弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

特許の補正要件・審査基準の改訂について

2010-01-31 10:41:30 | 知的財産権
ttさんがコメントでご紹介されたように、産業構造審議会知的財産政策部会特許制度小委員会の審査基準専門委員会(第4回)が1月28日に開催されたようです。そのときの配付資料の中に、資料5「新規事項の審査基準の改訂について(pdf)」という資料が含まれています。

特許出願における明細書等の補正において、いわゆる「除くクレーム」とする補正が特許法の補正要件に照らして適法か、という点が争われ、知財高裁大合議判決(知財高判平20.5.30、平18(行ケ)第10563号)がなされました。この判決については、このブログで何回も話題にしてきました(知財高裁大合議判決審査基準専門委員会大合議判決は確定したか特技懇(「除くクレーム」知財高裁判決)知財管理誌「補正・訂正に関する内容的制限が緩和された事例(「除くクレーム事件」以降)」)。

大合議判決に対しては、平成20年6月23日に上告及び上告受理申立てがなされたのですが、その後最高裁からは何の音沙汰もなく、1年半が経過しました。それが突然、上記審査基準専門委員会の資料5において、「今般、この大合議判決は、上告・上告受理申立てが取り下げられ、確定した。そこで、この大合議判決の内容、後続判決の調査などを踏まえ、審査基準の「第Ⅲ部第Ⅰ節 新規事項」について、審査基準改訂の検討を行うこととする。」と明らかにされたのです。
最高裁は上告(と申立て)がされてから1年半、どんな検討を行ってきたのでしょうか。そして決定も判決もされないまま、上告人が上告(と申立て)を取り下げるという私人の意思に起因して、大合議判決が確定するという事態に至ったようです。
本件についてはぜひ最高裁の判断を見たいと思っていたのですが、それは叶わないこととなりました。

私は、大合議判決の重要ポイントを以下の(1) ~(6) のように抜き出しました。
(1) 補正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該補正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。(判決41ページ5行)

(2) 付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合や,その記載から自明である事項である場合には,そのような訂正は,特段の事情のない限り,新たな技術的事項を導入しないものであると認められ,「明細書又は図面に記載された範囲内において」するものであるということができるのであり,実務上このような判断手法が妥当する事例が多いものと考えられる。(41ページ15行)

(3) 明細書又は図面に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする訂正についても,平成6年改正前の特許法134条2項ただし書が適用されることに変わりはなく,このような訂正も,明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する訂正であるというべきである。(43ページ8行)

(4) 引用発明の内容となっている特定の組合せを除外することによって,本件明細書に記載された本件訂正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているものとはいえないから,本件各訂正が本件明細書に開示された技術的事項に新たな技術的事項を付加したものでないことは明らかであり,本件各訂正は,当業者によって,本件明細書のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであることが明らかであるということができる。(48ページ7行)

(5) 補正事項自体が明細書等に記載されていないからといって,当該補正によって新たな技術的事項が導入されることになるという性質のものではない。(52ページ18行)

(6) 「除くクレーム」とする補正についても,・・・明細書等に記載された技術的事項との関係において,補正が新たな技術的事項を導入しないものであるかどうかを基準として判断すべきことになるのであり,「例外的」な取扱いを想定する余地はない(52ページ20行)

まず(1) で、「新規事項追加不可」補正要件の原則を述べています。(2) は、従来の実務で採用されている考え方です。そして(3) で、たとえ明細書中に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする場合でも、新規事項追加に該当しない場合があるとするのです。(5) も同様です。
(4) では、訂正前発明から特定の組み合わせを除外する補正は、上記規範に照らして新規事項追加ではない、とします。

ですから、「本当は新規事項追加なのだが、『除くクレーム』形式で表現した場合に限り、例外的に補正を認めてあげる」というのではなく、どんな形式だろうと、訂正(補正)によって新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,原則としてその訂正(補正)は認められる、というのが大合議判決の趣旨と理解しました。


そこで審査基準専門委員会の資料5です。
資料5のなかで大合議判決の内容を抜き書きしていますが、どこを抜き出したかというと、上記(1) 、(2) と、(6) に対応して[「例外的」な取扱いを想定する余地はないから、審査基準における「『除くクレーム』とする補正」に関する記載は、上記の限度において特許法の解釈に適合しないもの]という部分のみです。(3) (4) (5) の部分は引用されていません。

そして資料5においては、特許の補正要件(新規事項)について、以下のように記述されています。
『新規事項の審査基準改訂骨子(案)
a.一般的定義の新設
「明細書又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり、補正が、このようにして導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該補正は、「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができるという一般的定義を設けることとする。
b.「新たな技術的事項を導入しないもの」の類型についての整理
補正された事項が“明示的記載+自明”な事項である場合は、特段の事情がない限り、新たな技術的事項を導入しないものであるとした大合議判決を受け、“明示的記載+自明”な事項である場合は、「新たな技術的事項を導入しないもの」として補正を認めることとする。
また、現行審査基準の「各論」において「補正が認められる」とされているものは、「新たな技術的事項を導入しないもの」として補正を認めることとする。
さらに、現行審査基準において「補正が認められない」とされているものは、「新たな技術的事項を導入しないものとはいえない」として補正を認めないこととする。
c.「除くクレーム」とする補正についての整理
「例外的に」という言葉を削除する。上記b.と同様、現行審査基準の「4.2(4) 除くクレーム」において「補正が認められる」とされているものも、「新たな技術的事項を導入しないもの」として補正を認めることとする。』

さて、特許庁が提示した上記「新規事項の審査基準改訂骨子(案)」は、大合議判決のロジックと整合しているでしょうか。

長くなったので以下次号
コメント

ロンドンでのアフガン国際会議

2010-01-30 13:04:51 | 歴史・社会
先日、アフガンでの和解・日本の役割で、ロンドンで開催されるアフガン国際会議について触れました。会議後、どのような発表がされたのでしょうか。

