弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

J-PlatPatダウンロード公報の上付き下付き文字の表示

2019-09-17 20:51:55 | 知的財産権
最近、特許情報プラットフォーム|J-PlatPatから公報をpdfでダウンロードして印刷したときの、上付き文字、下付き文字の表示にびっくりしました。私が見たのは、明細書中で半角で記述された文字の上付き、下付きだったのですが、印刷した結果として、文字が潰れてしまって読み取れないのです。
たまたま、判例研究で入手していた公報があったので、その中の一部を取り出して以下に示します(公開公報)。


同じ特許の特許公報については、上記公開公報に比較するとややましです。
pdfの印刷物では下付き文字が何を表示しているのかほとんど読み取れません。そこで、公報をテキストでダウンロードしてみると、「少なくともSiO2 、CaO、及びNa2 Oを含有する、」であって、「2」が半角の下付きになっていました。
これが全角の下付きだったらどのように表示されるのか、そこまではまだ調べていません。

これでは、公報の印刷物として不適切です。
そこで、J-PlatPatのヘルプデスクに電話して聞いてみました。
一度電話を切り、しばらくしたら電話での回答がありました。
5月のJ-PlatPatのリニューアル以来、このような表示になっているとのことです。現時点では、何ら問題にされていないようです。「今回、改善要望があったことを伝えた。(改善されるまでは)拡大してみるか、テキストで確認してほしい。」との回答でした。

これは由々しき事態です。5月からすでに4ヶ月経過しています。誰も、この問題に気づかなかったのでしょうか。
ヘルプデスクの回答の様子では、「迅速に改善する」とも「すでに改善に着手しており、遠からず修正される」とも聞き取れませんでした。

そこで、問題を皆様と広く共有すべく、このブログに顛末をアップする次第です。
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運輸安全委員会が米海軍フィッツジェラルド衝突事故報告

2019-08-30 18:32:21 | 知的財産権
国土交通省の運輸安全委員会ホームページにおいて、「8月29日事故等調査報告書を公表しました」とのアナウンスがされていました。その中に、
・コンテナ船ACX CRYSTALミサイル駆逐艦USS FITZGERALD衝突事故(静岡県南伊豆町石廊埼南東方沖 、平成29年6月17日発生)
発生年月日:2017年06月17日
事故等種類:衝突
事故等名 :コンテナ船ACX CRYSTALミサイル駆逐艦USS FITZGERALD衝突
報告書(PDF):公表説明資料
が掲載されています。
米海軍軍艦と外国船籍の船との衝突事故ですが、日本近海ということで、運輸安全委員会の検討対象になるのですね。

本件については、事故発生の半年後に、私がブログ記事にしています。
米第7艦隊衝突事故2件
2017-11-05

運輸安全委員会報告と私のブログ記事を読み比べてみましたが、新たな発見はほとんど見当たりませんでした。
----以下2017-11-05ブログ記事---------------------
今年、アメリカ第7艦隊(横須賀を母港とする)は、深刻な衝突事故を2件起こしています。最近、米海軍作戦部(Department of the Navy / Office of the Naval Operations)は、この2つの事故に関する報告書(Memorandom for Distribution)を公表しました(pdf)。

現在、読みかけているところです。合計71ページの報告書です。内容は、2件の衝突事故について、「衝突まで」、「衝突後」の状況が説明されています。私は取りあえず、「何が原因で衝突したか」を知りたいので、「衝突まで」に興味があるのですが、報告書は残念ながら、ページ数としては「衝突後」に大きく取られています。両事故とも、多くのセイラーが殉職しているので、どうしても救助活動の方に関心が向くのでしょう。

「衝突まで」についてざっと読んで驚くことは、決して状況が克明に再現されているわけではなく、極めてざっとした状況説明のみにもかかわらず、海軍の当事者の責任について極めて厳しくかつ断定的に断じている点です。

登場人物は以下のような人たちです。
英語 日本語(意訳)
Commanding Officer 指揮官(艦長)
Executive Officer 副司令官(副艦長)
Officer on the Deck 甲板士官(当直士官)
Junior Officer on the Deck 副甲板士官(副直士官)
Watchstander 立哨(見張り)
Bosun Mate on the Watch 当直甲板長、掌帆(兵曹)長

以下、第1の事故について、報告書を見ていきます。

《フィッツジェラルド(以下「F艦」)とクリスタル(以下「C船」)の衝突事故》


F艦とC船の航跡

上の図面で、数字は時刻(日本時間)です。
F艦は、0105から衝突直前(0129)まで、同じ進路(190度)、同じ速度(20ノット)で前進しています。
C船は、0105には東南東に進んでいましたが、0115に進路を変更し、東北東に向きを変えています。恐らく、南から北東に進んでいた別の船(Marsk Evora)との衝突を避けるため、進路を変えたのでしょう。進路変更前にはF艦と衝突するコースではありませんでしたが、0115の進路変更の結果として、C船はF艦との衝突コースに入ってしまったように見えます。
C船の進路変更前も後も、F艦から見てC船はスターボード側ですから、F艦に衝突回避義務があります。
従って、F艦の艦橋については、「0115のC船の進路変更に適時に気づき、衝突コースに入っていることを認識し、適時に衝突回避動作を行うことができたのか否か」が問題となります。
----部分訳---------
(6~7ページ)
2300日本時間、艦長と副艦長は艦橋を離れた。
0100 F艦は3隻の商船がF艦のスターボード(右舷側)からやってくる領域に到着した。
F艦はいくつかの船と交差する状況だった。海事国際ルールによれば、このような状況では、F艦には他の3船との関係で(明確になるように)操船し、可能ならば交差を避ける義務があった。F艦がこの義務を遂行しない場合、他の船は、自分の独立な操船を行う上で、早く適切なアクションをとる義務があった。衝突まで30分の間、衝突の1分前まで、F艦もC船も、衝突リスクを低減するための上記のようなアクションをとらなかった。
衝突数分前、当直士官(この船の安全航海の責任を有する)と副直士官(補助者)は、これら船(C船を含む)との関係、これらの船を避けるためのアクションの要否について打ち合わせた。最初、当直士官は、C船を他の船と混同していた。ついに、当直士官は、F艦がC船との衝突コースに入っていることに気づいた。しかしこの気づきは遅すぎた。C船も、手遅れになるまで衝突回避動作を行わなかった。

当直士官は、この船の安全航海の責任を有するが、必要な操船を行わず、危険信号を送らず、C船のブリッジとの間で通信を試みず、即ち、海員として拙劣であった。

当直チームの他の艦橋メンバーは、この状況について知り得た事実を当直士官に伝達しなかった。戦闘情報センター(CIC)のチームも、当直士官に情報を提供できなかった。

事件のタイムテーブル(25ページ)
0120 当直士官と副直士官を支える見張り員は、C船を視認し、C船のコースがF艦の軌跡と交差すると報告した。当直士官は、C船がF艦の1500ヤードを過ぎると考え続けていた。
0122 副直士官はC船を再度視認し、艦速を遅くするよう助言した。当直士官は、減速はcontact picture を複雑化すると答えた。
0125 当直士官は、C船が急速に近づいていると気づき、240方向へのターンを考えた。
0127 当直士官は240方向へ転蛇(右転蛇)を命令したが、1分以内にこの命令を撤回した。その代わり、当直士官は、最高速度に増速し急速左旋回を命令した。これら命令は遂行されなかった。
0129 甲板長は、舵を取ってこの命令を実行した。
0130 C船の船首がF艦に衝突した。
----部分訳終わり---------

