弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

安倍総理靖国参拝

2013-12-29 15:57:27 | 歴史・社会
12月26日、安倍晋三総理が突然、靖国神社を参拝しました。
その前日、BSフジプライムニュースに小池百合子氏が登場しており、司会の反町氏が「総理が靖国参拝するとしたら、初詣、春季・秋季例大祭、終戦記念日と4回チャンスがありますが、まさか明治神宮と靖国神社のはしごなどしないでしょうね」と話題を振っていました。それを視聴していた我が家では、「首相は靖国に絶対参拝してはいけない」と会話していたこともあり、びっくりしてしまった次第です。

総理参拝はアメリカの意に反しているとは思いましたが、在日米大使館に続いて国務省報道官が「失望」と表明したのには驚きました。

靖国問題が前回燃えさかったのはたしか2006年でした。その後はあまり話題になりませんでしたが、7年後に再燃しました。
2006年にはこのブログで、昭和天皇のお言葉東郷和彦氏「靖国再編試案」東郷和彦氏「A級戦犯合祀問題」靖国神社に対する韓国の考え方中国が仕掛ける遊就館戦争で意見を述べました。
また、2009年には、靖国神社参拝と遊就館訪問靖国神社参拝と遊就館訪問(2)東郷和彦「歴史と外交」を挙げています。

私の意見では、靖国問題は不幸ないきさつの結果、答えを見いだすことのできない問題となっています。
○ 戦死した英霊たちは「死んだら靖国で会おう」と言い合って亡くなっているのですから、今更場所を変えることは困難です。
○ 戦後、政教分離によって靖国神社は宗教法人となり、政府の手から完全に離れました。神社の宮司が好き勝手に運営できます。A級戦犯合祀も、1978年に松平永芳宮司によっで行われました。
○ 中国は日中国交回復のとき、「悪かったのは日本の軍部であって、日本国民は悪くない」と自国民に説明しています。従って、今更「A級戦犯は悪くなかった」などとは絶対に認められません。
○ 現在の米国は中国を抑え込む力を有していません。一方中国は軍事力を増強し、近隣での覇権を狙っています。オバマ政権は中国と対決するのではなく共存を模索しており、「日本はとにかく中国を刺激しないでくれ」との方針です。
このような状況の中、うまい解決策など見つかりません。総理は、参拝を控えることしかできないはずです。昭和天皇は、A級戦犯合祀後は一切、靖国を参拝しませんでした。

私のブログ記事に東郷和彦氏が頻繁に登場しています。今回の安倍総理参拝に関しても、まずは東郷氏の見解が出るべきと思っていました。そうしたところ、12月29日の朝日新聞朝刊に「耕論 靖国参拝 信念の向こう側」として東郷氏が語っていました。

日本国民の半分以上は今回の安倍総理参拝を「よくやった」と評価していることでしょう。
日本国民の大部分は、第二次大戦中に日本軍が戦地の住民に対してひどい行いをしたことをほとんど知らないでしょう。「三光作戦」も知らず、「南京大虐殺は存在しなかった」と理解している人もいます。日本国民はまず、「実際には戦地でどのようなことが行われていたのか」をきちんと把握し、その原因を考える必要があります。それがないものだから、世界との距離が推し量れません。

「日本の安倍総理は、右傾の歴史修正主義者だ」という評価は、中韓のみならず、ひろく欧米でなされているようです。今回の靖国参拝でまたこの評価が定着することでしょう。
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子どもとおじいちゃん

2013-12-21 13:29:23 | Weblog
先日、二人の孫(4歳女子、2歳男子)とともに新宿の小田急デパートに出かけました。9階に子ども用品売り場があり、9階の一部が屋上にもなっていて(屋上広場)、すべり台が設置された遊び場になっています(9階フロアマップ)。屋上広場の一角にカフェプランツというオープンカフェがあり、まずはそこで昼食としました。

