弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

電車の中で

2020-01-15 19:14:38 | 歴史・社会
私は毎朝の通勤で、井の頭線を利用して終点の吉祥寺まで乗車しています。そこで乗り換えて荻窪の職場まで通っています。

ある朝のことです。井の頭線の車内は結構混み合っていました。
隣の車両に、母親がベビーカーに赤ちゃんを乗せていました。その赤ちゃんが泣いているのです。一向に泣き止みません。
“お母さんは困っているだろう。ここはおじいちゃん(自分)の出番かな?”
と私は考え、隣の車両に移動し、ベビーカーに近寄りました。

泣き止まない赤ちゃん(男の子)に、周りの男たちは知らんぷり(あるいは白い目で見て?)、お母さんは途方に暮れていました。

ベビーカーの上からのぞき込み、赤ちゃんと目が合ったので、私はニコッと笑いかけました。すると赤ちゃんが泣き止んだのです。そこでさらに、いろんな表情の笑顔で私は赤ちゃんに笑いかけました。しばらくすると、赤ちゃんがニコッと笑ったのです。
“やったね!”
その後、赤ちゃんは泣くことなく、終点の吉祥寺に到着しました。赤ちゃんにバイバイして、私から先に降車しました。すると後方で、また赤ちゃんが泣き出す声が聞こえました。電車は降車駅に到着したのだし、まあ問題ないでしょう。

後から考えたら、よくぞ私の笑顔で赤ちゃんが泣き止んだものです。“これは魔法ではないか”と思いました。
私は、電車の中などで乗り合わせた赤ちゃんと、今回のように気持ちが通じると、その後半日はとても幸せな気持ちが持続します。お母さんも、電車内で泣いていた我が子が泣き止んだので、ほっとしていたはずです。

別の日の朝。
私が先頭車両の後方の席に座っていると、終点の一つ手前の井の頭公園駅で、片手で小さい女の子の手を引き、別の手でベビーカーを押したお母さんが乗り込んできました。二人はドアのそばに乗り込んでいるので、次の終点(吉祥寺駅)で、真っ先に、それも速やかに降車しなければなりません。片手では無理がありそうです。
私は立ち上がって近寄り、「ベビーカー持ちましょうか」と声をかけました。
お母さんは「重いんです」と答えます。私がベビーカーに手をかけると、確かに重かったです。両手で「ウッ」と持ち上げ、降車しました。

片手で小さい女の子の手を引きながら、こんな重いベビーカーをもう一つの手で操作して降車しようとしても、モタモタしてしまうでしょう。後ろの男が舌打ちしそうです。そのような事態にならなかったということで、お母さんは「ありがとうございます。助かりました。」と礼を言いました。
ここまではちょっとした親切話です。

その後、私は親子の後ろから人混みとともにホームを歩いたのですが、その女の子が「おじいちゃんに持ってもらったの?」と母親に問いかけているようです。そして後ろを振り向いて私を探しました。目が合ったので私はニコッと笑って手を振りました。女の子は何度も後ろを振り返り、笑顔で私に手を振ったりしました。母親も微笑んでいました。改札口を出て別れるまで続きました。
小さい子供でも、親が親切を受けて喜んでいると、それが分かるのでしょう。その子までうれしくなるようです。

以上が、昨年秋の私の経験です。

一方、最近になって、ネットで以下の記事を読みました。
「日本人はなぜ席を譲らない?」とツイートしたら「レディーファーストって意味不明」と猛反発された』渡邊裕子 Mar. 10, 2019
日本では、電車の中などの公共の場所で、弱者に対する思いやりから来る行為が非常に少なく、それが他国との大きな相違点になっている、という話です。

[日本で]
混んだ電車にベビーカーを押した女性が乗ろうとすると、助けるどころか舌打ちしたり、あからさまに迷惑そうな顔をしたり、「ベビーカー畳めよ」という反応をする人が珍しくない。見ていると、体の不自由な人、妊婦、老人など、肉体的に弱い人々に対しても冷淡な場合が多いと思う。冷たいというか、存在自体を静かに無視しているように見える。

[日本で]
あるとき東京でスーツケースを持って電車に乗る時、重いので持ち上げるのに一瞬間が空いてしまったら、後ろにいた日本人男性に「モタモタしてんじゃねーよ」と小さい声でつぶかれて心底びっくりした。そんなこと言うんだ?。「手伝いましょうか?」じゃなくて?