以上を読むと、以下のような状況が確認できます。
航跡図から明らかなように、C船は0115に進路変更を行い、F艦との衝突コースに入りました。C船の進路変更前の認識として、F艦の当直士官が「衝突しない」と認識していても間違いではないです。
0115のC船進路変更の後、0120にF艦の見張り員がC船について当直士官に報告しています。しかし当直士官は確認を怠り、C船の進路変更、衝突コース突入を確認するチャンスを失いました。0122の副直士官の「減速」助言も無視しました。
0125 当直士官はついに衝突危機に気づき、衝突回避を試みましたが、指示が錯綜し、甲板長が舵を取ったときは衝突1分前でした。

たしかに、このとき艦橋とCICで勤務していた人たちが、安全航行のための義務を果たしていなかったのは明らかなようです。
問題は、「多数の船が錯綜する海域で、なぜこのような拙劣な人たちが、第7艦隊のイージス駆逐艦の操船を行っていたのか」という点です。米国海軍の劣化が疑われても仕方ないでしょう。
-引用以上 第2の事故についてはブログ記事をご覧ください。---------

運輸安全委員会報告には、当事者についての記述があります。フィッツジェラルド(B船)側については、
④ 艦長B 男性 2015年11月にB船に副長として乗艦し、アメリカ合衆国にて数か月の訓練を受け、2017年5月13日艦長に就任した。
⑤ 当直士官B1(事故発生時の操船指揮者) 女性 2013年8月士官訓練センターを経てアメリカ合衆国海軍に入り、B船は2隻目の船舶であった。B船には2016年5月に乗艦し、2017年1月航海士官に就任した。
⑥ 当直士官B2 女性 2012年にアメリカ合衆国海軍に入り、B船は5年間で3隻目の船舶であった。
⑦ 当直士官B3 男性 2016年10月にアメリカ合衆国海軍に入り、海軍士官候補生学校を2017年1月に卒業し、B船に乗艦した。

B1がOfficer on the Deck(当直士官)、B2がJunior Officer on the Deck(副直士官)でしょうね。B3(男性)は海軍士官候補生学校卒業の経歴がありますが、B1、B2(ともに女性)にはありません。どのようなキャリアを経て、当直士官、副直士官に上り詰めたのでしょうか。

それにしても、事故の半年後には米国海軍作戦部からほぼ今回と等しい報告書が出ているのに、それから2年が経過して運輸安全委員会報告が出されるのはどういったいきさつがあるのでしょうか。
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スイスの旅(3)アイガー~ユングフラウ

2018-07-22 16:42:57 | 知的財産権
ヨーロッパアルプスの著名な山々は、スイス・フランス・イタリアの各地に散らばっています。今回はそのうちの2箇所を巡っています。1箇所目は、前回紹介したツェルマット周辺とマッターホルン、そしてモンテローザ山群でした。
次の目的地はクライネシャイデック、アイガーとユングフラウを主な峰としています。

6月19日に、ツェルマットからクライネシャイデックに移動しました。
[特急]ツェルマット10:13-11:22フィスプ11:28-11:53シュピーツ
[トゥーン湖の船旅]シュピーツ12:28-13:49インターラーケン・ヴェスト(西)
[登山電車]インターラーケン・オスト14:35-クリンデルヴァルト-15:19クライネシャイデック(山岳ホテル泊)

下の写真は、グリンデルヴァルトに到着する直前に車窓から撮ったアイガーです。写真の右半分がアイガー北壁、左半分は、北壁とのつながりがよくわからないのですが、北壁に連なる山稜です。

アイガー北壁

6月20日、クライネシャイデックの山岳ホテル1泊目が明けました。朝5時過ぎに目覚ましをかけています。窓から外を見ると、一点の雲もない晴天です。身支度をして、一人でホテルを出ました。

もう日の出が近いというのに、付近には人っ子一人いません。マッターホルンのモルゲンロートとはえらい違いです。
ホテル前の丘に登ります。360°の景色が広がっています。眼前にアイガー北壁、右に目を転じればメンヒ、さらに右にユングフラウ、その右の真っ白い三角はシルバーホルンです。
朝のこの景色を、私一人が独占しているのです。
アイガー山頂とメンヒ山頂直下の壁に朝日が射しました(下写真)。いずれも、北壁に対して東から日が当たっているので、昨日のマッターホルンのようなダイナミックさはありません。カメラが記録した時刻(現地時間)を写真の横に記しました。
        アイガー                       メンヒ

5:32

5:32
アイガー北壁

ユングフラウ山頂とシルバーホルン山頂にも陽光がが届きました(下写真)。
          ユングフラウ                             シルバーホルン

5:38

そして、私が立っている丘にも朝日が昇ってきました(下写真)。太陽の右横の絶壁の上の頂は、ヴェッターホルン(英語で言えばウェザーホーン(天気岳))、写真の右端はアイガーの頂です。

5:40

本日はユングフラウヨッホに出かけます。
ここクライネシャイデックは標高2000m、そして登山電車で行くユングフラウヨッホは標高3400mです。ヨッホはドイツ語で“肩”の意味で、ユングフラウとメンヒの山の間の峠の意味でしょう。下の写真は、登山電車の窓から撮ったユングフラウです。左1/4付近の肩の部分に建物が見えます。そこが今回の目的地です。
         ユングフラウヨッホ                    ユングフラウ


    シルバーホルン


登山電車の最初の停留所がアイガーグレッチャー、その先は、アイガーとメンヒの山腹をくり抜いたトンネルです。途中、アイスメーアで停車します。電車を降りて地下道を行くと、山腹をくり抜いた窓があります。そこからの景色(東方)が下の写真です。
←ヴェッターホルン
ミッテルホルン                  シュレックホルン              フィッシャーホルナー?