広場には複合すべり台が1台設置されているだけですが、小さな子どもが大勢元気よく遊んでいます。うちの2人の孫も喜んで遊び始めました。
すべり台はプラスチック製で、シュートの下もプラスチック製の壁になっており、その壁の一部に70センチ四方程度の四角い開口部が開いています。下辺はちょうど子どもの背でカウンターの高さになっており、お店屋さんごっこを想定したエリアであると想像できます。ネットで探したところ、こちらの写真を見つけました。右下の赤い部分です。
しかし、そこがお店屋さんごっこのスペースだと気づいている子は一人もいません。
ちょうどうちの孫たちがそのスペースの中に来たので、私が開口部の外に位置し、お店屋さんごっこを始めました。
「お子様ランチをください」「はいどうぞ」「ありがとう、むしゃむしゃ」
といった具合です。
すると、孫たちの後に、やはり4歳程度の女の子が興味深そうに眺めています。もう一人、女の子が来ました。2人ともおとなしそうな子たちです。そこで私の方からそのうちの1人に、「ジュースをください」と声をかけてみました。するとうれしそうにお店屋さんごっこに参加してくれたのです。
もう一人の女の子は恥ずかしそうにしていましたが、後にいたお母さんから「やってもらったら?」と励まされ、私も声をかけたところ、やはり参加してくれたのです。そのあと、うれしそうにその場を離れていきました。

それからしばらく、孫たちが広場で遊び回るのを見守りながらうろうろしていました。すると、先ほどのお店屋さんごっこスペースに女の子が2人、入ってきました。さっきの2人です。「さっき楽しかったので、もう一回やりたいのだろう」と想像し、私が客側のスペースに行って声をかけました。今度はもう恥ずかしそうではなく、私が注文すると店内で調理して手渡してくれるジェスチャーを見せてくれました。
そのとき、孫から呼ばれ、私はその場を離れることとなりました。

不思議なひとときでした。
小さな子どもが、よその知らないおじいちゃんと仲良く遊ぶなどと。
後から考えると、私からはきっと“優しいおじいちゃんオーラ”が発していたのでしょう。

つい4年前までは全くなかったのですが、4年前に孫ができて以来、私は突然「子ども好き」になったのです。自分の孫がかわいいのはもちろん、よその子も分け隔てなくかわいく感じるのです。
それまでは、子どもが近くにいると、「泣かれると面倒だ」との意識で目をそらすことが多かったのですが、今では逆で、電車の中などで赤ちゃん連れを見かけると、何とか笑ってもらおうとこちらから笑いかけます。うまく笑ってくれると、半日は幸福な気分になります。
小田急デパートの屋上広場でも、私の気持ちが子どもたちに通じたのでしょう。

「孫ができると子ども好きになる」というのは、私一人の現象ではなく、結構一般的らしいです。その特質を利用して、「孫を持ったおじいちゃんに、地域の子どもたちの面倒を見てもらう」という活動を始めた人がいると聞きました。

私のオーラがどの程度の効力を発揮するか、今後とも機会があれば試していくつもりです。
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原発汚染水問題と遮水壁

2013-12-18 20:16:08 | サイエンス・パソコン
今年になってから、福島原発事故の汚染水問題が大きくなりました。最初は汚染水タンクからの水漏れに始まって、そのうち、地下水脈に汚染水が到達して地下水が汚染されるので、遮水壁が必要との話に発展しました。

遮水壁??

事故が発生した2011年の春、すでに遮水壁の話は始まっていました。たしか5月か6月頃と思います。
原発の地下からの汚染流出を防止するため、原発の周囲の地下を壁(遮水壁)で囲う必要があるが、費用が膨大になり、たまたま東電の決算時期であり、この費用を計上すると東電が債務超過になるため、計画を表に出せないのだ、といった話が聞こえてきました。主に古賀茂明氏の発言だったと記憶しています。

それから2年、遮水壁の話はどのように進展してきたのか。突然表に浮上してきましたが、東電及び政府はきちんと計画を進めてきたのでしょうか。
2011年当時のことを紐解こうと思いましたが、自分のブログに記事にしていなかったため、記憶をたどることができません。

世界 2013年 11月号 [雑誌]に、民主党馬淵澄夫議員のインタビュー記事「汚染水問題は廃炉に向けた困難な作業の入口にすぎません」が掲載されました。
馬淵さんは事故後2週間後の2011年3月26日から6月27日までの約3ヶ月間、首相補佐官として福島原発事故対策統合本部で「放射線遮蔽」にあたりました。

