弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

明日からゴールデンウィーク

2007-04-27 22:10:36 | Weblog
ゴールデンウィークが始まります。
恒例でこの期間、ブログはお休みします。

皆さん、よいゴールデンウィークをお過ごしください。
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「はやぶさ」地球帰還に向けた本格巡航運転開始!

2007-04-26 22:14:32 | サイエンス・パソコン
「はやぶさ」地球帰還に向けた本格巡航運転開始!

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4月25日、惑星間探査機「はやぶさ」は地球帰還に向けた本格的巡航運転段階に移行したようですね。

とはいっても、はやぶさの状況は刻々悪くなっているようです。
姿勢制御用のリアクションホイールは、3基のうちの1基しか作動しません。この1基が故障したらアウトのようですね。
また、メインエンジンのイオンエンジンを4基保有しているのですが、そのうちの2基はすでに不調であり、今回また1基が不調に陥ったようです。なんとか作動する1基で巡航運転に入ったようですが、まさに綱渡りの綱が切れかかっている、といったところでしょうか。

「川口淳一郎教授は記者会見で「帰還できないわけではないが、黄信号もしくは赤信号がともっている」と厳しい見通しを示した。」(時事通信


4基あるうちの1基のイオンエンジンだけで、地球までの推進力がまかなえるというのも不思議な気がしますが。

しかし、一度は人事不省に陥った1年前の状況から、ここまで回復したこと自体がすごいことです。運用チームの今までの努力を生かすためにも、ぜひ最後の力を振り絞って地球まで帰ってきて欲しいものです。
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優先権制度についての講演会

2007-04-24 20:15:43 | 知的財産権
4月18日、弁理士会研修所主催で「優先権制度に関する最近の判決事例とその利用方法-人工乳首事件の影響-」という講演会が開かれ、聞いてきました。弁理士の廣瀬隆行先生が講師です。

実施例を補充した国内優先権主張出願について、先の出願と優先権出願との間に先願が存在した場合に、優先権が認められなかった事例(人工乳首事件)と認められた事例(レンズ付きフィルム事件)を対比しての説明です。
このブログでも、この題材については以前取り上げました(優先権主張の効果人工乳首事件レンズ付きフィルム事件まとめ)。

私は、上記ブログの記事に書いたように、人工乳首事件で優先権が認められなかった点についてはそれなりに納得しているのですが、今回の講演会では、「人工乳首事件の判決には納得できない」というスタンスの人が多かったようです。「納得できないけれど、この判決が基となって審査基準も定められているので、実務としては従わざるを得ない」という考え方です。
私は今回の講演会で、「2つの判決を統一的に評価すると、○○という基本原則が見えてくる」といった解説を期待したのですが、残念ながらそのような解説は得られませんでした。

しからば、出願時の実務としてどうしたらいいのか。取り敢えず出願を完了したあと、より好ましい実施の形態が見つかった。あるいは、実験データが充実してきた。このようなときに実施例追加型の国内優先権出願を行うべきか、行うとしたらどのような注意が必要か。
人工乳首事件では、「図11とそれに関連する説明」が付加されました。

廣瀬先生の説明では、
・図11実施例を追加しない
・図11実施例を追加しても効果を追加しない
・図11実施例は、別出願
の3つの場合がパワーポイントで示されました。そして口頭で、
「図11実施例を追加した国内優先出願を行うが、先願が明らかになったところで実施例を削除する補正を行うという案もあるが、補正で削除すると包袋禁反言で権利範囲が狭まるので、お勧めではない」という説明でした。

私は異なる意見です。
図11実施例がもっとも好ましい実施形態なのであれば、必ず追加すべきです。上位概念クレームでは図11実施例に権利が及ばない可能性があります。また、図11実施例でのみ権利が取得できる場合もあります。
また、追加しても効果を追加しない、というのでは、それがために進歩性が肯定されない可能性があります。
別出願でもいいのですが、実施例追加型においては別出願になり得ない場合があります。

そもそも、先の出願と優先権出願との間に、追加実施例とドンピシャの先願がなされる可能性が常に高いということはないでしょう。それであれば、出願後に見いだされたより好ましい実施の形態は必ず明細書に反映すべきです。そして、たまたまそのような先願が出現したら、運が悪かったとあきらめ、追加した実施例を削除する補正を行うということでよろしいと思います。「追加した実施例を削除したら特許になる、削除しないと特許にならない」という事例では、発明の要旨となる技術的事項が、先の出願に記載された技術的事項の範囲を超えることになったという認定ですから、先の出願のままの上位概念クレームでは、そもそもそのような実施の形態には権利が及ばない可能性が高かったでしょう。
私のまとめをご覧ください。