[東方]                フィッシャー氷河

登山電車終点のユングフラウヨッホに到着しました。
ここには展望箇所が2箇所あります。一番高い所にある展望台、スフィンクス・テラスと、ヨッホ(肩(峠))の雪原です。最初は峠の雪原に出ました。

下の写真、ふもとには小さくクライネシャイデックの駅とホテルが見えています。

[北方]

雪原を後にし、施設内に入ります。エレベーターで上がったところが、スフィンクス・テラスです。標高は3571mとあります。屋内からも展望できるし、屋外も360°の展望が楽しめます。本日は天候が良好なので、屋外からの展望です。
                      メンヒ

[東方]


[北方]
                                            メンヒ

[東方]
                ロッターホルン             ユングフラウ

[西方]
      フィーシャーガーベルホルン              ドライエックホルン    アレッチホルン

[南方]                  アレッチ氷河
                        セルバドン            ハイゼンホルン
                                エッジズホルン

                      アレッチ氷河

ここで、人間が写り込んでいる写真を2枚掲載します。いずれもスフィンクス・テラスから撮影しました。ユングフラウヨッホに豆粒のように見える人、アレッチ氷河のトレールをたどる小さな人と駐機しているヘリコプターの大きさに注目してください。ヨーロッパアルプスの山容があまりに大きいので、つい近くの風景と思い違いしてしまいます。
         ユングフラウ

                            ユングフラウヨッホ
          トルーグベルク           フィーシャーガーベルホルン

                        アレッチ氷河

ずっと眺めていたい景色ですが、帰りの登山電車の時間が決まっています。
乗車する登山電車の出発時刻です。
電車は元来たトンネル内を通過し、トンネルから出たところにある停留所、“アイガー・グレッチャー”で降車します。ここから、登山電車一駅分を歩いて下るのが、本日のハイキングコースです。
このハイキングコースから見上げるユングフラウとメンヒ、そしてそれらの山から下っている氷河の景色は、絶景でした。
                         メンヒ


                  ユングフラウ                      シルバーホルン


             ラウバーホルン                 チェッケン

                               ファルボーデンゼー
上の写真、手前に池(ファルボーデンゼー)、そのむこうにクライネシャイデックの登山電車駅とわれわれの宿泊しているホテルが見えます。
ここから見えるアイガーは、西壁が見えており、ここからでは北壁が見えません。
                    アイガー西壁


                                  メンヒ


《槇有恒氏とミッテルレギ小屋》
歩いていると、下の方に小さな建物が見えます(下写真)。小屋のある丘と、対岸の村との間は、大きくえぐれた谷が隔てています。氷河の浸食によるものでしょう。


小屋の前まで来ました。

この小屋は、日本の登山家である槇有恒(まきゆうこう)氏にゆかりの小屋だそうです。現在、小屋の中に入ることはできません。入口のガラスを通して中を見ると、この小屋が使われていた当時を再現しているようでした(左下写真)。右下写真は、槇有恒氏に違いないでしょう。
 
 小屋の内部                         槙有恒氏の写真

ウィキによると、槇有恒氏は1921年(大正10年)、グリンデルヴァルトの登山ガイド3名と共にアイガー東山稜(ミッテルレギ)を初登攀しました。その記念として3年後に1万スイスフランを寄贈してミッテルレギ小屋(en)を作ったそうです。
ネット記事によると、「2001年 ミッテルレギ小屋2号が建てられた際小屋1号をアイガーグレッチャー駅の近くに移動。その後、2011年に現在の位置(ハイキングコース)に移動させました。」とあります。

下の写真は、われわれが宿泊しているホテルの廊下に飾られている写真です。“Yuko Maki 10 Sept. 1921”と署名されています。


             アイガー(北壁(左)と西壁(右))

                       ファルボーデンゼー
ハイキングは、ファルボーデンゼーに到着した。ここまで来ると、アイガーは北壁を見せ始めます(上写真)。
北壁をアップで捉えようとしましたが、タイミングが遅すぎました。雲が出始めたのです(下写真)。
                   アイガー北壁


p.s.ユングフラウ、メンヒ、アイガーの3山全体の写真を撮り忘れていました。ウィキペディアに転載できる写真がないか調べたところ、下の写真に到達しました。すごい写真です。特に、高精細で見たときの細部がすごいです。撮影者に感謝します。
ヴェッターホルン              アイガー     メンヒ      ユングフラウ  シルバーホルン

グローセシャイデック                        クライネシャイデック      
Photographer: Armin Kübelbeck, CC-BY-SA, Wikimedia Commons

アイガー北壁については、別に記すこととします。

戻る                            続く
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普天間第二小の校庭に米軍機窓枠落下

2017-12-16 18:43:10 | 知的財産権
沖縄タイムス+プラス ニュース2017年12月14日 06:29
米軍ヘリ窓、普天間第二小に落下 体育の授業中 1人痛み訴え
『13日午前10時8分ごろ、米軍普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリの窓が宜野湾市立普天間第二小学校の運動場に落下した。宜野湾署によると窓は約90センチ四方の金属製の外枠があり、重さは約7・7キロ。アクリル製とみられる透明板が現場に散乱した。発生時は体育の授業中で児童54人が運動場におり、十数メートルの距離にいた小4男子の左肘に風圧で飛んできた物が当たり痛みを訴えた。喜屋武悦子校長は「許しがたく、憤りを感じている」と述べ、沖縄防衛局に米軍機が同小上空を飛行しないよう求めた。』

私は東京住まいですが、2014年3月19~22日にかけて家族で沖縄旅行し、そのときに普天間第二小学校を見に行きました。このブログの「沖縄訪問(1)」(2014-03-30)で記事にしました。
そのときの訪問先として、私が唯一希望したのは普天間第二小学校の訪問です。
旅行中、レンタカーを借りました。3月21日、万座のホテルを出て那覇に到着する途中、万座と那覇との中間に位置する普天間基地を訪問したのです。
下の地図の中心「+」に普天間第二小学校が位置しています。

普天間基地は北東から南西に延びており、普天間第二小学校は基地の北の端に食い込むようにあります。上の地図の左下にある「地図」をクリックするとgoo地図に移動できます。ここで「航空」を選んで航空写真で見てみると、普天間基地と普天間第二小学校の位置関係が明確になります。

さて、我々は普天間第二小学校の正門に到着しました(下写真)。
  
小学校正門                    正門付近から普天間基地方向を望む

静かです。
その日は日本の祝日(春分の日)でしたが、米軍基地も訓練お休みなのでしょうか。航空機の発着は一切ありませんでした。
右上写真は、正門前から南西方向を撮影したものです。この先に、普天間基地が存在しているはずですが、樹木に遮られて基地の施設を見ることはできません。

私がなぜ、普天間第二小学校を見に行きたかったか。訪問時からさかのぼることさらに3年前、2011年11月に以下の記事を書きました。
前宜野湾市長がケビンメア氏を名誉毀損で刑事告発」2011-11-07 以下に再現します。
--2011年記事抜粋------------------
ケビンメア著「決断できない日本 (文春新書)」については、10月9日にこのブログで紹介しました。その中で普天間問題について
『普天間基地の近くには小学校もあり、(宜野湾)市長はいつも小学校が危ないと心配していました。日本政府はこの小学校を移転させようとしたのですが、驚くべきことに移転に一番反対していたのが市長だというのです。かれはこの小学校の危険性を政治的に利用したのです。』
と紹介しました。
この問題で、前宜野湾市長だった伊波洋一氏が、2011年10月26日、メア氏について、名誉毀損容疑で那覇地検に告訴状を提出したというニュースが流れました(前宜野湾市長、「本に虚偽記載」とメア氏を告訴)。この中で、メア氏は読売新聞の取材に対し、「本の記述は事実で、告訴は不当だ」と語ったそうです。
前宜野湾市長(市長在籍2003年4月~2010年10月)が、市長時代に小学校の移転問題にどのように取り組んでいたのかという点については「事実問題」ですから、直ぐにでも真相が明らかになると思っていたのですが、その後何も報道されません。
そこで、ネットで調べることにしました。

