弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

安倍晋三支持母体とは

2017-03-25 10:37:26 | 歴史・社会
安倍晋三・昭恵夫妻は、えらいのに取り憑かれてしまいましたね。
安倍晋三名で百万円寄付しようが、夫人が講演料を10万円受け取ろうが、何も法律に違反しません。また、両方とも籠池氏のでっち上げの可能性も高いです。しかし、安倍首相のイメージが大幅に劣化したことに相違はありません。
昭恵夫人付きの官僚(秘書役?監視役?)が、籠池氏の頼みを聞いて財務省に問い合わせを行い、ファックスで結果を報告しました。これは事実でしょう。しかし、法律に違反していない可能性が高いと思いますし、親切でやってあげたように見えます。しかし、そうだとしても、親切が仇となり、安倍夫妻は窮地に追い込まれています。
こんなことで日本の政治が毀損するなんて、本当にうんざりします。
しかし、これも安倍晋三氏の身から出た銹だろう、というのが偽らざる感想です。

世間では、昭恵夫人が制御不能であり、それが原因でこんなことになった、との観測が多いです。しかし、私はその観測に違和感を感じます。
昭恵夫人が制御不能のところがあるかもしれませんが、どっちの方向に制御不能かというと、リベラルに振れる側で制御不能だったように思います。それに対して今回の籠池氏は、思いっきり右翼側です。晋三氏の制止を振り切って、昭恵夫人が籠池氏に肩入れするとはとても思えません。やはり、昭恵夫人は晋三氏の意を受けて、籠池氏に肩入れしていたのだろうと推測しています。

それではなぜ、安倍晋三氏はあんな籠池氏に肩入れしてきたのでしょうか。

安倍晋三氏は、第2次安倍内閣が成立する前、支持母体として「保守」「愛国」を標榜する人たち、グループから応援を受けていた可能性があります。そしてそのような経緯があったため、首相に就任してずいぶん経過するのに、いまだにそれら「保守」「愛国」の人たちを特別扱いせざるをえない状況に置かれているのではないか。以下、それら人たち・グループを「保守ムラ」と呼びます。

古谷経衡氏は「情で繋がり、情でつまずく保守の世界~森友学園以外にも繰り返されてきた保守の寄付手法~(3/19)」において、
『保守界隈で著名な言論人や文化人を理事や広告塔として起用し、それを「梃子」として多額の寄付金を集める…。大阪府豊中市に建設された「瑞穂の国記念小学院」(取り下げ)は、問題の端緒となった安倍昭恵氏の名誉校長就任をはじめ、数々の保守系言論人・文化人を広告塔として前面に押し出すことによって、4億円(公称)ともいえる寄付金を全国から集めた結果である。』
としています。
森友学園が教育講演会として招いた講師として、以下の人たちが掲載されています。
渡部昇一、櫻井よしこ、百田尚樹、田母神俊雄、平沼赳夫、安倍昭恵、西村眞悟、曽野綾子、中山成彬、八木秀次、竹田恒泰、高橋史朗、中西輝政、古庄幸一
ここに挙がっている人たちを「保守ムラ」の人たちであると呼んで良いのかどうか。

この点について、従軍慰安婦問題から検討します。

2007年、米国の下院で、ホンダ議員が慰安婦決議案を提出していました。ホンダ議員による決議案の提出は過去に何回もあり、いずれも否決されていました。このときも、日本としては静観し、否決されるのを待っているのがベストの対応だったはずです。ところが、3月に第1次安倍内閣時代の安倍首相が「日本軍による女性の組織的な強制連行の証拠はない」という発言が出たとたんに、急拡大しました。ニューヨークタイムズを始め、アメリカのマスコミがこの発言にこぞって激しい非難を浴びせました。
さらに、日本の超党派国会議員らが6月、米紙に「旧日本軍が強制的に慰安婦にさせたとする歴史的文書は見つかっていない」との全面広告を出したことが決定打となり、米国内の反発が強まって、ホンダ議員の決議案が可決されてしまったのです。
この間の経緯はこのブログでも、従軍慰安婦問題(2007-04-15)、従軍慰安婦問題(2007-06-21)として記事にしてきました。

ときが経て、第2次安倍内閣が成立する直前の2012年11月、日本の有識者や国会議員は性懲りもなく、米国の新聞に慰安婦広告を掲載しました。このブログでは慰安婦問題の扱いには細心の注意を(2013-01-06)として記事にしました。

