弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

エルピーダが会社更生法適用申請

2012-02-28 19:52:18 | 歴史・社会
昨日このブログを訪問された方の数が2000人を超えました。キーワードは「坂本幸雄」です。
坂本幸雄でググってみたら、何と1ページ目の3番目に当ブログの記事「NHKプロフェッショナル・坂本幸雄」(2007-05-13)が載っているではないですか。5年も前のブログ記事です。時の人である坂本幸雄氏に関する記事が、そんなに枯渇していたのでしょうか。

「オファーを待っていたが…」経営破綻のエルピーダ、坂本社長は当面続投
産経新聞 2月27日(月)20時15分配信
『会社更生法の適用を27日に東京地裁に申請した半導体メモリー「DRAM」の専業メーカー「エルピーダメモリ」の坂本幸雄社長が同日夕、東京証券取引所で記者会見。経営破綻したことを謝罪するとともに、理由などを説明した。自身を含む現経営陣は当面全員が残留することを明らかにした。弁護士の監督のもと、事業継続とともにスポンサー企業探しなど、会社再建に当たる。
同日、会社更生法を申請したことについて、坂本社長は「製品価格の下落や円高などが原因だ」と説明。そのうえで「(資本提携の交渉相手から今日を期限に)オファーを待っていたが、具体的な回答がなかった。金融機関からの借り換えも難しく、このまま再建を続けても、キャッシュフロー面でリスクが高いと判断した」と説明した。』

改めて私のブログ記事を読み直してみました。

エルピーダメモリーは、日立とNECの半導体部門が合体して1999年に設立され、その後三菱電機も参画しました。エルピーダ誕生前、日立とNECの合計シェアは16%程度であったものが、2003年に坂本氏が入ったとき、シェアは2%まで落ちていました。
坂本氏は経営不振のエルピーダメモリ社長となり、5年前のNHK番組によれば「短期間で黒字化を達成し、今も会社を躍進させている」ということでした。
私はブログ記事の最後に
『番組によると、エルピーダは台湾メーカーと合弁で台湾に最新工場を建設しています。70nmルールという最先端の微細技術を使うそうです。これからもつまずくことなく、エルピーダが躍進することを祈念します。』
と書いたのですが、祈りは通じませんでした。
この5年間は、エルピーダメモリにとって茨の道だったようです。

最近はエルピーダの経営不振が言われる中、資本提携先として探っていたマイクロンのCEOが突然墜落死(2012.2.4産経新聞)したことが影響したかも知れません。また経産省の元審議官でエネ庁の次長がエルピーダ株のインサイダー取引容疑で逮捕されたことも、経産省の働きを鈍らせたという評論があります。

会社更生法を申請したことについて、坂本社長は「製品価格の下落や円高などが原因だ」と説明しました。
円高が原因、ですか。
高橋洋一氏は、デフレ脱却と円高是正のためには、日銀がインフレ目標に取り組むことと必要十分な金融緩和を行うことが必要だとずっと訴えてきました。最近パナソニックとソニーが巨額の赤字を計上した際には、「お気の毒なことです」と発言していました。日銀が円高を放置し、その犠牲になったという意味でしょう。
その流れでいえば、エルピーダメモリの破綻は日銀による円高放置の最たる犠牲者になった、ということになります。
あと半年早く、日銀によるインフレ目標のアナウンスと10兆円の追加緩和を行っていたら、はたしてエルピーダはどのような道を辿ったのでしょうか。
コメント (2)
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郵政見直し・歳入庁・米NRC議事録、南スーダン

