弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

北朝鮮ミサイル対応の検証チーム報告書

2012-04-29 12:03:26 | 歴史・社会
4月13日に北朝鮮長距離ロケットが発射された直後の日本政府の広報対応は、後手後手に終わってお粗末なものに映りました。ここでも北朝鮮長距離ロケット発射と日本政府の対応で報告したとおりです。

さっそく、政府の検証チームが結成されてその顛末を検証するとのことでしたが、4月26日に報告書が提出されたとのことです。
内閣官房長官記者会見(平成24年4月26日(木)午後)で「北朝鮮ミサイル発射事案に係る政府危機管理対応検証チーム報告書について」として紹介がありました。その中に、「北朝鮮ミサイル発射事案に係る政府危機管理対応検証チーム報告書が掲載されています。

報告書は20ページの書類ですが、何とも読みづらい書類でした。内容をわかってもらおうという熱意は全く感じません。何かを隠しながら書いているとの印象しか受けない書類です。
取り敢えず読んでみました。

事前に決められていた情報伝達要領は、以下のとおりでした。
(1) 米国が早期警戒衛星でミサイルの発射を探知すると、米国から防衛省にSEW情報(早期警戒情報)が伝達される。
(2) わが国の安全に影響があると判断される場合には、防衛省はこのSEW情報を官邸幹部及び官邸対策室(危機管理センター)に一斉通報する。
(3) さらに自衛隊等のレーダーによって当該ミサイルの飛翔経路が捕捉され、これがわが国に向かっていることが確認された場合に、防衛省は官邸対策室(危機管理センター)に「発射情報」として伝達する。

実際には、上記情報伝達要領はどのように実施されたのでしょうか。
(1) 米国は7時40分に防衛省にSEW情報を伝達しました。
(2) わが国の安全に影響はないと判断されたため、一斉通報されませんでした。
(3) 米軍はロケットを「ロスト」。自衛隊のレーダーでもわが国に飛来する飛翔体を関知しなかったので、「発射情報」は伝達されませんでした。

上記情報伝達要領で決められた情報伝達を、以下「正規の防衛省 → 官邸情報ルート」(正規ルート)としましょう。
結局、「正規ルート」での情報は一切発信されなかったわけです。
しかし、非正規ルートの情報はいろいろありました。

《危機管理監が受けた情報》
7時42分「別ルート」 → 危機管理監「何らかの飛翔体が発射された模様、現在確認中」
その後 防衛省リエゾン←危機管理監「わが国に向かう飛翔体のレーダー捕捉がないことを照会・確認」
8時00分 防衛省運用企画局長 → 危機管理監「報告」

《内閣官房長官が受けた情報》
7時42分「別ルート」 → 官房長官「何らかの飛翔体が発射された模様、現在確認中」
8時03分 防衛大臣 → 官房長官「何らかの飛翔体が発射、洋上に落下した模様。当該飛翔体については日本には影響なし。」
8時07分 防衛省運用企画局長 → 官房長官「状況報告」
8時13分 防衛大臣 → 官房長官 再度電話連絡


以上のように、情報がやり取りされた結果として、以下の広報がされました。
     Jアラートは発信せず
8時3分 「Em-Net」で全国の自治体に「わが国としては発射を確認していない」(米村敏朗内閣危機管理監が判断)
8時23分 防衛大臣が記者会見「何らかの飛翔体が発射されたが洋上に落下」
8時37分 官房長官が記者会見


以上のような事実関係を明らかにしたうえでの検証チームの結論は、納得できるものではありませんでした。

第1に、上記「正規ルート」については、防衛省内で「わが国の安全に影響があると判断される場合」か否かの判断と、「当該ミサイルの飛翔経路が捕捉され、これがわが国に向かっている」か否かの確認を行うことになって、いずれも「該当せず」と判断されたらしく、結果として防衛省からは「一斉通報」も「発射情報」も発信されませんでした。
この防衛省内での判断がどのようになされたのか、そして、「一斉通報」「発射情報」ともに発信しないと判断したとしても、その判断経緯を即座に官邸に伝えることがなぜなされなかったのか、という点には全く踏み込んでいません。それがために、検証報告は何が何だかわからないレポートになっています。

第2に、「一斉通報」「発射情報」ともに発信されなかったとしても、危機管理監と官房長官には、7時42分から8時3分にかけてさまざまなルートから断片的な情報が入っています。これら断片的な情報に基づいて、しかるべき相手先と相談すれば、その時点でどのように対応すべきかは即座に判断できたはずです。なぜ、危機管理監と官房長官は、適切な判断ができなかったのか、その点については全く検証されていません。

第3に、「正規ルート」において、登場する主体は「防衛省」のみです。防衛省内のどのような部局のどのような責任者が何を判断し、誰の承認を得て、どのようなルートで情報を発信するのか、そこが判明しません。
そして不思議なのは、「別ルート」「防衛省リエゾン」「防衛省運用企画局長」「防衛大臣」などが非正規ルートとして登場するのですが、危機管理監も官房長官も、これら発信源からの情報を軽視しています。何でこんなに軽視しているのでしょうか。そこが不明です。

(追加)第4に、今回のように1段目の段階でロケット推進に失敗するような場合を、事前の検討では十分に組み込んでいなかったといいます。しかしそれは何ら言い訳になりません。想定外の事象が起きたときでも適切・迅速に判断し行動できてはじめて、危機管理体制が有効であるといえます。この程度の想定外に何ら対処できないということは、日本政府中枢が危機管理の素人であることを世界に公表したようなものです。北朝鮮はさぞかしほくそ笑んでいることでしょう。近隣諸国のうちで弱体部分を攻めるとしたら、日本が最適であることが白日の下にさらされました。

今回の検証チームにおいて、事務局長は内閣危機管理監です。
以上に述べた今回のいきさつにおいて、危機管理監は、検証される側の最重要人物です。検証されるべき人が検証チームの事務局長なのですから、満足な検証はできないものと最初から邪推されるようなチーム編成になっていたのです。

いずれにしろ、検証チームの報告書が公表されたのに、新聞紙上ではその検証結果について実におざなりの記事しか掲載されません。すでにとっくに、このニュースについては賞味期限が切れているのですね。

なお、ゴールデンウィークに突入し、このブログもGW明けまでお休みとなります。
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高速道路会社で何が起きている?

