大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年01月18日 | 植物

<2930>  大和の花 (983) ヒロハツリバナ (広葉吊花)                       ニシキギ科 ニシキギ属

         

 深山の林内に生える落葉小高木で、高さが3メートルから6メートルほどになる。樹皮は灰色で滑らか。本年枝は緑色で、丸い。葉は単葉で、長さが3センチから12センチの倒卵状楕円形。先が尖り、縁に細かい鋸歯が見られ、両面とも無毛。質は薄く、波打つようになることがあり、短い柄を有して対生する。

 花期は6月から7月ごろで、葉腋から集散花序を垂れ下げ、黄緑色の小さな花を多い花序で20個ほどつける。花は直径5、6ミリで、花弁、萼片、雄しべはともに4個で、花盤が発達し、雄しべは花盤の上につき、花糸は極めて短い。花柄は長さが1センチほどで、花は下向き加減に平開する。実は蒴果で、発達した4つの翼があり、類似種のツリバナやオオツリバナより角ばって見え、秋に赤く熟して裂開、橙赤色の仮種皮に包まれた種子を現わす。

 北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、シベリア東部、中国東北部に見られるという。大和(奈良県)においては、ツリバナが全域的に見られるのに対し、ヒロハツリバナは深山のごく限られたところでしか観察されていない。私は大台ヶ原の周遊道の個体しか知らないが、実は出来るものの赤く熟して裂開したものをまだ見ていない。多分、熟するまでに落ちてしまうのではなかろうか。

   なお、ヒロハツリバナが4数性に対し、ツリバナとオオツリバナは5数性で、花弁の数が4個と5個の違いがあり、実だけでなく、花でも判別出来る。オオツリバナについては情報不足種として『奈良県野生生物目録』に見える。 写真は左から短枝の葉腋に垂れ下がる花序、花序のアップ、若い実、灰色の幹(いずれも大台ヶ原山)。 寒の晴塔真っ直ぐに立ちゐたる


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2020年01月16日 | 植物

<2928> 大和の花 (981) ナナカマド (七竈)                             バラ科 ナナカマド属

          

 山地の日当たりのよいところに自生する落湯高木で、高さは10メートルほどになる。若木の樹皮は淡褐色で、楕円形の皮目があり、成木では暗灰色になり、浅く裂ける。若い枝は紅紫色乃至は暗紫色で、光沢がある。葉は長さが10センチから20センチの奇数羽状複葉で、短い柄を有し、互生する。小葉は長さが3センチから9センチの長楕円形で、先が尖り、縁には鋸歯、あるいは重鋸歯が見られる。

 花期は5月から7月ごろで、枝先に複散房花序を出し、直径1センチ弱の小さな白い花を多数つける。花弁と萼片は5個で、花弁は円形に近く、上向きに平開する。雄しべは20個、雌しべの花柱は3、4個で、基部に軟毛が密生する。萼片はごく小さく、長さが1ミリ程度の三角形。ナシ状果の実は直径数ミリの球形で、秋に赤く熟し、頂部に萼片が残る。

 北海道、本州、四国、九州(屋久島まで)に分布し、南千島、サハリン、朝鮮半島など寒冷地に見られ、温暖地では標高の高い山岳に生える。大和(奈良県)では紀伊山地の標高1500メートル以上の高い山で自生のものによく出会う。花期より果期の方が印象的な木で、赤い実と紅葉が秋晴れの空に映えて、登山者の目を楽しませてくれるところがある。

 材は緻密で、堅く、器具、機械の用具、薪炭などにされ、樹皮は染料に用いられる。なお、ナナカマド(七竈)の名は、この木が燃え難く、7度かまどに入れても燃え残ることからつけられたという。 写真は左から花期のナナカマド、花序のアップ、秋空に映える赤い実、果序の赤い実と葉のアップ(花序と果序のアップは大台ヶ原山、ほかは大峰山脈の尾根上)。  枯原野戦後世代も老いに入る

<2929>  大和の花 (982) ウラジロノキ (裏白の木)                               バラ科 ナナカマド属

        

