弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

浅野の超絶トラップ!

2022-11-24 11:20:04 | サッカー
久しぶりのサッカーネタです。
昨日の日本対ドイツ戦、前半を見る限り、実力での総合力は明らかにドイツが上でした。しかし終わってみたら、2対1で日本の勝利です。後半に交代で出場した選手が躍動しました。
日本1点目、三苫の切り返しからの南野へのパス、南野のシュートのこぼれ球を堂安がシュート・ゴール!も見事でした(動画)。
そして2点目です。ロングパスを受けた浅野がボールをトラップし、ドイツディフェンスとキーパーをかわしてゴールに突き刺しました(動画)。
私は「浅野の一世一代のトラップだった」とつぶやいていました。

今朝になって、私は「ベルカンプ」を思い出しました。ベルカンプの絶妙トラップからのゴールを見た記憶がある・・・。そこで、「ベルカンプ ワールドカップ トラップ」で検索してみました。ありました。

天才FWベルカンプ、誕生日に超絶トラップの伝説ゴール再脚光 「美しい」「最高の実況」
2019.05.11
『公開された映像は、98年フランスW杯準々決勝アルゼンチン戦で生まれた一撃だ。1-1と拮抗した展開で迎えた後半44分、DFフランク・デ・ブールが自陣から対角線上にロングボールを供給。これに反応したのがベルカンプだ。
相手ペナルティーエリアに走り込んだベルカンプは落下地点に右足を伸ばすと、足の甲に吸い付くような超絶トラップを披露。直後に相手DFロベルト・アジャラがボール奪取を狙ったなか、地面にボールが付くと同時に2タッチ目で完璧にボールを制御してアジャラをかわすと、右足アウトサイドで決勝ゴールを決めた。』
日本語での実況動画は「1998年ワールドカップ オランダvs アルゼンチン」にあります。
こちらでは「アーセナル・レジェンドがW杯で魅せた超人トラップ。芸術的タッチから生まれたオランダ代表伝説のゴール 2021年06月04日」と紹介されています。

「ベルカンプ」を「浅野」に、「フランク・デ・ブール」を「板倉」に書き換えたら、2022ワールドカップ日本対ドイツ戦の日本2点目になっちゃうじゃないですか。2タッチ目が異なりますが。

あのベルカンプのトラップ-シュート-ゴールは、「超絶」「超人」「伝説」と呼ばれているのですね。
私は、昨日の浅野のトラップは、98年フランスW杯準々決勝アルゼンチン戦でオランダのベルカンプが見せたトラップに匹敵する超絶トラップだ!、と言いたいです。

しかし残念なことに、試合後の浅野に対するインタビューでアナウンサーは「あのトラップが凄かったですね!」とは問いかけなかったです。

p.s. 12/24
あれからもうひと月ですね。
「サムライに勇気をもらった!」FIFA公式が浅野拓磨のドイツ戦逆転弾に再脚光で海外反響!「途轍もない衝撃だったな」【W杯】
サッカーダイジェストWeb編集部 2022年12月24日
【動画】何度でも観たい! FIFA公式が“1か月記念”で紹介した浅野のドイツ戦ゴールをチェック!

『現地12月23日、FIFA(国際サッカー連盟)の公式ツイッター&インスタグラムが日本代表のメモリアルシーンにスポットライトを当てた。「あれからちょうど1か月。タクマ・アサノが日本サッカーの歴史を作った」と綴り、ドイツ戦の逆転ゴールを動画で紹介している。』
『日本中が熱狂したあのドイツ戦(11月23日)から、早くも1か月が経った。FIFAの公式SNSには海外のサッカーファンから好意的な声が続々と寄せられ、「途轍もない衝撃だった!」「もうあれから1か月? 1週間じゃないのか」「あの試合で日本がお気に入りになったよ」「ファンタスティックの一語!」「サムライブルーに勇気をもらった!」など、枚挙に暇がないほどだ。
一方で、ドイツのファンからは「もう思い出させないでくれ」「悪夢が蘇った」「悲劇のすべてがこのゴールに凝縮されている」と、悲痛なコメントが寄せられている。』

私の周りでは、私1人が「一世一代のトラップだった」と騒いでいました。残念なことに、試合後の浅野に対するインタビューでアナウンサーは「あのトラップが凄かったですね!」とは問いかけなかったです。
しかし、サッカーの本場ヨーロッパでは強く印象に残っているのですね。
ただし、浅野が秀逸だったのはあの一撃だけでした。あれがなかったら、闘莉王の「ヘボ」指摘が定着していたことでしょう。
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東郷和彦著「プーチンvsバイデン」

2022-11-20 14:49:42 | 歴史・社会
Amazon.co.jp : プーチンvsバイデン
東郷和彦

日本の元外務省官僚、元外交官であった東郷和彦氏の上記著書を読みました。

《第一章 プーチンとは何者か》
ロシア軍がウクライナに全面侵攻したことについて、腑に落ちないことが2つ
一つは、プーチンがウクライナ侵攻について「他に選択肢がなかった」と述べたこと。「他に選択肢がなかった」といっている以上、プーチンにはプーチンなりの理屈があるはずだ。
もう一つは、なぜこのタイミングで戦争が始まったのか、ということだ。

ロシアには「第一人者」が政治を支配するという伝統がある。これは専制主義といい換えてもいいだろう。
ロシアでは強力な第一人者が登場したときほど国が安定する傾向がある。それに対して、第一人者が弱くなると国は混乱し、外国の侵略を食い止められず、ときに革命まで起こってしまう。そのため、多少自由を制限されたとしても、安定のために専制主義的な政治を受け入れる人が多いのだ。