2012-02-26 15:18:52 | 知的財産権
ちょっと古新聞になりましたが、2月23日の朝日新聞朝刊は論点満載でした。

郵政法案なお隔たり 「4社体制」合意 金融2社株焦点
『日本郵政グループのあり方をめぐる議論がようやく動き始めた。公明党が見直し案をまとめ、政府案に抵抗してきた自民党も議論を開始。「ゆうちょ銀行」と「かんぽ生命」の2社にどこまで政府の関与を残すかが焦点だ。』
『郵政民営化の見直し議論の先行きが見通せないなかで、日本郵政グループの経営は悪化を続けている。』
グループ全体では郵貯と簡保の利益のおかげで黒字を保っていますが、郵便事業会社の赤字はいかんともしがたい状況です。
その金融2社も次第に体力を奪われています。従来の完全民営化路線がストップし、新規業務に「待った」がかかっているため、「がん保険」など売れ筋商品を出すことができません。
--- 以上新聞記事---
私は、ゆうちょ銀行とかんぽ生命は、民営化して普通の健全な金融会社に生まれ変わるべきと考えています。健全化のために縮小が必要であれば縮小すべきでしょう。郵便事業会社の赤字補填の財源会社であってはなりません。
金融2社の健全化さえ実現できれば、郵便事業会社が国有化に戻ろうが何しようがとやかく言いません。
今のままでは、どっちつかずでどんどん悪くなるようです。


「歳入庁」見えぬ道筋 一体改革控え議論急ぐ
『政府と民主党が、日本年金機構(旧社会保険庁)と国税庁を統合した「歳入庁」の創設に向けた検討に入る。2009年の衆院選マニフェストに明記された公約の具体化に、ようやく動き出した形だ。だが、新しい年金制度などの姿が固まらないなかの議論だけに、いつ、どう実現できるかは見通せていていない。』
社会保険料を集める日本年金機構と、税金を徴収する国税庁を一本化して歳入庁にすれば、徴収費用を抑えられ、徴収漏れを防止できることかはぜひ着手すべきである、というのは高橋洋一氏やみんなの党の所論でもあります。
民主党はマニュフェストに掲げていながら、今まで封印してきました。財務省から抑えられているから、という説明でした。さて、歳入庁は実現に向けて動き出すのでしょうか。

「必要なのは水、水だ」 米、福島原発事故時の対応公開
『米原子力規制委員会(NRC)は21日、東京電力福島第一原発の事故が起きた昨年3月11日から10日間の対応について、会議や電話などでの職員らのやりとりを公開した。ヤツコ委員長は1~3号機で炉心溶融が起きた懸念を抱いていたほか、4号機の燃料プールの水がなくなっているとの判断が、80キロ圏内の米国人への退避勧告につながったことが記録されていた。』
公開文書は3千ページを超える分量だそうです。電話応答記録まで含まれているのですね。
日本政府が原子力災害対策本部や東電との統合本部の記録を残していなかったこととの対比があまりにも鮮明です。

南スーダン 首都以外にもニーズ
『昨年7月に独立した南スーダンの国造りは始まったばかりだ。インフラが貧弱で、生活を支えるのは家畜だけといったちほうも少なくない。国連平和維持活動(PKO)にあたる陸上自衛隊の主力部隊が首都ジュバで活動を開始したが、地方にこそ支援が必要との声も聞こえる。』
『派遣隊員は拳銃や自動小銃、機関銃を携行するが、現行の基準では武器の使用は隊員の身を守るためなどに限られる。政府内ではジュバ以外での活動も検討されたが、武器使用基準が緩和されていない中、治安が不安定な地域で活動することは、不測の事態に対応できなくなる恐れがあるとして見送られた経緯がある。』

このブログでは、自衛隊の南スーダン派遣について「J-Wave瀬谷ルミ子さん」、「自衛隊施設部隊が南スーダンPKO派遣」、「南スーダンでのJCCP活動」で話題にしてきました。
そもそも、去年の夏に国連から南スーダンへのPKO派遣を打診され、派遣することが決まりました。
瀬谷さんが防衛省の人たちと接した印象では、日本も防衛省も、日本がどういう目的・スタンスで陸自施設部隊をPKO派遣するか、はっきりしていなかったようです。
瀬谷さんの発言:
『派遣するしないの前に、日本が南スーダンにどういう目的で自衛隊を派遣するのかというところが大事なんじゃないかと思っています。今、国連のPKOで部隊を派遣している国って、ほとんど全部途上国なんです。先進国は派遣していない。途上国というのは、国連PKOに部隊を派遣することで国連から給与、謝金も入ってくるのと、国としての実績もできるからということなんですけど。じゃあ日本がその中に混じって今、自衛隊を派遣するというのは、日本として世界にどういうかかわり方をしていきたいと思っているからか、というのを、あまり議論されていないのと、おそらく防衛省の中でもはっきりしていないなあ、というのが、実際に話をしていて感じます。』