タリバン社会復帰推進 アフガン会議 治安権限移譲も
1月29日7時57分配信 産経新聞
「【ロンドン=木村正人】国際テロ組織アルカーイダが拠点を置くアフガニスタンでの対策を協議する国際会議が28日までの2日間、ロンドンで開かれた。米欧などが大規模増派を決定したのを受け、アフガンのカルザイ大統領はイスラム原理主義勢力タリバンの社会復帰と政治的和解に取り組む考えを表明した。会議は、一部の州について今年後半に、国際治安支援部隊(ISAF)がアフガン側に治安権限移譲を開始することを盛り込んだ声明を採択して閉幕した。
カルザイ大統領は28日の演説で、投降したタリバン下級兵士に金銭と仕事を与え、社会復帰を促す「平和と社会復帰事業信託基金」の設立を明らかにした。期間は3年で規模は2億~10億ドルを想定。日本の福山哲郎外務副大臣は拠出金50億ドルから、設立時に約5千万ドルを負担する考えを示した。
国連は26日、カルザイ大統領の要請で旧タリバン政権の元高官5人を制裁対象者リストから削除。大統領はタリバン幹部がアルカーイダと絶縁することを条件に政治的和解を進める。」

<アフガン>5年以内の治安権限移譲の声明採択 支援国会議
1月29日10時33分配信 毎日新聞
「【ロンドン笠原敏彦】当地で開かれたアフガニスタン支援国会議は28日、同国が掲げる国際治安支援部隊(ISAF)からの「5年以内の治安権限移譲」終了の目標を支持する声明を採択して閉会した。」
「また、ミリバンド英外相は閉会後の共同会見で、タリバン投降兵の社会復帰を推進するための「再統合基金」に各国から計1億4000万ドル(約126億円)の拠出表明があった、と話した。日本は5000万ドルの拠出方針を示した。
 アフガン政府は、国際的批判を浴びている汚職問題で、独立監査組織を設置して取り組む姿勢をアピール。今春カブールで予定される次回支援国会合の前に、伝統的な最高意思決定機関「ロヤ・ジルガ(国民大会議)」を開き、旧支配勢力タリバンにも参加を呼び掛ける方針を表明した。
 これに対し、クリントン米国務長官は会見で「(平和の達成には)敵に関与しなければならない」と語り、政治プロセスへのタリバン取り込みを容認する姿勢を示した。米国も最終的な紛争終結には軍事行動だけでなく、「政治解決」が不可欠と判断していると見られる。」

ニュースから見る限り、タリバン兵士の社会復帰を促す活動について、活動を進めるのはカルザイ・アフガニスタン政府であり、そのための基金(2~10億ドル)を設立し、日本は設立時に5千万ドルを負担する、ということのみがわかりました。
国際基金はお金を準備するだけなのか。準備したお金を実際に使うのはアフガニスタン政府なのか。日本を含む国際社会は、実際に現地に赴いて活動そのものを担うのか担わないのか。いずれもよくわかりません。
下手をすると、日本はお金を拠出するだけで、そのお金を実際に使うのはアフガニスタン政府かもしれません。その場合には、上記ニュースにもあるアフガン政府の「国際的批判を浴びている汚職問題」という体質で、アフガン政府の汚職閣僚がポケットに入れてしまう危険性が高くなります。

ここは是非、日本が「カネを出すが手も口も出す」という方針で、アフガニスタン戦争終了直後のDDR(武装解除)のときの日本の活動と同様に、日本から団体を派遣してほしいものです。そのときの団長は伊勢崎賢治氏でしょうね。

なお、ロンドン国際会議にアメリカからはクリントン国務長官が出席しているのに、日本からは福山哲郎外務副大臣のみで岡田外務大臣が出席しなかったのは寂しいことでした。
コメント

アフガンでの和解・日本の役割

2010-01-27 21:27:48 | 歴史・社会
このブログでも何度紹介している瀬谷ルミ子さんのブログ(1月25日記事)で、「アフガニスタンでも、カルザイ大統領がタリバンとの和解について本格的に動きだしているようです。」として、BBCでのカルザイ大統領の記事が紹介されています。

Afghanistan's Karzai moots Taliban peace scheme
Page last updated at 18:09 GMT, Thursday, 21 January 2010
John Simpson
BBC World Affairs Editor
"Afghan President Hamid Karzai has told the BBC he plans to introduce a scheme to attract Taliban fighters back to normal life by offering money and jobs.
He would offer to pay and resettle Taliban fighters to come over to his side, with the scheme funded by the international community.
He said the UK and US would show at a conference next week in London that they had decided to back his new plan.
Japan is one of the countries which, he said, is prepared to put up the money."
(拙訳)
「アフガニスタンのカルザイ大統領は、タリバンの兵士にお金と仕事を提供し、タリバン兵士が通常の生活に戻るよう引き寄せる計画を導入する計画についてBBCに語った。
国際社会の基金計画により、タリバン兵士への支払いとカルザイ側への定住とを申し出る。
ロンドンで来週開かれる会議において、英国と米国が彼の計画を後援することを明らかにするだろうと語った。
日本は、お金を提供する用意をしている国のひとつである。」

そこで、関連するニュースを探してみました。以下のニュースが見つかりました。

アフガン国際会議27日からロンドンで開幕
1月26日18時55分配信 産経新聞
「国際テロ組織アルカーイダが拠点を置くイエメンとアフガニスタンでの対策を協議する国際会議が27、28の両日、ロンドンで開かれる。昨年末の米機爆破テロ未遂事件でアルカーイダの脅威が改めて浮き彫りになる中、「第二のアフガン」化を防ぐためイエメン支援策を協議。アフガンについては部隊増派とともに、イスラム原理主義勢力タリバンの切り崩し、治安権限移譲などの出口戦略を示した声明が発表される見通し。」
「今月15日にインド洋での補給活動を打ち切った日本政府は5年間で50億ドル(約4500億円)規模のアフガン支援を表明。その一部を使って、タリバン元兵士に金銭や土地、職業を提供して社会復帰を促す国際基金の創設を英国と共同提案する方針だ。
 タリバン指導者層については国連のテロ関係者リストからの除外や第三国への亡命などを持ちかけることで和解を進めるという。」

まさに、今日(27日)と明日、ロンドンでアフガン国際会議が開かれているのですね。カルザイ大統領が述べているのはこの会議のことでしょう。

産経記事に出ている「タリバン元兵士に金銭や土地、職業を提供して社会復帰を促す国際基金」について、カルザイ大統領は、「私が主催する。英国と米国が後援する。日本はお金を出す。」と述べているわけです。
一方、産経記事では、「日本政府は(当該)国際基金の創設を英国と共同提案する方針だ。」ということで、「日本と英国が主催する」とのスタンスです。
一体どちらが本当なのでしょう。