NATOの東方拡大の動きとそれに対するロシア(ソ連)の反発は、1990年のゴルバチョフの時代までさかのぼる。このときアメリカのベーカー国務長官は「1インチたりとも拡大させない」と口約束した。その後、ゴルバチョフは1991年7月にワルシャワ条約機構を自ら解体した。その年の12月、ソ連が崩壊する。
1999年、ポーランド・ハンガリー・チェコの3カ国のNATO加盟が了承された。2004年にはバルト三国、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニアがNATOに加盟した。
2007年、プーチンはミュンヘン安全保障会議で怒りを爆発させたが、プーチンの主張が顧みられることはなく、2008年のNATO首脳会議では、ブッシュ大統領による強い後押しの結果、今度はウクライナとグルジア(現・ジョージア)をNATOに原則的に加盟させることが決定された。ドイツやフランスは難色を示し、原則加盟については合意する一方、実際の加盟は先延ばしになった。
2008年、グルジアの親欧米派の大統領がオセチアに関して軍を動かすと、ロシア側も直ちに軍を動かし、ロシア側の勝利に終わった。この一件によってロシアのレッドラインがどこにあるかが改めて明らかになった。

ロシアは、13世紀にモンゴルに侵略され、19世紀にナポレオンにモスクワまで攻め込まれ、第二次世界大戦時にナチスから攻撃されている。こうした歴史が安全保障観を形作っており、「被包囲メンタリティ」といういい方がされる。これはロシア人特有のメンタリティである。プーチンのNATO批判は、ロシアでは広く受け入れられている。

《第二章 バイデンの思想と行動》
バイデンは2017年、自伝「ジョー・バイデン 約束してくれないか、父さん」を執筆している。自伝での一つのストーリーは、バイデン自身の物語であり、オバマ政権の副大統領として何を考え、どのような政策に取り組んできたかが詳細に記されている。その中核がウクライナ政策なのである。
2011年にバイデンが副大統領として当時首相だったプーチンと会談した。会談は物別れに終わった。
『(プーチンと向き合ったバイデンは)「首相、私はいまあなたの目を見ていますが」笑みを浮かべながら、私は言った。「あなたには、心というものがないようですね」
プーチンは私の顔をじっと見つめてから笑みを返し、「お互いに、わかり合えたようですね」と言った。』
この本(バイデン自伝)はアメリカ大統領選を見据えたバイデンの選挙公約といっていい。その中で、バイデンは、プーチンに侮辱を与えたことを誇らしげに書いているのである。

《マイダン革命》
バイデンのマイダン革命への関与も見落とせない。
マイダン革命とは、2014年2月に、ウクライナの親ロ政権が打倒された動乱である。親ロ派のヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命し、政権は瓦解した。このとき、バイデンはヤヌコーヴィチと密に連絡を取り、ヤヌコーヴィチを辞任・逃亡に追い込んだことを告白している。
マイダン革命後、ロシアのプーチン大統領はクリミアを併合し、東部の親ロ派の保護に乗り出した。これに対し2015年2月、ウクライナのポロシェンコ大統領と、ドイツのメルケル、アメリカのバイデン副大統領との三者協議が行われた。メルケルは、プーチンのためにある種の「逃げ道」を設けるように求めていた。一方バイデンは、まずロシアが譲歩すべきと考えていた。三者協議後のミュンヘンでのバイデンのスピーチによると、バイデンの立場は、「アメリカの掲げる自由と民主主義という価値は絶対的であり、冷戦後のヨーロッパにおいてその価値を実践する場がウクライナである。そして、それを進めるアメリカは善であり、それを邪魔するロシアは悪だ」というものである。

《ネオコン》
ネオコンの思想は、自由と民主主義を実現するために武力行使さえ辞さない、というものだ。
共和党政権では子ブッシュ政権のチェイニー副大統領が代表格で、イラク戦争を主導した。
民主党のネオコンと言えば、真っ先にビクトリア・ヌーランド、夫のロバート・ケーガンもそうだ。ヌーランドはオバマ政権の国務次官補を務め、バイデン副大統領のもとでウクライナ問題を担当し、マイダン革命にも関わっていた。そのころ彼女がウクライナ側とやりとりしている音声データが流出している。ヌーランドはバイデン政権では国務次官に出世している。ここからもバイデン政権とネオコンとの親和性は明らかである。

《ウクライナの複雑な歴史》
ウクライナを、東部、キエフ周辺、西部の3つに分ける。
東部にはロシア系住民がたくさん暮らしている。
9世紀、キエフ・ルーシ(キエフ公国)が成立し、ギリシャ正教やキリル文字を採用した。13世紀末にモンゴルが侵入してキエフ公国が崩壊し、以後240年間、モンゴルの支配に服する(タタールのくびき)。
西部のガリツィアはハプスブルグ帝国の支配下にあり、帝国崩壊後はポーランドに属した。ウクライナ語を話し、宗教もカトリック系である。
ガリツィアはナチスとの関わりを持っている。ヒトラーがロシアを攻めたとき、ガリツィアの一部の人たちはナチスと協力してでもウクライナを独立させようとした。そのリーダーがステパン・バンデラである。戦争はソ連の勝利で終わり、ガリツィアが歴史的にはじめてソ連邦の統治下に入った。
アメリカのネオコンは、こうした歴史やバンデラ主義者たちの思想を知った上で、ロシアを弱体化させるために彼らを利用したのではないか。