陸自PKO派遣でまず問題となるのが武器使用基準です。今回も武器使用基準は緩和しないとのことです。そうすると、安全な場所でしか活動できません。南スーダンの首都ジュバは治安が安定しているから、そこで活動するようです。そうとしたら、なぜ自衛隊でなければならないのか、わからなくなります。結局、武器使用基準があるから危険な場所には出て行けず、自衛隊でなくても活動可能な場所で活動することになります。
朝日新聞の記事は、「南スーダンではもっと危険な場所にこそ派遣の意義がある」と述べていますが、そもそも武器使用基準を変更できない状況の中で、先進国としての日本がPKOとして軍隊を派遣する意味合いをどのように位置づけるのか、そこから議論していくべきでしょう。
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原発事故直後の航空機による放射能モニタリング

2012-02-24 21:29:39 | サイエンス・パソコン
2月24日の朝日新聞朝刊1面トップは「連絡ミスで空からの放射能測定できず 震災翌日」という記事でした。
『東京電力福島第一原子力発電所で放射性物質の大量放出が始まった昨年3月12日、放射能の拡散を空からすばやく把握する「航空機モニタリング」が、省庁間の連絡の行き違いで実施できなかったことが分かった。自衛隊が人命救助に使っていたヘリコプターを回したにもかかわらず、測定担当者が来なかった。同日は住民の大量避難が続き、最も放射能の拡散方向を知る必要があった時期。まさにその時期に、情報を入手する絶好の機会を逃していたことになる。
 ・・・・・
測定員は15日、福島県小野町の運動場で自衛隊のヘリと落ち合い、午前11時20分に離陸したが、「4号機が爆発した」との情報が入り、この日も測定を中止。16日以降は自衛隊が使用済み燃料プールに水を投下する任務につき、結局、25日まで測定できなかった。
この間、米エネルギー省は米軍機などを使った同様の測定を実施。3月22日、原発から北西方向に線量が高い「帯」が広がっている地図を公表した。』

航空機モニタリングに使用可能な測定機器を、文科省所管の「原子力安全技術センター」が青森県六ヶ所村の出先で管理していたとのことです。文科省から自衛隊への依頼では「午後1時に六ヶ所村の公園」でした。ヘリコプターは1時10分まで待ったけれども誰も来なかったので、離陸して戻ってしまいました。一方センターが文科省から出動要請を受けたのは午後1時半、測定員は午後2時40分から公園で待っていた、ということです。

そんなことがあったのですね。
新聞記事では3月12日の行き違いを問題視していますが、今にして判明していることは、原発から北西の飯舘村までの高濃度汚染が発生したのは3月15日です。従って、3月12日に測定ができなかったことよりも、3月15日の測定を中止してしまったことの方が影響が大きかったことになります。15日から毎日測定を行っていれば、深刻な放射能汚染が北西方向に広がっていった状況をリアルタイムで把握することができたことでしょう。
もっとも、3月15日にヘリを飛ばしていたら、ヘリはもろに北西へ向かう放射能プルームに突っ込み、パニックに陥ったかもしれませんが。

16日以降は自衛隊が使用済み燃料プールに水を投下する任務につき、結局、25日まで測定できませんでした。今にして思えば、使用済み燃料プールへの水供給は消防車で行うべきであり、ヘリによる水投下は徒労でした。そんなことよりも、放射能の航空機モニタリングを行っておくべきだったことが今はわかります。

米軍が航空機モニタリングで詳細なデータを採取していたことは、3月24日には知れていました。去年3月27日にこのブログの「放射能拡散状況の実態」で紹介したように、3月24日の夕刊に、米軍機が測定した放射能汚染状況を示すマップが公表されたのです。
そして、米国エネルギー庁の紹介ページによると、昨年3月22日には福島第1周辺の広い範囲にわたって航空機による放射線マップが公表されています。今回の朝日記事によると、米軍は3月17~19日、40時間以上の飛行で、放射能汚染地図を描いたとのことです。

日本政府も航空機モニタリングを行おうとして後れを取ったことが今回判明しました。しかしそれがあろうがなかろうが、米軍が3月17~19日に測定したことも事実です。この米軍の情報を、日本政府が住民の避難計画に活用できなかったことがもっと大きな問題です。
最近、日本政府が、SPEEDIのデータを国民に公開する前に米軍に情報提供していた、として問題視されています。この点について私は、日本政府がSPEEDIのデータを米軍に提供したそのとき、米軍から航空機モニタリングのデータを日本政府は受領していたに違いないとふんでいます。むしろ現在追求すべきは、「日本政府はなぜ米軍の航空機モニタリングデータを生かせなかったか」という点でしょう。

