弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

高橋洋一氏と小泉構造改革(2)

2007-11-29 22:04:41 | 歴史・社会
前回に続いて、高橋洋一氏と小泉構造改革の推移を、月刊誌「諸君!」12月号から拾います。

郵政民営化と並行して行われたのが「政府の資産負債改革」です。ターゲットにしたのは各省庁が持っている特別会計です。特別会計はじつは資産超過のものが多く、各省庁はそれをポケットにしまって勝手に使っています。道路公団のときと同じ手法で計算したら、全体でなんと46兆円の資産超過と出た。それで竹中さんは「政府の資産・負債を全部洗い直しましょう」となりました。
しかし、特別会計に手を突っ込むとなると、官庁全体を敵に回すことになる。とりわけ怒ったのが高橋氏の古巣の財務省です。財務省は財政融資金特別会計と外国為替資金特別会計の二つだけで40兆円近く余剰金を抱えていました。そして財政融資資金特別会計の方は20数兆円のうち半分の12兆円を一般会計に拠出させました。これは財務省にとって屈辱で怒り心頭でした。

そして2005年9月の郵政選挙で小泉与党が大勝します。

財投制度の中で、金を貸す方の郵貯がその枠組みから外れれば、借りる方の政策金融機関がそのままでいられるはずがない。しかし政策金融に手を出すと、財務省が黙っていません。
ところが選挙は自民党の大勝利。竹中さんから「熱の冷めないうちに政策金融をやろう」と言われ、わずか二ヶ月で案を仕上げます。
どの国にも政策金融機関はありますが、ひとつくらいです。だから「ほとんど民営化して最後に一つでも残ればいい」という方針を出したところ、財務省と経産省の逆鱗に触れます。しかし小泉総理と竹中さんの力で押し切ったので、財務省も経産省も最後は手も足も出なかった。ある雑誌に某財務省高官のコメントとして「高橋は3回殺しても殺し足りない」という談話が載ったそうです。

郵政選挙に勝った後の小泉政権1年間は、政権がスーパーパワーになって何でも改革できるというムードでした。
その時、郵政法案と同時並行的にやったのが「小さな政府法案」といわれるもので、上の政策金融と政府資産負債に公務員人件費を加えて、それぞれ半減させるという法案でした。これがぜんぶ通ってしまいます。

安倍政権になって、高橋さんは安倍さんから声をかけられ、昨年の9月から内閣参事官として官邸で仕事をすることになります。竹中さんが政権から去って高橋氏が経済金融分野に携わることは少なくなり、やってくれと言われたのが公務員制度改革です。

今の公務員制度は完全な年功序列で能力はまったく関係有りません。しかし上の方にいくとポストの数が限られているから定年まで勤めさせてもらえず、その代わり省庁が天下りを斡旋してあげるという慣行でした。
高橋氏の改革案の大事なポイントは能力主義の導入と斡旋的な天下りの禁止です。
能力主義になれば、働きに応じて給与を変えることができ、能力がない人は給料を抑えられます。その代わり定年まで勤めていいよと言うことです。その代わり省庁は天下りの面倒を見ない。

野党は「人材バンク廃止」を主張したわけですが、じつは能力主義に反対で年功序列を望んでいます。政府内の改革反対派も同意見で、かれらの望むとおりになると、辞める公務員が少なくなって高給取りの公務員がどんどん増えてしまうでしょう。野党が「人材バンク廃止」にどこまでもこだわるようなら、能力主義の導入と引き替えに「人材バンク廃止」を呑むというの一つの選択肢でしょう。

天下り禁止という公務員にとって大変なことに踏み込んだわけですが、この時期になると、高橋氏と接触しているだけで身が危険だったからか、誰も接近してくる人はいなくなりました。
「天下りの斡旋を禁止しよう」なんて、公務員は絶対にいわないでしょう。というのは、斡旋をしているのは官房の人事関係の超エリートだから、人事に睨まれることをいうはずがない。

安倍政権から福田政権に代わりました。
福田政権だからというのではなく、衆参ねじれ国会となった結果として、小泉政権のような官邸主導の改革は難しいでしょう。国会での与党の力が強いからこそ、昔の官僚主導も、小泉時代の官邸主導も成り立ちました。これからしばらくは、国会プロセスが最重要です。これからの改革は本当に大変でしょう。みんなが納得する大義名分を何に求めるかですね。
---
ということで、高橋氏に対するインタビューが終了します。

小泉構造改革については、最近は「格差の拡大」などマイナス面が強調されていますが、個々に実現した項目について評価をしていくべきでしょうね。

このインタビューで語られている高橋氏本人に関する事項については、また回を改めます
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高橋洋一氏と小泉構造改革

2007-11-27 20:57:43 | 歴史・社会
月刊誌「諸君!」12月号に、「構造改革6年半の舞台裏をすべて語ろう」という記事が載っています。内閣参事官の高橋洋一氏にインタビューした記事です。

小泉内閣が成し遂げた構造改革は、小泉首相と竹中平蔵氏の二人三脚で推進したようですが、ブレーンとして高橋洋一氏が大きな役割を果たしたのだそうです。
高橋洋一氏とは、東大理学部数学科、経済学部卒業後、80年に大蔵省に入省し、金融検査部、理財局などを経て、竹中平蔵大臣の補佐官、内閣参事官(官邸)となった人です。

小泉政権が誕生する直前、高橋氏は大蔵省から派遣されてプリンストン大学に学んでいました。2001年の2月に竹中氏とニューヨークで会っており、その後同年7月から「構造改革」に関わるようになります。
今から25年以上前、竹中氏が31歳で旧日本開発銀行から大蔵省の財政金融研究所に出向し、26歳の高橋氏の上司となったのが、両氏の付き合いの始まりです。大蔵省は東大法学部卒が当たり前で、一橋を出た開銀の人ということで完全に格下に見て相手にしないのですが、高橋氏は入省したての若造で理系出身だったので竹中さんと仲良くなりました。

2001年7月、プリンストン大学から帰国して竹中大臣室を訪れると、「誰も手伝ってくれないから大変だよ。役所はすごいとこだなあ。高橋君、ちょっと手伝ってよ」「いいですよ」
高橋氏はプリンストンにはわがままを言って3年も滞在していたので、帰ってきたら国交省の課長ポストに飛ばされました。その頃は、諮問会議の細かな単発の案件の相談に乗ったり、猪瀬直樹さんに頼まれて道路公団の民営化にもタッチしました。

