弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

カナダ・オーロラの旅(2)

2016-01-24 12:58:16 | 趣味・読書
前報に続き、カナダ・オーロラの旅の第2回です。

12月14日(月)
本日も、朝から全天が雲で覆われ、オーロラ観察の前途多難が予想される天気です。

今回ツアーの一環として、イエローナイフの市内観光が組み込まれています。
ホテルに迎えに来たバスに乗り込むと、客は全員で10人足らずでしょうか。日本人女性がひとり、ガイドにつきます。

ここイエローナイフは、ノースウェスト準州の州都です。
カナダは広大な国土を有しており、行政区画については、北緯60度に境界があります。北緯60度よりも南側は、西の太平洋側から、ブリティッシュコロンビア州、アルバータ州、サスカチュワン州と並んでいます。それに対して北緯60度より北側は、西側から、アラスカに接するユーコン準州、ノースウェスト準州、ヌナブト準州と並んでいます。
ノースウェスト準州は、広大な面積を有しますが、人口は4万人強、そのうちの半分程度がイエローナイフに住んでいるようです。
もともとは、1930年代にイエローナイフの周辺で金鉱が見つかったことから、この街の発展が始まったようです。また近年はさらにダイヤモンド鉱山が発見され、現在のイエローナイフはダイヤモンド鉱山関係者で発展しているそうです。

市内観光の最初の訪問地は州立法議事堂です。
 
州立法議事堂外観
外観は、先住民族のイグルーをモチーフにして作られているようです。

玄関から入り、ホールでガイドから説明を受けていました。私も集団の端っこで説明を受けていたのですが、議事堂の職員と思われる若い女性がそばを通り抜ける際に、突然私に話しかけ、さらに握手まで求められました。多分「いらっしゃい」「こんにちは」程度の会話だったと思うのですが、突然のことでびっくりしました。私の後にいた娘とも握手を交わし、その女性は去っていきました。ガイドさんから「お知り合いですか?」と聞かれましたが、旅行者の私が職員と知り合いの筈がありません。

左下の写真は議場です。
中央にはホッキョクグマの毛皮が敷かれています。ガイドさんの説明によると・・・
あるとき、人里にホッキョクグマが出没するとの複数の情報が寄せられました。人に被害が及んだら大変です。ところが、このクマを探して駆除すべきか、それとも動物愛護でそのままにしておくべきか、議会では結論が出なかったのです。そうこうしているうちに、とうとうクマが人家の近くに現れました。幸い、クマを射殺し、人的被害はありませんでした。議員たちは、このときの教訓を忘れないようにと、射殺したクマの毛皮を議場の中央に敷くことにしたそうです。

  
議場                     議長席
右上写真は議長の座る椅子です。椅子の前に刀置き台のような台が見えます。職杖を置く台である、とのことです。職杖?
玄関前ホールに面するガラスケースのなかに、2種類の職杖が展示されています。古い職杖と新しい職杖です。どちらが新しいか、忘れました。
  
新旧の職杖
職杖は、議長の権限を象徴する道具だとのことです。

次の訪問地は、多分「ノーザン・ヘリテージ・センター」だと思います。
  
シンガー手回しミシン                   橇付き飛行機
印象に残った展示品の写真を2枚だけ挙げておきます。
シンガーミシンは、足踏みではなく手回しでした。説明文に"It's a small machine, but you can make really big things with it."と書かれており、このミシンを入手した現地の人が大変に重宝したのだろうと感じました。

 
凍結した湖に案内されました(上写真)。本日は曇天であるためにあまり寒くなく、氷点下5℃程度でしたが、しかしわれわれは日本での普通の防寒着で来ていたため、めちゃくちゃ寒かったです。バスに戻ってもしばらくは、体の凍えが続きました。

本日の夕食は、オーロラビレッジ内のロッジレストランで「オーロラ・ディナー」です。ホテルからオーロラビレッジまでは送迎バスで往復します。通常であれば21時にホテル発なのですが、オーロラ・ディナーを申し込むと、そのときは18時30分に迎えが来ます。

オーロラビレッジ内、無料で休憩できるのは円錐形のテント(ティーピーという)ですが、屋外のトイレは水洗ではありません。それに対してロッジレストランは、当然ながら水洗トイレを備えています。我々にとっては天と地ほどの差があります。

