弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

真珠湾攻撃

2008-09-30 20:28:18 | 歴史・社会
前回の太平洋航空博物館に続き、真珠湾攻撃について書きます。

日本帝国海軍が遂行した真珠湾攻撃は、連合艦隊司令長官の山本五十六が着想し、第一航空艦隊航空参謀の源田實中佐が詳細立案に携わり、空母赤城飛行隊長の淵田美津雄中佐が飛行機隊の指揮を執って実行されました。
その淵田美津雄と源田實がそれぞれ、真珠湾攻撃について記述した本があります。以下の2冊です。
真珠湾攻撃 (PHP文庫)
淵田 美津雄
PHP研究所

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真珠湾作戦回顧録 (文春文庫)
源田 実
文藝春秋

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今回真珠湾を訪れるに際し、この2冊を読み返しました。
1941年2月、真珠湾攻撃の計画検討が開始された頃、母艦搭載機による艦船攻撃能力はまだ貧弱でした。
艦船を攻撃する艦載機として、艦上攻撃機(艦攻)と艦上爆撃機(艦爆)があります。艦上攻撃機(写真)は、高空から爆弾を投下する水平爆撃と、低空を飛んで魚雷を発射する魚雷攻撃を行います。艦上爆撃機(写真)は急降下爆撃を行います。
戦艦の甲板を覆う厚い装甲板を突き破るためには、水平爆撃で高度4000mから徹甲爆弾を投下する必要がありました。命中精度は悪く、数十機の艦攻での攻撃ではとても戦艦を撃沈できない状況でした。また艦爆による急降下爆撃ではそもそも戦艦の装甲を突き破ることができません。
魚雷攻撃は有効ですが、真珠湾の湾内では使用不可能でした。飛行機で魚雷攻撃を行う際、100m程度の高度で魚雷を投下すると、水中に入った魚雷は一度60mぐらいまで沈み込み、その後水面下まで浮上して直進し、艦船を攻撃します。ところが真珠湾の水深は12mしかありませんから、魚雷攻撃は所詮不可能でした。

魚雷攻撃については、まずはパイロットの技量を向上し、高度20mでの魚雷投下を実現しました。真珠湾東岸の海軍工廠の上を抜けると直ちに高度を20mまで下げ、そこで直ちに魚雷を投下する技量を身につける必要がありました。
雷撃の専門家である村田重治少佐が中心となり、鹿児島湾で猛訓練を行います。鹿児島市街を真珠湾海軍工廠に見立て、市街地のすれすれを飛んで鹿児島湾に入り、直ちに高度を20mまで下げるという訓練です。
その技量を身につけ、高度20mで魚雷を投下しても、魚雷の沈降する水深(沈度)は安定しません。偶然の思いつきで魚雷の上面に太い白線を描いて飛行機から投下し、着水するまでの魚雷の状態を高速写真で撮影したところ、ほとんどの魚雷は空中で長軸の回りを回転しながら落下することが判りました。魚雷の深度調整は尾部の横舵(水平蛇)で行いますが、着水したときに魚雷が回転して横舵が垂直を向いていたら、深度調整ができないことになります。
この難問を克服するアイデアとして、ジャイロを利用した安定機を創出しました。魚雷の側方に安定舵を設け、この舵の作動によって魚雷の長軸まわりの回転を抑えてやろうというものです。源田氏の著書によると、安定機は空中と水中の両方で作動しなければならないので、水中舵として適当な大きさ(8センチ角)の鋼製の翼を魚雷に固着し、空中舵としてはさらに幅12センチ、長さ20センチの木製板をこれに継ぎ足して舵の効きをよくし、射入時の激流で木製舵は取り除かれるようになっているとのことです。
下の写真で魚雷の中程やや後方の側方に設けられた木製の板が、これに該当するようです。
  
  Arizona Memorial Museum

  Pacific Aviation Museum

ネットでの情報を総合すると、水平ジャイロの働きで魚雷の長軸まわりの傾きあるいは回転を検出し、それに応じて木製の安定舵を操作して回転を止め、尾部の横舵が水平を向いた状態で海面に到達するように制御できるようです。空中で魚雷が右に傾けば右の安定蛇後端を下げて左の安定蛇後端を上げ、魚雷が左に傾けば安定蛇を逆に動かし、これによって着水時には魚雷の上下軸を鉛直方向に安定させたものと思われます。金属製の安定蛇も木製安定蛇と同じように動作したかどうか、その点はわかりませんでした。
かくして、パイロットの技量向上と魚雷の技術進歩が相まって、水深12mの真珠湾でも魚雷攻撃が可能となったのです。

それでは、上の写真で魚雷の尾部に装着された木製の部品は何でしょうか。
こちらの情報によれば、框板(きょうばん)という、空中雷道、とくにそのピッチングを制御するための尾部フィンであるとのことです。

この技術を完成する上で、航空廠の片岡政市少佐が不眠不休の努力を行ったということです。当時、航空本部にあって雷撃兵器の生産を担当した愛好文雄少佐の努力、生産を担当した三菱兵器製作所の努力も大変なものでした。そして、真珠湾への出発直前に、改良魚雷100本を完成することができたのです。


次に水平爆撃です。
当時、800キロ徹甲爆弾が完成していました。戦艦長門の主砲40センチ砲の砲弾を爆弾に改造したもので、当時就役していたアメリカの艦艇で、高度3000mから投下するこの爆弾に耐え得るものはありません。