私は予習をせずに講演会に臨んだので、自分の頭の中が整理できず、最後の質疑応答に参加できませんでした。ちょっと残念です。
質疑応答の最後に、「人工乳首事件の代理人でした」という方の発言がありました。図11実施例を削除した明細書とした分割出願で権利を確保した上で、図11実施例を削除しないままで、ぜひ戦わせていただきたい、と出願人に納得してもらって戦ったということでした。
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生海苔異物除去装置事件

2007-04-22 20:33:14 | 知的財産権
「生海苔の異物分離除去装置事件」といえば、均等が認められた特許権侵害訴訟事件(東京地裁 平成10(ワ)11453、東京高裁 平成12(ネ)2147)として有名です。

この生海苔の異物分離除去装置特許(特許2662538)(請求項1~4)については、上記侵害事件の被告会社(フルタ電機)が無効審判を7回も請求し、請求棄却審決に対しては審決取消訴訟を提起し、争ってきました。5回目までは、いずれも審判請求が退けられてきました。
ところが6回目の無効審判(請求項1に対する)(無効2003-35247)で、審判段階では従来通り請求棄却審決を受けたのですが、審決取消訴訟を提起し、とうとうその訴訟(平成16(行ケ)214)で審決取消判決が下ったのです。判決は確定し、再度の審決で請求項1が無効とされました。ここまでは以前報告したとおりです。最終的に請求項1の無効が確定しました。

この特許、請求項1、2が1段の異物除去装置であり、請求項3、4が2段の異物除去装置です。おそらく、競合会社にとっては請求項1、2が邪魔なのでしょう。

そして、競合会社のフルタ電機は、請求項1を無効にしたあと、請求項2についても無効審判を請求したのでした(無効2005-80132)。特許庁は請求項2を無効とする審決を出します(昨年8月8日送達)。そしてそれに対して特許権者は、審決取消請求(平成18年(行ケ)10392)を起こしていました。
判決はまだ先だろうと思っていたのですが、検索しところ、今年の3月28日に判決が下っていたのですね。請求棄却、つまり請求項2を無効とする審決が維持されました。判決はこちら(裁判所ホームページ)です。

請求項1、2は以下のとおりです。
【請求項1】 筒状混合液タンクの底部周端縁に環状枠板部の外周縁を連設し、この環状枠板部の内周縁内に第一回転板を略面一の状態で僅かなクリアランスを介して内嵌めし、この第一回転板を軸心を中心として適宜駆動手段によって回転可能とするとともに前記タンクの底隅部に異物排出口を設けたことを特徴とする生海苔の異物分離除去装置。
【請求項2】 前記第一回転板の表面を回転中心から周縁に向かうに従って下がり傾斜にしたことを特徴とする請求項1の生海苔の異物分離除去装置。

請求項1、2とも、進歩性を否定する主引例である刊行物1(特開昭51-82458)は、パルプ等の繊維懸濁液から夾雑物を分離する篩い分け装置に関するものです。
私は前報で、請求項1についての審決取消判決は、刊行物1の技術的事項について認定を誤ったのではないかとの意見を述べました。

パルプ繊維懸濁液においては、小さな繊維が固まってフロックを形成し、このままでは狭い隙間を通過できません。刊行物1の装置では、攪拌エネルギーによってフロックを崩壊し、スリットを通過させます。繊維懸濁液において、個々の繊維の大きさは、スリットの寸法よりも小さいのではないか。そして、生海苔については、たとえそれを細かく切断するにしても、膜状の生海苔を広げたときの寸法はスリットの寸法よりも大きいのではないか。
スリットの寸法よりも小さい繊維が通過できる点が刊行物1に記載されているからといって、スリットの寸法よりも大きい生海苔が通過できるとは、生海苔の当業者が容易に想到し得るとは思えません。
速度差を有するスリットを用いる技術思想が相違します。刊行物1では凝集フロックを崩壊させてスリットよりも小さい個々の繊維に分解することが技術思想の中核であるのに対し、本件発明は、スリットよりも大きい膜状の生海苔を通過させることが技術思想の中核です。

しかし、請求項2についての審決取消訴訟でも、原告側は上記私の意見のような主張は行わなかった模様です。
判決文に書かれた原告の主張では、請求項2に付加された特徴である「下がり傾斜」による進歩性のみを主張しているようです。
当業者が観察したとき、技術の本質は、私が想像するようなものではなく、知財高裁が認定したとおりだったということでしょうか。

