弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

オバマ大統領の韓国での会見内容

2014-04-27 20:48:34 | 歴史・社会
慰安婦問題「甚だしい人権侵害」=北朝鮮核実験を容認せず―米韓首脳
時事通信 4月25日(金)19時53分配信
『韓国訪問中のオバマ米大統領は25日午後、ソウルの青瓦台(大統領府)で朴槿恵大統領と会談した。オバマ氏は会談後の共同記者会見で、旧日本軍の従軍慰安婦問題について「歴史を振り返るなら、実に甚だしい人権侵害と考えなければならない」と明言した。その上で「(日韓は)過去を振り返りつつ、未来に進むべきだ」と、関係改善も重ねて求めた。
オバマ氏が従軍慰安婦問題で見解を示したのは初めてで、日本に対応を求める朴大統領の立場に一定の理解を示した。』

この報道にはびっくりしてしまいました。オバマ大統領が内心でどのように考えているかは別にして、公式の場でこのように発言することは、日韓関係に大きな影響を及ぼすはずであり、軽率だったのではないか、という印象を受けました。

オバマ大統領は、韓国での記者会見で正確にはどのような発言をしたのでしょうか。その発言全文を探したのですがなかなか見つかりません。

唯一、なでしこりんさんのブログで「オバマ発言、日本は前半に怒り、韓国は後半に火病る! たぶん、オバマ発言で盛り上がっているのは日本と韓国だけでは?」を見つけました。
2014-04-26
この中で、英文とその和訳を掲載されています。ここでは、英文をそのまま転載させていただき、和訳についてはできるだけ直訳する形で私が行いました。

(1)"This was a terrible, egregious violation of human rights. Those women were violated in ways that even in the midst of war were shocking,  I think Prime Minister Abe recognises this and certainly the Japanese people recognise that the past is something that has to be recognised honestly and fairly."

(1)これは、人権に対する恐ろしい、実にひどい違背である。あの女性たちは、戦争中といえどもショッキングな方法で暴行を加えられた。私は、安倍首相もこれを認めるだろうし、恐らく日本国民も過去は公平公正に認めるべきものと認めていると思う。

(2)"It is in the interests of both Japan and the Korean people to look forwards as well as backwards and to find ways in which the heartache and the pain of the past can be resolved."

(2)後だけでなく前を見ること、そして過去の悲嘆と苦痛を解決する道を見つけることは、日本と韓国いずれの国民のためにもなる。

(3)"You are both democracies; you both have thriving free markets; you both are cornerstones of a booming economic region. You both are strong allies and friends of the United States."

(3)あなたたちはどちらも民主国であり、どちらも栄えている自由市場を持ち、どちらも盛んな経済領域の基石である。どちらも合衆国の強固な同盟国であり、友人である。

(4)"My hope would be that we can honestly resolve some of these past tensions, but also keep an eye on the future."

(4)私の希望は、私たちが誠実にこれらの過去の緊張を解決できるだけでなく、未来に目を保つことができるようになることだ。
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まずは、「慰安婦」をオバマ大統領はどのように表現したのかが気になっていたのですが、実際には発言していません。「This」「Those women」という間接的な表現で済ませたようです。"comfort women"では日本びいき、"sex slaves"では韓国びいきになっていずれも問題ですが、そこをうまく避けたということでしょう。
(ps 4/29 上記(1)の前段階で、オバマ大統領は発言をしており、その中で"comfort women"と発言していることを確認しました。)

さて、オバマ発言をどのように解釈するか。

私は、オバマ発言の上記(1)~(4)のうち、(1)については、この問題を語り始めるに際しての枕詞としての意義があるのかな、と解釈しました。
あの女性たちが、ひどい人権侵害を受けたことはだれも否定できないことです。本人が希望することなく、慰安婦の仕事をさせられ、「故国に帰りたい」と言っても所定の条件が揃わない限り帰してもらえなかったことは間違いありません。
ここでは、河野談話のうち、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」において、官憲等が直接、甘言強圧による慰安婦の募集に加担したか否かは問題ではありません。だれが募集したにせよ、また慰安婦の親が承諾したにせよ、本人の意志に反して集められ移送され、慰安婦の仕事をさせられたわけで、これを「人権侵害ではない」と逃れることはできません。

日本では、「官憲等が直接、甘言強圧による慰安婦の募集に加担した事実はない」ということを重要視していますが、アメリカでは、官憲等による強制連行があろうがなかろうが、人権侵害に変わりはない、という考え方であり、オバマ大統領の発言もそのような文脈でとらえることができます。

韓国での記者会見でわざわざオバマ大統領がこの発言をしたことは、「安倍首相、この点をきちんと押さえなさいよ」との警告だったかもしれません。

被害者本人たちが「謝ってほしい」と思っているのであれば、加害者側である日本は、常に枕詞として謝罪の言葉を差し挟むことは必要でしょう。韓国が要求している、「国費での補償」を受け入れるか否かは別問題として。

さっそく、安倍首相は反応したようです。
慰安婦問題「胸痛む」=安倍首相
時事通信 4月27日(日)15時42分配信
『安倍晋三首相は27日午後、オバマ米大統領が朴槿恵韓国大統領との会談後に旧日本軍の従軍慰安婦問題を「甚だしい人権侵害」と発言したことについて、「筆舌に尽くし難い思いをされた慰安婦の方々のことを思うと本当に胸が痛む思いだ」と述べた。その上で「今後とも日本の考え方、取り組みを説明してまいりたい」と語り、両国をはじめ国際社会の理解を得られるよう努める考えを示した。』

ps 4/29 この記事に対して松本さんからコメントをいただき、上記私が引用した英文は正確ではないことがわかりました。正確にはホワイトハウスのサイトに発言内容が掲載されていました。

また、以下のサイトで英文和訳が行われていましたので、こちらもご参照ください。
うさみのりや「ついにオバマ大統領が慰安婦問題に巻き込まれたようなんだが」4月28日

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日本にミニバンが誕生した頃

2014-04-25 18:10:39 | 趣味・読書
我が家の愛車遍歴をたどると以下のようになります。全部新車購入です。
1972-1981 トヨペット・コロナ
1981-1984 ホンダ・アコード
1984-1993 三菱・シャリオ
1993-2002 三菱・シャリオ

1981年にそれまで乗っていたコロナの調子が悪くなり、急遽次の車選びを開始しました。当時すでに子どもが2人いたこともあり、今のミニバンのような車を探したのですがどうしても存在しません。ライトバンまで調べましたが、ライトバンは商用車であり、リアサスがリーフ・リジッドとあっては選ぶ気になりません。仕方なくホンダ・アコードにしました。
その後、1984年頃(子どもは3人に増えている)に三菱・シャリオの存在に気づきました。まさに今でいうミニバンであり、3列7人乗りです(下の写真)。見たとたんに気に入り、まだ3年程度であったアコードを下取りに出して入手しました。
 Rudolf Stricker
三菱・シャリオ(初代)