  Pacific Aviation Museum

さらに水平爆撃搭乗員の技量の向上が大きかったです。
第1航空戦隊に空母赤城が旗艦として加えられ、この赤城の艦攻隊分隊長として布留川泉大尉が着任します。彼とともに操縦一飛曹渡辺晃、偵察一飛曹阿曾弥之助というコンビが乗り込みます。布留川大尉の指導の下に、この二人がコンビで行った爆撃成績が、水平爆撃に対する評価を根底から改めさせます。命中率が格段に向上したのです。
それまで、爆撃操縦法では、小角度の変針には方向舵のみを用いていましたが、これでは横滑りを伴います。小角度の変針も補助翼を併用する方法に変更し、爆撃の精度が大幅に向上しました。

真珠湾に停泊する戦艦は、2隻が平行に並んでいます。フォード島の外側に位置する戦艦は魚雷攻撃が可能ですが、フォード島側に位置する戦艦については魚雷攻撃ができません。上記のように水平爆撃能力が向上した結果として、真珠湾に停泊するすべての戦艦を攻撃することが可能となったのです。


雷撃を指揮した村田重治少佐は、1942年10月、南太平洋海戦で、敵空母雷撃に出たまま帰って来ませんでした。水平爆撃の布留川大尉も、1944年2月、陸攻14機を率いて夜間攻撃に出かけたまま、ついに還ってきませんでした。
急降下爆撃を率いた江草繁少佐は、1944年のマリアの海戦において帰らざる人となり、ゼロ戦隊を率いた板谷茂少佐は、北千島の空でその人生を終わりました。

真珠湾攻撃の立役者として名前が出てきた軍人で、終戦まで生き残ったのは淵田中佐と源田中佐の二人だけかもしれません。


以上のような準備を完了した上で、真珠湾攻撃は敢行されます。その点については次回に。
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アフガニスタンとベトナム戦争

2008-09-28 17:54:50 | 歴史・社会
アフガニスタンではタリバーンの抵抗活動が各地で活発となっています。アフガニスタンで「対テロ戦」を戦う米国は、この状況を「テロ脅威の拡大」とみなし、派遣兵力を増強することによって対抗しようとしています。

タリバーン勢力による武力活動は「テロ行為」であって撲滅すべき悪であり、これに対してアメリカが兵力を送り込むことは正義の行使である、とのスタンスです。
アメリカは自分たちが擁立したカルザイ政権を支援するわけですが、カルザイ政権が有する脆弱性、政権の腐敗も見え隠れします。政権がタリバーンからカルザイ政権に替わった後、アフガニスタンでのケシの栽培量が急激に増大したといわれます。

この状況、不思議な既視感が伴います。そう、ベトナム戦争です。

ベトナム戦争当時、南ベトナムは自由主義陣営、北ベトナムは共産陣営に属し、南ベトナムの反政府勢力であるベトコンを北ベトナムが支援する状況でした。
アメリカをはじめとする自由主義陣営は、「ほっておくと東南アジアの諸国が次々と共産化される」という「ドミノ理論」に恐怖し、何とか南ベトナムの共産化を阻止しようとします。
その結果、米国はベトナム戦争の泥沼に引きずり込まれていきました。
米国が支援しようとした南ベトナムのゴジンジェム政権は、実は腐敗した政権であり、とても米国のパートナーとはなり得なかったのですが。

ベトナム戦争当時、ベトコンとそれを支援する北ベトナムは、自由主義陣営にとって共通の敵として認識されました。しかし結局はベトナムで人々の共感を得たのは南ベトナム政権ではなく北ベトナム政権とベトコンだったわけで、最終的に米国はベトナムから撤退し、南ベトナム政権は崩壊しました。

現在のアフガニスタンにおけるタリバーン勢力は、アルカイーダを支援する憎むべきテロ集団として認識されています。タリバーン勢力が伸張するということは、それだけテロの脅威が増しているのであって、当然のこととして撲滅すべき対象として扱われます。

しかし、アフガニスタンの人々にとってはどうなのでしょうか。
タリバーン勢力がアフガニスタンで勢力を伸張しているということは、それだけアフガニスタンの地域の人たちの支持を受けているためではないかと考えてしまいます。
対してアメリカ軍が進出した地域では、こちらにも書いたように、誤爆によって住民に犠牲者が出たり、住民の顰蹙を買うことが増え、アメリカを敵視するアフガニスタン住民が増大しているように思われます。

そうだとしたら、タリバーン勢力の伸張に対抗するために米軍を増派するということは、却って火に油を注いでいるに過ぎない、ということになり、状況はますます悪化の一途をたどることになります。

今アメリカでは、大統領候補のオバマもマケインも、アフガニスタンへの増派を必要と考えているようです。
米国にとって第二のベトナム戦争にならなければいいのですが。
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新司法試験知的財産法問題(2)

2008-09-26 21:41:03 | 知的財産権
真珠湾攻撃の話題を一時中断し、きょうは新司法試験の話題です。

9月9日に、今年の新司法試験で選択科目知的財産法で出題された問題について話題にしました。

問題文に「乙は,甲発明の特許権について,・・・甲から,専用実施権の設定を受け」と書かれているのに対し、専用実施権の登録が行われている場合と行われていない場合を場合分けして答案に記述することが求められているか否か、という議論でした。