メア氏は勝訴する!」には、『那覇支局長に着任間もない宮本雅史支局長の渾身の記事を先ずはご覧下さい。』として産経新聞の「【揺らぐ沖縄】児童の安全より反対運動優先か 基地隣接の小学校移転(2010.1.9 23:26)」を参照しています。
『米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)に隣接し、ヘリ墜落など事故の危険にさらされてきた同市立普天間第二小学校(児童数708人)で、これまで2回、移転計画が持ち上がったが、基地反対運動を展開する市民団体などの抵抗で頓挫していたことが9日、当時の市関係者や地元住民への取材で分かった。市民団体などは反基地運動を展開するため、小学生を盾にしていたとの指摘もあり、反対運動のあり方が問われそうだ。(宮本雅史)
普天間第二小は、昭和44年に普天間小から分離。南側グラウンドが同飛行場とフェンス越しに接しているため、基地の危険性の象徴的存在といわれてきた。
移転計画が持ち上がったのは昭和57年ごろ。同小から約200メートル離れた基地内で米軍ヘリが不時着、炎上したのがきっかけだった。
当時、宜野湾市長だった安次富(あしとみ)盛信さん(79)によると、それまでも爆音被害に悩まされていたが、炎上事故を受け、小学校に米軍機が墜落しかねないとの不安が広がり、移転を望む声が地域の人たちから沸き上がったという。
安次富さんらは移転先を探したが確保できなかったため米軍と交渉。約1キロ離れた米軍家族用の軍用地のうち8千坪を校舎用に日本に返還することで合意。防衛施設庁とも協議して移設予算も確保した。
ところが、市民団体などから「移転は基地の固定化につながる」などと抗議が殺到した。安次富さんは「爆音公害から少しでも遠ざけ危険性も除去したい」と説明したが、市民団体などは「命をはってでも反対する」と抵抗したため、計画は頓挫したという。
同市関係者は「市民団体などは基地反対運動をするために小学校を盾にし、子供たちを人質にした」と説明している。

その後、昭和63年から平成元年にかけ、校舎の老朽化で天井などのコンクリート片が落下して児童に当たる危険性が出たため、基地から離れた場所に学校を移転させる意見が住民から再び持ち上がった。だが、やはり市民団体などに「移転せずに現在の場所で改築すべきだ」と反対され、移転構想はストップした。
当時市議だった安次富修前衆院議員(53)は「反対派は基地の危険性を訴えていたのだから真っ先に移転を考えるべきだったが、基地と隣り合わせでもいいということだった」と話す。別の市関係者も「多くの市民は基地の危険性除去のために真剣に基地移設を訴えたが、基地反対派の一部には、米軍の存在意義や県民の思いを無視し、普天間飛行場と子供たちを反米のイデオロギー闘争に利用している可能性も否定できない」と指摘している。』

上記「メア氏は勝訴する!」と同じ方の「人間の盾に小学生を!普天間移設の真相(2010-01-11)」には、『昨日の沖縄タイムスの一面を飾った下記引用の写真は、普天間移設問題ですっかり時の人となった伊波宜野湾市長の得意のポーズである。』として、写真(伊波洋一宜野湾市長(左)の説明を聞く平野博文官房長官=9日午後、宜野湾市・普天間第二小学校)を掲載しています。
『伊波市長の知事選への野望はさておいて、上記のように伊波知事が普天間基地の紹介をするとき、その舞台になるのが、定番ともいえる普天間第二小学校である。
「世界一危険な米軍基地」と、そこに隣接する小学校。
左翼勢力にとってこれほど絵になるおいしい場面はない。
普天間第二小学校はいわば「米軍基地反対運動」の象徴的存在でもある。
「住宅密集地の真中にある米軍基地」と聞くと、住宅密集地に米軍が割り込んできて強引に基地を作ったという印象を受ける。
だが、実際は原野の中にできた米軍基地の周辺に、後から住民が集まってきて住宅街を作ったというのが普天間基地の実態である。』

伊波前宜野湾市長「メア氏を告訴」』には、
『去年、民主党の前幹事長岡田氏が、普天間第二小学校を移転するなら国が金を出すと発言したことがある。しかし、すぐに普天間の議員から反発が出て、発言を打ち消した。宜野湾市が移転を希望するなら国が金を出すというのは暗黙の了解あるようなものである。そして、宜野湾市の革新系の政治家が移転に反対しているのは事実である。』とあります。岡田氏が学校の移転について述べたのは2010年12月8日のようですから(岡田氏「政治の役割」 普天間第二小移転案)、伊波氏が宜野湾市長を辞めた後ですね。直後の1月には、県民の受け止めに敏感に反応したためか「移転の考えはない」と考えを翻しています(「信頼構築」空振りに 岡田幹事長来県)。

以上から、(歴代、前伊波)宜野湾市長と宜野湾第二小学校移転問題との関連は以下のような事実は明らかであるようです。

1.昭和57年(1982)頃、安次富盛信市長の時代に、小学校を移転する計画が実行の直前まで進捗しながら、市民団体の反対によって頓挫した。
2.伊波市長は、普天間第二小学校を「危険な小学校」として宣伝材料に使っていた。
3.伊波市長が、普天間第二小学校を移転しようと動いた形跡はない。
4.伊波市長辞任後だが、民主党幹事長が小学校移転について肯定的に語り、その後否定に転じた。

それでは、ケビンメア著の問題箇所と対比してみましょう。
『普天間基地の近くには小学校もあり、宜野湾市の伊波前市長はいつも小学校が危ないと心配していました。日本政府も放置できず、この小学校を移転させようとしました。
ところが、驚くべきことに移転に一番反対していたのは伊波氏でした。はっきり言って、かれはこの小学校の危険性を政治的に利用していました。この小学校がなくなれば、基地に反対する材料が減ると思い、移転に反対していたのです。普天間基地は自分を政治的に引き立ててくれる存在というわけです。「基地のない沖縄」を標榜する革新系地方政治家の正体がこれなのです。』

私が調べた範囲では、「伊波前市長は小学校が危ないと心配していたが、移転しようとした形跡はない」ということです。「伊波市長は移転に反対していた」という情報まではありませんでした。
ところで、伊波市長辞任後ですが、当時の民主党岡田幹事長が「普天間第二小学校の移転に積極的に関与する」旨の発言をしたところ、「県民の受け止めに敏感に反応」して考えを翻した、という経緯があるようです。そうとしたら、市長が伊波氏であっても、やはり地元と同じ意見、即ち「移転に反対」という意思を有していた可能性は十分にありそうです。
--2011年記事終わり------------------

今回普天間第二小学校で検索したら、上記のストーリーとは反対の記事がありました。

「普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?【誤解だらけの沖縄基地】((上)(中)(下)