そもそも、瀬谷ルミ子さんのブログで「昨年11月に非公開で東京で会議も行ってますが」と紹介されているのが、昨年の11月23~25日に東京で開催された「アフガニスタンにおける国民和解と和平の道筋を探る国際会議(主催・世界宗教者平和会議、協力・外務省)」であり、このブログでも東京でアフガン国際会議で紹介しました。
この会議は、東京外大の伊勢崎賢治氏と民主党参議院議員の犬塚直史氏が半年以上の準備の末に開催にこぎつけた会議です。そして会議は最終日の25日、「アフガン和平構築で日本は中心的役割を果たすべきだ」などとする提言書をまとめ、岡田克也外相に手渡しました。
日本政府がこの国際会議の流れに乗れば、日本はアフガニスタンでの国民和解と和平を実現するための主役になり得たはずです。

しかしBBCでのカルザイ大統領の発言を聞くと、大統領にとって、日本はお金を出す国でしかありません。一体、東京会議の後、日本政府はアフガニスタン政府とどのような交流を行っているのでしょうか。
東京会議を開催する上で民主党の犬塚議員が主要な働きをしているのですから、東京会議から提言を受けた民主党連立政権は、犬塚議員を中心に据えて国際舞台で活躍することができたはずです。もちろん伊勢崎賢治氏を前面に押し立てて。
ところが、注意しているのですが、そのような活動が開始されている気配を感じることができませんでした。そして今回のカルザイ大統領の発言(主催するのは自分で、日本はカネを出すだけ)です。
岡田外務大臣及び外務省は、犬塚議員の働きにそっぽを向いている可能性もあります。このブログの良い族議員・悪い族議員で書いたように、民主党議員と政府との間が恣意的に遮断されているかもしれません。

カルザイ大統領は「私が主催する」としています。アフガニスタンのカルザイ政権は、腐敗と汚職が世界一という噂です。諸外国から政権に投入されたお金の大部分は、カルザイと閣僚のポケットに入ってしまう可能性が高いです
ですから、日本がお金を出すのであれば、出したお金が確実に目的通りに支出されたかどうかを確認する必要があると、伊勢崎賢治氏は強調します。
ところが従来、日本がアフガニスタン援助に拠出したお金は、国連かどっかに供出したきり、その使われ方についてはチェックしていないようなのです。これではアフガン汚職閣僚の思う壺です。ぜひ伊勢崎賢治氏を現地責任者に任命し、日本が出したお金が確実に役に立つように指揮する必要があります。

まずは、今日と明日、ロンドンで開かれているという国際会議の推移をニュースで見守ることにしましょう。
コメント

ラミダス猿人「アルディ」が意味するもの

2010-01-26 20:44:51 | サイエンス・パソコン
ディスカバリーチャンネル「今、映像で蘇る人類最古の女性アルディ」で放映された内容について、先日報告しました。

関連記事として、アルディピテクス・ラミダス国立科学博物館の記事も見つかりました。

《チンパンジーとの共通祖先から現生人類に至る進化の過程》
人類の進化を
チンパンジーと共通の祖先 → アルディ → ルーシー → 現生人類
と比較してみると、
①アルディで二足歩行をまず獲得。足の親指は離れたまま。脳の容積はチンパンジーなみ。
②ルーシーで足の親指が他の4本と一緒になり、土踏まずも獲得。
③さらにその後、脳の容積が増大し、より優れた知能を獲得して現生人類に至った。
という過程を経ているようです。

チンパンジーなどの類人猿と対比したときの現生人類の特徴として、以下の点が挙げられます。

(1) 直立二足歩行
 ① 頭蓋骨と背骨との結合位置の変化
 ② S字状の背骨
 ③ 内臓を下から支える広い骨盤
 ④ 大腿を後ろに蹴り出す股関節と大臀筋
 ⑤ 大腿骨下端の面の角度
 ⑥ 土踏まずの形成
 ⑦ 足の親指が他の4指と離れていない
(2) 脳の容積が3倍以上大きく、道具を使い、言葉を持ち、高等知能を有する。
(3) 顔が平坦(口が前に飛び出していない)。
(4) 言語を発することのできる喉頭を持っている。
(5) 体毛がない。皮膚に汗腺を有する。
(6) 発情期の喪失(年中が発情期)
(7) 犬歯が小さい。

このうち、アルディ段階で確実に獲得しているのは(1)の③であり、⑥⑦はルーシー段階で獲得です。①②④⑤はよくわかりません。(2) (3) はルーシーでも獲得していません。(7) はアルディの段階で変化しています。

アルディ、ルーシーで直立二足歩行を獲得し、結果として脳容積の増大を受け入れる準備ができ、その後のある段階で脳容積の増大が始まったのでしょう。
(4) (5) (6) がどのようなタイミングで変化したのかも不明なままです。


《人類はなぜ二足歩行を手に入れたのか》
以前、アフリカのサバンナでの生活を最適化するため、二足歩行が始まった、との説がありました。しかしアルディ発見の結果、アルディが森林に棲息していたことが明らかとなり、サバンナ最適説に見直しがかかりました。

チンパンジーなどの類人猿で犬歯・特に雄の犬歯が大きいのは、雌の獲得を巡って雄同士が争うためです。雄と雌の体の大きさも違います。
それに対しアルディを含むラミダス猿人は、男も女も犬歯が小さく、男女の体格差も大きくありません。
このような身体的特徴から、一部の類人猿のように,身体の大きなオスがメスを独占していた訳ではなさそうで、配偶相手をめぐる諍いは少なかったと考えられています。強いオスによるメスの独占ではなく,手にした食糧を決まった女性のところへ運んでご機嫌をとったり,女性が子育てに専念することができるよう手助けをするなど,一夫一婦の関係が成立していた可能性もある、と考えられているようです。

そして二足歩行の意味です。
番組では、配偶者の女性が子育てに専念できるよう、できるだけ多くの食料を配偶者のもとに運ぶことができる男性がもてたのではないか。直立二足歩行により、手で食料を運ぶことができるので、これが直立二足歩行の理由ではないか。と推測していました。

