弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

オプジーボ特許紛争~本庶佑氏側から

2024-06-28 14:27:30 | 知的財産権
がん治療薬「オプジーボ」については、ノーベル賞授賞学者本庶佑氏と小野薬品との間で特許紛争があったことを承知しています。
このブログでは先日、「オプジーボ特許紛争~小野薬品側から 2024-06-27」として記事をアップしました。
この6月、日経新聞の「私の履歴書」は一方の当事者である本庶佑氏です。ここでは、私の履歴書の記事から、オプジーボ特許紛争の内容についてピックアップします。

本庶佑 私の履歴書(19)がん免疫療法
2024年6月20日 日経新聞
『「PD-1」は免疫が亢進(こうしん)するのをコントロールするブレーキ役を果たしている。ならば、がんや感染症、関節リウマチなどの自己免疫疾患、移植された臓器の拒絶反応といった、免疫制御の欠陥を特徴とする様々な病気の治療へと道が開けるのではないか。
1998年春ごろだった。研究室メンバー数人で将来の臨床応用への可能性を探る研究が始まった。(PD-1の)がんに対する免疫効果をいち早く見つけたのが当時、大学院生だった岩井佳子くん(現在、日本医科大学教授)だ。』
動物実験の結果、がん治療薬としての効果が発現してきました。成果が論文として公表される前に特許を押さえておかなければなりません。
01年、京大内の「発明委員会」で、大学としてきちんと特許を持つため、弁理士を雇って申請してほしい、と力説しました。しかし大学本部の知的財産を扱う部署は実態は「もどき」の組織で人も資金も足りません。
『「(特許の)申請や維持に相当のお金がかかる。大学では無理です。先生、どこか企業に頼んでください。」と、担当者の回答はそっけなかった。
PD-1の一連の研究には全く関与していなかったが、付き合いのある小野薬品工業に依頼せざるを得なかった。』

本庶佑 私の履歴書(20)オプジーボ
2024年6月21日 日経新聞
『「PD-1」に関する特許は、いくつかの別のテーマで共同研究していた小野薬品工業に援助をお願いし、特許出願することになった。
特許は普通、申請後1年半ほどで公開される。2002年の論文発表後、直ちに抗がん剤の開発に着手してほしいと小野薬品に依頼した。
しかし、小野薬品は関西を基盤とする中堅の製薬会社で、当時、がんに関する医薬品を扱っていなかった。臨床試験(治験)まで含めると数百億円かかるかもしれないハイリスクな開発に尻込みした。』
本庶氏は小野薬品の担当者にがん治療薬開発を迫りました。小野薬品は単独では無理なので共同開発のパートナーを探しました。1年かけましたが、どこからも開発協力が得られません。
その後一転して、小野薬品が「うちで開発をやる」と言ってきました。後からわかるのですが、04年頃、メダレックスという米ベンチャーが小野薬品に共同開発を持ちかけてきたのです。そして09年、巨大製薬会社である米プリストルマイヤーズスクイブ(BMS)がメダレックスを買収しました。治験は一気に加速します。
PD-1抗体(製品名オプジーボ)は14年、メラノーマを対象にがん免疫薬として承認されました。
『進捗状況について小野薬品からは知らされなかった。オプジーボ誕生のよろこびとは裏腹に、私の中に同社への不信感が芽生えていった。』

本庶佑 私の履歴書(23)特許係争
2024年6月24日 日経新聞
『重い決断を下さざるを得なかった。2020年6月、長年の共同研究先でがん免疫治療薬「オプジーボ」を製造・販売する小野薬品工業に対し、約262億円の支払いを求めて訴訟を起こした。
PD-1分子を使ったがん免疫治療には大きく分けて3つの特許がある。物質そのものに対する特許、免疫の仕組みに関する特許、そして薬につながる用途特許だ。いずれも私と小野薬品とが特許権者になっている。
小野薬品は米メダレックスと共同開発するにあたり、特許権の独占的使用を認めるよう私に求めてきた。』
本庶氏は当時、研究に多忙であり、小野薬品との交渉は京都大学にいた大手製薬会社出身の知財担当者にすべてを任せていました。この判断が失敗であったと本庶氏は言います。
本庶氏は、特許契約での自分の取り分が少なすぎると感じるようになりました。契約条件について再交渉が始まりました。
条件の見直しがまとまりかけていた頃、今度は小野薬品とメダレックスを買収した米BMSとが、オプジーボと似た薬を発売したメルクを特許権侵害で訴えました。本庶氏はこの訴訟への協力要請を受けたので、同時に提示された条件を前提にこれに応じることにしました。米国での特許訴訟は、ディスクロージャーであらゆる証拠の提出を求められ、本庶氏は科学者としては想像を絶する壮絶な争いに巻き込まれてしまいました。17年1月、小野薬品・BMSとメルクとの係争は和解が成立しました。
『製薬会社同士の紛争がようやく解決してよかったと思った。その後、私と小野薬品との紛争が続いたことは広く知られているとおりである。
21年11月、訴訟協力や発明の対価に対する私と小野薬品との係争は、裁判所からの勧告もあって大阪地裁で和解した。』

以上が、「私の履歴書」における本庶氏の主張です。
前報にも記載したように、産経新聞 オプジーボ訴訟詳報2021/9/2 によると、本庶氏が請求していたのは、オプジーボに似た薬を販売する米製薬大手メルクから小野薬品が得る特許使用料の一部についてとのことでした。小野薬品などはメルクを特許侵害で訴え、2017年1月、メルクが約710億円などを支払う内容で和解しました。
オプジーボに関する特許を共同で持つ小野薬品と本庶氏は以前から特許使用料の配分をめぐり対立していました。本庶氏は、メルク訴訟に協力すれば小野薬品に支払われる和解金の40%を配分するという提案を相良社長から受けたのに、実際は1%にとどまったと主張しています。これに対し小野薬品側は、40%の提案をしたことは認めていますが、本庶氏自身が「はした金だ」と一蹴したために金額交渉自体が決裂したとの見解です。「第三者から特許使用料を得た場合、1%の対価を支払う」としたメルク訴訟前の平成18年の契約に基づき、それまでに数億円を配分したと反論していました。