私は普天間基地関連では、以下のように対処すべきだろうと考えています。

《短期的対応》「普天間第二小学校を安全な場所に移転する」
まずは子どもたちの安全を優先すべきです。
一方、普天間に住む一般市民も危険にさらされています。
《中期的対応》「普天間基地を辺野古へ移転する」
普天間と辺野古の人口密集度合いを考えれば、どちらが安全かは明らかです。
《長期的対応》「中国の軍事力拡大で米軍の沖縄拠点は安全でなくなる。海兵隊の拠点をグアムなどの後方に引き下がる」
長期的対応を早期に実現したいがために、中期的対応や短期的対応を行わない、ということではないでしょう。
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PCT出願でのイメージデータの取り扱い

2015-10-17 10:57:15 | 知的財産権
PCT出願を電子出願で行う場合、表や図面をイメージとして取り込みます。このとき、どのようなルールが適用されるのか、よくわからないところがあります。そこで、わかる範囲で調べてみました。
PCT-RO・XMLコンバータ操作マニュアル 2.2.1 書類で使用できるイメージには以下のような記載があります。
------------------------
使用できるイメージファイルの規定
200dpi、300dpi、400dpi
mm換算・・・・・・・170×255mm
400dpi時・・・・・・2677×4015ドット
(横:2007ドット、縦:3011ドットを超えると400dpiであると認識される)

イメージ形式
PNG、GIF、BMP (モノクロ2値)
JPEG(JFIFのみ)(グレースケール)

PNG、GIFがモノクロ2値でない場合は、PCT-RO・XMLコンバータで警告され、モノクロ2値に変換されます。
BMPの場合、モノクロ2値でない場合は、エラーになります。
図面と要約書にJPEGが含まれていると警告が表示されます。これは、国際公開時にイメージがJPEGのグレースケールからTIFFの2値へ変換され、イメージが不鮮明になることに対する警告です。明細書・請求の範囲・要約書・図面の写真などのイメージは、PNG、BMPまたはGIF形式のモノクロ2値で作成した上で、確認することをお勧めします。(モノクロ2値でもディザをかけることで、擬似階調表現が行えます)。
------------------------
ほぼ、国内出願と同じ要領で、イメージファイルを使用できることがわかります。イメージの最大寸法は、幅が170mm、高さが255mmです。

ところが、電子出願ソフトでイメージを読み込み、PCT明細書としてpdfファイルを作成し印刷してみると、イメージの大きさが種々の縮尺率で縮小されることがわかりました。そこで、どのようなルールでイメージの縮小がなされるのか、実際に種々の寸法のイメージを用いてテストしてみました。
横:2007ドットを超えるイメージのみを用いることにより、400dpiであると認識させました。
pdf明細書として印刷してみると、以下のようなルールで縮小されているようです。

(1)図も表も、まずは一律に約95%の大きさに縮小される。
(2)表については、上記縮小後の幅が約140mmを超える場合、幅がさらに約140mmになるように縮小される。

従って、表について、幅を限度ぎりぎりの170mmで作成すると、それが140mmまで縮小されるのですから、縮小率は82%となります。大量のデータを盛り込んで、比較的小さなフォント(例えば9ポ程度)を用いていたとすると、さらに縮小されるので読みづらくなってしまいます。

以上のようにだいたいの動きがわかってきたので、最後の詰めとして、正確にはどのようなルールでイメージの縮小が行われているのか、特許庁に電話で確認してみました。そうしたところ、「PCT電子出願ソフトのこの部分については、WIPOから提供されたソフト部品をそのまま用いているので、実はどのような動作をしているのか日本特許庁でも正確には把握できていない」との回答でした。

私は、国内出願のデータを用いてPCT出願を行う場合、以下のように気をつけています。
(1)図面については、国内出願の場合は公報段階で約50%まで縮小されることから、もともと大きなフォント(14ポ)を用いています。従って、PCT公報で95%に縮小されても問題ありません。つまり、国内出願用図面がそのまま使えます。
(2)表については、国内出願の場合は公報段階で(ほとんど?)縮小されません。そのため、国内出願用の表については、データが盛りだくさんの場合には小さなフォントを使うことがあります。従って、PCT出願時にさらに縮小されると公報で読みづらくなります。国内出願の表で幅が147mmを超える場合には、さらなる縮小を防ぐため、表をさらに分割して幅が147mm以内に収まるように作り直しています。
(3)国内出願用にJPEGグレースケールで作成したイメージについては、フォトショップを用いて、ティザ処理によってBMPの白黒2値イメージに変換し、用いています。
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プロダクト・バイ・プロセス・クレーム 最高裁判決

2015-06-07 21:53:05 | 知的財産権
3年前、202年1月27日、プロダクト・バイ・プロセス・クレームの特許に対して知財高裁大合議判決が出されました。
今年6月5日、当該知財高裁大合議判決に対する上告審の最高裁判決が2件、出されました。いずれも「原判決を破棄する。本件を知的財産高等裁判所に差し戻す。」との主文です。

最高裁判決の結論
平成24年(受)第1204号 特許権侵害差止請求事件
(特許発明の技術的範囲の認定)
『物の発明についての特許に係る特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されている場合であっても,その特許発明の技術的範囲は,当該製造方法により製造された物と構造,特性等が同一である物として確定されるものと解するのが相当である。』

平成24年(受)第2658号 特許権侵害差止請求事件
(特許発明の要旨の認定)
『物の発明についての特許に係る特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されている場合であっても,その発明の要旨は,当該製造方法により製造された物と構造,特性等が同一である物として認定されるものと解するのが相当である。』

上記判決の結論だけ見ると、『最高裁判決は、プロダクト・バイ・プロセス・クレームの解釈について、技術的範囲、要旨認定のいずれでも、「結果物特定説」を採用したな』との理解でおわることになります。

実は今回の最高裁判決、特許実務において、上記結論以外の部分で、きわめて大きな解釈変更がなされているのです。

平成24年(受)第1204号》判決5ページ12行
『物の発明についての特許に係る特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されている場合において,当該特許請求の範囲の記載が特許法36条6項2号にいう「発明が明確であること」という要件に適合するといえるのは,出願時において当該物をその構造又は特性により直接特定することが不可能であるか,又はおよそ実際的でないという事情が存在するときに限られると解するのが相当である。』

「出願時において当該物をその構造又は特性により直接特定することが不可能であるか,又はおよそ実際的でないという事情が存在する」のでない限り、プロダクト・バイ・プロセス・クレームは、「明確性違反」ということで拒絶・無効になるというのです。

平成6年に特許法第36条が改正され、その結果として、プロダクト・バイ・プロセス・クレームの作成は原則として許容されるようになったと解釈されています。
平成7年10月発行の「解説 平成6年改正特許法の運用」の42ページに,
『(2)製法による物の特定を含む請求項(プロダクト・バイ・プロセス・クレーム)について
生産物、その製造方法によって特定しようとする記載を含む請求項の場合にも、35条6項2号の趣旨を踏まえると、単に製造方法によって物を特定しようとする記載があると言うことのみをもって36条6項2号に違反することは適切でない。
ただし、このような記載がある結果、特許を受けようとする発明を出願時の当業者が明確に把握できないことになる場合は、36条6項2号違反となる。特に、製造方法により生産物を特定しようとする記載がある場合は、発明の外延が不明確な場合に該当するおそれがあるので、注意する必要がある。』
と記載されていることを確認しています。