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調)が2011.12.26に公表した中間報告において、『委員会の活動においては、国民の皆様の声を参考にさせていただきます。ご意見等は、次のメールアドレスまお願いいたします。E-Mail:iinkai.goiken@cas.go.jp 』というアナウンスがされました。私はこれに対し、1月21日に以下のような意見を提出したところです。
『中間報告の
Ⅴ 福島第一原子力発電所における事故に対し主として発電所外でなされた事故対処
 1 環境放射線モニタリングに関する状況
において、米軍の航空機による放射線評価結果が掲載されていません。

米国エネルギー庁の紹介ページによると、昨年3月22日には福島第1周辺の広い範囲にわたって航空機による放射線マップが公表されています。ということは、3月22日以前から、米軍は航空機による放射線モニタリングを実施していたことを意味します。
地上でのモニタリングは、地震や津波による被害(モニタリングポストの損壊、道路、通信途絶)でままならなかったことが中間報告から明らかです。であれば、航空機による絨毯モニタリングが威力を発揮したはずです。
米軍の航空機モニタリング結果を対策本部での避難計画策定に用いようとするアイデアはなかったのか、官邸が知っていたとして利用に至らなかった理由は何なのか、その点についてぜひ最終報告で明らかにしてほしいと考えます。』

私のこの意見が採用されていれば、今年夏に公表される最終報告では顛末が明らかになることでしょう。
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東電問題がわからない

2012-02-19 18:53:14 | 歴史・社会
政府は今回、東電に1兆円規模の資本を注入し、議決権を最大3分の2超まで取得する方針で東電に迫っているようです。

去年の夏前には、原子力損害賠償支援機構法(東電救済法)を成立させ、東電を生かさず殺さずの状況に保持する方針が決まっていたはずです。ところが、どうも福島第一の廃炉費用その他をこの東電救済法で手当てできず、この法律外で公的資金の注入が必要になり、その結果として国有化の話が降って湧いたように見えます。
東電救済法の立案者がうっかりしていたということなのか、そこがまずよくわかりません。

経産省は、東電を温存し、発送電分離も行わず、原発は再稼働する、という方針だったのではないでしょうか。
去年1年間、そのような態度を示す経産省をずっと見てきているので、ここへきて急に、「国有化して発送電分離を含めた電力改革を行う」と経産省からアナウンスされても、経産省が改革派に変身した、と素直に信じることができません。

この話にはどうも裏があるように思えて仕方がないのですが、実態が見えません。

歳川隆雄氏は「枝野経済産業相は「東電を悪役にして自己保全に走っている」のか?」(2012年02月18日(土))で、古賀茂明氏を非難しています。
古賀氏がテレビ番組で『3月末までに1兆円の公的資金が投入される東京電力の経営権を巡る東電と政府(原子力損害賠償支援機構)との確執について、東電の一時国有化を主張している枝野幸男経済産業相を「東電を悪役にした責任逃れだ」と断罪した』のに対し、歳川氏が『朝のワイドショーの視聴者をミスリードする、余りにも乱暴な言い様である。』と非難したのです。

岸博幸氏はクリエイティブ国富論『なぜ東電・経団連・財務省は反対するのか 東電国有化を巡る非常識な主張 』(2012年2月17日)で、
『まず最初に断言しておくと、1兆円の公的資金を注入した段階で東電を一時国有化するのは、政府として当たり前の対応です。』
として国有化を肯定しています。