私の履歴書の記述によると、本庶氏はメルクとの訴訟への協力要請を受けたので、同時に提示された条件を前提にこれに応じることにしたつもりでいましたが、「同時に提示された条件(多分40%)」は本庶氏が蹴飛ばしていたことのようです。
メルク訴訟への協力要請をうけたときの協議に、本庶氏は法律・交渉事の専門家を同席させるべきだったですね。

それと、時々刻々、小野薬品から本庶氏への情報共有が不足していたようです。それが、本庶氏の小野薬品に対する不信感を増幅させたのでしょう。

小野薬品側は、契約を盾にとってごり押しするのではなく、妥当な条件での和解に応じました。これにより、両者の紛争は一件落着することができたようです。
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オプジーボ特許紛争~小野薬品側から

2024-06-27 11:42:23 | 知的財産権
がん治療薬「オプジーボ」については、ノーベル賞授賞学者本庶佑氏と小野薬品との間で特許紛争があったことを承知しています。

産経新聞 オプジーボ訴訟詳報2021/9/2 によると、
本庶氏が請求しているのは、オプジーボに似た薬を販売する米製薬大手メルクから小野薬品が得る特許使用料の一部についてです。小野薬品などはメルクを特許侵害で訴え、2017年1月、メルクが約710億円などを支払う内容で和解しました。
オプジーボに関する特許を共同で持つ小野薬品と本庶氏は以前から特許使用料の配分をめぐり対立していました。本庶氏は、メルク訴訟に協力すれば小野薬品に支払われる和解金の40%を配分するという提案を相良社長から受けたのに、実際は1%にとどまったと主張しています。これに対し小野薬品側は、40%の提案をしたことは認めていますが、本庶氏自身が「はした金だ」と一蹴したために金額交渉自体が決裂したとの見解です。「第三者から特許使用料を得た場合、1%の対価を支払う」としたメルク訴訟前の平成18年の契約に基づき、これまでに数億円を配分したと反論しています。

この6月、日経新聞の「私の履歴書」は一方の当事者である本庶佑氏です。
また、朝日新聞の6月14日15日の記事として、他方の当事者である小野薬品の前社長現会長の相良暁氏が発言しています。
そこでまず、小野薬品側の発言として、この記事の内容を取り上げます。本庶佑氏の発言については、回を改めて紹介することとします。

(けいざい+)オプジーボの先へ:上 変なもん、効き目ほんまもん
2024年6月14日 朝日
『「うちって変なもんやってますからね。そのひとつみたいな」
多くのがんの治療に使える画期的な仕組みを持つ薬「オプジーボ」を2014年、世界で初めて発売した小野薬品工業(大阪市)。社長を15年以上務め、この春会長になった相良暁(さがらぎょう)(65)は、第一印象をそう振り返る。兆円単位の売り上げを持つ世界のメガファーマが研究開発に毎年数千億円を投じるなか、中堅クラスの小野薬品が先んじた「快挙」だった。
・・・
オプジーボは、1980年代から交流が深かった京都大学特別教授の本庶佑との共同研究から開発に繋がった。がん治療に使うとして02年に特許を出願。
開発はなかなか進まなかった。
当時はオプジーボが人体の持つ免疫が働くようにしてがんをたたく仕組みは広く理解されてはいなかった。
担当者が医師に臨床試験を頼むと「こんなメカニズムで効くと思うてるような素人と一緒に仕事したない」「もし効いたら頭丸めたるわ」
12年、世界的権威の医学雑誌で高く評価され、14年にはメラノーマの薬として認められ、販売を始める。その後、肺がんや胃がんなどでも認められた。』

(けいざい+)オプジーボの先へ:下 「特許の壁」乗り越え、挑む海外展開
2024年6月15日 朝日
『小野薬品工業の売上高は、2014年にがん治療薬「オプジーボ」を発売してから、23年度までで3.7倍に伸びた。一方でその間、オプジーボによる二つの壁に直面した。
ひとつは、価格が高いとの批判だ。いまは、さまざまながんの治療薬として認められているが、日本では当初、患者が少ない皮膚がんの一種(メラノーマ)の治療薬として売り出した。投じた研究開発費なども考慮して採算が取れるよう、国が決めた薬価は100mg約73万円だった。』
一方、翌15年に肺がんに使えるようになり、薬価は半年おきに改定され、今は当初の1/5です。
『もうひとつは、共同研究をしていた京都大学特別教授の本庶佑との訴訟だ。本庶は18年、オプジーボに繋がる研究でノーベル生理学・医学賞を受賞。その後の20年6月、契約通りの特許使用料を得られなかったなどとして、約262億円を払うよう小野薬品を訴えた。
「対応を間違ったら、小野薬品のレピュテーション(評判)が悪くなってしまう。」相良はリスクを感じ、21年に和解に応じた。本庶に解決金などで50億円を支払い、若手の研究者を支援するための基金として230億円を京大に寄付することにした。だが、本庶と結んだ特許料の契約の内容を変えることには応じなかった。
製薬会社に限らず、企業は大学などと組み、さまざまな研究や開発に取り組んでいる。成功すれば目立つが、失敗することも多い。企業はそのリスクを負って資金を出している。
「研究が大きな成功に繋がったら、もともとの契約を変更して上乗せしてしまうと、産学連携に禍根を残すのではないか。」この裁判は自分たちだけの問題ではないと考えていた。』

それでは、私の履歴書における本庶佑氏の主張については別の記事でまとめます。
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特許による独占権の意義とそれを制約する制度