今回の最高裁判決は、平成6年改正法の解釈をひっくり返す内容になっているのです。

弁理士としての私の実務経験によると、特許庁の審査実務においては、プロダクト・バイ・プロセス・クレームを広汎に認める審査を行っています。「プロダクト・バイ・プロセス・クレームに補正すれば特許する」との補正の示唆を審査官から受けることもたびたびです。
そうして特許査定を得た特許が、大量に成立しています。ほとんどの場合、「出願時において当該物をその構造又は特性により直接特定することが不可能であるか,又はおよそ実際的でないという事情が存在する」との事情は存在しないでしょう。
今回の最高裁判例によると、このような特許は、今後無効審判で無効にされても致し方ない、というのです。

さて、この騒動、今後どのように進展していくのでしょうか。

なお、知財高裁大合議判決が出た当時の当ブログ記事を下記に示します。
知財高裁大合議判決「プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」の解釈
プロダクト・バイ・プロセス・クレームの記載要件
プロダクト・バイ・プロセス・クレームと特許発明の技術的範囲
プロダクト・バイ・プロセス・クレームと発明の要旨
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改正特許法等が成立?

2014-05-11 15:08:08 | 知的財産権
過去、特許法改正がこれほど話題にならなかったことがあったでしょうか。
本年度の特許法等の改正については、3月11日に特許庁のニュースリリースで、「「特許法等の一部を改正する法律案」が閣議決定されました」とアナウンスされたきりで、その後の国会審議の進捗は聞こえてきませんでした。

おかしいと思って検索したら、4月2日に参議院、4月25日に衆議院本会議で可決しており、すでに成立しているではないですか。

参議院・議案審議情報
特許法等の一部を改正する法律案(186回)
提出日 平成26年3月13日
参議院本会議経過
議決日 平成26年4月2日
議決 可決
衆議院本会議経過
議決日 平成26年4月25日
議決 可決


3月の特許庁のニュースリリースでは、改正法案について以下のように説明されています。
『 法案について
1.法改正の趣旨
「日本再興戦略」及び「知的財産政策に関する基本方針」(いずれも平成25年6月閣議決定)を踏まえ、我が国は、今後10年間で、世界最高の「知的財産立国」を目指します。この実現に向け、知的財産の更なる創造・保護・活用に資する制度的・人的基盤を早急に整備するための措置を講じます。
2.法案の概要
(1)特許法の改正
①救済措置の拡充
国際的な法制度に倣い、出願人に災害等のやむを得ない事由が生じた場合に手続期間の延長を可能とする等の措置を講じます(実用新案法、意匠法、商標法及 び国際出願法にも同様の措置を講じます)。
②「特許異議の申立て制度」の創設
特許権の早期安定化を可能とすべく、「特許異議の申立て制度」を創設します。
(2)意匠法の改正
「意匠の国際登録に関するハーグ協定のジュネーブ改正協定」(加入を検討中)に基づき、複数国に対して意匠を一括出願するための規定を整備し、出願人のコスト低減を図ります。
(3)商標法の改正
①保護対象の拡充
他国では既に広く保護対象となっている色彩や音といった商標を我が国における保護対象に追加します。
②地域団体商標の登録主体の拡充
商工会、商工会議所及びNPO法人を商標法の地域団体商標制度(※)の登録主体に追加し、地域ブランドの更なる普及・展開を図ります。
※地域団体商標制度とは、商標の登録要件を緩和し、「地域名+商品名」等からなる商標の登録をより容易なものとする制度。(現行法上、登録主体は事業協同組合等に限定。)
(4)弁理士法の改正
「知的財産に関する専門家」としての弁理士の使命を弁理士法上に明確に位置づけるとともに、出願以前のアイデア段階での相談業務ができる旨の明確化等を行います。
(5)その他
国際的な法制度に基づき特許の国際出願をする場合の他国の特許当局等に対する手数料について、我が国の特許庁に対する手数料と一括で納付するための規定の整備を行います(国際出願法の改正)。』

特許を扱う実務家にとっては、『「特許異議の申立て制度」の創設(復活)』が大きいでしょう。
詳細については、特許庁の新旧対照条文で明らかです。
ざっと異議申し立て制度の条文をチェックしたところでは、以前廃止になった異議申し立て制度がほとんどそのままの形で復活している印象を受けました。

なお、改正前において、無効審判請求は「何人も」請求可能でしたが、今回改正で、「利害関係人に限り」と明示で限定されることとなりました(特123条2項)。無効審判において、現在は同一特許について別人が起こした審判では一事不再理効が効きません。そのため、実質同一の会社が、自然人を請求人に立ててとっかえひっかえの審判を起こすことが可能であり問題だと考えていたのですが、今回改正で利害関係人に限定されることとなったので、その心配は消えました。
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前置解除後の審尋が原則中止に

2014-04-20 14:44:21 | 知的財産権
拒絶査定不服審判請求と同時に明細書等の補正を行うと、まずは前置審査にかかります。前置審査官が審査を行ってやはり拒絶理由が解消していないとなると、前置が解除され、その後、審判官合議体が審理を行います。

今まで、前置解除されると例外なく、審判長から出願人に対して「審尋」が行われていました。前置審査官による「前置報告書」が添付され、その前置報告の内容に対して意見があれば、「回答書」を提出しなさいという指令です。
前置解除通知が出願人に届いた後、審判の審理が開始されるまでにはタイムラグがあります。審理の順番待ちです。出願人は、審判官合議体に追加の意見を出したいとの希望を持っている場合も、順番が回ってくれば「審尋」が送られてくるので、それから回答書の準備すればいい、というスタンスでした。

ところが、今年3月28日、「ルールが変わった」というアナウンスが特許庁からありました。
前置報告を利用した審尋について
平成26年3月  特許庁 審判部
『平成26年4月以降は、これまで行ってきた、原則全件に対する前置審尋の運用を改め、前置審尋については、審判請求から審理を開始するまでに時間を要する技術分野など、前置審尋が有効な場合についてのみ行うこととします。』
『1.前置審尋を送付する対象
前置審尋の送付は、審判請求から審理を開始するまでに時間を要する技術分野の前置報告書が作成された事件を対象とします。
当面、前置審尋の運用を行う技術分野
医療、バイオテクノロジー関係の技術分野』