2012-04-27 23:09:11 | 歴史・社会
4月27日の朝日新聞朝刊第1面は、「高速4社、社長交代へ」という記事でした。
朝日デジタル版でも報道されています。
高速4社、社長交代へ 国交省、民営化効果に疑問
朝日新聞デジタル 2012年4月27日5時35分
『国土交通省は「道路公団民営化」でできた高速道路会社6社のうち、東日本高速など4社の社長を交代させる方針を固めた。経営を効率良くするのが民営化の目的だったが、役員数を約束より増やしたり、業績が上向いていなかったりして効果が出ていないからだ。』
『国交省が交代の方針を決めたのは、東日本高速の佐藤龍雄社長(元昭和電工専務)、西日本高速の西村英俊社長(元双日ホールディングス社長)。首都高速の橋本圭一郎社長(前フィッチ・レーティングス日本法人最高経営責任者)と阪神高速の大橋光博社長(元西京銀行頭取)も交代する方向で最終調整している。いずれも6月の株主総会で正式に決まる見通し。』

何だかスキャンダルみたいです。せっかく道路公団を民営化したのに、それが逆効果だったということでしょうか。

と思っていたら、同じ4月27日、岸博幸氏が凄い論評を発表しました。

郵政民営化見直しに勝るとも劣らない“道路公団改悪”の陰謀
岸博幸のクリエイティブ国富論 2012年4月27日
道路公団民営化の意義は、特殊法人時代の四公団が特別会計の存在と相俟って談合、天下り、ファミリー企業といった利権の温床となっていたことから、不透明な利権を廃し、放漫経営を改めることにあったといいます。
『利権の根絶と道路予算の効率化のためには、ある意味でそれ以上に民営化された企業の経営陣をどのような人が務めるかが重要になります。
ちなみに、道路各社の経営陣は2年が任期となっており、ちょうど2年前に今の経営陣を選ぶときは、当時の国交大臣であった民主党の前原氏が民間的な経営を行う人をトップに充てました。
その結果、高速道路にいわゆる“利権屋”が入り込む余地はこの2年でどんどん小さくなりました。“言うだけ番長”と揶揄されることが多い前原氏ですが、この問題についてだけは正しい対応を行っていたのです。』

今年の6月は今の経営陣の交代のタイミングです。ここにおいて、政治家/官僚/土建業界に融和的な民間人を道路各社のトップに据えて、談合や随意契約、更には目立たない形での官僚の天下りがやりやすい、かつてのようなゆるい経営体制に戻そうという動きが活発になっているというのです。

『噂によると、そうした道路利権復活に向けた動きを仕掛けているプレイヤーは3人います。
1人は、国交省に政務三役として入っている政治家です(大臣ではない)。・・・
もう1人は、ある経済団体の幹部の人です。・・・
そこに加わった最後の一人は東京都の元大幹部です。
・・・
ちなみに、国交省の官僚は、こうした人たちの利権復活に向けた動きの推移を期待感を持って眺めているようです。
噂では、今週中に上記の国交省政務三役の人が自分で決めたトップ人事を道路各社に通告するという、国の株主権の濫用とも言えるような行動に出ると言われていましたが、この原稿を書いている木曜の段階では、まだそれが行われたという情報は入ってきていません。
しかし、もし本当にそうした常軌を逸した人事介入が行われ、道路利権の復活を後押しするようなトップ人事が行われたら、道路は郵政の逆行以上にひどいことになりかねません。本当に許し難いですし、こうした暴挙を野放しにしている政権の罪は重いと言わざるを得ません。』

本日の朝日新聞の記事では、最後に以下のように記述しています。
『(2年前の)高速道路会社のトップ人事では、民主党政権が官僚の「天下り廃止」を掲げ、10年に当時の前原誠司国交相のもとで国交省出身の道路会社社長をすべてやめさせた。そのうえで6社の社長すべてを民間企業の出身者にした。
特に経営者らでつくる経済同友会からの人材を多く起用している。一方、国交省は今回の社長交代では、大手企業などが入る経団連を中心に後任の人事を進めている。今回の社長交代には国交省の巻き返しや、同友会対経団連という経済界の主導権争いの面もある。』

プレイヤー3人のうちの2人目「ある経済団体の幹部の人」とは、経団連を指すのでしょうか。

岸さんの記事の最後部分
『だからこそ、メディアはこの問題を注視し、道路各社のトップ人事の帰趨となぜその人が選ばれたかの検証をしっかりと行うべきではないでしょうか。そのためにも、私もどこかの段階で上記の3人の個人名を暴露したいと思っています。
ちなみに、4月中旬のある新聞に、道路3社の役員数が旧公団のときよりも大幅に増えて経営陣自ら焼け太りしていた、という趣旨の記事が出ましたが、情報によると、この記事は、上記の3人のうちの一人が記者に書かせたもののようです。ポスト奪還に向けて世論形成にメディアを使ったのです。』

朝日の記事にある『経営を効率良くするのが民営化の目的だったが、役員数を約束より増やしたり、業績が上向いていなかったりして効果が出ていないからだ。』についても、よく真相を確かめてほしいです。
また、3人の名前が明らかになる日も近いでしょう。
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小沢氏に無罪判決

2012-04-26 19:36:23 | 歴史・社会
小沢裁判で無罪判決が出ました。「罰金判決が出るのではないか」という私の憂慮については、杞憂に終わって良かったです。

ところで、国民が本当に知りたいことは、小沢氏が刑事罰を受けるべきか否か、という点ではありません。
「日本の政治リーダーとして、託するに足る人物か否か」
という点こそが知りたいところです。

ところが小沢氏の態度は、検察の不起訴が決まった時点では「検察が“白”と判断したのだからそれがすべて。それ以上は語ることがない」として口をつぐみました。また、検察審査会が起訴を決めた以降は、「裁判中なので語れない」としてやはり説明をしません。
さて、これからどうなるでしょうか。
「国民が知りたいのは、刑事裁判で有罪か無罪かということだけではない。今回の4億円の件で、実際はどういうことがあったのか正直に話してほしい。それを聞かない限り、国民としては小沢さんにリーダーを託して良いのかどうか判断できない」
という問いかけに答えてくれるのでしょうか。

おそらく、無罪が確定するまでは「裁判が係属中なので話せない」、無罪が確定した以降は「司法が“白”と判断したのだからそれがすべて。それ以上は語ることがない」として、何も語らないつもりなのでしょうね。
その点についてまだ小沢氏の発言は伝わってきませんが、民主党の輿石幹事長が26日の記者会見で、野党が、政治資金規正法違反に問われ、無罪となった小沢一郎元代表の証人喚問を求めていることについて、「(無罪という)結果が出たわけだから必要ない。説明責任は果たしている」と述べ、応じない考えを強調したそうですから、同じようなものでしょう。