さて、食事を済ませ、トイレも済ませたので、防寒服に身を固めて外へ出ます。
といっても、晴天なら氷点下25℃程度の酷寒のはずなのですが、われわれが滞在した間は曇天で、気温は氷点下5℃程度、普段よりも20℃も暖かいのです。そのため、レンタルのオーバーミトンは必要なく、邪魔なだけでした。そのため本日は、オーバーミトンをホテルに残し、カメラ操作用にと購入した普通の手袋のみです。

昨日は、カメラ2台をそれぞれ三脚にセットして準備しましたが、真っ暗で寒い中ではスムーズな撮影が困難です。本日は、カメラ1台(S120)のみとしました。
それも、カメラ内蔵の「星空夜景モード」を選択し、お任せ撮影です。

天気は全天の曇りです。
湖畔近くに折りたたみ椅子と三脚をセットし、北の空を眺めます。そのうち、東の地平線近くがぼんやりと光り始めたのを認めました。そこで、湖畔から氷結湖のなかに場所を移し、東方向の写真撮影準備を行いました。
  
星空夜景モード(補正なし)              星空夜景モード(露出+2)
東の地平線近くがぼんやりと明るくなっています(左上写真)。カメラの液晶ではそれなりによく写っています。
ところで、以前にアラスカでオーロラ観察をしたときの経験で、カメラの液晶では十分な明るさが確保できていると見えたのに、実際の写真(パソコンでの表示を含め)では、明るさ不足になる、という経験をしたことを思い出しました。そこで、カメラの撮影モードを「星空夜景モード」としたままで、露出補正を最大の「+2」にしてみました(右上写真)。カメラの液晶で確認すると「これは露出オーバーか?」との印象でしたので、以降、露出補正を「+1」に修正し、そのまま継続しました。
 
星空夜景モード(補正+1)(東方向)
上の写真で、森林よりも下の部分で黄色く見えている部分は、雪面であり、恐らく背後の人工物(ティーピーテントや街路灯)の反射でしょう。
一方、森林よりも上の地平線近くがオレンジに光っているのは、決して夕日などではありません。明らかにオーロラを光源として雲が光っているのです。中央付近で雲が青色に光っているのも、オーロラが光源であることに間違いありません。じっと見ていると、青い光は強弱を繰り返し、オーロラが踊っていることを物語ります。
 
星空夜景モード(補正+1)(西方向)
そのうち、西の空の雲もぼんやりと光り始めました。上の写真、そして下の写真がそれです。
 
星空夜景モード(補正+1)(西方向)

トイレタイムも兼ね、レストランでお茶しました。会計も終わり、のんびりしていると、ウェイターのお兄さんがやってきて「オーロラが見えている」と教えてくれました。あわてて防寒着を着込み、外へ出ます。私だけ、防寒着のファスナーに手間取って遅れてしまいました。空を見上げると、雲の切れ間があり星が見えています。しかし、オーロラは確認できませんでした。一瞬ですが早く外に出た家内によると、ちょっとだけオーロラが見えたようです。

雲の切れ目が広がるかと期待したのですが、残念ながらまた全天が雲で覆われ、晴れ間が出そうな気配がありません。
延長券はまだいっぱい残っているので、本日もオーロラ鑑賞延長を申し込んでいたのですが、晴れそうもないので定時でやめることにしました。幸いにバスの座席が確保できたので、定時(午前1時)にオーロラビレッジを後にしました。

ホテルに到着すると、まずはレンタルの防寒着一式を返却します。ホテル1階の物置のような場所に返却しました。
早朝に飛行機が出発します。ホテル発は朝の4時30分です。部屋で帰り支度をし、そのまま出発時刻を待ちました。