そして裁判所(飯村敏明裁判長)は、請求項1についての判決と同様、生海苔混合液の攪拌によってスリットの目詰まりを防止しようとする技術(請求項1裁判での甲3の2公報)が知られていることから、
「「生海苔混合液中の細かく切断された生海苔が狭いスリットを通過し得ること」は,本件出願時に,周知の技術事項であり(例えば,甲3,43),パルプ等の繊維懸濁液と生海苔混合液とは,繊維又は生海苔が狭いスリット(間隙)を通過し得るという点において相違はないから,当業者であれば,引用例の異物除去装置の実効間隙を,通過させるべき生海苔の大きさに合わせて設定することにより,引用例の異物除去装置を「生海苔の混合液」に使用することは,容易に想到し得たものと認められる。」
と認定しました。

原告が反論しない以上、当然の帰結かも知れません。
請求項2についての審決取消訴訟は、審理期間が半年程度、判決文が14ページと、非常にあっさりとしたものでした。

私の想像では、生海苔の異物除去装置において、環状枠板部と第一回転板とをわずかなクリアランスで配置し、生海苔懸濁液をこのクリアランスから通過させようとしたとき、回転板を回転させなかったら、たとえ生海苔懸濁液に他の手段で攪拌を与えたとしても、生海苔はクリアランスに引っかかって詰まってしまうのではないかと思っています。そして、回転板の回転を開始したとたんに、生海苔はクリアランスを通過していくのではと。

もし私の想像通りだとしたら、そのような実験を行ってビデオで説明することにより、裁判所を納得させることはできたはずです。
それを行わなかったということは、やはり私の想像が間違っていたということでしょうか。

ところで、請求項2についての特許庁の審決では、「請求項1についての審決取消訴訟の確定判決の拘束力に従った」としているようですね。これに対し裁判所は、
「本件発明(請求項2)とは異なる請求項1に係る特許についての審決を不服とした別件取消訴訟の取消判決(確定判決)における理由中の判断が,本件発明の特許の無効審判をする審判官(特許庁)を拘束するいわれはないので,本件審決の上記説示部分は,行政事件訴訟法33条についての誤った理解に基づくものであって相当ではない。ただし,この点は,審決の結論を左右するものではない。」
と判示しています。
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江副浩正「リクルートのDNA」

2007-04-21 15:12:02 | 趣味・読書
江副浩正著「リクルートのDNA」(角川ONEテーマ21)
--企業家精神とは何か
リクルートのDNA―起業家精神とは何か (角川oneテーマ21 A 61)
江副 浩正
角川書店

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リクルートの江副さんといえば、まず思い出すのはリクルート事件です。あれから20年も経っているのですね。

一方で最近は、社会で活躍する元気のいい人たちの中に、「リクルート出身」が目立ちます。
このブログでも、大学発の技術移転としてシンポジウムを取り上げましたが、そこに登場する東大TLO社長の山本貴史氏がリクルート出身で、東大TLOを大きく発展させているようです。
また、iモードを世に出した松永真理さんは、リクルートからドコモに移られた方で、彼女執筆の「iモード事件」「なぜ仕事するの?」(いずれも角川文庫)は印象に残る著作でした。

リクルート出身の人はなんで元気がいいんだろう、と興味を持っていたので、江副さんの「リクルートのDNA」を本屋で見つけ、読んでみました。

江副さんは東大の学生だったとき、東大新聞の広告のコミッションセールスマンのバイトをしていました。卒業後、普通に就職すれば収入は1/3に減り、時間と規則に縛られます。そこで、就職せずにいままでの仕事を続けることとし、昭和35年に大学新聞広告代理業でスタートしました。これがリクルートの始まりです。最初の森ビル(4階建て)の屋上の物置小屋を借りて事務所にします。そして、学生のサークル活動のノリで、仲間を集めて事業を始めます。
大学新聞の広告代理業務で順調に業績を伸ばします。
その後、広告代理ではなく、自前の就職情報誌(のちのリクルートブック)を始めるときに、資金をはじめとする困難に遭遇しますが、これを乗りきって事業が拡大していきます。

学生起業は、最初はうまくいっても途中で意見の対立が起こり、分解する例が多いと聞きます。リクルートはなぜ成功したのでしょうか。
江副さんは自分を「私はそもそもシャイな性格で、カリスマ性はない。人前で話すことも苦手だった。」「私は子どものときからけんかが弱く、他人と競うことを避けてきた。人を統率する力はとても弱い。いつも会社のトップでいることがつらかった。」と表現しています。
しかし、リクルートには多士済々の社員やアルバイターが集まっています。
「こうしたハイタレントな人材をどうまとめていくかが、私の大きな課題だった。」

江副さんがマネジャー研修のためにまとめた「経営理念のモットー」のタイトルを挙げます。
1、「誰もしていないことをする主義」
2、「分からないことはお客様に聞く主義」
3、「ナンバーワン主義」
4、「社員皆経営者主義」-起業家の集団
5、「社員皆株主」
6、「健全な赤字事業を持つ」
7、「少数精鋭主義」
8、「自己管理を大切に」
9、「自分のために学び働く」-遊・学・働の合一を理想とする
10、「マナーやモラルを大切にする」
詳しい内容については本を読んでいただくとして・・・

