大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年01月25日 | 写詩・写歌・写俳

<2937> 余聞、余話 「 暖 冬 」

       自然への直感に生き直観の鋭さをもてありける野生

 日本列島は今一番寒い時期であるが、今冬は暖冬傾向が著しく、このところ暖かい日が続き、各地でこの影響による異変が起きている。雪が極端に少なく、降雪が頼みのスキー場は軒並み営業に支障を来たし、困っている。また、ダイコンやハクサイなどの冬野菜の育ちが早く、生産者には過剰生産を余儀なくされ、中には廃棄処分をしなければならない状況に陥っているところもあるという。消費者にはありがたいような状況であるが、ホウレンソウのような葉物野菜も軒並み育ちが早く、生産の予定が早まることから春以降、品薄になる可能性があるという。

                      

 この暖冬は今後も続き、このまま春を迎えることになるのだろうか。続くと見られる兆候が冬鳥のカモに感じられるのであるが、果たしてどうなるか。この間、雨上がりの水上池(奈良市佐紀町)に出かけてカモの様子に異変を感じるところがあった。百羽を越すカモの半数以上はマガモと思われるが、まだ一月なのに、普段と様子が異なり、動きが活発で、何組もの群れが池の上空を上下しながら何回も旋回して飛ぶのが見られた。このカモが群れて飛ぶ情景は、カモが渡りの準備に取りかかっていることを示すものではないか。

 カモたちには、一気に渡って帰るのではなく、途中に立ち寄るのであろうが、この暖冬はカモをその気にさせていると見て取れるところがある。水上池は長い堤に仕切られた南北二つの池からなり、カモたちは普段北側の池にも南側の池にも散在している。ところが、飛翔の後は、南側の池に集結し、北側の池には姿が見えなくなった。これは何を意味するのか。とにかく、そのカモたちの動向を見ていると、渡りの前触れのように思えるのである。

 渡りの準備かどうかは今少し様子を見る必要があるが、このにぎわしいカモたちの飛翔行動は北へ帰る準備とみていいのではないか。自然に対する直感をもって生きている野生のカモたちを思うに、このカモへの見方は当を得ているように思える。とするならば、暖冬は以後も続き、そのまま春を迎えるということになる。 写真は池の上空を旋回しながら飛ぶカモの群(左)と仲良く飛ぶマガモ(右)。

 


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2020年01月24日 | 創作

<2936> 作歌ノート  感と知の来歴   涙ぐましき心のために

              来歴は人さまざまにしてあれど涙ぐましき心の軌跡

   生を得て死に至るまでの人生を「感と知の来歴」にして思うに、その道筋は誰もみな等しく共通のものながら一様ではなく、個々さまざまに転変する。その転変に或は順じ、或は抗う。そして、その転変における心身には個々の能力の限りにおいて涙ぐましい努力が求められる。いかなる晴れ晴れしい人生も、人生が死に向かう旅である以上、そこには何らかの支障が生じる。この道筋を思うに、人生を歩むものにとって、この涙ぐましい努力は必然のものと言える。

 そして、なお思うに、「感と知の来歴」における個別個人的おのがじしの抒情歌たる短歌などは、この涙ぐましい心のために詠まれる詩形ではないかということ。言わば、私たちはそれぞれに違った生き方をもって人生を送っているが、みな、大なり小なり涙ぐましい心の持ち主として存在し、その心のために短歌という詩形をして表現し、訴えていると思われて来たりする。

        

   ここに掲げた「涙ぐましき心のために」という題はナルシシズムを感じさせなくもないが、人生の道筋にして、このようにも言えるのではないかということで掲げた。以下の歌群はこうした人生に対する考えに基づくものと言ってよい。  写真はイメージで、波紋。

  人の子の讃歎耳に溢るるも幾億ならむ寡黙なる胸

  汝器ならば烈しき怒りさへ鎮め納むる器にあれよ                 汝(なんじ)

  一寸の虫にたとへし呟きと氷雨さながら慘を彩る

  借景に過ぎざるものを男てふ不憫怒りの果ての寂寞              寂寞(さびしさ)

  我が五体焼かるるときは燐光のやさしさをもて畢らむことを

  足跡の途絶えし汀きらめけり夢美しく行きしを想ふ                 汀(みぎは)

  前世の縁か知らず触れ合へる袖の内外なりにけるかも

  前の世の縁と後の世の縁繁みに隠れ去りし蛇                    蛇(くちなは)