しかし、今回の地裁判断については、「弁護側「完全な無罪」指定弁護士「どうしてこれで無罪に...」」で
フジテレビ系(FNN) 4月26日(木)17時18分配信
『判決の中で、裁判長は「小沢被告の供述には、変遷や不自然な点が認められる」と、小沢被告の供述は信用性に乏しいとしたうえで、元秘書らと共謀していた疑いがあることについて、「相応の根拠がある」と指摘した。
しかし、共謀があったかどうかについては「十分な立証がされたと認めることはできず、合理的な疑いが残る」と、元秘書らがうその記載をしたことを、小沢被告が認識していなかった可能性があり、共謀についての証明が十分ではないと結論づけた。』
『小沢被告の関与を一部、認める一方、共謀は立証できないとする判決について、検察官役の指定弁護士は「聞いているうちに、ほとんど有罪じゃないかなと。どうしてこれで無罪にするのかというのが率直な印象」と語った。
また、控訴については、あらためて判決をくわしく読んで決めるとしている。』
と報じられているように、決して「小沢さんは真っ白だ」という判決ではありません。
「白とも言えないが、かといって“黒”と判断するには立証が不足している。だから無罪」
という判決です。
こんな判決をもらって、「司法が“白”と判断したのだからそれがすべて」で押し通したとしたら、やはり国民は小沢さんを支持することにならないでしょう。
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明日は小沢裁判判決

2012-04-25 22:12:06 | 歴史・社会
いよいよ明日は小沢裁判の判決日ですか。
どのような判決になるのかは、読み上げられるまでは全く予測が付きません。

だいぶ前ですが、2月19日に「米CIAが小沢一郎元代表を「生かさず、殺さず」にするための罰金刑判決を工作していた?」というニュースを読みました。
『東京地裁は4月に予定されている判決公判で、小沢一郎元代表に「有罪判決」を下す。量刑は、「罰金100万円」と見られている。それは、石川知裕被告(衆院議員)から小沢一郎元代表の政治資金管理団体「陸山会」の会計責任者の地位を引き継いだ池田光智被告の供述書が証拠採用されたことが最大の根拠となっているからだ。』
『(政治資金政治規正法28条(選挙権及び被選権の停止))規定により、「罰金刑に処せられた者」は、「裁判が確定した日から5年間」は、投票もできないし、立候補もできない。併せて選挙運動も禁止(公選法137条の3)されている。(禁錮又は罰金刑の執行猶予の言い渡しを受けた者は、裁判が確定した日から刑の執行を受けることがなくなるまでの間選挙権及び被選挙権停止)政治家にとっては、この罰則は、汚職事件で有罪判決を受けるよりも厳しい。汚職事件では、懲役刑を受けて投獄されていても獄中立候補することかが可能だからだ。
どうも、小沢一郎元代表は、「罰金刑」という「微罪」で、「公民権停止」になることをすでに予感しているのかもしれないのである。』

一番高い可能性はやはり「無罪」と思いますが、「罰金刑」ということもあり得るのでしょうか。池田光智被告の供述書が証拠採用されたことがどうしても気になります。
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太陽 やはりまもなく冬眠

2012-04-24 21:57:03 | サイエンス・パソコン
私が太陽の異変に最初に気づいたのは2009年のことでした。
その年のシルバーウィーク、私は家内とオーロラを見にアラスカに出かけました。
オーロラは、太陽からやってくる荷電粒子(プラズマ)が地球の磁場に影響されて特定の場所に降り注ぐことによって発生します。従って、まずは太陽から多量かつ高速のプラズマが地球に降り注ぐ必要があります。
ところで太陽は、11年周期で活動が活発になったり静かになったりを繰り返しています。活動が活発なときは、太陽表面に黒点が多く見られると共に、太陽表面から放出するプラズマも活発になります。

このまえの太陽活動活発期は2001年頃であり、その後の沈静期を経て、2009年には相当程度に活発化しているはずの時期でした。そうであれば、アラスカに行ってきれいなオーロラを見ることのできる確率も高いはずです。
ところが、調べてみると、何だか太陽活動の活発化が遅れており、2009年はまだ黒点がほとんど発生していなかったのです。オーロラ観察の前準備に書いたとおりです。
そのときはすでに計画していたので、「行けば何とかなるだろう」とアラスカに出かけました。オーロラ観察と写真撮影としてここでも記事にしました。

そのときの記憶から、「太陽活動は何らかの異変に見舞われているのではないか」と気になっていました。
このまま、太陽に黒点が現れなかったらどうなるのか。最近の地球の歴史を紐解くと、黒点活動が弱い時期が継続したときがあり、そのときは地球が冷えて氷河期になっていたという記録があります。このまま黒点が現れなかったら、地球は氷河期に突入するのではないか。

そして2年前、2010年3月19日の朝日新聞朝刊に『太陽まもなく「冬眠」 国立天文台 複数の徴候を観察』が掲載されたのです(太陽まもなく「冬眠」。)。
今までずっと、黒点活動の周期は11年だったのに、その周期が今回は12年7ヶ月と長くなりました。

「周期が延びるのは、太陽が冬眠の時期に入る前の特徴とされる。」

2010年の上記記事を読んだ後、報道に気をつけていたのですが、この記事に続く報道が一切見あたりません。どういうことでしょう。
朝日新聞のあの記事はガセネタだったのか?

そうしたら2年後の今回です。
太陽の北極も南極もN極に? 観測衛星「ひので」がとらえた,太陽磁場の奇妙な事実
科学雑誌Newton 4月19日(木)15時18分配信
『太陽の極域は,表面の爆発などの活動の原因となっている重要な場所だという。だが,実際に極域で何がおきているのか,よくわかっていなかった。このたび太陽観測衛星「ひので」は,極域のようすをくわしくとらえることに成功した。そして意外なことに,北極と南極の両方が,磁石でいうところのN極になりつつあることが明らかになった。』
『■ これからの太陽活動はどうなる?
太陽の極域の観測は,将来の太陽の活動を予測する上できわめて重要だ。2012年10月ごろに予定されている,「ひので」による北極域の集中観測によって,北極域の極性がN極に完全に反転しているかどうかを確認できるという。
マウンダー極小期(1645年~1715年)など,黒点がほとんどなかった時期は過去にもあった。これが原因となって,地球の平均気温が低下し,寒冷化をもたらしたといわれている。これらの極小期の直前は,太陽の周期が13年や14年と長いという特徴があった。今回,直前の太陽の周期は12.6年だった。もしかすると,地球を寒冷化させる太陽の極小期にふたたび突入する可能性もあるかもしれないという。』