当時、同じクラスでは日産のプレーリー(下写真)とこのシャリオの2種類しかありませんでした。当時私は、クルマ選びの指針として、徳大寺有恒氏の「間違いだらけのクルマ選び」をバイブル代わりにしていました。その84年版で、シャリオについては、操縦性、乗り心地、居住空間、結論のすべてにわたって高評価でした。一方のプレーリーについては、「走る、曲がる、止まるに関しては圧倒的にシャリオが上だ」との評価でした。
 Acty259
日産・プレーリー(初代)

3人の子どもたちが小さいうちは、このシャリオは万能でした。中列をフラットにすれば、子どもたち3人が足を延ばして並んで眠ることができます。長時間ドライブでも子どものけんかが起きにくいという利点もあります。

その後、1台目のシャリオも9年ほど乗って調子が悪くなり、次のクルマ選びになりました。初代シャリオは、それまではちょうど良い大きさだったのですが、子どもたちが大きくなり、特に後列の狭さが気になり出しました。大人には後列はとても窮屈です。そこで、クルマの外形寸法が大きくなってもいいから、大人が窮屈でない座席を有する7人乗りを探しました。しかし、当時はありませんでした。
仕方なく、もう1回シャリオを購入しました(下写真)。
 TTTNIS
三菱・シャリオ(二代目)

その1年ほど後です。ホンダ・オデッセイ(下写真)が発売になったのは。
  IFCAR
ホンダ・オデッセイ(初代)

初代オデッセイは全長が4750mm、二代目シャリオの全長が4,515-4,555mmですから、オデッセイの方が長く、従って室内居住空間もゆったりしていたはずです。当時の我が家の家族構成と照らすと、シャリオよりもオデッセイの大きさの方がフィットしていたでしょう。
その後、ホンダの的確なPRもあり、オデッセイは爆発的に売れていたようです。

当時のシャリオとオデッセイを比較すると、共に「7人乗り3列シートのミニバン」であってコンセプトは同じです。私から見ると、「シャリオは小さな子どものいる家向き、オデッセイはちょっと大きな子どものいる家向き」といえるでしょう。しかし、世の中は、「オデッセイによってはじめてミニバンの世界が開けた」といったイメージ一色であり、シャリオは忘れ去られました。

三菱は、せっかくシャリオといういいクルマを世に出していながら、三菱の営業は全く見向きもしませんでした。宣伝も地味でした。我が家の周囲では、我が家のシャリオを見て「そんないいクルマがあったのか」とはじめて気づき、シャリオやプレーリーを購入した家があります。
我が家の子どもたちが大きくなり、「シャリオよりも大きなミニバンが欲しい」という要請が出てきました。三菱の営業がしっかりウォッチしていれば、ユーザーのそのような要請に気づくはずで、ホンダよりも早く「一回り大きいシャリオ=オデッセイ的なもの」を世に出せていたはずです。

さて、ここから本日の話題に入ります。

第233回 ホンダ オデッセイ 開発者編(前)
フェルディナント・ヤマグチ
2014年4月7日(月)
5代目オデッセイの開発者、ホンダ技術研究所四輪R&DセンターLPL主任研究員、中川真人さんのインタビューです。
《初代オデッセイ》
『中川真人さん(以下中):企画がスタートした時期、アメリカには明確に「ミニバン」という市場がありましたが、日本にはまだ全然成立していなかった。あの手のクルマはワンボックスしかなかったんです。でも所詮は商用のバンですから、とてもファミリーユースに使える代物じゃなかったんですね。
フェルディナント(以下F):商用車だから当然ラダーフレームだし、丈夫なんだろうけど乗り心地は悪い。モノコックじゃないですものね。
中:そうです。ラダーフレームの商用車しかなかったんです。一部マニアックな人がその広さを評価して乗っていましたけれども、一般的ではなかった。
F:オデッセイはモノコックのミニバン日本第一号ですか。
中:第一号です。』


ホンダがオデッセイを発売する前、日本にはすでに、三菱・シャリオ、日産・プレーリーが存在していました。これらは明らかにミニバンです。そして、乗用車ベースで製造されていましたから、モノコックでないはずがない、と信じています。
そうすると、「オデッセイはモノコックのミニバン日本第一号」であるはずがない。

はたして私の勘違いなのか、それともヤマグチさんたちの勘違いなのか、どちらでしょうか。
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前置解除後の審尋が原則中止に

2014-04-20 14:44:21 | 知的財産権
拒絶査定不服審判請求と同時に明細書等の補正を行うと、まずは前置審査にかかります。前置審査官が審査を行ってやはり拒絶理由が解消していないとなると、前置が解除され、その後、審判官合議体が審理を行います。

今まで、前置解除されると例外なく、審判長から出願人に対して「審尋」が行われていました。前置審査官による「前置報告書」が添付され、その前置報告の内容に対して意見があれば、「回答書」を提出しなさいという指令です。
前置解除通知が出願人に届いた後、審判の審理が開始されるまでにはタイムラグがあります。審理の順番待ちです。出願人は、審判官合議体に追加の意見を出したいとの希望を持っている場合も、順番が回ってくれば「審尋」が送られてくるので、それから回答書の準備すればいい、というスタンスでした。

ところが、今年3月28日、「ルールが変わった」というアナウンスが特許庁からありました。
前置報告を利用した審尋について
平成26年3月  特許庁 審判部
『平成26年4月以降は、これまで行ってきた、原則全件に対する前置審尋の運用を改め、前置審尋については、審判請求から審理を開始するまでに時間を要する技術分野など、前置審尋が有効な場合についてのみ行うこととします。』
『1.前置審尋を送付する対象
前置審尋の送付は、審判請求から審理を開始するまでに時間を要する技術分野の前置報告書が作成された事件を対象とします。
当面、前置審尋の運用を行う技術分野
医療、バイオテクノロジー関係の技術分野』

以上のアナウンスによると、要するに、「医療、バイオテクノロジー関係の技術分野以外の分野については、前置解除後の審尋を行わない」と読み取れます。

私はつい最近まで、このアナウンスに気づかなかったので、気づいてびっくりしました。

比較的最近に前置解除通知を受け取った案件があったので、IPDLの「審査書類情報紹介」で調べたところ、前置審査官による前置報告書をダウンロードすることができました。従って、審判官氏名通知を受け取る前でも、何らかの「上申書」を作成して提出しておくことは可能です。
また、「審判官氏名通知」を受け取った段階は、審判官の合議が速やかに終了する段階である可能性があり、もし意見を言いたいと考えているのであれば、審判官氏名通知を受け取ってすぐに審判長に電話し、「意見を言いたいので時間を与えて欲しい」とお願いする必要があります。