江副さんが紹介されているどれもこれも、決して「目から鱗」という衝撃的なものではありません。他の著者が書いていれば、「なんだ、当たり前のことしか書いてないじゃないか」と思えます。
しかし、リクルートは成功しています。創業から50年近く経ち、江副さんが引退してからも20年が経過しているのに、いまだに元気はつらつです。当たり前に見える経営理念でも、魂を込めてきちんと実行すれば、あのような会社になり得るということでしょうか。

江副さんはドラッカー「現代の経営」を夢中になって繰り返し読み、それ以降ドラッカーは江副さんの書中の師となります。ドラッカーの提言の柱はPC(プロフィットセンター)制であり、江副さんは会社の中に小さな会社(PC)をたくさんつくります。社員たちがそれぞれのPCで競争しながら独自の経営を行い、これがリクルートで経営者を育てる仕組みになりました。
江副さんの退職時にPCは500にのぼります。
「PC制が浸透するにつれて、『リクルートは商売の勉強ができる会社』と、学生の間で評判が立ち、企業家精神旺盛な人が入社してくるようになった。PC制のもと、組織は自己増殖と細胞分裂を繰り返し、私とは関わりなく、社員が互いに競争しつつ発展するようになっていった。」
ドラッカーを読んでその内容を講釈できる人は多々あるでしょうが、それを実際の経営に役立てて成功している人は多くないかも知れません。

ROD(管理職教育プログラム)もユニークです。自己評価、部下の評価、同僚の評価を明らかにし、そのデータをもとに合宿で徹底的に議論し合って、自ら問題点を知り、自己変革の答えを自分で見つけ出すのだそうです。「このRODを継続して行っていたことが、リクルートを闊達な風土にしたことと関わりが深い、と私は思っている。」


リクルート事件は残念でした。当事者たちは違法であると認識していなかったでしょうが、事後的に違法と判断され、江副さん本人、多くの有能な政治家を葬り去り、リクルートも苦境に立ちました。
リクルートは見事によみがえっているようですね。
しかし、葬り去られた有能な政治家は戻ってきません。最近の日本政治のていたらくも、リクルート事件の影響が大きいのではないかと考えているのです。
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慰安婦問題とアメリカ

2007-04-19 22:39:40 | 歴史・社会
旧日本軍の従軍慰安婦の問題について、話はアメリカの下院に戻ります。

下院でも、2人の韓国人女性と1人のオランダ人女性が、元慰安婦として証言しています。しかし韓国人女性の証言は、軍の強制徴用を示唆するものではありませんでした。ジャワのオランダ人捕虜収容所に収容されていた女性が、強制的に慰安婦にさせられた事件は実在しますが、収容所監督の一存でなされ、その事実を知った上司によって中止させられ、戦後その監督は戦犯として死刑に処せられています。前報のとおりです。
しかしアメリカのマスコミは、「これらの証言で十分に軍の強制は証明されている」と受け取っているようです。


ホンダ議員の下院に提出した決議案がこれほどの日米間の大問題に発展した理由として、アメリカでの民主党の勢力拡大が挙げられます。

ブッシュ共和党現政権は、対抗勢力との対決姿勢を打ち出し、イラク戦争を起こし結果としてイラクを崩壊させ、イランをさえ標的としています。世界平和の観点からは、アメリカの共和党は好ましからざる政党であるといえましょう。一方、日本を同盟の相手として評価してくれる点では日本にとって好都合です。
それに対し民主党は、リベラルという点では世界平和に貢献するかも知れませんが、中国との友好などを重視し、日本は無視されるかあるいは逆に敵視される可能性があります。

その民主党が、議会では多数政党となりました。

今回の米国での従軍慰安婦問題の深刻化は、アメリカにおける民主党の躍進と軌を一にするものでしょう。ホンダ議員の決議案に対する共同提案者54人のうち、民主党が43人、共和党が11人という点からも明らかです。

また、中央公論5月号で加藤みき氏(アメリカンエンタープライズ政策研究所)は、最近のアメリカにおける価値観の中で「人権」の占める重要度が各段に増大している点を強調しています。
「アメリカ人には日本政府の発言は、人権という崇高な価値観から見れば罪があるにもかかわらず、恥知らずな言い逃れをしようとしている、と映る。日本との関係にかかわるアメリカ人は口をそろえて日本政府の不用意な発言、そしてアメリカにおける人権の重要性への理解不足を、信じられないと語り、問題がますます大きくなることを懸念する。」