《東大諏訪教授による骨格の三次元再現》
東大の諏訪教授は今回、マイクロCTスキャンで骨の破片を三次元計測し、その結果をコンピュータ内で組み合わせ、さらに復元した結果をプラスチック模型として作成したと番組で紹介されました。
国立科学博物館の『アルディ』を復元するというサイトでは、このときに使われた三次元プリンターが紹介されています。
三次元プリンターは光を当てると固まる液状のアクリル樹脂を土台となる平面に吹きつけ,層状に塗り重ねることで立体を作るのだそうです。このようなハイテク技術の結果としてアルディが再現されたのですね。
コメント   トラックバック (1)

今、映像で蘇る人類最古の女性アルディ

2010-01-24 20:15:35 | サイエンス・パソコン
440万年前のラミダス猿人の化石から全身像を復元することに成功したというニュースが、昨年10月2日の新聞に載りました。東大の諏訪元(すわげん)教授らの国際的研究グループの成果ということです。
一人分の女性の全身骨格も含まれ、この女性は「アルディ」と名付けられました。
このラミダス猿人の頭と骨盤の復元模型が昨年10月に東京都文京区の東京大総合研究博物館で展示されたので、私は東大博物館まで見に行きました。東大博物館でラミダス猿人「アルディ」の骨格を見るに書いたとおりです。

そのラミダス猿人「アルディ」を描いたテレビ番組が、この1月10日にディスカバリーチャンネル「今、映像で蘇る人類最古の女性アルディ」で放映されると知り、ビデオ録画した上で最近見終わりました。

話は1974年、アフリカのエチオピアで320万年前の猿人「ルーシー」の骨格化石が発見されたところから始まります。ルーシーはその骨盤形状から、れっきとした直立二足歩行の猿人でした。こちらでも、東京大学「異星の踏査」展で紹介したように、ルーシーの骨格模型を私は東大総合研究博物館で見たことがあります。
ルーシー発見時のメンバーだったティム・ホワイトとオーウェン・ラブジョイらは、ルーシーよりもさらに前の化石を探すことを企てます。

1981年、デズモント・クラークらは、アメリカ国立科学財団の援助を得て、エチオピアのミドル・アワシュで調査を開始します。最初はアワシュ川東岸を調査していたのですが、付近の部族間抗争のために調査区域を反対側に変更します。これが幸いでした。
1992年、アラミスで調査隊員である東大の諏訪元教授が猿人の歯の化石を発見します。翌シーズン、隊員のハメッドが10本の歯を発見しました。さらに猿人17個体の骨化石が発見されます。
1994年、付近の川の氾濫がおさまった後、1人の個体を構成する90個の骨格破片を採取することに成功しました。これが後に「アルディ」と名付けられる猿人の化石です。
骨格破片はばらばらに土中に埋まっており、ボロボロです。周辺の土ごと、回りを石膏で固めて採取し、そこから化石を抽出します。
アルディは、犬歯が小さいことから女性、永久歯が全部生え、すり減っていないことから若い成人であると推定されます。

アルディが生きていた年代については、古すぎるので放射性炭素年代測定は用いることができず、火山岩中に含まれる火山ガラスのアルゴンガス含有量を測定することによって年代を決めます。アルディが発見された地層の上と下とに火山岩層があり、測定したところ、それぞれ435万年前、445万年前という結果が出ました。つまり、アルディは今から435~445万年前に生きていたことがわかったのです。

次は、採取された骨の断片から、アルディの全体骨格を復元する作業です。
ここで、東大の諏訪教授の研究室が活躍します。やっと日本を舞台にした映像が登場しました。
東大総合研究博物館の諏訪研究室には、マイクロCTスキャンという装置があります。この装置で、骨破片の一つ一つについて、三次元の形状をコンピュータで計測するのです。計測だけで8週間かかりました。続いて、コンピュータ内の三次元画像で破片をつなぎ合わせて全体の骨格を再現するのに数年かかりました。
頭蓋骨破片は34個採取されました。バークレーでは、それぞれを石膏レプリカとし、手作業で頭蓋骨の全体を復元していきます。一方、東大では、マイクロCTスキャンで測定した破片をコンピュータ内で組み合わせ、コンピュータ内で全体を復元します。復元した結果をプラスチック模型として作成しました(こちら)。
バークレーの手作業での復元結果と、東大でのコンピュータによる復元結果は、見事に一致していました。
それによると、アルディの脳は小さく、チンパンジーなみであるようです。

一方、骨盤を再現した結果からは、アルディが2足歩行であったことがわかりました。

足の骨の特徴、特に内側楔状骨の形状から、アルディの足は親指が残り4本と離れ、チンパンジーのように物を掴むことのできる足であったことがわかりました。

手の骨については、中手骨が小さく、チンパンジーのようなナックルウォークをしていなかったと推定されます。またチンパンジーと異なり、手首が柔らかかったこともわかりました。

次に、アルディが生活していた地域が、森林だったのかサバンナだったのかを調査します。アルディが発見された地層について、さらに10年以上の歳月をかけ、動物化石・植物化石を採取しました。
その結果、猿については、地上性の猿ではなく、樹上性の猿が見つかりました。また、樹木の化石も見つかっています。これらの結果から、アルディはサバンナではなく、森林地帯で生活していたことがわかりました。

最後は、アルディの姿形の再現です。
ここでは、自然史専門の画家であるジェイ・マターネスが作業を受け持ちました。まずは採取した化石一つ一つのレプリカのスケッチから始めます。そして、解剖学の知識も活用し、全身骨格の絵を完成し、さらには筋肉、そして皮膚(体毛)まで含んだ外形の絵を完成します。筋肉と皮膚だけで2年かかりました(こちら)。

エチオピアでアルディの化石が見つかってから、すでに18年が経過しているのですね。その間、地道な研究を進め、やっと最近になってアルディの全体像が明らかになり、報告された、ということになるのでしょうか。
コメント

日本国憲法前文・再び

2010-01-21 20:21:09 | 歴史・社会
1月19日の朝日新聞朝刊に「安保条約50周年 日米同盟 成果と展望」という特集記事が載っています。岡本行夫氏(外交評論家・元外務官僚)、山口昇氏(防衛大学校教授)、長島昭久氏(防衛政務官)の3氏が話し合った内容です。