これからは、前置解除通知を受け取ったら、以下の3つのうちのいずれを採用するか、出願人と相談して決めなければなりません。
(1)審判官は決まっていないが、取りあえず前置報告書の内容に対する反論を審判長宛の上申書として提出する。
(2)審判官氏名通知を受け取ったら遅滞なく、審判長に「意見を言いたい」と連絡してお願いする。
(3)何もしないで審判官の合議に任せる。
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実験ノート

2014-04-19 23:18:39 | サイエンス・パソコン
小保方事件以来、実験ノート(ラボノート)が話題になっています。
私自身は実験ノートを使ったことがありません。一方、アメリカでは、特許制度が「先発明制度」であったこともあり、最初に発明したことを証明するための唯一の証拠として、ラボノートが極めて大事にされていたことは知っています。
米国で先発明を証明するためのラボノートについては、厳格なルールがあります。私が知るところでは以下のようです。
(1)ページの抜き差しができないノートを用い、鉛筆などの消せる筆記具は用いない。第1ページから記載し、余白を設けない。
(2)定期的に、読んで理解できる人に読んでもらい、読んで理解した旨の署名をもらう。当然日付を記入する。

調べてみると、日本の研究界においてもラボノートが非常に大切にされているらしいことは見えてきました。さて、日本で常用されているというラボノートは、どんなルールで記入されているのでしょうか。
コクヨがラボノートを販売していることを知り、一番安い「エントリーモデル」を1冊買ってみました。
コクヨ リサーチラボノート エントリーモデル 研究記録用ノート A4 ノ-LBB205S
クリエーター情報なし
コクヨ

ちなみに、コクヨのホームページエントリーモデルの内容が掲載されています。
値段の高い「ユニバーサルモデル」では、最初から各ページに連番のページがふられ、改ざんを防止するレインボー色のかがり糸が使われています。エントリーモデルでは、連番のページ数は購入者が自分で記載します。かがり糸は使われておらず、その代わりに改ざん防止パターン(左下写真)が印刷されています。
最初のページには、「RESEARCH LAB NOTEBOOK(研究ノート)記載上の注意」が記入されています(右下写真)。
 

『この研究ノートは、研究者が研究開発の内容を自ら整理して記録するものです。研究者の貴重な財産となると共に、研究者のかけがえのない研究成果を、知的財産権として最適に保護する際の貴重な証拠資料にもなるものです。研究ノートへはその日の研究内容を記録します。その際、各種のデータの他に、着想に至った背景や目的、具現化の手段・方法なども併せて書いておくと、特許出願時により使いやすく便利です。』
次に「必ずお守りください」として、
『◆記入年月日・記入者の署名・確認者による署名と署名日の記入を各ページに行う。』とあります。エントリーモデルでは、各ページの最下段に「記入者」欄、「確認者」欄、「日付」欄が設けてあります(下写真)。


時を同じくして、理研でも「理研の実験ノート」が理研敷地内で売り出されました。
小保方さんも使った?理研販売の実験ノート人気
読売新聞 4月19日(土)15時42分配信
『理研関連のグッズ販売所には、論文問題で話題になった実験ノートも並び、一部の販売所では午前中に売り切れる人気ぶりだった。理研研究者が実際に使っている本物だが、理研の広報担当者は「小保方晴子ユニットリーダーが使っていたノートと同じ種類かどうかはわからない」という。』

写真を見てびっくりしてしまいました。「これはコクヨのエントリーモデルそのものではないか」
コクヨのホームページでも「企業名や大学名を名入れしませんか? ◆表紙に箔押し名入れいたします。◆オリジナル表紙などの別製も承ります。」と記載されています。「理研の実験ノート」の表紙に記入された理研の標識は、コクヨに別注で造らせただけで、内容はエントリーモデルそのものなのではないか、と疑われます。

さて、理研において小保方さんは実験ノートの記入についてどのような指導を受けていたのでしょうか。
先日理研の監督責任でも書いたように、理研には「科学研究上の不正行為の防止等に関する規程」というのがあり、その第4条に「所属長の責務」が規定されています。
『第4条 所属長は、その所掌する組織における研究不正を防止するため、次の各号に掲げる事項を遵守するものとする。
(2)所掌する組織の研究員等に対し、・・・ラボノートブックの適切な記載の方法を指導すること。』

4月9日、理研の野依理事長が衆議院文部科学委員会に出席し、民主党の笠浩史議員からの質問に答えたところによると、小保方ユニットリーダーについては、センター長が上記4条の「所属長」に相当するそうです。
理研における「実験ノート記載の指針」がどのようなものであるか、まだ不明ですが、売り出された「理研の実験ノート」がコクヨのエントリーモデルと同じなのだとしたら、「各ページで確認者の署名を得ること」が必須となっているはずです。
センター長は、小保方リーダーに対する「所属長」として、実験ノートの各ページに確認者の署名を受けるように指導したのかどうか、ということです。もし、しかるべき確認者の署名を定期的にもらっていさえすれば、「3年間で2~5冊」であったという事実を今はじめて知った、ということにはならないはずです。
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理研の監督責任

2014-04-16 21:44:32 | サイエンス・パソコン
本日は、笹井副センター長の記者会見がありました。残念ながらライブで見ることはできませんでしたが。

私は、「理研の危機管理体制のどこに問題があったのか」という点に注目しています。
小保方さんは記者会見で「未熟、自己流」であったことを認めて謝罪しました。そうすると今度は、
○ 未熟、自己流の小保方さんを、(大学教授にも匹敵する)理研のユニットリーダーとして任命した理研の責任はどうなっているのか。
○ 任命後の業務の中で、理研は「未熟、自己流」を見抜くことはできなかったのか。
○ 「未熟、自己流」に気づいたとして、それによって理研が大けがをしないようなサポート体制を、理研はなぜ採らなかったのか。
といった、危機管理上の問題点が浮上します。

先日、このブログで「小保方氏記者会見」として記事にしました。その中で、野依理事長の以下の発言を書き留めました。
「経験が不十分であるがゆえに有するリスクに対する認識が相当に甘かったのではないか」理研・野依理事長が文部科学委員会で答弁
BLOGOS編集部 2014年04月09日 17:55
『STAP細胞をめぐる一連の騒動について、理研のユニットリーダー小保方氏が会見を行った。同日午前中、理研の野依理事長が衆議院文部科学委員会に出席し、民主党の笠浩史議員からの質問に応じた。』
『野依:小保方ユニットリーダーが勤めます細胞リプログミング研究ユニット。これは2013年の3月1日に発生・再生科学総合研究センターのセンター長戦略プログラムに設置されております。従いまして、研究不正を防止するという観点からのご指摘にありました(科学研究上の不正行為の防止等に関する規定)第4条の規定による所属長は、研究ユニットにつきましては小保方ユニットリーダーでございます。小保方ユニットリーダーについては、センター長戦略プログラム長がそれに相当しておりまして、発生・再生科学総合研究センター長が兼務しています。 』