国立天文台のサイトにもリリースされていました。
太陽観測衛星「ひので」、太陽極域磁場の反転を捉えた
2012年4月19日
自然科学研究機構国立天文台、理化学研究所、宇宙航空研究開発機構、米国航空宇宙局 (NASA)、英国科学技術会議 (STFC)、欧州宇宙機関 (ESA)

2年前の朝日新聞のニュースは、決してガセネタではなかったのです。その後2年間も続報が見られず、今回突然に観測衛星「ひので」の観測結果から予測が裏付けられたことになります。2年前の記事は凄い特ダネだったのでしょうか。

太陽活動は11年周期に加え、ほぼ100年ごとに活動が弱まる大きな波があります。特に1700年前後の冬眠はマウンダー極少期と呼ばれ、ほぼ70年間にわたってほとんど黒点が現れませんでした。そのときはテムズ川が凍るなど寒冷化の現象が起きました。

最近の地球の気温については、人間活動で増えた温暖化ガスの影響による温度上昇と、自然に増加した温度上昇との相乗効果が見られていました。ここに来て太陽活動に起因して地球の気温が低下傾向に転じるとしたら、取り敢えずは温暖化ガスの影響を相殺してくれる可能性があり、その点では有り難いことです。
ただし、太陽の冬眠によって地球が寒冷化するのもせいぜい数十年でしょうから、その間に温暖化ガスの影響を抑えるための対策をうち立てる必要はありますが。
もっとも、地球の化石燃料資源が枯渇する時期が近々到来するかもしれません。そうしたら、温暖化ガス対策どころの話ではなくなります。

それでは、2年前の朝日新聞記事と今回の朝日新聞記事とを並べておきます。
 
2010年3月記事              2012年4月記事
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福岡無法地帯に全国から警察動員を!

2012-04-22 18:06:07 | 歴史・社会
4月19日に北九州市で福岡県警の元警部が銃撃された事件で、福岡以外の九州の4つの県警が応援部隊として加わり、通学路などの警戒にあたっているそうです(4県警応援で通学路警戒 福岡の元警部銃撃事件)。
また、この事件を受け、松原国家公安委員長は21日、北九州市と福岡市を訪れ、犯行現場を視察しました(絶対に摘発…国家公安委員長が銃撃現場を視察)。

遅い!! 警察の対応は遅すぎます!!

福岡市は、昨年から今年の1月にかけて、すでに暴力が支配する無法都市になっていました。
建設業者に発砲後絶たず 立件わずか
2012.1.17 23:06 産経新聞
『福岡県中間市で17日、建設会社黒瀬建設の黒瀬隆社長(52)が銃撃され重傷を負った。隣接する北九州市で昨年11月に建設会社会長が撃たれ死亡するなど、同県では、暴力団が建設業者を狙ったとみられる発砲事件が後を絶たない。法規制は強化されているが、立件される事件はわずかだ。
相次ぐ発砲事件の背景をどう見るか。同県では公共工事が減少、平成22年4月に暴力団排除条例が施行されており、県警幹部は「発砲は、あいさつ料を払えなくなった業者への暴力団による威嚇だ」と指摘する。
警察庁によると、全国で昨年起きた発砲事件は44件。うち福岡県では全国最多の18件が発生。このうち9件は建設、土木などの業者が狙われた事件で、県警が容疑者を逮捕した事件は18件中2件。北九州市のある建設業者は「業界の幹部は皆襲撃を心配している。行政による対策も必要だが、容疑者を早く逮捕してほしい」と訴えた。』

福岡市では、何で一般市民がこのように暴力団から銃撃されるようになったのでしょうか。
「いつ標的に」 業者不安』(朝日新聞マイタウン福岡・北九州2012年01月23日)によると、
『土木・建設業界と暴力団の関係について、「10年ほど前は業界全体で付き合いがあった」と、北九州地区のある建設業者は明かす。下請けに暴力団のフロント企業を入れるなどしてみかじめ料を払い、代わりに他の暴力団による妨害などを排除してもらう――。そんな「持ちつ持たれつの慣習」だったという。
しかし、近年は不況のあおりで官民問わず工事が減る傾向にあり、「競争激化で、みかじめ料を払う余裕がなくなった」と、この業者は語る。北九州市発注工事の予定価格に対する落札価格の比率(落札率)は、05年度の約92%から10年度は約86%に低下。「損益ギリギリで入札しており、フロント企業を入れる余地が狭まった」と言う。
また、10年には県暴力団排除条例が施行され、暴力団への利益供与が禁じられた。今年2月には改正された同条例が施行され、業者が不当要求を受けた場合は、民間工事でも、県への通報が義務づけられる。
こうした経済情勢の変化や暴排機運の高まりの一方で、暴力団によるとみられる事件は凶悪化している。北九州市では昨年2月、ゼネコン事務所で社員が撃たれ、11月には建設会社役員が自宅前で射殺された。県警幹部は「建物などへの威嚇射撃から、人を撃つ方針に転換したと考えざるをえない」と危機感を強める。』

こんな無法都市が日本国内に現存するなんて、信じられません。
私が1月にこのような報道に接したとき、こう思いました。
「福岡市と北九州市に全国から警察官を動員し、徹底して市民を守らなければならない。そして、これ以上の犠牲者を出す前に、根源を撲滅しなければならない。」

去年の7月に私が釜石市を訪問した際、大阪府警のマークを付けたパトカーに出合いました。下の写真です。そのとき、全国の警察から応援に来ていたのだそうです。それと同じことを、福岡市と北九州市でやらなければならない。
 2011年7月 岩手県釜石市
今年1月の段階でそのように思いながら、忙しくてブログにアップせずにいました。
そうしたらこの4月になって、元警部が撃たれたとたんに、九州全域から警察の応援を受け、国家公安委員長が現地視察ですか。
遅すぎます。
市民が何人も殺害されたり重傷を負わされたりしているときには対応せず、元警部が銃撃されたとたんに動き出すとは何事ですか。

まあいいです。
今からでも、全国の警察を動員して福岡の無法地帯の治安を回復してください。
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高橋洋一著「この経済政策が日本を殺す 日銀と財務省の罠」

