<2927> 大和の花 (980) センダン (栴檀) センダン科 センダン属
日当たりのよい暖地の沿海地に自生するとされる落葉高木で、古木では太い枝を張り、高さが普通10メートルほどになるが、大きいものではときに20メートルに達するものも見られる。葉は長さが30センチから80センチほどの2回または3回羽状複葉で、長い柄を有し、互生する。小葉は3センチから6センチの卵状楕円形。先が長く尖り、基部は左右不相称になり、縁には不揃いの鋸歯が見られる。
花期は5月から6月ごろで、本年枝の基部の葉腋に長さが10センチから15センチの円錐状の集散花序を出し、淡紫色の花を多数つけ、樹冠を一変させるほどになることもある。花は1センチ弱の倒披針形の花弁5個が平開する。雄しべは10個で、紫色の花糸が合着して筒状になり、先端が細かく切れ込んで黄色の葯が覗く。雌しべは1個で、雄しべの筒の中に納まり、筒より短く、柱頭は丸い。実は核果で、長さが1センチ弱の楕円形に近く、秋から冬にかけて黄褐色に熟し、葉をすっかり落とした枝にこの実だけが残り、冬の晴れた空に映えてよく目につく。
この実は漢方で苦楝子(くれんし)と呼ばれ、果肉を腹痛などの鎮痛薬やひび、しもやけ、あかぎれなどに用いられて来た。また、樹皮は苦楝皮(くれんぴ)と称せられ、虫下しとして知られる。材は木目が美しく、建築や家具に用いられる。
四国、九州、沖縄に分布し、国外では中国、台湾、ヒマラヤ地方に見られるという。海に面しない大和(奈良県)であるが、寺院などに見られるほか、各地に野生状態のものが点在している。これらはみな自生でなく、植栽起源のようで、古くから馴染みのある木として歴史があるが、これは中国の影響によるものと考えられる。
あふち(楝・樗)という古名で知られ、『万葉集』にはこの名で4首に見え、中でも山上憶良の「妹が見しあふちの花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」(巻5-798)は名歌として人口に膾炙している。所謂、万葉植物で、中国では穢れを祓う吉木とされ、これに倣って平安時代までは我が国でも5月5日の端午の節句に邪気を除く木として扱われ、身につけたり、軒に差したりし、『枕草子』にも取りあげられ、よい木としてあげられている。
ところが、武家の台頭する中世以後、一転して凶木と見なされるようになった。これはこの木に罪人の首を曝したことに始まる。『平家物語』等によると、三条河原の楝の木に源義朝や木曽義仲などの首を曝したとある。この史実によってあふちのセンダンは血塗られた梟首の木とされ、刑場にも植えられたことで、よりイメージを悪くした。この刑場のセンダンは武家の支配が続く江戸時代末まで見られ、明治時代になって、やっと刑場の木の役目を解かれ、凶木のイメージから解放された。
現代における逸話としては、原爆の投下によって焼け野原になった広島市街に緑を復活させたいという市民の悲願に成長の速いセンダンが街路樹に選ばれ、城南通りなどに植えられ、その願いに応えたという話がある。なお、このセンダンは「栴檀は双葉より芳し」のセンダンではなく、よく目につく実によってつけられた名で、「千珠」あるいは「千団子」によるという。「千」は多いという意で、センダンの実のつき方にあると言われる。 写真は花盛りのセンダン(左)、花をいっぱいつけた花序のアップ(中)、実だけがいっぱいついた冬の枝木(右)。 寒の冷え鍋にするかと言ってみる