古賀茂明氏はどのような根拠に基づいて、東電の国有化に反対しているのでしょうか。
最近、古賀氏は無料で閲覧できるネット評論に発言していません。そのため、古賀氏の意見が見えづらくなっています。
最近、私は古賀氏の有料メルマガに登録しました。週に1回のペースでメルマガが送られてきます。毎回のメルマガのテーマは、
1.日本再生への道のり ~ 政治、霞ヶ関、業界、メディアを考える
2.東電・エネルギー政策ウォッチ
3.今週の大阪
4.最近の活動
といったところです。
この中の「2.東電・エネルギー政策ウォッチ」のメインは、東電国有化問題に対する意見です。
メルマガでの古賀氏の意見を大雑把にくくると、
・経産省には、電力に関する限り改革派と呼べる幹部はおらず、「介入派」と呼ぶべき人たち(自分達が一番優秀なのだから、他の人たちは自分達に頭を下げるべきであると考えている)しか残っていません。
・今回の原発事故については、東電と同じくらいに経産省が責任を有しているはずですが、経産省、原子力安全保安院の幹部はまったく責任を取っていません。
・「東電の国有化」とは、煎じ詰めれば「経産省が東電を経営する」ということになります。『実際には様々な形で経産省が経営に口出しすることは確実。おそらく数年後にはいくつもの天下りと現役出向を送り込むことになるだろう。これで、介入派念願の東電乗っ取りは完成する。』
・現在の東電国有化の論議は、枝野経産大臣が主導しているように見えます。しかし、枝野氏が経産大臣でいるのはいつまでか。あと半年程度かもしれません。もし東電が国有化されたら、枝野氏が大臣ではなくなった経産省が東電を牛耳ることになるのです。

古賀氏の意見はだいたいこんな所でしょうか。

安藤 毅氏は「東電問題の陰に枝野・橋下の暗闘」(2012年2月14日(火))で,
『枝野氏が東電の経営権取得にこだわるのは、資本注入が東電に対する安易な救済と受け止められるのを避けたいことが大きな理由だ。枝野氏に近い関係者は「枝野さんは橋下徹・大阪市長の動向を最も気にしている」と語る。』
と評論しています。

東電に公的資金を注入して国有化するにしろ、生かさず殺さずで注入した資金は電力料金値上げで回収するにしろ、最終的に国民、又は東電管内の住民が費用を負担することになります。何で、東電の株主は何ら責任を分担しないのか。最近の報道では、「法的処理を行ってまず株主に費用負担してもらう」という主張が全く報じられていませんが、どうなっているのでしょうか。
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日銀の10兆円金融緩和で為替レートは?

2012-02-17 00:11:11 | 歴史・社会
物価上昇1%目標 日銀、追加緩和は10兆円
産経新聞 2月15日(水)7時55分配信
『日銀は14日の金融政策決定会合で、デフレ脱却に向けた中長期的な物価目標について、「当面は消費者物価の前年比上昇率で1%をめどとする」ことを決めた。目標の物価水準を明示し、事実上のインフレ目標を導入。長期国債買い入れのため、基金も10兆円増額し、65兆円に拡大する追加金融緩和を全員一致で決定した。追加緩和は昨年10月末以来、約3カ月半ぶり。』

高橋洋一氏は前々から、「円とドルの為替レートは双方の通貨供給量の比で決まる。円の供給量を増やせば円は安くなる」と主張されていました。
今回の日銀発表において、「10兆円増額」というのは、本当に通貨供給量が10兆円増えるのか否か、そして円は安くなるのか、という点に注目しました。

そして、評論家の評論はさておき、実際に数字は動きましたね。ドル円レートは1円程度変動(円安)したでしょうか。そしてそれに呼応して、日経平均が大幅に上昇しました。
さて、「高橋理論」によると、もし本当に通貨供給量が10兆円増えたとして、対ドル円はどの程度変動するはずなのでしょうか。
記事を探してみました。

史上最高値をうかがう円高は「人災」。復興増税を狙う財務省と日銀の日本的官僚制度が犯人だ~欧州危機や米国債問題は本質ではない(3ページ)
2011年08月01日(月) 高橋 洋一
『円とドルでどちららが相対的に多いか少ないかだ。多いほうの通貨は希少価値がなく安く、少ない方の通貨は希少価値が出て高くなる。こうした考え方をマネタリー・アプローチといって、国際金融では常識になっている。
現時点で、日銀がどのくらいマネタリーベースを増やせば円安になるのか。(*)式からいえるのは、30兆円程度増やすと5円程度円安になる。』

「30兆円で5円」ですか。
ということは、「10兆円で1円」は結構高橋理論に近いようにも思います。

早く高橋洋一氏本人の評論を聞きたいのですが、なかなか目にすることができません。
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香川がゴールを決めると嬉しい