2011年3月末、当然の類推として地下水汚染の可能性が考えられましたが、東電は「漏れていない」の一点張りでした。しかし調査すると地下水流乳の可能性が出てきました。
『今後、汚染水と地下水が混合するのを防ぐには、絶対に遮水壁がだ必要だと主張しましたが、東電は二の足を踏んでいましたね。たしかに1千億円規模のお金がかかるかもしれない大規模な土木工事が必要で、東電はすでに賠償と事故処理で債務超過の懸念があった。』
『6月13日には、武藤栄・東電副社長からも遮水壁設置の確約を取りました。当時1000億円とも言われていた建設費の費用計上に関しては、東電が債務超過に突き進むと資本市場が混乱しかねないと、東電が経産省にお願いに行き、政府として判断して、プレス発表では遮水壁建設は決定事項ではなく、あくまでも検討を始めるという言い方に変えています。私はこの文言の変更に関わっていないのですが、11日には壁の境界まで画定し、すでに計画実施段階まで進めていたわけですから、ここで後退するわけにはいかないと思いました。それで、武藤副社長に、公表内容の如何に関わらず「遮水壁の設置については遅滞なく進める」との確認を取りました。
そのとき4種類の工法を検討した結果、「鉛直バリア方式」を選定しました。コンクリートではなくベントナイトと呼ばれる鉱物が入った粘土を使い、地下30mの難透水層まで掘り下げて地下遮水壁を造り、原子炉建屋の四方を囲んで完全に遮断しようという案です。』
『65月末に内閣改造が行われて、私は首相補佐官の任を解かれました。・・・私にはその後政府内でどのような議論がなされたかはわかりませんが、2011年10月27日の東電発表で、陸側の遮水壁設置は効果がないとして見送るということになりました。』

『今年3月、茂木経産大臣に質問したのです。
・・・
経産大臣が事故収束についての責任を負う、と答弁させた上で、当時あまり注目されていなかった地下水への対応や地下遮水壁設置の必要性を訴えました。・・・結果、茂木大臣からは地下貯水槽は今後使わず、抜本的な対策を打つとの回答を引き出しました。それで、汚染水処理対策委員会ができて、そこでの審議の結果、抜本対策として地下遮水壁の設置が妥当とされ、その工法として凍土方式が選ばれたのですが、凍土方式についても問題があると、また指摘してきた--という一連の動きです。』

2011年春段階でのだいたいの経緯がわかってきました。ただし、馬淵議員が当事者から外れた2011年7月以降、どのような経緯で地下遮水壁計画が葬られたのかは不明のままです。

『東電でよくあったのは、物事がどこで止まっているとか、誰がひっくり返したかが明らかになっていかないんですね。忖度が連鎖しあって、結果的に正反対の方向に動く。この不作為による無責任の連鎖、これが一番の課題です。』

東電はそうだったかもしれませんが、政府は何をしていたのでしょうか。東電が遮水壁中止を発表した2011年10月というと、管政権から野田政権に移行した直後ですね。政府部内でも、原発の放射能汚染対策に十分に目が向かなかったということでしょうか。残念なことです。
馬淵議員を首相補佐官から解任したことに、民主党政権が当時抱えていた問題が垣間見えるのかもしれません。

漸く動き出した遮水壁建設ですが、馬淵さんは凍土方式に反対です。
『汚染水処理対策委員会の報告書では凍土でやるがうまくいかない場合は、ベントナイト等を用いる粘土の壁の検討が必要だと書いています。であれば、最初からそうすればいい。』

12月15日の日経朝刊に「原発の凍土壁 壮大な実験」という記事が掲載されています。
地下に凍結管を埋め込み、零下30~40℃でも凍らない塩化カルシウムなどの冷却液を通じて、総延長1400メートルの凍土壁を造るといいます。
まずは、汚染水がたまったトレンチを凍らせる工事で様子を見るそうです。

なぜ凍土壁を選んだのか。政府の汚染水処理対策委員会の大西有三委員長(関西大学特任教授)は「未知の配管などが地下に埋まっている可能性がある」と指摘し、配管のような障害物があると、粘土やセメントは下まで回りにくく、壁に隙間が空いて水が漏れる恐れがあるが、凍土壁なら地下の物体を回り込んで凍ると記載される、と言っています。
埋設配管による障害物が予想されるとしたら、そもそも凍結管の設置の方がよほど困難だと思いますが、どうなんでしょうか。
政府は、凍土壁の建設に320億円を投じ、運用開始は2014年度とのことです。さらに凍土壁がうまくいかなかった場合に備え、「予防的・重層的な対策」として、凍土壁の外側に別の壁を造る検討も始めた・・・ですか?
どうも計画がちぐはぐですね。しっかりしたリーダーが不在だとの印象を受けます。
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日経新聞「農協の功罪」

2013-12-16 22:10:15 | 歴史・社会
先日、『山下一仁著「農協の大罪」』をここで記事にしたばかりですが、12月15日の日経朝刊1面に
『転機に立つ農業 中 「農協の功罪」』
という記事が載っていました。

「功罪」というからには、「罪」だけでなく「功」も記載されているはずです。しかし、読んでみましたが、「罪」の話しか載っていませんでした。「功」に見えそうな文章としては、
『農協は農薬や農機具の購入、売り場の提供を通じて全国の農家を支えてきた。』があります。しかしこの文章は偽りです。私が山下一仁著「農協の大罪」を読んで理解した実態はというと、
『農協は、農薬を農家に高く売りつけ、米の販売手数料を高く徴収し、全国の農家から収奪してきた』が正しいです。高コストはすべて米価に反映するので、最終的に収奪されたのは農家ではなく米消費者ですが。

もう1点、
『優秀な専業を伸ばせば、手取り足取りは徐々に要らなくなる。』との文章があります。しかし、農協は営農指導などほとんどしていないといいます。農協はもっばら意欲のある専業農家の足を引っ張ってきただけです。

山下一仁さんの著書のように「農協の大罪」とすべきところ、マスコミは農協に遠慮しているのでしょうか、「農協の功罪」という表題となったわけです。

日経記事には、越前たけふ農協の活動が紹介されていました。この農協は、農産物の販売を柱とする経済事業を子会社に譲渡した結果、肥料をメーカーから直接仕入れられるようになり、米などは直接売れるといいます。
つい先日、テレビでもこの農協の活動を見ました。米はそれぞれ品質評価し、評価結果に基づいて値段を変えています。良い米を作れば高く売れるのです。他の農協ですと、どんなに高品質でも米は一律の値段でしか売ってくれません。この農協ブランドの米を購入している消費者は、「おいしい。味が違う。」といいます。この農協傘下の農家では、良い米を作れば高く売れるので、努力して良い米を作っているのでしょう。
「農協の既得権益を守る農協」ではなく、「農家と消費者のための農協」という至極まっとうな活動をしているのですが、おそらくこの農協は、農協中央からものすごい圧力を受けていると思います。テレビではこの農協を見学する他の農協の人が登場しましたが、「すぐにはできない」と言っていました。たけふ農協の富田隆代表理事組合長がえらいのでしょうね。これからもがんばってください。
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山下一仁著「農協の大罪」

2013-12-14 13:05:23 | 歴史・社会
ネット情報で、山下一仁著「日本の農業を破壊したのは誰か」がおもしろそうなので、渋谷図書館が借りようとしたのですが、大勢の順番待ちになっていました。そこで、とりあえずはその本を予約するとともに、同じ著者の以下の本を借りてみました。
農協の大罪 (宝島社新書)
山下一仁
宝島社
2009年1月発行
著者の山下一仁さんの経歴は、著書によると以下の通りです。
1955年生まれ。1977年東大卒、同年農林省入省、ミシガン大学にて応用経済学修士、農学博士、2008年農水省退職。
経済産業研究所、東京財団などの研究員。

著書の内容は、日本の農業が戦後どのようにして衰退の経路をたどってきたのか、その衰退に農協がどのような悪影響を及ぼしてきたか、といったことがらです。

以下、忘れないうちにポイントを列記しておきます。
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1960年から2005年までの農業の推移
 GDPに占める農業生産 9% → 1%
 農業就業人口 1196万人 → 252万人
 総就業人口に占める農業就業人口の割合 27% → 4%
 農家戸数 606万戸 → 285万戸
 専業農家 34.3% → 22.6%
 第二種兼業農家 32.1% → 61.7%

農業就業人口の減少の割には農家戸数が減少しておらず、現在では農業就業人口が農家戸数を下回っている。兼業農家が増加しているため。
専業農家といっても、65歳未満の男子のいる農家は全農家の9.5%にすぎない。
年齢別農業就労人口構成では、70歳以上が46.8%(08年)

フランスでは農家戸数は大きく減少したが耕地面積の減少はわずかだったため、農家の経営規模は拡大し、「フランス農業の栄光の30年」が実現した。しかしわが国では、農地が61年の609万ヘクタールから463万ヘクタールへと大きく減少した。しかも兼業化が進んだ。

日本における06年の農業総産出額は8.5兆円であり、パナソニック1社の売上額9.1兆円にも及ばない。パナソニックの従業員は30万人弱なのに、農業では、農家戸数は285万戸、農協職員だけで31万人、農協の組合員は約500万人、准組合員は約440万人もいる。GDPに占める農業の割合は1%にすぎないのに、日本の成人人口の1割が農協の職員、組合員、准組合員ということになる。

戦後しばらく、「食管制度」は消費者対策であった。ところが60年代以降、この食管制度が農家保護に転換され、生産者米価引き上げに使われた。

農協は、14000円の米価は17000円の米生産費を補っていない、と主張する。しかし、農協自体、ここから3000円もマージンを取っている。生産費のかなりの部分は、労働時間に他産業の労賃を掛けて出された計算上の労務費(5000円)である。本当のコストは物材費と呼ばれる部分で、14000円の米価に対して9000円。規模の大きい農家(5~10ヘクタール)では6000円程度である(2006年)。

生産者米価の引き上げの後を追って消費者米価の引き上げが行われた。
 1人1年当たり米消費量 62年で118kg → 06年で61kg
 米の総消費量 63年の1341万トン → 05年で874万トン

70年から減反が実施された。米の減反は現在では250万ヘクタールの水田の4割にあたる110万ヘクタールに及んでいる。

米以外の農業は、4割の農家で8割の生産をしている。しかし米は零細の兼業農家によって生産されている。
農協は、兼業農家がいなくなると日本の食糧供給が脅かされると主張するが、零細な兼業農家が農業をやめれば、主業農家が生産を拡大するので、食糧供給に不安は生じない。
逆に、兼業農家を維持しつつ減反強化に反対するため、単収増加のための品種改良は、国や道府県の研究者にとってタブーになってしまった。
現在、日本の米の単収は粗放的な農業を行っているカリフォルニアよりも3割も低い。

食管制度が維持されていたとき、農協は減反に反対していた。しかし95年に食管制度が廃止されてからは、米価は減反によって維持されている。今では減反を農協が支持している。
消費者には、減反がなければ60kg当たり9500円で買える米に、15000円という高い価格を支払わせている。カルテルを破っても得にならないよう、政府は毎年2000億円、累計で7兆円の減反補助金をカルテルに参加した生産者に税金から支出している。
減反の影響を最も強く受けたのは主業農家だ。結局、経営面積に応じた一律の減反面積の配分が実施され、主業農家への配分が加重されるケースも見られた。

この50年間で、現在の全水田面積に相当する250万ヘクタールを超える農地が消滅したが、その約半分は宅地や工業用地などへの転用である。

農業大国といわれるフランスでは、ゾーニングにより都市的地域と農業地域を明確に区分し、農地資源を確保するとともに、農政の対象を、所得の半分を農業から、かつ労働の半分を農業に投下する主業農家に限定し、農地を主業農家に対して積極的に集積した。これによって、食糧自給率は99%から122%へ、農地規模は17ヘクタールから52ヘクタール(2005年)へ拡大した。

農協法の施行は47年12月。わずか3ヶ月後の48年3月には、ほとんどの農協が設立を完了するというスピードだった。農協は、戦前の「農会(全戸加入)」を引き継ぐ形となり、全農家が半強制的に参加し、多様な事業を行う総合農協となった。

農協にとって、米価を高くすると、米の販売手数料収入も高くなるし、農家に肥料、農薬や農業機械を高く売れる。高い肥料や農薬、農業機械などの価格は、米価に満額織り込まれるので、農家に批判されることはない。
硫安の国内向け価格は、86年には輸出向け価格の3倍にまでなった。

農業の補助金は、農家個人には交付されず、複数の農家や農協が協同で行う機械、施設のみに交付された。大規模専業農家は補助の対象に入らない。フランスが、農政の対象を主業農家に限定したのとは逆の対応を取ったのだ。

農協法の1人1票制のもとでは、数のうえで圧倒的に優位に立つ兼業農家の声が農協運営に反映されやすい。
兼業農家は週末しか農業をしないので、雑草が生えると農薬を撒いてかたづけてしまう。
1年に1回しか使わない農業機械を、農家が1軒ずつ持つ必要はない。機械を共同購入して月曜から日曜まで順番に機械を利用すればコストは安くなる。しかし兼業農家は週末しか農業を行えないので、各戸ずつ農業機械を持たざるを得ない。
機械化は農業の兼業化を促進することとなった。兼業先でサラリーマンとして働くために機械を買ったのである。このような機械購入代金も生産者米価の算定上、コストとして織り込まれた。
独自の農協で、韓国から国内の2/3の価格で肥料を購入しているところがある。JAの飼料価格は市場価格の4割高だったという話もある。
しかし、全員一致、和の原理が基本の農村社会では、農家は農協から資材を購入することが事実上、求められることとなった。そうしない場合は、社会的制裁も覚悟する必要があった。

長野県川上村のレタス農家が有機栽培のレタスで自立しようと、農協から資材を買わず、農協を通さずに直接スーパーなどに出荷しようとしたら、農協はこれら農家の農協口座を閉じ、プロパンガスの供給を止め、共同利用の用水の使用を禁じ、文字通り「村八分」にした。こうした例は全国に無数にある。

現在(05年)、専業農家は23%、第一種兼業農家(農業の比率が多い)が16%、第二種兼業農家(農外所得の比重が多い)が62%となっている。専業農家のほとんどは、農外所得がなくなったため第二種兼業農家を卒業した高齢農家であり、65歳未満の男子生産年齢人口のいる専業農家は9.5%にすぎない。
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著書の後半では、「農協=自民党=農水省」のつながりを「農政トライアングル」と呼んで厳しく批判しています。しかし疲れてきたのでここは飛ばし、結論に行きます。
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わが国では現在、東京都の1.8倍の面積に相当する39万ヘクタールの耕作放棄が生じている。原因は、減反を強化しているにもかかわらず、この10年間で米価が60kg当たり2万円から14000円に低下するなどし、農業収入が減少しているからだ。
減反を段階的に廃止して農産物価格を下げ、影響を受ける農家に補助金を直接支払いしてはどうか。減反をやめれば、米価は60kg当たり約9500円に下がり、需要は1000万トン以上に拡大する。また米価が下がると、零細な農家はますます農地を貸し出すようになる。
こうして農地が集まれば、規模が拡大してコストが下がり、主業農家の所得が増える。
現時点で、米作主業農家の年間所得は664万円なのに、兼業農家の所得は792万円で、サラリーマンの所得を大きく上回っている(02年)。
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農協は強大な政治力を保持し、その農協が農業振興よりも自身の既得権益保持に突っ走ってしまったため、日本の農業はひどいことになっているようです。
この状況から脱出するために、日本の政治はTPPという外圧を利用せざるを得ないであろうと私は考えていました。そして、安倍政権はきっとTPPを外圧として利用するであろうと。
ところが直近、TPP交渉で日本は農業で1mmも譲歩しないと突っ張り、日米交渉の成立を阻みました。一体、安倍政権内で何が起こっているのでしょうか。
最近、安倍政権の硬直化が目立ちます。成長戦略の核であるべき規制緩和は見かけ倒しです。そのかわり、秘密保護法の成立は拙速に急ぎました。
結局、安倍政権の政策で役に立ったのは、金融緩和のみであるように思います。このままずるずると行ったら、「ちょっと待った」と言わざるを得ないのですが、それを言うべき野党がひどい体たらくです。
今回のみんなの党の分裂を奇貨として、野党のうちで政策を同じくする人たちが集結してくれるとありがたいのですが・・・。
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湯之上隆著「日本型モノづくりの敗北」

2013-12-04 23:09:24 | 歴史・社会
湯之上隆さんについては、前著「日本「半導体」敗戦」を読み、また、メルマガ「内側から見た「半導体村」 今まで書けなかった業界秘話」を愛読しており、湯之上さんの主張については「なるほど」といつも納得させられています。

その湯之上さんの最新作が以下の著書です。
日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ (文春新書 942)
湯之上隆
文藝春秋


メルマガ「内側から見た「半導体村」 今まで書けなかった業界秘話」のVol.040(2013/08/29発行)で、湯之上さんは零戦について言及しました。
零戦(1千馬力級エンジン搭載)は、昭和15年に登場した当時は、どの敵戦闘機も寄せ付けない圧倒的な強さを有していました。しかし、当時の航空機発達は日進月歩でしたから、遅くとも昭和17年の終わりころには、2千馬力級エンジンを搭載した新鋭機に道を譲るべきでした。ところが、日本は航空機エンジンが遅れており、優秀な2千馬力エンジンが量産されるのはやっと終戦間近になってからだったのです。そのため、とっくにリタイアすべき零戦が終戦まで酷使され、2千馬力級エンジンを搭載した米軍の戦闘機と戦い続けることとなりました。
しかしこのことは、零戦の責任ではありません。零戦の後釜を送り出すべきなのにできなかった日本航空工業界の責任です。
私は湯之上さんに、メールでこのことを伝えました。湯之上さんからは即座に、ご丁寧なお返事を頂戴しました。

さて、10月20日に発行された湯之上さんの上記著書「日本型モノづくりの敗北」では、どうも零戦にスポットライトが当たっているようです。そこで気になって、購入して読んでみました。
零戦に関しては「はじめに」に記載があり、その記載内容は、8月29日に発行されたメルマガの内容そのものでした。従って、私が湯之上さんに差し上げたメールは本の内容に影響していないようです。
まあしかし、太平洋戦争中の日本の工業力について、「零戦」とのキーワードに込めて語ることは、堀越二郎氏や「永遠の0」が脚光を浴びた本年であれば仕方ないことではあるでしょう。