道路公団に関し、学者を含めて関係者は「6兆円から7兆円の債務超過だ」と主張していました。民営化は大変だ、民営化するなら税金を投入する必要がある、との方向付けです。これに対し高橋氏は「道路公団は債務超過でない」と証明し、資産査定の理論武装をして猪瀬氏を助けます。
また、国交省が錦の御旗にしていた五千本もある路線ごとの需要予測の方程式の誤りを指摘し、「どうして猪瀬さんがそんなこと知っているの?」と不思議がらせたみたいです。

道路公団の次は、日本政策投資銀行、国際協力銀行、国民生活金融公庫、住宅金融公庫など、政策金融機関の改革です。高橋氏が政策金融にくわしいことを竹中氏が知っていて、「政策金融改革準備室のアドバイザーをやってくれ」と言われて引き受けました。
当時は民間金融機関の不良債権問題が大変で、この政策金融改革は尻切れトンボに終わるのですが、閣議決定用の後始末の文書に「今はやめるけど次にやります」のような文言をちょこちょこと書き込んでおいたので、郵政選挙後にふたたび政策金融改革に手をつけたときに効きました。

その後(2003年8月)、関東理財局の理財部長に異動になります。高橋氏が竹中さんの裏側で手伝っていることを財務省も知っていたので、閑職に就けたということです。このときは同時に「経済財政諮問会議特命室」の辞令をもらって正式に竹中さんの直属となりました。ここでは主に郵政民営化と金融政策、社会保障や予算の話を受け持っていました。

郵政民営化は、まず方向を決めるのが大変で、竹中さんが専門家といわれる人にインタビューしたのですが、郵便局や簡保といった各分野の専門家はいても郵政事業全体に詳しい人がいませんでした。高橋氏は大蔵省理財局にいた96~98年に財投改革を担当して郵政分野に通じていたので、竹中氏から「ぜひやってくれ」と頼まれます。2003年秋のことです。
90年代後半の財投改革で、郵便貯金は国から離されてすでに自主運用になっていました。自主運用といいながら、郵政公社のままでは、原則として金利が一番安い国債しか運用できません。公社ではリスクを取れないからです。しかし、国債以外の運用手段を与えて、リスクを多少採らせないと経営は成り立たないわけで、自主運用となると民営化するしか道がなかったのです。
それまでの郵便貯金は、財投が郵貯から借り入れするときに通常よりも高い金利を払っていました。財投の融資先の特殊法人は高い金利を支払い、財投は特殊法人から吸い上げたお金を郵便貯金に補給するという仕組みです。特殊法人には多額の税金を投入するから、そのシステムは成り立っていました。

2004年の夏に郵政民営化の基本方針を作った時、竹中さんは麻生太郎総務大臣と真っ向から対立します。麻生さんには総務省が付いていますが、竹中チームの方は高橋氏と岸博幸秘書官(現・慶応大学準教授)らの数名だけです。結果的には諮問会議で竹中さんの完勝に終わります。
郵政民営化準備室には百人ぐらいの人を集めましたが、その中で竹中さんについたのは2人(高橋氏と高木祥吉氏)プラスアルファのみです。高木さんはもと財務官僚ですが、きちんとした公務員で、誰であろうと上司には従うという姿勢、それから金融庁長官を辞めてもう役所には戻らないという立場がそうさせたのでした。

郵政民営化の最初の難関はコンピュータシステムの問題です。「民営化というが、システム構築が間に合わない」と反対派が言い出し、公社総裁の生田正治さんもそれに乗ってしまいます。
高橋氏はシステム専門家に頼み、全部のシステムを見直し、当面いらないものを取り除いたら、1年半で構築できる見通しが出ました。その後、高橋氏と専門家2、3人で郵政公社に乗り込み、システムベンダーのSE80人ぐらいを相手に議論します。2004年11月頃です。多くの人はシステムは間に合うはずはないといっていましたが、今年10月に郵政民営化がうまくスタートできたことで高橋氏の意見が間違っていなかったと証明されました。

郵政民営化の4分社化のアイデアも高橋氏によるものです。4分社化の方針はロジカルに考えた末に出てきた結論です。郵便、郵貯、簡保と業務別にまず分けます。金融の場合、地域分割するとスケールデメリットが生じるので採用しません。「特に郵貯は資産運用能力のない『不完全金融機関』ですから、ほんの少しでも制約があると、経営が危うくなります。」
一方、全国に25000もある郵便局については、「スコープメリット」という考え方を応用しました。これは、小売部門はまとめた方がメリットがあるという経済分析です。これによると、郵便、保険、郵貯の窓口業務は一つの会社にまとめ、郵便局会社を作った方が良いということになります。その結果、4分社化という結論が出ました。

さらに、郵政公社の廃止後、郵貯と簡保を直ちに商法会社にするという措置を講じておきました。ふつう民営化する場合、国鉄のように、特殊法人にしてから民間会社に移行するのが普通のやり方です。しかしこの方法では、揺り戻しの動きが出た時に見直し法案を出されたら、公社に戻されてしまいます。でも商法会社にしてしまえば、新たに国有化法でも出さない限り元に戻れません。これは役人でないと気付かない部分で、反対派は「やられた」と思ったはずです。

郵政民営化の後、特別会計から12兆円を一般会計に拠出させたり、政策金融機関を民営化したり、という成果を出しますが、これらについては次回に譲ります。
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日本の人工衛星たち

2007-11-25 20:02:19 | サイエンス・パソコン
《月周回衛星「かぐや」》

  提供 JAXA
「かぐや」については、打ち上げのときと月周回軌道突入のときに話題にしました。
その後も順調で、予定通りに2つの孫衛星を放出し、月表面から100km程度の円軌道に変更し、各種観測機器の準備を完了し、観測機器の試運転に入っているようです。

月の裏側の重力場の直接観測について11月12日に報告されています。
高度約100kmの月周回観測軌道に投入した月周回衛星「かぐや」の主衛星と、高度約2400km×100kmの月周回長楕円軌道に投入された「おきな(リレー衛星)」とを用いて、月の裏側の重力場の直接観測(4ウェイドップラー)試験を2007年11月6日(日本時間)に機能確認の一環として実施し、正常に観測ができることを確認しました。

地形カメラおよびマルチバンドイメージャによる観測状況が11月16日に報告されています。
月の裏側や極域での地形カメラによる10mの空間分解能での月の立体視観測およびマルチバンドイメージャによる20mの空間分解能での複数のバンドによる観測は世界で初めてとのことです。
地形カメラ(TC)は、可視域波長帯で衛星の真下に対してやや斜め前方・後方を撮影する2台のカメラで、世界で初めて、10mという非常に高い分解能による月全球の立体視(ステレオ)観測を月の昼間の領域に対して行います。
マルチバンドイメージャ(MI)は可視から近赤外波長域の9つの観測バンドで反射光を分析して鉱物分布を計測する観測機器です。異なる波長の画像を比較(比演算)することにより、鉱物分布やクレータ形成により月表層に掘り起こされた物質分布などの詳しい地質情報を得ることが出来ます。マルチバンドイメージャは最高20mの空間分解能を有しており、これまでの月探査機に比べ1桁高い空間分解能を持ちます。