アメリカ国内にもネオコンに批判的な人たちはいる。リアリストと呼ばれ、その1人がヘンリー・キッシンジャーである。キッシンジャーの主張は以下の通りである。
『ウクライナが生き残り、繁栄していくためには、東側、西側のどちらの前線基地にもなってはならない。東西のかけ橋として機能すべき。
クリミアは人口の60%がロシア人だが、1954年にウクライナ出身のフルシチョフがウクライナにクリミアを授与した。
ウクライナはNATOに加盟すべきではない。
ロシアはウクライナのクリミアに対する主権を認めるべきだが、ウクライナは国際監視団の立ち会いの下で行われる選挙により、クリミアの自治権を強化すべきだ。』

もう1人のリアリストはシカゴ大学のジョン・ミアシャイマーである。2014年の論考では、
『2008年、NATOがグルジアとウクライナの加盟を検討し、ブッシュ政権がこれを強力に支持したのに対し、プーチンが強烈に反対した。プーチンはこのとき明確にレッドラインを示したのである。
マイダン革命の際に実際に何が起きたか全貌は明らかになっていないが、ワシントンがクーデターを支援したことは間違いない。
ビクトリア・ヌーランド国務次官補とジョン・マケイン上院議員は反政府デモに参加し、アメリカのジェフリー・ピアット駐ウクライナ大使はヤヌーコヴィチ政権が崩壊すると「この日は歴史に刻まれることになる」と表明した。
ヌーランドはロシア側にリークされた電話での会話で、体制変革を唱え、ヤツェニュクが新政権の首相になるのが好ましいと考えていることを示唆していた。
ウクライナ危機を解決するには、アメリカとその同盟国は、ウクライナとグルジアをNATO拡大策から除外すると明言すべきである』

《第三章 かくして戦争は始まった》
2015年2月、ドイツとフランスによる仲介のもと、ドンバスのロシア系住民の代表者たちも加えて「ミンスクⅡ」が締結された。ドンバスにロシア人特別自治区のようなものを作り、住民の権利を守ることを約束するものである。
2019年2月にポロシェンコは憲法改正を行い、EUとNATOへの加盟を目指すことを明記した。
同年4月にゼレンスキーが大統領に就任した。
2021年1月のバイデン政権の登場のあと、プーチンの目にはゼレンスキーがバイデンの応援や了解のもと、急速に対ロ強硬政策に舵を切ったように映っただろう。
2021年3月、ゼレンスキーのクリミア奪還発言があった。また同年4月にミンスクⅡを拒否する姿勢を示した。ミンスクⅡ後もドンバスではウクライナと親ロ派の間で戦闘が続き、2014年以降で14000人の死者が出たとされている。
2021年12月、ロシアはウクライナがNATOに加盟しないことを求める条約草案を提示したが、アメリカとNATOはロシアの要求を拒否した。

《第四章 失われた停戦のチャンス》
3月29日、トルコで行われた停戦交渉で、ウクライナ側から画期的な提案がなされた。
第1項目:ウクライナは中立国であることを宣言し、国際的な法的保障があるなら、いかなるブロックとも同盟を結ばず、核兵器を開発しないことを約束する。
第2項目:クリミア、セヴァストポリ、ドンバスの扱いについて
第3項目:ウクライナはいかなる軍事同盟にも参加しない。
第8項目:クリミアとセヴァストポリについて、15年の間、ウクライナとロシアによる二国間交渉を行い、外交努力を継続する。

戦争が始まって以来、ロシアとウクライナが最も接近した瞬間だったと思う。

4月2日、ブチャでの惨劇が明らかになった。
ゼレンスキーは「ジェノサイド」だと述べ、EUやイギリスなどから非難の声か上がり、バイデン大統領も「彼は戦争犯罪人だ」とプーチンを批判した。
こうして事態は取り返しのつかない方向へ進んでいったのである。
ブチャの真相追究は著者(東郷氏)の手に余るので専門家に委ねるが、確実に言えることは、このときからウクライナは急速に対ロ強硬姿勢を強めていったということだ。
(なおこのブログでも、ブチャでの惨劇 2022-09-10 を取り上げています。)

《対談 ウクライナ戦争と大東亜戦争 東郷和彦×中島岳志》
この対談は、『「こんなにうまくプーチンが引っかかるとは」ウクライナ戦争をアメリカが引き起こしたといえる残念な証拠』11/9(水)にも掲載されています。
ロシアのウクライナ侵攻を止めるにはどうすればいいのか。元外交官の東郷和彦さんは「米国のバイデン大統領のように『自分が100%正しい』という外交姿勢では、プーチン大統領を止めることはできない」と指摘する。政治学者の中島岳志さんとの対談をお届けする――。

【東郷】最近私は確度の高い情報として、ネオコンとして有名なアメリカのビクトリア・ヌーランド国務次官が「こんなにうまくプーチンが引っかかるとは思っていなかった。これでプーチンを弱体化できる」という趣旨のことをいっていたという話を聞きました。ヌーランドはオバマ政権時代には国務次官補を務め、当時のバイデン副大統領のもとでウクライナの親ロ派政権を転覆したマイダン革命に関わっています。そのころ彼女がウクライナ側とやり取りしている音声データも流出しています。

【中島】現在の日本政府もアメリカ一辺倒で、ネオコンと同じような対応をとっています。岸田政権はこれまでの方針を転換し、対ロ強硬路線に舵を切りました。ここまで特定の国との関係をバッサリ切り捨てた例はほとんどないと思います。