2024-06-19 11:51:00 | 知的財産権
特許制度に関連して、6月17日の日経新聞に2つの記事が掲載されていました。

第1は、「特許による独占権は必要である」との議論です。
日本に知財の「殿堂」を 杉光一成氏
金沢工業大学大学院教授(知的財産論)
2024/6/17 2:00日本経済新聞
『「知財」と略される知的財産は、その代表格である「発明」と同じくらい一般にも知られる言葉になった。しかし同じ発明でも、権利を持っている場合とそうでない場合とでは、天と地ほどの差がある点はあまり知られていない。
例えばペニシリンという世界初の抗生物質がある。発見したフレミング博士は「ペニシリンを独占することは人道に反する」と考え、特許を取らない判断をしたといわれる。この選択には納得する人が多いだろう。
しかし、権利のない、誰でも使える技術に巨額の投資をすることはリスクでしかない。特許権は、研究開発の成果への投下資本を回収できるようにした知財権のひとつであり、金もうけの手段ではない。』

弁理士である私も、特許制度の意義について聞かれたらそのように答えようと考えています。製薬会社が開発した新薬について、特許権存続期間においてはその製薬会社のみが独占的に製造・販売する権利を有しています。最近の新薬は特に超高額であることが多いです。「それはおかしい」という意見の人がいたら、
「その新薬が完成するまでには、失敗した多くのトライを含め、莫大な開発費が費やされています。もし特許によって独占権が付与される制度がなかったら、だれも新薬開発に巨費をつぎ込みません。今入手できるこの新薬は、特許制度がなかったら生まれていなかったでしょう。それこそ、人類にとっての不幸です。」
と説明するつもりです。

第2は、「特許による独占権を制限する必要がある」との議論です。
特許法には、特許権による独占権を制限するためのいくつかの制度が設けられています。
その一つが、公共の利益のために必要とされる場合に、特許権者ではない第三者に特許発明の実施(強制的実施)を認める、裁定通常実施権の制度です。
iPS特許、密室の決着 元研究者ら和解、公益性議論に課題
2024年6月17日 日経新聞
『理化学研究所などが持つiPS細胞関連の特許を巡り、元理研研究者らが特許を使用する権利を求めて国に起こした裁定請求が5月末、「和解」で決着した。元研究者らは条件付きで特許を使えるようになったが、焦点となった「公共の利益」を巡る議論は非公開のまま決着。専門家からは「貴重な議論が埋もれてしまった」との指摘も挙がる。
裁定請求は理研の元研究者、高橋政代氏が社長を務めるビジョンケア(神戸市)などが、iPS細胞関連の特許を使用する権利を求めて2021年に申し立てていた。・・・特許権者は理研、大阪大学、ヘリオスの3者だ。今回の和解で、ビジョンケアは患者自身のiPS細胞を使う「自家移植」の場合に限り、無償で特許を使えることになった。
公共の利益のために設けられている「強制実施権」だが、日本では発動例はない。』
裁定は、特許庁の審理機関の部会が担当し、部会から和解が勧められ、和解に至りました。しかし、部会が非公開であったことから、専門家部会で精力的に行われた議論が埋もれてしまいました。

コロナ禍の真っ最中、コロナワクチンが完成したにもかかわらず、必要とされる全世界に十分に供給されていない、という議論がありました。あのとき私は、「足りないのであれば、上記裁定による強制実施権を認めてもらい、製造能力を有している別の製薬会社が製造すれば良いのに」と思っていたところですが、そのような話は一度も表れませんでした。
結局、「公共の利益のために認められる「強制実施権」」制度、われわれ弁理士にとっては法律知識の一部に過ぎず、実務でお目にかかることはありませんでしたが、今回はじめて目にすることができました。

「特許権者に特許発明の独占的実施を認める特許制度は、産業の発達のために必須の制度だが、独占権であることにともなう弊害を除去するためのしくみも内蔵している。」
という点について紹介しました。
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日経連載 高部眞規子さん

2023-10-07 15:15:51 | 知的財産権
日経新聞夕刊(月曜~金曜)の《人間発見》、今週は、元知財高裁所長・弁護士 髙部眞規子さんでした。
ここに、備忘録として印象に残った内容を書き残しておきます。
裁きのてんびん、重みを力に(1) 2023年10月2日
『女性初の知的財産高等裁判所長を務めた髙部眞規子さん(67)は、特許や著作権などの知財紛争に裁判官として向き合ってきた。問題解決のための最終解を提供する重責だ。
40年5カ月にわたる裁判官生活のうち、22年半を知財裁判官として過ごしました。20世紀は知財の判例が少なかったので、訴訟の論点も未解決で、解釈が定まっていないことが多かったです。』

裁きのてんびん、重みを力に(2) 2023年10月3日
『島根県出雲市で生まれ育った。幼少期よりピアノやバレエなど芸術に親しんだ。
ピアノは4歳からヤマハ音楽教室に通い、小学校から高校卒業までは地元の短大の先生に週1回レッスンを受けていました。県の音楽コンクールに出場しピアニストに憧れた時期もありました。
5歳から10歳までバレエも習っていました。共に母の勧めで始めました。ピアノの先生は芸術系の大学への進学を促してくれましたが、・・・』

裁きのてんびん、重みを力に(3) 2023年10月4日
『司法試験に合格し、法律実務家に必要なことを学ぶ司法修習生に。修習生時代に結婚した夫は、富山県庁に出向していた。
夫が将来また転勤することを考えると、私が富山県で弁護士になることは考えられませんでした。修習の指導教官だった裁判官が生き生きと仕事をされていたこともあり、裁判官を志望。採用面接で富山地裁を希望し無事かなえていただきました。』

裁きのてんびん、重みを力に(4) 2023年10月5日
『希望がかない、東京地裁知財部配属となった。
望んだ配属でしたが知財の予備知識はゼロでした。裁判官室で飛び交う専門用語は、「法律用語辞典」にも出てきません。なかなかなじめなかったのが本当のところです。それでも、分厚い記録を丁寧に読んでいくと、専門用語がどのような漢字、意味を持つのか、少しずつ分かってきます。知財の教科書も少なかったので、他の裁判官との議論を通じて勉強しました。』