2012-02-12 21:58:05 | サッカー
ドルトムントの香川が絶好調みたいですね。
12日も、対レヴァークーゼン戦で貴重なゴールをあげて1-0での勝利の立役者となりました。
7日にはドイツカップの準々決勝で1ゴール1アシストをあげています。
特に、1月28日の対ホッヘンハイム戦での2ゴールには心が浮き立つ気分でした。

2010年ブンデスリーガ前半戦で大ブレークを遂げたものの、アジアカップで骨折して後半戦をふいにしました。その後、2011年の前半戦は調子が上がらずに苦戦していましたが、ここへ来ての大ブレークです。
「パスを出して確実に味方がゴールするよりも、まずは自分でシュートする」という強い気持ちを込められるようになったからでしょうか。

日本サッカーを背負うプレーヤーは何人もいますが、どういうわけか私は、香川に感情移入してしまいます。
日本中が沸き返った南アワールドカップでは代表メンバーにも選ばれなかった男が、それを見返すかのように直後に大ブレークしたことが効いているかもしれません。
特に、2010年9月の対パラグアイ戦での香川のプレーが印象的でした(日本代表対パラグアイ戦)。当時の香川の武器である、「ファーストタッチ」と「圧倒的瞬発力」を堪能することができました。

怪我から復帰後の香川は、その2つの長所を取り戻したのでしょうか。その点は直接プレーを観ていないので良く分かりません。その点は不明ですが、湯浅健二氏の批評を読み限り、香川は総合的に高いレベルに到達しているようです。
湯浅氏のコメント
『(香川がゴールした)その後も、チャンスメイカーとして(何度も決定的なパスを回した!)、またゴールゲッターとして、存在感を誇示しつづけた香川真司。いや、ホント、彼の今後が楽しみで仕方ありません。そう・・世界トップへのブレイクスルー・・ 』
どおりになることを私も期待しています。
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北九州~羽田フライトからの夜景

2012-02-10 21:36:58 | Weblog
今から1年前、2010年11月の夜に大分から羽田に飛んだ飛行機から、本州太平洋岸のすばらしい夜景を見ることができました。そのときの様子を「伊豆大島上空から東京湾の夜景を見た」に書きましたが、カメラを持っていなかったのが痛恨でした。

このとき以来、九州方面に出張に出かけるたびに、できたらあの夜景を写真に収めたい、と念願しております。そして必ずカメラを携行しているのですが、なかなかうまく行きません。
まずは、夜の九州方面発羽田空港行きの飛行機に乗り、左側の窓側席を確保する必要があります。そして天気が晴天でなければなりません。
できるかぎりJALのクラスJを確保するようにしています。クラスJですと最前列なので、窓側席にさえ座ればつばさに邪魔されずに景色を見ることができるからです。
しかし、座席指定で「窓側」と指定してうまく窓側が取れても、右側の窓では目的とする景色を見ることができません。

そうこうして1年が経過しました。
先日の1月30日、条件の良好な旅をすることができました。羽田空港と北九州空港を往復する日帰りの出張です。往きはJALだったのでクラスJを予約し、右側の窓際を確保できました。ほぼ快晴です。
南アルプスの景色だけを下に掲げておきます。




帰りは夜7時過ぎのANAの便となりました。ANAには残念ながらクラスJのような席が用意されていません。チェックインしたところ、中列と後列は「窓側」を選択できたので選択したところ、ラッキーにもA席(左の窓側)を確保することができました。ただし後列の前の方ですから、窓からの視界の一部は翼で遮られてしまいます。

さっそくカメラを準備しました。
コンデジですが、ピントを含めて全手動モードが用意されています。以下の諸元に設定しました。
カメラ:Canon PowerShot S95
感度:ISO 3200
焦点距離:35mm換算でf=28mm
明るさ:F 2.0
シャッター速度:1/30秒
ピント:∞

感度と明るさはこのカメラのマックスです。シャッター速度については、手ぶれが怖いので1/30で我慢しました。
ただ撮影したのでは機内の照明がガラスに映ってしまいます。たまたまコートを持参していたので、頭からすっぽりコートをかぶって光を遮りました。