野依理事長の答えによると、「ユニットの内部についてはユニットリーダーが所属長としてチェックするが、ユニットリーダーその人については、ちゃんとセンター長がチェックすることになっている」ということでしょう。
さて、ここで話題になっている「科学研究上の不正行為の防止等に関する規定第4条」というのが気になります。
そこで探してみました。

独立行政法人理化学研究所「第2回 研究不正再発防止のための改革委員会開催」で見つけました。
日時:平成26年4月13日(日)
配布資料
資料1:理化学研究所のラボマネジメントの現状と課題についての9ページに以下の記載がありました。
『科学研究上の不正行為の防止等に関する規程(抜粋)
(所属長の責務)
第4条 所属長は、その所掌する組織における研究不正を防止するため、次の各号に掲げる事項を遵守するものとする。
(1)所掌する組織において、研究レポート、各種計測データ、実験手続き等に関して適宜確認すること。
(2)所掌する組織の研究員等に対し、各種計測データ等を記録した紙及び電子媒体、ラボノートブック等は、研究成果有体物取扱規程(平成18年規程第10号)第3条により研究所に帰属することを周知するとともに、ラボノートブックの適切な記載の方法を指導すること。
(3)各種計測データ等を記録した紙及び電子媒体、ラボノートブック等は、論文等成果物の発表後も、研究所の定める期間保管し、他の研究者からの問い合わせ、調査照会等に対応できるようにすること。
(4)論文を共同で発表するときには、責任著者と共著者との間で責任の分担を確認すること。』

今回の小保方騒動で、小保方さんがユニットリーダーに採用された1年前以降については、センター長が上記4条の監督責任を有していることになります。また、ユニットリーダー採用前、若山ユニットのメンバーだった頃については、若山ユニットリーダーが監督責任を有していました。

マスコミは、このあたりの監督責任を厳しく追及して欲しいと思います。

なお、上記の検索の過程で、以下の蓮舫参議院議員オフィシャルサイト記事を見つけました。
合同部門会議 2014年4月8日
『党の内閣・厚生労働・文部科学・経済産業合同部門会議に出席。
STAP細胞の疑義に関する調査報告について理化学研究所よりヒアリングを、健康・医療戦略推進法案、及び独立行政法人日本医療研究開発機構法案について法案審査を行いました。

理研の科学研究上の不正行為の防止等に関する規定第4条には所属長が不正を防止する手順が定まる。が、STAP細胞チームにおいての所属長は小保方ユニットリーダー。他者による彼女の研究noteのチェックなどは「落とし穴だった」との理研の説明。』

ここでも、理研から出席した説明者は、「小保方さん個人にしか責任はない」と一生懸命説明しているようです。
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弁理士制度見なおしについてのパブコメ結果

2014-04-15 22:45:51 | 弁理士
今年1月に、このブログで「弁理士制度見直しについての意見募集」として記事にしたように、『産業構造審議会 知的財産分科会 弁理士制度小委員会 報告書「弁理士制度の見直しの方向性について」(案)に対する意見募集』というのがありました。

パブコメの対象となった報告書の中に、「(2)論文式筆記試験必須科目について」として、現行の試験制度において、条約が論文式筆記試験では単独の必須科目とされていないことの根拠として、
「条約に規定された事項のうち弁理士が業務として行う事項については、対応する国内法で担保されている(注37)」
「注37 例えば、出題数の多いパリ条約の優先権については特許法第43条に、PCTの国内段階については特許法第184条の3以降に、国際段階については特許協力条約に基づく国際出願等に関する法律にそれぞれ規定されている。」
のように記述されていました。

しかし、弁理士有資格者は、パリ条約の条文とその解釈を十分に理解していない限り、パリ優先権を伴う特許出願の代理をすることは困難です。決して、日本国特許法第43条を知っていれば済むという問題ではありません。上記報告書の「注37」は、その点を誤解しているような印象を与えます。

一方、過去の論文試験における特実の問題の中で、条約の条文知識を問う問題が出題されているかどうか、平成14~25年度の論文・特実での条約関連問題出題状況の論点を当たってみました。この10年間の過去問の中で、論点として条約の知識が記述されているのは以下の問題でした。

平成19年度論文・特実・論点
『【問題Ⅰ】
時期を前後して出願された、パリ条約による優先権主張を伴う国際特許出願及び累積的な優先権主張を伴う特許出願の特許性についての理解を問う。』
平成16年度論文・特実・論点
『問 題Ⅰ
国際出願に関する特例についての理解を問う。』

即ち、10年間の過去問において、パリ条約の優先権の知識が問われる問題が1題、PCTの知識が問われる問題が1題、それぞれ出題されています。
従って、「特実の論文試験を通じて、受験生に条約の勉強をきちんとしてもらおう」という姿勢はあるようです。ただし、10年間でパリ条約とPCTが各1題ずつ、というのはいかにも少ない印象です。

そこで、上記疑問点について、パブコメに応じて私の意見を特許庁に送付していました。
さて、パブコメの結果が、今年2月に
産業構造審議会 知的財産分科会 弁理士制度小委員会 報告書「弁理士制度の見直しの方向性について」(案)に対する意見募集の結果について
平成26年2月 特許庁
として発表されました。
『業構造審議会 知的財産分科会 弁理士制度小委員会 報告書案について、パブリックコメント手続を通じて、各方面から御意見を募集いたしました。
募集期間中に報告書案の内容について寄せられた御意見の概要と御意見に対する考え方は以下のとおりです。なお、取りまとめの都合上、寄せられた御意見は適宜集約しております。』
産業構造審議会 知的財産分科会 弁理士制度小委員会 「弁理士制度の見直しの方向性について」(案)に寄せられた御意見の概要と御意見に対する考え方(PDF:215KB)

この中で、私の意見はどのように扱われているのでしょうか。

第3章 グローバルな強さに貢献するための資質の向上
Ⅰ.弁理士試験の充実
<論文式筆記試験必須科目(条約)>
《寄せられた御意見の概要》
[36]『パリ条約の条文、PCTの条文は日本国特許法の一部を構成していると言っても過言ではない。現行の試験制度でも、弁理士試験の論文必須科目試験において、特許法・実用新案法の問題において条約の内容を問う問題を出題すれば、受験生は必然的に条約について勉強することになるので、敢えて条約という試験科目を設ける必要はないと考える。
 他方、例えば特許法第43条は、単に優先権主張手続きについてパリ条約を補足するものでしかないため、現行制度において、パリ条約の条文の理解を、現行論文式筆記試験の特許法で出題することはできないのであれば、論文式筆記試験の科目として条約を復活させるべきである。』   1個人
[37]『報告書(案)では、論文式筆記試験必須科目について、条約を論文式筆記試験の単独科目とするのではなく、現在の出題の枠組みを維持することが適切であるとしている。「現在の枠組み」では、数年に一度しか、条約関連は出題されず、少なくとも単独科目とすることが不可欠である。
 報告書(案)で述べられている「条約に関する問題の内容や出題頻度」等を勘案すれば、基本法である特許法、実用新案法、意匠法、商標法の論理的思考能力の考査が十分になされるのかという疑問も生じる。
 報告書(案)において論文式筆記試験必須科目に関して、「工業所有権審議会において検討する」と述べられていることを評価するが、条約に関する出題の仕方や試験時間等についても併せて検討されることをお願いしたい。』   1団体