《惑星間探査機「はやぶさ」》

  提供 JAXA
小惑星イトカワの観測を追えた「はやぶさ」は、満身創痍でありながら、地球への帰還の旅を続けています。
10月30日の報告によると、「はやぶさ」は10月18日にイオンエンジンを停止させ、慣性運転に入ったようです。2009年2月までこのままの運転を続け、そこで再度イオンエンジンを起動し、2010年6月に地球帰還の予定です。
ここまで、イオンエンジンの宇宙作動時間合計は3万1千時間、軌道変換量1,700m/sに達しています。2009年2月以降、地球帰還までの残り軌道変換量は、たったの400m/sだそうです。推進性能も推進剤残量も十分に余力を残しています。
イオンエンジン停止と前後し、姿勢制御を一旦スピン安定モードなるものに移行させたそうです。スピン安定に入っても発生電力を最大限に維持するため太陽を追尾し続ける必要がありますが、太陽輻射圧を用いたスピン軸制御のみで、太陽電池を常に太陽指向させる微妙な姿勢制御を実施するそうです。「はやぶさ」は不思議な能力を持っているのですね。

現在、JAXAのページではやぶさ物語の映像を見ることができます。プロローグ祈りがあり、「祈り」を見てみました。ナレーションなしの大部分がCGであり、ゆったりとした音楽が流れています。全編をとおして流れる甲斐恵美子さんによる美しいジャズの調べは、「はやぶさ」がまだMuses Cと呼ばれていたころに応援歌として作られたものだそうです。
地球から飛び立った「はやぶさ」少年が、女神に見守られながらミッションを遂行し、地球に戻ってくるまでの物語です。あらためて、はやぶさミッションを追体験することができました。

はやぶさが本当に無事地球へ帰還することを祈ります。
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鈴木宗男氏と大西健丞氏

2007-11-22 22:58:52 | 歴史・社会
鈴木宗男著「闇権力の執行人」(講談社+α文庫)
大西 健丞著「NGO、常在戦場」(徳間書店)
闇権力の執行人 (講談社プラスアルファ文庫)
鈴木 宗男
講談社

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NGO、常在戦場
大西 健丞
スタジオジブリ

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鈴木宗男著「闇権力の執行人」を読みました。
「闇権力の執行人」とは、霞ヶ関や永田町を動かす官僚たちであり、特にこの本では外務省の高級官僚を指しています。彼らが日本の国益のためではなく、自らの栄達と蓄財のために政治を動かす様を明らかにしようという意図の本です。
鈴木氏が外務省に深く入り込んで知り得た情報(外務省高級官僚の恥ずかしき行状)について、官僚の実名入りで、詳細に述べています。

鈴木宗男バッシングが巻き起こる発端は、アフガンNGO会議への大西健丞氏の参加を妨害したといわれる事件だったのですね。「闇権力の執行人」においては、この事件が、鈴木氏を陥れるための外務省の罠であったとのスタンスで書かれています。
この事件については、一方の当事者である大西健丞氏が書いた「NGO、常在戦場」で詳細に述べられています。こちらについては2006年5月27日に記事にしました。

そこで今回は、事件の両当事者が執筆した2冊の本を比較し、事件の真実を解き明かしたいと思います。

《概略の推移》
2001年12月11~13日ジャパン・プラットフォーム(JP)主催のアフガン復興NGO東京会議を大西氏らが企画します。
各国のNGO招聘費用1600万円について、外務省が負担を引き受け、ODAの「草の根無償資金」で賄う予定でしたが、直前でもめることになります。

2002年1月18日朝日新聞朝刊の「人」欄に、大西氏が発言した形で「お上の言うことはあまり信用しない」というフレーズが引用されます。

2002年1月20~22日政府主催のアフガニスタン復興支援国際会議に参加予定だっら大西氏らジャパン・プラットフォーム(JPF)とピース・ウィンズ・ジャパン(PWJ)は、突如政府から参加を拒否されます。
この拒否が鈴木議員の圧力によると報道され、鈴木宗男バッシングの発端となりました。

《大西健丞氏の記述》
2001年12月11~13日JPF主催のアフガン復興NGO東京会議に際し、アフガンから多数のNGOを招く費用の工面について、外務省が負担を引き受けてくれました。外務省はODAの「草の根無償資金」で賄いたいとNGOに伝えてきます。財務省のODA担当主計官も太鼓判を押します。
会議を5日後に控えた12月6日午後、自民党本部で開かれた外交関係合同部会で、鈴木議員が「NGOがアフガン復興を引っ張っていくのは本末転倒。順序が逆だ」「善意の寄付でやるのがNGOの趣旨だ。国民の税金を使って当たり前という認識でやられたら、たまらない」とクレームをつけます。
12月13日、「鈴木宗男の秘書です」と名乗る男から電話があり、続けて鈴木議員本人が「あれはなんだ。あの新聞記事はどういうことだ。」と怒鳴り声を上げます。鈴木議員のクレームを受けて外務省がNGO会議への費用負担を撤回した、というニュースを新聞が報じたのに対し、NGO側が情報をリークしたと誤解したらしいのです。
「すぐ説明に来い」ということで議員会館の鈴木議員の部屋へ、外務省の小原雅博・無償資金協力課長と出向きます。鈴木議員は早口でまくし立て、机を叩いたり大西氏を指さしたりして恫喝しました。
12月18日には、鈴木氏を訪問したピース・ウィンズ・ジャパンの2人の職員が、同じように恫喝されます。「国民の税金を集めいてるのは俺なんだ」というセリフはこのとき出ます。

2002年1月8日、主要官庁の課長A氏から誘われ、外務省の小原氏と一緒に議員会館の鈴木氏を訪ねます。鈴木氏はまたも大西氏に対して早口で怒鳴りつけました。

2002年1月19日夕方、外務省中東アフリカ局長重家俊範氏から「鈴木さんが『朝日新聞』の『ひと』欄の記事に怒って、あなたを会議に出席させるなと言っている。」と電話を受けます。外務省の「出席自粛要請」は、夜に入ると「出席拒否」に変わります。

朝日新聞「ひと」の記事については、記者から「なぜ国連や政府機関で働かないのか」と聞かれ、「出身地の大阪の風土はお上をあまり信用しないところがあるので、自然とNGOを選んだ」と答えた文脈から抜き取られたものだとのことです。
朝日新聞掲載当日、鈴木議員は中央アジアからロシア外遊中でしたが、外務省の高官がわざわざ記事のコピーをモスクワから取り寄せ、鈴木氏に見せた、と外務省のさる課長が言っていたそうです。