以上のアナウンスによると、要するに、「医療、バイオテクノロジー関係の技術分野以外の分野については、前置解除後の審尋を行わない」と読み取れます。

私はつい最近まで、このアナウンスに気づかなかったので、気づいてびっくりしました。

比較的最近に前置解除通知を受け取った案件があったので、IPDLの「審査書類情報紹介」で調べたところ、前置審査官による前置報告書をダウンロードすることができました。従って、審判官氏名通知を受け取る前でも、何らかの「上申書」を作成して提出しておくことは可能です。
また、「審判官氏名通知」を受け取った段階は、審判官の合議が速やかに終了する段階である可能性があり、もし意見を言いたいと考えているのであれば、審判官氏名通知を受け取ってすぐに審判長に電話し、「意見を言いたいので時間を与えて欲しい」とお願いする必要があります。

これからは、前置解除通知を受け取ったら、以下の3つのうちのいずれを採用するか、出願人と相談して決めなければなりません。
(1)審判官は決まっていないが、取りあえず前置報告書の内容に対する反論を審判長宛の上申書として提出する。
(2)審判官氏名通知を受け取ったら遅滞なく、審判長に「意見を言いたい」と連絡してお願いする。
(3)何もしないで審判官の合議に任せる。
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インターネット出願でJPEGファイルに[警告]

2014-01-12 18:06:28 | 知的財産権
特許出願の願書に添付する図面として、原則は白黒二値の図のみを用いることができます。例外として、顕微鏡写真などに限って、グレースケールの図を用いることも可能です。イメージデータとして、白黒二値はBMP又はGIF形式、グレースケールはJPEG形式に限定されています。
私は、グレースケールの図面を作成する場合、例えば最初の図面をアドビ・イラストレータで作成した場合、それをイラストレータ上で300DPIのBMPファイル(グレースケール)に変換します。次いでそのBMPファイルをアドビ・フォトショップ(Photoshop)で読み込み、Photoshop上でJPEGファイル(グレースケール)に変換します。このファイルを用いて、インターネット出願ソフトで読み取ることにより、電子出願フォーマットを作成することができます。
私はこの方法で、10年以上にわたって電子出願用の図面を作成してきました。

ところがこの秋、今までと同じようにPhotoshopでJPEGファイル(グレースケール)を作成してインターネット出願ソフトで読み込んだところ、警告が発せられました。
私が作成したJPEGファイルが、特許庁ソフトが認めているJFIF形式ではなく、認められていないExif形式だというのです。警告の上、出願ソフトの上でJFIF形式のJPEGに変換されたようです。
一体何が起こったのでしょう。

電子出願ソフトサポートサイトには、
ホーム>お知らせ> 手続について>イメージ
1.JPEGのイメージについて
『JPEGの標準フォーマット形式であるJFIFのみ対応しています。
Exif形式のJPEGの場合は、インターネット出願ソフトで警告され、JFIF形式のJPEGに変換されます。
(ご質問の多いソフトウェア)
・Adobe Photoshop CS5は、JFIF形式で保存できません。』
という記載がありました。

思い当たる節として、私はこの秋にパソコンをWindowsXPからWindows7に変更しており、その際、Photoshopのバージョンも変更したことです。XPマシンでは、Photoshop7を延々と使い続けてきました。10年以上になると思います。しかし7マシンではこのバージョンは使えないとのアナウンスだったため、最新のPhotoshopCS7をインストールして使い始めていたのです。Photoshopのバージョンの差により、作成されるJPEGの形式が異なった可能性があります。
Photoshop上の設定をあれこれ変更してトライしましたが、どうしても警告が止まりません。私は[警告]と表示された状態で特許庁に手続きすることは極力避けています。何とか出願ソフトに読み込ませる前にJFIF形式のJPEGに変換したいと考えました。

こうなったら、特許庁が認める形式に変換してくれる変換ソフトを探すしかありません。VectorのサイトでBatchGOO!というソフトを見つけました。JPEGだけでも、『JPEG,JPEG(プログレッシブ),JPEG2000(Part1),JPEG2000(Stream)』の4種類に対応しています。残念ながら、「JFIF形式」「Exif形式」という表現は出てきません。従って、JFIF形式で出力したか否かについては、最終的に電子出願ソフトで読み込んでみないとわかりません。
さっそくBatchGOO!を入手してトライしてみました。プレーンJPEG形式で試したところ、無事に出願ソフトは「正常」として受け入れてくれました。

とりあえずこれで問題は解決です。次回からは、アドビイラストレータなどでBMPファイル(グレースケール)を作成した上で、このファイルをBatchGOO!によってJPEGに変換することにより、問題なくグレースケールファイルで特許庁出願ソフトで読み込むことが可能になるでしょう。

しかし、PhotoshopCS6においてExif形式しかサポートしていないということは、世界的にすでにExif形式がデファクトスタンダードになってしまっていると思われます。特許庁も、古き時代の「JPEGの標準フォーマット形式であるJFIF」に固執するのではなく、Exif形式にも対応してほしいものです。
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切り餅訴訟と矢嶋雅子弁護士

2013-10-11 12:16:41 | 知的財産権
10月8日(火)日経新聞の1面に以下の記事が載りました。

特集連載『Wの未来』ここで生きる③
『スーパーキャリア』=可能性究め 後進に光=
ここでは、次の3名の女性にスポットを当てています。
○ 世界保健機関(WTO)のメディカルオフィサー・医師・進藤奈邦子氏(50)
○ 西村あさひ法律事務所・訴訟弁護士・矢嶋雅子氏(44)
○ 厚生労働省事務次官・村木厚子氏(57)
このうちの矢嶋弁護士について、記事は以下のように述べています。

『国内最大手、西村あさひ法律事務所の訴訟弁護士、矢嶋雅子(44)は今、「負けたら弁護士を辞める覚悟」で取り組む特許訴訟がある。矢嶋が疑問に思う判決を下した裁判長は、知財高裁所長に栄転したこの分野の権威。だが「どんな相手でも法律で戦える」。
・・・
もちろん常に裁判で勝てるわけではないことも承知している。それでも「納得いかないまま負けるわけにはいかない」と挑み続ける。』

現在の知財高裁所長といえば、言わずとしれた飯村敏明裁判長です。さて、いったいどんな訴訟なのでしょうか。調べた結果、「サトウの切り餅」事件らしいことが判明しました。