 低山から深山に生える落葉高木で、高さは10メートルから15メートルほどになる。樹皮は若木で紫褐色、成木で灰黒褐色になり、老木では鱗片状に剥がれる。若い枝は灰黒褐色であるが、はじめ白い毛が密生する。葉は単葉で、長さが6センチから13センチの広倒卵形で、先が急に尖り、縁には欠刻状の鋸歯が見られ、側脈がよく目立つ。裏面には白い軟毛が密生し、白く見えるので、この名がある。葉柄は1センチから2センチで、互生する。

 花期は5月から6月ごろで、短枝の先や葉腋から複散房状花序を出し、直径1.5センチ弱の白い花を多数つける。花弁は5個で、円形に近く、表面には軟毛が密生し、上を向いて平開する。花序や萼にも綿毛が密生する。実はナシ状果で、長さが1センチほどの楕円形になり、10月ごろ赤く熟す。

 本州、四国、九州に分布する日本の固有種で、学名はSorbus japonica。大和(奈良県)では全域的に見られ、珍しくないが、花のつく個体が少なく、「果実をつけた株に出会えるチャンスに乏しい」と言われる。別名はヤマナシ(山梨)、アワダンゴ(粟団子)。 写真はウラジロノキ。左から花期の枝木、花序のアップ、実のついた秋の枝木(実は逆光で黒く見える)、葉の裏面(曽爾村の俱留尊山ほか)。 くわぁくわぁくわぁ くわぁくわぁくわぁ 寒の朝


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2020年01月15日 | 植物

<2927>  大和の花 (980) センダン (栴檀)                               センダン科 センダン属

       

 日当たりのよい暖地の沿海地に自生するとされる落葉高木で、古木では太い枝を張り、高さが普通10メートルほどになるが、大きいものではときに20メートルに達するものも見られる。葉は長さが30センチから80センチほどの2回または3回羽状複葉で、長い柄を有し、互生する。小葉は3センチから6センチの卵状楕円形。先が長く尖り、基部は左右不相称になり、縁には不揃いの鋸歯が見られる。

 花期は5月から6月ごろで、本年枝の基部の葉腋に長さが10センチから15センチの円錐状の集散花序を出し、淡紫色の花を多数つけ、樹冠を一変させるほどになることもある。花は1センチ弱の倒披針形の花弁5個が平開する。雄しべは10個で、紫色の花糸が合着して筒状になり、先端が細かく切れ込んで黄色の葯が覗く。雌しべは1個で、雄しべの筒の中に納まり、筒より短く、柱頭は丸い。実は核果で、長さが1センチ弱の楕円形に近く、秋から冬にかけて黄褐色に熟し、葉をすっかり落とした枝にこの実だけが残り、冬の晴れた空に映えてよく目につく。

 この実は漢方で苦楝子(くれんし)と呼ばれ、果肉を腹痛などの鎮痛薬やひび、しもやけ、あかぎれなどに用いられて来た。また、樹皮は苦楝皮(くれんぴ)と称せられ、虫下しとして知られる。材は木目が美しく、建築や家具に用いられる。

 四国、九州、沖縄に分布し、国外では中国、台湾、ヒマラヤ地方に見られるという。海に面しない大和(奈良県)であるが、寺院などに見られるほか、各地に野生状態のものが点在している。これらはみな自生でなく、植栽起源のようで、古くから馴染みのある木として歴史があるが、これは中国の影響によるものと考えられる。

 あふち(楝・樗)という古名で知られ、『万葉集』にはこの名で4首に見え、中でも山上憶良の「妹が見しあふちの花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」(巻5-798)は名歌として人口に膾炙している。所謂、万葉植物で、中国では穢れを祓う吉木とされ、これに倣って平安時代までは我が国でも5月5日の端午の節句に邪気を除く木として扱われ、身につけたり、軒に差したりし、『枕草子』にも取りあげられ、よい木としてあげられている。

 ところが、武家の台頭する中世以後、一転して凶木と見なされるようになった。これはこの木に罪人の首を曝したことに始まる。『平家物語』等によると、三条河原の楝の木に源義朝や木曽義仲などの首を曝したとある。この史実によってあふちのセンダンは血塗られた梟首の木とされ、刑場にも植えられたことで、よりイメージを悪くした。この刑場のセンダンは武家の支配が続く江戸時代末まで見られ、明治時代になって、やっと刑場の木の役目を解かれ、凶木のイメージから解放された。

   現代における逸話としては、原爆の投下によって焼け野原になった広島市街に緑を復活させたいという市民の悲願に成長の速いセンダンが街路樹に選ばれ、城南通りなどに植えられ、その願いに応えたという話がある。なお、このセンダンは「栴檀は双葉より芳し」のセンダンではなく、よく目につく実によってつけられた名で、「千珠」あるいは「千団子」によるという。「千」は多いという意で、センダンの実のつき方にあると言われる。 写真は花盛りのセンダン(左)、花をいっぱいつけた花序のアップ(中)、実だけがいっぱいついた冬の枝木(右)。 寒の冷え鍋にするかと言ってみる

 


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2020年01月14日 | 創作

<2926> 作歌ノート 感と知の来歴  未完の旅

     人生は未完の旅にほかならぬ未完のゆゑに悩みも生(あ)るる

 人生は未完の身が経験しながら時の旅をしているということであり、その経験は貴重なものであるが、未完の身ゆえにその経験はその身に思いを生み、悩みを生じさせる要因にもなる。生に悩みがつきものなのは、私たちが未完の存在にほかならないからである。

 言ってみれば、「感と知の来歴」は、未完の身による旅の経験の連なりであり、その経験に起因する思いの来歴でもあるわけで、その思いは往々にして悩みとなり、私たちの人生の旅に影響して来る。ということで、未完の身の旅、即ち、未完の旅の途上に関わる歌として以下にあげた歌などもあるということになる。 写真はイメージで、高原の草原。

                         

   目に映る広き草原あこがれの意に沿ふならば歩みゆくべし 

  晩鐘は今日の一日の証なり今日の無事ゆゑ明日は開かる            一日(ひとひ)

  この世とは過ぎてゆかねばならぬ身のありけるところ今夏のひかり 

  寡黙なる心に添ひて冬人家枇杷の花など傍らに見え

  得しものは成果こころに至りしをひとつ加ふる白梅の冴え

  灯明りの一つ一つのその心ほのかに見えてありける晩夏              灯(ほ)

  生きるとは未完の旅をゆくにありたとへば抒情の歌など掲げ

     北を指すその北よりもなほ北のありけるところ思ひとはなる

  潮騒も日差しも人の声もみないよいよ春の兆せる岬

  悲祈願の善男善女とともにあり南大門を仰ぎ潜れり

  曼陀羅の挿話に通ふ縫ひぐるみ並べて遊びゐる子供たち             挿話(はなし)

  捕らへ得ず転がるボール何処へか心焦りて追ふ夢の中

  昼夢より覚めて追ひたるボールなく炎暑に少年野球の掛け声               昼夢(ちうむ)

  万有の万の中なる一個体 個を言はば孤の一個性我

  楽天の天に転ずる悲の欠片転じ終はらば恵まれて来よ               欠片(かけら)

  在りし日の無念かくあり顕ち来たるつらつらつらき日記の部分

  翻る旗のその鳴りそのせめて半分なりの勢ひが欲し

  見果てざる夢を朧と言はれども死の後までも美しき夢

  修羅像の心における昨日今日なほ理不尽が撃てざる弱さ

  悲は鬱へ鬱はうつうつと虚しさへ庭の先々崩るる牡丹

  至り得ぬ心旅なる旅枕来し方いづこ葉桜の下                   下(もと)

  玉垣の四囲を思へば玲瓏としてあらんこと何をか嘆く

  時はゆく非情無情刻々に零されてゆくあまたの思ひ

  遙かなる彼岸へ架ける橋ひとつおぼろなりしが眺望の中

  疎かに対応出来ぬものとゐて幾日幾夜かうつうつうつつ

  越ゆるべき一つの思ひ越えてなほ行きゆく心の中の風景

  美と醜の諸刃において言ひ据ゑよ己美としてあらねばならぬ          美(び)

  回廊は神の御座に続きゐる若葉の影をともなひながら                御座(みくら)

  籠る身の一身ありて祈願あり乾坤にしてありけるところ

  人生は一歩一歩のその一歩その一歩なる歩みに如かず

  鷺一羽渡りゆくなり思ふべし夢はいづこに叶へらるるか

  我が悲願天知る地知る人も知れ行くに当たりて更なる思ひ

  丹精の樹林青々たる国に入りゆく思ひ齢を重ね                     齢(よはひ)

  無知の闇深きその淵見えて見えざるを行くべく露の身の裔

  我以外皆我師たる思ひより美しき眼よ育ちゆくべし

  あまたの身あまたの心行かしめてこの眺望にいましあるもの

  群像の胸板厚しそれぞれに自負の風貌もちて立つなり

  凌霄花昨日の明日の今日の花赤児が泣いてゐる珍しく

  倒れたる兵士が最期見し空の青永遠の青といふべし

  能力の限りを尽くしたると言へそこなる涙貴かるべし

  これやこの緑溢れて瑞々し昨日にまさる今日の通ひ路  

  魂を病むものたちよ来たるべしわが夢殿は夢見の季節

  力なき力のゆゑの思ふ身が思ひを重ね行き難くゐる 

  鶴一羽雪原に舞ふまぼろしの緋の在処なる北を思へり                在処(ありか)

  美しく死なむとならば美しく生きねばならぬこの世と思へ

  死は如何に死の後はまた夢なくて何をか言はむ人生の道

  思ふべし祈願ありしを忌過ぎてこころに取り出だせる夏物

  飢ゑ渇く左右よりなる現身と夢とを分かつ諸相の渚

  生命の初源を闇と解く科学来しかな我ら夢を費やし 

  神のみぞ知るこの世とぞたとふれば死は常ながら闇を纏へる

  それぞれに刻一刻の身の行方少壮われは沖を恋ひたり

  次章への接ぎ穂にありて夜の雨 雨に緑の増しゆく心

  罪多き世にある生よまさにして十善戒の十の戒

  都への途を断たれしものの眼になほ消え残る灯火の色                途(みち)

  さればこそ悲しきことも嘉すなり末黒の後の季節の光

 


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2020年01月13日 | 植物

<2925>  大和の花 (979) ヤマトミクリ (大和実栗)                             ミクリ科 ミクリ属

                

 池沼や溝などの浅い水中に生える常緑多年草で、地下茎を伸ばして群生し、高さが50センチから1メートルほどになる。葉は幅が8ミリから15ミリの線形で、裏側に稜があり、断面はほぼ3稜形になる。また、葉は海面質で軟らかい。

 雌雄同株で、花期は5月から7月ごろ。根元より15センチから25センチほどの花序を出し、分枝することなく直立し、上部に雄性、下部に雌性の頭花をつける。頭花は腋生であるが、雌性の頭花の反対側に大きな苞葉があるように見えるのは頭花の柄が主軸に合着するためという。実は中央部が凹む紡錘形で、球状に集まり集合果となる。この集合果がクリの毬に似て、大和地方に多いことからこの名がつけられたという。

 本州、四国、九州に分布し、国外では中国、台湾、インド、インドネシア、ミヤンマー、ニューギニアなどに見られ、大和(奈良県)でも見られるが、生育環境に適合する水湿地が少なくなり、自生地が限られるところからレッドリストに絶滅危惧種としてあげられ、全国的にも少なくなっているため、環境省でも準絶滅危惧としている。なお、仲間のミクリ(実栗)は花茎が分枝するので、枝を出さない本種との判別点になる。

 写真は群生するヤマトミクリ(左)、上部に雄花、下部に雌花の頭状花序をつけた花茎(中)、名のもとになった集合果のアップ(右)。いずれも大和郡山市の大和民俗公園での撮影。     寒中やポストはいつも同じ位置