[ニューヨークで]
ニューヨークでは東京よりもはるかにインフラがくたびれており、エスカレーターもエレベーターもない地下鉄の駅がいまだに多い。そういう駅で、ベビーカーを押した女性や体の不自由な人がいると、見ず知らずの人同士が「ヘイ、手伝おうか?」「ほら、あんたもちょっと手貸して」という感じで自然発生的にチームになって、助けてあげている光景にしばしば遭遇する(手伝ったあとは何事もなかったかのようにアッサリ別れていく)。
--------記事以上---------

また、最近のテレビ番組で、中国でのカリスマ日本語教師になっている日本人がゲストとして語ったことなのですが。
その人は日本で売れない芸人をやっていて、中国人の婚約者がいたのですが、中国まで出かけて婚約者の家に会いに行ったら「別れて」と言われてしまいいました。
婚約者の中国人母親は何を考えたかその日本人男性を引き留め、「この中国で日本語教師を始めろ」と背中を押されました。それがきっかけで、中国で日本語教師としてブレークしました。
司会者から「何でその気になったのか」と聞かれて・・・。
『中国人は優しいとの印象がある。電車の中などで、抱いている赤ちゃんが泣き出すと、日本だったら周囲からは白い目で見られる。ところが中国では、周囲のおじさん・おばさんがみんなであやしてくれる。』とのコメントでした。
ここでも、中国と比較して日本での日本人が不親切であることが語られました。

冒頭で紹介した私の行為は、日本での日本人の一般的な行動パターンとは真逆の行為だったようです。
何でこんなことになったのか、私としては「不思議」としか言いようがありません。
私の経験に照らすと、困難を抱えている人に親切にしたとき、双方ともに幸せな気持ちになります。失うものは何もありません。
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キューバ危機の教訓

2020-01-13 14:27:22 | 歴史・社会
有酸素運動の日課としてステッパー運動をしながら、アマゾンプライムで映画を観ています。そのため、アマゾンプライムで観ることのできる映画をあれこれ選んでいます。
その中に、「13days」がありました。キューバ危機のときの米国ケネディ政権内での出来事を描いた映画です。
私はキューバ危機でのケネディ政権について、ときのロバート・ケネディ司法長官が原稿を書いた「13日間」という書籍を過去に読みました。そこで、映画「13days」を観るのと並行して、「13日間」を読み直してみました。
その中に、私自身が過去に書き込んだマーキングが見つかりました。

ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることが判明したのは、1962年10月16日でした。U2高高度飛行偵察機が撮影した写真からです。これがキューバ危機の始まりでした。
以降13日間、米国とソ連との間での駆け引きが続き、一歩間違えば世界が全面核戦争に巻き込まれる瀬戸際に追い込まれました。

10月23日の会議の後、大統領、テッド・ソレンセン(大統領顧問)、ケニー・オドンネル(大統領特別補佐官)、それにロバート・ケネディが、大統領の執務室に入り、すわって話し合いました。
『「なによりも大きな危険は誤算--判断を誤ることだ」と大統領は言った。』
--その後、私が昔マーキングしていた箇所は---
『米ソともキューバで戦争を賭けようとは望んでいないという点でわれわれの意見は一致していた。しかしなおかつ、どちらかの側が打った手段が“安全”“誇り”“メンツ”などの理由で相手方の反発を引き起こし、それがまた同じような安全、誇り、メンツなどの理由で再反発を招く。そしてあげくの果てには武力衝突にまでエスカレートしてしまうこともあり得るのだ。大統領が避けようと望んでいるのはまさにこの点である。彼は後世になって、だれかが「十月のミサイル」なる本を著し、米国は平和を維持できるあらゆる手を打ったとはいえないと書くような事態にならないことを望んでいたのである。われわれは判断を間違えたり、読みを誤ったり、不必要にけんかを吹きかけたり、あるいは相手方を意図も予想もしていなかった行動路線に突然追い込むようなことをしようとしているのではなかった。』

この部分を読んで、私はつくづく、この本をトランプ大統領に見てもらいたいものだと思いました。まあ、民主党のケネディの意見は聞かないでしょうが。

先日の、イラン・ソレイマニ司令官を空爆で殺害した事件に関してです。
イランというれっきとした独立国の高官を、戦争状態でもないのに、突然空爆して殺害するなど、とても米国がとるべき態度とは思えません。
イランの内情を考えたら、これによってイラン国民の感情が爆発し、イラン政府が報復せざるを得ず、米国もイランも望まない報復の連鎖が始まってしまう懸念がありました。幸い、イラン政府が大人の対応を行い、報復の連鎖は何とか食い止めることができましたが。
そもそも、イラクという第三国の国土内(非戦闘地域)で、イラク政府の承諾も得ず、一国(イラン)の高官(ソレイマニ司令官)がバグダッド空港から移動している最中に、イラク国内を飛行する無人機からのミサイルで空爆殺害しました。とてもではありませんが、文明国の行為とは思えません。

イランではその後、民間機がイランのミサイルで撃墜され、大勢の民間人が死亡するといういたましい事件が発生しました。イランがイラク国内の米軍基地をミサイル攻撃した5時間後のことです。一義的には、隣国にミサイル攻撃を加えるという非常事態であり、米軍の報復攻撃を受ける可能性が高いときに、民間機の飛行を禁止しなかったイラン政府が最大の責任を負うでしょう。第二は民間機攻撃ミサイルの発射ボタンを押した軍隊の責任です。
そして3番目の責任は、やはり今回の緊張状態を作り出したソレイマニ殺害を挙げなければなりません。

もちろん、ソレイマニ司令官については、さまざまな毀誉褒貶があることでしょう。それにしても、一国の司令官であり、その国と戦争状態に入っているわけでもないのに、第三国の国内で殺害して良い理由などありません。
考えてみたら、金正恩が兄の金正男をマレーシアで暗殺したのと同じではないですか。
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