ははさんからもご紹介があったように、法務省の平成20年新司法試験の結果についてというサイトで論文式試験出題の趣旨(pdf)が公表されました。

公表された出題の趣旨では、登録の有無について場合分けして記載することが求められていないことが判明しました。

受験界では、「場合分けすべきである」という意見の人が多かったらしく、その根拠が、中山信弘「工業所有権法 上 特許法」の記載にあるらしいのです。

「工業所有権法 上 特許法」(弘文堂)第2版の433頁には、
「専用実施権のほとんどは契約によって成立しているが、遺言によっても成立しうるし、また職務発明の場合は勤務規則等によっても成立しうる。そして、登録が効力発生要件となっているが、それは登録をしなければ特許法に規定されている専用実施権としての効力が発生しないというだけのことである。」
と記載されています。以下、上記に含まれる2つの文をそれぞれ、「上記第1文」「上記第2文」と呼びます。

この記載から、「専用実施権は契約すれば未登録でも成立している。登録しなければ効力が発生しないというだけである。」と読むというのです。「成立と効力発生は別」と読みます。その帰結として、「専用実施権の設定を受け」は未登録の場合も含む、と読むわけです。

これが中山先生のお考えだとしたら、変なことを考えておられるものだと首をひねりました。そしてこの本をよく眺めた結果、以下のような結論に達しました。

上記第1文で言いたいことは、「専用実施権は契約すれば未登録でも成立している。」ということでしょうか。もっと大事なこと、「専用実施権が成立する起因となる事象として、契約が起因となることが多いが、遺言や勤務規則が起因となることもある。」と言いたいはずです。契約などはあくまで「起因」ですから、「契約があれば未登録でも専用実施権が成立する」などと言いたいのではありません。

そうすると、上記第1文と上記第2文はまったく異なる内容を言わんとする文章であることになります。
つまり、本来上記第1文と上記第2文は別の段落に分けて記載すべき内容なのです。接続詞も「そして」はふさわしくありません。


同じ中山先生は「注解特許法」という本も編著されています。「注解特許法」の特許法77条(専用実施権)は中山先生ご本人が執筆されています。そしてその内容を読むと上記の事情は一層明らかになります。(第3版813ページ)
「専用実施権の大半は特許権者と実施権者の間の契約による。遺言により専用実施権を設定することも・・・。また、職務発明については・・・勤務規則その他の定めにより、専用実施権を設定することもできる。
 なお、専用実施権は設定の登録によりその効力が生ずる。しかし、それは登録をしなければ特許法上定められた専用実施権の効力が発生しないということであり、独占的な実施権を付与するという合意が成立している限り、当事者間ではそれなりの効果が生ずると解すべきであろう。 差止請求権等を有する専用実施権は・・・未登録の専用実施権の設定契約は・・・。」

こちらでは「成立」との文言は使っておらず、第1段落の最後で「設定」を使っています。第1段落の「設定」は登録まで完了している場合のみを対象としているとしてもおかしくありません。そして「なお」以降は段落を改めています。

こうして対比してみると、「工業所有権法 上」の問題の記載は、「中山注解」の上記部分と同じことを述べているに過ぎません。それなのに、なぜ中山注解とは異なった誤解されやすい文章に変わってしまったのか、理解できません。司法試験受験生を惑わせてしまったことは明らかです。


ここまでで得られた解釈に従って、誤解がないように「工業所有権法 上」を書き直すと以下のようになります。
「専用実施権のほとんどは契約を起因として成立しているが、遺言を起因として成立しうるし、また職務発明の場合は勤務規則等を起因としても成立しうる。
 なお、登録が効力発生要件となっているが、それは登録をしなければ特許法に規定されている専用実施権としての効力が発生しないというだけのことである。・・・当事者間においては強行法規に抵触しない限り当事者の意思に近い効果が認められてしかるべきである。たとえば契約による専用実施権設定契約を締結したが未登録である場合、当事者間では独占的な実施権を付与するという合意は成立しているのであり、独占的通常実験としては扱われるべきである。・・・」

つまり、「なお、登録が効力発生要件となっているが、それは登録をしなければ特許法に規定されている専用実施権としての効力が発生しないというだけのことである。」の部分は、それよりも前の文章とつながるのではなく、それよりも後の文章とつながってはじめて意味を持つ文章だったのです。

未登録の場合を論じるに際しては、ちゃんと「設定契約」という文言を使い、「設定」とは分けています。

以上のように考えると、今回の騒動において、「専用実施権の設定を受け」は未登録の場合も含むと解釈したのは、決して中山先生が唱えている説ではなく、中山先生の(誤解しやすい)記載から生じた誤解であった、ということになりそうです。
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太平洋航空博物館

2008-09-24 20:03:16 | 歴史・社会
前回報告した戦艦ミズーリから、フォード島をさらに南下したところに太平洋航空博物館があります。第二次大戦中から存在する格納庫を利用しているようです。
左下がその正面です。直ぐ近くに、右下のような古い管制塔が立っています。
  
 太平洋航空博物館              古い管制塔
入り口を入ったところの床一面が、真珠湾の航空写真になっています。
左下写真はフォード島を東から見た写真で、右下にアリゾナメモリアル、下中央に戦艦ミズーリが見えます。島の中央は滑走路のように見えますが、その近くをバスで走ると、単なるぼうぼうとした草地です。
右下写真は、戦艦ミズーリとアリゾナメモリアルを南東方向から見ました。下に対岸が見えています。日本の雷撃機は、このコースから進入して戦艦列に雷撃を加えたというわけです。
  