裁きのてんびん、重みを力に(5) 2023年10月6日
『知的財産高等裁判所長に就任して力を注いだのは国際交流だ。
知財紛争はビジネスの行方を左右しますので、グローバル企業のためにも、各国の裁判所同士が制度調和を図ったり、理解を深めたりすることは大事です。日本でも2017年から知財高裁などが国際知財司法シンポジウムを開催するようになりました。所長として欧米やアジアの国々の裁判官を招きました。』

高部眞規子さんは、1956年生まれ、島根県出雲高校、東大法学部、司法試験合格をへて裁判官となりました。
地裁・家裁の裁判官として、富山、東京、千葉(松戸支部)、高松、東京と移動し、1994年に最高裁判所調査官を務めます。
その後、東京地裁、2009年に知財高裁、横浜、福井を経て、知財高裁、2018年に知財高裁所長、2020年に高松高裁長官、2021年に定年退官して、現在は西村あさひ法律事務所勤務の弁護士です。

出雲高校では理数科を選択しましたが、大学進学は法曹を目指すこととしました。Z会に入会し、「ビーナスV」の筆名が轟いたそうです。
東大の法学部に進学し、司法試験の準備を始めました。女性5人で勉強会を作り、チューターを頼みました。のちに高部さんの夫となる人で、自治省(現総務省)の官僚で司法試験に合格していました。

司法試験に合格して司法修習生に。修習生時代に結婚した夫は、富山県庁に出向していました。夫が将来また転勤することを考えると、高部さんが富山県で弁護士になることは考えられませんでした。裁判官を志望しました。採用面接で富山地裁を希望し無事かなえていただきました。

『長男は富山時代に生まれましたが、当時は育休制度はなく、産休も生後6週間で明けたので、すぐに保育所に預けました。
富山地裁から東京地裁に異動し、長女は東京生まれです。ところが長男の保育所は、0歳児を預かっていなかったため、半年間は電車で2駅離れた別の保育所に預けに行っていました。当時は延長保育も十分にありません。2つの保育所の迎えが午後6時に間に合うように、5時になったらすぐに退庁し、あとは自宅で判決を書いていました。
自治体の子育てサポートや親族の力を借りたほか、ママ友にもずいぶん助けられました。どうしても迎えが間に合わないときなど、一緒に家に連れて帰ってくれ、夕飯も食べさせてもらったことは、感謝に堪えません。当時のママ友たちとの付き合いはいまも続いています。
仕事は早い方だったと思いますが、いつも早めの準備を心がけていました。子どもが急に病気になることもありますので、何かあっても全体のスケジュールを崩さなくて済むよう工夫してきました。』

千葉地裁松戸支部、高松地裁と異動しました。『富山から東京へは夫と一緒に転勤できましたが、松戸に異動して1年たった時に夫が香川県庁に出向。2年間、ワンオペで育児をしました。ワンオペだった松戸時代が人生で一番大変でしたが、仕事は面白くて辞めようとは思いませんでした。』

いやはや、当時は父親の育休がなかったのみならず、母親の育休もなく、産休も短かったから、育児には大変な思いをされたはずです。
しかし高部さんは、「他の人よりも仕事が速い」という特技を十二分に活用して、育児に充てる時間を確保したのですね。高部さんならではです。

『高松から東京地裁に戻るタイミングで、知的財産分野を自らの専門に定めた。
地方では行政、労働、医療、交通関連など様々な事件を担当しましたが、東京地裁でしかできないような仕事がしたいと思いました。
異動前に東京地裁に出張があり、初対面の所長代行にご挨拶にいくと、単刀直入に「何がやりたいの」と聞かれました。経験はないけれど専門的と思えた知財部を挙げたところ、「理科系は得意か」と確認されました。出雲高校理数科出身の経歴が「技術に向き合う意欲有り」と捉えられたようです。この段階で知財部への配属が内定したように思います。』

1994年に東京地裁勤務となり、97年には当時最年少の裁判長に就任しました。「たまごっち事件」が特に思いで深いと言います。訴状送達から9ヶ月の超特急で、意匠権侵害と不正競争防止法違反で差し止める判決を言い渡しました。

1998年に就いた最高裁調査官では、「キルビー事件」を担当しました。判例を整理し現状に批判的な学説なども報告書にまとめて裁判官に提出しました。2000年、最高裁が「裁判所が特許の無効理由の有無について判断できる」と示したことで、知の日本の特許訴訟の迅速化につながりました。

2009年に知財高裁判事となります。
公開の場である口頭弁論期日に、法廷で技術説明会をすることにしました。
私も、知財高裁での審決取消訴訟で技術説明会を何度か経験していますが、いずれも非公開である準備手続期日の中で行われました。公開の口頭弁論期日で行った記憶はありません。

2018年に就任した知財高裁所長としては、国際交流に力を注ぎました。
--以上-------------------

高部眞規子裁判長の知財判決で私の印象に残っているのは、「一太郎事件」ですね。ウィキでも紹介されています。パナソニックが所有する特許発明は、機能説明アイコンをクリックしてから別のアイコンをクリックすると、後者のアイコンの機能説明をする、というものでした。ジャストシステムの一太郎と花子が権利を侵害していると訴えられました。一審で高部裁判長は侵害を認める判決を出しました。控訴審でジャストシステムは新たな証拠を提出し、「特許無効により非侵害」の逆転判決が出ました。
ウィキでは、エーザイ「セルベックス」不正競争事件も紹介されていました。
高部さんが記事で紹介している「たまごっち」事件については、私も印象に残っておらず、ウィキにも紹介されていませんでした。
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ファーウェイ製スマホ検証