このような状況に対し、日本政府は慎重に対応しなければ大けがをすることになるでしょう。
アメリカ議会でホンダ決議案に批判的であった議員も、安倍首相の発言のあと、その姿勢を後退してしまったということです。安倍首相の対応が適切でなかったことは明らかですが、ではどうしたらいいのでしょうか。
「日本自ら事実関係を詳細に調べるべき」「謝ればいいというものではない」という点をまず強調したいですが、しかし現時点ですぐに対応できるものでもありません。
米国の親日家とよく連絡を取りながら、外務省が適切にハンドリングし、首相の発言にも注意し、ことさらに米国で問題を深刻化させないよう、注力すべきでしょう。

文藝春秋5月号で古森義久氏は、
「安倍首相も日本政府もここまできた以上、戦時中に日本の軍も政府も慰安婦用の女性を組織的、強制的に徴用する政策などなかった事実を政府見解として示し、同時にこの案件は首相の謝罪表明を含めて、もうすんでいることを説くべきであろう。
 当面の過熱状態が去れば、やがては河野談話の大幅修正も必要となるだろう。ただし、いまアメリカ議会に決議案が出たことへの対策として河野談話を否定や批判をすることは戦術として賢明ではない。当面は『いわゆる慰安婦問題は日本政府のこれまでの対応や対策により、解決のための最大限の努力は謝罪も含めて、すでになされている』という対応をとるべきである。その過程では安倍首相が個人としてあれこれ見解を述べているという印象を与えることを避けるために、政府見解、あるいは外相や官房長官の声明によって応じるべきだろう。」
としています。

しかしこの見方は、米国における民主党勢力の影響、人権意識の高まりを過小評価しているように思います。そもそも、強制徴用がなかったことを証明することなど不可能です。現時点で、追加の詳細調査も行わないのであれば、結局は「証拠がない」というしかありません。これでは、火に油を注ぐだけでしょう。

中央公論5月号で岡本行夫氏は、逆の提案をしています。
世界の潮流も、アメリカの潮流も、女性や子供など弱者への加害行為に対して、これまで以上に厳しい目が注がれるようになっています。そのような中、外から見て93年の河野談話から後退すると見られることが、いかにアメリカの人々を憤慨させるか知っておいてほしかったとのことです。
「たとえ安倍総理が「河野談話は事実誤認である」と信じているとしても、その思いは首相である間はしまっていてほしい。世界の潮流に反する発言には慎重たるべきだ。」

在米日本大使はこの間、「日本はすでに十分に謝罪している」という言い訳しかしていません。これに対し安倍首相が「狭義の強制性はなかった」という、言い逃れととれるような発言をし、アメリカ人の気持ちを逆なでしました。まずは日本の官邸と在米日本大使館が一枚岩になることが必要です。在米大使館は官邸に対してアメリカの状況を的確に説明し、官邸と在米日本大使館が納得した上で、確固とした対応を示す必要があります。
日本の未来のため、関係者の皆さん頑張ってください!!


次期大統領選で民主党政権が誕生することになったら、日米外交は冬の時代を迎えることになるのでしょうか。日米外交が冬の時代ということは、日本が世界の中で冬の時代を迎えることを意味しますね。米中が手を携え、日本は米中の両国から白い目で見られることになります。
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河野談話

2007-04-17 21:34:59 | 歴史・社会
1993年(平成5年)8月4日に、宮澤改造内閣の河野洋平内閣官房長官が発表した談話が「河野談話」と呼ばれています。
この談話は、同日に内閣官房内閣外政審議室から発表された文書「いわゆる従軍慰安婦問題について」を受けて発表されました。談話の中に以下の文言があります。
「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。」
「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」

従軍慰安婦の募集には「官憲等が直接これに加担したこともあった」と記述し、この点から、日本軍が強制連行を行なったことを認める内容であると読めます。

しかし、上記報告と談話でこの点(軍の強制性)を認めたものの、証拠があったわけではなさそうです。このときの調査で、実際にどのような事実が明らかになり、どの点が明らかにならなかったのか、という具体的な状況についてはあいまいなままです。
河野談話のベースとなった政府の調査について、調査内容はほとんど公開されてないようです。

最近になって、河野談話は月刊誌を賑わしていること知りました。Will 5月号、諸君!5月号、中央公論5月号を購入する羽目となりました。

これら雑誌での多くの議論は、「平成5年の政府調査において、官憲が強制的に徴用した事実を示す証拠は結局見つからなかった。にもかかわらず、河野談話は『官憲等が直接これに加担したこともあった』と明確に表現した。なぜか。当時の韓国政府が、『日本が強制徴用を公式に認めれば、日本には金銭的補償を求めない』と意思表示したからだ」と主張しています。