2012-04-20 22:24:14 | 歴史・社会
この経済政策が日本を殺す 日銀と財務省の罠 (扶桑社新書)
高橋洋一
扶桑社
高橋洋一氏の持論は、「変動相場制のもとでは、財政出動は効かない。日銀による金融緩和が必要である」というもので、常に一貫しています。この本でも同じ持論が展開されています。
出版されたのは2011年6月、1年前です。最近になって読んで見ました。

驚くのは、この著書の中での発言が、出版後のこの1年間の事象を見通しているかのようである点でした。
『金融政策はわかりにくい。たしかに、金融政策によって実質金利が下がり投資が盛んになるには、6ヶ月以上時間が必要だ。わかるころには6ヶ月前に実施された金融政策なんて忘れてしまうだろう。
しかし、今の円高株安デフレでは、金融政策の効果はわかりやすい。というのは、為替相場は、金融政策の変更にすぐに反応し、それが株式市場にも伝わるからだ。』(51ページ)
今年2月、日銀が「インフレ目途(goal)1%、当面10兆円の追加緩和」を発表した途端、ドル円で円安トレンドが始まり、日経平均はうなぎ登りとなりました。高橋氏はこの現象を予言したかのようです。

日銀の白川総裁は、32年前に日銀の研究誌に「マネタリー・アプローチによる国際収支・為替レートの実証分析-わが国のケースを中心に-」という論文を寄稿しているそうです。
『この白川総裁の論文は、今でもかなり妥当している。日銀がいくら緩和したといっても、為替に対しては米国との相対的な関係が重要だ。そうであれば、今は市場がおとなしいが、いつ何時、再び円高へ向かうかもしれない。』(53ページ)
この本が出版されたほんの一月後、去年の7月に、為替レートは突然円高に振れ、その後の超円高と超株安が発生しました。高橋氏はこの現象を予言したかのようです。

『先進国の変動相場制のように市場が決める為替相場であれば、その制度の下で国内対策として金融緩和をして為替が安くなっても、それは市場で決まったのだからいいが、政府・通貨当局が為替相場に介入すると、それは市場が決めるとはいえないのでダメということだ。つまり、変動相場制下での金融緩和による通貨安はセーフだが、為替介入による通貨安はアウトとなる。』(64ページ)
去年秋に政府・日銀が為替単独介入して一時的に円安となりましたが、直後に元の円高に戻ってしまいました。このときは各国から冷淡に見られたと記憶しています。一方、2月の日銀による金融緩和の発表については、どこからも非難は出ていません。まさに高橋氏の予言通りです。

先日、日銀の審議委員人事が参議院で否決され、話題となりました。
この著書には「日銀審議委員はこう決まる」とのセクションがあります。
基本的には財務省事務方がリストを作り、最終的には官房長官のところで作成するといいます。事務方は、一般的には各省での審議会などの活動実績によってリストを作ります。各省審議会委員の中で、長い間に選別が行われ、結果としては役人に「理解」があり、役人がコントロールしやすい人の方が残ります。
日銀審議委員6人を出身別に見ると、2ポストは学者出身、2ポストは産業界出身、1ポストは金融界出身で固定化しています。学者枠の中には女性枠が一人あります。
今回否決された河野氏は、どのような位置づけだったのでしょうか。

さて。高橋氏はこの本の中でさらにどのような施策を提言しているのでしょうか。
『経済分析を使うと、もし1ドル=100円程度にしたければ、FRBのバランスシートが一定との前提の下で、日銀は30~40兆円の量的緩和を行えばいいことがわかる。』(52ページ)
2月に10兆円の追加緩和を発表しましたから、あと20~30兆円が必要ということですか。

『「納税者番号制度」と、納品書への税額記載を義務付ける「インボイス方式」を導入すれば、税務効率が高まり、所得税と消費税で数兆円規模の税収増があるだろう。これは、税務署長をしていた私の直感である。先進国では、納税者番号制度とインボイスは当たり前で、日本だけが導入せず、不公平税制になっている。これらは、どのような税制度を作る上でも必要であるので、増税議論の前に行うべきである。』(85ページ)

『私は財政再建の必要性について人後に落ちない。本当に必要なら増税も仕方ない。しかし、名目成長率が4%にならないで増税したら経済がダメになって財政再建もおぼつかなくなる。財務省の財政再建は名目成長率が上がる前に増税するという経済理論無視の下策た。』(105ページ)

財務省からの資料に基づくと、「名目成長率が上がると財政破綻する」ことになるそうです。
『ところが、名目成長率が1%アップすると、時間が経過すればするほど税収は大きくなる。数年経つと6兆円以上増える。財務省の資料は、3年までしか計算せずに利払い費が税収より大きいところだけしか見せないのだ。
ある国会議員が3年より先まで計算するように要求したが、財務省が頑として計算しなかった。』
『成長は財政再建を含めて多くの問題を解決できるからこそ、OECDが目的のトップに掲げている。』(107ページ)

私も「成長は百難隠す」という格言を信じています。
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石原都知事「尖閣を都が買う」

2012-04-18 22:37:40 | 歴史・社会
東京都の石原慎太郎知事が16日午後(日本時間17日未明)、訪問先のワシントンで、尖閣諸島を購入する方針を電撃的に表明しました。
今回の計画は、日本政府に強烈なメッセージとして伝わるよう、ワシントン出張に合わせてごく一部の人間だけで極秘裏に進めてきたといいます。埼玉県に住む所有者の男性との橋渡しをしたのは山東昭子参院議員(自民)です。山東議員によると、所有者の男性とは「30年来の友人」。男性から「『尖閣を譲ってほしい』とあちこちから言われるが、背景のわからない個人には譲れない」「政府に買い上げてもらいたいが、今の政府は信用できない」などと相談を受けていたそうです。
『02年4月から年度ごとに総務省と賃借契約を結び、管理を国に任せてきた。ただ、「個人で所有していくには限界がある」と感じていたため、山東議員が古くからの知人だった石原知事に連絡し、昨年9月に2人でさいたま市の男性宅を訪問した。この場で石原知事は、「東京都が買います」と前向きな姿勢を示し、最終的に男性は「石原さんなら任せられる。腹は固まった」と売却を決意したという。』(読売新聞 4月18日(水)

今回は山東昭子議員が橋渡ししたのですか。
石原氏は、平成8(1996)年1月~10(1998)年8月に「諸君!」に連載され、1999年に単行本になった「国家なる幻影―わが政治への反回想」の中で、尖閣の地権者との交渉について述べています。
石原氏らは尖閣諸島の一部でもいいから地主になってしまおうと、当時すでに地権者であった栗原氏を訪ねたといいます。しかしそのとき栗原氏は、尖閣の権利を他の何に訴えても自力で守りぬくつもりということでした。2010年9月に「石原慎太郎氏と尖閣諸島」で記事にしたとおりです。
そのときに石原氏本人が栗原氏と面談したのかどうかはわかりませんが、少なくとも当時からつながりはあったということです。

