つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

鮎鮨街道 2

2018-09-24 | 岐阜県

  一昨年に続いて、今年も笠松町の鮎鮨街道のイベントに参加しました。昨日午後2時すぎ、前日の雨も晴れて定刻に町商工会館前をスタート。教育長の挨拶にはじまり、先導役に続きます。高嶋商店の前で、引き継ぎ式。江戸時代の古文書が高嶋家に残されているので、その文体で中学生が朗読。候(そうろう) 文も読めました。

 高嶋家は、濃尾震災で倒壊はしたものの、火災に遭わなかったため、天保13年発行の「鮎鮨継立帳」が残りました。この古文書にのっとり、このイベントが12年前から行われています。そこには、岐阜の加納より、次の一宮に運ばれていくことが書かれているのです。愛知県一宮までは、笠松港から船にて送られます。高嶋家での引き継ぎ式は、当主の九代目の高嶋氏が迎えて下さいました。先年、そこで味噌を買ったことがあります。代々味噌醸造業を営みながら、庄屋も勤めておられました。庄屋の前で引き継ぎます。

 鮎鮨街道とは、徳川時代、将軍のいる江戸まで、夜昼を問わず歩き続け、5日をかけて、江戸まで長良川の鮎をなれずしにして運んだ街道のこと。江戸までは東海道。46宿の中継地点がありました。5日後になれずしが丁度良い味加減になるよう作られました。今の寿司とは味が違い発酵されたものです。

 12年前は岐阜からスタートしていたのですが、5年前に岐阜市は止めてしまったため、笠松独自で行われています。岐阜市の長良川畔からスタートし、名古屋街道に沿い、運ばれていました。名古屋街道は今もその時代ままの道幅。笠松港から木曽川を船で渡り、一宮の真清田神社に向かいます。次の中継地は、尾張の一宮です。 

 

 

スタート地点                              中継地点 

 

高嶋家前で休憩 後方は9代当主                         笠松港近くに到着

町長挨拶

コメント (8)
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