例えば、元従軍慰安婦の16人の韓国女性が証言していますが、彼女らは韓国政府によって選ばれ、日本外務省担当官が韓国に出向いて一人あたり2時間半の事情聴取を行ったが、日本側からの反問も検証も許されない異常な事情聴取だったようです。

櫻井よし子氏は、河野談話に関わった政府当事者全員に取材を申し込み、話を聞きました。その結果確認できたのは、河野談話には根拠となる事実は全く存在せず、日韓間の交渉の中で醸成されていったある種の期待感と河野氏自身の歴史観が色濃く反映されていたことでした。
西岡力東京基督教大学教授が、外政審議室の人に「『河野談話』の官憲等という記述は何なのか」と質したところ、「これはインドネシアにおけるオランダ人を慰安婦にした事例だ」と答えたそうです。ジャワのオランダ人捕虜収容所に収容されていた女性が、強制的に慰安婦にさせられた事件は実在しますが、収容所監督の一存でなされ、その事実を知った上層部によって中止させられ、戦後その監督は戦犯として死刑に処せられています。痛ましい事件ではありますが、河野談話の中で「官憲等が直接これに加担したこともあった」(「これ」は「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反した慰安婦募集」を指す?)との事例としては不適切でしょう。


当時どのようないきさつがあったかはわかりませんが、発表された河野談話が、現時点で独り歩きしていることは紛れもない事実です。ホンダ決議案の最大の根拠になっています。
ホンダ議員は、「河野談話があるからには強制連行があったはず」と理解しています。安倍総理の発言は、「河野談話がありながら、またも歴史をねじ曲げようとしている」と理解されています。

河野談話がある以上、日本政府は「証拠を示せ」という態度でいいわけがありません。宮沢政権での調査を上回る調査を行った上で、「事実はこうであった」と示すしかないでしょう。

しかし、問題は「河野談話を日本政府が取り消せばいい」というような単純な話ではありません。下手をすると、世界の世論を敵に回すことになりかねないでしょう。


朝鮮の地から連れてこられて従軍慰安婦にさせられた女性の中に、正式の軍命令による強制徴用ではなかったにしても、騙されたりして無理矢理連れてこられた人が多かっただろうことは理解できます。

軍医として従軍慰安婦の健康を管理していた医師の記録が、「昭和陸軍の研究」にも登場します。日本人9人、朝鮮人4人、中国人2人の女性を診た医師によると、女性の大半は仕事の内容を承知しているが、朝鮮人2人は、このような仕事とは思わずに連れてこられたと話しています。そうしたケースは、軍による強制連行か、女衒によるものかははっきりとはわかりません。また、中国に送られた婦女子百余名(朝鮮人女性と日本人女性)の健康診断を行った別の軍医によると、朝鮮や北九州で募集された女性であり、日本人女性はその筋の職業に従事した者が多かったのに対し、朝鮮人女性には肉体的には無垢を思わせる者がたくさんいた、ということです。

たとえ日本軍の軍命令で強制連行されたものではないとしても、騙されて連れてこられた朝鮮人女性が多いことを、現地日本軍は把握していたはずです。知っていながら続けたという点では、責任を逃れることはできません。そこは日本政府としてしっかりと受け止めるべきでしょう。


ところで、日本人従軍慰安婦は、もともとその筋の職業に従事した者が多かったという事実はあるかも知れませんが、だからといって彼女らの自由意思で従事したとはいえないでしょう。
昭和大恐慌で農産物価格が暴落し、同時に東北地方が凶作に見舞われたとき、小作農の家では、家(家族)を守るため、その家の娘が身売りされ苦界に身を落としていきました。そのような娘たちが、流れ流れて従軍慰安婦になっていたのだとしたら、その悲惨さは、騙されて慰安婦にさせられていた朝鮮人女性と変わるところがありません。

話は変わりますが、従軍看護婦であった日本人女性が、フィリピンのセブ島の山中を日本軍とともに逃亡する中で、従軍慰安婦をさせられた、という悲惨な話があります。大岡昇平「俘虜記」(新潮文庫)に出てくる逸話です。
そのような悲惨が日常であったというのが当時の状況なのでしょう。
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従軍慰安婦問題

2007-04-15 21:21:32 | 歴史・社会
第二次大戦中の日本の従軍慰安婦の問題が、突然に米国議会で燃え上がっているようです。一体何が起こっているのか、わけが分からずにいたのですが、文藝春秋5月号の記事でやっと情報に接しています。
「『慰安婦決議』ホンダ議員の策謀」古森義久氏(産経新聞ワシントン駐在編集特別委員)

今年1月末に、アメリカ下院に民主党のマイク・ホンダ議員が提出した決議案が契機です。「日本軍が第二次大戦中、若い女性たちを性的奴隷へと強制徴用した」という大前提で日本のいまの政府や首相に「公式の明白な謝罪の表明」を求めています。