その中で岡本氏が、日本人固有の安全保障に対する市民感覚について、以下のように述べています。
『憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」日本の安全を保持するとある。日本さえ悪いことをしなければ世界は平和だという理屈でやってきた。それが最近変わってきている。テロの恐怖とか、世界の紛争地で日本人が危ない目に遭うことも多くなってきた。一方で憲法9条から離れるのは嫌だと。』

実は私もかつては同じように感じていました。4年前にこのブログで紹介しましたが、もう一度繰り返します。

憲法前文の第2段落の第1文と憲法9条1項とを並べてみます。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

以上から感じられる印象は以下の通りです。
「我々日本人は戦後、人間相互間の崇高な理想を自覚しました。そこで、平和を愛する皆さんの公正と信義に信頼して、永久に武器を持たないことにします。もし悪者が現れたら、皆さんが武器を取って戦い、われらの安全と生存を保持してください。なぜ日本人だけ武器を持たないかって?悪いのは日本(と枢軸国)だけで、日本さえ武器を捨てれば世界は平和になるのです。(日本人が武器を持つとまた悪いことを始めちゃうのですよ)」
何と無責任で、克己心のない、自己向上意欲のない精神でしょうか。私が勝手に想像しているだけですが・・・。
本来であれば、日本が世界を苦しめる行動を取った根本の原因を徹底解明し、その原因を取り除いた上で、「もう日本は大丈夫ですから、必要があれば皆さんと一緒に武器を取ります」という態度を取るべきです。

ところで、日本国憲法には英文があります。それも2種類あります。一方は、連合軍総司令部から「これを参考に作れ」と渡された英文で、もう一方は、日本語の憲法ができたあとでその内容を翻訳した英文です。
ところが私の記憶では、憲法前文に関しては、第1の英文と第2の英文が同じであり、即ち現在の憲法前文は、連合軍から示された英文をそのまま逐語訳したものであるようなのです。

そして、前文第2段落第1文の英文を見ると印象が変わります。
"We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world."
"we have determined"と現在完了になっているのですね。

憲法前文を構成する英語文章の動詞は、大部分が現在形です。第1段落に過去形が2個所あります。そして、現在完了になっているのは前文の中ではここだけなのです。なぜ現在完了なのでしょう。
ひょっとすると、既に過去に起きた事象、例えばポツダム宣言の受諾、を指しているのではないか、と想像しています。そうだとしたら、この文章は単に過去の事実を述べているだけである可能性が高くなります。
そしてそのように解釈すると、かつての私や現在の岡本行夫氏のように、自虐的に憲法前文を解釈するくびきから開放されます。

最近、憲法前文を前面に押し出して主張をする場面が多く見られます。そうだとしたら、憲法前文をどのように解釈すべきなのかは非常に大事だと思うのですが、上記の私のようなスタンスで憲法を論じた解釈に今までお目にかかったことがありません。一体どうなっているのでしょうか。

なお、憲法前文が英文の逐語訳に近いことが納得できる点について、こちらの日本国憲法前文(1)をご覧ください。また、第1段落に登場する5つの述語の時制が現在分詞1個、過去形2個、現在形2個である点について、こちらの日本国憲法前文(2)をご覧ください。
コメント

田中滋著「常勝ファミリー・鹿島の流儀」(2)

2010-01-19 20:16:37 | サッカー
第1回に続き、田中滋著「常勝ファミリー・鹿島の流儀」です。

96年、鈴木満氏はフロントに入る辞令を受け、ヘッドコーチから強化部長に変わります。
「クラブとしては“事業”と“運営”と“強化”。その3本がちゃんとしてたらなんとかなる」
強化部長の鈴木満氏を始めとして、事業部は鈴木秀樹氏、運営部は高島雄大氏。いずれもこの道のスペシャリストとして、Jリーグの中でも評価が高いそうです。

鈴木強化部長は、監督ジョアン・カルロスとの信頼関係を築くため、監督から相談を持ちかけられたときは「社長と相談する」と持ち帰らず、独自で判断する体制を構築しました。
また、それまで強化担当の仕事は主にスカウト業務が中心でしたが、鹿島ではスカウト部門を分離しました。強化部長が常に現場に密着し、選手や監督、コーチの間で問題が起きたときにすぐに対応するためです。
鹿島のスカウトは椎本邦一と熊谷浩二が務めています。

Jリーグバブルがはじける中、鹿島は人件費削減に背を向け、94年にレオナルド、95年からジョルジーニョという現役ブラジル代表を獲得します。これらビッグネームから鈴木氏が信頼を得るため、年に4回ほど来日したジーコは鈴木氏に心配りをしてくれるのでした。

『鈴木にとって、96~98年までのチームがひとつの指標となっている。
「まず運動量、ハードワークをしなきゃいけないっていうのがあって、次にモービリティ。例えば3-5-2でウィングバックを付けて、左にはらせておいてとかじゃなくって、流動的にサッカーをやりたいっていうのがあるんだよ。流動的には、練習していかないとなかなか難しい。流動性をもったなかで中盤の守備をどう組織化できるか。」』

鹿島のスタイルをを築く上で、もっとも重要な役割を果たしたのがジョルジーニョでした。戦うときに闘争心をむき出しにするスタイルと、チームとしてなにかをするときにはファミリーという意識付けをさすための気配りをする素晴らしい選手でした。ジョルジーニョはテクニシャンというイメージではありませんが、蹴りたいところにピタッと一発で蹴る技術は抜群でした。
日本選手の中心になっていたのが、本田泰人、秋田豊、相馬直樹の3人でした。強化責任者になった鈴木は、当初彼らの対応に助けられたといいます。

98年セカンドステージから監督がゼ・マリオに変わりますが、翌年のチーム状況は最悪となり、J2降格も見えてきたところでジーコが総監督となり、何とか残留します。
そのオフ、鈴木氏はベテラン、中堅の選手を11人ほど放出します。代わりに入団してきたのが小笠原満男、本山雅志、中田浩二、そしてユースから昇格した曽ヶ端準です。監督は、ジーコ推薦のトニーニョ・セレーゾでした。「いいオッサンでさ。一生懸命なんだよ。腹黒さがないんだよね。だから選手にバーッと言って衝突もするけど、ま、セレーゾだからな、みたいな感じで、あんまりあとに引かなかった」
00年、トニーニョ・セレーゾに率いられたアントラーズは、リーグ初の3冠を達成します。鈴木氏は、監督とのコミュニケーションの確保に気を配ったようです。