1月20日未明、外務省から復興支援会議への「出席拒否」を通告されます。大西氏は戦うことを決意します。
20日正午から、記者会見に臨みます。19日夕方に外務省高官からかかった電話を紹介し、今回の「出席拒否」に鈴木氏の関与があったことを指摘しました。

大西氏には、外務省幹部とのやり取りを通じて、出席拒否の決定が外相(田中真紀子)のあずかり知らないところでなされた、という確信がありました。そこで大西氏は、PWJに所属するアフガン人スタッフのアクバル氏に、レセプション会場で田中外相に「大西氏に電話するよう」伝言を頼みます。伝言はうまく伝わり、1月21日早朝、田中外相から大西氏に電話が入ります。外相はその日のうちに、野上義二事務次官に電話で、「閉め出したNGOには22日の閉会レセプションに必ず出席してもらうように」と指示しますが、官僚はこれを無視します。
しかし事態はすでに政治問題化しており、夜になって外務省重家中東アフリカ局長から、2団体とも会議への出席を認めるという電話が入りました。翌22日、会議最終日の朝に、IDカードが発行されました。

大西氏は「最後までとことん戦う」と腹をくくり、1月26日、「サンデープロジェクト」への出演申し込みの電話をテレビ朝日に入れます。そして田原氏からの質問に答える形で、会議出席拒否の顛末を語ります。

1月29日深夜、「田中真紀子外相更迭」のニュースが流れます。対鈴木&外務省確執の後ろ盾を失いましたが、逆にこちらから打って出ようと、1月30日に記者会見します。そこで、昨年12月から4回にわたった鈴木氏との面会のやり取りを一気に公開します。これまで公表を控えてきた「恫喝」が、その夜のうちにメディアに流れました。

3月4日、大西氏は参議院の参考人招致で証言に立ちました。


《鈴木宗男氏の記述》
2001年12月のアフガン復興支援NGO国際会議の前、自民党外交部会に出席したとき、外務省からの説明で草の根無償資金の予算が充てられると聞き、本来の趣旨から外れるので認められないのではないか、とただします。鈴木氏の指摘は筋が通っているので、外務省も認めざるを得ません。
外務省は説明に窮し、「鈴木に止められてカネを出せなくなった」と事実と異なる説明をします。

大西代表と会った件について。年末に財務省の中尾武彦主計官がやってきて、「大西さんが挨拶したいと言っているので会って欲しい」というので会いました。ファーストコンタクトと言っています。

鈴木氏が大西氏と会ったのは2回。初めて会ったのは2001年12月14日、2回目は2002年1月18日、いずれも議員会館です。

1月、鈴木氏は中央アジアを経て、17日にモスクワに入り、プーチンと会見予定の森元総理と合流します。以下「闇権力の執行人」の中で、佐藤優著「国家の罠」を引用して描写しています。現地時間の午後10時前に外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局審議官がホテルの部屋を訪れ、「もうタイムリミットですので」と前置きした上で、「PWJ、JPFはかつて問題を起こした団体で、特にカネの使途で問題があったので、今回は外します」と鈴木氏に伝えます。鈴木氏は「それでいいよ」と答え、それだけのことでした。

東京に戻る飛行機の中で、鈴木氏は佐藤氏に18日付け朝日新聞「ひと」欄に載ったインタビューを示します。成田で積み込まれた18日付け朝刊を鈴木氏が読んだのは日本時間で19日のことで、その前に外務省は2つのNGOを招待しないと鈴木氏に伝えているのです。


《両記述の対比》
鈴木氏と大西氏が12月14日と1月18日に会った、という点で両者は一致しています。
ただし鈴木氏は、財務省中尾主計官といっしょの会合しか記述していません。ファーストコンタクトと称し、あたかも12月の会合を指しているようです。
一方大西氏の記述に従えば、中尾主計官というのは1月に一緒に行った主要官庁のA氏と思われます。12月は突然鈴木氏から呼び出されて会った、というのが大西氏の記述です。
ここは鈴木氏が、自分が呼び出した12月の会合について意図的に隠している、と考えたくなります。

鈴木氏によると、外務省がアフガン復興支援会議へのPWJとJPFの不参加を通告したのは19日より前であり、鈴木氏が朝日新聞を読む前だと主張しています。しかし大西氏によると、外務省から最初のコンタクトを受けたのは19日夕方ですから、この点で両者の主張は異なります。外務省はこの時点で初めて「鈴木さんが『朝日新聞』の『ひと』欄の記事に怒って、あなたを会議に出席させるなと言っている。」と電話で伝えたわけです。19日夕方なら、鈴木氏が朝日新聞を読んでからでも指示できたでしょう。
また、19日夕方に初めて外務省から大西氏に連絡したとすると、モスクワ時間17日に佐々江審議官が鈴木氏の了解を得てからずいぶん時間が経過しています。この点も両者は食い違ったままです。

大西氏の記述の中に、別のNGO「難民を助ける会」(AAR)が、鈴木議員の圧力により、出席を自粛するよう外務省から言い渡されていた、という話があります。大西らに対する出席拒否の数日前です。AARの現地会計の不正が弱みになっていたそうです。時間経過、拒否の原因からすると、モスクワで佐々江審議官が鈴木氏の了解を得た件が、AARの件であったとすると辻褄が合います。佐藤優氏の記憶違いがあり、鈴木氏がそれを利用したのでしょうか。

鈴木氏はこの事件全体について、「外務省の罠に嵌められた」というスタンスで記述していますが、上記の対比結果で見る限り、鈴木氏の主張をそのまま受け取ることはできないようです。

そうとすると、「闇権力の執行人」において、大西氏との確執を描いた以外の部分についても、信憑性が疑われることになります。
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伊勢崎賢治「武装解除」

2007-11-20 21:49:40 | 歴史・社会
伊勢崎賢治著「武装解除 紛争屋が見た世界」(講談社現代新書)
武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)
伊勢崎 賢治
講談社

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「世界」11月号で伊勢崎氏のインタビュー記事を読んで啓発を受け、その中で紹介されていた上記の本を読んでみました。アフガニスタンでの武装解除については、11月6日11月8日に記事にしています。