下の写真は神戸上空から神戸の夜景です。神戸空港が写っていません。神戸空港の上空だけは雲が懸かっているようです。


大阪上空です(下の写真)。淀川が黒くくっきりと見えます。中心の一番明るい部分が梅田で、そこから真っ直ぐ北に延びるのは北大阪急行に沿った道路でしょう。
右端の上半分に黒く見えるのは翼です。右下の影は窓枠ですね。


名古屋上空です(下の写真)。一番明るく写っているのが中部国際空港です。名古屋上空は一部雲に隠れているようです。


下の写真は、結局どこなのかわかりませんでした。


翼の赤灯が写り込んだ写真も掲載しておきます。翼のすぐ下に横一直線に夜景が見える部分は伊豆半島、その後方は駿河湾ではないかと思います。それが正しければ、この写真を撮したときの飛行機は伊豆半島の東沖合を北または北東の方向に飛行していることになります。


この写真の後に、直下に伊豆大島とおぼしき夜景がぼんやりと(輪のように)見えました。一応シャッターを切ったのですが、写真には写り込んでいませんでした。

1年前に大分から飛行した際に最も感動したのは、伊豆大島上空から見た東京の夜景でした。手前側に東京湾の両岸の輪郭がくっきりと見え、そのはるか後方には東京の夜景が広がっていました。
しかし今回は、残念なことに東京上空には雲がかかっていたようです。伊豆半島あるいは伊豆大島上空からは東京方面の夜景が見えませんでした。

とりあえず、「本州太平洋岸の夜景を空から撮すぞ」作戦の第一ステップを完了しました。今回使用したカメラで、大阪のように明るい夜景はシャッター速度1/30で何とか写りましたが、それ以外の小都市の夜景はこの条件では難しいようです。次回は、手ぶれを恐れずにもっと襲いシャッタースピードにチャレンジしてみることにしましょう。
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芳野満彦さんご逝去

2012-02-07 23:18:44 | 趣味・読書
私のブログにキーワード「芳野満彦」でいらっしゃる方が増えたので調べてみたら、芳野満彦さんがお亡くなりになっていたのですね。
登山家の芳野満彦さん死去 小説「栄光の岩壁」モデル関連トピックス富士山
朝日新聞デジタルニュース 2012年2月6日19時15分
『日本人として初めて欧州アルプスのマッターホルン北壁を登攀(とうはん)した登山家の芳野満彦(よしの・みつひこ、本名服部満彦)さんが5日、心筋梗塞(こうそく)のため水戸市内の病院で死去した。80歳だった。通夜は12日午後5時、葬儀は13日午前11時から水戸市堀町2106の2の水戸市斎場で。喪主は妻真理子(まりこ)さん。
新田次郎の小説「栄光の岩壁」のモデルとして知られる。東京都出身。小学校5年の時、兄と2人で富士山に登ったのが初登山だった。1948年、友人と2人で冬の八ケ岳を縦走中、悪天につかまり遭難。友人は凍死し、自らも重い凍傷になって両足の甲から先を失った。だが、「義足をつけても、松葉杖をついても山に登りたい」と執念のリハビリで登山を再開した。
57年に北アルプス・前穂高岳4峰正面壁の積雪期初登攀に成功するなど多くの記録をつくり、戦後の日本登山界をリードした。65年、マッターホルン北壁を登攀し、日本人で初めて欧州アルプス3大北壁の登攀に成功した。』

私は、新田次郎の小説「栄光の岩壁」も読んでいるのですが、それよりも芳野さんの自叙伝である「山靴の音」に魅了されました。2008年に『芳野満彦「山靴の音」』に記事にしました。

芳野氏は、戦後まもなく、17歳の年の12月に、友人と2人で八ヶ岳に登って遭難し、友は死亡、自分も重い凍傷を負って両足の指全部を切断しました。しかし壮絶なリハビリの末に登山を再開し、穂高、剣岳などの岸壁で初登攀の記録を続出しました。「山靴の音」は、そんな芳野氏が書きつづった記録を、昭和35年までについてまとめたものです。芳野さん30歳直前でしょうか。

上高地から槍ヶ岳の方向に川をたどっていくと、徳沢園という宿泊施設があります。夏の間は営業し、冬になると従業員は山を下り、その地での人間活動は休止します。芳野氏は、遭難の2年後、冬の間この徳沢園を一人で守るという越冬の仕事に就きました。その後も、1年のうち半分以上を山の中で過ごし、数々の初登攀記録を打ち立てるわけですが、まあその変人ぶりといったら、極めつきですね。