  Pacific Aviation Museum

左下の写真、フォード島を南西から眺めた写真です。真珠湾攻撃を撮した有名な写真のアングルと同じにしてみました。その写真、たとえばウィキペディアに掲載された右下の写真です。真珠湾攻撃初期、雷撃機が戦艦オクラホマに魚雷を命中させ、その水柱が高く上がったところであり、日本軍機が撮影したものです。この右下の写真をよく見ると、このページ一番上に掲載した「古い管制塔」が建っているのを見つけることができます。
 
  Pacific Aviation Museum           ウィキメディア・コモンズから

館内に入るとすぐ、日本のゼロ戦が展示されています。真珠湾攻撃に向かうため、空母から発進する直前の姿です。パイロットも整備員も凛々しいですね。本当に米国パールハーバーにある博物館なのでしょうか。
次の壁面には、日本軍の主要兵器3種類が展示してあります。右下は航空魚雷の尾部を撮したものです。120mの浅海で使うための工夫点を見ることができます。
  
 ゼロ戦                日本航空魚雷の尾部
  Pacific Aviation Museum

左下は水平爆撃で用いた800キロ爆弾、右下は急降下爆撃で用いて250キロ爆弾です。実物は左下の方が大きいのですが、写真は縮尺が違うので同じ大きさに見えてしまいます。
それまで、戦艦の装甲を貫通するためには、高度4000mで爆弾を投下する必要があるとされていました。4000mからでは命中精度が良くありません。それに対し、左下の800キロ爆弾を実現した結果として、高度3000mからの投下で戦艦の装甲を貫通することを可能にし、高度が低くなったので命中精度が上がったのです。
右下の爆弾を用いた急降下爆撃は、主にオアフ島に散在する3箇所の飛行場を襲撃するのに用いられました。
  
 800キロ爆弾         250キロ爆弾
  Pacific Aviation Museum

これら魚雷や爆弾は、真珠湾に停泊する米国戦艦を襲撃した憎き兵器の筈です。しかし説明を読むと、「○密に計算された空○」「真珠湾攻撃のための日本軍の兵器は慎重に○されました。ここに展示されている2種類の兵器はその任務のために改良されたものです。」とあり、真珠湾攻撃があくまで軍事的任務の遂行であったことを認めており、その任務遂行を賞賛しているかのようです。

次は米軍の航空機です。
左下は米陸軍のB-25爆撃機です。多分ドゥーリットル爆撃隊を表していると思います。画面右の人物がドゥーリットル中佐でしょう。空母ホーネットに陸軍のB-25爆撃機を搭載して日本空襲を企て、1942年4月18日に空母から飛び立って、実際に帝都を空襲しました。真珠湾から半年も経ちません。ドゥーリットルはこの戦功により中佐から准将に2階級特進しました。
  
     B-25爆撃機
  Pacific Aviation Museum

左下は米海軍艦上戦闘機(艦戦)グラマンF4Fワイルドキャットです。F4Fは太平洋戦争開戦時の米海軍主力艦戦であり、戦闘力はゼロ戦より相当に劣った戦闘機でした。これより後、後継のグラマンF6Fヘルキャットが就航して初めて、米海軍戦闘機は日本のゼロ戦を凌駕することとなりました。
右下は急降下爆撃機ドーントレスです。1942年6月5日のミッドウェー海戦で、日本の空母4隻を撃沈した立役者でした。
  
グラマンF4Fワイルドキャット      急降下爆撃機ドーントレス
  Pacific Aviation Museum

こうして太平洋航空博物館を駆け足でめぐり、循環バスに乗って元の東岸に到着したのは5時前でした。
まだ潜水艦博物館を訪問していませんが、どの施設も5時で終了ということで、残念ながら今回はここまでとしました。

次回は真珠湾攻撃について書きます。
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戦艦ミズーリ訪問

2008-09-22 21:24:04 | 歴史・社会
前回のアリゾナ記念館に続き、戦艦ミズーリ訪問記です。

戦艦ミズーリは、太平洋戦争末期の1944年に就航し、沖縄戦などに参加し、北海道室蘭の製鉄所を艦砲射撃で破壊したそうです。最も有名なのは、日本の降伏文書調印の場所に使われたことです。1945年9月2日、東京湾に停泊するミズーリ上で降伏文書の調印が行われました。
戦後も現役を続け、朝鮮戦争、湾岸戦争に参加し、1992年に退役して、この真珠湾で一般展示されることになりました。
  
 戦艦アリゾナからの帰路のボートからミズーリを見る

真珠湾東岸のアリゾナ記念館の直ぐ近くから、戦艦ミズーリを訪問するバスが出発します。下の写真です。
  
 シャトルバス             現在の真珠湾

真珠湾の東岸から、湾の中央にあるフォード島に渡る橋が設けられています。バスはこの橋を渡り、フォード島を縦断します。フォード島の中央はぼうぼうとした草地であり、両岸近くに建物は見られますが、最新の軍事基地とはとてもいえません。フォード島自身は、すでに軍事基地としての意味を持っていないのでしょう。
バスは、左下写真のように戦艦ミズーリの横に到着します。ミズーリの甲板に上がるタラップを行くと、左手に先ほど訪問したアリゾナメモリアルが見えます(右下写真)。
  
