<2936> 作歌ノート 感と知の来歴 涙ぐましき心のために
来歴は人さまざまにしてあれど涙ぐましき心の軌跡
生を得て死に至るまでの人生を「感と知の来歴」にして思うに、その道筋は誰もみな等しく共通のものながら一様ではなく、個々さまざまに転変する。その転変に或は順じ、或は抗う。そして、その転変における心身には個々の能力の限りにおいて涙ぐましい努力が求められる。いかなる晴れ晴れしい人生も、人生が死に向かう旅である以上、そこには何らかの支障が生じる。この道筋を思うに、人生を歩むものにとって、この涙ぐましい努力は必然のものと言える。
そして、なお思うに、「感と知の来歴」における個別個人的おのがじしの抒情歌たる短歌などは、この涙ぐましい心のために詠まれる詩形ではないかということ。言わば、私たちはそれぞれに違った生き方をもって人生を送っているが、みな、大なり小なり涙ぐましい心の持ち主として存在し、その心のために短歌という詩形をして表現し、訴えていると思われて来たりする。
ここに掲げた「涙ぐましき心のために」という題はナルシシズムを感じさせなくもないが、人生の道筋にして、このようにも言えるのではないかということで掲げた。以下の歌群はこうした人生に対する考えに基づくものと言ってよい。 写真はイメージで、波紋。
人の子の讃歎耳に溢るるも幾億ならむ寡黙なる胸
汝器ならば烈しき怒りさへ鎮め納むる器にあれよ 汝(なんじ)
一寸の虫にたとへし呟きと氷雨さながら慘を彩る
借景に過ぎざるものを男てふ不憫怒りの果ての寂寞 寂寞(さびしさ)
我が五体焼かるるときは燐光のやさしさをもて畢らむことを
足跡の途絶えし汀きらめけり夢美しく行きしを想ふ 汀(みぎは)
前世の縁か知らず触れ合へる袖の内外なりにけるかも
前の世の縁と後の世の縁繁みに隠れ去りし蛇 蛇(くちなは)
問はば問へ語らば語れ思ふべし大和は慈悲のまほろばの国
やさしさは毅き心に宿るなりゆゑは欲っせよ毅き心を
何をして我らはあるか思ふべし蛇の棲処の緑ぞ深き
この齢我にしてある瞑目のうちに佇立の齢と思ふ
波紋顕つ己の波紋かも知れぬ人生の道死の後知らず
我が詩歌は何ゆゑにあるこの身なる涙ぐましき心のために 詩歌(うた)
精神の重きを生きる画家の目にあるは潮の深き色相 潮(うしほ)
雛罌粟の花がやさしく揺れてゐるそのやさしさはしなやかにある
寂寞の心に降る降る降る雪の降り降り降り敷く雪の寂寞
一生の短さを説く人もまたその短さを歩みゐるなり
『葉隠』にありけるこころ恋のこと死のこと遠く梟の声
愚を言へば無知に対かひて知を探る徒労、徒労を言へば懐疑も
一応の成果を得しといふ評価一応といふ涙ぐましさ