伊勢崎氏のことは今回初めて知ったのですが、いやはや、こんな凄い人がいたなんて、知らなかったことはまったく迂闊でした。

伊勢崎賢治氏は、1957年東京生まれ、生活保護を受ける母子家庭で育ちます。
早稲田大学と大学院に進んで建築と都市計画を学びますが、都市計画には幻滅を感じます。
卒業に際し、たまたま大学事務室の掲示板に出ていたインド政府国費留学生募集に目が留まり、インド行きが決まります。ボンベイ大学では、スラム住民のフィールドワークを始めますが、語学のハンディを克服する意味で、彼はスラム住民側の住民組織に飛び込みます。その住民組織を側面から支援するNGOから月給を支給され、住民を組織する活動を行います。結局は4年滞在後、インド政府公安部からマークされて国外退去命令を受けます。

日本に帰国したが失業状態です。インド滞在期間中に今の奥さん(日本人)と結婚しており、1年間は奥さんの稼ぎだけで暮らしました。就職活動で日本のNGOに出かけますが、そこで給料の話を切り出したところ、日本のNGOというのは、ボランティアが基本でお金の話はしないのだ、ということがわかり、唖然とします。

そこで国際NGOに目を向けます。プランという名の国際NGOの面接を受けました。プランの現場の事務所長のポストの採用基準は、その道の実務経験を有することです。しかし、「スラム住民40万人を一つの力にして開発事業を行政からもぎ取り、その結果秘密警察からマークされた」というと、先方は目を丸くして即座に採用が決まりました。

通知された着任地は、世界最貧国であるアフリカのシェラレオネでした。母親を含めて家族全員を引き連れ、4年間のシェラレオネ生活が始まります。この国のある地方で、現地スタッフ200人と年間予算数億円を使い、その地方が必要とする支援を行いました。国家予算が30億円の国でです。

アフリカから日本に戻り、いろんな仕事を手がける1999年のある日、外務省国連政策課を名乗る男性から一本の電話が入ります。
東チモールで民兵とインドネシア軍による徹底した破壊行為が行われた後、国連が東チモールにPKOを創設することになります。国連が暫定政府を設立します。この活動に参加しないかという誘いでした。
東チモール国連暫定政府で、伊勢崎氏はある県の県知事を務め、地方行政を統括しました。その県に在任する約50人の国連民政官、50人の国連文民警察、22人の国連軍事監視団、1500人の国連平和維持軍(PKF)を統括する責任を負います。

次の舞台はまたアフリカのシェラレオネです。
伊勢崎氏がNGOで赴任したシェラレオネから離任する頃、そこは内戦の舞台となっていました。反政府ゲリラRUFは、各地で住民の子ども達の両手両足を切断し、あるいは子供を誘拐して兵士に仕立て親兄弟を殺害させます。
このような悲惨な内戦が10年続き、その後停戦が成立します。
2001年、伊勢崎氏は、国連PKOミッションの武装解除を統括する部署の責任者として着任します。
以前記載したとおり、武装解除活動は、DDR(Disarmament, Demobilization, Reintegration)と呼ばれ、武装解除、動員解除、社会再統合の3つをこの順番で実施していく必要があります。
昨日まで戦っていた相手がまだ武装して近所にいる中で、いかにして双方から武器を取り上げるか。そのような困難な仕事を、伊勢崎氏はやり遂げます。2002年4月、武装・動員解除の完了を見届けて国連を退職し、帰国して大学教授になりました。

そしてアフガニスタンです。
2002年、突然外務省から電話がかかります。アフガニスタンのDDRを、日本が背負うことになっていたようなのです。武装解除は武器を扱う軍事オペレーションであり、日本のODAが最も忌避していた分野です。なぜ日本が?
川口順子外務大臣がアフガニスタンを訪問し、「復員についてお手伝いを」的に発案した結果がこれだったようです。
ということで伊勢崎氏は、外務大臣任命の日本政府の特別顧問としてカブールの日本大使館にDDR班を構えることになります。大学を止めるわけにはいかないので、1年間の期限で、この任務に就くことになりました。
1年経過後に伊勢崎氏は離任しますが、その後を後任者が引き継ぎます。そしてこの任務の成果は、以前に報告したとおりのすばらしいものでした。

いやはや、こんなすごい日本人がいたんですね。

なお、書名にある「紛争屋」について。
世界のどこかで紛争が起き、国連が介入すると決めた場合、速やかに派遣団を集めなければなりません。まずトップグループの人選が進み、選ばれた人たちが、実働部隊を速やかに集めます。このとき、紛争解決の実力と実績を持ち、なおかつすぐに馳せ参じることのできる人たち、これを伊勢崎氏は「紛争屋」と呼んでいるのです。
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通常実施権登録制度

2007-11-18 17:37:55 | 知的財産権
通常実施権等登録制度については、産業構造審議会知的財産政策部会特許制度小委員会通常実施権等登録制度ワーキンググループで検討が進められてきました。今年7月26日に第1回を開催し、10月29日の第4回を持って完了したようです。

そして通常実施権等登録制度ワーキンググループ報告書(案)に対する意見募集が11月に始まりました。この中で、通常実施権等登録制度ワーキンググループ報告書(案)(PDF)を読むことができます。

今までこのワーキンググループの活動をあまりフォローしていなかったのですが、今回この報告書に目を通してみました。

特許法上の通常実施権の法的性質について報告書では、「排他的独占権を有する特許権者等に対して、差止請求権及び損害賠償請求権を行使しないように求める不作為請求権を中核とするものである」と説明しています。

特許権者甲と実施権者乙の間で、乙が甲の特許権を実施できる旨の実施許諾契約を締結する場合、その契約は登録するまでもなく、甲と乙の間で有効です。
しかし、甲がその特許権を第三者である丙に譲渡した場合、丙が乙の実施権を認めなかったら、乙は実施権を失います。
また、甲が破産したとき、破産管財人は乙への実施許諾契約を解除することが可能です。

このような不安定な実施権では、乙は安心して生産設備に巨額投資することができません。

一方、特許権の通常実施権の登録制度があり、通常実施権を特許庁の特許原簿に登録しておけば、上記の転得者丙に対しても、破産管財人に対しても対抗することができます。
ところがこの登録制度、通常実施権者の氏名、通常実施権の範囲、通常実施権の対価が、記載事項となっています。そしてこの記載事項は、だれでも閲覧することができます。
ライセンスを受ける企業としては、このような情報は本来営業秘密としておきたい事項であることから、この登録制度というのは実際にはほとんど利用されていません。
このような状況を打破すべく、通常実施権登録制度の改訂が議論されていると理解していました。
報告書を見ると、権利発生後の通常実施権のみならず、出願段階における登録制度の創設も議論されていました。

《出願段階におけるライセンス登録制度》
出願段階でも、「甲のこの出願が特許になったとしても、乙は実施を確保したい」と考える場合、乙は甲との間で許諾契約を締結します。その後、出願人が甲から丙に変わったとしても、この権利を確保するニーズがありますから、権利化後の特許権と同様、出願段階についても登録制度の必要性は確かにあります。そして今回、そのような登録制度が創設される方向です。