2023-09-09 08:33:14 | 知的財産権
中国半導体5G並みか 米、ファーウェイ製スマホ検証
2023/9/8付日本経済新聞
『米政府は中国の通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)が発売した新型スマートフォンの検証を始めた。2019年から強化してきた米国の半導体技術の禁輸で、高速通信規格5Gを搭載した高性能スマホは事実上生産が難しくなっていた。
ファーウェイは自社開発の半導体を搭載し、制裁の影響を軽減している可能性がある。米国による規制の有効性にも疑念が強まりそうだ。
『ファーウェイが自社開発し、SMICが製造した「キリン」チップが搭載されていると結論づけた。
回路線幅は7nmで、5Gに相当する通信に対応しているとみられている。量産が始まっている「3ナノ」「4ナノ」に比べると2世代前とまだ差があるが、SMICは先端半導体をリードする台湾のTSMCや韓国サムスン電子に次ぐ微細化技術を進めている可能性がある。』
『今回の7ナノ品の生産では先端の露光装置の技術を使えず、歩留まりが業界水準を下回るという調査もある。効率的な生産が実現しているかは不透明だ。』
『米連邦議会では現状の対中輸出規制が緩いとの不満がくすぶる。』

私はこのブログで、湯之上隆著「半導体有事」 2023-06-04を書きました。
『半導体の微細化の閉塞感を打破したのは、波長13.5nmの極端紫外線(EUV)を使った露光装置である。オランダのASMLがEUV(1台200億円)の量産機を出荷し、TSMCは1年間に百万回の露光の練習を行った末に、2019年に7nm+というロジック半導体の量産に成功した。
インテルは、2023年に7nm+クラスが立ち上がっていない状況である。
中国のSMICは、2022年に、EUVを使わずに7nmの開発に成功した。これが、米国の「10・7」規制の直接理由である。

『2022年10月7日に米国が発表した「10・7」規制
これは、中国半導体産業を完全に封じ込めるための措置であり、半導体の歴史を大きく転換するだろう。
① 中国のスパコンやAIに使われる高性能半導体の輸出を禁止する。
② 先端半導体について、米国製の半導体製造装置の輸出を禁止し、エンジニアとして米国人が関わることを禁止する。
③ 半導体成膜装置のうち、規制に該当する装置を輸出する場合、米政府の許可を得なくてはならない。中国半導体にとっては致命傷となる規制である。
④ 中国の半導体製造装置メーカー向けには米国製の部品や材料等を輸出することを禁止する。
⑤ 中国にある外資系半導体メーカー(TSMCなど)にも規制を適用する。
この「10・7」規制により、中国は工場の新増設が困難になる。またエンジニアが派遣されないので既設半導体工場が停止する。』

今回の新聞記事では、「中国のファーウェイはは7ナノ品を用いて5Gスマホを発売した」「米国の対中輸出規制が緩いのではないか」と騒いでいます。
しかし、湯之上氏の著書から明らかなように、中国のSMICが7ナノ品の量産に成功していることは1年前にわかっており、昨年の米国による対中「10・7」規制はそれを契機として発動することになったのです。日経新聞はその点に気づいていないようです。
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知床遊覧船とアマチュア無線

2022-05-11 21:24:09 | 知的財産権
日常的にアマチュア無線使用、電波法に抵触も 観光船「KAZU 1」運航会社
5/10(火) 日テレNEWS
『北海道の知床沖合で観光船が沈没した事故で、運航会社が船との連絡手段として、本来は業務での使用が認められていないアマチュア無線を日常的に使っていたことがわかりました。』
『一方、不備が指摘されている連絡手段について、観光船「KAZU 1」の運航会社は、事故以前にも日常的にアマチュア無線を使っていたことが関係者への取材でわかりました。
アマチュア無線を業務で使うことは電波法で禁じられています。
国交省は、小型旅客船への緊急対策として、全国の事業者に運航基準の徹底と、常時通信可能な通信設備の確実な積載を求めることを表明しました。』

知床連絡船事故とアマチュア無線の関係について、やっとニュースが出始めました。
私が「知床遊覧船の通信手段 2022-04-30」で記事にしたように、沈没したカズワンはアマチュア無線機器を搭載し、当時知床連絡船の事務所はアンテナが折れていて無線が繋がらなかったが、同業他社の人がその人の施設に設置したアマチュア無線機器でカズワンの船長と連絡が取れ、その同業者が118番通報した、という事実が報道されていました。その後、「アマチュア無線」というニュースが出なくなっていたのですが、今になって再度出始めました。

「携帯電話」「衛星携帯電話」も無線による通信ですが、ここで「無線」という場合、携帯や衛星携帯は意味せず、狭い意味での「無線通信」が該当します。会話を行う双方が、特定の周波数で電波通信を行うトランシーバーを設置し、トランシーバー間で直接に通話を行うやつです。携帯のように間に基地局を介さず、衛星携帯のように間に人工衛星を介していない点で相違します。
アマチュア無線も、「無線」の一種です。ただし、操作できる人はアマチュア無線技士資格取得者に限られ、会話の内容に業務連絡を含むことはできません。従って、カズワンが事務所との業務連絡にアマチュア無線を用いていたのであれば、明らかに違法です。
しかし、アマチュア無線というのは魅力なのですよね。簡単に入手でき、しかもトランシーバーが安価です。違法に手を染めたくなる気持ちはわかります。

合法的な無線通信手段は、おそらく「国際VHF」と呼ばれている無線の規格でしょう。船舶側が「船舶局」、陸側が「海岸局」として認められる必要があります。5W規格の船舶局の運用には3級海上特殊無線技士(3海特)、海岸局、25W規格の船舶局の運用には2級海上特殊無線技士(2海特)の資格が必要です。