波乱の「切り餅」裁判、サトウ食品はなぜ負けた 2012年04月19日 東洋経済オンライン
『切り餅の切り込みの特許権を侵害されたとして、業界2位の越後製菓が業界首位のサトウに損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、知的財産高等裁判所は(2012年)3月22日、サトウに約8億円の損害賠償などを命じる判決を下した。サトウはこの判決を不服として、4月2日に最高裁へ上告手続きを取った。一審はサトウの完勝だったが、二審の知財高裁は昨年9月、中間判決の形でサトウの特許侵害を認めていた。
サトウ側は代理人弁護士を変え、新たに大量の証拠を提出して捨て身の挽回を狙った。
中間判決後にサトウの代理人に就任した西村あさひ法律事務所の矢嶋雅子弁護士は、「判決文には巧妙にサトウが不誠実に見えるように書かれた部分が多く、事実にないことまで記載がある」と憤る。
今回知財高裁は、弁論を1回開いただけで審理を終結。一審の記録と双方が追加提出した書面や証拠だけで逆転中間判決を出している。その原因と思われるのが、サトウによる「証拠偽造疑惑」だ。
サトウは一審で、「越後の特許出願の10日前から約1カ月間、イトーヨーカドー向け限定で、上下面十字プラスサイドスリット1本を加えた製品を発売していた。だから越後の特許は無効」と主張している。
これに対し、知財高裁は、その証拠として提出した餅が、当時製造した餅とはいえないとし、サトウの証拠偽造を疑う判断を中間判決で示した。サトウが証拠を偽造したという確信が、属否論に対する裁判官の判断に影響を与えた可能性は高い。
裁判官がサトウの証拠偽造を確信する原因となったであろうファクトは複数ある。提出した証拠も証人も、外部ではなく説得力の面で劣る社内のものであるなど、一審の立証に稚拙さがあったこともその一つ。
一方、中間判決後に提出した大量の証拠の中には、切り餅で競合するたいまつ食品の樋口元剛代表ときむら食品の木村金也代表の陳述書もあり、双方とも「問題の餅を研究のために購入した際、すでに1本のサイドスリットが入っていた」とサトウを擁護。つまり問題の餅は実在したとしている。さらに樋口氏は「越後も当時、問題の餅を確認していたはず」とまで言及した。
「中間判決後に提出した証拠は、中間判決の判断を覆す重要な証拠であるにもかかわらず、時機に後れたという理由で排斥した。訴訟活動の巧拙を理由に真実に目をつぶったも同然だ」と矢嶋弁護士は憤る。』

甘い訴訟対策は命取り、サトウは第2次訴訟で再逆転狙う~「切り餅訴訟」が残した教訓 2012年09月27日 東洋経済オンライン
『切り餅の表面に加えられたスリット(切り込み)の特許をめぐる、切り餅業界最大手・サトウ食品工業と、同2位・越後製菓の訴訟で、最高裁判所は(2012年)9月19日付で、サトウ食品側からの上告を棄却、上告受理申立を不受理とする決定を下した。
これでサトウの敗訴が確定。
第1次訴訟での二審の逆転敗訴は、一審での立証活動が不十分だったことが大きく影響している。二審では1回目の弁論で、裁判官が原告、被告双方に追加の主張がないことを確認して終結、判決期日を11年9月10日に決めている。
最終判決には、この1回目の弁論の際、中間判決を出すことを伝えたうえで、弁論を終結したという記載がある。が、なぜか当日法廷にいた関係者は、被告側のみならず、原告側までもが、弁護士も含めて誰一人として、知財高裁の逆転判決を示唆する重大発言が裁判官の口から出たことを記憶していない。
中間判決は、ほぼ一審の記録をもとに出されており、9月10日当日に出廷してみたら最終判決ではなく中間判決。しかも一審での立証のずさんさがたたってサトウはあえなく逆転敗訴に至り、同社は仰天したというわけだ。
慌てたサトウ側は弁護士を替え、遅ればせながら大量の証拠を出して巻き返しを図ったが、「時機に後れた主張」だとして無視されてしまった。
知財高裁での担当裁判官は、徹底した迅速な訴訟指揮で知られ、今春、知財高裁所長に就任した飯村敏明裁判官である。
飯村判事のクセをよく知る知財系弁護士や弁理士は、「飯村判事の不意打ちはいつものこと」「飯村コートに事件が回った時点で、一審の主張に穴がないかどうか、できることは全部やり尽くしているかどうかをチェックし直して1回目の弁論に臨むのが基本」だと口をそろえる。つまりは雇った弁護士が飯村判事のクセを知らなければその時点で「負け」というのが知財ムラの常識なのだという。
・・・
越後側はまた、今年(2012年)4月27日、最高裁の判断を待たずに新たな訴訟も起こしている(2次訴訟)。第2次訴訟では、それ(1次訴訟)以降の損害の賠償を新たに求めただけでなく、対象製品も、第1次訴訟の対象製品以外に拡大、総額19億円の賠償を求めている。
・・・
現在、東京地裁で第2次訴訟を担当している裁判官は、民事40部の東海林保裁判官である。』

私はかつて判例研究会で、切り餅事件の地裁判決(判決pdf)(被告:サトウ側勝訴)と知財高裁の中間判決(判決pdf)(原告:越後側勝利)の2つを同時に検討したことがあります。そのとき、地裁判決と知財高裁中間判決のどちらの結論を支持するか、私の中では結論が出ませんでした。それ程に、判断がどちらに転んでもおかしくない微妙な案件だった記憶があります。

そのときは気づかなかったのですが、知財高裁の中間判決は、たった1回の口頭弁論を行った後にいきなりなされたのですね。地裁判決を逆転する結論を出すのに、準備手続きも行わずにいきなりですか。これはやっぱりびっくり仰天ですね。
それも、口頭弁論にて「これにて口頭弁論終結」と言われ、「中間判決を出す」と言われなければ「終局判決」のはずで、“損害論”の弁論を経ていないということは、サトウ側の勝訴と誰もが思うでしょう。ところが出たのは中間判決。もし口頭弁論で「中間判決を出す」と聞かされていれば、サトウ敗訴がその時点で判明しますから、サトウ側代理人も打つ手があったでしょうに。

上記記事に
『飯村判事のクセをよく知る知財系弁護士や弁理士は、「飯村判事の不意打ちはいつものこと」「飯村コートに事件が回った時点で、一審の主張に穴がないかどうか、できることは全部やり尽くしているかどうかをチェックし直して1回目の弁論に臨むのが基本」だと口をそろえる。』
とありますが、ここまで配慮しなければ負けてしまうというのでは、代理人に酷すぎます。

しかし、知財高裁の「不意打ち判決」は珍しくありません。私も最近経験しました。主に相手側が不意打ちを食らった事例が多いですが。
私自身、知財高裁に提出する準備書面を作成する上では、「不意打ち判決」を最も危惧しつつ作成します。たとえ相手側が論点にしていなくても、裁判官が証拠を見て「証拠のこの部分が使える」と思ったら、いきなりその点を取り出して判決の主要根拠とする可能性があります。ですから、「どこかに裁判官が着目しそうなアナは残っていないか」よく検討し、すべての点について丁寧に主張・立証することを心がけています。

上記切り餅事件の(一次)訴訟は最高裁の決定も出て確定しています。そうすると、日経新聞で矢嶋弁護士がいう『「負けたら弁護士を止める覚悟」で取り組む特許訴訟』というのは、切り餅の二次訴訟のことですね。二次訴訟は、去年の4月に訴え提起されていますが、まだ地裁判決が出されていない模様です。民事40部の東海林保裁判官ですか。去年3月、東海林裁判官が知財高裁の裁判官だったとき、知財高裁の準備手続きで一度だけお目にかかったことがあります。

矢嶋雅子弁護士の活躍やいかに。しばらくは目が離せませんね。

なお、サトウvs越後、切り餅訴訟が“飛び火”~業界3位、きむら食品も巻き込まれる 2013年07月22日 東洋経済オンライン
伊藤 歩 :金融ジャーナリスト
という記事もありました。
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