ところで、尖閣を巡っては、日中間で極めて微妙な外交問題となっています。
2010年9月の尖閣問題に際して、日中間があれだけこじれたのは、日本と中国との意思の疎通が図れなかったこと、そしてその原因は、日本の中枢において官邸と外務官僚との間に深い溝が存在したことでした。
中国は必死で、「勾留10日で船長を強制送還してくれないと、中国としては強行策に出ざるを得ない」とのシグナルをいくつも出していましたが、日本政府はそのことごとくを見落としていました。中国としては、自国内の問題があるため、あのときは強行策に出ざるを得ませんでした。日本人駐在員の身柄と、日本向けレアメタル輸出とを人質にするという、なんとも大国とは思えない策でした。

昨年12月、私は「尖閣に自衛隊を駐留させてはいけない」を記事にしました。
紛争屋の外交論―ニッポンの出口戦略 (NHK出版新書 344)での伊勢崎賢治氏と宮台真司氏との特別対談では以下のように記されています。
胡錦涛国家主席は、現在の中国首脳の中では比較的親日だといいます。一方中国では、海軍は反日で知られる江沢民ラインですから危なかった。今回の尖閣騒動でも、中国海軍が共産党の支配から離れて尖閣諸島に強硬上陸する危険性もありました。胡錦涛がよく抑えた。
ですから日本としては、胡錦涛主席を立てるように外交しなければなりません。
ところが日本政府は、前原国交大臣が「国内法に従って手続きを粛々と進める」と発言したりして、胡錦涛主席のメンツを潰すような行動に終始しました。これにより胡錦涛の立場は弱くなり、日本の国益が損なわれました。
胡錦涛主席としても、中国国内の強硬派を抑えこむためには、日本に対して強硬路線をとらざるを得なかったのです。
このときに中国首脳が強行策を採っていなかったら、中国海軍は中国共産党の意向に反してでも尖閣に強硬上陸していた可能性すら在ったといいます。

今回、「東京都が尖閣の地主になる」という、中国にとって聞き捨てならない話題が提供されました。今後、中国を過度に刺激して前回の轍を踏まないよう、しかし過度に遠慮して日本の国益を損なわないよう、絶妙の外交バランスで事を運ぶ必要があります。そしてそのためには、日本政府での官邸と外務省官僚との強い信頼関係が不可欠です。
私が危惧するのはその一点です。


ところで、私が昨年12月に上記記事を書いたきっかけというのが、自民党石原伸晃幹事長の発言でした。
石原伸晃氏は昨年12月12日、ワシントン市の政策研究機関で講演し、沖縄県の尖閣諸島を公的所有として、港湾施設を整備するなどして実効支配をより強化するべきだとの考えを示しました。
石原伸晃氏は昨年、尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件に言及したうえで、「尖閣諸島は個人所有から速やかに公的な所有にすべきだ」と述べ、国による民有地買い上げが望ましいとの考えを表明し、「漁船の避難港を整備し、自衛隊員の常駐も考えなければならない」とも訴えました。石原伸晃氏はまた、「中国の軍拡の動きを受け、わが国も防衛費を増やす努力をしなければならない」と強調したのです。
このときは、「自衛隊を尖閣に駐留させてはいけない」というスタンスで取り上げました。

しかしこうして読み返して見ると、去年12月に、息子石原氏が「尖閣を国有化すべし」とワシントンで発言したということです。当時すでに、父石原氏は尖閣の地権者と会っていました。そして今回、父石原氏が同じワシントンで、「東京都が購入する」と発表したことになります。
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山口義正著「オリンパス事件」

2012-04-17 20:38:19 | 歴史・社会
サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件
山口義正
講談社

オリンパス事件については、このブログでは去年11月19日に「オリンパス問題と海外メディア」として記事にしました。

オリンパス事件が明るみに出た発端は、月刊誌FACTAの2011年8月号に掲載された「オリンパス 「無謀M&A」巨額損失の怪」でした。もしもこの記事がなかったら、オリンパス事件は結局表に出なかった可能性すらあります。
今回読んだ上記著書の著者である山口義正氏は、オリンパス事件を発掘して上記ファクタ記事を執筆したその本人です。

この著書によると、オリンパス事件解明に至る中心はもちろん山口氏ですが、それに加えて3人の重要人物が登場します。

山口氏に事件発掘の端緒となる情報をもたらしたのは、著書で“深町”と仮名で記されたオリンパス社員です。何らかの理由でオリンパスの闇に触れる機会があったのでしょう。最初は山口氏に
「ウチの会社、バカなことやってるんだ・・・」
「売上高が2億~3億円しかない会社を、300億円近くも出して買ってんだ。今は売り上げも小さいけど、将来大きな利益を生むようになるからって、バカだろ?」
「でもウチの本業とは関係ない会社なんだ。しかも営業赤字でさ」
とぽつりと漏らしたことが、山口氏が知る発端でした。2009年8月です。

山口氏は、日本公社債研究所に勤め、入社と同時に日経の証券部に3年間出向し、その後は公社債研究所の格付けアナリストになりました。そこを2年で退社しましたが、財務分析のイロハを身につけました。

深町氏は、2009年当時は上記程度の情報しか知りませんでしたが、その後山口氏と会話を重ねつつ深く情報を探知してきました。深町氏はおそらく、自分が所属している会社の闇を探求しようとする好奇心がことのほか強く、一方で知ってしまった秘密の重みに耐えられなくなり、誰かに打ち明けずにいられない様子でした。
2011年になると、深町氏の情報はさらに具体的になり、買収された3社の社名も判明しました。そして驚いたことに、深町氏はそれらの買収を決めた際に作成された取締役会資料を入手していたのです。
2011年2月、深町氏が山口氏に「持っている資料は全部、君に渡すよ」と言い出しました。深町氏は、山口氏がジャーナリストであることを承知で資料を渡すわけであり、この顛末が報道されることをこのとき覚悟していたことになります。

深町氏がもたらす情報と、山口氏の財務分析力があいまって、真相が解明されていきました。そして2011年6月、「記事を書くべき時は満ちた」として掲載する雑誌を探し始めます。
オリンパスの問題はにわかには信じられないような内容を含んでいて、山口氏は「お上品な媒体にはとても追い切れないだろう」と感じていました。そこで選んだのが月刊誌のファクタです。ファクタは政治経済を中心とした総合情報誌で、しかも批判対象に聖域を設けない辛口の編集方針でした。