イエローナイフからカルガリーまでの飛行機はプロペラ機でした。今回は無事にカルガリーに到着です。
そして、カルガリーから成田に直行する飛行機に乗り込みました。飛行機は駐機場から動き出し、滑走路そばまで到着しました。ところがここから先に動きません。1時間前後待たされたでしょうか。「機長が不具合に気づいた。別の場所から部品の到着を待つか、あるいはバンクーバーまで飛行するか、検討中である。」といったようなアナウンスもありましたが、結局「この飛行機は飛ばない」となり、駐機場へ逆戻りです。われわれは建物に移動させられました。
ゲートに戻ると、そこには長蛇の列ができています。何事でしょうか。ひとりひとり、カウンターで説明を受けており、その順番待ちの列のようです。ところが、一向に進みません。
そのうち、別のカウンターに呼ばれ、そこで説明を受けました。紙に記されたレブッキング対応の電話番号にボールペンで丸を付け、「代替便についてはここで聞け。本日のホテルへは、4番ドアから出て16番ベイからシャトルバスに乗れ。」と言われるのみです。しょうがないので、まずは公衆電話を探しました。どこも空いていません。やっとのことで空いている公衆電話を見つけ、指定された番号にダイヤルすると、英語オペレータが出ました。「日本語で頼む」と言うと、別の電話番号に電話するようにとのことです。その番号に電話したら、日本語スタッフが応答しました。そこはレブッキング対応ではないようでした。さんざん対話をした結果、明日の代替便はAC2009であり、出発時刻が本日とは異なり9時40分であることが判明しました。
日本語のお姉さんから「予約番号はわかるか」と聞かれ、「わからない」と答えると、Kから始まるアルファベット6文字の予約番号を教えてくれました。そのとき電話口のお姉さんは「キロ・・・」と言いかけました。フォネティックコードでKは「キロ」です。しかし、よっぽどのマニアでないとこんなことは知らないはずです。実は私は、1級海上特殊無線技士、航空特殊無線技士などの試験を受ける際に必要なので、これら試験を受けるために勉強して覚えました(フォネティックコード)。もう20年以上も前のことです。しかし、アルファベットのフォネティックコードはまだしっかり覚えています。そこで、オペレータのお姉さんから6文字の番号を聞き取った後、「それでは確認します。キロ、ズールー、ロメオ・・・・ですね。」と自慢げに答えてしまいました(^^;)。

このように電話で手間取った後、言われたとおりに16番ベイに移動しました。そこには、また長蛇の列ができていたのです。同じ飛行機に乗り合わせ、同じホテルに向かう客であることに間違いありません。われわれはほとんど最後尾でした。
前の方で並んでいる日本人に聞いてみたら、「小さなシャトルバスが20分に1回程度到着している」とのことでした。いつまで経っても行列はほとんど進みません。冬のカルガリーの寒空の下です。
業を煮やして、近くのタクシー乗り場からタクシーに乗ることにしました。飛行場をぐるっと半周するほどの距離を走行し、タクシーは目的のホテルに到着しました。

ホテルのフロント前も長蛇の列です。長いこと待たされ、やっとのことでチェックインを完了して部屋に辿り着きました。
航空会社から渡されたホテルの紙には、ホテルで使えるクーポンが付いています。そこで、ホテルのレストランで夕食をとることにしました。

12月15日(火)
翌朝、前日の行列で懲りていたので、タクシーを予約していました。ホテルのロビーに降りましたが、われわれの部屋番号のタクシーはまだ来ていません。周りに言われるまま、別のタクシーに乗り込み、空港まで到着しました。

本日の飛行機は、昨日と同じ機材、同じ座席番号でした。代替機材が間に合ったということですね。昨日と同じ機体であったかなかったか、確認は取れませんでしたが。

12月16日(水)
今回の飛行機は無事に成田に到着しました。ただし、空港混雑のためか着陸に手間取り、到着時刻は遅くなりました。
本日は水曜です。本来なら出勤予定日でした。カナダから昨日中に自分の携帯で職場に電話をかけ、休暇を1日延長する旨伝えました。予定外に年休を1日消費する羽目となりました。それと、本日は夜にグループの新人歓迎会が予定されており、そちらにはなんとか間に合って出席することができました。

こうして、トラブル多く、実りの少ないオーロラ鑑賞旅行が終了しました。
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カナダ・オーロラの旅(1)

2016-01-18 21:18:53 | 趣味・読書
2015年12月、カナダのイエローナイフへ、オーロラを見る旅をしてきました。当初の計画は以下のとおりです。