ホンダ議員は日系三世の人だといいます。ホンダ議員は、2001年以来すでに3回、旧日本軍の従軍慰安婦問題について決議案を提出してきています。その決議案が本会議で採択されることはなかったのですが、今回は状況が違うようです。その後共同提案者を増やし、3月26日現在、下院議員54人に達したという現実があります。

旧日本軍の行為についてホンダ議員が執拗に非難決議を進めている背景には、ホンダ議員の中国系反日勢力との長年の結びつきや、政治献金依存の事実もあるようです。しかし、広い米国にそのような下院議員が一人ぐらいいてもおかしいことではありません。問題は、そのホンダ議員の活動が無視されることなく、日米間の大きな外交問題にまで発展しているという事実です。

そしてこの問題は、3月1日に安倍首相が「日本軍による女性の組織的な強制連行の証拠はない」という発言が出たとたんに、急拡大します。ニューヨークタイムズを始め、アメリカのマスコミがこの発言にこぞって激しい非難を浴びせます。

突然に米国で火の手が上がったこの問題、日本政府が対応を誤ると、とんでもない大火事に拡大する可能性もあるでしょう。

従軍慰安婦という問題そのものが、現代の感覚で考えたら許すことのできないおぞましい事実であることは間違いありません。ですから、まずそのような事実があり、多くの女性、それも他国(植民地)の女性を犠牲にしたことについて、真摯な態度を表明することは絶対に必要です。そこが不十分なままで、「人集めについて、日本軍が強制徴用したという証拠はない」などと述べたら、「このようなおぞましい事件について、証拠がないことをいいことに、自らの責任を回避しようとしている」と受け取られるでしょう。

そもそも、日本が行った歴史的事実について、「あんたそう言うけど証拠を見せてみろ」という態度はいけません。まずは日本自身が、徹底的に事実を解明すべきです。世界中の誰にも負けないほどに事実を究明した上で、「どうも本当のところ、こういうことだったらしい」と表明し、謝罪すべきは謝罪し、世界に納得してもらうべきです。

今回、1993年(平成5年)8月4日に、宮澤改造内閣の河野洋平内閣官房長官が発表した「河野談話」がひとつの焦点になっています。この点については次回に。
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加藤友三郎

2007-04-14 22:08:34 | 歴史・社会
半藤一利著「日本海軍の興亡」(PHP文庫)から、加藤友三郎について拾ってみます。
日本海軍の興亡―戦いに生きた男たちのドラマ (PHP文庫)
半藤 一利
PHP研究所

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日本海軍、錨揚ゲ!」であまり取り上げられていなかったからということで、ここに記すことにしたのですが、結局は半藤氏の著作を参照することになりました。

大正3年から10年にかけて、日本海軍は八八艦隊という大艦隊の建造に邁進します。英国製の戦艦金剛から始まり、姉妹艦の榛名、霧島、比叡の3艦は国産化します。さらに大型化した戦艦長門と陸奥が建造されます。
この八八艦隊の実現に注力したのが海相の加藤友三郎でした。
しかし大正9年の世界大恐慌以降、八八艦隊の費用は国家予算の30%を超えるまでになりました。加藤海相はこの事実に気付きます。

大正10年、アメリカはワシントン軍縮会議の開催を呼びかけます。加藤友三郎はこの軍縮会議に代表として参画し、米、英、日の主力艦、航空母艦保有トン数比率を5・5・3とする提案を受諾するのです。それまで、日本海軍は「対米7割」と言っていたものを、6割で我慢することを意味します。また八八艦隊計画を葬り去ることを意味していました。

このとき、ワシントンの宿舎で加藤海相が海軍省に宛てた伝言が有名です。筆記したのは堀悌吉中佐でした。
「国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べきものにあらず。国家総動員してこれにあたらざれば目的を達しがたし。……平たくいえば、金がなければ戦争ができぬということなり。
……仮に軍備は米国に拮抗するの力ありと仮定するも、日露戦争のときのごとき少額の金では戦争はできず。しからばその金はどこよりこれを得べしやというに、米国以外に日本の外債に応じ得る国は見当たらず。しかしてその米国が敵であるとすれば、この途は塞がるるが故に……結論として日米戦争は不可能ということになる。
国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず。すなわち国防は軍人の専有物にあらずとの結論に達す」

この思想がその後の日本海軍に受け継がれれば、太平洋戦争の勃発には到らなかったろうと推定できます。

加藤友三郎は、大正11年(1922年)に総理大臣になりますが、大正12年、首相在任中に大腸癌でこの世を去ります。

その後の日本海軍はどうなったか。

加藤首相兼海相の時代から、海軍軍令部を中心とした巻き返しが始まります。加藤寛治、末次信正などが中心となり、反軍縮の動きを進めます。加藤友三郎の流れをくむ国際協調派を条約派とよび、加藤・末次らの派閥を艦隊派と呼ぶようです。

