前回に続き、テクテクテクテクの7回目です。
武蔵野市の西の端は桜堤です。しかも、桜堤3丁目のみ、武蔵野市の西端から離れ小島になりそうでかろうじてつながっています。桜堤1、2丁目と3丁目の境界に玉川上水が走っています。
その桜堤を踏破しました。中央線の武蔵境駅に降り立ちます。
駅には、「境停車場ものがたり/武蔵境の歴史」という案内板があります(下写真)。
この説明によると、甲武鉄道(現在の中央線)の位置について、当初甲州街道か青梅街道のどちらかの街道沿いに走らせる意見があったものの、双方とも地元の反対でつぶれたようです。そこで、人家も少なく反対もなく、連署で賛成意見書を提出していた武蔵野四か村に決定されたとのことです。現在の武蔵野市の反映が、このとき決定したのですね。
境停車場については、国木田独歩の「武蔵野」でよく知っています。テクテクテクテク-6で紹介したように、「武蔵野」の中に境の停車場が登場するのです。
武蔵境駅から真っ直ぐ北に向かい、玉川上水と交差するところが桜橋です。桜橋の近くに、国木田独歩文学碑がひっそりと立っています。
石碑には、独歩の「武蔵野」六の冒頭部分が書かれています。
「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出で、三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋といふ小さな橋がある、」
国木田独歩の『欺かざるの記』に、詳しい顛末が開示されています。国木田独歩「武蔵野」と玉川上水での逢瀬から転載します。
明治28年(1895)6月10日から明治35年5月に至る、国木田独歩の日記をそのまま本にしたものです。
全編、佐々城信子に恋い焦がれる独歩の独白が満載の日記です。そのうちの、出会いから二度にわたる玉川上水での逢い引きまでの記述を抜粋します。
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明治28年(1895)6月10日
(佐々城豊寿夫妻の招待で、日清戦争の従軍記者が招待され、従軍記者であった国木田も佐々城家を訪れ、そこではじめて佐々城信子に会った。)
令嬢年のころ十六若しくは七、唱歌をよくし風姿素々可憐の少女なり。
7月29日
昨朝佐々城信子嬢来宅ありて一時間半計りを一秒時の如くに過ごしぬ。・・・秘密を以て立ち寄りたる也。吾等は遂に秘密の交情を通じるに至りぬ。
8月1日
われ等は恋愛のうちに陥りぬ。
昨日正午なり。信子嬢の来りしは。
ああわれは嬢を得ざれば止まらざる可し。母氏をして承諾せしめずんば止まらざる可し。11日
本日午前七時過ぎ、信嬢来る。
嬢と共に車を飛ばして三崎町なる飯田橋停車場に至る。直ちに「国分寺」までの切符を求めて乗車す。「国分寺」にて下車して、直ちに車を雇い、小金井に至る。・・流れに沿うて下る。
信嬢は吾が腕をかたく擁して歩めり。
遂に桜橋に至る。
橋畔に茶屋あり。老媼老翁二人すむ。之に休息して後、境停車場の道に向かいぬ。
橋を渡り数十歩。家あり、右に折るる路あり。此の路は林を貫いて通ずる也。直ちに吾等この路に入る。
林を貫きて相擁して歩む。恋の夢路!
更にこみちに入りぬ。
更に林間に入り、新聞紙を布て坐し、腕をくみて語る、若き恋の夢!
嬢は乙女の恋の香に醒ひ殆ど小児の如くになりぬ。吾に其の優しき顔を重たげにもたせかけ、吾れ何を語るも只だ然り然りと答ふるのみ。
境停車場にて乗車す。
23日
一昨日は殆ど終日嬢の家に在りたり。午前9時より午後10時まで。別れに望んで、庭に送り、裏門の傍らに、キツス、口と口と!