さて、2007年と2012年の2回にわたって米国の新聞に掲載された慰安婦広告、賛同者の名前を確かめてみましょう。
2007年については、こちらに名前が掲載されています。有名所をピックアップすると、
《国会議員》稲田朋美、西村眞悟、平沼赳夫、
《有識者》西岡力、藤岡信勝、西尾幹二、富岡幸一郎、岡崎久彦、青山繁晴、茂木弘道
となります。
2012年については、こちらでわかります。
安倍晋三、*稲田朋美、下村博文、世耕弘成、高市早苗、山谷えり子、中山恭子、*平沼赳夫、*西尾幹二、*西岡力、*櫻井よしこ
「*」は、2回とも名前が挙がっている人です。
安倍晋三氏は、まだ首相ではないとは言え、次期首相になる蓋然性が極めて高い時期に、慰安婦広告に名を連ねました。

こうして見ると、森友学園幼稚園で講演をした人たちと、米国慰安婦広告に賛同した人たちが重なります。この人たちが、「保守ムラ」を構成する人たちなのでしょう。
森友学園の籠池氏も、保守ムラに連なっていたのでしょう。森友学園の講演者の名前からそのように推測できます。そして、首相になる前に慰安婦広告で保守ムラに与した安倍晋三氏は、首相就任後はさすがに表に出ることはせず、本来はリベラルに振れる傾向のある昭恵夫人を、名代として籠池氏支援に向かわせた、と考えると辻褄が合います。

それにしても、籠池氏に対する安倍夫妻の親切振りは、度を超しています。普通だったらあり得ません。昭恵夫人がとびっきりの親切心の持ち主だったからか、晋三氏がよっぽど籠池氏に頭が上がらない事情があったのか、その点が定かではありません。

ところで、2012年の米国慰安婦広告に名を連ねた国会議員には、
安倍晋三、*稲田朋美、世耕弘成、高市早苗
らがあります。まさに、安倍内閣を構成する閣僚です。それも、稲田防衛大臣、高市総務大臣はいずれも、「何でこんな人が大臣になっているの?」と誰もが言いたくなる人たちです。安倍晋三氏が保守ムラに頭が上がらない事情が、この閣僚人事からも透けて見えます。

最後に付け加えると、騒動の渦中に巻き込まれた谷査恵子さん(経産省官僚)が、責任を感じて思いあまった行動に出るようなことがないよう、切に願っています。
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何で今“教育勅語”?

2017-03-23 22:10:04 | 歴史・社会
去る3月19日、東京は杉並の大宮八幡宮で、孫の七五三を祝ってきました(時季外れですが)。そのとき、大宮八幡宮からいただいたもののなかに、
『誰にでも覚えやすい「教育勅語」(たいせつなこと)』
(明治神宮崇敬会発光小冊子「たいせつなこと」より転載)
という資料が入っていました。
最近、何かと「教育勅語」がマスコミを賑わしていることから、「なんてタイムリーなんだろう」とびっくりした次第です。その資料を読んでの感想などを述べたいと思います。
まずは、「教育勅語」の本文全文が掲げられています。
《本文》
『(一)朕惟(ちんおも)うに、我が皇祖皇宗(こうそこうそう)、国を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹(た)つること深厚なり。我が臣民、克(よ)くに克(よ)くに、億兆心を一にして世世(よよ)厥(そ)の美を済(な)せるは、此れ我が国体(こくたい)の精華(せいか)にして、教育の淵源、亦(また)実に此に存す。

(二)爾(なんじ)臣民、(1)父母にに、(2)兄弟(けいてい)に友(ゆう)に、(3)夫婦相和(あいわ)し、(4)朋友(ほうゆう)相信(あいしん)じ、(5)恭倹(きょうけん)己(おのれ)を持(じ)し、(6) 博愛衆に及ぼし、(7) 学を修め、業を習い、以(もっ)て智能を啓発し、徳器を成就し、(8)進んで公益を広め、 世務(せいむ)を開き、(9)常に国憲(こっけん)を重んじ、国法に 遵(したが)い、(10) 一旦緩急あれば、義勇公(こう)に奉じ、以(もっ)て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし。
是くの如きは、独(ひと)り朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の臣民たるのみならず、 又以(もっ)て(11)爾(なんじ)祖先の遺風(いふう)を顕彰(けんしょう)するに足らん。

(三) 斯(こ)の道は、実に我が皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所 、之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず。

(四)(12) 朕、 爾臣民と倶(とも)に拳拳服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(その)徳を一(いつ)にせんことを庶幾(こいねが)う。

明治二十三年十月三十日
御名御璽』

そして、上記(二)と(四)中の(1)~(12)について、以下の「---」の後に記載のように解釈が述べられています。
--------
(1)父母に孝に---両親に感謝する
(2)兄弟に友に---きょうだい仲良くする
(3)夫婦相和し---夫婦で協力する
(4)朋友相信じ---友達を信じあう
(5)恭倹己を持し---自ら反省する
(6)博愛衆に及ぼし---博愛の輪を広げる
(7)学を修め、業を習い、以て智能を啓発し、徳器を成就し---知徳を磨く
(8)進んで公益を広め、 世務を開き---公のために働く
(9)常に国憲を重んじ、国法に 遵い---ルールに従う
(10)一旦緩急あれば、義勇公に奉じ---祖国を守る
(11)爾(なんじ)祖先の遺風(いふう)を顕彰(けんしょう)する---伝統を守る
(12)朕、 爾臣民と倶(とも)に拳拳服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(その)徳を一(いつ)にせんことを庶幾(こいねが)う---手本を示す
-------------
また、本文の意訳が掲載されているのですが、本文と意訳との間に以下のような言い換えがなされているのにもびっくりしました。