小説「栄光の岩壁」文庫本は上下巻です。上巻が「山靴の音」出版の頃まで、そして下巻がそれ以降の芳野さんを描いたようでした。結婚、そしてヨーロッパアルプスのマッターホルン北壁登攀に成功するまでです。

「栄光の岸壁」の最後に「この小説のモデルは芳野満彦氏である。氏は水戸のモリ商会の店主服部洋子さんと結婚して現在二人のお嬢さんのパパである。」とありました。
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岩波書店の「縁故採用」問題

2012-02-05 00:26:18 | 歴史・社会
岩波書店の「縁故採用」が問題となっているようです。
<岩波書店>就職応募条件に「社員紹介必要」
毎日新聞 2月3日(金)11時33分配信
『岩波書店(東京都)が2013年度の定期採用の応募資格について、「岩波書店著者の紹介状あるいは岩波書店社員の紹介があること」を条件にしていることが3日、分かった。
同社のホームページで公開されている。「縁故採用」ともとられる方法だが、同社は「応募条件であり、採用条件ではない」と反論。また「毎年採用は若干名なのに対し、応募は1000人に及ぶこともある。現在は、結果的に落とすための試験になっており、できるだけそれを避けるため」としている。』

<小宮山厚労相>岩波書店の縁故採用に言及
毎日新聞 2月3日(金)11時10分配信
『小宮山洋子厚生労働相は3日の閣議後の記者会見で、岩波書店が13年度の定期採用で同書店の出版物の著者や社員の紹介を応募資格にしたことについて「公正な採用・選考に弊害があるという指摘かと思うので、早急に事実関係を把握したい」と述べた。
厚労省職業安定局によると、年齢・性別を限定して採用することは雇用対策法や男女雇用機会均等法に抵触するが、縁故採用について明確に規制する法令はないという。』

最近の新卒者の就活状況は悲惨な状況になっています。学生は何十社にも応募しなければなりません。応募して面接に持ち込むだけでも大変な労力をかけています。しかし、そのことごとくで内定がもらえず、学生生活の最終学年を就活でつぶすことになります。

学生生活の最終学年というのは、本当であれば学業に勤しんで一生の糧となる基礎を身につけるべき大切な1年です。先日このブログで「日本のリーダー教育で何が足りないか」として書きましたが、18歳から24歳までの時期に習得した教養は一生の糧となります。その大事な1年を、みじめな就活に費やす今の学生さんは本当に気の毒です。

私が理系の学校を卒業して就職した頃は、各企業から学校(学科単位)に求人が寄せられ、その求人枠に見合った人数に求職者を絞った上で教授が推薦し、就職試験に臨みました。特定の企業に求職者が集中した際には、何らかの手段で人数を絞り、求人数と求職者数を合致させていました。
これって、結局は実質的に「教授の紹介があること」となっており、今回の岩波書店とかわりません。しかし、就活はスムーズであり、最後の学年をみじめな就活に費やすことなく学業に勤しむことができました。
私は現在の悲惨な就活よりも、当時の方法の方がまともだと思います。

学卒として一般企業に就職するのであれば、どの企業に就職しても差異は五十歩百歩だというのが私の実感です。何十社と採用試験を受けまくって初めて相性のあった企業を見つけることができる、などということはありません。そもそも、会社というものを何も知らない学生と、採用担当の社員との間の面接で、その学生とその会社との相性などがわかるはずもありません。

上の記事で、厚労省は「年齢・性別を限定して採用することは法律違反」と言っているようです。しかし実態は、採用条件で「年齢・性別不問」と言いながら、実は35歳オーバーを最初から採用するつもりがない、あるいは女性を採用するつもりがない、という会社の方がよっぽど学生にとって酷です。秘密にしている採用条件に合致しない学生は、そうとは知らずに無駄な就職活動をさせられているわけです。

今回の岩波書店問題を契機として、健全な議論が開始されるといいのですが、マスコミは表面的に岩波書店を責め、厚労省も表面的にマスコミに迎合した対応を取ることになるのでしょうか。
コメント (2)
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