今から20年ほど前、私が山口県で暮らしていた頃、私が関係していたヨットハーバーで、無線機器を正規のものに整備しようとの話が持ち上がりました。そのヨットハーバーを拠点とするヨットクラブで、海上のモーターボート(指導・救助船)と陸側の待機所(ヨットハーバー)の間での無線通信を目的とします。まずは、海に出る関係者の全員が3海特の資格を取得しました。全員が1ヶ所に集まり、1日の講習と検定試験で資格を取得することができます。次に、ヨットハーバーを運営する団体の職員2名が2海特の資格を取得しました。ヨットハーバーに設置予定の海岸局を運用するためです。
ところが、海岸局の設置がなかなか進みません。ヨットクラブ側としては、自分たちのヨットクラブの仲間内での通信を目的としています。ところが、聞いてみると、海岸局というのは、私的な集団が仲間内で使うような運営は許されず、設置する海岸を含む沿岸での半ば公共で用いる無線局が要請されていたようなのです。ヨットハーバー側にはもともとそんなつもりはありません。行政側と連絡を取りながら計画を進めていたはずなのですが、行政もその点に気づくのが遅かったのかもしれません。
結局、私が関係していた期間内には、そのヨットハーバーに国際VHFの海岸局、船舶局は開設されませんでした。3海特、2海特の資格だけは取得したのですが・・・。
ちなみに私も1日の講習で3海特を取得し、「これだったら勉強すれば上の資格も取得可能だ」と気付き、勉強して資格試験を受け、1海特を取得してしまいました。

船舶と陸側との間で正規の無線を運用しようとすると、以上のようなめんどうなことが待っているようです。こっそりとアマチュア無線に手を出してしまう気持ちもわかるというものです。

私は子供の付き添いで、ジュニアヨットの大会出場のために各地のヨットハーバーを回りました。琵琶湖大会では、地元の琵琶湖ジュニアヨットクラブが世話をしてくれました。使っていた無線機器は、市民バンドでした。これなら合法です。しかしうわさでは、市民バンドというのはトラック野郎に独占され牛耳られている、ということでしたが、実態はどうなのでしょうか。
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玉川上水13・幡ヶ谷~四谷大木戸

2021-11-28 13:21:20 | 知的財産権
玉川上水踏破-再開 2021-11-12」で書いたように、私は、2008年11月から2011年1月にかけて、羽村取水口から京王線の明大前までの区間を、4回に分けて踏破してきました。
最近になって、残った区間、明大前から四谷大木戸(四谷四丁目交差点)までを踏破しましたので、その記録を2回に分けてアップしています。
前回、明大前から幡ヶ谷までの記録をアップしました。今回は、幡ヶ谷から四谷大木戸終点までの記録です。

       玉川上水全体図(図面をクリックすると大きな地図になります)


明大前から四谷大木戸(四谷四丁目交差点)まで(図面をクリックすると大きな地図になります)

10月27日、前回の終点である幡ヶ谷駅を出発点とし、四谷大木戸までを歩きました。出発点の二字橋の次は西代々木橋です(下写真)。

西代々木橋

さらに進みます。下の写真は、代右衛門橋のさらに先です。初台駅の近くでしょうか。


下の写真は、改正橋のさらに先です。


伊東小橋、三字橋と過ぎ、正面に大きなビルが見えてきます(下写真)。


さらに進むと、右側に文化学園・文化学園大学のビルです(左下写真)。歩道には女神像だ立っています(右下写真)。

文化学園              叡知と慈愛の女神像
右上写真の説明書き
『この立像は、ドイツのバイエルン地方の理想の女神像として語り継がれているクニグンデ皇后像で、左手に抱く書物は叡知を右手で差し出す硬貨は慈愛を象徴しています。
本学ドイツ姉妹校ヴュルツブルグの専門大学のご協力により複製が許可され、ここに安置することができました。』

60年以上昔、地上を走っていた京王線の車窓から、円筒形の形をしたビルが見えました。ウィキによると、『1955年(昭和30年) - 新宿本校に円筒形の校舎が完成。以後、文化服装学院を象徴する建物となる』とあります。当時は文化服装学園と呼ばれていました。

文化学園の先になこそ橋跡の碑が立っています(左下写真)。地球儀(右下写真)の由来はわかりませんでした。

勿来橋跡                       大地球儀
碑文『なこそ橋の由来は、江戸時代に福島の三春藩主であった秋田安房守がこの地に下屋敷をおいたことによる』


上写真
説明『このモニュメントは、明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた、玉川上水の煉瓦造りの暗渠をモチーフとし、当時の煉瓦を一部使用して、ほぼ原寸大で再現したものです。平成15年1月東京都水道局』

ここまでずっと、玉川上水の跡地に沿って道路を歩いてくることができました。新宿駅の南口まで到達すると、ビルに行く手を阻まれます(左下写真)。後から調べると、ここは葵橋跡であり、左下写真のビルの1階に葵橋の説明板があるのだそうです

新宿駅南口(西側)                  新宿駅南口(東側)
ビルに行く手を阻まれたので、左へ迂回してみたら、そこは甲州街道でした。そして新宿駅南口に出て、正面がバスタ新宿です。振り返って玉川上水の上流方向を見たのが右上写真です。

さらに甲州街道を進み、新宿四丁目交差点の先、右側に雷電稲荷神社の鳥居群がありました(下写真)。東京都神社案内によると、『源義家が奥州征伐の途中雷雨にあい、小祠前で休んでいる時、一匹の白狐が現れ、義家の前で三回頭を下げたところ、雷雨がたちまち止んだことから雷電神社と呼ばれるようになったと伝えられています。』とあります。

雷電稲荷神社

さらに進むと、玉川上水は新宿御苑の北辺に沿ったルートとなります。現在ここは、「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」として整備されているのですね。
説明文『分水散歩道の延長は約540m「旧新宿門」「大銀杏」「大木戸」の3区間から成り、水源は、国道20号新宿御苑トンネル内の共同溝に湧出した地下水を利用しています。』

新宿御苑北側・旧新宿門付近


新宿御苑北側・大銀杏区間


新宿御苑北側

ルートは、新宿御苑の大木戸門に至ります。その先に、水門碑記と四谷大木戸跡碑が立っています。

水門碑記(すいもんのいしぶみのき)
説明文『四谷大木戸の水番屋は、現在の四谷地域センター内にあり、これを祈念して、明治28(1895)年に石碑がたてられました。石碑は、高さ4.6mにおよび、篆額は徳川家達(いえさと)が書き、書は金井之恭(しきょう)が書いています。碑文には、漢文で玉川上水建設の理由や、工事を請け負った玉川兄弟の功績をたたえた内容が書かれています。』