忠良の臣民---善良な日本国民


第1に、
本文には「忠」が2箇所に登場します(本文中の太線部)。教育勅語の最重要な価値であり、一方で当然の前提条件として述べています。しかし、(1)~(12)には「忠」が登場しません。
小冊子の作者が、意図的に無視したとしか思えません。

第2に、
「孝」についても本文中2箇所に登場します(本文中の太線部)。明治時代の「孝」が、「両親に感謝する」などという生やさしいものでなかったことは明らかです。旧民法に代表される、戦前の「家長制度」を前提としたものです。「封建制度の名残」といってもいいでしょう。「親の言うことには服従」「親のためなら自分を犠牲にする」という価値観を含んでいたはずです。

第3に、
「夫婦相和し」が「夫婦で協力する」ですか。旧民法では、妻には権利能力が認められていませんでした。「夫唱婦随」を意味していたことは明らかです。

どうも世間では、「教育勅語とは、12の徳目を説いているものであって、現代でも役に立つ有益なお言葉」との理解が広まっているようです。最初は何のことかよくわからなかったのですが、今回入手した資料から、なぜ世間でそのように理解されているのかが理解できました。
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原発事故民事訴訟で東電と国の責任を認める判決

2017-03-20 18:19:46 | 歴史・社会
原発事故「防げた」 津波予見可能と認定 国・東電に賠償命令 前橋地裁 避難者集団訴訟
朝日新聞 2017年3月18日05時00分
『東京電力福島第一原発事故で群馬県内に避難した住民ら45世帯137人が、国と東電に総額約15億円の損害賠償を求めた集団訴訟の判決が17日、前橋地裁であった。原道子裁判長は、国と東電はともに津波を予見できたと指摘。事故は防げたのに対策を怠ったと認め、62人に計3855万円を支払うよう命じた。』
『判決は、政府が2002年7月に策定した長期評価で、三陸沖北部から房総沖でマグニチュード8級の津波地震が起きる発生確率を「30年以内に20%程度」と推定した点を重視。この発表から数ヶ月後には、東電は大きな津波が来ることを予見できたと述べた。
東電が長期評価に基づいて08年5月ごろ、福島第一原発に15.7mの津波が来ることを試算していたことも指摘。この時点で「東電が実際に津波を予見していた」と判断した。実際に襲った津波は15.5mだった。
判決は、東電が非常用発電機を高台に設置するなどしていれば事故は防げたのに、対策を怠ったと指摘。』

このブログでも、原発事故直後からの経過、複数の事故調査報告(政府事故調、民間事故調、国会事故調、東電調査報告)をそれぞれの時点で検証してきました。xls-hashimotoさんがまとめてくださっています。その中から、今回の民事訴訟に関連する箇所について、振り返ってみることにします。

--政府事故調(中間報告)-------------------------
原発事故政府事故調中間報告~津波予防対策 2012-01-02
『昨年(2011年)10月17日にこのブログの「震災前に東電が行った津波試算の経緯」で紹介したように、2002年に国の地震調査研究推進本部が「東北から房総にかけての日本海溝沿いなら、どこでもM8級の地震が起きる」と報告しており、この報告をもとに2008年に東電が試算した結果として、福島県沖で房総沖津波(1677年)と同じものが発生したと仮定した場合、福島第一原発は最大13.6メートル、福島第二は14.0メートルの津波に襲われるとの結果が得られていたことがわかっています。』
『今(2012)から9年ほど前に「推本」から示された見解に基づくと、「500~1000年に1回発生する津波は、福島第一で10~15mの高さに達する可能性がある」という推定がなされました。
東電としても、この推定を無視したわけではありません。土木学会に相談し、土木学会は平成24年10月に結論を出すことになっていたのです。
しかし、千年に一回の津波は、この1年を待ってはくれませんでした。

