弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

テクテクテクテク-7

2019-04-29 10:30:49 | 趣味・読書
前回に続き、テクテクテクテクの7回目です。

武蔵野市の西の端は桜堤です。しかも、桜堤3丁目のみ、武蔵野市の西端から離れ小島になりそうでかろうじてつながっています。桜堤1、2丁目と3丁目の境界に玉川上水が走っています。
その桜堤を踏破しました。中央線の武蔵境駅に降り立ちます。
駅には、「境停車場ものがたり/武蔵境の歴史」という案内板があります(下写真)。
 
この説明によると、甲武鉄道(現在の中央線)の位置について、当初甲州街道か青梅街道のどちらかの街道沿いに走らせる意見があったものの、双方とも地元の反対でつぶれたようです。そこで、人家も少なく反対もなく、連署で賛成意見書を提出していた武蔵野四か村に決定されたとのことです。現在の武蔵野市の反映が、このとき決定したのですね。

境停車場については、国木田独歩の「武蔵野」でよく知っています。テクテクテクテク-6で紹介したように、「武蔵野」の中に境の停車場が登場するのです。
武蔵境駅から真っ直ぐ北に向かい、玉川上水と交差するところが桜橋です。桜橋の近くに、国木田独歩文学碑がひっそりと立っています。
石碑には、独歩の「武蔵野」六の冒頭部分が書かれています。
「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出で、三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋といふ小さな橋がある、」

国木田独歩の『欺かざるの記』に、詳しい顛末が開示されています。国木田独歩「武蔵野」と玉川上水での逢瀬から転載します。
欺かざるの記抄―佐々城信子との恋愛 (講談社文芸文庫)
国木田独歩
講談社

明治28年(1895)6月10日から明治35年5月に至る、国木田独歩の日記をそのまま本にしたものです。
全編、佐々城信子に恋い焦がれる独歩の独白が満載の日記です。そのうちの、出会いから二度にわたる玉川上水での逢い引きまでの記述を抜粋します。
-------------------------
明治28年(1895)6月10日
(佐々城豊寿夫妻の招待で、日清戦争の従軍記者が招待され、従軍記者であった国木田も佐々城家を訪れ、そこではじめて佐々城信子に会った。)
令嬢年のころ十六若しくは七、唱歌をよくし風姿素々可憐の少女なり。
7月29日
昨朝佐々城信子嬢来宅ありて一時間半計りを一秒時の如くに過ごしぬ。・・・秘密を以て立ち寄りたる也。吾等は遂に秘密の交情を通じるに至りぬ。
8月1日
われ等は恋愛のうちに陥りぬ。
昨日正午なり。信子嬢の来りしは。
ああわれは嬢を得ざれば止まらざる可し。母氏をして承諾せしめずんば止まらざる可し。11日
本日午前七時過ぎ、信嬢来る。
嬢と共に車を飛ばして三崎町なる飯田橋停車場に至る。直ちに「国分寺」までの切符を求めて乗車す。「国分寺」にて下車して、直ちに車を雇い、小金井に至る。・・流れに沿うて下る。
信嬢は吾が腕をかたく擁して歩めり。
遂に桜橋に至る。
橋畔に茶屋あり。老媼老翁二人すむ。之に休息して後、境停車場の道に向かいぬ。
橋を渡り数十歩。家あり、右に折るる路あり。此の路は林を貫いて通ずる也。直ちに吾等この路に入る。
林を貫きて相擁して歩む。恋の夢路!
更にこみちに入りぬ。
更に林間に入り、新聞紙を布て坐し、腕をくみて語る、若き恋の夢!
嬢は乙女の恋の香に醒ひ殆ど小児の如くになりぬ。吾に其の優しき顔を重たげにもたせかけ、吾れ何を語るも只だ然り然りと答ふるのみ。
境停車場にて乗車す。

23日
一昨日は殆ど終日嬢の家に在りたり。午前9時より午後10時まで。別れに望んで、庭に送り、裏門の傍らに、キツス、口と口と!
26日
車を駆りて飯田橋停車場に至る。
此のたびは境停車場に下車したり。彼の林まで、停車場より五六丁に過ぎず。嬢と並びて路傍に腰掛け、・・接吻又た接吻

-------------------------
このあと、国木田独歩と佐々城信子は結婚し、やがて離婚するのですが、その顛末は佐々城信子を不幸のどん底に追いやるのでした。詳しくは「国木田独歩と佐々城信子」2015-11-04、「相馬国光と佐々城信子2015-11-05をご覧ください。