【東郷】そうですね。日本の外交史に残る出来事だと思います。通常、こういうときは外務省から反対意見があがるものです。実際、他の国ではそういう動きが見られます。六月八日のニューヨーク・タイムズには、アメリカの諜報(ちょうほう)機関がウクライナ側から軍事戦略や戦況について十分な情報提供がなされていないことに不満を持っているという記事が掲載されています。これは明らかに政権内からのリークです。バイデン政権の中に対ロ強硬路線を続けることに疑問を持つ人がいるということです。
ところが、日本ではこうした動きはまったく見られません。大変残念ですが、いまの外務省はとにかくバイデンの方針に従うことしか考えていないように見えます。

東郷和彦氏について、当ブログでは以下のような記事を掲載しています。
日本の国境・領土問題2冊 2012-11-07
佐藤優氏の有罪が確定 2009-07-02
東郷和彦「歴史と外交」 2009-04-14
ハル・ノート 2006-08-21
佐藤優氏控訴審に東郷和彦氏2回目の出廷 2006-08-13
東郷和彦氏「A級戦犯合祀問題」 2006-08-07
東郷和彦氏「靖国再編試案」 2006-08-06
佐藤優氏控訴審に東郷和彦氏出廷 2006-06-24
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嘉手納基地のアメリカ空軍はどうなる?

2022-11-18 15:59:49 | 歴史・社会
米軍嘉手納基地にとりあえずF-22配備、露呈するその場しのぎの対中戦略
常駐するF-15後継戦力は?バイデン政権の対中強硬姿勢は口先だけ
2022.11.10 北村 淳
『11月4日、沖縄のアメリカ空軍嘉手納基地にアラスカのエルメンドルフ空軍基地からF-22ステルス戦闘機4機が飛来した。引き続いて合計12機が嘉手納基地に配備されることになっている。
それら12機は、まもなく沖縄から姿を消すことになっているF-15戦闘機の穴埋めのための臨時的配備とされている。
戦力の低下が目に見えて進んでしまったアメリカ空軍(本コラム10月27日参照)は、低下してしまった戦力を立て直すために旧式化しつつある戦闘機や攻撃機などを大量に退役させる作業を開始した。その一環として、これまで沖縄のアメリカ空軍嘉手納基地に配備されてきた48機のF-15戦闘機が今後2年以内に全機退役することになっている。
・・・
耐用年数が迫り、すでに中国空軍の最新鋭戦闘機に比べれば旧式化しているF-15を退役させる方針は確定している。だが、ペンタゴン・空軍首脳は嘉手納常駐の後継戦力について明確な方針を打ち出していない。』

中国の最新鋭ステルス戦闘機の数が“第5世代”米F22の数を上回る 米専門誌
11/16(水)
『アメリカの軍事専門誌は中国がこれまでに生産した最新ステルス戦闘機の殲(せん)20の数が同じ第5世代の戦闘機とされるアメリカのF22の数を超えたとの見方を報じました。
分析ではこれまでに少なくとも208機の殲20が生産されたとみられ、生産数が200機に満たないとされるアメリカのステルス戦闘機F22を上回ったということです。』

上記2つのニュースを相次いで目にしました。
これから、一つの予測が生まれます。
中国軍の能力の増大により、沖縄の米空軍嘉手納基地は防衛が困難になってきた。米軍は、制空権が確保できない地域に自分の軍隊を置かない。そこで、米空軍は嘉手納から後方に後退することを進めているのではないか。具体的には、旧式のF15戦闘機を順次退役させ、その後継としての新鋭戦闘機を配備しないことにより、結果的に嘉手納から撤退すると。

上記予測が杞憂であることを願いますが、飯柴智亮著「2020年日本から米軍はいなくなる」2014-08-31の知識から類推すると、十分にあり得ると思っています。

ウィキによると、中国のJ-20(殲-20)は最大航続距離:5,500 kmとあり、おそらく十分に嘉手納を攻撃可能範囲に入れていることでしょう。
コメント (2)
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副島隆彦、佐藤優 「よみがえるロシア帝国」

2022-11-16 10:23:32 | 歴史・社会
欧米の謀略を打ち破り よみがえるロシア帝国
副島隆彦、佐藤優
上記書籍は、副島隆彦氏と佐藤優氏の対談をまとめたものです。たまたま新聞広告で知り、読んでみました。
以下、備忘録として気になった部分を切り取りました。佐藤氏の発言を【佐藤優】欄に、副島氏の発言を【副島隆彦】欄に分けて記載します。

【佐藤優】
《まえがき》
ロシアにどのような理屈があろうとも、武力侵攻はウクライナの主権と領土の一体性を毀損する国際法違反行為であって正しくないと考えている。
他方、私はウクライナのゼレンスキー政権を応援する気持ちにはならない。この政権のウクライナ民族至上主義、ステパン・バンデラのようなナチス・ドイツ協力者を英雄視する姿勢(それが現代のネオナチであるアゾフ連隊の思想的基盤になっている)、18歳から60歳までの男性国民全員の出国を禁じ、最後の1人まで戦えという姿勢にはまったく共感を覚えない。
そもそも、ロシア政府とウクライナ政府が公式に合意した「第2ミンスク合意」に基いて、ウクライナのルハンスク州とドネツク州における親ロシア派武装勢力が実効支配している地域に、ウクライナが特別の統治体制を認める憲法改正を行う。そして、この地域で国際的な監視団の入った自由選挙を行い、その民意に基づいた解決をすれば、今回の戦争を避けることはできた。しかし、ウクライナは頑なに「第2ミンスク合意」の履行を拒否した。その結果、2月24日にロシアによる侵攻を招いたのである。