《特許を受ける権利の移転の登録制度》
現行制度では、特許を受ける権利(出願人の地位)を甲から丙に移転しようと考えたら、甲から丙への譲渡証書を添付して、丙が単独で特許庁に手続きして終了です。ワーキンググループは、出願段階のライセンス登録制度を創設するに当たり、現行制度は問題有りと結論しました。
そして、特許を受ける権利は、特許権と同様に登録制度によって保護すべきとしました。
特許出願後における特許を受ける権利の特定承継について、効力発生要件としての登録制度が導入されます。
特許を受ける権利の譲渡人と譲受人の共同申請になります。登録免許税も必要となるようです。

《通常実施権登録制度の見直し》
通常実施権の対価については登録記載事項から除外されます。
「通常実施権者の氏名等」「通常実施権の範囲」については、登録記載事項のままですが、一般には非開示とし、一定の利害関係人にのみ開示します。利害関係人には、通常実施権許諾者、通常実施権者、対象特許権等の取得者、質権者、差押債権者、仮差押債権者、管理処分権者が該当します。
独占的通常実施権とサブライセンス特約については、継続検討課題とされ、今回の見直し対象からは除外されました。
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オシム監督倒れる

2007-11-17 14:49:38 | サッカー
サッカー日本代表のオシム監督が脳梗塞で倒れたと聞きました。

私の父も脳梗塞で倒れ、その後長期間にわたってリハビリ生活を送りましたので、状況がだいたいわかります。オシム監督が倒れたときの状況を伝え聞く限り、症状は軽くなく、半身不随という後遺症が残る可能性が高いでしょう。右半身不随であれば、言語にも重い障害が残ります。野球の長嶋茂雄氏と同様の症状が予想されます。

今は命をとりとめることと快癒されることを祈るばかりですが、サッカー代表監督を継続することはおそらく困難でしょう。
今朝の日刊紙朝刊では、「オシム氏は監督としてかけがえのない人」との論評が多いですが、湯浅健二氏の論評(当ブログの10月23日10月28日)に従えば、オシムサッカーは、現在の少なくとも欧州で「よいサッカー」といわれている共通認識を具現しているようなので、同じサッカーを継承してくれる監督適任者は見つかるはずと思います。
湯浅氏とも交友のあるブッフヴァルト氏(元レッズ監督)などいいと思いますが。


オシム氏が倒れた直後、救急車を呼ぶのが大変だったようですね。
オシム監督119番、フランスから…日本の知人つかまらず
11月17日2時42分配信 読売新聞
「【パリ=若水浩】オシム監督を日本に招くなど、深い関係を持つフランス在住の祖母井(うばがい)秀隆・グルノーブル(フランス2部リーグ)GMは16日、オシム監督が倒れた直後の様子を語った。
 15日午後6時(日本時間16日午前2時)ごろ、祖母井さんは(息子でJ1千葉の)アマル・オシム監督から「何人かに電話したがつかまらないので、そちらから救急車を呼んでくれないか」という電話を受けた。フランスからは日本の119番に通報できないため、祖母井さんは何人かの知人に電話をかけ、深夜に起きていた人から通報してもらったという。
 祖母井さんは「自分がジェフにいた時は、いつでも連絡が取れた。私が日本にいれば」と悔しがり、「ここ2日間ぐらいが危ないと聞いている。回復を祈るしかない」と語った。」

祖母井さんについては、10月25日に記事にした「サッカー批評「Jリーグ批評」」のセルジオ氏と宇都宮徹壱氏の対談の中で、セルジオ氏の発言で知りました。
セ「いつも思うんだけど、反町はU-22の監督なの? それともオムのコーチなの? 」「コーチがいくら喋っても、選手が知らん顔してるの。カリスマがないでしょ、コーチに。オシムはただ立っているだけ。大熊(清 コーチ)と反町がわーわー声出して、反町がいない時には小倉(勉 コーチ)が声出して。誰が仕切っているんだか、さっぱり分からない。そんなナショナルチーム、見たことないよ。あれじゃ、勝てる大人のチーム、作れないよ。通訳(千田善)も気の毒だよ。セルビア語を彼しか知らない。できる人少ないから。でも、ジェフの通訳(間瀬秀一 現ジェフ千葉コーチ)、どうして連れてこなかったの?」
宇「それはアマルの通訳だからですよ。」
セ「どっちが大事なのよ。それとグルノーブルに行った祖母井さん(秀隆 当時ジェフ千葉GM)、なんで協会が雇わなかったのよ。オシムって難しいのよ、人間的に。だったら祖母井さんと通訳、オシムをセットで協会に入れればよかったじゃない。」
宇「祖母井さんは、川淵さん(三郎 協会会長)とは仕事はしたくないと明言して、グルノーブルに去っていったわけですが。」
セ「だからさ、やってることがすべて突貫工事なの。去年の成田での貧しいスタートが、今まで尾を引いている。もう少し余裕を持って、体制を作ってから(スタッフを)選べばよかったじゃない。」

この対談から、オシム氏の位置づけ、オシム氏と祖母井氏との関係が分かりました。
夜中の午前2時、アマル・オシム氏と共通の言語で話ができる日本人は、フランスにいる祖母井さんただ一人だったということですね。
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百家争鳴の教育再生論議

2007-11-15 23:09:00 | 歴史・社会
日経新聞11月9日「経済教室」で、JR東海会長の葛西敬之氏が、「百家争鳴の教育再生論議 教員定員増より質向上を」と題して寄稿されています。葛西氏は教育再生会議委員と言うことです。

今年四月に、小学校6年生と中学3年生を対象に全国学力テストが行われました。日教組などの反対で長らく実施できなかったのがようやく実施できたのは前進ですが、中身が問題としています。「基礎知識はほぼ満足だがその活用能力にやや難がある」という結果分析でしたが、「このテストは、公教育の失敗が目立たないように設計され、おおむね所期の結果を得たのだろう」という葛西氏の批評です。

最近発表された新しい学習指導要領はゆとり教育による学力低下の反省にたち、約40年ぶりに小中学校の授業時間を増加させているということですが、肝心の国語、算数などの主要科目の履修時間は不足しているままです(小学4~6年の年間総必修時間)。
国語は、英:251時間、仏:237時間に対し、日本は147時間、新要領でも149時間です。
算数は、英:207時間、仏:169時間に対して日本は113時間、新要領でも131時間です。

一方、主要科目(国・算・理・社)以外の授業に充当される時間は310時間と、英の269時間、仏の297時間をかなり上回ります。新要領でもあまり変化はなく、「総合学習」も残っています。