ファクタの編集主幹が阿部重夫氏です。今回の事件解明の3人目のキーパーソンといっていいでしょう。
山口氏が阿部氏と会って調査結果を説明し、取締役会資料を含めて資料を見せたところ、ファクタの次月号への掲載が即決しました。10日後に迫ったオリンパスの株主総会(6月29日)には間に合いませんでしたが。
こうして、ファクタ8月号で「オリンパス 「無謀M&A」巨額損失の怪」が記事になりました。
その最後を締める文章
『収益源の多角化とも純投資とも呼べないいかがわしいM&Aに、菊川会長がなぜこれほど淫したのかの解明は、東京地検特捜部の仕事かもしれない。一連のM&Aで社外に流出した巨額の資金の流れも闇に閉ざされている。オリンパスの「ココロとカラダ」がこれ以上病んでしまう前に、菊川会長には果たすべき説明責任と経営責任がある。』
は、その後の事件の推移をすべて見通すかのような示唆に富んでいました。

ファクタ8月号発行の後、山口氏は阿部氏から「他の雑誌を含めて多くのメディアで追求しないと取り逃がしてしまう」と助言を受け、多くの出版社に説明に出かけました。しかし、東洋経済、アエラ、その他数誌に企画書を送りましたが、いずれからも何の反応もありませんでした。

次に登場する4人目のキーパーソンは、キャノンのマイケル・ウッドフォード社長(当時)です。ウッドフォードとオリンパスOBの友人が連れ立って温泉へ旅行に出かけたおり、友人がファクタ8月号の記事英訳を作ってウッドフォードに見せたのです。そればかりでなく、この友人は一文ごとに噛んで含めるようにして解説を加えたといいます。7月31日のことです。ウッドフォードは日本語が不自由で、オリンパスの他の役員も社員も記事についてウッドフォードに何も知らせていませんでした。山口氏には、この友人の囁きが天の配剤としか思えませんでした。

ファクタ8月号が出た後、オリンパスは会社としては何の反応も示しませんでした。
そんな8月、オリンパス関係者からファクタのもとに情報提供がありました。メールの送信者は、横暴で陰湿な経営陣の秘密を暴くのに役立ててほしいとして情報を提供してきたのです。
メールには、オリンパスが買収した国内3社の一つ、アルティスの事業計画書が添付されていました。少し古い資料でしたが、アルティスの株主構成でオリンパスの保有比率が40%となっており、そのほかの大株主の社名が記入されていました。
少し経ってから、山口氏はピンと来ました。これら記入された大株主こそ、オリンパスが国内3社の株式を買い取った相手ではないのか。
こうして、山口氏は事件をさらに解明していく糸口を掴んだのです。
ファクタ10月号では、買収資金の流出先をテーマに第2弾を書きました。ウッドフォードは知人の翻訳家にこの記事を英訳させて読みました。

その後の経過は、私が去年11月19日に「オリンパス問題と海外メディア」で書いたとおりです。
日本のメディアはダンマリを決め込む一方、海外メディアは報道を過熱していきました。

一連の企業買収で投入した資金が、オリンパスの隠し損失の補填に使われていたことが判明したのは、去年の11月になってからです。
これに先立つ10月後半、野村證券OBが書き手となっているブログが密かに注目を浴び始めました。オリンパスには隠し損失があり、一連の企業買収はこれと関係していると書き込んでいたのです。山口氏は11月2日、フリージャーナリストの伊藤博敏氏の仲介でこのブログ筆者と面会しました。そして話の全体像や細部が見えてきたのですが、山口氏は週刊朝日(11月8日発売)に抜かれてしまいました。
その日は、高山新社長が記者会見を開き、損失隠しを認めた日です。その前日夕方、森副社長が高山社長に、過去の損失隠しについて自白したのです。自白した直接の契機は、翌日発売されることがわかっていた週刊朝日記事かも知れません。

あとがきで山口氏は
『本書のタイトル「サムライと愚か者」はウッドフォードが私に投げかけた「どうして日本人はサムライと愚か者がこうも極端に分かれてしまうのか」という問からとった』
と述べています。
オリンパス事件は「正義」を心の中心に近いところに置いている個人の情報提供によって第一報を書くことができました。するとこれと同じ価値観をもった別の個人が共鳴し、山口氏に重大な情報をくれたことで海をまたいだ経済スキャンダルに発展し、ついには事件の全貌までもほぼ明らかになったのです。
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北朝鮮長距離ロケット発射と日本政府の対応

2012-04-14 10:55:30 | 歴史・社会
《銀河3号》
北朝鮮の長距離ロケット(銀河3号)発射直後の日本政府の対応はお粗末でした。
北ミサイル失敗 政府説明、二転三転
産経新聞 4月14日(土)7時55分配信
『北朝鮮の「人工衛星」と称する長距離弾道ミサイル発射に際し、政府は国民への情報発信に完全に失敗した。発射をただちに覚知しながら裏付けに手間取り、「発射は未確認」と発表した約20分後に「飛翔(ひしょう)体が発射された」と説明するなど対応は二転三転。Jアラート使用は日本飛来時に限るとの方針を自治体に周知することも怠り、民主党政権の危機管理能力に不安を残した。(千葉倫之)』
『防衛省は発射直後の午前7時39分、発射の熱源を捕捉する米国の早期警戒衛星情報(SEW)を把握した。ほぼ同時に藤村氏(官房長官)や官邸の危機管理センターに設けられた対策室にもSEWの連絡があった。
ところが、対策室が「Em-Net」(エムネット)で全国の自治体に一報を流したのは約20分後の午前8時3分。しかも「わが国としては発射を確認していない」という内容だった。さらに約20分後、田中直紀防衛相が「何らかの飛翔体が発射された」と正反対の内容を発表した。
「3年前の経験もあり、必ずダブルチェックする態勢だった」藤村氏は発表が遅れた理由をこう説明した。2009年の前回発射時、実際には届いていなかったSEWが「発射情報」としてエムネットで流れたことを教訓に、慎重を期したと強調したいようだ。
官邸対策室は、防衛省からSEWが裏付けられたと連絡が入れば、エムネットなどで発信する段取りを描いていたが、発射失敗で自衛隊レーダーは探知に至らず、その間に外国メディアが「発射」と速報した。
これは官邸が事前に作成した対処要領にはない「想定外」の事態。慌てて「発射未確認」を第一報としてエムネットで流し、混乱を広げた。この第一報は対策室長である米村敏朗内閣危機管理監が判断し、藤村氏は事後で知ったという。
発射を認めた田中氏の発表も「想定外」。発表は官房長官に一本化するはずだったが、官邸の了承のないまま田中氏が先走った。』