この対談における私の貢献は、日本や欧米ではほとんど報じられていないロシアの論理について詳しく紹介したことだ。

《開戦前のウクライナ東部の実態》
佐藤氏の無二の親友アレクサンドル・カザコフ君(通称サーシャ)は、2014~18年にドネツク州の前首長の顧問を務めていました。ウクライナ側がロシア系の住民だけではなく、裏切りなどの疑いがあるウクライナ人を殺しているという話を散々聞いていた。

【副島隆彦】
《安倍元総理殺害》
統一教会は内部が4つに分裂している。
安倍元総理襲撃事件が起きたとき、文鮮明の息子で「サンクチュアリ教会」という組織を率いている文亨進が日本に来ていた。山上徹也はサンクチュアリ教会に入っている。
爆発音に驚いて安倍が後ろを振り向き、その後地面にベタッと小さくなった。その後、首から2発、SPが撃った。SPの中のアメリカCIAの息のかかった人物がやったのだ。アメリカのCIAが統一教会の内部分裂を利用して、大きく上から仕組んで安倍晋三を殺した。

《アメリカ政権内勢力地図》
アメリカのバイデン政権では、ブリンケン国務長官(エスタブリッシュ代表)と、ジェイク・サリバン国家安全保障問題担当大統領補佐官=ヴィクトリア・ヌーランド国務次官(ネオコン)の間で大ゲンカが始まっている。
サリバンとヌーランドは、ムーニー、統一教会そのもの。
ヌーランドの夫がロバート・ケーガン、その妹のキンバリー・ケーガンが「戦争研究所」を作って動かしている。
ケーガン一族は明らかに統一教会。これに対して米軍は軍事スパイ衛星の重要な機密情報をタダでくれている。

ヌーランドは現バイデン政権では国務次官、オバマ政権では国務次官補だった。

《ウクライナへのアメリカ政権の関与》
2015年の副島・佐藤対談「崩れゆく世界 生き延びる知恵」(日本文芸社)での副島氏の発言。(2014年に起きたヤヌコヴィッチ政権(親ロ政権)崩壊に絡んで)
『私もあれは計画的なクーデターだと思います。初めから西側が支援していた。ヤヌーコヴィッチ政権が倒れた後に暫定政権ができました。首相はアルセル・ヤツェニュクです。
この男を今でも繰っているのは、アメリカのヴィクトリア・ヌーランド国務次官補です。』

2014年の段階でキッシンジャーはモスクワに自分で飛んでいって、プーチンに、「気をつけろ。ヌーランドが仕組んでいる。おまえはトルコとシリアの国境線で戦争をさせられるぞ」と教えた。

《ウクライナ紛争》
首都キエフのマイダン暴動(2014年2月)で、親ロシアのヤヌコヴィッチ政権を倒されたので、プーチンは急いで2014年の3月にクリミアを併合した。このあと、ロシアは8年間、ずっと経済制裁を喰らって、痛めつけられましたからね。プーチンはイラついたのでしょう。ただし、イラついたら負けです。ましてや殴りかかったら。

ウクライナ侵攻について当初、1週間でロシア軍がさっさと勝つと思っていました。ウクライナもかわいそうだなぁ、と。だが、そんな甘いものではなかった。欧米が全部はじめから虎視眈々と仕組んでいた。8年間、ウクライナ軍に最先端の最高級の兵器を与えて訓練していた。それが、ロシアの戦車隊を次々に吹き飛ばした対戦車用ミサイルのジャベリンですね。
プーチンをおびき出すために、西側はNATOの東方拡大を絶対にやめないと言い続けた。・・・そうやってプーチンを脅して、先に手を出させるという策略をしいた。
2022年1月26日、NATOのストルテンベルグ事務総長が「ロシアからのNATO軍を東方拡大するな要請を、われわれは拒否する」と言ったことだ。あれが最後通牒ですよ。

2月22日の開戦の2日後、アメリカの号令で、EU27カ国、カナダ、オーストラリアは、ロシア国有銀行が各国に預けていた外貨準備高を強制没収(凍結ではない)しました。日本は「そんな法律は我が国にはない」と抵抗し、差し押さえに留めた。日本側の中心人物は秋葉剛男国家安全保障局長でした。

《ブチャ》
4月16日にフランス国家憲兵隊の検視官がブチャに入り、ロシア軍が使っておらず、ウクライナ軍が使っているフレシェット弾というダーツ弾(散弾)が住民の死体から検出されたと発表した。

《悪いのはイギリスとバチカン》(ディープステイト)
(ディープステイトとは)西側を500年前から支配してきた、頂点に隠れている人々のことです。はっきり書くと、ヨーロッパの王族や大貴族たちです。彼らは政治の表面には出てこない。
ディープステイトを構成するのは、カトリックの総本山、ローマ教会だ。そしてもう1つは英国国教会(アングリカン・チャーチ)です。これはイギリス国王と貴族たちだ。これに連なるヨーロッパ各国の王族と貴族。元貴族、それからアメリカの大富豪たち。この連合体がディープステイトだ。
結局のところ、イギリスがアメリカを引きずり込んだのです。イギリスと、それから本当はバチカンが悪いんですよ。
世界最大のワルは、この2つです。70人の英SASが、2021年の11月からゼレンスキーの回りにピタッとついています。・・やはり、全部仕組んでいるのはイギリスです。だからSASがゼレンスキーに「次はこうしろ」「次はこんなふうに演説しろ」と指図している。

《すでに崩壊しているAUKUS》
5月22日、オーストラリアの総選挙で自由党が敗れて労働党政権が発足しました。
アルバジーニ新首相の横にいる外相が中国系の女性でした。オーストラリアは反中国ネットワークから外れたと私は思います。新首相は・・・反中国をやる気はない。つまり実態として、AUKUSさえも壊れたのです。
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森嶋通夫氏と小宮隆太郎氏