葛西氏はこの現象について「技術、家庭までも含めた全教科の教員の雇用確保が子供の学習ニーズより優先されているからにほかならない」と断じています。
「ゆとり教育は『生きる力の育成』という理念をかかげながら、実は勢力維持・拡大を狙う『教育ギルド』、つまり文科省を頂点とする教育界の関係者が、教員の雇用をあまねく確保し、授業時間を『分かち合う』ものであった。新要領も彼らが自らの無謬性を損なわない範囲で少し譲ってみせた折衷案の域を出ない。」

文科省は教育再生会議を踏み台として、教員の「定員増加」と「待遇改善」の予算化に動いています。

教員1人当たりの年間授業時間を各国で比較すると、主要五ヶ国(日英仏独米)平均では小学校846時間、中学校768時間ですが、わが国はそれぞれ578時間、505時間と3割程度少ない時間です。
授業時間が少ないのは行政が求める報告書の作成・提出やムダな職員会議に時間を取られるからという現場の声も聞くそうです。

文科省は3年間で21000人の定員増とともに年間2400億円に上る給与改善を要求していますが、日本の教員の給与水準は、地方の民間企業給与よりも高い一般行政職の地方公務員の上を行く、ということです。

「資質、能力の高い教員を確保する際の決定的な障害は、中世のギルドによるマイスター制さながらの教育学部優先の教員免許制度であり、わずかな給与の改善など無関係だ。教職課程による障壁を下げ教科の知識を中心に据えた教員採用に転換することこそが重要だ。
抜本的教育再生は足元の現実を一歩ずつ改善するというより、有るべき姿を展望し、そこに至るための必要で十分な徹底した施策を提起することから始まる。」
「今後5年、教員採用を原則、退職教員の2/1以下に抑制し、必須の事由がある場合にのみ個別精査の上承認することを提案したい。退路を断たれたとき初めて個人も組織も現実を直視し、自己改革に活路を求めるようになる。それを内部から支えるまじめな教員は少なくないはずだ。」
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キャノンインクタンクの再生使用と消尽-最高裁判決

2007-11-13 19:44:01 | 知的財産権
前回は特許権消尽の一般論について記載しました。今回はキャノンとリサイクルアシストの具体的判事事項について述べます。
なお、高裁判決については、2006年4月7日4月8日4月9日の記事を参照してください。

最高裁判決(裁判所ホームページ)では、リサイクルアシスト(再生業者)の行為のうち2点について指摘しています。

《タンクに穴を開けてインクを補充したこと》
最高裁判決は、
(a)キャノン製品のインクタンクにインクを再充てんして再使用することとした場合には,印刷品位の低下やプリンタ本体の故障等を生じさせるおそれもあることから,これを1回で使い切り,新しいものと交換するものとしており,
(b)そのためにキャノン製品にはインク補充のための開口部が設けられておらず,
(c)そのような構造上,インクを再充てんするためにはインクタンク本体に穴を開けることが不可欠であって,
(d)リサイクルアシスト製品の製品化の工程においても,本件インクタンク本体の液体収納室の上面に穴を開け,そこからインクを注入した後にこれをふさいでいるというのである。
(e)このようなリサイクルアシスト製品の製品化の工程における加工等の態様は,単に消耗品であるインクを補充しているというにとどまらず,インクタンク本体をインクの補充が可能となるように変形させるものにほかならない。
としています。

知財高裁判決ではどうでしょうか。
高裁判決では第1分類に該当するか否かの判断において、以下のように判示しています。
「当初充填されていたインクがすべて費消された場合には,・・・インク以外の構成部材には物理的な変更は加えられておらず,・・・インク収納容器として再度使用することは可能な状態にある」
「インク充填用の穴が設けられていないことは,本件発明1の目的に照らして不可避の構成であるとは認められない。」
「本体に穴を開ける工程が含まれていても、消耗部品の交換に該当する。」
「本件において,特許権が消尽しない第1類型には該当しない」
(a)の「印刷品位の低下やプリンタ本体の故障等を生じさせる」点については高裁判決も言及していますが、それは「インク再充填前に内部を洗浄しなかった」場合です。内部を洗浄している本件では、この話は本質的でありません。
地裁判決でも、「インクの再充填によるインクの変質、プリンタの印字品質の低下やヘッドの目詰まりを示す証拠はない」と認定されており、この認定は高裁判決でも覆っていません。

「穴を開ける」点について、最高裁は高裁判決を修正したのでしょうかしていないのでしょうか。
最高裁判決が「穴を開ける」点について言及したことが、結論にどのような影響を及ぼしたのか、この段階ではよくわかりません。


《タンク本体の内部を洗浄した上でインクを補充したこと》
最高裁判決は、
(a)プリンタから取り外された使用済みのキャノン製品については,1週間~10日程度が経過した後には内部に残存するインクが固着するに至り,
(b)これにその状態のままインクを再充てんした場合には,・・・(本件発明の)機能が害されるというのである。
(c)リサイクルアシスト製品においては,本件インクタンク本体の内部を洗浄することにより,そこに固着していたインクが洗い流され,・・(本件発明の)機能の回復が図られるとともに,
(d)使用開始前のキャノン製品と同程度の量のインクが充てんされることにより,インクタンクの姿勢のいかんにかかわらず,圧接部の界面全体においてインクを保持することができる状態が復元されているというのであるから,
(e)リサイクルアシスト製品の製品化の工程における加工等の態様は,単に費消されたインクを再充てんしたというにとどまらず,使用済みの本件インクタンク本体を再使用し,本件発明の本質的部分に係る構成(構成要件H及び構成要件K)を欠くに至った状態のものについて,これを再び充足させるものであるということができ,本件発明の実質的な価値を再び実現し,開封前のインク漏れ防止という本件発明の作用効果を新たに発揮させるものと評せざるを得ない。
としています。

この点については、高裁判決と同旨であるようです。

私は最高裁及び知財高裁のこの考え方に納得できません。

内部に液体を充填し、装置と液体との相互作用によってある機能を実現する特許製品があったとします。例えば特定の特徴を有する油圧装置です。
内部の油が劣化して内部に詰まり、かつ油が減量したとします。このままでは特許製品の機能は発揮されず、使用不能です。このとき、劣化した油垢を洗浄して取り除き、新しい油を充填したとします。当然に特許製品の機能は回復します。
このような洗浄・充填作業を特許権者以外の人が行ったら、この行為は特許権の侵害になるのでしょうか。特許権者が「油垢が溜まったということで、装置の寿命です」と言ったとしたら、その装置を廃棄せざるを得ないのでしょうか。私は納得できません。
今回の判決はそのような考え方に立っているとしか思えません。