  問はば問へ語らば語れ思ふべし大和は慈悲のまほろばの国

  やさしさは毅き心に宿るなりゆゑは欲っせよ毅き心を

  何をして我らはあるか思ふべし蛇の棲処の緑ぞ深き

  この齢我にしてある瞑目のうちに佇立の齢と思ふ

  波紋顕つ己の波紋かも知れぬ人生の道死の後知らず

  我が詩歌は何ゆゑにあるこの身なる涙ぐましき心のために           詩歌(うた)

  精神の重きを生きる画家の目にあるは潮の深き色相                潮(うしほ)

  雛罌粟の花がやさしく揺れてゐるそのやさしさはしなやかにある

  寂寞の心に降る降る降る雪の降り降り降り敷く雪の寂寞

  一生の短さを説く人もまたその短さを歩みゐるなり

  『葉隠』にありけるこころ恋のこと死のこと遠く梟の声

  愚を言へば無知に対かひて知を探る徒労、徒労を言へば懐疑も

  一応の成果を得しといふ評価一応といふ涙ぐましさ

 


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2020年01月21日 | 植物

<2933>  大和の花 (985) サワフタギ (沢蓋木)                                ハイノキ科 ハイノキ属

                                       

 暖温帯のやや湿潤な林縁などに生えている落葉低木で、高さは2メートルから4メートルほどになり、よく枝を分ける。樹皮は灰褐色で、縦に細く裂ける。葉は長さが4センチから8センチの倒卵形または楕円形で、先は短く尖り、基部はくさび形。縁には鋭く細かい鋸歯が見られる。両面とも毛が生え、触れるとざらつく。ごく短い柄を有し、互生する。

 花期は5月から6月ごろで、側枝の先に円錐花序を出し、白い花を多数つける。花冠は直径7、8ミリで、5深裂する。雄しべは多数。葯は黄色。実は扁球形の核果で、秋になると藍色に熟す。北海道、本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島、中国東北部に見られるという。西日本では類似種のタンナサワフタギ(耽羅沢蓋木)が多く、大和(奈良県)でもその傾向にあり、サワフタギの方は北部に片寄って分布している。

サワフタギ(沢蓋木)の名は、よく繁って沢を塞ぐように被うとめという。別名のニシキゴリ(錦織木)はこの木の灰汁を紫根染めの媒染材に用いたことによるという。材は薪炭、器具、細工物などに利用されて来た。 写真は花盛りのサワフタギと花のアップ(奈良市の春日山)。    日向ぼこ寡黙がゐるな雀にも

<2934>  大和の花 (986) タンナサワフタギ (耽羅沢蓋木)                   ハイノキ科 ハイノキ属

                   

 山地の疎林内や林縁に生える落葉低木または小高木で、高さは3メートルから5メートルほどになる。樹皮は灰白色で、薄く剥がれるものが多い。本年枝ははじめ毛があり、後に無毛。葉は長さが4センチから9センチの倒卵形で、先はやや尾状に尖り、基部はくさび形。縁には尖った鋸歯が見られ、裏面の脈上に白い毛が生える。葉は極めて短い柄を有し、互生する。

 花期は6月ごろで、側枝の先に円錐花序を出し、白い花を多数つける。花冠は直径6、7ミリで、5深裂し、雄しべは多数。核果の実は長さが6、7ミリの卵形で、秋に藍黒色に熟す。本州の関東地方以西、四国、九州に分布し、済州島にも見られるという。タンナサワフタギ(耽羅沢蓋木)のタンナ(耽羅)は済州島の古名で、済州島で見つかったことによる。シラツゲ(白黄楊)の別名がある。 写真は花どきのタンナサワフタギ(釈迦ヶ岳登山道と観音峰展望台付近)。  寒中に暖かいのは微妙なり

<2935>  大和の花 (987) クロミノニシキゴリ (黒実の錦織木)           ハイノキ科 ハイノキ属

                

 湿地や池の岸辺などに生える落葉低木または小高木で、よく分枝し、高さが2メートルから8メートルほどになる。樹皮は灰褐色で縦に裂ける。葉は長さが3センチから10センチの長楕円形で、先は短く尖り、基部はくさび形。縁には鈍鋸歯があるが、目立たず、短い柄を有して互生する。

 花期は5月から6月ごろで、新枝の先に円錐花序を出し、白い花を多数つける。花冠は直径8ミリほどで、5深裂し、平開する。雄しべは多数で、花糸が長く、葯は黄色を帯び、目立つ。核果の実は長さが6、7ミリの卵球形で、秋に黒く熟す。仲間のサワフタギやタンナサワフタギによく似るが、本種は花序の軸が無毛である点や葉の鋸歯が浅く、目立たない点が異なる。

 本州の東海地方から近畿地方の中央部にかけて分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では北部の一部に稀産し、奈良県のレッドデータブックには絶滅寸前種としてあげられている。写真は平成27年(2016年)、奈良市佐紀町の磐之媛命陵の外濠脇で撮影したものであるが、移植されたか、伐られたか、以後、その姿が見られなくなった。

   ニシキゴリ(錦織木)はサワフタギの別名で、灰汁を紫根染めの媒染剤に用いたことによるもので、実がサワフタギの藍色と異なり、黒いのでこの名がある。別名はシロサワフタギ(白沢蓋木)。 写真は花期の姿(左)、花序のアップ(中・花序軸が無毛)、花のアップ(右・長い雄しべが目につく)。   頻尿や妻の寝息の健やかな


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2020年01月20日 | 写詩・写歌・写俳

2932>  余聞、余話 「 大 寒 」

      大寒や病院通ひ十二年

 今日二十日は、二十四節気の最後に当たる大寒である。月の満ち欠けの運行によっていた旧暦(太陰暦)の時代、暦と実際の季節にずれが生じるので、太陽の運行に合わせて一年を二十四等分して暦に記したのが二十四節気である。一年は立春(二月四日)に始まり、一番寒い日とされる大寒に終わる。そして、また、立春に還る。言わば、これを繰り返して年を重ねて行く。という次第で、寒さのこの時季は、寒の入りの小寒(一月六日)があって寒のピークの大寒に至るということになる。

            

 今冬は暖冬傾向で、暖かな大寒になり、スイセンは花盛り、紅梅も花を開き始め、立春(二月四日)には満開になりそうな勢いであるが、この時季になると、私には平成二十年(二〇〇八年)、干支で言えば、ちょうど一巡りの十二年前に心筋梗塞の発作に襲われ、冠動脈のバイパス手術を受け、入院したことが思い出される。検査の結果、即入院ということになり、手術待ちの日を含め、五十日ほど入院した。手術は成功し、その結果、無事に退院出来、ほとんど後遺症もなく、普通の生活が出来、今に至っている。薬は欠かせず、予後の検査、管理等で、病院通いが続いている。大寒の今日は三ヶ月に一度の検査の日で、薬を頂戴する日とあって病院に出かけた次第である。

 今は血液検査が主で、検査の結果はまずまずといったところであるが、高齢に向かうので、悪くなることはあっても改善することは難しく、今の状況を維持することがまずは求められるところ。検査結果をバロメーターにしているという具合。自分ではそれなりに体調管理に努めているつもりであるが、妻が作ってくれる日々の食事に負うところが大きく、ありがたいと思っている。

 言わば、手術の成功がまずあって、予後の管理等、生かされて来た十二年であり、後遺症もほとんどなく、感謝しなければならないが、これからどう生きるかが大切であると思ったりもする昨今ではある。父は職業病で、七十九歳にして亡くなったが、まずはその年齢を越えること。これが当面の目標で、このブログも、それまでは続けたいという思いでいるが、果たしてどう展開するやら、先のことはわからない。 写真は花盛りのスイセンと開花し始めた紅梅。


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2020年01月19日 | 植物

<2931>  大和の花 (984) イボタノキ (水蠟樹)                       モクセイ科 イボタノキ属

             

 山野の林縁などに生える落葉または半落葉の低木で、よく分枝して高さが2メートルから数メートルになる。樹皮は灰白色から灰褐色で、丸い皮目がある。葉は長さが2センチから7センチの長楕円形で、先は尖らず、基部はくさび形。縁に鋸歯は見られず、質は薄い。極めて短い葉柄を有し、対生する。

 花期は5月から6月ごろで、新枝の先に長さが2センチから4センチの総状花序を出し、白い小さな花を円錐状に多数つける。花は長さが1センチ弱の筒状で、先が4裂する。液果の実は広楕円形で、秋に黒紫色に熟す。イボタノキ(水蠟樹)の名は、この木に寄生するイボタロウカイガラムシが分泌するイボタ蠟が皮膚に出来た疣を取るのに効くことによる。水蠟樹は漢名。

   北海道、本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島から中国にかけて見られるという。大和(奈良県)ではほぼ全域に自生するが、北中部に多い感がある。刈り込みが容易で、生垣や庭木にされる。材は緻密で堅く、印材楊枝などに用いられる。イボタ蠟は加工して敷居に塗って滑りをよくしたり刀剣の錆止め、蝋燭などに用いられて来た。

   また、薬用としても知られ、生薬名を虫白蠟(ちゅうはくろう)と言い、皮膚の保護や止血に用い、これで疣が取れる。 写真は枝の先から出た花序の花(左)、緑色の若い実(中)、黒紫色に熟した実(右)。

  底冷えや今日はカレーの日なりけり