12月12日(土)
 成田 19:00-AC004-10:40 バンクーバー 14:10-AC244-16:44 エドモントン 19:55-AC8225-22:06 イエローナイフ(着) 深夜 オーロラ鑑賞
12月13日(日) 昼間 イエローナイフ市内観光 夜 オーロラ鑑賞
12月14日(月) 夜 オーロラ鑑賞
12月15日(火) イエローナイフ発 5:55-AC8226-9:29 カルガリー 11:40-(16日)14:40 成田(着)
宿泊:3泊ともイエローナイフのエクスプローラーホテル

結論から言います。
(1)エドモントンからイエローナイフへの飛行機が飛ばず、12日はエドモントンに宿泊する羽目となりました。翌朝にイエローナイフに飛びました。12日のオーロラ鑑賞はなしです。
(2)13日、14日ともに天気は曇り、従って晴天でのオーロラ鑑賞は不可でした。
(3)15日のカルガリー発成田行きの飛行機が飛ばず、15日はカルガリーに宿泊、翌日の朝の臨時便で成田に帰る羽目となりました。

今まで、毎年海外旅行に出かけていますが、予約していた飛行機が欠航になるアクシデントは皆無でした。今回、そのようなアクシデントが1回の旅行中に2回も発生したということです。
オーロラ鑑賞のたびは、今回が2回目です。1回目は、2009年9月、アラスカのフェアバンクス近郊でした(オーロラ観察と写真撮影)。このときも、オーロラ観測時刻に空は雲に覆われ、オーロラの青白い光を雲の切れ目から確認できたのみでした。
2回目の今回も、天候は我々に味方しませんでした。

それでは、旅行の順を追って説明していきます。

12月12日(土)
成田からバンクーバー、そしてバンクーバーからエドモントンまでの飛行機は、だいたい予定通りに飛びました。バンクーバーで合流した娘を含めて3人で、エドモントンの空港でイエローナイフ行き飛行機のゲート付近で待っていました。電光掲示板に表示された我々の搭乗機符号が、オレンジ色になっていることに娘が気づきました。欄外を見ると、オレンジは「キャンセル」を意味しているとあります。キャンセル?
ゲートのカウンターで確認したら、何と搭乗機は欠航だとのことです。イエローナイフの天候が原因とのことでした。そのときは“嵐か?”と思ったのですが、後から聞いたところでは、気温が上がりすぎて滑走路表面の氷が溶け、それが原因で発着不可になったとのことでした。
天候不良が原因の欠航であり、航空会社は翌日の代替便は準備するが、当日の宿泊は各自が勝手に行うように、とのことです。さあどうするか。
今回の旅行は、HISのツアーを利用しています。HISからもらったペーパーに「緊急連絡先」の電話番号が書かれていました。そこで、自分の携帯からこの番号に電話してみました。すぐに日本語オペレーターにつながりました。事情を話したところ、取りあえずは適当なホテルを探してくれることになりました。しばらくして返信があり、ラマダ・エドモントン・インターナショナルエアポートというホテルに泊まれることがわかりました。最終的なホテルの予約は、当方からホテルに電話して行いました。
空港から外に出ると人が寄ってきて「リムジンか?」と聞きます。結局、この人のマイクロバスが、ホテルまで運んでくれました。
散々な目にあった一日でしたが、とにかく翌日の代替便チケットが入手でき、ホテルに泊まれる、ということで気持ちとしてはハッピーに床につくことができました。

12月13日(日)
代替便は二手に分かれました。私と家内は8時0分エドモントン発(AC8774)です。娘は海外からの旅行客ではないということもあり、同じ便は取れず、夜の便となりました。
イエローナイフの空港には、旅行会社のスタッフが出迎えているとのことです。てっきりHISのスタッフかと思っていたのですが、そうではなく、現地のオーロラビレッジの日本人女性スタッフがわれわれのサポートでした。大勢の日本人客が集まり、点呼から始まり、空港ロビーで時間をかけて説明を受けました。それからバスで各ホテルに向かいます。

ホテルの部屋には、すでにレンタルの防寒服が届いています。事前に身長や足のサイズを連絡してあるので、各自にあったサイズになっているはずです。試着してみて合わない場合には、連絡すれば替わりのサイズを届けてくれます。左下の写真がレンタルの5点セット、右下写真が装着したところです。フェイスマスクは新品でお持ち帰りでした。
  