装置の内部は一切交換せず、洗浄して機能を回復しているだけです。
吉藤「特許法概説」によれば、このような場合は、
「②特許部分の修理・・・修理の内容による(下記)
(a)特許部分の部品を取り替えないオーバーホール・・・非侵害」
に該当し、非侵害と判断されるでしょう。吉藤先生のこの考え方が妥当だと思います。
今回事件の地裁判決が同旨のロジックであり、こちらの方が納得できます。

約2年前の知財高裁判決の際も、上記のような議論は聞かれませんでした。今回も、この点については議論されないままに終わるのでしょうか。

《タンク穴開けと内部洗浄の合わせ技》
最高裁判決はひょっとして、判決の中で説示した一般論の「特許製品の新たな製造に当たるかどうかについては,当該特許製品の属性,特許発明の内容,加工及び部材の交換の態様のほか,取引の実情等も総合考慮して判断するのが相当であり」を適用するに当たり、「この製品にはインク充填用の穴がない。わざわざ穴を開けたことと、洗浄したことの合わせ技で、総合考慮して判断し、侵害と判断した」のかもしれません。
洗浄と充填だけでは、侵害と判断するのに十分ではなかったということでしょうか。それだけ侵害・非侵害の境界にあったということですね。その点では、「洗浄と充填」だけで侵害と判断した高裁判決よりも後退しています。
また、合わせ技を適用するとなると、高裁判決のように第1類型、第2類型と分けて考えるわけにいかなくなります。たしかに最高裁判決からは第1第2類型が消滅しています。

そうだとしたら、さすがに事実認定の変更ではないにしても、侵害と判断するまでのロジックが結構高裁判決とは相違してくるので、最高裁で自判せず、高裁に差し戻す方が筋であるようにも思います。それとも「結論が変わらないならこれでいい」ということでしょうか。
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特許権の消尽-キャノン最高裁判決

2007-11-11 20:12:40 | 知的財産権
「プリンター用のインクカートリッジを非特許権者が再生する行為は、特許権の侵害に当たるか否か」という命題について、キャノン(特許権者)とリサイクルアシスト(再生業者)が争っていた事件の最高裁判決が11月8日に出されました(裁判所ホームページ)。
と思っていたら、同じ命題についてのセイコーエプソン(特許権者)とエコリカ(再生業者)の訴訟の最高裁判決が、11月9日に出たのですね。

キャノン事件の知財高裁判決についてはこのブログで、2006年の4月6日4月7日4月8日4月9日に記事にしてきました。エプソン事件は2006年10月24日です。

まずここでは、キャノン事件について、「一般論としてどのような場合に、再生行為は特許権侵害と認められるのか」を、吉藤著「特許法概説」、キャノン知財高裁判決、今回のキャノン最高裁判決の対比という形で見てみます。

《吉藤著「特許法概説」》
特許法概説12版443~446ページでは、「特許部分」を「特許品のうち、特許発明としての特徴を具備する構造部分」と定義し、以下のように整理しています。
①特許部分以外の部分の修理・・・非侵害
②特許部分の修理・・・修理の内容による(下記)
(a)特許部分の部品を取り替えないオーバーホール・・・非侵害
(b)特許部分を全面的に取り替え・・・侵害
(c)全面的取り替えに準ずる程度に取り替え・・・原則侵害
 (保証耐用期間以内にメーカーに代わって修理 → 侵害とは言えない)
(d)特許部分の過半数に満たない部品の取り替え・・・原則非侵害
 (各部品の技術的価値に差異がある場合は例外としてその差異を考慮)
(e)修理の程度が(c)と(b)の中間・・(c)と(b)のどちらに近いかで決めざるを得ない
(f)特許部分の一部が他の特許部分に比べ著しく破損又は摩耗しやすい部品である場合
  → 製砂機ハンマー事件(侵害とする)を紹介

《知財高裁大合議判決》
第1類型・第2類型に該当する場合は、特許権は消尽せず、特許権者による権利行使が許されるとしています。
[第1類型]その特許製品が製品としての本来の耐用期間を経過してその効用を終えた後に再使用又は再生利用がされた場合
[第2類型]第三者により特許製品中の特許発明の本質的部分を構成する部材の全部又は一部につき加工又は交換がされた場合

以下、高裁判決の「特許製品中の特許発明の本質的部分を構成する部材」を、特許法概説にならって「特許部分」と呼びます。
高裁判決の第1類型・第2類型の分類において、耐用期間経過後の再生利用であっても、特許部分の加工又は交換による再生利用であれば、第2類型が適用されます。従って、第1分類の存在意義は、特許部分以外の修理による再使用・再生利用であると考えることができます。
そうすると、高裁の第1類型は、吉藤の①に対応し、高裁の第2類型は吉藤の②に対応するということができます。そのように考えると、高裁判決は、吉藤にも記載された従来の考え方を以下のように修正したということができます。
(1)特許部分以外の部分の修理であっても、その修理によって本来の耐用期間を経過してその効用を終えた後に再使用又は再生利用を可能とした場合には、特許権は消尽せずに侵害となる。
(2)特許部分の加工又は交換については、従来は(a)から(f)まで細かく分類わけして侵害か非侵害かを検討していたが、特許部分の一部であっても加工又は交換がされたら特許権は消尽せずに侵害となる。

《最高裁判決》
(a)特許権者等が我が国において譲渡した特許製品につき加工や部材の交換がされ,それにより当該特許製品と同一性を欠く特許製品が新たに製造されたものと認められるときは,特許権者は,その特許製品について,特許権を行使することが許されるというべきである。
(b)上記にいう特許製品の新たな製造に当たるかどうかについては,当該特許製品の属性,特許発明の内容,加工及び部材の交換の態様のほか,取引の実情等も総合考慮して判断するのが相当であり,
(c)当該特許製品の属性としては,製品の機能,構造及び材質,用途,耐用期間,使用態様が,
(d)加工及び部材の交換の態様としては,加工等がされた際の当該特許製品の状態,加工の内容及び程度,交換された部材の耐用期間,当該部材の特許製品中における技術的機能及び経済的価値が考慮の対象となるというべきである。


最高裁判決は知財高裁判決に比較し、極めて雑ぱくとした判断基準になりましたね。
吉藤の②類型(知財高裁の第2類型)については、知財高裁判決よりも吉藤の方が精緻です。
そして最高裁判決では、第1類型、第2類型の区別さえなくなりました。

一体最高裁判決は、今後普遍的に用いられるべき判断基準として、どのような基準を提示したというのでしょうか。

キャノン事件における具体的な判断については、次号に記載します。
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