2022-11-13 09:48:00 | 歴史・社会
小宮隆太郎氏が死去 戦後を代表する経済学者
2022年11月11日 日経新聞
『戦後日本の経済学界、経済論壇をリードし続けた経済学者で、文化勲章を受章した東京大学名誉教授の小宮隆太郎(こみや・りゅうたろう)氏が10月31日午前9時52分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。93歳だった。
1952年東大経済学部卒業。その後、米ハーバード大に留学。ノーベル経済学賞を受賞するワシリー・レオンチェフ教授に師事した。』

小宮先生の話題について、私は最近偶然に、別のところで目にしました。

副島隆彦氏と佐藤優氏の対談をまとめた下記書籍の中に、経済学者の森嶋通夫氏の名前が出てきました。
欧米の謀略を打ち破り よみがえるロシア帝国
副島隆彦、佐藤優
この書籍での副島氏の下記発言です。
1884年、ロンドンで「フェビアン・ソサエティ」が設立され、ここからロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)という大学が生まれました。このLSEには、今でもヨーロッパ中の一番頭の良い左翼学生と左翼学生が集まっています。副島氏の先生の小室直樹の先生である経済学者の森嶋通夫も長くLSEの教授をしていた、とのことです。

森嶋通夫氏の名前を久しぶりに聞きました。私の記憶に間違いはなく、下記書籍の著者でした。
なぜ日本は没落するか
森嶋通夫
1999年発行で、私は発行当時に読んでいると思います。書棚の奥から引っ張り出し、再読してみました。

まずは小宮隆太郎先生との関係について
1998年、シドニーで日本の将来はどうなるかについての会議が開かれました。その会議で、森嶋通夫氏と小宮隆太郎氏が登壇しました。
森嶋氏の講演の内容は、日本の現状の解析から日本が今後没落するだろう、との趣旨です。
一方で、小宮氏の論文には森嶋氏の論文の反対のことが書かれていると思ったので、彼の論文は事前に読みませんでした。しかし念には念を入れろと思い直して、森嶋氏の奥さんに読んでもらいました。
「小宮さんの各論は貴方からいつも聞いている話と殆どかわらないわよ。だから非常に陰鬱な日本の将来が予想される筈なのに、それが急転直下楽観論で終わっているの。だから結論部分は、あなた自身が読んでみるべきだわ。」
そこで森嶋氏が結論部分を読んでみると、以下に要約できる内容が書かれていました。
「各論で述べた諸困難にもかかわらず、将来の日本人は、過去にわれわれが終戦後の廃墟から現在の日本を築き上げたように、現在のすべての諸困難を克服して、輝かしい未来を日本にもたらし得るであろう。」
森嶋氏はこの結論部分を読んで、「私は無証明にこういう主張をすることは、偉大なる小宮でなくても、一介の大学学部の学生にも許されていないと思った。」と記しています。

森嶋氏のこの本で小宮氏について知った直後に、今回の小宮氏の訃報です。
ネットで調べる限り、小宮隆太郎氏は確かに偉大な経済学者のようです。1998年当時、シドニーでなぜこのような論文を発表したのでしょうか。
ウィキによると、「小宮の関わった論争」として、「『日本の教育問題』 〜1990年代終盤〜」の中で、「小宮と森嶋通夫の間で日本の教育についての論争が繰り広げられた。」と紹介されています。シドニーでの会議以外でも、小宮氏は同じような趣旨で森嶋氏と論争していたようです。

次に、上記森嶋通夫氏の著書全体について
森嶋氏の著書は、1998年当時の日本の現状を解析した上で、2050年に日本がどうなっているか(没落しているか)を考えた内容です。人口の分裂(第2章)、精神の荒廃(第3章)、金融の荒廃(第4章)、産業の荒廃(第5章)、教育の荒廃(第6章)について論じた上で、日本は2050年時点で没落しているであろう、との結論に至っています。
私は1998年当時にこの本を読んでいたので、それ以降に日本が没落するであろうことは既定事実として受け入れていました。そして、「私は子供時代に国が貧乏だったことを経験しているので許容できるだろうが、裕福に子供時代を過ごした現在の若者にとっては大変だろうな」との予感も持っていました。

現在(2022年)は、1998年(予測当時)と2050年のちょうど中間点に位置しています。今回、森嶋氏の「なぜ日本は没落するか」を再読しました。現時点で、日本は森嶋氏の予測通りの方向に進んでいる(没落しつつある)ように思われます。そして2050年までの間に事情が変わって上昇に転ずる予兆は見当たりません。

ps 11/13 コロナ禍で鮮明になった「日本の没落」…経済学者が23年前に著書で鳴らした警鐘に「森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』は、1999年に単行本版、2005年に著作集版、2010年に文庫版が、それぞれ岩波書店から刊行された。小宮隆太郎・東京大学名誉教授およびヒュー・パトリック・コロンビア大学名誉教授との論争は、単行本版にだけ収録されている(2~9ページ)。」とありました。私が読んだのは単行本です。
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善福寺川散歩