天気は曇りです。このまま雲が切れなかったら、もちろんオーロラを見ることはできません。
イエローナイフ市内観光は翌日に変更になったので、夜のオーロラ鑑賞出発までは時間があります。そこで、オーロラ写真撮影のための機材準備に取りかかりました。
今回、新たに購入したキャノンのパワーショットS120を主カメラとし、以前からのS95をサブとして持参しました。S120用のバッテリーは予備を2つ購入してあります。
ところが荷物を調べてみたら、2台のカメラ両方とも予備バッテリーが出てきません。どうも忘れてきたみたいです。酷寒のオーロラ撮影では、バッテリーの消耗が激しいので、予備バッテリーなしではとても満足な撮影はできません。これは、現地で購入するしかありません。
そこで、オーロラビレッジの事務所に電話して、イエローナイフ市内でバッテリーが購入できる店を紹介してもらいました。教えてもらったところでは、「“ステープル”という店が唯一。ニュータウンにあり、タクシーで往復する。」とのことでした。そこに出かけることにしました。ホテルのフロントで確認したところ、店の住所、帰りのタクシーを呼ぶための電話番号を教えてくれました。往きのタクシーは、ホテル前で拾いました。
ステープルは、さしずめ日本の郊外にある大型電器量販店、といった店でした。私が欲しかったバッテリーは、NB-6Hという型番です。しかし店には、NB-6しか置いてありませんでした。形状は同じで、容量が少ないタイプです。店のお兄さんは、「店内で開梱してカメラに入れて見ろ。カメラが立ち上がらなかったら、購入しなくて良いよ。」と言ってくれたので、言われたとおりにやってみました。カメラは無事に立ち上がりました。お兄さんも嬉しそうでした。容量は少ないタイプですが、とにかく予備バッテリーなしではどうにもならないので、そのバッテリーを2個購入することとしました。
自分の携帯でタクシー会社に電話し、場所を言ったところ、タクシーはすぐに到着しました。
往きのタクシーも帰りのタクシーも、運ちゃんは陽気な青年でした。

夜になりました。ホテルの窓から外を眺めると、全天を雲が覆い尽くしています。時間になりました。防寒服に身を固め、迎えのバスに乗ってオーロラビレッジへと向かいます。
途中、バスが路肩に停車しました。運転手が外に出ます。何事かと思っていたら、タイヤがパンクしたというのです。代わりのバスが呼ばれ、そのバスが到着するまで30分程度でしょうか、待つこととなりました。本当に今回の旅は、あらゆるアクシデントが降りかかります。
  
オーロラビレッジは、レストラン棟が1棟(左上写真)、われわれが待機する場所は、円錐形のテントです(右上、下写真)。カナダ先住民の住居を模したものである、との説明でした。テントの中には椅子とテーブルが用意され、10人前後が待機できるでしょうか。ストーブが焚かれて暖かく過ごすことができます。
  

テント村は、氷結した湖のほとりに設置されているようです。湖は北向きであり、テントから湖に歩いたところが観察場所になります。
折りたたみ椅子を持ち出し、湖の畔あたりに腰を落ち着けて、観察の準備を始めました。オーロラ撮影の準備を含めた詳細は別の記事にしようと思っていますが、用意したカメラはコンデジが2台、三脚も2台持ち込んでいます。2台ともセッティングを行いました。
といっても空は雲で覆われています。

誰かが、「西の高台からオーロラが見えるらしい」と言ったらしく、皆さんが西の高台に登っていきます。別に湖からでも西の空は見えているのですから、高台に登らないと見えないオーロラなどない、とは思うのですが、ヒマだし、我々も三脚を1台抱えて登ってみました。
高台から西の空を撮した写真が下の写真です。
 

この場所での観察は午前1時まで。さらに$25の追加で90分の延長ができます。われわれは、前日に飛行機が飛ばずに観察ができなかったこと、本日はバスのパンクで到着が遅れたこと、などなどにより、“ご迷惑をおかけしました”ということで延長券をたくさんもらっていました。そこでこの延長券を使って、この日は90分の延長を行いました。しかし延長しても、雲が晴れることはありませんでした。

以下次号。
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2016初詣(2)