武蔵境駅の北口からバスで境橋(玉川上水にかかる橋)まで行き、そこから桜堤1、2丁目地区を歩き、玉川上水を渡ってその北側にある桜堤3丁目に向かいます。玉川上水を渡る橋が、普通の橋ではなく、歩道橋(高架)なのでびっくりしました。玉川上水に沿って走る道路の歩道橋と兼ねているのでした。
歩道橋を渡って北に歩くと、道路の西側は小金井公園です。その東口に立っている案内板を見てびっくりしました。何と広大な公園でしょうか。桜堤3丁目全体のみならず、その西に位置する関野町の3/4以上が、小金井公園の敷地になっています。
小金井公園案内図
 

桜堤を最後として、武蔵野市の全領域を塗りつぶすことができました。これによってゲットできたご褒美がすごいです。テクテクテクテク「毎日実施」で、ご褒美としてTTP,ゴールドが5万ポイント前後もらえるのですが、さらにそれにゴールド5万ポイントが毎日加算されることになりました。

となりぬりを利用し、川岸や高速道路などの、非常に細長い街区を連続で塗りつぶし、領域を広げています。その上で、広がった領域の近辺にある「?」を塗りつぶし、ショップのカウントを積み上げます。各種ショップ毎に、積み上がったカウント数に応じてショップレベルが上昇します。
気がついたら、ショップのレベルが上がっていました。
武器屋はレベル15、防具屋はレベル17(MAX)、盾屋はレベル17(MAX)です。武器屋からはテトラブレードを27個購入してテトラブレード+3に進化させ、使っています。
上記のようにゴールドの増加スピードが増大したので、防具屋でも黒曜石のよろいを27個購入して黒曜石のよろい+3に進化させ、装備しました。
さらにこつこつとゴールドをため込み、盾屋で玄武の甲羅を9個購入して玄武の甲羅+2に進化させ、現在使い始めています。ゴールドがまだ不足しているのですが、ゴールドが百万を超えたら、追加で玄武の甲羅18個を購入し、玄武の甲羅+3に進化させる予定です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピアノ発表会2018秋・2019春

2019-04-28 11:26:04 | 趣味・読書
私がピアノを習っている大城先生の教室(音楽教室ラルゴ)の、昨年秋と今年春のピアノ発表会について紹介します。

昨2018年10月28日(日)、西葛西アート音楽教室でピアノ発表会がありました。大城まき先生と、声楽の中村春彦先生の合同発表会です。
私が弾いたのは下の2曲です。
今回、データをmp4ファイルとして格納しています。パソコンでは、Windows Media Playerで再生できると思いますが、再生開始まで若干の時間、待たされるようです。
動画(mp4) 白鳥 サン・サーンス

動画(mp4) 「月光」ベートーヴェン

そして、今年4月21日、大城先生の教室のピアノ発表会がタワーホール船堀で開催されました。昨年のピアノ発表会も同じタワーホール船堀でした(ピアノ発表会2018年5月)。

開演は3時です。私のリハーサル時間は1時でしたので、1時に会場で1回練習し、その後開演までの時間は、会場周辺をめぐってテクテクテクテクの地図塗りつぶしで時間を潰しました。
タワーホール船堀の東側に、一之江境川が流れており、その川沿いの親水公園を北から南に向かって歩きました(下写真2枚)。




3時前、会場に戻りました。壇上のピアノの横には花束が飾られ、準備万端です。


3時に開演すると、小さな子どもたちの演奏が続きます。どの子も、とても上手に演奏していました。いつものことですが、子どもたちが発表会で自分の能力を十分に発揮して演奏をこなすのには感心します。

私は最後の方の出番で、次の2曲を弾きました。
動画(mp4) 白鳥 サン・サーンス

動画(mp4) バッハ 平均律第一集より第1番プレリュード

2曲とも、途中でつかえることもなく、無事に弾き終わることができました。今まで、演奏会では必ずといっていいほど途中でつまずくことがあったので、今回のように無事に弾き終わるのは幸運としかいいようがありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テクテクテクテク-6

2019-04-14 21:09:16 | 趣味・読書
前回に続き、テクテクテクテクの第6回です。
今回は、中央線武蔵境駅の北側、武蔵野市境地区を歩きます。
通勤の帰途、中央線を三鷹駅まで乗り越し、そこから玉川上水に沿って西に歩きます。この地域、玉川上水の北側には境浄水場があります。下の案内図の真ん中に境浄水場が描かれています。図面の下端が中央線で、真ん中少し左が武蔵境駅です。図の右端からちょっと外れたところに三鷹駅があります。
《玉川上水緑道案内図》(境浄水場南東端)
 
上の図で、境浄水場の南東端付近、玉川上水から南側に2本の緑道が走っています。1本は、上の図の「現在位置」から下方に向かう緑道です。もう1本はその右側に見えます。下の2枚の写真が、左側の緑道です。
 

 
私は最初、これは玉川上水からの分水の跡に違いない、と思っていました。そうなら、玉川上水の土手に分水の取水口跡が見えるはずです。そこで、玉川上水の対岸から、緑道がぶつかる位置の土手を眺めてみました。下の写真です。取水口跡は見当たりません。
《玉川上水土手》
 