 ミズーリ正面           アリゾナメモリアルを見る

  
 戦艦の主砲                戦艦の主要部

  
  艦橋                   幹部の食堂のようです

戦艦ミズーリというと、昭和20年の終戦後、東京湾に来航したミズーリの艦上で降伏文書の調印が行われたことで有名です。そのときの状況は、たとえばこちら写真を昔からよく見ます。
戦艦ミズーリの前方中甲板で、「ここで降伏文書調印が行われた」という銘板を見つけました。右下の写真と調印時の写真を比べると、まさにこの場所であることが明らかです。
  
           降伏文書調印場所
この甲板には、調印した降伏文書(の多分レプリカ)が展示してありました。日本側全権の重光葵と梅津美治郎のサインが見えます。

 降伏文書

この戦艦ミズーリは、太平洋戦争中に日本の神風特攻機の襲撃を受けたことでも知られています。まさに特攻機が突っ込んだ後方の甲板上に、その説明パネルがありました。これも有名な写真です。襲撃後は小火災で済んだようなので、爆弾は不発だったのでしょうか。艦上にゼロ戦パイロットの遺体が残り、艦長の命で水葬に付した、という点が説明されているようです。右下写真は、説明パネルが設置された付近を撮したものです。
  
         神風特攻機による攻撃

戦艦ミズーリは、太平洋戦争の最中に就航し、戦後も現役を続け、湾岸戦争にも参加し、1992年にようやく退役しました。従って、第二次大戦中のミズーリと現在のミズーリとでは装備が著しく異なります。下の写真は艦内に展示されている模型で、第二次大戦中の姿を示しているようです。上の特攻機が突っ込んでくる写真に見える高射機関砲の配置が、左下の模型で確認することができます。
  
          第二次大戦時のミズーリ模型

下の3枚の写真は、最近装備されたミサイルやバルカン砲であろうと思われます。
  
左上の写真、ミサイルの胴に記された"Raytheon"はミサイルメーカの名前のようです。
右上の写真はCIWS(シウス)あるいはバルカンファランクスと呼ばれ、20㎜バルカン砲とレーダーを組み合わせた対空システムで、対鑑ミサイル迎撃を目的とします。
  
ハープーン対艦ミサイル発射筒      トマホーク巡航ミサイルの装甲発射器

戦艦ミズーリ見学が終わると、次は同じフォード島にある太平洋航空博物館です。こちらも次回に。
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ハワイ真珠湾訪問

2008-09-20 15:21:09 | 歴史・社会
先週の敬老の日を含む連休を利用し、家内と二人でハワイを旅してきました。3泊5日の短い旅行です。着いた1日目は時差ボケで朦朧とし、4日目はちょっと海岸を散歩したきりで空港へ向かいましたから、実際には2日目と3日目のみが観光に利用できたところです。
ホテルはワイキキビーチの近く、ハイアットリージェンシーです。
2日目は、まる1日を費やして真珠湾(パールハーバー)を訪問しました。交通費をケチって路線バスを利用して真珠湾まで移動しました。一人2ドルで行けます。ワイキキのクヒオ通りでバスを待ちます。バスは中々やってこず、いざ乗り込んでも各停ですから時間がかかります。時差ボケで起床時間が遅かったこともあり、アリゾナ記念館に着いたのは1時前でした。

ここは、パールハーバーの東岸です。ここにアリゾナ記念館があります。そして、湾の中央に位置するフォード島の近くに戦艦アリゾナが沈んでおり、その上にメモリアルが設置されています。アリゾナ記念館から沖合いのメモリアルまではシャトルボートで往復します。

左下は、攻撃直前の真珠湾を描いた絵だそうです。中央のフォード島を北方から見ています。島の左に停泊中の戦艦列が見えます。戦艦列の下から2番目のフォード島側が戦艦アリゾナです。絵の一番左下あたりの海岸に、現在のアリゾナ記念館があります。絵の左上の飛行場はヒッカム飛行場です。
右下の絵は、北を上にした絵です。同じ戦艦列が見えます。小さな赤色の飛行機が日本軍の雷撃機です。
  
  Arizona Memorial Museum

この東岸にはもうひとつ、潜水艦バウフィン号博物館があります。停泊している本物の潜水艦に乗り込めるというものです。
沖合いのフォード島には、戦艦ミズーリが係留されています。東岸とフォード島の間は橋で繋がれており、シャトルバスで移動して戦艦ミズーリを訪問することができます。またフォード島には太平洋航空博物館が設置されており、こちらも見学できます。
今回は時間の関係で潜水艦バウフィン号博物館は訪問できませんでしたが、その他については一通り廻ってきました。

セキュリティーの関係で、バッグ類を持っていると入場できません。近くの荷物預けに3ドルでバッグを預け、まずアリゾナ記念館に入場します。

ルートとしては、まず23分間の映画を鑑賞し、その後にシャトルボートで沖合いのメモリアルを往復します。混んでいるときは2時間ぐらい待たされるようですが、今回は待ち時間がなく、1時上映の映画に入場することができました。