四谷大木戸跡碑
説明文『四谷大木戸碑は、昭和34年11月、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して造られた記念碑である。実際の大木戸の位置は、ここより約80メートル東の四谷四丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。 昭和24年6月』

そして、私は四谷四丁目交差点に到着しました。ここが、江戸時代は四谷大木戸だったのですね。

四谷四丁目交差点
ウィキによると、『元和2年(1616年)、江戸幕府により四谷の地に、甲州街道における江戸への出入り口として大木戸が設けられた。地面には石畳を敷き、木戸の両側には石垣を設けていた。初めは夜になると木戸を閉めていたが、寛政4年(1792年)以降は木戸が撤去されている(木戸がなくなった後も四谷大木戸の名は変わらなかった)。』とあります。また『往時、ここに水番所があり、ここから先は埋設された石樋・木樋を通して江戸市中各地へと配水していた。』とあります。

こうして、私の玉川上水踏破は完了したのでした。

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中山編「新・注解 特許法」

2021-06-27 13:59:15 | 知的財産権
特許法の実務、特に最近の判決例を中心に最も詳細に論述している書籍として、中山信弘先生の「注解 特許法」を頼りにして来ました。「第3版 注解特許法」(注解特許法〈上巻〉第1条‐第112条の3)からスタートし、今までは「新・注解 特許法」(新・注解 特許法〈上巻〉第1条~第99条)のお世話になっていました。
6年前まで私は個人事業主として特許事務所を開設しており、そのときには「第3版 注解特許法」と「新・注解 特許法」を所有していました。6年前に自分の事務所をたたんで今の事務所の勤務弁理士となったときに、そのうちの「新・注解 特許法」を持参しました。「第3版 注解特許法」はそのときに廃棄してしまったのですが、新たな勤務先には所蔵しておらず、今になって廃棄を残念に思っています。
最近になって、「新・注解 特許法」の第2版が発行されていることを知りました。
  
新・注解 特許法〈上巻〉 ¥23,918
新・注解 特許法〈中巻〉 ¥26,817
新・注解 特許法〈下巻〉 ¥23,918
私は勤務弁理士です。このように高価な専門書については、勤務先に購入してもらい、所員全員で共有するのが普通のやり方です。必要が生じたときに手に取って、関係する箇所を閲読するのが最も多い利用方法でしょう。
ところが現在、コロナ禍で所員のほぼ全員がほぼ100%在宅勤務ですから、職場にこの本を備え付けても気軽に読むことができません。
いろいろ考えましたが、私自身が利用するために唯一最適な方法として、上・中・下巻全部、自費で購入することとしました。我が家に所蔵しています。

現在、特許法29条、36条、70条など、主要な箇所を拾い読みしているところです。

p.s.6/30
上記記事を執筆するに当たり、アマゾンをいろいろ調べたところ、「第3版 注解特許法」(上巻)の古本がそんなに高価でなく購入できることがわかりました。さっそく購入して、所蔵本に加えました。
p.s.7/18
下巻もVALUE BOOKSで安く購入できることがわかったので、購入してしまいました。
 

注解特許法〈上巻〉第1条‐第112条の3 
注解特許法 第3版 下巻 第113条~第204条 
コメント (1)
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コロナワクチン特許の一時放棄

2021-05-07 18:11:14 | 知的財産権
昨日あたりから、「コロナワクチンの特許の一時放棄」が新聞紙上を賑わしています。

ワクチン特許放棄 米が支持~供給増へWTOで交渉
2021年5月6日 23:30 (2021年5月7日 5:09更新)  日経新聞
『新型コロナウイルスワクチンの供給拡大をめざす国際交渉が世界貿易機関(WTO)で本格化する。バイデン米政権は5日、従来の慎重姿勢から転じ、特許権の一時放棄を支持すると表明した。ただ、ワクチンの製造では品質管理や製造技術もノウハウの固まりとされ、量産への課題は多い。
米国が支持したのは、WTOの「知的財産権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)」で義務付けられた特許権の保護を、ワクチンに限って一時適用除外する案だ。インドや南アフリカがワクチンメーカーを抱える先進国に受け入れを求めていた。
・・・
01年にドーハで開かれたWTO閣僚会議では国家の緊急時には特許権者の許可がなくても特許技術を使える「強制実施権」を認めた。・・・
強制実施権は手続きが複雑なのがネックだ。インドや南アはより迅速にコロナワクチンを供給するには特許の放棄が必要だと主張していた。』

独、特許放棄に反対の構え
コロナワクチン EU首脳が議論へ
2021年5月7日 14:30 日経新聞
『欧州連合(EU)は7日から始まる首脳会議で、新型コロナウイルスのワクチン供給拡大に向けて、特許権を一時的に放棄する考え方を支持するかどうかを討議する。バイデン米政権が前向きな姿勢を示したためだが、ドイツのメルケル政権は反対する構えだ。特許権を持つ製薬会社が本拠地を置く国・地域での議論が本格化する。
・・・
ドイツメディアによると、独政府の報道官は・・・特許権の一時放棄に否定的な考えを示した。ワクチンの普及を妨げているのは生産能力や品質管理の問題であって、知的財産の保護が原因ではないというのがドイツ政府の主張だ。
《モデル名も反論「供給増えない」》
米バイオ製薬モデルナの・・CEOは、「特許を放棄しても供給量は増えない」と反論した。』