しかし03年から4年間、一つもタイトルが取れなくなります。本田、秋田、相馬ら選手がピークを過ぎていました。一方、所属選手が大量に代表に選出され、これら選手の海外志向が一気に高まったのです。鈴木隆行、柳沢敦、中田浩二らが海外へ出て行きました。鹿島には、中長期のチーム編成を考えるための年齢構成がなされていましたが、働き盛りの26、27歳あたりが海外を目指し始めたため、年齢構成に穴が空いてしまったのです。

勝てない時期、強化部長として鈴木氏の仕事が増えます。プロは勝つことで結束していく傾向が強いので、勝てない時期にチームとの一体感を失わないようにと配慮が必要だからです。そして勝てない時期でも、生え抜きの選手を中心に戦うという鹿島の流儀を貫きました。

昨年まで川崎フロンターレ監督を務めた関塚隆氏、彼はジョアン・カルロスの時代から鹿島のヘッドコーチを務めていました。鈴木氏は日本人コーチの育成のため、試合時に関塚氏がベンチに入るように変更し、監督の隣に座って、試合の流れや采配の仕方を肌で感じる機会を与えました。セレーゾ監督の時代もその関係は続き、監督としての関塚氏の成長に寄与したようです。

06年、監督はセレーゾからパウロ・アウトゥリオに代わりますが、その11月、パウロは突然退団します。鹿島のフロントは急遽1ヶ月で次期監督候補を探しだし、契約を終えなければならなくなりました。ジーコ、ビスマルク、ジョルジーニョ、ジョアン・カルロスなどにメールを送り、監督探しを始めます。特に協調性を持つことを大事にしました。5人ほどの候補が挙がります。そのとき、ジョルジーニョの「オズワルドは、鹿島に合うと思うよ」とのひとことが大きな影響を持ちました。こうしてオズワルド・オリヴェイラの招聘が決まったのです。
このようにしてバタバタと呼ばれたオリヴェイラ監督の下で、鹿島アントラーズはJリーグ3連覇を達成してしまったのです。

鈴木氏が一貫して強化部長を務めてきたことが、鹿島の継続の源だったのでしょうか。

鈴木氏は強化担当の仕事として「一番の仕事は、その組織のポテンシャルを、いかに100に近づけて発揮させるか」だといいます。
シーズン中、鈴木氏の一日は監督への朝の挨拶から始まります。監督から何か問題点を聞かされたら、その目を持って、クラブハウスの様々な場所を見て回り、監督から聞いた問題点が実際にどうなのか、自分自身で確認します。練習中の監督と選手のやり取りについても、現場にいれば監督の気持ちが分かります。
鈴木氏は強化担当になる前はコーチでしたから、自分がコーチのときに、フロントにして欲しいと思ったことを実践しているのです。
トップチームの練習が始まると鈴木氏が姿を見せます。鈴木氏は監督が新しく来たとき、「自分は監督が成功するためにサポートする。それは信用してくれ」と自分の意図を説明しているのです。
特にオリヴェイラは、監督に就任する前に前任監督やジーコから聞いて鈴木氏の仕事ぶりを熟知していたので、信頼関係を構築する作業はとても楽でした。

鹿島アントラーズは選手を「ファミリー」として遇する流儀を持っています。ジーコの時代からで、この点は再びジーコのことでも書きました。そしてその流儀を、鈴木氏らが連綿として守り続けてきたのです。
鹿島アントラーズにはもともと、獲得した選手を3年間は大事に育てる、ということをチームの哲学として持っていました。この鈴木氏のやり方に対して「甘い」という批判はこれまで何度も受けてきました。
大怪我からの回復が遅れて3年以上も棒に振った羽田憲司選手を鈴木氏はずっと面倒見続け、最後はジーコからの紹介でブラジル代表のドクターをしていた医師の治療で回復に至りました。4シーズン試合に出ていなかったので、試合勘を取り戻させることも含め、鈴木氏は羽田をセレッソ大阪にレンタル移籍させます。そこで羽田選手は活躍し、その後セレッソに完全移籍し、09年にはセレッソの主将を務めているそうです。

鹿島アントラーズを支えている考え方が、ジーコやジョルジーニョによってもたらされ、それを鈴木満氏らが伝え続けることによって継承されていることが分かりました。組織ですから、継承が途絶えることもあり得るわけですが、できるだけ長くこの伝統を引き継いでほしいものです。
コメント

公務員制度改革の進捗

2010-01-17 11:57:28 | 歴史・社会
最近は、民主党小沢幹事長の「政治とカネ」の問題で大変なことになっています。私はニュースをフォローしていないので、どのような実体なのかよくわかりませんが。
その一方で、民主党連立政権による公務員制度改革の方向が姿を見せ始めているのですね。私は新聞報道を見落としており、ネットニュースで最近気付きました。

去年の10月に民主党政権の公務員制度改革でご紹介したように、安倍政権のときに渡辺行革相と高橋洋一氏が一緒に取り組んだ『国家公務員制度改革』は、以下の5本柱でした。
1.年功序列の廃止
2.天下りの斡旋禁止
3.キャリア制度の廃止
4.内閣人事庁の創設
5.国会議員と公務員の接触制限

このうち、「2.天下りの斡旋禁止」と「4.内閣人事庁の創設」に関するニュースが最近流れたようです。

「4.内閣人事庁の創設」に関連して
内閣人事局 局長に国会議員 公務員法改正案 「脱官僚」加速
1月12日7時57分配信 産経新聞
『政府が18日召集の通常国会で提出する国家公務員法改正案の概要が11日、明らかになった。公務員制度改革の体制整備を担ってきた「国家公務員制度改革推進本部」を3月末で廃止し、幹部人事を一元管理する新設の「内閣人事局」にそのまま機能を移す。局長には国会議員を充て、公務員制度改革と人事の権限を一手に政治家が握ることにより、「脱官僚依存」を加速させる狙いがある。
新制度は、内閣人事局が、各省庁の事務次官や局長ら幹部職員の人事に先立ち、「幹部候補者名簿」を作成。これに基づき首相や官房長官、各閣僚が協議した上で任命する構想。これにより省庁横断型の人事ができるようになり、縦割り行政の弊害を排除することが可能となる。
政府は4月からの新体制移行を目指し、2月上旬にも国会に提出し、早期の成立を目指す方針。』