映画は、満州事変から太平洋戦争開戦に至る歴史をざっと映像でふり返り、それから真珠湾攻撃の映像に移ります。
攻撃当時、真珠湾には米海軍の戦艦が合計で8隻停泊しており、そのすべてが日本軍の空襲によって大破し海底に着座しました。中でも戦艦アリゾナは、水平爆撃機から投下された800キロ爆弾が装甲を貫通して火薬庫で炸裂したため、火薬庫が大爆発を起こしました。
映画では、アリゾナが大爆発した刹那からの映像が流されました。まずは艦全体が火に包まれ、次いで火柱が猛烈に空に上がっていきます。よくぞこのような瞬間を撮影していたものです。
その後、映画はルーズベルト大統領による有名な議会演説を映し、最後はアメリカの若者たちが志願して兵隊になっていく様子が映されました。

映画が終わると船で沖合に移動します。

上の写真中央の白い建造物が、沖合いのメモリアルです。この建造物の真下に、戦艦アリゾナが沈没しています。なお上の写真は、ミズーリの桟橋から撮ったものです。メモリアルの後方には、東岸とフォード島を結ぶ橋が見えます。
水面上にはアリゾナの2つの構築物が突き出しています。左下写真の円筒状のものは主砲の砲塔です。右下写真の構築物は何でしょうか。円筒の内部にハシゴと配線が見えます。
  
船がメモリアルに到着する頃から雨が降り始め、そうこうするうちに本降りになってしまいました。そうそうに船に引き上げます。船が東岸に戻った頃には土砂降りの雨です。

岸のアリゾナ記念館の中にミュージアムがあります。
下は、ハワイを攻撃した日本機動部隊の旗艦である空母赤城の模型です。右の説明文の中に、"Akagi"の意味は"Red Castle"である、と書かれているのに笑ってしまいました。「赤城」は「赤城山」から来ていますから、"Mt. Akagi"と書いてほしかったです。
  
  Arizona Memorial Museum

下の写真は、破壊された魚雷の後部です。多分、日本の雷撃機から発射された魚雷が真珠湾の海底に突き刺さり、それを回収したものだと思います。この魚雷の特徴についてはまた別の機会に。
  
  Arizona Memorial Museum

アリゾナ記念館を日本人が見学すると、肩身が狭いような書き方がよくされています。しかし、私はそのような感覚を感じませんでした。
まずミュージアムの展示が、日本を悪く書いていません。魚雷の説明では、水深が12mしかない真珠湾では魚雷攻撃が不可能と考えられていたのに、日本の技術革新でそれを可能にした点が説明されています。

そもそもこの区域は米国海軍の施設であり、軍人のスタンスでものが考えられているでしょう。そうであれば、敵軍に打撃を与えるのはお互い軍人としての任務に過ぎません。
「はるか敵根拠地まで空母で進撃した勇気には感心するよ、また、空母艦載機のみによる攻撃で軍港の戦艦を全滅させる技量をよくぞ身につけたものだ、敵ながら脱帽する」といった雰囲気すら感じました。

長くなったので、戦艦ミズーリについては次回とします。
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平成20年度弁理士論文試験合格発表

2008-09-18 17:44:07 | 弁理士
9月18日、平成20年度弁理士試験論文式筆記試験合格発表がありました。合格者数は601名です。合格した受験生の皆様、おめでとうございます。

毎年の人数推移について、わかる範囲で受験者数、論文合格、最終合格の人数を以下に載せておきます。

       受験者数 論文合格 最終合格
平成03年度 3217      96
平成07年度 4177     116
平成10年度 4362     146
平成11年度 4700 223 211
平成12年度 5166 250 255
平成13年度 5599 306 315
平成14年度 6714 470 466
平成15年度 7953 551 550
平成16年度 8883 634 633
平成17年度 9115 738 711
平成18年度 9298 655 635
平成19年度 9077 589 613
平成20年度 9679 601
       短答合格 2865

論文合格者数の推移を見ると、平成17年度をピークにして毎年低減傾向にあったのですが、今年度は昨年度よりも増加しました。合格人数の低減傾向に歯止めがかかったということでしょうか。600人前後の合格人数で今後とも推移するのでしょうか。

本年度からの新しい弁理士試験制度として、短答式試験の2年間免除制度が始まります。本年度に短答式試験に合格したが論文試験に不合格だった受験生は、平成21、22年度の2年間、短答式試験が免除されます。本年度は短答合格が2865名、論文合格が601名ですから、来年度の免除対象者が、2865-601=2264名おられるということになります。
そうすると、来年度の論文試験は、来年度の短答式試験の合格者と本年度の短答式免除対象者(のうちの来年度受験者)の合計人数が受験することとなります。短答免除対象者が2264名おられるわけですから、来年度の短答式試験合格者はどの程度まで減ることになるのでしょうか。
本年度の受験者数は9679名と過去最高だったように思われますが、これも、本年度からの試験制度改正による影響が大きかったのでしょうか。
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スロトレとは

2008-09-13 14:16:00 | Weblog
今年の4月に、メタボ対策の成果ということで、私の体重が8kgほど低下したことを報告しました。朝夕の通勤時に行っているパワーウォーキングによる消費カロリー増大と、食が細くなったことによる摂取カロリーの低減によるものです。
一方、年齢とともに基礎代謝が減少していることを実感しています。さらなる体質改善のためには、筋肉を増強して基礎代謝を増大することが必要だろうと考えていました。
しかし効果的な筋トレを行うためには器具が必要で、ジムに通わなければならないと躊躇していたのです。

たまたま、4月15日にNHKの爆笑問題のニッポンの教養を見ていたら、この日は石井直方先生という東大の先生がゲストでした。ご自身がボディービルチャンピオンになったこともある筋肉博士で、「さよならメタボ」との表題で話が進んでいます。