《御意見に対する考え方》
『試験の問題数その他試験運用の詳細については、御意見を踏まえ、今後、試験実施主体である工業所有権審議会で検討してまいります。
 また、平成19年に弁理士法施行規則を改正し、工業所有権に関する法令の論文式筆記試験において、同法令の範囲内で条約についての解釈・判断を問うという趣旨を明確化しております。』

上記「1個人」は私のようです。「1団体」の意見の中に、私の意見も集約されているようです。

それでは、上記パブコメを受けた結果として、報告書はどのように修正されたのでしょうか。報告書の該当箇所について、「案」と「報告書」を比較してみます。最終報告書は、「弁理士制度の見直しの方向性について-産業構造審議会知的財産分科会-」に「「弁理士制度の見直しの方向性について」(PDF:833KB) 」として収録されています。


『第3章 グローバルな強さに貢献するための資質の向上
Ⅰ.弁理士試験の充実
1.検討の背景
2.問題の所在
(2)論文式筆記試験必須科目について
報告書49~50ページ
(2)論文式筆記試験必須科目について
『現行の試験制度において、条約は、短答式筆記試験では必須科目とされているが、論文式筆記試験では単独の必須科目とされておらず、特許法等、工業所有権法令の範囲内で出題することとされている。条約に規定された事項のうち弁理士が業務として行う事項については、対応する国内法で担保されている(注37)ことから、この整理には合理性があると考えられるが、他方、経済のグローバル化を受け、弁理士には、より一層、条約に関する知識が求められているとの意見がある。また、PCT に基づく国際出願やマドリッド協定議定書に基づく国際登録出願が増えていることから、論文式試験については条約を単独の試験科目とする必要があるという意見もある。』
『注37 例えば、出題数の多いパリ条約の優先権については特許法第43 条に、PCT の国内段階については特許法第184 条の3 以降に、国際段階については特許協力条約に基づく国際出願等に関する法律にそれぞれ規定されている。』

残念ながら、この文章は「案」のままです。私の指摘は報告書に反映されなかったようです。
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小保方氏記者会見

2014-04-11 19:43:10 | サイエンス・パソコン
小保方晴子氏の記者会見、USTREAMで2時間半、見てしまいました。
取りあえず、事件後はじめてテレビカメラの前に姿を現し、2時間半にわたって平静に記者会見がこなせたことは良かったことです。

この記者会見で何がわかったわけではありませんが、1点だけ。

理研に裏切られたとは思わないか、という記者の質問に答えて、「そのような気持ちは持つべきではないと思っている」と回答していました。
この回答は、想定問答集に入っていたのでしょうか。もしも入っていなかったのだとしたら、よくぞとっさにこのような回答が出てきたものだと感心しました。「思っていない」と言えば嘘のようだし、「思っている」と答えるのも、引き続き理研で研究を継続したいと考えている小保方さんにとっていい答えではありません。私だったらこのような模範解答はとっさに思いつかなかったでしょう。

小保方さんの研究スタイルについて、例えば実験ノートのつけ方について、なぜ理研は適切に指導ができなかったのか、という点が気になっています。この点に関し、国会での野依理研理事長の答弁を書き留めておきます。

「経験が不十分であるがゆえに有するリスクに対する認識が相当に甘かったのではないか」理研・野依理事長が文部科学委員会で答弁
BLOGOS編集部 2014年04月09日 17:55
『STAP細胞をめぐる一連の騒動について、理研のユニットリーダー小保方氏が会見を行った。同日午前中、理研の野依理事長が衆議院文部科学委員会に出席し、民主党の笠浩史議員からの質問に応じた。』
『笠:平成24年9月13日に、理研でも科学研究上の不正行為の防止等に関する規定というものを1年半前に定めている。この中の第4条に、所属長が、その所属する組織における研究不正防止するために、やらなければいけない、チェックをしなければいけないことが4項目にわたって定められています。
昨日、名前は申し上げませんが、私が党の会議でこのことを理事の方に、「この今回の小保方さんの所属長というのは、センター長になるんですよね」と尋ねたところ「そうじゃないんだ」と。「ユニットリーダーなので、小保方さん自身なんだ」と。何度かそこで「本当ですか?」というやりとりをしても「そうなんだ」という答弁でした。これは事実ですか?

野依:小保方ユニットリーダーが勤めます細胞リプログミング研究ユニット。これは2013年の3月1日に発生・再生科学総合研究センターのセンター長戦略プログラムに設置されております。従いまして、研究不正を防止するという観点からのご指摘にありました第4条の規定による所属長は、研究ユニットにつきましては小保方ユニットリーダーでございます。小保方ユニットリーダーについては、センター長戦略プログラム長がそれに相当しておりまして、発生・再生科学総合研究センター長が兼務しています。 』

理研のユニットリーダーは大学の教授なみの地位だと聞いたことがあります。笠議員の質問に答えた某理事の回答からはそのように聞こえました。
一方、野依理事長の答えによると、「ユニットの内部についてはユニットリーダーが所属長としてチェックするが、ユニットリーダーその人については、ちゃんとセンター長がチェックすることになっている」ということでしょう。
今回具体的には、笹井副センター長が小保方リーダーのメンター役を務めていたとの報道がありましたから、センター長が所属長として小保方リーダーを指導するに当たり、笹井副センター長にその業務を委譲していた可能性があります。
もしそうだとすると、今回小保方さんの「未熟、自己流」が原因で起こっている数々について、直接的な責任はやはり笹井副センター長が負うべきということになります。もちろん、本来の責任者であるセンター長も責任を免れませんが。

笹井さんが近く会見に応じるそうですが、どのような発言をされるのでしょうか。
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小川和久氏と普天間移設問題

2014-04-06 20:01:36 | 歴史・社会
だいぶ前、1月26日過ぎのことですが、このブログにキーワード「小川和久」で検索して訪問される方が増えたことがあります。調べたところ、1月26日の「報道ステーション SUNDAY」で、鳩山由紀夫政権の2010年5月ころに、普天間移設先について秘密裏に行われていた日米交渉について放送されていたことがわかりました。