上記高橋洋一氏の話によると、渡辺行革でめざしていた内閣人事庁がもしできていれば、大臣が幹部を決めるときには、今までの事務次官がつくったリストに加えて、内閣人事庁が推薦するリストも参照できるようになったはずでした。官僚にとっては、痛いところを突かれたと言ったところでしょう。自分たちが一手に握っていた人事権が弱まり、外部から人材が流入してくれば、営々と築き上げた昇進ピラミッドがぶっ壊れるに決まっている。
今回のニュースによると、民主党連立政権による「内閣人事局」構想は、高橋洋一氏らによる「内閣人事庁」構想と内容ではよく似ているようです。もし「全然違う」というのであれば、どのように違うのか、その点を明確にしてほしいところです。

一点だけ、民主党政権の「天下り禁止」とはでも書いたように、渡辺行革における「内閣人事庁」はその後の麻生政権で「内閣人事・行政管理局」に変わり、当時事務官房副長官であった漆間巌氏が、「内閣人事・行政管理局」の局長職を官房副長官級から政務官級に格下げしてしまいました。今回、「内閣人事局」の局長に国会議員を充てることになるので、官僚人事の主導権を官僚から政治が取り戻す、という点では前進です。その結果、「なに級」になったのかは不明ですが。


「2.天下りの斡旋禁止」について
天下り監視機関を新設へ=官民人材交流センターは廃止-政府
1月13日19時28分配信 時事通信
『政府は13日、府省のあっせんによる国家公務員の天下り根絶のため、内閣府の官民人材交流センターを廃止し、新たに「民間人材登用・再就職適正化センター(仮称)」を設置する方針を固めた。こうした内容を盛り込んだ国家公務員法改正案を18日召集の通常国会に提出、成立を図り、2010年度中の早期に始動させたい考えだ。
 新センターは、各省庁による陰での天下りあっせんや、退職間近の幹部が職務に関係する民間企業への再就職活動をしないよう監視。また、事業の見直しや組織の再編に伴い、府省の枠を超えた職員の配置転換なども担う。このほか、民間からの人材登用の窓口ともなる。定員は35人の予定で、主に民間から採用する方向だ。』

渡辺行革における人材バンク(官民人材交流センター)は、「天下りは許すが天下りの斡旋は許さない」という趣旨で設立されたものです。その人材交流センターが実態として天下りの斡旋を許してしまっていたのかどうか、その点は不明のままですが、民主党連立政権は、実際には斡旋が行われ、天下り先に対する補助金をはじめとする「お土産」が配られていたという認識なのでしょうね。
ともかく、渡辺行革が目指したのと同様の人材バンクが設立されるのなら結構なことです。

ところで、「2.天下りの斡旋禁止」は「1.年功序列の廃止」とセットで考える必要があります。
従来、同期キャリア官僚の中から局長が生まれたとき、局長になれなかった他の同期の官僚は肩たたきを受け、退官します。このときの再就職斡旋が「天下り」だったわけです。
今後、同期キャリア官僚の中から局長が生まれたとき、局長になれなかった他の同期の官僚はどのような処遇を受けるのでしょうか。
もし、局長になれなかった人たちも定年まで役人勤めを続けるのであれば、「1.年功序列の廃止」を明確にする必要があります。
従来、役人の世界における「年次」は絶対だったらしく、入庁年次が下の人が上の人に命令するなどあり得なかったようです。今後は、下の年次の局長が上の年次の課長を部下に持つことを是認するわけですから、まずは年功序列を廃止しない限り成立しません。
また、局長になれなかった課長が、そのまま定年まで課長に居座られたのでは、官庁の昇格人事が破綻してしまいます。ある年次で「役職勇退」してもらわなければなりません。役職勇退と賃金ダウンを認める人事制度を創設しなければなりません。
しかし、そのような制度改革についてのニュースが流れません。どうなっているのでしょうか。

私は結局、渡辺行革が目指したように、『定年前退官は従来と同様に認める。ただし、再就職先は本人の実力に見合った場所に行ってもらう。天下り先に対する補助金をはじめとする「お土産」を廃止する。』という制度にせざるを得ないと思います。
民主党連立政権がそのような方向を考えているのかどうか、その点もはっきりしません。

そうそう、先日鳩山官邸の最近の様子で、首相官邸の人員構成について紹介しましたが、官房副長官補3名のうちの2名が異動になったのですね。
副長官補に佐々木、河相氏=内閣官房、人事一新検討-平野長官
『政府は14日、内政担当の福田進官房副長官補を退任させ、後任に佐々木豊成財務総合政策研究所長を、外交担当の林景一副長官補の後任に河相周夫外務省官房長をそれぞれ充てる人事を内定した。河相氏は異例の二度目の就任となる。15日付で発令する。
 佐々木豊成氏(ささき・とよなり)東大法卒。76年旧大蔵(現財務)省入り。主計局次長、理財局長、財務総合政策研究所長。56歳。佐賀県出身。
 河相 周夫氏(かわい・ちかお)一橋大経卒。75年外務省入り、総合外交政策局長、官房副長官補、官房長。57歳。東京都出身。』(2010/01/15-01:04)
コメント

「はやぶさ」地球引力圏突入が確実に

2010-01-14 21:09:33 | サイエンス・パソコン
小惑星「イトカワ」の探査を終えて地球に帰還しつつある惑星間探査機「はやぶさ」は、主推進器であるイオンエンジンを継続して作動させつつ、軌道を地球に向けて修正し続けています。
そしてこの14日、『「はやぶさ」が地球引力圏を通過することが確実になった』という嬉しいニュースを受けることができました。