帰宅後に調べてみたら、この緑道は、分水跡ではなく、線路跡なのでした。

私は9年前、玉川上水に沿って歩いています。2008年の秋に羽村取水場をスタートし(玉川上水(1))、順次下流に向かい、境浄水場付近を通過したのが2010年4月でした(玉川上水(8))。その中で、ちゃんと書いていましたね。すっかり忘れていましたが。
『玉川上水事典の境浄水場によると、「境浄水場南門の玉川上水両サイドに見られる橋梁跡は、境浄水場への引込線跡で、また、浄水場はずれの遊歩道(公園)に見られる橋梁跡は戦闘機「隼」や「零戦」を生産した中島飛行機(株)への引込線跡である。」とあります。帰宅後に知りました。』
地図によると、左側(西側)の緑道は、南は西に向かってカーブし、中央線の線路につながっています。これが、「境浄水場への引込線跡」ですね。上の《玉川上水土手》写真に、石積みとコンクリート造りが見えます。これが「橋梁跡」になるのでしょうね。

右側(東側)の緑道は、南は東に向かってカーブし、中央線の線路につながっています。これが、「中島飛行機(株)への引込線跡」ですね。
『地図で引き込み線跡を辿ったら、境浄水場の北方のNTT研究開発センタや武蔵野中央公園、住宅のあるあたりが中島飛行機の武蔵野工場跡のようです。富士重工業の社宅があるということで中島飛行機の痕跡が残っていました。』(玉川上水(8)

《玉川上水側から見た境浄水場内部の一部》
 

《玉川上水(左)と境浄水場(右)》
 

ところで、玉川上水(8)では境浄水場付近の玉川上水についていろいろ紹介しています。たどってみましょう。
--引用始め---------------------------
桜橋は、玉川上水と武蔵境通りの交差点です。武蔵境通りを南下すると中央線の武蔵境駅に出ます。この桜橋の近くに、国木田独歩文学碑がひっそりと立っています。
石碑には、独歩の「武蔵野」六の冒頭部分が書かれています。
「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出で、三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋といふ小さな橋がある、」
武蔵野 (岩波文庫)から、この先をさらに引用します。
『それ(桜橋)を渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向て、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。自分は友と顔見合せて笑て、「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答えると、婆さんも笑て、それも馬鹿にしたような笑いかたで、「桜は春咲くことを知ねえだね」と言った。そこで自分は夏の郊外の散歩のどんなに面白いかを婆さんの耳にも解るように話してみたが無駄であった。東京の人は呑気だという一語で消されてしまった。自分らは汗をふきふき、婆さんが剥いてくれる甜瓜を喰い、』
『茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上の方へとのぼりはじめた。』(後略)

ここで三崎町の停車場とは、甲武鉄道(現在のJR中央線)の始発駅であった飯田町停車場(現在の飯田橋付近)を意味します。当時、国鉄の中央線ではなく、それも東京駅始発ではなく現在の飯田橋付近を始発としていたのですね。
電車を今の武蔵境駅で降り、そこから現在の武蔵境通りを北上して玉川上水の桜橋に到達しています。

玉川上水今昔の桜橋によると
「『武蔵野』には書かれてないが、独歩の日記『欺かざるの記』によると、桜橋を共に訪ねた相手は後に結婚する佐々城信子で、桜橋付近の林で熱い思いを打ち明けたと記されている。
現在もその林は土地所有者の厚意で『武蔵野市境山野公園:通称独歩の森』として往時の面影を留め一般にも公開されている。」
とあります。そうだったのですか。
「武蔵野」の文章はその後、
『ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。』と続き、玉川上水に沿って、真夏の武蔵野の風景を描いています。一緒に歩いた「或友」が恋人だったとは。

そうと知っていたら、桜橋周辺をもっと観察して写真を撮っておいたのに。
 
国木田独歩文学碑

取り敢えず、左下の写真は、広大な境浄水場の南西端にある正門で、桜橋の北東側に位置しています。
 
境浄水場北西の正門                  玉川上水との境界

境浄水場は、同じ水道施設とはいっても、隣接する玉川上水とは直接の関係がありません。境浄水場には村山貯水池から給水されます。村山貯水池への給水が玉川上水の最上流からなされているという点では関係しますが。
 
境浄水場の中


境浄水場 南東の南門
--引用終わり---------------------------
国木田独歩と佐々城信子については、このブログでずいぶん記事にしました。以下にリンクだけ挙げておきます。
国木田独歩「武蔵野」と玉川上水での逢瀬」2015-11-03
国木田独歩と佐々城信子」2015-11-04
相馬国光と佐々城信子2015-11-05
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする