弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

カピラノつり橋とグラウスマウンテン

2015-09-29 22:23:48 | 趣味・読書
バンクーバーの北には山が広がっています。その中に、グラウスマウンテンを見ることができます。望遠で撮影したのが下の写真です。頂上に白い塔が建っているのがグラウスマウンテンです。この白い塔、実際には、巨大風力発電機の形をした展望台です。
 

バンクーバー訪問の3日目、9月11日グラウスマウンテンとその近くのカピラノつり橋を訪問しました。

まずはグラウスマウンテンです。
駐車場に車を止め、巨大なロープウェイに乗ります。山上駅に着くと、そこからさらに4人乗りのリフトに乗って頂上まで到達します。
頂上からは、南側にバンクーバーの景観が広がっています。ただし、空気がかすみ気味で写真にはなりません。1枚だけ、下りのリフト上から撮った写真を挙げておきます。

グラウスマウンテンからバンクーバー市街
 

次はカピラノつり橋です。ガイドブックには以下のように紹介されています。
『ノース・バンクーバーを流れるカピラノ川の両側は切り立つ深い渓谷で、この渓谷に架かるつり橋が観光名所となっている。橋の長さは約70m。ゆらゆら揺れてスリル満点。橋を渡った先はトレイルの整備された公園になっており、ブリティッシュコロンビア州沿岸特有の寒帯雨林をなしている。周囲の木々はダグラスファー(ベイマツ)が多く、高さ約80m、樹齢は200年を超えるものがほとんど。つり橋の他、ダグラスファーを支柱に7つのつり橋を渡したツリートップアドベンチャーや崖沿いに空中に飛び出た遊歩道を歩くクリフウォークなどさまざまなアクティビティが楽しめる。』

もらったちらしのイラストに全景が描かれています。
 
①入口 ⑥カピラノつり橋 ⑩ツリートップアドベンチャー ⑮ギフトショップ

カピラノつり橋
 

森の中の遊歩道から木々越しに見たカピラノつり橋
 

カピラノつり橋から見た渓谷
 

ツリートップアドベンチャー
 

  

以上のように、ただ渓谷につり橋が架かっているだけではなく、森と、森の中の特徴的な背の高い木々の間を渡り歩くという楽しみを満喫することができました。

これで、今回のバンクーバー訪問の日程はほぼ完了です。

翌9月12日、日本への帰路につきました。
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ブリティッシュコロンビア大学と新渡戸庭園

2015-09-27 09:43:42 | 趣味・読書
ブリティッシュコロンビア大学(UBC)

カナダ・バンクーバーの西の端は岬のようになっていて、その岬の先端部分のほとんどが、ブリティッシュコロンビア大学の広大な敷地です。以下、UBCと呼びます。
バンクーバー滞在の2日目、UBCを訊ねました。ブロードウェイでバスに乗り、終点がUBCです。
バスは延々と進み、UBCの構内に入ってからも、終点まではまだまだ走ります。広い敷地です。
終点で降りてキャンパス内に入ると、すごい人の波です。ちょうど授業の変わり目だったのでしょうか。周囲は新しそうなビル群であり、「古い学びの園」といった雰囲気は皆無です。取りあえず、新渡戸記念庭園を目指します。

途中、やっと大学らしい落ち着いた建物が見えてきたので、取りあえず写真に撮りました(下の写真)。
 


新渡戸記念庭園
バス終点から歩いて15分くらいでしょうか。UBCの一角に新渡戸記念庭園があります。ガイドブックには以下のように紹介されています。
『1933年にバンフで行われた国際会議の帰途にビクトリアで客死した新渡戸稲造博士(1862~1933年)をしのんで造られた庭園。池を中心に桜や菖蒲、紅葉など四季を彩る木々が植えられている。本格的な茶室を備える。北米有数の純日本庭園だ。』
  
土塀(左上写真)の先に入口の門があります(右上写真)。中に入ると、広くてすばらしい日本庭園です。

  
新渡戸博士の胸像(左上写真)と、国際的外交官としてのご自身の目標「太平洋の架け橋となる」を記した石碑があります。

 
 

  
茶室(左上写真)と、園内から見た土塀(右上写真)です。

 

 

園内でもらったちらしの裏面(下写真)に全体図が描かれています。
 

このような本格的な日本庭園は、どのようにしてできあがったのでしょうか。
説明文には以下のように書かれています。
『新渡戸記念庭園は1960年に新渡戸稲造博士を記念して開園されました。・・・
新渡戸庭園を真に日本的なものとするために日本の著名な造園家である千葉大学教授・森歓之助氏が日本政府の推薦によって招へいされました。・・・森教授は庭園を設計したばかりでなく造園の実際を監督するため当地に滞在し庭石の置き場所や立木ならびにかん木の植え込みに至るまで自ら指揮されました。・・・
1992年にこの新渡戸庭園の修復工事が行われたのですが、・・・日本の庭園設計家・枡野俊明氏がこの修復工事の設計と監督をされ、造園家の佐野晋一氏と京都の経験豊かな庭師数名が協力しました。茶室は裏千家十五代鵬雲斎家元が修復されたのですが、京都から茶室の専門家を多数派遣されここに本格的な美しい茶室が完成しました。』

1960年といったら、新渡戸博士が亡くなってから、太平洋戦争をはさんで30年以上の年月が経過しています。どんな経緯で計画が立てられ、そして資金が集まったのでしょうか。その謎は解けていません。
そして1992年の修復工事についても、やはりどのような人たちがお金を出し合ったのか、興味は尽きません。

いずれにしろこうして、バンクーバーの人たちが日本文化を大切にしてくれていることはありがたいことです。

ブリティッシュコロンビア大学というと、今回の旅行直前、偶然ですがテレビで日本人少年の入学のニュースを見ました。14歳の日本人少年が、飛び級でUBCに入学したというのです。ネットでは例えば以下のような記事が流れています。

14歳で名門大学に入学! 天才少年のつくられ方
『「神様からギフトされた才能を持つ者は、その力を社会に貢献しなければならない」。そんな趣旨を持つ、カナダのギフティッド制度。日本人の男の子、大川翔君はその制度で学んだ。大川家の子育てって、どんなだったのだろう。』
『大川 翔
1999年生まれ。5歳で両親の仕事の関係でカナダへ。9歳でカナダ政府にギフティッド認定される。12歳で中学を飛び級して高校に入学。14歳で高校卒業。カナダの名門大学5校に奨学金付きで合格。2014年9月、ブリティッシュ・コロンビア大学サイエンス学部入学。』

日本でニュースを見たとき、大川君は才能を持っているからこそ飛び級ができましたが、普通の子どもが経験する少年時代を経験できないわけで、それはそれで十字架を背負った人生になるだろう、との感想を持ちました。
上の記事にあるカナダの「ギフティッド制度」、まさに神様の十字架を背負わせるような制度なのですね。
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鳥人間コンテスト2015

2015-09-24 22:26:59 | 趣味・読書
今年の鳥人間コンテストは、7月25、26日に琵琶湖で行われ、9月2日にテレビ放映されました。私はビデオ収録していたのですが、最近やっと観ることができました。
もう古新聞ですので、ざっとなぞるにとどめます。

本年の出場チームと記録

過去の記録

《人力プロペラ機タイムトライアル部門》
1位 大阪府立大学 堺・風車の会 2’02”29
2位 筑波大学 つくば鳥人間の会 2’44”78

《滑空機部門》
1位 九州大学鳥人間チーム 373.75m
2位 首都大学東京 MaPPL 369.66m
3位 Iwatani クリーンエネルギーチーム 323.29m
4位 KAIT鳥人間プロジェクト 320.00m
5位 アクティブギャルズ・ファミリー 297.93m
6位 みたかもばら下横田 大木祥資 258.24m
7位 創価大学鳥人間研究会 250.30m
8位 626Lab 212.65m
9位 チームてぷと with スーパーサラリーマン 鈴木拓 189.76m

滑空機部門では、大木祥資氏が「出場すれば必ず優勝する」という絶対的実力を誇ってきました。その大木氏が今年は破れるという番狂わせでした。いったい何が起きたのでしょうか。
そして今年の優勝は九州大学です。私の娘の連れ合いの母校ということもあり、今年のビデオは娘一家と観戦することになった次第です。

1位の九州大学、2位の首都大学東京、ともに素晴らしい飛行でした。僅差で九州大学が上位です。
そして最終スタートが大木氏です。スタート台から飛び出した直後、いつもであればすぐに下部の扉が閉まるのですが、今回はいつまで経っても開いたままです。結局着水まで開きっぱなしでした。滑空の抵抗にはなるし、着水時のロスにもなっているはずです。
大木氏は、扉が開きっぱなしのことに気づいていませんでした。言われたあと、「ゴムを付け忘れていた」と発言していました。思わぬ所にミスが出ました。
こうして、九州大学の優勝が決まりました。

9位の鈴木拓氏のチームはバラエティ番組のチームであり、私もその番組を見ていました。鈴木氏の飛行は、いい滑空であり、滞空時間も長かったのですが、速度が出ていないようでした。たまたま向かい風に阻まれたのでしょう。

《人力ディスタンス部門》
1位 東北大学 Windnauts 35367.02m
2位 日本大学理工学部航空研究会 22892.36m
3位 大阪工大人力飛行機プロジェクト 5368.97m
4位 東京工業大学 Meister 3971.79m

今回、1位の東北大学と2位の日本大学がともに折り返し点通過という快挙でした。そして東北大学は、スタート地点直前まで飛行を続けましたが、最後は力尽きました。

恒例により、歴代の優勝記録を挙げます。30km以上の記録は、2003年(日大)、2008年(東北大)に続く快挙ですね。

開催年 回 優勝距離 優勝チーム
        m
1986  10   512 チームエアロセプシー
1987  11   436 日本大学
1990  14  1,810 日本大学
1991  15   500 日本大学
1992  16  2,020 チームエアロセプシー
1993  17  2,181 日本大学
1994  18  2,372 日本大学
1995  19  8,764 チームエアロセプシー
1996  20  9,762 大阪府立大学
1998  22 23,688 チームエアロセプシー
1999  23  4,913 大阪府立大学
2000  24  7,946 大阪府立大学
2001  25  3,824 東京工業大学
2002  26  6,201 東京工業大学
2003  27 34,654 日本大学
2005  29 22,813 日本大学
2006  30 28,628 東北大学
2007  31  3,998 東京工業大学
2008  32 36,000 東北大学
2009 中止
2010  33 18,556 東京工業大学
2011  34 18,687 東北大学
2012  35 14,129 東北大学
2013  36 20,399 東京工業大学
2014  37 強風途中中止
2015  38 35,367 東北大学
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バンクーバーで乗る水上飛行機

2015-09-21 09:55:22 | 趣味・読書
9月第2週に、4泊6日でバンクーバーに旅してきました。
バンクーバーを含むカナダ西海岸の地図は上の通りです。バンクーバーは北米大陸の西岸に位置し、さらにその西に大きな島であるバンクーバー島があります。そのバンクーバー島の南端に、ビクトリアという都市があります。バンクーバーを含むこの地域は、カナダのブリティッシュコロンビア州に属し、その州都が、実はバンクーバーではなくビクトリアなのです。

東京からバンクーバーへ向かう飛行機の中でガイドブックを調べたところ、ビクトリアの方に趣のある建造物がありそうです。バンクーバーからビクトリアまで、フェリーで往復するのかな、と思っていたのですが、実は水上飛行機の便を利用するのだそうです。水上飛行機であれば、バンクーバーのダウンタウンの北、バラード入り江に面する海岸に水上機基地があり、ビクトリアも中心部のインナーハーバーに発着するので、とても便利です。

上の地図はバンクーバーの繁華街であるダウンタウンの北部と、その北に位置するスタンレーパークの南部が見えています。地図の右下に、「水上飛行機ターミナル」と書かれているところが発着所です。

われわれが宿泊している場所から14番のバスに乗り、グランビル橋とダウンタウンのグランビル通りを経由し、ベンダー通りでバスを降りて、あとは徒歩で水上機乗り場に到着しました。

バンクーバー 水上飛行機基地
 
 
 

我々の搭乗機は11時40分発です。まだ時間があるので眺めていると、結構な頻度で水上機が離水・着水しています。デジカメで動画に収めたうちの2つを、ユーチューブに上げました。下の動画です。

単発機着水


双発機着水


浮き桟橋に係留されている水上機の多数は単発機です。離発着する水上機も単発機が多く、双発機は少数でした。一方、われわれがビクトリア往復で乗ったのは往復共に双発機でした。ビクトリア往復は双発機、近くの遊覧飛行は単発機、という使い分けがされているのかも知れません。そういえば双発機について乗客の服装を観察すると、その多数はビジネス利用のようでした。

さて、我々の搭乗の番です。

バンクーバーからの水上飛行機機内
  
前から3番目ぐらいの席に座りました。自由席です。左上は操縦席側、右上は後方の客席を撮したものです。操縦席と客室の間に扉はなく、飛行している間も開けっ放しです。乗客の定員は15~20名ということろでしょうか。

ビクトリアに到着した飛行機
 
 
チケットには、Twin Otterとの記載があります。ウィキで調べたところ、「デ・ハビランド・カナダ DHC-6 ツイン・オッター」がヒットしました。『1965年5月20日に試作機が初飛行し、・・・1988年にデ・ハビランド・カナダ社での生産が終了するまでに総数844機が生産された。』とあります。ずいぶん古い機種ではあります。

ビクトリアからの帰りの水上飛行機
  
帰りの搭乗機は午後6時発で、往きと同じTwin Otterでした。
今回は一番前の窓際の席に座りました。離水から着水まで何本かの動画を撮影したのですが、離水時と着水時の映像を紹介します。

離水



飛行機から高い山を遠望
 
飛行中、右側はるか遠方に、雪に覆われた高い独立峰が見えました(上写真)。何という山でしょうか。

着水


ここカナダのブリティッシュコロンビア州は、バンクーバーというカナダ第3の都市を抱えていながら、州都はそことは別のビクトリアである、という不思議な州です。バンクーバーとビクトリアの間は、海で隔てられ、海路では時間がかかるし、飛行場を利用した空路でも中心街から空港までのアクセスが大変です。その点、バンクーバーもビクトリアも、街の中心のすぐ近くに水上機基地の設置が可能であったということが、水上機輸送が繁盛した理由でしょうか。ビクトリアのビジネスパーソン、公務員は、バンクーバーに出かけることが多いでしょうから、日常のビジネスの足として水上機が重宝している可能性があります。
運賃は、片道2万円前後というところです。

あるいは、開拓時代から、カナダの僻地では水上機が命の綱であった可能性があります。その影響で、現在でも水上機がポピュラーなのかもしれません。
50年以上前、「北海の怒り」という映画を見た記憶があります。巡回医師が、自家用の水上機で往診するときのアクシデントを描いたものでした。あの映画の舞台はアラスカだったのか、カナダだったのか、興味があるところですが、ネットでは情報が得られませんでした。
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