さて、本の内容です。
今まで、メルマガで定期的かつ断片的に湯之上さんの論を拝読していましたが、上記の書籍を通読することで、まとめて全体を見渡すことができました。

○ 日本半導体メーカーは、大型コンピュータ用に製造した25年保証の高品質DRAMを、PC用にも転売した。そのDRAMは、PC用に対して、明らかに品質加除ヴ出会った。その結果、PC用に低コストDRAMを大量生産した韓国などにシェアで抜かれて、競争力を喪失し、DRAMビジネスから撤退することになってしまった。(63ページ)
○ エルピーダは日立とNECのDRAM部門が統合した。NEC相模原の開発センターで最新半導体を開発し、日立の量産工場で量産しようとした。しかし、日立の量産工場における製造装置の約60%がNEC開発センターの装置と異なっていたため、NEC開発センターで構築されたDRAMフローを日立の量産工場仕様に作り直すことが不可能であった。特に洗浄工程の違いが決定的であった。これが、エルピーダ設立から2年間でDRAMシェアを激減させた原因である。

○ NECと日立のエンジニアのモノの考え方は根本から相違しており、融合は不可能であった。そこで、2002年11月に坂本幸雄社長が就任した際、対立していた日立とNECに対して、「ここはNECだ、NECに合わせろ」と大号令をかけた。反発した日立の技術者はエルピーダを去った。(78ページ)

○ 湯之上氏は日立を退職して同志社大学の教員となり、最初の研究対象にエルピーダを選んだ。
2002年に坂本社長に交代したとたんに、エルピーダのDRAMシェアがV字回復した。2004年に(湯之上氏が)行った調査で、坂本社長が経営上の問題のほとんどすべてを解決したことがわかった。一方、技術者たちは、社長交代前後で比較すると「技術力が向上していない」と感じていることが明らかとなった。

○ エルピーダには、途中から三菱電機のDRAM部門も統合された。このとき三菱電機から来た技術者が、エルピーダ内で重要な役割を果たしていた。三菱特有のDRAM文化と技術力のおかげであった。
(エルピーダにおいて)『日立が新技術の研究開発を行い、三菱が開発センターでインテグレーション技術を担当し、NECが量産工場の生産技術に専念すればよかったということである。もし、そうしていれば、エルピーダは、おそらく世界最強のDRAMメーカーになっていたのではないだろうか。しかし、現実はそうはならなかった。本当に残念なことと言うしかない。』(86ページ)

○ 日本半導体メーカーとサムスン電子を比較すると、量産技術力についてはサムスン電子の方が圧倒的に優れている。
サムスン電子は、歩留りを向上させる可能性がないなら新技術は導入しない。ただし、過剰なまでに高歩留りを追求することはない。
サムスンが選定している製造装置のスループットはエルピーダの2倍である。

○ サムスン電子には、専任のマーケッターが230人もいる。最も優秀な人材をマーケッターに抜擢する。世界中に配置され、世界の動向からその国や地域での市場を予測し創造することが、マーケッターに要求される。

○ サムスングループには韓国中のエリートが殺到し、2万人もの新入社員が入社する。一方、40歳で部長になっていなければサムスンに残ることはできない。日々猛烈に勉強を続けなければならない。こうして選ばれた役員が、世界中から集まる情報を元に、即断即決で決めている。

○ ルネサスは、山形の最先端工場である鶴岡工場を閉鎖すると報道された。
『ルネサスが閉鎖を決めた鶴岡工場をNECが買収し、クアルコムのファンドリーとして(または自前の設計でもいいから)スマホプロセッサを製造したらいいのではないか? その能力はあるはずだと思う。
そして、NECブランドのスマホを作り、NTTドコモやレノボに挑戦状を叩きつけたらいいじゃないか。』(107ページ)

○ ルネサスは、マイコンの世界シェア1位(30%)、車載用マイコンECUに限れば世界シェアの42%を占めるマイコンメーカーであるが、その収益性は恐ろしく悪い。クルマメーカーの下の電装部品メーカー(1次下請け)、その下の2次下請け、さらにその下に半導体メーカーとしてのルネサスが位置づけられている。ルネサスは、価格は上から決められ、一方で「不良ゼロ」の製品を要求されている。
多くの2次下請けメーカーが半導体チップ製造の下請けとしてルネサスを選び、那珂工場で製造されていた。そのことをトヨタは知らなかった。この那珂工場が東日本大震災で被災し、ECUの製造が完全に停止した。
---以上---