石井先生は「スロースクワット」と呼んでいました。

爆笑問題の大田の突っ込みは、私が知りたいポイントからずれているのでフラストレーションが溜まります。「スローというけど、アイソメトリック(筋肉を緊張させるが動かさない)とはどう違うんだ?」といった方向に疑問が行きます。

そこで、ネットで検索すると、石井先生のスローリフトの効果というページが見つかりました。

それならとアマゾンで石井先生の本を探したら、いっぱいありました
こんなにたくさんの本を執筆しているのですか。1冊だけ「決定版」を出してもらった方がありがたいのですが。
しょうがないので、いちばん安くて多く売れていそうな本を選びました。これです。
スロトレ
石井 直方,谷本 道哉
高橋書店

このアイテムの詳細を見る

さっそく購入しました。
手に取ってみたら、女性向けの本でした。まあ、私の目的は筋骨隆々となることではなく、筋肉を増やして基礎代謝を増し、脂肪を減らすことが目的ですから、このような本でちょうど良いでしょう。

スロトレとは、スロートレーニング、例えばスクワットでは、上昇に3~5秒、下降に3~5秒の時間をかけます。さらに、伸びきったり縮みきったりしません。常に筋肉に負荷をかけ続けます。
運動中に筋肉に力をずっと入れ続けているので、筋の内圧上昇によって、筋肉の中の血液の流れが制限され、このような状態が続くと,筋内が低酸素になり,乳酸などの代謝産物も蓄積します。その結果,代謝物受容反射というしくみによって下垂体から成長ホルモンが分泌されたり,筋線維周辺の成長因子の濃度が変化したりして,筋線維の肥大が促されるというメカニズムが考えられます。筋肉はつらい運動をしたとだまされて、素直に発達してくれる、というのです。

筋トレで筋肉を増やすためには、毎日トレーニングしたのではかえってマイナスで、せいぜい2日に1回程度とすべきだそうです。筋肉を疲れさせた後、回復時に筋肉が増強するのですが、増強時に再度疲れさせてはいけないということです。

基本動作は以下の5つです。
  
  

これらの基本動作を、行き:5秒-帰り:5秒で1サイクル、これを10サイクル行います。せいぜい10分というところです。これを2日に1回行います。

筋トレの前後に有酸素運動を行う場合、順番として、まず筋トレを行い、その後に有酸素運動を行うことが重要だそうです。逆だと成長ホルモンの分泌が減少するということです。
私の場合は、毎日エアロバイクを30分行っているので、まず上記スロトレ(10分)、次いでエアロバイク30分、そこで風呂に入り、風呂から上がったらストレッチ、という生活を行っています。

このサイクルを初めて数ヶ月、体重は1kg減少しました。それ以降は体重の変化はありません。
現在、体重は標準体重以下まで下がっているので、これ以上体重を減らす必要はありません。ただ、おなか周りの皮下脂肪を減らしたいです。皮下脂肪を筋肉に変えることが現在の目標です。
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平成20年度新司法試験合格発表

2008-09-11 20:48:45 | 弁理士
9月11日、平成20年度新司法試験合格発表がありました。
法科大学院別の合否成績について、法務省からpdfファイルが公表されているので、そのファイルをエクセルに読み取り、合格者数が多い順に並べ替え、合格率を計算してみました。こちらのエクセルファイルです。

去年(平成19年度)の成績エクセルファイルはこちらです。

去年の結果を参考にしながら、今年の結果の特徴をピックアップします。
(1) 受験者数は去年4607人から今年6261人と大幅に増えているのに、合格者数は去年1851人から今年2065人にしか増えていません。その結果、合格率が、去年40.2%から今年33.0%と大幅に合格率がダウンする結果となりました。
 新司法試験は3回まで受験でき、既修は今年が3回目、未修は今年が2回目の試験ですから、去年より今年の方が受験者数が増えるのは当然です。増えた割に合格者数が増えなかったということは、去年より今年の受験生の方が不利な戦いを強いられたということでしょうか。

(2) 既修・未修別で見ると、未修の受験者数が去年1965人、今年3259人と大幅に増え、一方で合格者数はほとんど増えていないので、未修の合格率は去年32.3%に対して今年は22.5%と大幅ダウンです。
 今年については、既修の合格率が44.3%、未修の合格率が22.5%と、未修の厳しさが一段と増しました。

(3) 本年度から、本年度合格者について卒業年次別の合否状況のデータが公表されています。
既修・未修ともに、19年度(今年3月)卒業生に比較して18年度卒業生の方が合格率が低く、全体の合格率の足を引っ張っています。

(4) 法科大学院別の合格者数の順位を見ると、上位では大きな変化はないようです。2~3位で中央と慶応の順位が入れ替わり、4~5位で早稲田と京大の順位が入れ替わっています。
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新司法試験知的財産法問題