「はやぶさ」地球引力圏を通過する軌道に帰還できました
「はやぶさは,先週からまた一歩地球に接近する軌道へと移りました.
最接近距離は,約140万kmです.面外からの接近状況も計画通りに推移しています.地球の引力圏を通過する軌道へのったということは,はやぶさが地球への往復飛行に一応の区切りをつけたこと,帰還できたことを示しています.今後は,月軌道半径を通過する軌道へと移行し,また,地球大気への再突入,そして地上でのカプセル回収と,一歩一歩進めていく計画です.
地球まで約6000万km.イオンエンジンによる航行もあと2ヶ月となりました.」

実際にはやぶさが地球に帰還するのは今年平成22年6月です。
現在のはやぶさは、イオンエンジンで軌道を修正しつつあり、「このまま慣性飛行すれば地球に到着する」という軌道に達したところでイオンエンジンを停止し、慣性飛行に移る予定です。エンジン停止予定時期まであと2ヶ月です。


        提供 宇宙航空研究開発機構(JAXA)

上の図は、地球の近くを通過するはやぶさの軌道について説明した図です。「はやぶさのイオンエンジンがX日に停止し、その後慣性飛行を続けたら、はやぶさは地球付近のどのあたりを通過するか」という点に関し、X日をいろいろ変化させて軌跡を記入しています。
例えば、X日が昨年の11月4日だとした場合の軌跡が黄緑の線です。またX日が今年1月6日だとした場合の軌跡が空色の線で、より地球に近い軌跡を飛ぶことがわかります。
そしてX日が1月13日とした青色の線が、いよいよ地球引力圏を通過する軌跡となったのです。

はやぶさは今後さらに2ヶ月間イオンエンジンを運転し、上の図の朱色の「目標軌道」に入ったらイオンエンジンを停止するというわけです。

ところで、はやぶさが地球の引力圏を通過する軌道に入ったからといって、引力圏に入ったところで軌道が曲げられて地球に到達するわけではありません。上図でも、青色の軌道はほとんど地球の引力の影響を受けていないように見受けられます。
それでは地球引力圏とは何なのか。
その点は私も良くわかりません。こちらで説明がされていますが、良く理解できませんでした。

なお、こちらで紹介されているように、はやぶさは12月27日から1月1日までイオンエンジンを停止しており、その間に軌道決定(探査機の位置速度を精密に推定する作業)を行ったようです。その後、無事にイオンエンジンは再開しました。

何だか安心してはやぶさを追いかけることができるようになりました。

p.s.はやぶさの最新ニュースはこちら
コメント

田中滋著「常勝ファミリー・鹿島の流儀」

2010-01-12 21:39:03 | サッカー
先月、アントラーズの強さの源泉はにおいて、「なぜアントラーズは継続して強さを持続しているのだろうか、という疑問を上げました。
その後、以下の本が出されていることを知り、読んでみました。
常勝ファミリー・鹿島の流儀
田中 滋
出版芸術社

このアイテムの詳細を見る

まさに私の疑問を解いてくれる書物でした。

鹿島アントラーズが強くあり続けている継続のキーパーソンは、強化部長の鈴木満氏であるようです。他の球団におけるGM(ゼネラルマネージャー)に対応するような機能でしょうか。

本の著者である田中滋氏は、フリーランスの記者で鹿島アントラーズ担当記者として取材活動を行っています。その田中氏が、鹿島アントラーズ強化部長の鈴木満氏に取材する形で、この本ができあがりました。

鈴木満氏は1957年に仙台で生まれ、小学校3年からサッカーを始めます。高校、および中央大学でサッカーを続け、さらに住友金属工業に就職してサッカーを続けます。住金で10年あまり過ごした後、住金は鹿島アントラーズの発足に向けて動き出します。鈴木氏はその鹿島に残ることとし、89年から住友金属工業蹴球団の監督となります。
そんな住金に、91年5月にジーコがやってきます。鈴木氏は、ジーコの日本での最初の監督となったのです。ジーコが来たとき、住金は日本サッカーリーグの2部に所属していました。
サッカーの神様であるジーコを選手として処遇する監督鈴木満氏の話はおもしろいです。いらいらするジーコの部屋に、鈴木監督は紙と鉛筆を持って訪れるようになります。そして試合メンバーの決め方や練習方法について筆談でジーコに聞くのです。鈴木氏とジーコは心が通い合うようになりました。
92年になると、住金蹴球団は鹿島アントラーズFCとして生まれ変わり、本田技研で監督を務めていた宮本征勝が新監督として迎えられ、鈴木氏はヘッドコーチになりました。
私は宮本征勝氏の名前をよく覚えています。東京五輪、メキシコ五輪の日本代表フルバックでしたから。当時、日本代表はドイツからデッドマール・クラーマー氏をコーチに招聘し、指導を受けていました。宮本監督はクラーマー氏から受けた教えをベースとした練習計画を作成します。ジーコは不満です。
そんなとき、93年4月にチームはイタリア遠征を行います。海外で毎日練習とミーティングを繰り返し、この合宿の中でチームはプロとして脱皮し、またブラジル流と日本流のやり方がうまく融合した鹿島らしさが生まれたというのです。

私は内情を知りませんから、発足当時の鹿島アントラーズで、宮本征勝監督とジーコ選手がどのように役割分担していたのか不明のままでした。この本によると、イタリア遠征において、宮本監督、鈴木コーチら日本人スタッフと、ジーコらブラジル人との間で、本音で話し合うミーティングが毎夜行われるようになりました。
『本音と本音のぶつかり合いは生半可な覚悟では出来ない大変なものだった。
だが、このミーティングから、宮本とジーコはお互いを尊重し合い、この二人で現在にも続く鹿島流サッカーの礎を作り上げた。はじめは対立する部分があった日本流とブラジル流の考え方の違いも、徐々に融合し、鹿島のシステムや戦術、スタイル、そして練習の進め方の基準が確立されていった。』
宮本監督とジーコ氏の間はうまくいっていたのですね。それが現在まで続く鹿島スタイルの基となったわけですか。
そしてイタリア遠征の最後、インテルとの練習試合で1-1の善戦を演じ、チームは劇的に変化して帰国します。
その年に開幕したJリーグで、アントラーズはファーストステージを優勝して初代チャンピオンとなります。

ジーコは94年ファーストステージで現役を退きましたが、ジーコが果たした役割は、チームの基盤作りまで及びました。

以下次号。
コメント