2016-01-04 20:37:36 | 杉並世田谷散歩
本年の初詣は、先日2016年初詣・大國魂神社に書いたとおり、1月2日に府中の大國魂神社に詣でました。そのとき、昨年のお守りや破魔矢などをお焚き上げで納めるのを忘れていました。
1月4日、事務所は定休日ですが、仕事がたて込んでいたので休日出勤と相成りました。そこで、出勤の途上で、わが家の氏神である和泉熊野神社に詣で、お焚き上げを納めてくることにしました。

《和泉熊野神社》
和泉熊野神社は、神田川沿いにあります。神田川と井の頭通りの交点からほんの少し下流に進んだところです。
 

 

和泉熊野神社はウィキによると、
『社伝によれば、文永4年(1267年)に紀州の熊野神社の分霊を祀ったのが当神社の創建である。』
とのことです。

勤務する事務所は荻窪駅の近くであり、昼休みに歩いて巡れるご近所には3つの神社があります。4日の昼休み、これら3つの神社もお参りしてきました。

《天沼八幡神社》
 

 

天沼八幡神社はウィキによると、
『旧天沼村字中谷戸の鎮守で天正年間(1573年 - 1591年)の創建と伝えられている。』
とあります。

境内ではちょうど、巫女さんと小さな子供が楽しそうにお話ししていました(下写真)。
 

《天沼熊野神社》
 

 

天沼熊野神社は、荻窪駅からは一番遠く、北東方向にあります。ウィキによると、
『社伝によれば神護景雲2年(768年)に東海道巡察使が武蔵国に来たときに、氏神を勧請し別当を置いたのがはじまりと伝えられている。また別の説では、元弘3年(1333年)に新田義貞が北条高時を討つために鎌倉へ軍を進める途中、当地に布陣し、社殿を創設したとも伝えられている。』
とあります。

 
本殿の左に大きな切り株が鎮座しています。ウィキには、『境内には、直径2mにも及ぶ大杉の切株がある。これは社伝によれば、この大杉は新田義貞がこの地に陣をしいた際、戦勝を祈願して手植えしたものと伝えられている。近隣の古老達はこの杉を『心願成就の杉』などと呼び大切にしてきたが、昭和17年(1942年)に枯死したため伐採され、今では切り株のみが残っている。』と記されています。

《荻窪白山神社》
荻窪駅の北側、JRと平行に走る商店街は「白山通り」と名付けられています。その名の由来は、この商店街の西にある白山神社です。
  
入口の鳥居をくぐると(左上写真)、北に向かって木々の下を参道が延々と続きます(右上写真)。やっと本殿が見えてきました(下写真)。
 

 

荻窪白山神社はウィキによると、
『旧下荻窪村の鎮守。当神社の創建は、社伝によると文明年間(1469年~1486年)に関東管領上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に五社権現社を奉齋したのにはじまる。』
とあります。

こうして、1月2日の大國魂神社に続き、1月4日には和泉熊野神社、天沼八幡神社、天沼熊野神社、荻窪白山神社を巡り、お参りしてきました。
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2016年初詣・大國魂神社

2016-01-03 11:41:41 | Weblog
本年の初詣は、府中の大国魂神社でした。1月2日に詣でました。この神社について、以下のように解説されています。
大國魂神社
『大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]は、出雲の大国主神と御同神で、大昔、武蔵の国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、又、医療法やまじないの術も授けられた神様』
ウィキ
『大國魂神社は府中市中心部に鎮座するが、「府中」の市名はかつて武蔵国の国府があったことに由来する。古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの武蔵国の総社にあたる。
当社の創建は景行天皇41年と伝えられ、源頼朝が妻の安産祈願をし、また源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝祈願をするなどの伝承がある。』

府中駅から参道に向かいます。
 
参道

2日とはいえ、すごい人出です。隨神門の前ではすでに参拝の行列ができており、時間をかけて、中雀門を経て、拝殿に向かいます。

  
隨神門                           中雀門

 
拝 殿

どこも、群衆の頭の上からの写真撮影です。

参道の両側は、立派なけやき並木が並んでいます。
参道の途中に、八幡太郎義家の銅像が立っていました。
 
源義家公の像

説明によると、このけやき並木は、源頼義・義家父子が奥州平定の「前九年の役」の途次、大国魂神社に戦勝を祈願し、同役平定後の1062年、神社にけやきの苗木千本を寄進したことにはじまる、ということです。
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