳で乳がんの告知を受けました。仕事の休みは3週間でした。薬の副作用もあったのか、うつ症状に苦しみました。
ご自身のがんとうつの経験から得たものを、勤務先の人事制度にも生かすことにしました。結果として世の中の動きを先取りすることになりました。

2018年、クレディセゾン取締役からカルビーに転職し、人事担当として、これまでの経験を生かし組織の活性化に取り組むことになりました。
『数年たち、はっきり実績を上げる部署が出てきました。いいリーダーにはスポットライトをあて、工夫を共有していく。うまくいっていないリーダーには人事がこっそり相談にのります。』

21年2月、専門性を持った外部の人が副業としてカルビーで「ちょびっと」働く仕組みを始めました。同年12月にはカルビー全社員対象に副業を解禁しました。前職のクレジットカード販売の経験から、外の人と一緒に仕事をする癖がついていたのです。

また1人、優秀でかつ魅力的な女性を知ることができました。
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