26日
車を駆りて飯田橋停車場に至る。
此のたびは境停車場に下車したり。彼の林まで、停車場より五六丁に過ぎず。嬢と並びて路傍に腰掛け、・・接吻又た接吻
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このあと、国木田独歩と佐々城信子は結婚し、やがて離婚するのですが、その顛末は佐々城信子を不幸のどん底に追いやるのでした。詳しくは「国木田独歩と佐々城信子」2015-11-04、「相馬国光と佐々城信子2015-11-05をご覧ください。
武蔵境駅の北口からバスで境橋(玉川上水にかかる橋)まで行き、そこから桜堤1、2丁目地区を歩き、玉川上水を渡ってその北側にある桜堤3丁目に向かいます。玉川上水を渡る橋が、普通の橋ではなく、歩道橋(高架)なのでびっくりしました。玉川上水に沿って走る道路の歩道橋と兼ねているのでした。
歩道橋を渡って北に歩くと、道路の西側は小金井公園です。その東口に立っている案内板を見てびっくりしました。何と広大な公園でしょうか。桜堤3丁目全体のみならず、その西に位置する関野町の3/4以上が、小金井公園の敷地になっています。
小金井公園案内図
桜堤を最後として、武蔵野市の全領域を塗りつぶすことができました。これによってゲットできたご褒美がすごいです。テクテクテクテク「毎日実施」で、ご褒美としてTTP,ゴールドが5万ポイント前後もらえるのですが、さらにそれにゴールド5万ポイントが毎日加算されることになりました。
となりぬりを利用し、川岸や高速道路などの、非常に細長い街区を連続で塗りつぶし、領域を広げています。その上で、広がった領域の近辺にある「?」を塗りつぶし、ショップのカウントを積み上げます。各種ショップ毎に、積み上がったカウント数に応じてショップレベルが上昇します。
気がついたら、ショップのレベルが上がっていました。
武器屋はレベル15、防具屋はレベル17(MAX)、盾屋はレベル17(MAX)です。武器屋からはテトラブレードを27個購入してテトラブレード+3に進化させ、使っています。
上記のようにゴールドの増加スピードが増大したので、防具屋でも黒曜石のよろいを27個購入して黒曜石のよろい+3に進化させ、装備しました。
さらにこつこつとゴールドをため込み、盾屋で玄武の甲羅を9個購入して玄武の甲羅+2に進化させ、現在使い始めています。ゴールドがまだ不足しているのですが、ゴールドが百万を超えたら、追加で玄武の甲羅18個を購入し、玄武の甲羅+3に進化させる予定です。
武蔵野市の西の端は桜堤です。しかも、桜堤3丁目のみ、武蔵野市の西端から離れ小島になりそうでかろうじてつながっています。桜堤1、2丁目と3丁目の境界に玉川上水が走っています。
その桜堤を踏破しました。中央線の武蔵境駅に降り立ちます。
駅には、「境停車場ものがたり/武蔵境の歴史」という案内板があります(下写真)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/teku4/s/IMG_0189.jpg)
この説明によると、甲武鉄道(現在の中央線)の位置について、当初甲州街道か青梅街道のどちらかの街道沿いに走らせる意見があったものの、双方とも地元の反対でつぶれたようです。そこで、人家も少なく反対もなく、連署で賛成意見書を提出していた武蔵野四か村に決定されたとのことです。現在の武蔵野市の反映が、このとき決定したのですね。
境停車場については、国木田独歩の「武蔵野」でよく知っています。テクテクテクテク-6で紹介したように、「武蔵野」の中に境の停車場が登場するのです。
武蔵境駅から真っ直ぐ北に向かい、玉川上水と交差するところが桜橋です。桜橋の近くに、国木田独歩文学碑がひっそりと立っています。
石碑には、独歩の「武蔵野」六の冒頭部分が書かれています。
「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出で、三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋といふ小さな橋がある、」
国木田独歩の『欺かざるの記』に、詳しい顛末が開示されています。国木田独歩「武蔵野」と玉川上水での逢瀬から転載します。
![]() | 欺かざるの記抄―佐々城信子との恋愛 (講談社文芸文庫) |
国木田独歩 | |
講談社 |
明治28年(1895)6月10日から明治35年5月に至る、国木田独歩の日記をそのまま本にしたものです。
全編、佐々城信子に恋い焦がれる独歩の独白が満載の日記です。そのうちの、出会いから二度にわたる玉川上水での逢い引きまでの記述を抜粋します。
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明治28年(1895)6月10日
(佐々城豊寿夫妻の招待で、日清戦争の従軍記者が招待され、従軍記者であった国木田も佐々城家を訪れ、そこではじめて佐々城信子に会った。)
令嬢年のころ十六若しくは七、唱歌をよくし風姿素々可憐の少女なり。
7月29日
昨朝佐々城信子嬢来宅ありて一時間半計りを一秒時の如くに過ごしぬ。・・・秘密を以て立ち寄りたる也。吾等は遂に秘密の交情を通じるに至りぬ。
8月1日
われ等は恋愛のうちに陥りぬ。
昨日正午なり。信子嬢の来りしは。
ああわれは嬢を得ざれば止まらざる可し。母氏をして承諾せしめずんば止まらざる可し。11日
本日午前七時過ぎ、信嬢来る。
嬢と共に車を飛ばして三崎町なる飯田橋停車場に至る。直ちに「国分寺」までの切符を求めて乗車す。「国分寺」にて下車して、直ちに車を雇い、小金井に至る。・・流れに沿うて下る。
信嬢は吾が腕をかたく擁して歩めり。
遂に桜橋に至る。
橋畔に茶屋あり。老媼老翁二人すむ。之に休息して後、境停車場の道に向かいぬ。
橋を渡り数十歩。家あり、右に折るる路あり。此の路は林を貫いて通ずる也。直ちに吾等この路に入る。
林を貫きて相擁して歩む。恋の夢路!
