<2922>作歌ノート 感と知の来歴 悲歌の光景
来歴を辿れば悲歌の光景を身に汲ましめてあり来しことも
人生に悲歌がつきものであることは詞華集の初源にある『万葉集』を繙けばわかる。それは歌が歌人の心のつぶやきにほかならず、そのつぶやきの中に悲歌が存在することを『万葉集』が実例をもって示しているからである。「歌人の心」を「人生」というふうに解してもよかろう。喜びもあれば、悲しみもあるのが生、即ち、これが人生で、この人生においてそのつぶやきの一端に悲歌が詠まれ、悲歌のあること。この姿は必然で、言わば、感と知の来歴において「悲歌の光景」が思われて来る。
私たちは心身、つまり、精神と肉体をもってこの世に個の存在として、日々刻々を生き、そして、振舞っている。その精神も肉体も一様でないのが生の姿であり、心身の「心」、即ち、精神で言えば、感性と知性があり、末端の感情に属する喜怒哀楽がある。そして、その一端に悲しみがあり、悲歌があるということになる。
悲歌はその詠まれている悲しみが、読む側の心に至り、共鳴され受け入れられることによって成り立つと言えるが、その成り立ちは、読む側にも同じ悲しみの起き得ることが心の内側に要素として存在しなくてはならず、存在しているからこそ共鳴に至るということになる。
つまり、この点において言えば、悲歌は必然的に生まれ、受け入れられるものと言ってよく、人生に悲歌がつきものであるということが言えるわけである。そして、歌を詠むものは、折節に悲歌を詠み、私たちは人生の折節において悲歌に接するということになる。では、その悲歌を意識に置いて詠んだ歌を以下にあげてみたいと思う。 写真はイメージ。晩秋の琵琶湖。
日々ありて思ひの数を来てゐる身今宵も歌もてありけるところ
拝殿に向かふ思ひのほどにあるこの一身に悲歌の光景
臍の窪に立ちて見よとや二上山悲歌にしてある暮春夕景
見渡せば淡海は霞む短命の志賀の都のまぼろしの岸
百合鴎風に逆らふことなくてあるべき姿保ちゐたれり
惨にしてありけるところ悲歌一首月下に浮かぶ浮かばざる船
人の世のあはれを言へば武士の古色を纏ふ辞世の一首 武士(もののふ)
七層の天守烈しく燃え落ちしまぼろしこれも生の一景
大烏ふわりと我に与えしは惨に纏はる悲歌の光景
如何に生き如何にありしかその生は渕に宿れる月影の色
木の陰に果たせぬ夢を見てゐしは鎌倉右大臣源実朝 木(こ)
一時代過ぎしを語る人の死と廃屋脇のたんぽぽの花
薔薇の芽にやさしき朝の雨 君に告ぐ「君死にたまふことなかれ」
あげつらふものらもあげつらはれゐる蓮田に蓮の枯れて乱るる
それぞれにある身思ひもそれぞれか二月の雨の中の葬列 葬列(かなしみ)