確かに、福島第一原発の海岸を15mの防波堤で防御するなどは非現実的です。また、平成20年にそのような方針を決定したとしても、平成23年3月には完成していなかったことでしょう。
しかし、対策というのは、「完璧な対策を講じるか、しからざれば何もしないか」ということではないはずです。
「津波が原発を襲い、建屋の1、2階部分が浸水することはやむを得ない。それでも原子炉が炉心溶融に至らないように、最低限の対策を講じておこう」という発想があっても良いはずです。そのような発想に立てば、
「最低限、1号機の非常用復水器などの機能に不可欠である直流電源のバッテリーについては、地下の配置ではまずいので2階以上に移動しよう」
「直流電源が失われると、非常用復水器はフェールセーフ機能によって停止してしまう。それではまずいので、計装シーケンスを変更しよう。」
「2~6号機の隔離時冷却系は、ほんの1日以内の冷却能力しかない。それ以降については消防車で海水を注入する手段しかとれない。消防車による海水注入の手立てを事前検討しておくとともに、海水注入のためには蒸気逃がし安全弁を開放するための120Vバッテリーを常備しておく必要がある」
といった対策が思いつくはずです。そしてこの程度の対策であれば、15mの防波堤と対比したらきわめて安価でかつ短時間で対応可能であることが明らかです。

従来の原発業界において、「平成14年推本の見解」に対して真摯に恐れを抱き、完璧ではなくても最低限の対応を講じるような柔軟な発想ができる体質があってくれたら、今回の津波においても最悪の事態は防止することができたことでしょう。残念なことです。』
『また、平成20年当時に東電の中で津波対策の責任部門を担っていた人たちが、当時の武藤副本部長、吉田部長でした。その人たちが、平成23年3月の津波来襲時に、武藤副社長、吉田発電所長としてまさに現場の責任者として対応することになったのでした。』
--以上--------------------------------
--国会事故調-----------------------------
震災前の原発事故防止対策~国会事故調報告書 2012-07-22
『---国会事故調報告書目次などから---
第1部 事故は防げなかったのか?……57
1. 2 認識していながら対策を怠った津波リスク ・・・・・・82
1. 2. 1 津波想定と被害予測の変遷 ・・・・・・・・・・・・82
2) 地震調査研究推進本部の長期評価以降 ・・・・・・・・・・85
 e 地震本部の長期評価:平成4(2002)年7月
 f 溢水勉強会:平成18(2006)年5月
 g 耐震設計審査指針の改定:平成18(2006)年9月(3回目の津波想定見直し)
 h 貞観津波考慮の指摘:平成21(2009)年6月
---以上---

上記のうち、e、hについては政府事故調中間報告でも取り上げられています。

f の溢水勉強会に関しては、政府事故調報告書では報告されていないようです。
溢水勉強会は、スマトラ沖津波(平成16(2004)年)や宮城県沖の地震(平成17(2005)年8月)を受けて、想定を超える事象も一定の確率で発生するとの問題意識を持ち、保安院と独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)が平成18(2006)年1月に設置した勉強会だ、と記載されています。
この勉強会で、O.P+10mの津波が到来した場合、建屋への浸水で電源機能を失い、非常用ディーゼル発電機、外部交流電源、直流電源全てが使えなくなって全電源喪失に至る可能性があることが示され、それらの情報が、この時点で東電と保安院で共有されました。(85ページ)
溢水勉強会の結果を踏まえ、平成18(2006)8月の検討会において、保安院の担当者は、「海水ポンプへの影響では、ハザード確率≒炉心損傷確率」と発言しています。報告書は注釈で「津波の発生確率が炉心損傷の確率にほとんど等しいということは、(海水ポンプを止めるような)津波が来ればほぼ100%炉心損傷(炉心溶融を含む)に至るという意味であろう」と注釈しています。

また、e 地震本部の長期評価では、推本の長期評価の中で「福島第一原発の沖合を含む日本海溝沿いで、M8クラスの津波地震が30年以内に20%程度の確率で発生すると予測した」とあります。推本の評価で地震発生確率がこのように具体的に示されていることは今回初めて知りました。
・・・・・
国会事故調報告書では、政府事故調中間報告にはなかった「溢水勉強会」について詳細に触れました。推本の長期評価と溢水勉強会の結果を重ね合わせれば、福島原発を高い津波が襲う確率が存在し、津波が来ればほぼ100%炉心損傷(炉心溶融を含む)に至ることが、保安院においても認識されていたことが明らかです。
溢水勉強会は保安院が設置した勉強会ですから、ここで得られた結果を規制として反映すべき保安院の責任が明らかです。』
--以上--------------------------------
こうして、2012年1月の政府事故調(中間報告)、2012年7月の国会事故調の報告と、その当時に私が理解した内容は、いずれも、今回の民事訴訟の認定した事実と合致しています。
そして、「東電も国も、福島を襲う津波についてここまで予測していたのなら、たとえ津波が来襲しても、少なくとも炉心溶融には至らないだけの対策を取っておいて欲しかった、という点に関しても、私の当時の感想と今回の判決とは同一の方向です。

今回の判決に対する評論の中には、判決を不当とする評論も見られますが、私は、上記のように、決して不当とは思いません。
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