更にこみちに入りぬ。
更に林間に入り、新聞紙を布て坐し、腕をくみて語る、若き恋の夢!
嬢は乙女の恋の香に醒ひ殆ど小児の如くになりぬ。吾に其の優しき顔を重たげにもたせかけ、吾れ何を語るも只だ然り然りと答ふるのみ。
境停車場にて乗車す。
23日
一昨日は殆ど終日嬢の家に在りたり。午前9時より午後10時まで。別れに望んで、庭に送り、裏門の傍らに、キツス、口と口と!
26日
車を駆りて飯田橋停車場に至る。
此のたびは境停車場に下車したり。彼の林まで、停車場より五六丁に過ぎず。嬢と並びて路傍に腰掛け、・・接吻又た接吻
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このあと、国木田独歩と佐々城信子は結婚し、やがて離婚するのですが、その顛末は佐々城信子を不幸のどん底に追いやるのでした。詳しくは「国木田独歩と佐々城信子」2015-11-04、「相馬国光と佐々城信子2015-11-05をご覧ください。
武蔵境駅の北口からバスで境橋(玉川上水にかかる橋)まで行き、そこから桜堤1、2丁目地区を歩き、玉川上水を渡ってその北側にある桜堤3丁目に向かいます。玉川上水を渡る橋が、普通の橋ではなく、歩道橋(高架)なのでびっくりしました。玉川上水に沿って走る道路の歩道橋と兼ねているのでした。
歩道橋を渡って北に歩くと、道路の西側は小金井公園です。その東口に立っている案内板を見てびっくりしました。何と広大な公園でしょうか。桜堤3丁目全体のみならず、その西に位置する関野町の3/4以上が、小金井公園の敷地になっています。
小金井公園案内図
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/teku4/s/IMG_0194.jpg)
桜堤を最後として、武蔵野市の全領域を塗りつぶすことができました。これによってゲットできたご褒美がすごいです。テクテクテクテク「毎日実施」で、ご褒美としてTTP,ゴールドが5万ポイント前後もらえるのですが、さらにそれにゴールド5万ポイントが毎日加算されることになりました。
となりぬりを利用し、川岸や高速道路などの、非常に細長い街区を連続で塗りつぶし、領域を広げています。その上で、広がった領域の近辺にある「?」を塗りつぶし、ショップのカウントを積み上げます。各種ショップ毎に、積み上がったカウント数に応じてショップレベルが上昇します。
気がついたら、ショップのレベルが上がっていました。
武器屋はレベル15、防具屋はレベル17(MAX)、盾屋はレベル17(MAX)です。武器屋からはテトラブレードを27個購入してテトラブレード+3に進化させ、使っています。
上記のようにゴールドの増加スピードが増大したので、防具屋でも黒曜石のよろいを27個購入して黒曜石のよろい+3に進化させ、装備しました。
さらにこつこつとゴールドをため込み、盾屋で玄武の甲羅を9個購入して玄武の甲羅+2に進化させ、現在使い始めています。ゴールドがまだ不足しているのですが、ゴールドが百万を超えたら、追加で玄武の甲羅18個を購入し、玄武の甲羅+3に進化させる予定です。