この衝突は、昭和5年(1930年)に開かれたロンドン軍縮会議で火を噴きます。海軍省(財部海相、山梨勝之進次官、堀悌吉軍務局長)は軍縮条約妥結の方向でまとめますが、加藤寛治軍令部長は末次信正次長に焚きつけられて反対に回ります。
そしてここで、野党の政友会も絡んで突如「統帥権干犯問題」が発生するのです。「統帥大権は天皇と軍令部の専権であり、国防兵力量の決定は統帥事項である。内閣が軍令部の同意を得ずに軍縮を決定するのは統帥権干犯である」という論理です。犬養毅と鳩山一郎が国会で火をつけました。
この問題によって海軍は真っ二つに割れ、ロンドン軍縮条約は締結されるものの、そのあとに条約派の軍人が軒並み粛正されます。山梨勝之進、谷口尚真、左近司政三、寺島健、堀悌吉らです。

これにより、加藤友三郎が日本海軍にまいた種は、見事に捨て去られ、その後の日独伊三国軍事同盟、日米開戦へと転がり落ちていくことになります。

戦前における統帥権干犯事件での態度があるので、私は鳩山一郎について低い評価をしています。
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阿川弘之「春の城」

2007-04-12 22:44:44 | 趣味・読書
阿川弘之著「春の城」(新潮文庫)

阿川弘之氏のごく初期(昭和27年)の作品です。
この本の著作に到る阿川氏の経歴は、
「広島市生まれ、広島高校から東大文学部(国文科)に進み、繰り上げ卒業で海軍予備学生となり、通信科予備士官として海軍に勤務する。終戦を中国漢口で迎え、1946年春、大陸から引き揚げ、原子爆弾により焼き尽くされてしまった故郷広島の街を見る。」
というもので、ほぼ「春の城」の主人公耕二の経歴と一致していますので、この本は阿川氏の自伝小説であると考えて良いのでしょうか。

前半の大学生生活、海軍予備学生として入隊するまでの部分は、戦争が近づいてくる中、ひとつ年上の幼馴染みである智恵子との間の、恋心と青年の利己心が交錯する、青春小説の佳作を思わせる展開です。耕二の両親や智恵子は広島に住み、4年後の原爆投下での悲劇を予感させます。

海軍入隊後、最初は東京の軍令部で中国軍の暗号解読業務に従事します。同僚は同じ予備学生出身の仲間で、軍隊とはいえ、学生気分の生活でした。

東京から中国の漢口に転属して生活が一変します。
同じ暗号解読業務で、中尉として大勢を束ねる役割を担いますが、気持ちが次第に凶暴になり、規定の時刻に帰隊しない下士官達を彼は何度もなぐります。
その後着任した予備学生一期上の分隊長と合わず、険悪な関係となります。

そして昭和15年8月です。広島に原爆が投下され、耕二の両親や智恵子をはじめとする大事な人たちが被曝し、物語は大きな山場を迎えるかと思いきや・・・
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(漢口で)或る朝、彼は「大陸新報」という、漢口で発刊されている小型版の日本語新聞の一面に、「広島に原子爆弾」という記事が出ているのを見て、おやおやと思った。今まで広島は殆ど空襲らしい空襲を受けておらず、家の事も安心していたが、「相当の被害があった」という発表で、これは今度は、ひょっとすると父母も危ないかも知れない、そんな風に考えた。

「広島もこれでは皆死んでしまったろう」憂鬱も腹立たしさも強くは湧かず、只来るべきものが来たという気がするだけで、耕二の心にはもはや何事も、極めて鈍くしか感ぜられなかった。
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そして8月10日、通信から、日本のポツダム宣言受諾を知ります。

小説はそのあとに、原爆投下後の広島で、耕二の知人たちがどのような惨劇に遭っていたのかを描写します。この部分は、耕二が全くあずかり知らぬときのできごとですから、事実が淡々と語られます。耕二の広島高校時代の恩師、智恵子、智恵子の母親が、被曝後ほどなくして悲惨な死を遂げました。

最終章は、原子爆弾で死んだ人たちの三回忌の季節、広島に帰った耕二の生活が描かれ、そこで小説は終了します。


大学時代から軍令部までの生活の、甘く切ない青春時代の描写と対比し、終戦時の耕二の態度、その感受性を失ったような態度の描写には、意外としかいいようがありませんでした。そしてこれこそが、戦争が残した爪痕に違いないと確信した次第です。

終戦から7年しか経過していない時期に、阿川氏は自分のたどってきた途とそのときどきの自分の心情を、隠すことなく小説に描写したのでしょう。
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