2022-11-11 21:56:59 | 趣味・読書
11月11日、天気が良かったので休暇を取り、今回は都内の善福寺川を上流からたどってみました。
善福寺川の源は、吉祥寺駅の北に位置する善福寺公園内の善福寺池です。今回は吉祥寺駅からバスを利用し、善福寺公園に到着しました。
カメラはニコンのZ50です。本日は晴天ですぱらしい景色だったので、たくさんの写真を撮ったのですが、帰宅してパソコンで再現してみたらがっかりな結果でした。色彩が地味なのですね。「ニコンは絵作りが地味」という噂は聞いていました。今回はシーンモードにて「風景」を選んで撮影したのですが、それでも地味でした。次回は、別の例えば「紅葉」モードを選んだり、露出補正をプラスとして撮影してみようと思います。

とりあえず、まずは善福寺池周辺です。




善福寺公園では、「トロールの森2022」と銘打って多くの美術作品の野外展示がなされていました。下はそのうちの一つ、中川彩萠さんの作品”Orb”です。


善福寺池は上池と下池に分かれています。下写真は、上池が終わり、下池へ行く途中です。




下写真が下池です。


下池の下流の端から、善福寺川が始まります。下の写真は新町橋の下流側です。


てらぶばしの上流側です。


善福寺川は井荻公園の横を過ぎ、坂の上のけやき公園の近くまで来ました。公園のトイレを利用しようと、川を離れて公園に行ってみました。大きなケヤキの木がありますが、残念ながらトイレはありません。


公園の向かいにカフェ「アトリエ カノン」があります。


びっくりしました。このカフェは、2014年の7月に私も参加してピアノ発表会があった店だったのです。「2014夏・ピアノ発表会2件 2014-07-14」にて記事にしたように、私はここでシューマン「トロイメライ」とベートーベン「月光」第1楽章を弾いたのでした。
 
(上下は8年前の写真)


カフェの中に入ってみました。


店長さんに話をうかがいました。コロナ禍のため、この3年ほどはイベント開催は控えていたのですが、最近再開したとのことです。
また、目の前の公園のケヤキがたどった運命についてもうかがいました。このケヤキは、2回にわたって命をとりとめたのです。
2008年、この土地の所有者が、区内の建設会社に土地を売却し、ケヤキを伐採してマンションを建てる計画が持ち上がりました。これに対して、この店の方たちをはじめとして近隣の人たちは、ケヤキ保存を求める署名運動をはじめ、区内外から8千人を超える署名が集まりました。それを区に提出したところ、区が土地を購入し公園として整備することになり、ケヤキは伐採を免れたというのです。
私が最初に見た2014年は、1回目の危機を回避した後で、元気に茂っていました。
その後、2度目の危機があったのです。樹の幹に亀裂が入ったことにより、けやきの半分が瀕死の重傷となりました。そのとき、“花咲かじいさん”の助けが入り、見事けやきは再生したとのことです。

善福寺川めぐりの再開です。
川は、中央線の線路を北から南へとくぐります(下写真)。




ここは荻窪の南です。荻窪駅前に私が勤務する事務所があります。ここ3年近くは在宅ですが、その前は出勤していました。その当時、ポケモンGOのレイドバトル参加のためにときどき訪れていたジムがあります。善福寺川沿いの下の遊具が置いてあるコーナーです。今回、こちらも久しぶりに再会しました。




成田付近の緑地(上写真)、和田堀公園(下写真)を経過します。


大宮神社まで到着しました。ここで善福寺川から離れ、大宮神社(下写真)を横切って自宅へと向かいました。
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月食の記録

2022-11-09 23:26:39 | 趣味・読書
11月8日の月食の時間帯、自宅にいました。
皆既月食までは双眼鏡で観察しました。皆既月食が終わり、地球の影から月が出始めてから、せっかくだから写真に撮ろうと準備を始めました。ミラーレスのZ50(こちらで紹介)に望遠ズームを装着し、最も望遠側の250mm(35mm換算400mm)で狙いました。露出について、本当は手動でいろいろ試しながら最適を狙えば良いのですが、まだZ50の手動操作に慣れていません。自動露出に補正の操作のみを行って、露出を決めました。

いずれも特に代わり映えのしない写真ですが、「確かに月食を目撃した」という記念としてここにアップしすおきます。
各写真の左下に、撮影時刻を記入しています。いずれの写真も、トリミングで月を大きく拡大しています。

まずは、露出が地球の影側の明るさにマッチした状態で撮影した写真を3枚アップします。下の3枚、徐々に月が地球の影から出てくる状況です。
普段見慣れている月の満ち欠けとの違いは、普段の満ち欠けですと影の部分は真っ黒ですが、月食の場合は赤っぽく月の地形が見える点で異なっています。下の写真でもウサギの耳が判別できます。

21:03


21:18


21:33

次の写真は、太陽の直射が直接当たっている箇所に露出を合わせたものです。今回、ピントもカメラ任せで撮ったものですが、クレーターもきれいに見えています。

21:20

最後の写真は、背景の星も写っている露出の写真です。月はハレーションを起こしています。

21:13
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コロナ研究~日本低調

2022-11-07 21:49:44 | 歴史・社会
私は、この2年間の日本でのコロナの対応を見ていて、整理された情報が全く出てこないことを疑問に思っていました。データが出てくるとそれは外国のデータです。
コロナの患者のデータについては、つい最近まで「全数届出」ということで、データが国に集約されていることになっています。このデータを用いての研究解析がまずは求められます。それがなぜうまくいかないのか。3つの要因が考えられます。
(1)国がデータ解析を行う力量を持っていない。
(2)国が民間の研究機関にデータを公開していない。
(3)「全数届出」と言いながら、実は解析に必要なデータが集約されていない。