2008-09-09 00:19:38 | 知的財産権
先日、月に1回の判例研究会が開催されました。この記事で紹介したやつです。
その席で、ひとつの問題提起がありました。
平成20年新司法試験試験問題のうち、論文式試験(選択科目)の[知的財産法]の問題についてです。以下の問題です。
〔第1問〕(配点:50)
 以下の事実関係を前提として,後記の設問に答えよ。
【事実関係】
 甲は,傘生地に特殊の樹脂を塗布する防水加工を施すことにより,防水効果を発揮することを特徴とする傘の発明(以下「甲発明」という。)の特許権を有している。
 乙は,甲発明の特許権について,その存続期間全部に対応する実施料全額を甲に一括して支払って,甲から,専用実施権の設定を受け,甲発明の実施品であるA傘の製造販売をしている。
 一方で,丙は,甲発明の特許出願がされた後,独自に開発した紫外線を吸収する傘生地に,上記特殊の樹脂を特定の温度条件で塗布する防水加工を施すことにより,紫外線カット(UVカット)効果及び防水効果を共に発揮する傘の発明(以下「丙発明」という。)の特許出願をし,特許権の設定登録を受けた。
 丁は,丙から,丙発明の特許権について通常実施権の許諾を受け,丙発明の実施品であるB傘の製造販売を開始した。
〔設問1〕
 甲と乙は,それぞれ丁に対し,B傘の製造販売の差止め及び損害賠償を請求することができるか。
〔設問2〕
1. 丁は,丙発明の特許について,特許無効審判を請求することができるか。
2. (1) 丙発明の特許を無効とする審決が確定した場合,丁は,丙に対し,既払の実施料の返還を請求することができるか。
  (2) また,前記(1) の審決の確定前の期間に対応する実施料に未払があった場合,丙は,丁に対し,その未払分の実施料の支払を請求することができるか。
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問題提起というのは、上記問題文中の
「乙は,甲発明の特許権について,・・・甲から,専用実施権の設定を受け」
において、設定契約のみで登録がされていない場合を場合分けし、答案に記載すべきであろうか、という議論です。
司法試験の受験界では、この点について激しい議論が巻き起こっているそうです。


特許法77条1項に「特許権者は、その特許権について専用実施権を設定することができる。」と規定されています。
また同法98条1項2号によると、専用実施権の設定は、登録しなければその効力を生じません。
専用実施権については、当事者間でまず設定契約がなされ、その後に登録を行うことによって効力が発生します。今回の問題文の「設定を受け」が、「設定契約まで」を含みうるのか、それとも登録を行ったもののみを対象とするのか、という議論です。

私は「設定を受け」「設定行為」の意味がよく分からなかったので、法律学小辞典を引いてみましたが、「設定」「設定行為」ともに記載されていませんでした。
ネットで「設定行為」で検索してみると、「法律関係を確定すること。」と定義しているサイトがありました。この通りとすると、専用実施権は登録が効力発生要件なので、登録しなければ設定がされたことにならない、ということになりそうです。

次に、ネットで「設定を受け」の検索ワードで検索してみました。
すると、「抵当権の設定を受け,その旨の登記を了した」といった使い方が多数見受けられます。つまり抵当権の世界では、「設定を受け」と「登記を完了」は別のものとして扱われていることが明らかです。

抵当権は、当事者間の設定契約のみで効力が発生し、登記は第三者対抗要件です。その点で、登録が効力発生要件である専用実施権とは異なります。


それでは、特許法の教科書ではどのように扱われているでしょうか。

吉藤著「特許法概説」の「専用実施権の設定」の欄を読むと、注3)で「登録があってはじめて専用実施権が設定されるが」と記載されています。
この吉藤によれば、「設定を受け」は登録までされている場合のみが含まれることになります。

吉藤先生は法律出身ではないので、念のため中山注解(中山信弘著「注解特許法〈上巻〉第1条‐第112条の3」)の専用実施権の項を読んでみました。
吉藤のように明確な記載はありませんでした。
ただし、中山注解上巻の817ページには、「専用実施権設定後も、特許権者は侵害者に対する差止請求権を失うことはない」「特許権者は、専用実施権設定後においても、自由に特許権を譲渡しうる。また、専用実施権は登録が効力発生要件であるために必ず登録されており」と記載されています。
決して「設定登録後」と書かれておらず、「設定後」で登録までされている意味で記載されています。
また、登録前のことについて書かれている箇所については必ず「未登録の専用実施権の設定契約」のように「設定契約」と書かれています。

以上からすると、登録が効力発生要件である専用実施権については、「設定を受け」と書かれていれば登録までされている場合しか意味しないと思われます。

しかし、しかし、判決文によると、「専用実施権の設定を受け、その後登録した」が決まり文句になっていることを発見しました。
ネットで「専用実施権 設定を受け」で検索すると、そのような判決文が見つかります。
ということは、裁判官の世界では、専用実施権でも「設定を受け」のみでは設定契約を結んだことしか意味しない、という解釈が通説ということでしょうか。


一般法の世界では、設定というと抵当権が思い浮かびます。抵当権の場合、設定契約が効力発生要件で、設定登録は第三者対抗要件です。そのような区別があるので、「設定を受け、その後登記し」と決まり文句のように必ず記載するのでしょう。そのため、民法から入った法律専門家は、「設定を受け」としか書かれていないと、反射的に「登録されているかどうか場合分けすべき」と考えてしまう可能性があります。
司法試験の受験界は、大部分が一般法から入った人たちでしょうから、上記のような思考回路に陥る可能性は高いでしょう。それがために、今回のような議論になっていると思われます。
ただし、裁判官がこちらの解釈を支持するとしたら、私の解釈の勝ち目はないかもしれません。

新司法試験の論文試験合格発表はこの9月11日です。その後に試験問題の論点が公表されるらしいので、上記の議論の結論はその時点で明確になるでしょう。

ps こちらに続きを書きました。
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