『普天間移設問題の舞台裏を鳩山由紀夫氏に聞く。オバマ大統領は移設先には柔軟な姿勢を持っており、軍事アナリスト・小川和久氏が直命を受けて新たな移設先についての交渉を行った。キャンプハンセンに移設する案は米軍が2日で実現可能とし、民主党・藤田幸久氏が渡米し交渉に臨んだ。米国からは好意的に受け取られ、現行の辺野古移設案への否定的な意見も聞かれたという。

普天間移設問題について、米国も指摘したという辺野古移設案の問題を紹介。有事の際に大量の海兵隊や物資などを扱うスペースがなく、滑走路の短さから海兵隊の軍用機が着陸できないという問題もあった。米国側も海兵隊の不満を抑えこんでいたという。日本側が提示した「キャンプハンセン」への移設案は沖縄戦当時の「チム飛行場」を復活させ滑走路を確保する案で、ルース大使も費用が大幅に削減できると興味を示した。

普天間移設問題についての当時の国会でのやりとりを紹介。移設案は民主党外には公開されず、野党だった自民党の谷垣総裁らが腹案を追及した。鳩山由紀夫氏は交渉中の小川和久氏に首相補佐官就任を要請、小川氏は動きにくくなるとしてこれを固辞した。その後日本側が米国高官8人と交渉したが、首相補佐官でない立場があだとなり米国が実務者協議を要求するなど交渉が進まなくなった。

普天間移設問題では密使がキャンプハンセンへの移設で米国と合意に至るが、鳩山由紀夫氏が沖縄を訪問して発言を迷走させ、交渉が辺野古案に傾いた。東京では日米の官僚が辺野古案の協議を進めてしまう。鳩山由紀夫氏が当時の発言について、官僚からの抵抗が大きかったなどと指摘した。辞任1か月前に辺野古移設を決断、不本意な決断ではあったがオバマ大統領からは感謝状も贈られた。小川和久氏は水面下の交渉をのちに論文にまとめ、日本には外交と安全保障に関する能力が欠如していると警鐘を鳴らした。』

私は2010年7月にこのブログで、「小川和久著「普天間問題」」と題してブログ記事を書きました。小川氏の「この1冊ですべてがわかる 普天間問題」についてです。
この本は2010年4月1日に発行されたものです。
96年6月までに、小川氏は普天間飛行場の移設構想をまとめ上げました。その案とは、普天間と同じ規模の海兵隊専用飛行場をキャンプ・ハンセンの陸上部分に建設し、キャンプ・シュワブの陸上部分に軍民共用空港を建設、嘉手納基地のアジアのハブ空港化などの振興策によって沖縄を経済的に自立させるという構想でした。
自民党総務会長だった塩川正十郎氏に構想を話したところ、塩川氏は賛同してくれたのですが、梶山静六官房長官は小川氏の話を聞こうともしませんでした。
3年後の1999年に小川氏の構想を沖縄県北部の自治体首長たちの賛同を得ることになりますが、実現にはいたりませんでした。
自民党のある有力政治家は、「北部の首長たちは小川さんの構想に心酔しているが、それを進めると自分たちの立場がなくなると、官僚が抵抗したんです」と、小川氏の案で進めなかった理由を説明しました。しかし別の防衛官僚によると、そもそも“官僚の抵抗”など存在せず、この有力政治家が、普天間の利害がからむ別の政治家から頼まれて、それ以上、沖縄側と接触しないように小川氏にストップをかけ、事実を曲げて説明していたのです。

小川和久氏は、以上のように96年時点から普天間移設問題に深く関わっていました。そして、2010年4月に上記の本を出版したわけです。そこまでは私も知っていました。
出版の直後、2010年5月に一体何があったのでしょうか。

テレビ放送の紹介では、「小川和久氏は水面下の交渉をのちに論文にまとめ」とあります。そこで、その論文を探してみました。
その結果、「普天間漂流――軍事的リアリティを踏まえた効果的な交渉の不在 」を見つけました。
投稿日: 2014年02月02日 09時28分
『1月27日に掲載したハフィントンポスト編集主幹・長野智子のブログ「普天間基地『腹案だった?幻の移設案』」の関連記事として、軍事アナリスト・小川和久氏の論文「普天間漂流――軍事的リアリティを踏まえた効果的な交渉の不在」を紹介する。
※この論文は、『沖縄クエスチョン  普天間と日米同盟と地域の安全保障』(2013年12月10日、ジョージ・ワシントン大学シグールセンターと沖縄の南西地域産業活性化センターにより英文で出版)に収録されています。
鳩山内閣時代の普天間飛行場移設問題の迷走は、ひとり鳩山内閣の問題にとどまらず、外務省、防衛省に代表される日本の官僚機構の能カレベルを余すところなく浮き彫りにすることになった。ここでは、私自身が当事者となった米国政府との協議の一端から、交渉失敗の現実を明らかにし、将来への教訓を導き出す材料としたい。』
『■ 背景
2010年3月20日、私は首相公邸において鳩山由紀夫首相から内閣総理大臣補佐官への就任を要請され、移設案の新規策定作業を開始した(同席者:藤田幸久民主党国際局長、佐野忠克首相秘書官)。(脚注1)
4月16日、移設案を米国政府に提示。即日、「政府を含む日本側からの初めての具体的な提案」との回答あり。私が当時接触していた、普天間飛行場移設問題をよく知る複数の米軍高級将校からも同じ回答あり。しかし、4月16日の段階で、首相を支える佐野秘書官らは普天間飛行場の部隊を無理やり徳之島に移駐させる案、あるいは普天間の部隊の半分を徳之島に移駐させる案を抱え込んでいた。米国との下交渉が終わるまで、私は首相補佐官ではなく、民間の専門家として行動することにした。メディアに捕捉されるのを避けるためだ。米国側は、私が行動するにあたって日本政府の人間が同行する、という条件を示した。
■ 移設の提案(2010年)
【2010年の移設案】
私は最終的な移設先として、2500m滑走路を含む、普天間と同規模の飛行場を建設することを提案していた。飛行場に最も適した場所は、キャンプ・ハンセンのチム飛行場跡地。チム飛行場は米海軍が1945年に建設し、跡地には海兵隊の建物が建っている。この移設先飛行場は、米軍の作戦所要を満たすことができるだけでなく、演習場内に滑走路を建設する計画ではないので、海兵隊の訓練に支障が出ることもない。墜落事故の危険、騒音、海岸の環境への影響も少ない。
ヘリ部隊の仮移駐先は、沖縄の他の米軍基地内に、段階的に整備することを提案した。仮移駐先の用地は2日間で更地にして、基本的な航空施設を1カ月以内に整備するというものだった。この2段階は、自衛隊が日米共同訓練の枠組みのもとで実施できる。仮移駐先には1年半以内に2000m滑走路を建設するか、仮移駐先によっては、それより前に既存の滑走路を2000mに延長する。もともと私は、仮移駐先をキャンプ・シュワブに建設する考えだったが、2010年春には民主党の沖縄選出議員の求めもあり、伊江島に仮移駐先を建設しても構わないと判断し、提案に盛り込んだのだった。
■ 交渉過程の管理に関する日本側の問題
米国政府側と私の折衝は藤崎一郎駐米大使と情報共有され、藤田民主党国際局長(参院議員)と日本大使館員が同席、折衝の模様は外交公電に記録されている。
以上のような経緯ののち、普天間飛行場移設問題は2010年5月はじめの段階で決着しかけていたが、残念ながら、日本側のコミュニケーション不足から問題が生じた。米政府側は私の提案を肯定したうえで「色々な政治家が『首相の使者』と名乗ってやってくるが、小川案に一本化してもらえないだろうか」と求めたが、藤田議員からの連絡に対しても鳩山首相も佐野秘書官も応答しなかったのだ。米国側が辺野古案に戻すことにしたのは、ひとえに日本側の責任である。』
(英訳と日本語訳・西 恭之、聞き手と構成・坂本 衛)
(2014年1月23日発行『NEWSを疑え!』第270号より転載)