例えばインドや南アの製薬メーカーがコロナワクチンを生産しようとしたとき、「特許技術の使用さえ認められれば生産が可能」という状況にあるか否かが問題になります。

後発メーカーがコロナワクチンを自社で製造しようとしたとき、何が必要か。普通は、特許技術の使用許諾だけで製造が可能になることは少ないでしょう。特許明細書に開示された技術以外に、さまざまなノウハウ(普通は秘密にされる)の提供を受けない限り、高品質のワクチンを大量生産できるとは思えません。
独政府の報道官もモデルナのCEOも、「特許を放棄しても供給量は増えない」と指摘しています。「特許技術以外のノウハウの提供を受けなければ供給量は増えない」との意味と思われます。
そもそも、通常は特許出願から1年6ヶ月経たないと発明の内容は公開されません。現時点で、「権利を放棄して欲しい特許」の内容は開示されているのでしょうか。

それはさておき、「特許の内容は開示されており、その特許技術の使用許諾さえ受ければ、後発メーカーによる高品質ワクチンの大量生産が可能である」という状況であると仮定して、以下議論します。

世界のWTO加盟国は、特許に関してTRIPs協定遵守義務を負っています。上記第1の記事にも登場しています。そして、TRIPs協定には当初から、「強制実施権」の規定が盛り込まれているのです。
TRIPs協定では「第31条 特許権者の許諾を得ていない他の使用」として、「加盟国の国内法令により,特許権者の許諾を得ていない特許の対象の他の使用(政府による使用又は政府により許諾された第三者による使用を含む。)を認める場合には,次の規定を尊重する。」と規定し、
「(b) (「他の使用」について認められる要件を記述したあと)加盟国は,国家緊急事態その他の極度の緊急事態の場合・・・には,そのような要件を免除することができる。」
としているのです。
この条文を読む限り、今回のようなコロナパンデミックで、各国の法令が準備されていさえすれば、たとえ特許権者の許諾が得られなくても、当該国の判断で特許技術の使用が可能になります。

日本については、特許法93条に規定されています。
「(公共の利益のための通常実施権の設定の裁定)
第九十三条 特許発明の実施が公共の利益のため特に必要であるときは、その特許発明の実施をしようとする者は、特許権者又は専用実施権者に対し通常実施権の許諾について協議を求めることができる。
2 前項の協議が成立せず、又は協議をすることができないときは、その特許発明の実施をしようとする者は、経済産業大臣の裁定を請求することができる。」

インドや南アについても、上記日本特許法93条のような法令が準備されているのであれば、後発メーカーは自国の政府に訴えることにより、自国内で特許発明の実施が可能になるはずです。

さて、1994年に発効したTRIPs協定ですでに上記規定は盛り込まれていました。そうすると、上記第1の記事の『01年にドーハで開かれたWTO閣僚会議では国家の緊急時には特許権者の許可がなくても特許技術を使える「強制実施権」を認めた。』は何を指すのでしょうか。その点は謎です。

また、インドや南アが、自国の法令に基づいた「強制実施権」を取得するのではなく、ワクチンメーカーに「特許の一時的放棄」を要請しているわけですが、なぜ「強制実施権」ではないのか。その点も追々明らかになっていくのでしょう。
また、「特許の実施権さえ得られれば、ノウハウの開示は必要ない」ということなのかどうかも今後の課題です。
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要約書の【課題】欄への符号の記載

2021-04-06 17:39:17 | 知的財産権
久しぶりの知財ネタです。

特許出願時には、明細書、特許請求の範囲、図面に加えて、要約書を提出します。
要約書について特許庁は、「第五節 要約書の作成方法」において、
「発明の概要を平易な文章で簡潔に記載したものであり、一般の技術者が特許文献の調査の際に、その発明の要点を速やかにかつ的確に判断できるように記載したもの」であることを期待しています。
そして要約書の書式について、以下のように定めています。
-------------------
1.要約書は、次の様式により作成します。
   特施規様式第31(第25条の3関係)
『【書類名】 要約書
【要約】
【課題】○○○○○○○○○○○○○○○○○○
【解決手段】○○○○○○○○○○○○○○○○○○
【選択図】図○』
〔備考〕
11 「【要約】」の欄には、明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した発明の概要を次の要領で記載する。
ハ 要約の記載の内容を理解するため必要があるときは、選択図において使用した符号を使用する。
-------------------
ここで「選択図」とは、特許出願文書に添付した図面のうちの一つを選択したものです。図面中では、部品、部材などを符号(数字)で参照しています。要約書で発明を説明するに際し、発明のそれぞれの要素が図面中のどこと対応しているかがわかると発明を理解しやすいので、要約書中でも、発明を説明する際に符号を添えます。読者は、要約書を読むに際し、説明されている部分が選択図中のどの部分を指しているのかを把握しながら読むことができます。

要約書の構成は、上記のように、【課題】欄、【解決手段】欄、【選択図】欄に、内容が記載されています。発明の中身は主に【解決手段】欄に記述されるので、当然ながら、符号についても主に【解決手段】欄中の文章に添えられます。
一方、【課題】欄中の記載についても、選択図を見ながら読んだ方が理解しやすい場合があり、そのような場合に私は、【課題】欄中にも符号を添えるようにしています。

今般、私が明細書類を執筆した出願について、出願経緯を調査する機会がありました。するとその中で、「要約書の記載を職権修正した」旨の記載が見つかりました。あれっ、どんな不都合があったのだろう?
そこで、公開公報と出願書類を比較してみたところ、要約書の【課題】欄において、出願時は符号を記載していたのに公開公報ではその符号が削除されていました。修正箇所はそこだけです。

「要約書の【課題】欄には符号を記載してはいけない」というルールは聞いたことがありません。今回ネットで調べましたが、そのようなルールを見つけることができませんでした。そこで、特許庁に電話で問い合わせてみました。
その結果、
「要約書の【課題】欄には符号を記載しないようにお願いしている。記載があった場合は、職権修正で削除している」
との回答でした。当方から、
「そのようなルールはどこに書かれていますか?」
と聞いたところ、「書いたものはない。説明会では口頭でお願いしている。最近は説明会を開催していないが。」とのご回答でした。

このような運用がなされていることについて、私は知りませんでしたし知らない人が多いのではないかと考え、ここにお知らせする次第です。
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