《テポドン2号》
3年前のテポドン2号発射前日の誤報騒動については、2009年6月に「テポドン2号発射誤報事件」として記事にしました。
このときは、実際の打ち上げ前日である4月4日に、日本政府は「北朝鮮から飛翔体が発射されたもよう」という誤報を発表してしまう不始末をしでかしました。一体なぜこのようなことになったのか。

最初は、防衛省技術研究本部飯岡支所(千葉県旭市)の航空自衛隊レーダーが飛翔体を検知したことに始まります。この情報が航空総隊司令部(東京都府中市)に入り、そこから防衛省地下にある中央指揮所に「飯岡探知。SEW(米軍早期警戒衛星)入感。発射。」と流れます。「SEW入感」は完全な事実誤認です。同司令部の連絡担当者が、日々練習していたためについ口に出てしまいました。

さらに同司令部で連絡を受けた内局運用企画局幹部が、「SEW入感」を「発射」とアナウンス。この音声は官邸でモニターされていたことから、緊急情報は「Em-Net」システムで自治体へ送信、そして報道機関にも流れた結果、誤情報が世界にも駆け巡る羽目になりました。

米軍の早期警戒衛星による探知が事実なら、中央指揮所にも知らされているはずです。ところが前述の内局幹部はこれを確認せずに航空総隊連絡をうのみにした上に「発射」と誤りを上乗せしたのです。チェック機能と冷静さを欠いたミスの連鎖が、深刻な不手際を引き起こしました。
さらに問題なのは、中央指揮所の情報が確認されることなく、モニターを介して官邸に垂れ流しになる手順を採ったことです。情報は本来まず、防衛省が真偽を含めて価値を判断し、官邸や他省庁に連絡する手順だったにもかかわらず、4月3日夜に急遽変更されてしまったのです。しかもこの重大なルール変更、浜田防衛相にも報告されていなかったという、致命的な事務方のミスがありました。

この直前にイージス艦「あたご」衝突事故がありました。この事故の際、首相官邸や防衛相への報告が遅れたことが関係者のトラウマとなり、防衛省や官邸では「速報病」が蔓延していたのだそうです。

いやはや。
3年前のテポドン2号のときは「速報病」で無様な失敗をしました。
その反省で今回の対応要領を作成していたといいますが、今回は逆に手遅れとなりました。
前回の失敗は、実際にはSEW(米軍早期警戒衛星)が検出していないにもかかわらず、「SEW入感」と口走ってしまったことが原因でした。米軍のSEWそのものには問題がなかったのです。ですから今回は、「確かにSEWからの情報を入手した」という点を複数の人がチェックしさえすれば、「何らかの飛翔体が発射された」と認識すべきだったのです。
「たとえSEWが入感しても、自衛隊のイージス艦が検出しない限りは信じない」というのはあまりにも慎重すぎます。あのとき瞬時に、「SEWが入感したのに自衛隊イージス艦で検知できないということは、発射はされたものの高度100キロ以下でで消滅した可能性もある」と判断すべきでした。
防衛省や官邸の危機管理部署というのは、危機発生時に瞬時に状況の変化に即応することが求められています。想定外の事態に即座に対処できてこその危機管理部署です。
やはり日本の中央政府は、「即応」という点では落第というしかありません。

《テポドン1号》
ところで、1998年にテポドン1号が日本の上空を飛び越え、太平洋に落下しました。このときも日本政府は、無様な状況を演じていたのです。2009年6月に「テポドン1号発射と防衛庁として記事にしました。
1998年8月31日、北朝鮮は突然、テポドン1号を用いた3段式と思われるロケットを発射、第1段は日本海に落下、第2段以降は日本の上空を飛び越え、太平洋に落下しました。
このとき、米軍は事前に発射予定をつかんで日本防衛庁に連絡しており、海上自衛隊はイージス艦「みょうこう」を配備して警戒に当たっていました。
昼過ぎの12時15分、アメリカからの早期警戒警報が「北朝鮮がロケットを発射」と伝えてきました。警報は、防衛庁運用局と防衛局、海上幕僚監部調査部と防衛部、中央指揮所(CCP)の専用電話にそれぞれほぼ同時に入電されました。

その直後、日本海に展開していたイージス艦「みょうこう」は、発射されたロケットの航跡を見事にとえらたのです。数十秒後に1段目ブースターが切り離された後、2段目の部分が加速を始め、さらに日本列島を越えようとする直前に、もうひとつの物体が切り離されました。数分後、“最後の物体”は落下コースを辿り、三陸沖数百キロの地点に向かっていました。

「日本列島を越えたことを、イージス艦がキャッチ!」との第1報は、興奮した「みょうこう」から衛星電話でSF作戦室へ伝わります。さらに東京・六本木の海上幕僚監部防衛部(オペレーション担当)、防衛庁運用局(オペレーション担当)、防衛庁トップの事務次官へと立て続けに流れました。

防衛庁において、オペレーションは運用局が担当し、情報は海上幕僚監部の調査部と防衛庁内局の防衛局調査課が担当します。
ところがこの日、“日本列島を通過したロケットの軌跡をリアルタイムで観測できた”という衝撃的な情報を、オペレーション系のイージス艦が取得したことから、オペレーション系は舞い上がってしまいました。情報は集約されることなく、もっぱら運用局長からその上の防衛次官へ上げられました。この日1日、運用局長と防衛局長は、一度も顔を合わせませんでした。防衛庁長官が思わず「どうして情報がバラバラに来るんだ!」と声をあげる一幕もありました。

こうして、イージス艦は12時過ぎにリアルタイムでテポドン1号の航跡を捉えたのに、総理、官房長官に報告したのは20時頃、マスコミに発表したのが23時15分頃という体たらくとなりました。

---------
1998年のテポドン1号ではマスコミ発表まで半日かかり、2009年のテポドン2号では発射の前日に「発射誤報」を世界に発信してしまい、そして今回の銀河3号では発射から40分以上も発表することができませんでした。

やはり日本の防衛組織は、「高価な兵器で身をくるんでいるが、実際には危機発生時に即応できない集団」に過ぎないのでしょうか。
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