この1冊ですべてがわかる 普天間問題」の出版(10年4月10日)直前に、鳩山政権に参画して行動を開始していたのですね。そして、米国に示した普天間移設先は、本の主張と同じ、「キャンプ・ハンセン移設案」でした。米国からは好意的に受け入れられたようですが、結局、日本側の事情でこの案は実現しなかったということです。
結局は、元の木阿弥で辺野古移転案に戻ってしまいました。

このあたりのいきさつは、小川氏が論文発表しているにもかかわらず、全くといって良いほど報道されません。報道管制が敷かれているとしか考えられません。

1996年頃、小川氏のキャンプ・ハンセン移転案は、自民党代議士と地元利権によって葬り去られました。
2010年における小川氏のキャンプ・ハンセン移転案も、辺野古埋め立てを求める地元土建業者の利権を背景に迫る官僚に、鳩山総理が負けてしまったのでしょう。

ところで、小川氏が推したキャンプ・ハンセンとはどのあたりでしょうか。下の地図の[+]位置に、現在のキャンプ・ハンセンがあります。

この位置が、米軍の旧チム飛行場の位置なのでしょう。航空写真で見ると現在は米軍の建物が建っているようですが。「チム」とは、地名の「金武町」から来ているようです。
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沖縄訪問(2)

2014-04-03 20:06:55 | Weblog
第1報では、今回の沖縄訪問記録のうち、米軍基地と自衛隊基地に関連する内容をお伝えしました。
第2報では、それ以外の話題について記述します。

《美ら海水族館》
2日目に、沖縄本島北部の美ら海水族館を訪問しました。孫たちを同伴した今回沖縄旅行の主要目的地です。

水族館のハイライトは「黒潮の海」でしょうか。
大きな水槽はいろいろな角度から見ることができるのですが、その最大は下の写真です。“こんな大きなガラス板がどうやって水圧に耐えているのか?”と不思議に思いましたが、ガイドブックには「世界最大級のアクリルパネル」と書かれていました。
 
世界最大級のアクリルパネルの水槽

巨大窓の中で泳ぐ魚のうち、目を引くのはジンベエザメです(下写真)。
 
優雅に泳ぐジンベエザメ

大水槽に隣接してカフェがあります。このカフェで飲食しながら、大水槽を眺めることができます(下写真)。われわれがカフェに入ったときは空いていて、水槽に最も近い席を占めることができました。
 
大水槽を間近に見るカフェ

JAXA 沖縄宇宙通信所》(沖縄県国頭郡恩納村字安富祖金良原1712)
今回のメンバーの中にそらじょ(宇宙ガール)がおりまして、美ら海水族館から万座への帰途の途中にJAXAの通信所があることに気づきました。そこで、帰りがてらこの通信所を訪問することにしました。名護市から南下してしばらくしたところで山の中に入ります。下の地図の位置に、通信所はありました。

  
シーサーに守られた看板                建物入口

通信所のリーフレットには以下のように書かれています。
『沖縄宇宙通信所は、1968(昭和43)年2月、旧科学技術庁宇宙開発推進本部の「沖縄電波追跡所」として発足、1969(昭和44)年10月、旧宇宙開発事業団の発足とともにその一施設となり、2003(平成15)年10月に三機関統合により宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設となりました。
当通信所の主な業務は、人工衛星の追跡と管制です。打ち上げられた人工衛星からの電波を受信し、人工衛星の位置や姿勢、搭載している電子機器が正しく機能しているかどうかを知り、状況に応じて、人工衛星に対してコマンド(指令)電波を送信し、人工衛星の姿勢制御等を行う役割を果たしています。』

通信所の建物の中は一般公開されており、1階には展示室が3~4部屋ありました。右下写真はそのうちの1室で、放送衛星「ゆり」の本物のテスト用人工衛星だそうです。
  
準天頂衛星観測レドーム               屋内の展示

正面玄関前には、球形のレーダー用ドーム(レドーム)が見えます(左上写真)。準天頂衛星観測レドームと説明されていました。
敷地内には、2基のパラボラアンテナが設置されています(下の2枚の写真)。説明書によると、これ以外に30mの大パラボラアンテナ(広報用)が設置されているとありますが、見当たりません。以前設置はされていたがその後解体され、現在は存在しないもののようです。ただし、上の地図の左下「地図」をクリックしてgoo地図を表示し、航空写真を拡大してみると、宇宙通信所建屋のすぐ南に大きなパラボラが上を向いているのが見えます。これが、今では撤去された30mのパラボラに間違いありません。この航空写真にはレドームが見えません。まだ建設されていない時期の写真なのでしょう。
  
18mパラボラ                       10mパラボラ

3日目、別行動でわれわれが普天間第二小学校を訪問した後(第1報)、那覇市で再び合流しました。合流後、最初の訪問先は首里城です。

《首里城》
首里城入り口近くの駐車場は満車で、ちょっと離れた駐車場へ入れることになりました。
 

 
4歳と2歳の孫を引き連れ、2人の機嫌を取りながらの見学ですから、とにかく順路を回ったこと以外はあまり覚えていません。

《瀬長島へ行く海上道路から那覇空港を望む》
那覇国際空港は那覇市の東端の海岸沿いに設けられています。滑走路は南北に向いています。空港の南端のちょっと先に瀬長島という島があり、沖縄本島とは海上道路でつながっています。そしてその道路の途中が、空港の滑走路の延長上にあり、海上道路から、着陸する飛行機を真上に見ることができます。
本日は、夕食を瀬長島のホテル内レストランで食することにしました。まずはホテルで席の予約をしました。オープンの6時まで30分ほどの時間があるので、その間に先ほど走った海上道路へ戻り、飛行機の着陸を眺めることにしました。