以前、「モデルナジャパン社長・鈴木蘭美さん 2022-04-25」で鈴木蘭美さんの見解を紹介しました。
『日本の新型コロナ対策の問題点として、「リアルワールドエビデンス」(実世界においての証し)が欠けていることだとのことです。英国では毎週、政府がコロナ感染の報告書を出しており、どのようなワクチンを接種した人が、その後どうなったかなどが一目でわかります。
それに対して日本では、接種履歴、医療情報、介護情報という3つの情報がつながっていないので、英国のような調査を定期的に行うのは事実上不可能なのです。
実際に、上記(1)と(3)が起こっているのですね。

さらに、11月6日の朝日新聞に以下の記事が掲載されました。
コロナ研究、日本低調 論文数、G7最下位 資金力に差、政策判断に影
2022年11月6日 朝日新聞
『日本の新型コロナウイルスの研究が低調だ。日本からの関連の研究論文は数でも質でも、G7(主要7カ国)で3年連続で最下位の見通しだ。研究力の低下は、医薬品の開発や科学的知見にもとづいた政策判断を難しくする。政府の有識者会議(座長・永井良三自治医科大学長)が6月にまとめた報告書でも、重要な課題として指摘している。』
『研究者の数や環境など差は多岐にわたるが、特に資金力が顕著だ。感染症研究に米国立保健研究所(NIH)が年間約6千億円をつけるのに対し、日本の医療研究の司令塔役となる日本医療研究開発機構(AMED)は年間約90億円と1/67にとどまる。』

感染症研究、乏しい連携 患者データ利用に壁
2022年11月6日 朝日新聞
『新型コロナウイルスは、日本の感染症研究の課題も浮き彫りにした。コロナが収束したとしても、新たな感染症による次のパンデミックは、いつ起きてもおかしくない。対策は急務だ。(後藤一也、野口憲太、市野塊)』
新薬開発には欠かせない患者のデータに研究者がアクセスすることも、日本では容易ではない。国の感染者情報把握システム「ハーシス」については、個人情報の壁があり、研究に使うことが認められていない。大曲さんは「本当に迅速性を求めるなら、民間やアカデミアにハーシスのデータを匿名化して解放すべきだ」と訴える。

上記冒頭の(2)が実際に起こっていることが判明しました。

この傾向は、日本のお役所の宿痾ですね。
2009年にこのブログで、「相対的貧困率」に関して、「日本での相対的貧困率推移 2009-11-27」という記事を掲載しました。
『「現在の日本は、相対的貧困率がなぜ徐々に増大してきたのか。OECD諸国の中でなぜ日本は低位のレベルにあるのか。」といった謎を解明するためには、データを解析する必要があります。
先日、連合総合生活開発研究所「公正で健全な経済社会への道」の124ページ図表Ⅱ-2-16に示される年齢階層別の相対貧困率推移について、・・・連合総研に直接問い合わせてみました。
そして、上記について連合総研から回答を頂いたおり、併せて以下のコメントをいただきました。
等価所得の計算は、個票データ(世帯単位の所得額を世帯員に配分しなおすため)が必要であり、日本の場合には所得データは国民生活基礎調査が利用されておりますが、個票データの利用には許可が必要でその条件は厳しいようです。
即ち、国民生活基礎調査のデータを持っている厚労省がなかなかデータ使用許可を出さないので、一般のシンクタンクが有益な解析を行うことが困難です。従って、厚労省自身が独自で有益なデータ解析を行って公表しない限り、われわれは実態を正確に知ることができません。厚労省には態度を変えてほしいものです。

「相対的貧困率」を解析する上で必要なデータ(国民生活基礎調査のデータ)を持っているのも厚労省(旧労働省)、そしてコロナの研究解析を行う上で必要なデータ(ハーシス)を持っているのも厚労省(旧厚生省)です。データを独り占めして研究者に利用させないのは、厚労省特有の問題なのか、それとも日本のお役所はどこでも同じような態度なのか、いずれにせよ大問題です。
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高尾山・秋

2022-11-05 18:13:55 | 趣味・読書
11月2日、良い天気だったので、仕事を休んで高尾山に出かけてみました。
平日でしたが、結構な人出でした。往きのリフトは待ち時間なしでしたが、帰りのリフトは待ち行列ができていました。それにしても、休日の混雑に比べれば圧倒的に空いていましたが。
今回は紅葉を期待してきたのですが、ケーブルカーの山麓駅に到着しても紅葉はまだ見られません。当初はここから6号路を歩くつもりにしていたのですが、ここはケーブルカーを利用して標高を稼ぎ、山頂付近での紅葉に期待することにしました。ケーブルカーの乗車券を購入しようとして、間違えてエコーリフトの自動券売機で購入してしまったので、リフトに乗ることにしました。

上の地図で、リフトの山上駅から1号路を歩き始めました。

上下の2枚の写真は、途中の展望台から南西方向(上写真)、南方向(下写真)を展望したものです。


途中から4号路に分岐しました。春にもこの道を歩いています。途中で、右は4号路、左はいろはの森コースに分岐します(下写真)。春には左のいろはの森コースを選びました。今回は右の4号路を行くことにします。


高尾山山頂に到着しました。

西方向を展望する展望台です(上写真)。上写真の右1/3、拡大した下写真の中央付近に富士山が見えるはずですが、本日は雲がかかって見えません。今まで、この展望台で富士山を眺望できた機会はありませんでした(多分)。


山頂付近を含めて、紅葉・黄葉はほとんど見ることができませんでした。多分まだ早すぎたのでしょう。わずかに見られた紅葉を写真に収めました(下2枚の写真)。




下りは3号路に入り(下写真)、途中から車道を選んで薬王院に下り、1号路の女坂ルートをたどって、最後はリフトで下りました。
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