つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

骨髄移植ドナー

2016-02-22 | 学校

 放送大学の廣田先生が英語授業中、さりげなく言われたことですが、骨髄移植のドナーを27年も前にされたとか。生徒一同びっくりしました。日本で52人目だったそうです。全身麻酔して、背中に100ヵ所も穴をあけて取り出すのです。全身麻酔をしたこともないので、想像もできない恐ろしさです。それも見ず知らずの白血病患者のために・・・とても崇高に感じました。献血さえ一度しかしていないのに・・・夫は会社勤めのとき何度もしたのですが・・・献血とは次元が違います。

 骨髄ドナー体験者は、私の周囲では、これまで誰もいませんでした。腎臓ドナーすら稀なのに・・・いくら健康に恵まれていようと、簡単に真似は出来ません。でも淡々とおっしゃるのです。

 写真は、庭のヒメリュウキンカ。


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8 コメント

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Unknown (大五)
2016-02-22 13:15:39
ドナーになられるのにも今でも決心が要りますね
私は献血こそありますが、直接輸血をしてあげたこはありません
でも過去に輸血を受けたことが有り、途中で献血もできなくなってしまいました
勿論今はお歳もあります
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大五さま (matsubara)
2016-02-22 17:31:35
多分すごい決心をされたのではないかと
思います。何も言われなかったのですが・・・
友人は、「奥さんが反対されなかったのかしら」
とも言っていました。

輸血をすると献血できないのですね。

私はひどいチアノーゼになり献血は
だめということが分かりました。
30年くらい前のことでした。

歳ではとっくにだめです。
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Unknown (zooey)
2016-02-22 19:17:58
背中に100カ所も穴を開けてというのは昔の話で
今は違うと思います。
とはいえ、提供するためには全身麻酔して
2~3日入院しなくちゃいけないんですよね。
頭が下がります。
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Unknown (tona)
2016-02-22 19:56:52
27年も前にされたとは!
当時考えもしませんでした。
私は全身麻酔は2回ほどしていますが、あっという間に意識が無くなります。
先生はその後、副作用みたいに、何か体に異常はないのでしょうか。
友人は60歳で息子さんに腎臓を片方提供しました。
その後4年、元気に働いています。すごいことだなあと感心していました。
脊髄移植ってどうなのか私には想像もつきません。
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zooeyちゃん (matsubara)
2016-02-23 08:08:24
そうですね。
今は27年前よりは進歩しているでしょうね。

当時は岐阜にはなくて、名古屋の病院で
施術されましたので、岐阜までタクシーで
帰宅されたそうです。
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tonaさま (matsubara)
2016-02-23 08:14:51
その後は何ともなかったそうです。
もともと健康体でいらしたのです。
今も60越えられているのにテニスを
されていますし・・・
健脚ですし・・・

腎臓は二つあってもなかなか一つ提供
することは、難しく、神戸にいた頃の隣人は
夫君に提供しませんでした。
周囲では批判されていましたね。
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Unknown (Saas-Feeの風)
2016-02-24 08:27:59
100か所も穴を開けての骨髄移植を経験なさっているとは
当時は大変なことだったのですね。
数年前に聞いた話ではドナーも数日間の入院が必要なので
会社勤務のひとには負担が大きいとのことでした。
とてもドナーにはなれないなと思いましたよ。
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Saas-Feeの風さま (matsubara)
2016-02-24 19:12:38
ドナーになるには、厳しい血液のチェックがあり
1/50の人しかクリアーできないそうです。

それに家族の同意がえられなくてもダメらしいです。
先生は堂々と休暇はとれたと言われていました。
大学教授だったから可能だったのかもしれません。
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