20年以上前になりますが、私がシリコンウェーハメーカーの技術者だった頃、NECの鶴岡工場を営業で訪問したことがあります。たまたま8月末で、いただいた枝豆がとびきりおいしく、はじめて“だだちゃまめ”を知ったのです。
その鶴岡工場がNECからルネサスに移行し、その末に閉鎖されるということです。それも最先端の能力を保持しながら。湯之上さんに言わせれば、NECが鶴岡工場を買い戻せば十分に力を発揮するはずとのことです。
そうとしたら、結局ルネサスの凋落は経営の失敗ということになりますか。

こうそうするうちに、ルネサス鶴岡工場をソニーが買収するというニュースが流れました。ただし、ソニーは鶴岡でスマホ用のCMOSイメージセンサーを作ろうとしているようです。湯之上さんによれば鶴岡はシステムLSIの新鋭工場です。その特徴を生かさないのは残念なことです。
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川口マーン惠美著「不倫!」

2013-12-01 12:19:50 | 趣味・読書
川口マーン惠美さんについては、現代ビジネス『川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」』での評論をずっと読んでいますし、書籍では「ドレスデン逍遥」「国際結婚ナイショ話」「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」を読んできました。これら評論や著作に共通するのは、在住するドイツと祖国である日本とを比較した格調高い比較文化論です。一方、川口さんは2冊の小説を出しています。その2冊が「不倫!」「禁断」です。あの川口さんが、どのような不倫小説をものにしているのでしょうか。気になったので、図書館から借りてみました。
不倫!
川口マーン惠美
草思社

小説の主人公は、ドイツ人男性と結婚してドイツに住む日本人女性であり、芸術系の技能を持ち、3人の子どもがいます。その主人公が日本人男性との禁断の恋に落ちる様を描いたのが、「不倫!」です。
何ということでしょう。小説の主人公は、川口さんご自身とぴったり重なるではないですか。相違点は以下の通りです。
項目   主人公  著者
ご夫君 弁護士  技術者
居住地 ベルリン シュトゥットガルト
芸術系 画家   ピアニスト

これだけシチュエーションが共通すると、気になるのは、「この主人公は著者の分身なのだろうか。違うのだろうか。」という点です。

小説は最初から最後まで、主人公が不倫相手に送った手紙の形式です。
『ああ、絵だけ描いていられるならどんなに幸せでしょう。・・・毎日雑用に追われて、私は女中や運転手のようなことばかりしているのですもの。・・・
そのうえやっと時間を見つけて仕事を始めても、集中しかけると子どもに呼ばれるということを繰り返していると、・・・これが母親の勤めなのなら、私は今日かぎりで母親を辞めても悔いがないくらい。』
『今の私は、古くなったテーブルクロスを切り刻むみたいに、毎日無残に自分の時間を切り刻んでいます。ボロ布に変わったテーブルクロスはトイレ掃除と靴磨き用、そして細切れになった私の時間は、私の精神を素通りして、家のあちこちで霧散してしまうのです。』
ここの部分、著者の川口さんご自身が育児の真っ最中に上げていた叫びであるような気がしてなりません。

主人公38歳、不倫相手51歳(日本に住む日本人男性)。二人は昔からの知り合いで、主人公は相手にずっと好意は感じていたようです。その二人が、何かのきっかけで日本で再会しました。
『あなたが突然私の手を握ったとき、私は胸がどきどきして、・・・まさか手を握られるとは思っていなかったし、ひいては後日それ以上に事態が進展するとは、まだ私は予想だにしていなかったのです。』
『結婚して以来、あなたは信じてくださらないかもしれないけれども、私は貞淑な妻だったのです。ところが、私なりの信念や理想が、あの三日間のあいだにすべて崩れていくのが、自分でもはっきりとわかった。あの時点で私はもう完全に降参してしまっていて、今度あなたに会ったなら、決して抵抗はしないだろうと悟っていたのです。』
著者のイマジネーションが、このような主人公を生み出したのだろうと推察しています。川口マーン惠美さんは、このようなイマジネーションを(少なくとも執筆した1998年当時(著者42歳))お持ちだったのか、と感じた次第です。

小説の最後の1ページは、それまでの手紙形式から外れる記述です。小説として、このページの記述が必要だったのか、私にはよくわかりません。
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