滑走路への着陸誘導施設
  
滑走路へ向かう側                 海上へ突き出る誘導施設

着陸進入路の真下に来ました。左上写真は、道路から滑走路へ向かう着陸誘導施設、右上写真は反対に海上へ突き出る誘導施設です。
しばらく、真上を通過する飛行機を眺めていました(下の写真)。
  
着陸態勢の飛行機

 
着陸する飛行機

4日目、東京に帰る日です。
第1報で書いたようにニライ橋・カナイ橋から知念の海岸を散策し、那覇へ戻ってきました。レンタカーを返却し、モノレールで空港へ向かいます。

《那覇国際空港》
空港のレストランでお昼です。窓際の席が取れました。
窓の外の駐機場には、ピンクのジンベエザメをペインティングしたジェット機(Boeing 737)が駐機していました(左下)。離陸準備が整ったジンベエジェットは、その後離陸していきました(右下)。右上写真の左端には飛行機牽引車が見えますが、この牽引車もピンクのジンベエがペインティングされています。
  
日本トランスオーシャン、ジンベエザメ描いたジンベエジェット

我々の飛行機に乗り込むために通路を歩いていたら、通路の外にもう1機、青のジンベエザメをペインティングしたジェット機を見ることができました。わずかな間に2機も見られたと言うことは、結構な機数でジンベエジェットが就航しているということでしょうか。

こうして、3泊4日の沖縄旅行が無事に終了しました。
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小保方事件・理研最終報告

2014-04-01 20:47:37 | サイエンス・パソコン
小保方さんの論文に関する最終報告なるものが発表されましたが、何が何だかよくわかりません。
3年分の実験ノートは2冊だけ──「不正行為は小保方氏1人」 理研の調査委、STAP細胞自体には踏み込まず
ITmedia ニュース 4月1日(火)14時14分配信
『理化学研究所は4月1日、所属する小保方晴子・研究ユニットリーダーなどの研究グループが英科学誌「Nature」に発表した「STAP細胞」の論文に不自然な点が相次いで指摘された点について、調査委員会による最終報告書を公表し、記者会見で説明した。2点の研究不正を認めた上で、それぞれ小保方氏1人によるものだったとの判断を示した。』

上記記事と、小保方さんの反論に関する下記記事をベースとして、取りあえず言いたいことを書き留めておきます。
小保方氏、研究不正認定に「驚きと憤り」「とても承服できない」 理研に不服申し立てへ
ITmedia ニュース 4月1日(火)13時17分配信

《ねつ造箇所2カ所の判断》
[調査委員会]
『中間報告段階で継続調査とした4点のうち、(1)学位論文の画像に酷似した画像を論文1に使用したことを「ねつ造」、(2)論文1で電気泳動画像を切り貼りしたことを「改ざん」と認定し、「研究不正行為を行った」と判断した。それぞれ小保方氏1人の不正だったとし、共同研究者は不正行為を行っていないとしている。』

[小保方さん反論]
(上記(2)について)
『Figure1i から得られる結果は,元データをそのまま掲載した場合に得られる結果と何も変わりません。そもそも,改ざんをするメリットは何もなく,改ざんの意図を持って,Figure1i を作成する必要は全くありませんでした。見やすい写真を示したいという考えから Figure1i を掲載したにすぎません。』
(上記(1)について)
『私は,論文1に掲載した画像が,酸処理による実験で得られた真正な画像であると認識して掲載したもので,単純なミスであり,不正の目的も悪意もありませんでした。
真正な画像データが存在していることは中間報告書でも認められています。したがって,画像データをねつ造する必要はありません。
そもそも,この画像取り違えについては,外部から一切指摘のない時点で,私が自ら点検する中でミスを発見し,ネイチャーと調査委員会に報告したものです。』

「上記2カ所の“ねつ造”が、誤った結論に導こうとする悪意のねつ造だったのかどうか、2つの主張を比べてもよくわかりません。

《実験ノートについて》
[調査委員会]
『Nature論文中の画像と学位論文の画像は、文字などに一部異なる点があり、画像の由来を調べるため、調査委は小保方氏から実験ノートの提出を受けたが、3年間の実験ノートが2冊しかなく、記載内容も、日時がはっきりと書かれていないなど荒かったため、科学的に追跡することはできなかったという。
実験ノートについて、調査委員長の石井氏は「これまでに学生や若いポスドクを数十人指導してきたが、これだけ断片的な記載は経験がなく、実験がフォローできるのか」と疑問を呈した。調査の過程で、3月13日から実験室の閉鎖を行うなど証拠保全を行っているが、小保方氏のノートPCなどは私物だったため提出は受けていないという。』

小保方さんの研究ユニットは、年間1億円の理研予算で運営されていたと聞きます。得られた研究成果は、一義的には理研が所有しているはずです。その研究成果が、2冊の実験ノートだったというのでしょうか。

理研には、雇われた研究員が研究成果をどのように整理して報告するべきかについて、きちんとした服務規程があるものと信じています。そうであれば、小保方さんが雇われた時点で、研究成果の整理・報告のしかたについて説明を受けていたはずです。まさか「ずさんな実験ノートがあればいい」などという規定であるはずがありません。
もし小保方さんが服務規程に違反して研究成果を整理・報告していなかったのだとしたら、理研がその事実に今まで気づけなかったとは理解できません。

「実験ノート」と聞くと、まずはアメリカ式のラボノートを思い浮かべます。
アメリカのラボノートは、つい最近までのアメリカの特許制度(先発明主義)と密接に関連しています。先発明主義の時代、たとえ特許出願が遅くても、発明したのが競争相手よりも早いことが証明できれば、特許は先に発明した人のものとなりました。そして、先に発明したことを証明するための手段が、「ラボノート」だったのです。
アメリカの研究者にとって、ラボノートは何より大切なものだったようです。
ラボノートで先発明を証明するためには要件があります。
(1)研究所から支給されたまっさらのノートを用い
(2)研究成果を克明に手書きで、かつ余計な空白を空けずに記載し、
(3)内容を読んで理解できる同僚に定期的に読んでもらい、「読んで理解した」としてサインをもらう必要があります。
もし、小保方さんの2冊の実験ノートが「アメリカ式ラボノート」だとしたら、上記(3)のチェックを定期的に受けていたはずです。今になって「2冊しかなかった」ことが判明したと言うことは、この実験ノートは、ただの小保方さんのメモ帳に過ぎなかった可能性が高いです。

そもそも、ここはアメリカではないのですから、実験データはコンピュータに整理・格納しているはずで、手書きのラボノートがすべて、などという研究所は少ないのではないでしょうか。

3年間の小保方ユニットの研究成果が、2冊の実験ノートと小保方さん私有のノートPCにしか保管されていないとしたら、理研の研究マネジメントはめちゃくちゃです。

取りあえず、書きたいことを書き留めました。
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